今回は前回の続きから、陽乃さんの演奏までです。
楽しんでいただけると嬉しいです。
とりあえず、B組のクラス代表には午後までに追加書類の提出と変更したアトラクション内容の説明を確約させた。
「驚いたわね……」
『まさか、強制的に中に入れられるとはな』
こういう言い方するとなんかエロい気がする……すいませんなんでもないです。
しかし、あのクラスにも困ったもんだ。現場の悪ノリでああいうことをされると、後で記録を修正する羽目になる。
集団意識とは恐ろしいもので、一度始めてしまうと、外からの言うことを容易に聞き入れなくなる。
ソースは去年の夏休み、うちで折本が突然鍋パしようとか言い出した時。たまたま来た材木座と地獄を見た。
「……突然の思いつきはあまり良くないけれど、まあ楽しくはあった、かしら」
外と口の中から襲ってくる熱さを思い返していると、そんな雪ノ下のつぶやきが聞こえる。
彼女の方を見ると、シンクロした動きで無効に顔を背けた。耳がほんのちょっぴり赤くなっている。
……照れるくらいなら言わなきゃいいものを。いや、その動きも可愛いとか思ってる俺も大概だが。
『とりあえず、次の展示に行くか』
突っ込むのも可哀想なので、聞こえないことにして歩き出す。
追求しない俺マジ紳士。こらそこ、下手に突っ込むと自分も自爆しそうだから逃げたとか言わない。
「ええ、そうね」
彼女としてもそれが最適解だったのか、返事をするとまた横を歩き始めた。
それからしばらく、見回りも兼ねて写真を何枚も撮っていく。一度仕事に入れば意識が自然とそれに集中した。
やがて、あらかたの展示を撮り終えて、体育館にほど近い三年E組に来たところで雪ノ下の足がピタリと止まる。
『どうした?』
俺も止まって聞くと、彼女は無言でクラス展示の看板を指で指し示した。
『ペットどころ うーニャン うーワン』
ああ、このクラスは確か生徒が家で飼ってたりする動物を連れてきてるのか。
ホストクラブよろしく、壁にペット達の写真が掲載されている。
定番の犬、猫、ウサギ、ハムスターから、変わり種ではフェレットにオコジョにイタチ、蛇……後半胴長だな。
その中でも雪ノ下の視線は一点、大型で毛長のラグドールという猫の写真に釘付けになっている。
他にもシンガプーラやマンチカンなど、いくつかの種類が揃っているようだ。
「猫……」
雪ノ下は、写真と教室の中を交互に見てはウズウズと入りたそうにしている。
……そういや、昔一度だけ遊園地に行った時に、お土産のパンさんコーナーから小一時間動かなかったことあったな。
こうなった雪ノ下は、目的を果たすまでテコでも動かない。となれば、選択肢は必然的に一つになる。
『ここはいい写真が撮れそうだな。ほら、動物とか映えるし』
「え、ええ、確かにそうね」
突然首輪を使った俺に雪ノ下は狼狽え、訝しげな顔をする。
しかし、聡明な彼女は俺の言わんとすることをすぐに察したのだろう。はっと目を見開いて、嬉しそうに微笑む。
『俺は犬の方を撮ってくるから、お前はその間じっくり展示を見ててくれ』
「ええ、そうさせてもらうわ……ふふ、猫」
中に入って早々に、雪ノ下は待ちきれないと言わんばかりに一目散に猫のコーナーへと行ってしまった。
相変わらずの猫好きに苦笑しながら、俺も犬コーナーに行って建前通りにイッヌを激写しまくる。
『はーい、そのポーズいいねー。もうちょっと足あげてみようか。そうそうそんな感じ、ってレンズにじゃれつくな』
思いの外アクティブなイッヌに悪戦苦闘しながら、なんとか数枚の写真を収めることに成功する。
副委員長になって更に名が知られた雪ノ下が一緒だったからか、それとも他クラスから話が回ったのか、今回は何も言われなかった。
ただでさえ死んだ魚の目みたいな目してるからね、仕方ないね。自分で言ってて悲しくなってきた。
さて、そろそろ雪ノ下を呼びに行くか。体育館の方で有志団体の発表が始まる頃合いだ。
「ニャー」
「にゃー……」
「にゃうん?」
「にゃ?」
「ンニャっ」
「にゃにゃん……ふふっ」
そして、迎えに言った猫コーナーで見たのは……子猫と戯れている雪ノ下だった。
おそらくマンチカンの子供だろうか、ちっこい子猫を両手で持ち上げ、愛おしそうに微笑んでいる。
愛のなせる技か、子猫の方も楽しそうに鳴きながら小さい前足を雪ノ下の手に擦り付けていた。
その光景は、まさしく名画のごとく。そのまま絵にしたら高値で売れること間違いなしのレベルだ。
気がついたら、勝手に手が動いてカメラと自分のスマホで一枚ずつ撮影していた。
「にゃ?」
シャッター音に反応したか、子猫が俺に気づいて首をかしげる。
「あら、どうしたのかし……ら……」
つられて雪ノ下も振り返り……俺の姿を捉えて、ピタッと止まる。
みるみるうちに頬がリンゴのように赤く染まり、バッ!と効果音がつきそうな速度で顔を正面に戻した。
そっと子猫を床に置き、立ち上がる雪ノ下。振り返った顔にはいつもの超然とした雰囲気が戻っていた。
「もう十分よ。さあ、行きましょう比企谷くん」
『いや、お前今』
「あら、何かあったかしら」
こ、こいつ、なかったことにしようとしてやがる。こんなやりとり、川崎の依頼の時もなかったか?
……まあ、ここで突っ込むと照れ隠しが長くなりそうなので流しとくか。紳士パート2といこう。
『なんでもない』
「そう。ならいいわ」
ファサッと髪をなびかせ、雪ノ下は颯爽と教室を後にする。
やれやれとため息をつき、俺も先輩に写真撮影のお礼を言ってから後を追った。
教室を出たところで待っていた雪ノ下と合流して、すぐそこにある体育館へと向かう。
中に入ると、数時間ぶりの体育館は熱に満ちていた。
並べられたパイプ椅子は満員御礼、後ろの方には立ち見客までいる。どうやら事前告知がかなりうまくいったようだ。
「あ、雪ノ下さんと補佐さん。デー……ウオッホン見回りと写真撮影、ご苦労様です」
体育館に詰めていた有志担当者が寄ってくる。聞き間違い?は聞こえなかったことにした。
クラスメイト同様、なぜか妙に勘ぐられている。おまけに雪ノ下がああいう行動ばかりするから否定もできん。
普通こんな目の腐った男が隣にいたら不審に思わない?なんでそんなニヤニヤしてんの?
(雪ノ下さんと補佐さんのカップリングは個人的にベストなので)
こいつ、脳内に直接……!?
「それで、何か問題でもありましたか?」
「問題ってほどじゃないんですけど、椅子が足りなくなっちゃって。立ち見してる人たち、列整理したほうがいいのかなって」
「大丈夫だと思います」
「でも、すし詰め状態になって騒がしくならない?」
心配げに言う担当者に、雪ノ下はふいっとステージに目を向けて言う。
「すぐに静かになりますよ」
その言葉はすぐに現実になった。
ざわついていた館内が、徐々に静けさを取り戻していく。
開演の兆しを悟ったか、あるいは舞台上にセッティングされた楽器たちが放つ、クラシカルな雰囲気に飲まれたか。
俺たちも足早に最高峰の立ち見席に紛れ込み、ちょうど良い感じにステージが見える位置に立つ。
そこで、一瞬ざわつきが起こった。ステージを見ると、華麗なドレスを着た女性たちが様々な楽器を手に入場してくる。
そして、最後に堂々とした足取りで登場したのは──雪ノ下陽乃、その人。
スポットライトの下、体のラインを強調する細身のロングドレス。まるで夜闇を纏っているようだ。
彩りを加えるのは、胸元と髪留めにあしらわれた黒い薔薇のコサージュ。真珠とスパンコールの煌めきが、さらに静謐さを与える。
誰もが見とれる中で彼女はスカートの橋をつまみ上げ、しとやかに一礼した。
それから指揮台に登壇し、タクトを取ってすっと掲げる。それだけでこの空間のすべてが静止した。
短く息を吸い、レイピアのように鋭くタクトを振り抜いて。
瞬間、旋律が弾ける。
黄金に輝く金管楽器の音が空気をビリビリと震わせ、弓と弦が矢の如き早さで音色を奏で、木管楽器が夕暮れの風のようにそよぐ。
陽乃さんがタクトを横になぐ。
途端にヴァイオリニストたちは立ち上がり、扇情的な音色を奏でた。
続いてフルート、ピッコロ、オーボエが起立して軽やかな調べとともにその場でステップを踏んだ。
トドメと言わんばかりにトランペット、トロンボーンがその黄金を情報へ掲げ、コントラバスがくるりと回転し。
最後に、ティンパニーの奏者が合わせて華麗にターンした。まるでクラシカルからぬ激しさと軽やかさだ。
観客はきっと、横っ面をいきなり殴られたような衝撃を受けただろう。
だが、それだけではない。自然と浮いた気分になるようなリズムとメロディ、楽しげな演奏者の様子に前のめりになってしまう。
音だけで人を虜にする陽乃さんの綺麗な背中に視線が釘付けになり、気づけば膝がリズムを取り始めていた。
どっかで聞いた覚えのあるような、と思った瞬間、陽乃さんが高々と手を掲げ、左右に大きく振った。
それまで滑らかなオーケストラの指揮だった中で、異質なその動き。だからこそ、何かの予兆だと悟る。
それは当たっており、次のフレーズは聞き覚えのあるものだった。
それは他の観客も同じだったのだろう、陽乃さんが半身になって体をそらし、勢いよく振った瞬間全員が立ち上がって叫んだ。
「「「Mambo!」」」
耳をつんざくような熱狂、その盛り上がりを取り込んで演奏はより激しく、しかし軽快に加速していく。
しばしの後、同じフレーズからの2度目の「Manbo!」。
長い間管弦楽から離れていた人たちとは思えない。奏者のOBOGたちの実力は一流レベルだ。
しかし、それを十全に発揮させている陽乃さんこそが最も凄まじいだろう。さらに磨けばあれで食えそう。
「……さすがだわ」
大迫力の演奏と観客の声で支配された体育館の中で、隣から小さな呟きが漏れる。
聞こえたのは隣にいた俺だけなのか、雪ノ下を見るものは誰もいない。
だから、次の言葉もほとんど周りの音にかき消された。
「いつか、ああなりたいと
だがこの人より優れた耳だけは、はっきりとその言葉を捉えた。
驚いて、雪ノ下を見る。するとどうだ、彼女はもうすでにこちらを見上げ、懐かしげに笑っているではないか。
その顔に、ある一つの推測が思い浮かぶ。
すなわち……彼女は最初から、俺にだけ聞こえるようにそう呟いていたのだと。
そんな俺の心を見透かすように、彼女は一歩こちらに歩み寄る。ただでさえ狭い空間の中、肩が密着した。
ふわりと清涼感のある香りが漂い、心臓が跳ねる。それさえもわかりきっているように、彼女は頭をこちらに傾けて。
「でも、姉さんは姉さんで私は私。
あなたが教えてくれたのよと、そう言うように彼女は耳元で囁く。
まるで魔性の誘惑のようなその声音は、俺の頭にあるものを呼び起こさせる。
『俺にとって、雪ノ下雪乃は雪ノ下雪乃でしかない』
花火大会で陽乃さんに、夕暮れに染まる図書室で彼女自身に訴えた思いが頭によぎった。
あの日から、ずっと変わらない俺の思い。どうあろうと、彼女がそこにいる限り側にいるという己への約束。
では、雪ノ下雪乃は。
「本当に、すごいわ……」
燦然と輝くスポットライトの下、軽やかに舞い踊る雪ノ下陽乃を見る彼女は、どこにいることを選んだのか。
その答えは、雪ノ下雪乃しか知らない。
読んでいただき、ありがとうございます。
いつもより少し短めでした。
次回は相模のあれこれ、そしてその次は……
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