すみません、少し伸びてしまって相模が出るのは次回になりました。
楽しんでいただけると嬉しいです。
ふと、ベルトに触れる。
ずれていると思ったそれは、先ほど後輩がセッティングした位置から一ミリも変わってはいなかった。
足に張り付くように錯覚したズボンの裾を直し、余裕のあるサイズのはずなのに妙に窮屈に感じるブーツのつま先を床に打ち付ける。
そして今度は、迷彩機能で見えないようになった首輪に挟まった気がするフードに触れて──
「待ちなさい」
ぬっ、と横から伸びてきた白い手に手首を掴まれた。
そちらを見ると、手の主は雪ノ下。
朝見たばかりの衣装を的た彼女は、呆れた顔で俺を見上げている。
「緊張しすぎよ、比企谷くん。それでは本番中に失敗してしまうわ」
『……すまん』
少しの間の後、首輪から謝罪の言葉が漏れる。
そんな俺に、雪ノ下は優しめな声で安心させるように言った。
「あまり気負いすぎないほうがいいわ。もうすぐ始まるのだから……私たちの舞台が」
二日間に渡る文化祭、その最後を飾る有志団体の発表。
陽乃さんの演奏を含め、多種多様な妙技、絶技が披露された中で、いよいよ俺たち文実の発表が次の次に迫っている。
既にキャストは揃っており、俺の他にもこの場所には何人もの出演者達が今か今かと出番を待っていた。
後に控えるエンディングセレモニーの準備は、既に出演しない実行委員達に引き継いだ。俺の写真もうまく使ってくれるだろう。
では、なぜ雪ノ下に指摘されるほどそわそわしているのかといえば……なんてことはない。普通に緊張してるだけだ。
「柄にもなく取り乱しているようだけれど、そんなに心配かしら」
『こんな大役を引き受けたのは、人生で初めてだからな。最後に演じたのなんてお遊戯会の木だぞ、木』
クスリと笑う雪ノ下。
「ある意味、あなたらしい役回りね」
『ああ。ていうかそっちの方が何倍も気楽だ』
まったく、今更ながらキャスティングに文句を言いたい。
これまで誰とも関わらず、静かに高校生活を送ってたぼっちに主役の一人とか、マジでキツイっての。
それに拍車をかけるのは、ここからでも聞こえるほどの観客の熱を帯びた声。
文化祭という一つの非日常が終わろうとしているせいか、まるで華々しく散る花火のようにその熱気は高まっている。
そして、数多の有志団体発表の大トリという事実である。
小道具やセットなど、比較的他の団体より使うものが多いため、片付けの時間を考慮して最後に回されたのだ。
もし失敗でもしようものなら、目も当てられない。百パー黒歴史になると俺の経験則が言っている。
『やっぱ今からでも配役を変えてもらうか。うん、そっちの方が絶対いいわ』
「何を馬鹿なことを言っているの……」
こめかみに指を当て、雪ノ下はため息を吐く。
いつもと変わらないそのリアクションに、今更ながらなんでこんなに落ち着いてるのか不思議になった。
『お前、なんでそんなに平気そうなの?』
「昔から人目にさらされる経験が多かったから、自然とこうなっただけよ」
ああ……そういやこいつ、昔一緒にいた頃もいろんなところで目立ってたっけ。
俺は入院していたので見れなかったが、入試成績トップで新入生代表のスピーチをしたのも雪ノ下だという。
「私、優秀だから」
自慢する風でもなく、きっぱりと事実を述べるような平然とした顔で言う。
普通なら嫌味に聞こえたりするんだろうが、彼女の優秀さは自他共に誰もが認める本物だからこそ、確固たる自信を持っている。
その分、苦悩や気苦労も多いことを知っているが……今この場に至っては、彼女を奮い立たせる支えとして機能しているようだ。
『ははあ、隅っこで生きてた俺とはまるで違うな』
そう、彼女と俺では大違いだ。
正道と悪道、白百合と雑草、持つものと持たざるもの、主役と悪役、人間と怪物……考えればいくらだって出てくる。
本来ならば、比企谷八幡という
だが、もしもたまたま孤独な怪物が孤高のお姫様の違う面を見て、たまたまお姫様が物好きで、たまたま怪物を許容したら。
そんなたまたまが積み重なって、今この瞬間があるのかもしれない……なんちゃって。我ながら痛すぎるなこれ。
「あら、案外そういう場所の方が心地よかったりするものよ」
『どうだかな』
肩を竦めると、雪ノ下はこちらを見てふっと笑う。
そういう顔をするときは必ずと言っていいほど何かをすると思い出した時にはもう遅く、彼女は行動を開始していた。
「本当よ。だって……」
カツン、とヒールを鳴らして、雪ノ下は背中を壁から離すと、拳三つ分ほど離れていた俺の横に移動した。
突然の行動に面食らっていると、彼女は手汗を握りしめていた俺の拳に、そっと自分の白磁のような手を包み込むように重ねる。
「ほら、こんなに居心地がいいもの」
「……っ」
その笑顔は、反則だろ。
可憐という言葉が似合いそうな雪ノ下の微笑から目をそらして、誤魔化すように前方を見やる。
「うー……あー……やば、緊張してきた」
すると、少し離れたところで次の出番の葉山たちが準備をしているところだった。
げっそりとした顔でぼやく三浦の周りでは、葉山がギターで指慣らしをしたり、戸部がスティックで仮想ドラムやってたりしている。
他にもベースを持った大和と舞台の上のキーボードを見ている大岡がおり、いつものメンバーでバンドを組んだらしい。
「えーっと、ステージドリンクはストローあった方が飲みやすいかな」
「結衣、やるならハサミでキャップに穴開けてみな。ちょうどいい大きさになるから」
「え、姫菜すごい。よくそんなの知ってるね」
なお、マネージャーのように海老名さんと由比ヶ浜が周りをうろちょろしてる。
先ほどの俺と同じようにあたふたした様子の中、葉山だけは余裕そうな表情だ。流石、いつもみんなの中心にいるだけのことはある。
「あ、いたいた。雪ノ下さ〜ん」
由比ヶ浜があっちゃこっちゃしてる様子を眺めていると、不意に声をかけられた。
瞬間、パッと離れていく手。最初のあの時点だったから、見られてはいないはずだ。
「あれ、比企谷くんも一緒だったんだ」
『まあ、一応主役なんで』
やってきたのは、エンディングセレモニーの準備に当たっていたはずの城廻先輩だった。なんかあったのか?
「どうかしましたか?」
「その……」
城廻先輩は、言いづらそうに口元を開いては閉じるを繰り返す。
「あの、あまり時間がないのでできれば早く言って欲しいのですが」
「あっ、そっ、そうだよね……えっとね」
そこで一旦、ためらいがちに視線を右往左往させて。
「相模さんが、どこにもいないの」
そんなとんでもないことをのたまった。
────
「………………どういう、ことですか」
たっぷり十秒くらいかけて、雪ノ下が聞き返す。
さしものこいつといえど予想外だったのだろう、普段は見えない焦燥がうっすらと顔に浮かんでいる。
「それが、エンディングセレモニーの最終打ち合わせをしようと探したら、姿が見当たらなくて……」
「電話は?」
「したけど、電波の届かないところにいるか電源が入ってないって」
……さては逃げたな、相模のやつ。
雪ノ下は顔色を変え、いざという時に連絡が回るよう持っていた携帯をポケットから取り出す。
相模に電話をかけるが、聞こえるのはコール音のみ。やがてツー、ツー、というお馴染みの音が流れ出した。
「……確かに、出ないようです」
「生徒会のみんなにも探してもらったけど、途中で足取りがつかめなくなるんだって」
足取りって、生徒会役員は忍者か何かだろうか。それか暗殺者かハンター?
一応、俺も連絡用に登録しておいたラ◯ンに適当な文を打って送るが、数分経っても既読はつかない。
「どうやらダメみたいね」
『だな』
チッ、もうすぐ劇が始まるっていうこのタイミングでこんなことが起こるとか、最悪にもほどがあるだろ。
……まあ、こうなることを予想していなかったかと言われれば、嘘になるが。
いろはの認識改変のおかげか、特に周りからは何もなかったた相模だが、四六時中居心地悪そうにしていた。
当たり前だ、陽乃さんに乗せられて危うく文実を崩壊させかけた挙句、人一人倒れる事態まで引き起こしたのだから。俺だけど。
相模の性格上、そんな重い責任は受け止められるとは思えない。だから、もしかしたら逃げる気はしていた。
「どったの?ゆきのんもヒッキーも、めぐり先輩もそんな顔して」
三人で難しい顔をしていると、剣呑な雰囲気を感知したのか、由比ヶ浜がパタパタと寄ってきた。
「由比ヶ浜さん。相模さん、知らない?」
問われて、由比ヶ浜はうーん?と首をひねる。
「わかんないけど……」
『最後に会ったのは?』
「えっと、クラス展示の方が終わった時かなぁ……いないと困るの?」
『相模のやつ、総評と各賞の発表しなきゃいけないんだよ』
「ええ。それに優秀賞と地域賞の投票結果は彼女しか知らないわ」
俺たちの説明から事態の深刻さを悟ったか、由比ヶ浜は友人づてに聞くと電話をしに行った。
俺たちも話し合い、とりあえず放送室に掛け合って校内放送でアナウンスをしてみることにした。
「お前たち」
五分ほど経って、アナウンスを聞いたのか平塚先生が裏口から入ってきた。
「相模はきたか?」
「いいえ……」
「そうか……教師陣も自体は把握している、見つかったら連絡が来るだろう」
そう言うものの、先生の表情はよろしくない。あまり期待できないのだろう。
刻一刻と事態の深刻さが深くなっていき、外の熱狂とは反対に、この場の空気が冷えていくような錯覚を覚える。
「ゆきのん」
「由比ヶ浜さん、どうだった?」
「ダメ、誰も見てない」
由比ヶ浜の方はダメだったか……となると、あとは教師陣が頼みの綱になるが。
しかし、ちんたら今から校内中探して回って、かろうじて見つけたとしても、エンディングセレモニーに間に合うとは思えない。
となれば……
『相模がいないことが前提のエンディングセレモニーを想定した方が、いくらか現実的かもな』
「確かに……でもそれって」
「万が一、総評は今ある資料からでっち上げるとして……問題は地域賞だな」
地域とのつながりをアピールポイントにした以上、今年から実装した地域賞の発表がないのは様にならんな。
それに、代役を立てるにしてもそれはそれで不格好になってしまう。いい文化祭の終わり方とはいえまい。
「最終手段、でしょうね」
『そうなるよな……畜生、俺も一応確認しとけばよかった』
演劇のことに頭が行きすぎて、不測の事態に対する対策を怠るとは。暗殺者としてあるまじき計画性のなさだ。
結局話は振り出しに戻り、相模をどうやってエンディングセレモニーまでに連れ戻すか皆で知恵を絞る。
「さっきから話し込んでるけど、何かあったのか?」
今度は葉山が近寄ってきた。すぐにめぐり先輩が事情を説明する。
すると、余裕そうな面持ちを少し深刻そうに歪め、葉山は提案をしてきた。
「副委員長、今からプログラムの変更は可能か?」
「具体的には?」
「もう一曲追加したいんだ。頑張れば、それで十分くらいなら稼げる」
「出来るのなら、やってくれると助かるけれど。可能なの?」
「みんなには俺から話をつけるよ。どうかな、口頭認証になるけど許可は出せるかい?」
ふむ、と雪ノ下は少しの間考え込む。
頭の中で情報を整理しているのか、俯いて無造作に視線を右往左往させ、しばらくして顔を上げた。
そして、真正面に俺の目を見据えてくる。それだけで、彼女が俺に何を望もうとしているのか半ば察した。
「比企谷くん、葉山くんたちの演奏と劇の準備の十分、合計二十分で相模さんを探せる?」
……やっぱりそうきたか。
皆の視線が俺に集まる。俺は表情を苦くしながら首輪を使った。
『出来るできないでいえば、出来るだろう』
「その言い方だと、何かしらの問題があるようね」
『ああ』
いつかの時みたいに、後々の代償覚悟でリミッターを外せば十分程度でも見つけること自体は可能だ。
しかし、その場合は相模を問答無用で引きずってくることになる。
もともと身を隠す気満々のやつにそんな真似をすれば、おとなしく従うはずがないのは分かりきったことだ。
であれば、見つけるための時間の他に、本人からやる気になるよう、説得するための時間を考慮すると五分五分というところだ。
それを説明すると、全員難しい顔に逆戻りする。
「ううむ、せめてあともう十分くらいはあればな……」
「流石にそんなにはもたないですね……」
「や、やっぱりこのままやったほうがまだいいんじゃ」
「ですが、そうなると……」
やんややんやと、案を出しあう雪ノ下たち。その間にも刻一刻と葉山たちの出番は迫る。
こういう時、自分の壊すだけの力が恨めしい。もっといろはの力みたいな便利なものならよかったのに。
せめて、今すぐ相模の居場所でもわかれば十五分もあればなんとかなりそうなんだけどな……
ピロン
その時、ポケットの中で携帯が震えた。
────
こんな時に誰からメールだ?
携帯をポケットから取り出して見ると、ライ◯の通知が一件来ていた。
滅多に使わないため、通知が来ることがごく稀なそれに少し警戒しつつ、アプリを開いてメッセージを見て……
「……!」
……あいつ、やってくれるな。
でも、これでなんとかなりそうだ。
『雪ノ下』
首輪で名前を呼ぶ。平塚先生と話し合っていた雪ノ下は、すぐにこちらに振り返った。
「何かしら?」
『一つ頼みごとがあるんだが』
「構わないけれど……一体何かしら?」
小首をかしげる雪ノ下に、申し訳ない気持ちが沸きつつも俺はそれを提案した。
『陽乃さんを助っ人に読んで、あと少し時間を稼いでくれないか?』
「…………姉さんを?」
わあ、露骨に機嫌が悪くなった。どうやらこの前の件は雪ノ下の中ではまだ許されていないようだ。
由比ヶ浜が驚いた顔でこっちを見てくる。まあ、ここ数週間話題に出さないようにしてたからな。
だが、それこそが
「あの人がなんのメリットもなしに、私に協力するとは思えないけれど」
『まあ、普段ならそうだな』
含みのある言い方に、雪ノ下が眉をひそめる。
「……今の姉さんならば、言うことを聞くとでもいうのかしら」
『ああ』
俺は、即答で断言した。
確固たる自信と確信を持った俺の腐った瞳に、雪ノ下は若干うろたえながらも訝しげにする。
それから少しの間考えて……そのことに気がついたのか、悪い笑みを口元に称えた。町娘風の衣装と相まって少し悪役っぽい。
「そう。つまりあなたは、姉さんを脅そうというのね?」
「え、陽乃さんを?」
「なんだと?」
葉山と平塚先生が反応を示すが、由比ヶ浜とめぐり先輩はわかっていないのかはてなマークを浮かべている。
それに目もくれず、俺はただ雪ノ下を。雪ノ下もまた、俺だけを見ていた。
「出来ると思う?」
『ああ。今回に限って、あの人は俺たちに貸りがあるからな』
そう。
今日この場所、この文化祭に限ってのみ、俺たちは雪ノ下陽乃に一つだけ強く出れるものがある。
ここまで話せばもう気づいたのだろう、外野二人は呆れたような、感心したような笑いを浮かべる。
「はは、まさかそうくるとはね。比企谷、君にはいつも驚かされるよ」
「まったくだ。あの陽乃を相手にそんなことをしようとは、私でもそうそう思いつかん」
「えっと、ど、どういうこと?」
「わ、わかりません」
「いいか、この二人はな……」
天然とアホの子に平塚先生が説明している間に、俺は雪ノ下と最終確認に入った。
『あの人を引っ張り込むとして、何分稼げる?』
「そうね……十分。それだけは何が何でも繋がせるわ」
『上出来だ』
「決まりね」
それだけあれば、相模をここに連れてこられる。
「頑張って、比企谷くん。頼りにしているわ」
雪ノ下に頷き、踵を返そうとしたところで葉山と目が合う。
そのやたらめったらキラキラしている気がする目には、任せろと書いてあるような気がした。
こいつの思ってることがなんとなくわかるとか、心底嫌だが……まあ、時間を稼いでもらう以上何も言うまい。
「比企谷、頼む。こっちはなんとかするから、相模さんを連れてきてくれ」
『……お前最近おかしくね?変なものでも食った?』
「酷いな」
『そんくらいがちょうどいいだろ』
軽口のようなものを叩いて、苦笑なのに爽やかに笑う葉山にふんと鼻を鳴らすと待機室を後にする。
そのまま極力足音を消して舞台袖の端っこをくぐり抜け、体育館の出口から校舎の中に入った。
葉山たちがMC込みで二曲演奏し、出はけの時間と劇のセットやキャストの準備を考えると正味二十分。
そして陽乃さんに力を貸してもらい、時間は多く見積もって三十分。その間に相模のところへ行き、説得して連れてこなくてはいけない。
『まあ、やるだけやってみますか』
ポツリとそういい、俺は誰もいない廊下を駆け抜けた。
さて、相模をどう説得するか。
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