いよいよ文化祭開始、楽しんでいただけると嬉しいです。
文化祭実行委員は、開催の五日前に全ての業務を満了した。
というのも、それまでクラス展示の方にかかりきりでいた実行委員のほとんどが文実に戻ったのだ。
理由は……これもいろはに聞いた話だが、雪ノ下のある行動だ。
なんと、あの雪ノ下が陽乃さんを引っ叩いたのである。どこかで聞いたような話だ。
俺と同じように陽乃さんの思惑に気づいた雪ノ下は、俺とオクタが入れ替わって部屋を出た直後に大激怒。
さすがに俺が倒れたのは予想外だったのか、陽乃さんは呆然とした様子で雪ノ下の叱責を延々と受けていたとか。
で、そのあまりに正論かつ卓越した罵倒の数々に、自分たちも氷の女王に怒られるのを恐れたか、皆作業に参加した。
俺が担っていた膨大な量の仕事が、ようやく本来それをやるべきものたちの手に戻ったのである。
おかげで、復帰した俺は雪ノ下の監視の下で補佐の名に相応しい程度の仕事をしつつ、劇の練習に打ち込めた。
俺一人の犠牲によって全てうまくいった……が、懸念が一つ。
あの不器用な姉妹の仲がさらに拗れたことだ。
それとなく話を振ろうとすると、雪ノ下が露骨に不機嫌になる。由比ヶ浜も今回は何もフォローしない。
しかも、俺の身を案じてくれた上での怒りなので、なんかもう申し訳ない気持ちでいっぱいである。
雪ノ下たちとサイゼで会った日、陽乃さんから謝罪のメールが届いたので、俺としてはそれで終わっているのだが。
文化祭が終わったら、なんとかしないと。今回は原因が俺なのだから、無関係でもないから少しは介入できる。
『──比企谷くん。仕事の時間よ』
物思いにふけっていると、インカムに発報が入った。
意識を思考の海から引き上げ、現実へと戻す。
目を開けば、そこは暗闇の中。正確には、暗幕の張り巡らされた体育館のステージ、その舞台袖だ。
雪ノ下の指示に従い、己の責務を果たすためにインカムのスイッチを押し、オンラインにする。
接続してからマイクが声を拾うまで少しラグがあるので、二秒ほど待ってから首輪を使った。
『開演三分前。開演三分前です』
インカムとは別に、首輪に近い位置に付けた小さなマイクに音が吸い込まれていく。
『──雪ノ下です。各員に通達。オンタイムで進行します。問題があれば即時発報を』
少しの後、ノイズと共にイヤホンに二度目の雪ノ下の声。今度は全体回線に繋がれた連絡だ。
いつも通り落ち着いた声音で話し終えると、ブツッと通話が途絶する。
『──照明問題なし』
『──こちらPA。問題ないです』
『──楽屋裏、キャストさん少し準備がおしてます。でも、出番までには何とかなりそうです』
次にノイズが走ったのは、わずか五秒後のこと。立て続けにいくつもの部署から連絡が入り、その一つ一つを把握する。
俺は手元のお手製スケジュール表を見て、上の『開催 10時00分』より上の作業項目を全てチェックした。
おそらく司令塔である雪ノ下も把握しているだろう、と思った瞬間にイヤホンにノイズが走る。
『──了解。ではキュー出しまで各自待機』
三度目の通信。
雪ノ下の声が聞こえなくなってから、俺は手首に巻いた時計を確認。
カチ、カチ……
時刻は九時五十八分。針が秒を刻むごとに、自ずと緊張感が高まった。
ステージの下でざわついていた生徒たちも、始まりを予感しているのだろう。物思いにふける片隅で聞こえた喧騒が静まる。
完全に喧騒が消える頃には一分が経ち、いよいよ開幕まであと針が時を示す回数が60を下回った。
『残り十秒』
最後の時読み。首輪から電子音声が発せられる。
『九秒』
目は時計の針から離さない。
『八秒』
カサ、と指が力みスケジュール表を抉る。
『七』
いつの間にか止めていた息を吐き出して。
『六』
これで半分。
『『五』』
インカム越しに、雪ノ下の声と重なった。
『『四』』
スッ、とステージ上の人物が息を吸い込む。
『『三』』
そこで、音にして数えるのをやめた。
ふと舞台袖の小窓から、二階のPA室にいるだろう雪ノ下の方を見上げる。
俺の思った通り、彼女は出窓からこちらを見下ろしていた。というか、バッチリと目が合った。
どちらからともなく、お互いに向けて頷いたのと同時に、秒針が始まりの前の終わりを告げ。
その瞬間、ステージ上に目が眩むほどの光が爆ぜる。
「お前ら、文化してるか────ッ!?」
舞台に立っていたのは、生徒会長城廻めくり。彼女は手に持ったマイクに向け、全力で叫ぶ。
「「「うぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」
「千葉の名物、踊りと──!?」
「「「祭りぃいいいいいいいい!」」」
城廻先輩とオーディエンスの怒号が混ざり、俺が休んでいる間に決まったらしいスローガンを高らかに謳う。
「同じ
「「「シンガッソ────────!」」」
城廻先輩の謎コールにレスポンスが返り、生徒たちの熱狂が最高潮に達した。
間を置かずに、スピーカーから流れる大音量のダンスミュージック。オープニングアウトの始まりだ。
ダンス同好会とチアリーディング部が舞台上で踊り狂い、それに合わせて生徒たちが冗談交じりに大袈裟に身振り手振りする。
「…………」
ほう、と口の端から安堵のため息が漏れた。出だしはまずまずの滑り出し、いいパフォーマンスだ。
しかし、当然それで終わりではない。記録雑務の仕事は文化祭当日、つまり今からが本領発揮である。
俺たちの仕事は多岐にわたり、オープニングセレモニーとエンディングセレモニーの舞台周りの雑用もその一つ。
現在においての仕事はタイムキープ、事前に取り決めた予定通りに各パフォーマンスを仕切るのだ。
『──こちらPA。もうすぐ曲終わりまーす』
PAから連絡。さあ、お仕事タイムだ。
『──了解。相模委員長、スタンバイしてください』
続いて雪ノ下の指示。
そのキュー出しは舞台上で司会を務める城廻にも伝わり、彼女はマイクパフォーマンスを打ち切った。
ダンスチームが下手袖へ下がり、城廻先輩は逆に上手袖へ。そして先輩は彼女に合図を出す。
「では、続いて文化祭実行委員長より挨拶です」
その言葉とともに、反対側の舞台袖から相模が出てきてステージ中央へと歩いていく。
極度の緊張からか表情も体の動きも硬く、それに追い討ちをかけるように千人を超す無遠慮な視線が注がれ。
耐えかねたか、相模は決められていたセンター位置に到達する前に震える足を止めてしまった。
同じように震えた腕をゆっくりと上げ、相模が一声を放ち──
キ──────────ン!
耳をつんざくようなハウリング。
狙いすましたかのようなタイミングに、観衆はどっと笑う。それ自体に悪意はないものの、相模は顔を真っ赤にした。
それきり、緊張と孤独、恐怖に負けたのか押し黙ってしまう。まずい、スケジュール通りに行かなくなる。
袖にいる城廻先輩にすぐさまハンドサインを出した。優秀な生徒会長様はすぐにこちらの意図を察し、マイクを持つ。
「では、気を取り直して実行委員長、どうぞー」
わざと強めに明るくした城廻先輩の言葉で相模はようやく再起動し、片手に握り締めていたカンペを開いた。
そっからの相模は酷かった。
まずカンペを落とし、拾って話し出したはいいもののとちるかむは当たり前、つっかえつっかえで進んだ。
八割を話し終えた頃にはいよいよ時間がやばくなったので、また城廻先輩に時計を叩いて腕をくるくる回すジェスチャーを送る。
「はい、そんなわけで文化祭、スタート!みんな、頑張ろー!」
俺に代わって、城廻先輩はこちらが全く見えていない相模のフォローをしてくれた。
「……ハァ」
どっと疲れた。出だしからこんなんで平気か、この文化祭。
『──いい対応だったわ。ありがとう比企谷くん』
なのに、彼女の激励ひとつでやる気が沸く俺は単純だなと。
心底、そう思った。
────
オープニングセレモニーが終われば、いよいよ文化祭も本格始動だ。
二日間行われる文化祭の中で、一般公開は二日目のみ。一日目は在校生、および教師陣のみでの発表になる。
入学してから二度目の文化祭だが、去年の印象は薄い。ただクラス展示の雑用やって終わった気がする。
今年も流れ自体は変わらない。
クラスごとに出店し、文化系の部活動が発表を行い、有志希望者がバンドをやる。ちなみに飲食系はご時世なのか既製品である。
だというのに盛り上がるのは、内容云々というよりも『文化祭』という、一つのイベントとしての認識が強いからだろう。
普段なら経験し得ない非日常、それを人は刺激と呼び、喜び楽しむ。その実日常の方が何より大切だと、大半の人間は知らずに。
そして、その非日常の熱に包まれているのは我がクラスも同じことだった。
「メイク、何やってんの!ドーラン薄いよ!」
「あんたら、何そんなに緊張してんの?ウケるー。つーか、客が見にくるのは隼人だし、あんたらが緊張する必要なくない?」
コスプレやら巨大看板やらのぼりやら、もう見てるだけでやかましい廊下を潜り抜け、教室に戻って聞こえた第一声はそれ。
海老名さんが怒号混じりの声で指示出しをして、三浦がいつもの女王的発言でクラスメイトを鼓舞していた。
オープニングセレモニーの後始末を終え、少し疲れた精神に凄まじい熱気を感じて苦笑する。
「あ、ヒッキーだ」
堅実に仕事をこなしているクラスメイトを眺めていると、ちょうど目の前を通りがかった由比ヶ浜と目が合った。
『よう。準備はどうだ?』
「なんとか、って感じ。もう最後の追い込みかな」
それは見ていればわかる。
この一ヶ月半の間に結束力が固まったのか、クラスメイトの動きは効率的だ。
きっと、熱いドラマがあったのだろう。時に笑い、時に泣き、時に怒鳴り合い、時に殴り……由比ヶ浜が相模をはたきましたね。
とにかく、皆が共通して一つの物事に打ち込むという作業は、良いチームワークを作る。それが十二分に発揮されているようだ。
「あ、ヒキタニくんだ。文実の仕事お疲れ様ー」
由比ヶ浜に公演の予定を聞いていると、海老名さんが寄ってくる。
「でさ、帰ってきてすぐで悪いけど受付お願いしていい?」
『ちょうど、こいつに公演時間を聞いてたところだ』
「グッタイミン!入り口で座って、公演時間の案内と、劇の内容聞かれたら少し詳しく教えるくらいでいいからよろしく!」
総監督様は忙しいのか、それだけ言うとそれじゃ!ときびすをかえして元いた場所に戻っていった。
が、何故か二、三歩行ったところで振り返り、にやーっと笑う。えっ何その顔、すごく嫌な予感がする……
「ごめんね、結衣とな、か、よ、く、話してるの邪魔しちゃって♪」
「んなっ!?」
「ッ!!?」
「あはは、二人とも面白い顔するねぇー」
けらけらと楽しそうに笑って、今度こそ行く海老名さん。
後に残ったのは彫像のように固まった俺と、オープニングセレモニーでの相模と同等かそれ以上に真っ赤な顔の由比ヶ浜。
海老名さんが結構大きな声で言ってくれたので、クラスメイトたちの目線も俺たちに集まっている。
「えっ、と……あ、あはは」
赤い顔のまま、こちらを見上げて誤魔化すように笑う由比ヶ浜。
「…………」
それを見ると頬が熱くなり、目を逸らしてぽりぽりと頬を掻く。
例の相模の件。
あれによって由比ヶ浜が、クラスの中でおかしい子扱いされたりハブられたりすることはなかった。
相模がずっとクラス展示の方にいたのは皆も知っていたし、俺が倒れた時その場にいた葉山が証人になった。
おまけに、由比ヶ浜が俺の文実での働きとか色々その場でぶちまけたらしく、結果的に悪いことにはならないで済んだ。
済んだのだが……
『……………………(ニヤニヤ)』
う、うぜえ!クラスメイトたちの生暖かい目線がうぜえ!
由比ヶ浜が孤立することがない代わりに、俺と由比ヶ浜が絡むとこんな感じの目で見られるようになった。
何を思い、彼らがそんな反応をしているかは大体わかる。女子も男子も、ゴシップが大好きだからな。
というか、夏休み明けからの由比ヶ浜の反応で半分バレてた。そこに今回の暴露で俺の株が上がり、こんな始末である。
『俺、外で受付してくるわ』
「えっ、あっ、うん!あ、あたしも最終確認しなくっちゃ!」
ちょっと唐突に外の空気を吸いたくなったので、戦略的撤退を図る。由比ヶ浜もパッと離れていった。
「うわ、ヒキオ逃げた。ヘタレだし」
ちょっと三浦さん?戦略的撤退って言ってるでしょ?別に恥ずか死ぬから逃げる訳じゃないし。逃げるって言っちゃったよ。
うざったらしいクラスメイトたちの目線をピシャリとドアで遮り、外の壁に立てかけられたものを見る。
『……なんかムカつくな』
公演スケジュールがデカデカとポップな文字で書かれたポスターには、衣装を着た葉山と戸塚が映っていた。
片や学校外にも名を轟かせている(らしい)リア充クソイケメン、片や中性的な美少女。映えないはずがない。
『とりあえず、組み立てるか』
ポスターの横にあった長机と二つのパイプ椅子をがしゃこんと組み立て、ちょうどいい位置にセット。
これで俺の仕事は終わりだ。あとはここに座ってぼーっとしてるだけでいい。三週間前からは考えられないヌルゲーだ。
「よっしゃ、円陣組もうぜ!」
ボーッとすることしばらく、開演五分前になって、教室内からそんな声が聞こえてくる。
窓ガラスは暗幕で塞がれているので、ちょっと扉を開けて中を見ると、クラスメイトたちが円形に整列していた。
「やっぱ海老名さん仕切んないと始まらないっしょー。ほら、こっちこっち!センター来ようぜ!」
いや、円にセンターもなにもないが。
溌剌とした様子でいう戸部……多分さっきの声も戸部だろう……は、センターと言いつつ自分の隣を指した。
あー、なるほどねはいはい。千葉村の時チラチラ気にしてたと思ったけど、まさか戸部が海老名さんをねぇ。
クラスメイトのちょっとした秘密を掴んだことにニヤリと笑っていると、円の中に入った由比ヶ浜と目が合った。
「っ!」
一瞬で顔を赤く染め上げた由比ヶ浜は、スーパーとかハイパーとかつきそうな速さで目を逸らした。
その反応に俺もなんとなく恥ずかしくなって、そっと扉を閉めると受付の席に戻る。
「………………ハァ」
声にならないため息が、口の奥から漏れ出ていく。
あいつ、もう少し隠す努力しろよ。バレバレだろうが。
あー……顔があっつい。
────
公演が終わると、教室は締め切られる。
間の空き時間に飯を食いにいったり、休憩したり、はたまた友達と一緒に他のクラスの展示を見に行ったり。
どうやら受付とは、その間の留守番も兼任するらしい。勝手に人が入ったりしたらダメだからな。
「………………」
なので、俺はボーッと受付席で座っていた。
昼時になって、他のクラス展示の方も休憩に入りつつあるのか、廊下はなかなかの混雑具合である。
「俺焼きそば食うけど、お前なににする?」
「んー、イカ焼きかなー」
「一年のB組のクラス展示行った?あそこメイド喫茶みたいなのやってて良かったぞ」
「え、マジで?」
耳を傾けると、様々な会話が飛び込んでくる。その中の一人も例外なく、皆文化祭を楽しんでいた。
これなら俺も、いっぺん倒れてまで頑張った甲斐がある。雪ノ下たちと約束したし、俺自身もうごめんだが。
しかしまあ、仕事っていえばよく受付係なんてあったもんだ。
ポスターに書いてあるんだから、いる必要ないだろうに……多分、誰かが気を利かせてくれたとかだろう。
二日目は記録雑務の仕事で校内中行かなきゃならん俺が、クラスの方にも参加できるようせめてもの取り計らい、ってとこか?
『……まあ、あいつだろうな』
なんかちょっと目立ってしまっているが、本来教室では空気みたいな存在の俺にまで気を回す奴なんて、一人しかいない。
「お疲れー」
そんなことを考えていたからだろうか、聞き覚えのある声が頭上から投げかけられる。
顔をあげると、そこにいたのはクラスTシャツを着た由比ヶ浜。片手には何か買ってきたのか、ビニール袋を持っていた。
今日何度目かの顔合わせになる由比ヶ浜は、2時間前と違っていたって普通の様子で、そこに少し安心感を覚える。
いつもあの様子でいられると、こちらも距離を測りかねるからな。
「よいしょっと」
置いておいたはいいが、誰も来ずに放置してあったもう一人のパイプ椅子に座る由比ヶ浜。
『どうしたんだ?』
「お昼まだだったでしょ?」
つまり、一緒に食べようってことだろうか。
他の友達と食べろよなんて、何度も彼女自身から伝えられた思いを考えれば、流石に言うことはできない。
そんな俺の性格をわかっているのかいないのか、由比ヶ浜は嬉しそうに笑うと持ってきたビニール袋を漁る。
中から出てきたのは紙パック、さらにそこからマトリョーシカ的に取り出されたものは──
『……食パン?』
「ハニトーだよ、ハニトー!」
いや、これパンじゃん。それも一斤まるまるの。
そこに生クリームが盛られ、チョコソースがかけられ、カラフルなトッピングチョコでデコレートされている。
しかし、基本はパンである。パンの要素強すぎて、カラオケパ◯ラで大人気のハニトーと同じものとは思えない。
「えいっ」
おおよそスイーツを食べるときに出す声じゃない声で、由比ヶ浜がハニトー(?)を引きちぎる。
それをビニール袋の中に一緒に入っていた紙皿に乗せて、目の前に置かれる。
「いただきまーす」
手を合わせ、ハニトー(?)を食べる由比ヶ浜。次の瞬間、んー!と口を閉じながら叫ぶ。
「あまっ!生クリームうまっ!」
口の端に生クリームをつけ、ご満悦の様子の由比ヶ浜。どうやら彼女的には、このハニトーもどきは良いらしい。
もらった以上、俺も食べなければなるまい。俺も合唱していただきます、と心の中で言って口に含む。
「…………………………」
…………パンかてえ……蜂蜜が中まで染みてねぇ…………
生クリームも途中から足りなくなって、あとはひたすらパンの味だけがするもさもさ地獄だった。
「ね、公演どうだった?」
どうにかこうにかハニトーもどきを飲み込んでいると、由比ヶ浜が食べながら話を振ってくる。
『まあ、良かったと思うぞ』
午前中の公演の結果は上々だ。
最初は薔薇と血の噴水が咲き誇るBLオブBL脚本だったミュージカルは、女子が参加したことでかなり良い方に変わった。
シナリオ修正の結果、「面白さ」を前面に出した喜劇じみた内容になり、腐海に他クラスの女子を沈めることは回避された。
第一稿なんて、狐が遊びに誘うところが「やらないか」になってたり、時間や会話を重ねた王子様とぼくが唇と体を重ねていた。
ちょっと海老名さんの頭の中身を本気で覗いてみたくなった。いや、やっぱり目が腐りそうだから見たくない。
『まあ、高校生の出し物としてはエンターテインメント性があった方だろう』
普段仲良くしている奴が別のキャラクターを演じている意外性、そこから時折漏れ出る普段の自分とのギャップ。
その面白味は、既製のものをなぞるだけの演劇より、よっぽど面白おかしく観客の目に映ったに違いない。
「うん、みんな頑張ってたからね」
『まあ、そうだな。俺はいなかったからわからんけど』
「文実で忙しかったんだから、仕方がないよ」
そこで一旦言葉を止めて、由比ヶ浜はギシリと音をさせて少しこちらに体ごと向き直った。
「あ、あの……円陣に混ざらなかったこと気にしてたりする?」
人差し指を突き合わせ、上目遣いに聞くのは由比ヶ浜が気遣いをする時の癖だ。別にそういうわけではないのだが。
『いや別に。ていうか、むしろ混ざったらまたおかしなことされてたろ。主に三浦とかに』
自分の取り巻きには構いたがる三浦のことだ、絶対由比ヶ浜の隣とかにさせられてた。
それは流石に心臓に悪すぎるし、由比ヶ浜としても、流石にそんなにくっつくのは遠慮したいだろ……
「あ、あたしはそれでも良かったけど……」
……うと思ったら、モジモジしながらそんなこと言いましたよこの子。
チラッチラッとこっちを上目遣いに見てくる由比ヶ浜。どう反応すればいいのかわからず、言葉が見つからない。
それをどう取ったのか、由比ヶ浜は誤魔化すように笑おうとして……けれど、途中で上げていた手を止めた。
「ねえ、ヒッキー」
真剣な表情になった由比ヶ浜に、名前を呼ばれる。
これまでに何度か見てきたその顔に、ドクンと心臓が高なった。
「答え、決まった?」
何の、という主語のない質問。
されどそれを問い詰めるほど無粋でもなければ、他のくだらないことに脳内変化するようなラノベ主人公気質でもない。
『……それは』
とても、こんな場所で聞くことではない質問だ。従って、俺はこの場で出せるような答えを持ち合わせていない。
『すまん、まだ答えられない』
「……そっか」
ふ、と由比ヶ浜の口から息が漏れる。それは安堵のような、落胆のようなそれだった。
「ならいいや! さ、ハニトー食べよ!」
次の瞬間にはいつもの調子に戻って、快活に笑った由比ヶ浜はハニトーもどきを頬張った。
『……ああ、そうだな』
やや時間を置いて返事して、俺ももっさりとしたハニトーもどきを口に詰め込む。
「んー、このチョコおいしー」
「………………」
もさもさとしたパンを頬張りながら、今の彼女の行動について考える。
今回は突然だった。あっさりと引き下がったあたり、彼女自身も気まぐれの行動だったのかもしれない。
でも、次は違う。
万全の体制で、完全な覚悟で、俺に逃げ道を作らせることなく答えを求めてくる。何故かそんな気がする。
『……俺も覚悟を決めなきゃな』
「ほえ?なんか言った?」
『なんでもねえよ』
いつの日か、葉山と話した時。
由比ヶ浜との関係が変わる〝いつか〟が来ると予感した。
いよいよ、その〝いつか〟が目前に迫っている。一ヶ月半なあなあにしてしっかり見ることから逃げてきた、その答えから。
向き合わなくてはいけない、由比ヶ浜の気持ちと。
そして……俺自身の気持ちとも。
俺は……この文化祭で、雪ノ下にあの日の答えを出す。
次回は二日目。
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