そのうえ文字数が膨らんだので前編と後編に分けます。
オリジナル回、楽しんでいただけると嬉しいです。
総武高校の文化祭は例年、大トリにバンドを設置している。
それは一番盛り上がるからという、単純な理由だ。普段興味なくて聞かないやつでも、普通にテンション上がるからな。
興奮というのは、一種の伝染物だ。一人が熱狂すれば二人に増え、三人に増え、やがて鼠算式に増加していく。
そしてテンション上がり過ぎて、普段全然面識のない隣の奴に絡んだりして、えっなにこいつって顔で見られる。ソースは小一の俺。
〝母さん〟に人間に安易に近づくなと物心つく前から言われてたが、あそこに行く前はそれなりに周りに興味があった。
……それが裏目に出て、恥ずかしいことも多々あったが。記憶能力が強化されたせいで鮮明に覚えてるのが恨めしい。
話が逸れた。
そんな中で、伝統とも呼ぶべき流れの中に突然入り込んだ、まったく新しい催し。
そのためか、やけに高級そうな赤い幕の向こうに隔たれて見えない観客席は、沈黙に包まれている。
『──長らくお待たせいたしました。総部高校文化祭、その最後を飾る舞台の幕開けです』
静謐を切り裂くように、やけに小洒落た言い回しでAP室から放送委員のアナウンスが流れた。
ざわり、と一瞬のどよめき。これまでにない異色のイベント、その開始に皆が幕のこちら側に意識を向ける。
「…………」
薄い暗闇に閉ざされた中、それを感じて自然と拳を握り締めた。
失敗するかもしれないという何度目かの不安が、脳裏をよぎる。心拍数測ったら緑の巨人になれそうなレベル。
……いや、ここまできて何をビビってんだ。雪ノ下に恥をかかせるわけにもいかねえし、気張れよ俺。
ブー!
放送による開演ブザーが鳴り、幕が上がる。
緩やかな動きで幕が上がりきっても、舞台は暗いままだった。客の間にざわめきが広がる。
それに応えるように、舞台の右端にスポットライトが当てられた。そこに立つのは、演劇部の実行委員。
進行役の一年は、手元にある進行用の台本に目を落とす。そして見台に設置されたマイクに向けて喋り出した。
《これは、昔々のどこかにあったかもしれない物語。三人の少年少女の、複雑に絡み合う恋の話。皆様、どうぞお付き合いください》
滑舌、スピード、語の強調。
全てが完璧な、こちらの心を引き込むナレーション。演劇部の期待の新星だとかなんとか。
そう感じたのは俺だけではないようで、少しざわついていた客席は皆一様に黙り込んでその声に聞き入っている。
《ある街に、三人の子供がいました。二人の少年と一人の少女は、街で一番仲が良いと言っても皆が頷くほどです》
ゆったりとした口調で、登場人物の紹介が始まる。この舞台を見る上での事前知識っていうやつだ。
少年の一人は、ちょっと捻くれた男の子。
母親がおらず、父と二人で暮らしているためか頑固な性格で、ぶっきらぼうな口調が特徴的です。
少女は、笑顔がとても愛らしい女の子。
天真爛漫でとても好奇心が強く、誰とでもすぐに仲良くなることのできる明るく優しい女の子です。
そしてもう一人の少年は、少し内気な子。
引っ込み思案で、物陰から他の子たちを見ていたのを、女の子によって見つけられて、一緒に遊ぶようになりました。
彼らはどこに行くにもいつも一緒で、何をするのも三人揃っているのが当たり前なほどに強い絆で結ばれていました。
そんな三人はある日、街で一番綺麗に夕陽が見える丘の上で約束をします。
〝いつの日か、三人一緒に幸せになろう〟
小さな三人組の、小さな約束。
それを果たすことを誓い合って、三人はいつまでもこの日常が続きますようにと願います。
……そんなこと、不可能だというのに。
生きていく以上、望んでも望まなくても変化することは強いられる。それが人間という生物の特性だ。
環境、性格、人間関係、ありとあらゆるものが時間の流れとともに消えてゆき、形を変え、別物になっていく。
だとしても、彼らの淡い思いを否定することが誰にできるだろうか。いいや、他人にその権利はあるまい。
なぜなら、その約束をしたという事実には変えられないのだから。だから願うことそれ自体は誰にも邪魔できない。
《それから月日は流れ。やがて、物語は始まりを迎えます……》
最初のナレーションが終わり、スポットライトが進行役から外される。
入れ替わるように、舞台全体をステージの上に設置されたセットと……そこにいる、一人の人物を照らし出す。
その瞬間、はっと誰もが息を呑んだ。
スポットライトの下、艶やかに輝く黒髪。赤いリボンで結んだツインテールは、見る者にあどけない印象を与える。
纏う衣装は白と黒のワンピース、露出した肩が真っ白で瞬い。それを助長するように三角の首飾りが煌めいた。
「ふふ、いい天気。今日も良い1日になりそう」
成長した〝少女〟を演じる雪ノ下は、日常においては滅多に見せない、柔らかい微笑みと声音で言う。
上機嫌に物干し竿に白い布をかける様子は、一見演技とは思えないほどに感情がこもっていた。
舞台袖から見れば、その知名度を知る在校生も、外から来た一般の客も、皆一様に彼女に見とれている。
さすがは雪ノ下、といったところだろうか。逆三日坊主でなんでも習得できるその適応力は伊達じゃない。
俺は三週間丸々使ってなんとか見せられるレベルにこぎつけたというのに、その間さらに演技力を上げてるんだからヤバい。
……さて、ここから俺も出番だ。
「フゥ……」
若干まだ強張っていた肩から力を抜いて、目を閉じて深く息を吐き出す。
瞼をあげた時には、すでに緊張はなかった。意識を完全に切り替えて、一歩踏み出し舞台に姿を現す。
コツ、コツとブーツが床を叩く音が反響する。名画のごときワンシーンに入り込んだ異物に、皆が目を向けた。
その一切を目深にかぶったフードではねのけ、雪ノ下の二メートルほど前で立ち止まって話しかける。
『朝から脳天気なこと言ってんな、お前は』
あらかじめ全てのセリフを記録した首輪は、一言一句間違えることなく言葉を紡ぐ。
口パクとともに告げたセリフに、パッとこちらを振り返る雪ノ下……いや、〝ミカ〟。
驚きに満ちたその表情は、みるみるうちに花が咲くような笑顔に変わっていく。演技だとわかっていても、心臓が跳ねた。
「おはよう〝シン〟、あなたは今日もひねくれてるわね。そのフードをとって、お日様の光を浴びたらどうかしら」
『ふん、嫌だね。誰も俺の顔なんて見たくないだろ』
「もう、そんなこと言わずに」
顔を横に背ける
中から出てくるのは、突然の行動に面食らった顔の目の濁った男。はいどうも、みなさんご存知ない俺です。
さっきとは別の意味で息を呑むギャラリー。天使の次に出てきたのがゾンビとか、どこの世紀末だよってな。
「ほら、こっちのほうがいいわ」
『……ふん』
笑いかけてくる幼馴染に、照れたように頬をかいてそっぽを向く。
《シンとミカ、いつしか約束を交わした二人の少年と少女は大きく成長し、どちらも街で噂される人間になっていました》
そこで再びナレーションが入り、俺たちはその体勢のまま静止した。
《ミカは幼い頃から変わらない、誰とでも仲良くなる明るい性格と、道を歩けば誰もが振り返るような愛らしい見た目から、街一番評判の娘になりました》
誰とでも分け隔てなく接し、困っているものにはすぐに手を差し伸べる。確かそんな設定のはずだ。
実際に雪ノ下も奉仕部という意味ならば似たようなことをしているので、はまり役とも言えるだろう。
どうやら観客にも受けがいいようで、その見た目に違わぬ人物像に微笑ましく笑う人が多数いる。
《そしてシンは、街に数多くいる子供の中でもひときわ悪名高い少年として有名でした。乱暴で口が悪く、大人たちは皆彼を倦厭しています》
人を罵るのは当たり前、いつも他人を馬鹿にしたような笑いを浮かべ、揉め事をしょっちゅう起こす困り者。
俺に与えられたのは、主役は主役でも嫌われ者の悪役だった。
ぴったりすぎて、思わず涙が出てくる。ほら、客席の皆さんも明らかにこいつダメだろって顔で見てるぞ。
とりあえず、陽乃さんの名前は絶対に許さないリストに入れておこう。
《ではなぜ、性格も評判も全く正反対のこの二人が、今も一緒にいるのでしょうか……》
スポットライトが進行役から、俺たちに戻ってくる。
ようやく動ける。目と鼻の先に雪ノ下がいて、ずっとドキがムネムネして正直限界だった。
「あら、この怪我……」
見事な体幹で姿勢を維持していた雪ノ下が、俺の頬に手を触れる。そこには特殊薄いアザ(特殊メイク)が付いていた。
〝シン〟はバツが悪いような表情を作り、その顔を見た〝ミカ〟は困ったような微笑みを浮かべる。
「また無茶をしたのね。今度はどこの誰のために乱暴したの?」
『……なんの話かわからねえな。ただいばり散らしてて気にくわないから、ぶっ飛ばしてやっただけだ』
「暴れたのは認めるんだ?」
しまった、という顔をする〝シン〟。
それとは対照的に〝ミカ〟は優しい微笑を、してやったりという悪戯げな笑顔に変える。
「昔から誘導尋問に弱いよね」
『けっ、お見通しってわけかよ』
「そういうこと。幼馴染にわからないことなんてないのです」
ふふんと自慢げに胸を張る〝ミカ〟。普段なら絶対しない口調と仕草、正直言って萌える。
「それで、何があったの?」
『別に。ただ孤児院のチビどもをいびってたのが見えて、たまたまむしゃくしゃしてたからケツを蹴り飛ばしただけだよ』
「そっか、そんなことがあったんだね……」
頬を撫でていた白磁の陶器のような指が、頭の方に動いていく。
身長差的にきつくなるので首を自然に見えるように曲げると、〝ミカ〟は慈しむような顔で頭を撫でてきた。
「よく頑張りました。偉い偉い」
『……ふん』
先ほどと全く同じように、恥ずかしそうにそっぽを向く演技をする。
《そう。シンが乱暴を働くのは、いつも弱い誰かが困っている時だったのです。ですが彼は偏屈で、また頑固者だったので、ミカ以外の誰にも真実を明かすことなく、悪党の汚名をかぶっていました》
そこですかさず進行役がシーンの補足、言い換えれば見てるだけではわからない人への解説を入れる。
普段から演劇なんて見慣れていない人間からすれば、メタ的視点からの説明というのは重要なピースだ。
現に、それを聞いたギャラリーはヒロインと親しげにしては悪質だった少年にほう、と感心の声を漏らす。
「でも、それでシンが傷つくのは、私は悲しいな」
そのセリフには、やけに実感が伴っているような気がした。
彼女を見下ろすと……カラコンを入れた目には、こちらを射抜くような何かがこもっている気がする。
一瞬、昔のことが脳裏をかすめて。
しかしすぐに劇に意識を戻すと、次のセリフを首輪に言わせた。
『俺みたいなやつにもお優しいことだな』
「もう……あんまり、危ないことしちゃダメだよ?」
心配げに揺れる瞳と、幼い少女のようにあどけない表情。おまけに胸元をキュッと握るトリプルコンボ。
男どもがぐっと胸を抑えた。奇遇だなお前ら、俺も全く同じことをしたい気分だよ。
『……まあ、お前の頼みなら少しだけ考えといてやる』
「うん、お願いね」
沈んだ表情から一転、笑顔を浮かべてパッと離れる〝ミカ〟。
何度目かもわからないやり取り(という設定)に、〝シン〟は三度鼻を鳴らす。
《シンにとって、唯一昔と変わらず接してくれるミカは良き理解者でした。父親もなくした彼の心の隙間を、彼女の存在が埋めていたのです》
ナレーションが始まるとステージが暗闇に包まれ、再び見台にスポットライトが当てられる。
間を置かずに黒子の格好をしたスタッフたちが舞台袖から出てきてセットを片付けだした。
生徒会役員を筆頭に、スタッフたちがほぼ無音でセットを持ち運び、代わりに次のシーンに必要なものを用意していく。
俺と雪ノ下も、あらかじめ記憶した位置に素早く移動。
それぞれの所定の場所について、次のシーンに向けて備えた。
《そんな自分を受け入れてくれるミカのことを、シンは好いていました。しかし偏屈で、また頑固者の彼にはその想いを伝える勇気はありません。たった1つできることは、フードの中に隠すことくらいです》
客席から笑いが漏れる。まあ、そんな臆病者は笑いたくもなるだろうな。
しかし、関係を変えるということはそれほど恐ろしいことなのだ。
それまでの関係性を失う恐怖、受け入れられるのかという不安、本当に伝えるべきなのかという躊躇。
ありとあらゆる悪い予想と、ほんの少しの希望的観測が心を捕え、雁字搦めにして、一歩踏み出すことをためらわせる。
思いを誰かに伝えることは、かくも難しいことである。それが愛や恋であるならば、なおさらのこと。
《小さな頃から変わらない関係をもどかしく想いながらも、こんな日々がずっと続けばいいと願うシン。彼の願いは、果たして叶えられるのでしょうか》
そうこうしているうちに、わずか一分ほどの時間の間に黒子たちは舞台を整えた。
役目を終え、そそくさと舞台袖に消えていく何人もの黒い影。リハーサルでも思ったけど、お前ら忍者か。
《さて、そんな正反対の二人の日常がしばらく続いていた、ある日のことでした》
第二幕の幕開けを告げる言葉とともに、スポットライトが消えて、ステージに光が戻っていく。
舞台には再び、雪ノ下だけがいた。
しゃがみこんだ彼女は、両手で何かを包み込むように持っていた。それを熱心に、大切そうに見つめている。
『おい、そんなところで何をやってるんだ?』
ハリボテの建物の影から〝シン〟が現れ、〝ミカ〟に話しかける。
〝ミカ〟はゆっくりと立ち上がって、〝シン〟の前まで歩いていくと手の中のものを見せてきた。
そこにいたのは、怪我をした小さな黄色い小鳥……を模した、精巧なおもちゃ。
「この子、怪我をしているみたい」
『みたいだな』
「ピー……ピー……」
スピーカーから弱々しい小鳥の囀りが流れる。本物の鳥を使うわけにもいかないので、代わりの演出だ。
『で、お前はそれをどうしたいんだ?』
《ぶっきらぼうに問いかける〝シン〟。捻くれ者の彼には、優しく言葉をかけることはできません》
そんなのは
本当、こいうとこ無駄に寄せすぎだろ。つくづく陽乃さんは俺をからかっていると見える。
「私、この子をお世話するわ。元気になるまで面倒を見る」
《決意を固めた表情で、小鳥を介抱するというミカ。しかしシンには、小鳥がどうなるかなんとなくわかっていました》
ナレーションに沿うように、〝シン〟は一瞬苦々しい顔をした後にセリフを言う。
『……そうか。まあ、治ればいいな』
〝シン〟が言い切ったのと同時に、再び舞台は暗転。黒子が出動し、俺たちもまた動き出す。
《それからミカは、小鳥を家に連れ帰って世話しました。餌を与え、傷口を綺麗にし、来る日も来る日も小鳥が飛び立つのを夢見ていました。しかし……》
しかし、現実はフィクションの中でも甘くはなかった。
舞台が明転する。
「うっ……ぐすっ…………」
舞台には、一人で雪ノ下が床の上でうずくまっていた。
目の前には、小鳥の小さな羽が数枚落ちている。小鳥がどうなったか、察しの良い人ならばもう気づいただろう。
なにより、暗い気分にさせるBGMと〝ミカ〟のすすり泣く声が、結果を雄弁に物語っていた。
《努力も虚しく、小さな命は終わりを迎えてしまいました。悲しむミカを、シンは物陰から見ています》
ハリボテの間にライトが落とされて、そこで苦しげな顔で〝ミカ〟を見つめている〝シン〟の姿を照らし出す。
《優しいミカは、たとえ小さな命でも困っているならば見捨てない。その結果こうなることを、彼は知っていました》
そう、〝シン〟は知っていた。彼女がどこまでも純粋に、優しい女の子であることを。
だからこそ、望まぬ結果になった時に彼女がどんな風になるのかも。最初からわかっていた。
『……あいつを励ましたい。でも、見ているだけだった俺には慰めることも、どうやって励ましていいのかもわからない』
やりきれないような、悔やむような表情を作り、葛藤する心情を表すために視線を床に落とす。
《ミカに寄り添いたいと思いながらも、乱暴なやり方しか知らないシンには、物陰から見守ることしかできません。やりきれない思いを、一人で噛み締めました》
慰めの言葉をどれだけ並べたって、結末はもう変わりはしない。なにより〝シン〟の話し方では逆に傷付けてしまう。
適当な言葉を投げかけることはできないのだ。半端な優しさなんて、毒にも薬にもならないのだから。
『悪党の俺が彼女を優しく抱きしめることも、共に悲しむことも、許されるはずがない』
特に目立つ独白シーンを、感情の昂りで首輪がおかしな誤認をしないよう、慎重にセリフを並べていく。
たとえ、足元にこぼれ落ちるその涙の数さえ初めから決められていると知っていても、シンは永久に傍観者のままである。
こいつの役目はあくまで悪役であり、その筋書きにヒーローになる瞬間はないのだから…………
読んでいただき、ありがとうございます。
はい、この劇は『悪役にキスシーンを』を題材にしたオリジナルの演劇でした。
三章を始めたあたりでこれをどこかで使うことは構想に入っており、こうして組み込んだ次第です。
もう原作乖離がひどいネ!()
舞台劇なんて見たこともないし、完全に捏造ストーリーなので不安でしかない……
次回は後半、感想をいただけると嬉しいです。