声を失った少年【完結】   作:熊0803

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はい、ということでヒッキーの誕生日ということでね。

いつも通りの記念SS。ただしいつもより更にオリジナル要素が増えております。

楽しんでいただけると嬉しいです。


番外編 比企谷八幡生誕祭記念

 

 雪乃 SIDE

 

 

 

 それは、ある日の休日のことだった。

 

 

 

「……あら?」

 

 コンコン、とノックをされた音に、ふとパソコンの画面から顔を上げる。

 

 ドアを叩いた位置からして……あの子たちかしら。リビングで遊んでいたはずだけれど。

 

「入っていいわよ」

 

 そう声をかけると、ドアの向こうにいる小さな訪問者さんたちはドアノブをガチャガチャと上げ下げする。

 

 まだ年齢的に身長が足りないのでしょう。仕方がないわね。

 

 席を立つと、私からドアを開けてあげる。すると二つの影が突進してきた。

 

「お母さん!」

「ママ!」

「あらっ。いきなり抱きついてくるなんて甘えん坊ね」

 

 腰のあたりに手を回してきた二人の天使に、私はつい微笑みながらその頭を撫でる。

 

 すると二人は顔を上げて、嬉しそうに笑った。その顔を見るだけで心が温かくなっていく。

 

「それで、どうしたの? リビングでゲームをしていたのではなかったの?」

「うん、でも飽きちゃった」

「あら」

 

 子供の興味の移り変わりは早いというけれど、この年頃はそれが活発ね。

 

 私や、あの人はどうだったかしら……駄目だわ。互いに出会うまでろくな思い出がない。

 

「それでねそれでね、二人で話してたの!」

「そうなの。ここに来たのなら、お母さんも混ぜてくれるの?」

「「うん!」」

 

 揃って答える二人。

 

 ああ、自然と顔が緩んでしまう。これでは結衣さんのことを一方的に揶揄うこともできないわ。

 

「じゃあ、リビングに行きましょうか。紅茶、飲みたい?」

「うん!」

「ママの淹れる紅茶好きー」

 

 嬉しいことを言ってくれる二人の頭をもう一度撫でて、手を繋ぐと部屋を出る。

 

 本当は姉さんの仕事の手伝いがあるけど……今日中でいいと言っていたし、少し子供と話すくらいなら平気ね。

 

 

 

 リビングに行って、二人をソファに座らせると三人分の紅茶とお菓子を用意する。

 

 戻って二人と一緒に少しお茶をしたけど、終始二人は何かを話したそうな顔でそわそわしていた。

 

 どうやら我慢できないみたいね。肩肘張っていた気持ちも少し解れてきたし、そろそろいいかしら。

 

「それで二人とも、お母さんにどんなことを聞かせてくれるの?」

「あ、そうなの。話したいことがあるの!」

「大事な話なんだ!」

 

 一緒に詰め寄ってくる二人に、私は少し苦笑い。

 

 双子だからか、いつも息がぴったりな愛しい子供達……優真(ゆうま)真理(まり)は、これでもかと目を輝かせている。

 

「それは期待してしまうわね。どんなに良い話なのかしら」

「ふふふ、驚かないでね!」

「私たち、パパにサプライズしたいの!」

「サプライズ、かしら?」

「うん、明日お父さんのお誕生日だから」

 

 元気よく手を挙げて真理が言うと、優真が補足してくれる。

 

 

 確かに、明日は八月八日。あの人の誕生日。

 

 

 若い頃は結衣さんたちと集まって、盛大に祝っていた。

 

 けれど、社会人になってあの人がお義父様の会社に入社して、この子たちが生まれて。

 

 結衣さんたちも忙しくなって、そうやっていつの間にか、私と彼の間で贈り物をするだけで終わるようになって。

 

 自分たちの誕生日パーティーなんて、いつしか思い出の中のものに変わっていた。

 

「パパにね、いつもありがとうって言いたいの」

「僕たちのために頑張ってくれてありがとうって、言いたいんだ」

「あの人のことだから、わざわざそんな事をしなくても、あなた達の気持ちはちゃんと分かっていると思うけれど……」

 

 そう自分で言いながら、それがどこか言い訳じみた台詞だと感じた。

 

 私たちは子持ちの夫婦としては若い部類に入る。まだ二十代後半で、別にそういう事をしてもおかしくはない。

 

 

 でも、心のどこかでもうそういうのはもう卒業だと思っていたのかもしれない。

 

 

 私は〝母親〟だからと、もうそんな歳ではないと、割り切るための口実を心の中で作って。

 

「でも、そうしたらお母さんも一緒にパパのこと、お祝いできるよ?」

「え?」

 

 だからこそ、真理の言葉にどきりと心臓が跳ねた気がした。

 

「あのね、私たちがありがとうって言いたいのはパパだけじゃなくて、お母さんにもなんだよ?」

「だけど、お父さんもお母さんも僕たちに遠慮して、そういうことしないから。だから一緒に楽しめたならなって」

「…………」

 

 正直に言って、度肝を抜かれた気分だった。

 

 二人ともまだ5歳。それなのにここまで考えることができるなんて、これが遺伝なのかしら? 

 

 優真と真理。あの人のように物事の真理を見抜けるように、そして優しい心を持つように。

 

 親戚や友人総出で考えたこの名前は、しっかりと二人の心を表してくれている。そのことがとても嬉しい。

 

「……ふふ」

「? お母さん?」

「どうしたの?」

「いえ、なんでもないわ。そうね、最近お父さんのことを祝ってなかったし、良いと思うわ」

「! ねえ聞いた兄さん!」

「うん。やったね真理」

 

 キャーキャーとはしゃぐ二人に、思わず私は二人を抱きしめた。

 

 するともっと嬉しそうな声をあげて、ああ母親になったのだなとそう感じる。

 

 

 

 

 

 これが私の──比企谷雪乃の〝本物〟だ。

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

 八幡 SIDE

 

 

 

「おや比企谷君、まだいたのかね」

『ん、ああ。津西さん』

 

 上司の声で、意識がパソコンの画面の中から引き上げられる。

 

(これ以上腐らないという意味でも)悪くなりようもないこの目、しかし気分でつけている伊達眼鏡。

 

 それ越しに見るのは、俺を見下ろしている上司。俺を人間でいさせてくれる厄介な天才様だ。

 

『何か用っすか。新しい薬剤の資料ならそっちの端末に送っときましたけど』

「ああ、それはもう見た。私の作品には劣るが、中々良いものだ。改良させてもらう」

『うす』

 

 この人、相変わらず仕事だけは早いな。まあ初めて会った時からそこへの情熱は凄まじかったか。

 

 反面、若干人間性がぶっ壊れてる点を除けば文句ないんだけどなぁ。あと時々俺を実験台にすること。

 

「本題はそれではないよ。私はさっきなんと言った?」

『まだいたのかね、でしたっけ? まだ5時ですけど』

 

 研究室の壁にかけられた時計を見れば、まだ長針は本日十七回目の一周をしていない。

 

 普段ならばそろそろ仕事に熱が入ってきて、池田さんからお茶が差し出される頃合いだ。

 

 そういや今日池田さんいないな。このクレイジー女置いてもう帰ったのか? 

 

 いつもの習慣を思い返していると、やれやれと肩を竦める津西さん。やけに様になっててムカつく。

 

「君ともあろうものが予定を忘れるとは。私は嘆かわしいよ」

『いやなんでだよ……今日ってなんかありましたっけ?』

「君の誕生日じゃないか」

 

 ……………………あっ。

 

「その顔、今気がついたようだね? いやはや全く、この天才の私がいてよかったねえ!」

 

 クイッとメガネを中指で押し上げ、上を向いて高笑いする津西さん。もう見飽きたくらいに見たポーズだ。

 

『いや、いい加減そのポーズやめてくださいよ。あんたそろそろ三十代後は』

「ところで比企谷君、来月の抑制剤の件だが」

『幾つになっても若々しくて羨ましいですね!』

 

 ちくしょう、レシピさえ知ってりゃこんな扱いされずに済むのに。

 

 いや、どっちにしろ調合に必要なものを使うのにこの人の許可いるから意味ねえわ。ハハッ(諦観)

 

「私はその類の行事を子供の頃にドブの中に投げ捨てた人間だがね、今日くらいは早く帰ったらどうかな?」

『いや捨てるなよ……いくらなんでも親御さんが可哀想でしょ』

「そうか? むしろほっとしたような顔をしていたが」

 

 ……よっぽどえげつねえもん強請ってたんだろうな、この人のことだから。

 

 なんなら実験台とか子供の頃から探し回ってたまである。やだなにそれ怖い、うちの子はそうならないようにしないと。

 

「何やら失礼なことを考えているね。こっちの給料をカットされたいかい?」

『すみません……いや、別に例年と同じですしいいですよ。どうせあと一、二時間くらいしたら帰りますし』

「ふむ、まあ優秀な部下がいて私は助かるがねぇ。主に自分の研究に専念できて」

 

 この研究室に入ってから数年、すっかり社畜になった気がする今日この頃である。

 

 みんなを笑顔に? なにそれどこの詐欺文句? な俺ではあるが、俺のように苦しむやつまでは放っておけない。

 

 だから研究者なんて柄でもないことをやっている。いつかは津西さんみたいに何か発明したいところだ。

 

「しかしまあ、変わり映えがしなかったとしても、こういう時は乗っておくものさ。要は心持ちだよ比企谷くん」

『津西さんが言うとすげえ一般論っぽさしかないですね』

「当たり前だろう。私からすれば非効率極まりない」

 

 だろうな。むしろこの人自分の誕生日とか覚えてんのか? 

 

「だが、君は人間でいることを選び、夫や父であることを選んだのだろう?」

『それはそうですけど』

「ならば人間の規範、常識に従いたまえ。それが義務というものだよ。その中に人間らしい非効率な楽しみを持つのも悪くないのではないかね?」

『……まあ、否定はしませんが』

 

 無意識にネクタイを触る。それは去年、妻から贈られたものだ。

 

 そういや最近、子供たちとちゃんと会っていない。

 

 いつも帰ったら眠っていて、休みの日以外は話せていない。なんでこんなに社畜やってんだ俺。

 

 あれ、これダメ親父の典型例じゃね? 仕事にかまけてばかりで家庭を……とか、絶対嫌なんですけど。

 

 こんなこと知られたら小町に絶縁されるまである。え、待ってそれ俺が死んじゃう。

 

「ふふん、その顔はどうやら帰る気になってきたようだね」

『……そうっすね。まあ、今日くらいは早めに帰ってもいいかもしれません』

 

 なんだか急に帰りたくなってきた。あいつや子供達の顔がやけに頭に思い浮かぶ。

 

 ふと画面を見ると、話している間に時間が経ってスリープモードになった真っ黒な液晶には疲れた腐れ目の男。

 

 学生時代に匹敵するそれを見て、苦笑いが溢れた。あいつと家族になって、かなりマシになってたんだけどな。

 

『津西さん、今日は定時で上がります』

「うむ、そうしたまえ。雪ノ下……おっと、今は比企谷夫人か。彼女にもよろしく伝えてくれたまえ」

『はい、わかりました』

 

 白衣を脱ぎ、首からかけていた研究員用のIDカードを津西さんに渡す。

 

 コート掛けに引っ掛けていた上着を取って、必要な書類を入れた鞄を手に取ると研究室を出た。

 

『あ、そういや忘れてた』

 

 一つ言い忘れてたことがあった。部屋を出るところで津西さんに振り返る。

 

「ん、何だね? 私にまだ言いたいことでも──」

『池田さんとのデート、楽しんでくださいね』

 

 

 

 

 

 直後、後ろから聞こえてきた形容し難い声をスルーして、俺は妻に帰る旨をメールで伝えた。

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

 雪乃 SIDE

 

 

「今、下についたみたいよ」

「もうすぐ来るね!」

「楽しみ、だね」

 

 ワクワクと擬音がつきそうな子供達に、もう少しの辛抱よと言いながら彼の帰りを待つ。

 

 そんな私の心にも、どこか期待感のようなものが渦巻いていた。これから起こることに心躍るのは久しぶりだ。

 

 別に日々そうなわけではない。この子たちの成長や、彼の仕事の成果が出る時を思えば楽しくはなる。

 

 けれど、これはそれとは少しだけ違って。まるで学生時代に戻ったような──

 

「あ、帰ってきた!」

「ほんとだ、玄関の方だね」

 

 あら、どうやら主役の到着みたい。

 

 鬼の遺伝子を受け継いでいるからか、それとも神経が鋭くなっているのか、子供たちは飛び出していく。

 

 あっという間にリビングから出て行った子供たちは、あの人のところへと一直線に飛んでいった。

 

「お父さん、おかえりー!」

「おかえりパパ!」

『うおっ、強烈なお出迎えだな。ただいま、いい子にしてたか?』

「うん!」

「とっても、頑張ったよ」

『? そうか』

 

 開きかけのドアの向こうから聞こえる会話に微笑んで、私もあの人のところへといった。

 

「おかえりなさい、あなた」

『おう、ただいま──雪乃』

 

 抱きついた子供たちから私へと顔を向けた彼の目には、いくらか疲れが見えた。

 

 けれど、学生時代の彼の目に比べれば、遥かに普通だ。私にとってはチャームポイントだったけれど。

 

「今日は早かったわね」

『上司が今日くらいは帰れってうるさくてな。こいつらの顔も見たかったし』

「「えへへ〜♪」」

 

 順に子供達の頭を撫でる主人に、鞄を受け取りながら笑う。

 

 〝俺の子供達マジ天使〟と顔に書いてあった。心を許している時だとわかりやすいのは、昔から変わらない。

 

「さ、疲れてるでしょうからこちらへ来て頂戴」

『おう。ほらお前ら、抱っこしてやるから一旦離れろ』

「「はーい」」

 

 二人を軽々と抱き上げた主人を先導するように、リビングへと向かう。

 

 ああ、胸の鼓動が聞こえるくらいに心臓が高鳴っている。これから起こることを前に、この人はどんな顔をするかしら。

 

 そんなはやる気持ちを抑えて、ポーカーフェイスを貼り付けて、リビングのドアを開けた──その瞬間。

 

 

 

『八幡(ヒッキー、先輩、ヒキタニ君、兄さん)、誕生日おめでとー!』

 

 

 

 主人めがけて、祝福の言葉ともにクラッカーから飛び出した色とりどりのテープが降り注ぐ。

 

『…………は?』

「あら、第一声がそれなのはどうしたものかしら、あなた?」

『……おい、これって』

「えへへー、サプライズだいせーこー!」

「どうどう? パパ、驚いた?」

 

 褒めてほしいと全身で表す子供達に、彼は半ば呆然としたままで二人の頭を撫でた。

 

 気持ち良さそうな顔をする子供達に、クラッカーを使った結衣さんたちも楽しそうに笑う。

 

「おめでとう、兄さん。祝えて嬉しいよ」

「えへへ、こういうの久しぶりだね」

「そうだねー、ヒキタニ君の驚いた顔なんて珍しかったよ」

『八兎、結衣、海老名さん……』

「モハハ、これまでは何かと用事が合わなんだが、今年は祝えたことを幸運に思うぞ!」

「義輝さんに賛成です。こういうのってなんかー、空白の時間で愛しさが増すっていうか?」

「合ってるような、合ってないような……」

「相変わらず面白いことを言うなぁ、いろはちゃんは」

『義輝にいろは、戸塚……陽乃さんまで』

「やっほー、お久しぶりです♪」

『……新月。お前もいるのか』

「驚いたかしら?」

『……ああ、腰抜かすくらいにな』

 

 この場にいる全員、彼にとって……いいえ、私たちに二人にとってかけがえのない友人と呼べる人達。

 

 いつしか時間と立場に追われてやらなくなってしまったこの催しを、もう一度したいと集まってくれた人達。

 

 そんな彼女たちは……昔となんら変わらない、とびきりの笑顔で彼を迎えてくれた。

 

『これはお前が?』

「いいえ。私は料理を手伝ったのと、飾り付けをしただけ。それと少しだけ人を集めたわ」

『少しだけっていうか、俺とお前の昔からの交友関係の八割だけどな』

 

 それもそうね。私たちのような頑固者に付き合ってくれる稀有な人たちなんて、むしろこんなにいるのが不思議なくらいだわ。

 

『八兎、結衣、子供は?』

「今日はママに預けてきたの。丁度顔を見たかったみたいで、快諾してくれたよ」

『そうか。義輝はお前、原稿の締め切り平気なのかよ?』

「けぷこんけぷこん、我をその辺のラノベ作家と一緒にしてもらっては困る。ちゃんと担当さんに負担をかけてはおらん」

「ていうか私ですけどね。まあ仕事はきちんとしてるんで平気ですよ」

「同業者から見ても、材木座君はすごいよ?」

「うむ、そうであろう海老名殿?」

『そうか……戸塚もありがとな。陽乃さんも忙しいでしょうに』

「ううん、八幡の誕生日を久しぶりに祝うなら当然だよ!」

「まあ、息抜きにもねー。義弟君の誕生日となればお姉さんも嬉しいし♪」

『はは……で、新月。お前は帰れ』

「うっわ、ひっどーい。せっかく小町とジャンケンで勝ったのに」

『今すぐ小町とチェンジしろ。ていうかうちの子に近づくな』

「ええ〜、別に変なこと教えないですよぉ〜」

 

 そのやり取りに、皆が笑う。

 

 

 

 それは暖かくて、綺麗で、儚げで、けれど決して壊れることはない、私たちの手に入れた関係。

 

 

 

 

 いつか、私たちは何かもわからない曖昧なものを求めていた。

 

 

 

 

 それは何かを知りたかったのかもしれないし、何かを愛したかったのかもしれないし、あるいは単に安心したかったのかもしれない。

 

 

 

 

 ああ、けれどこれだけは解る。

 

 

 

 

 この人がいて、子供たちがいて、結衣さんたちがいて。

 

 

 

 

 

 こんなに幸せな私の人生は──間違っているはずがない。

 

 





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