声を失った少年【完結】   作:熊0803

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はい、案外早くできました。
今回はガハマさんの回…まあお分かりですよね。
楽しんでいただけると嬉しいです。


68.声を無くした少年は、答えを出す。

 簡単な連絡事項だけで、ホームルームはすぐに終わった。

 

 あとはルーム長がお疲れの挨拶をすると、一気に空気が弛緩して喋り始める。

 

 文化祭の熱気が残る教室内では、いつもはカーストごとに分かれている奴らが一堂に会して打ち上げの話をしていた。

 

(どうする、比企谷くんも誘う?)

(いや、会長からそっとしとくように連絡来てたよ。ほら、雪ノ下さんの……)

(あ、そっかぁ)

 

 ……なんかチラチラ見られてるんですけど。

 

 変に劇のこととかで絡まれても面倒くさいので、さっさと荷物をまとめると席を立った。

 

 廊下に出ると、壁際にクラス展示で使ったセットや小道具が、段ボール箱にまとめて置かれていた。

 

 明日から月曜までは代休込みで三連休。それが明けて火曜日は午前中いっぱいで各クラスの撤去作業となる。

 

 それまで放置されたままだろう文化祭の思い出の残骸に哀愁を感じながら、鞄を肩にかけ直して歩き出した。

 

 軽い鞄には、本当は記録雑務がまとめる報告書のメモ書きが入っているはずだった。

 

 だが、さすがは雪ノ下と言うべきか。俺がやる前に他の記録雑務が終わらせており、あとは報告書に目を通すだけになっていた。

 

 気兼ねのなくなった足は幾分か軽くなり、しかし劇の疲れが残ためか歩調はいつもに比べてゆっくりめだ。

 

 それでも、半年通り続けた廊下を使って確実に、一歩一歩特別棟の中を進んでいく。

 

 あの夕日に照らされた、紅茶の香りがする部屋を目指して。

 

「ヒッキー!」

 

 後ろから、呼ぶ声がした。

 

 足を止め、振り返るとそこには、両膝に手をつき、肩で息をしている由比ヶ浜がいた。

 

「はぁ、はぁ……もう、出ていくの早すぎだし」

『クラスの方にはいなくていいのか?お前メインメンバーだろ』

 

 今更確かめるようなことでもないが、由比ヶ浜はトップカーストの人間である。

 

 そのため、こういうイベントごとの後夜祭や打ち上げなんかにはほぼ強制的に参加することが運命付けられているのだ。

 

 ほんと、おかしなもんだ。つい半年前まで教室の隅っこ同士、真反対の環境で過ごしていたはずなのに。

 

 カーストは変わらない。頂点と底辺は交わらない。輪の中にいる彼女と、輪を捨てた俺は全く違う存在だ。

 

 だというのに、今こうして由比ヶ浜と話すことになんの関係もないと思う自分がそれ以上に珍妙で。

 

 いやマジで珍妙。カマクラが朝起きたら犬になってましたとかの方がまだ信じられる。入れ替わってるのはサブレあたりか?

 

「ふぅ……ヒッキー、わかってて言ってる?」

 

 息を整えた由比ヶ浜は、ジロリとこちらを睨む。

 

 無論、わかっている。彼女がわざわざ俺などを追いかけてくる意味も、何を期待しているのかも。

 

『悪い、わかってて言った』

「むー、ヒッキーは意地悪だ」

 

 あまり怖くないそれにおどけたふりをして手を挙げると、由比ヶ浜はふくれっ面になる。

 

 一拍おいて、どちらからともなく吹き出した。ああ、こうやって気軽にやり取りするのはいつぶりだろう。

 

 なんでもないことなのに、それが由比ヶ浜という女の子が懐かしむくらいには大切な間柄なのだと再認識する。

 

「ふふっ……」

『はは』

 

 くだらないことで笑いあって、やがてそれも少しずつ収まっていく。

 

 笑い声が消えたら、3メートルほど先にいる彼女の、まっすぐにこちらを見る目と正面から向き合う。

 

 その潤んだ瞳は、まるでこちらを吸い込むような錯覚を覚えさせる。

 

 事実、俺の意識は彼女に吸い寄せられているのだろう。だって音も、日差しの暖かさも感じないくらいなのだから。

 

「……文化祭。もう直ぐ終わるね」

 

 小さく、彼女はそう言う。

 

 それは、タイムリミットを告げる言葉。俺に与えられた、与えてくれた長い長い猶予の終わりの鐘。

 

 それが来たら、もうおしまいだ。心地よい時間は、動かないでいい時間は、とっくに過ぎてしまったから。

 

「ねえ、ヒッキー」

 

 由比ヶ浜は、窓から差し込む夕ぐれの光の中から、窓の途切れた影の中にいるこちらに向けて歩き出した。

 

「この半年、いろんなことがあったよね」 

 

 一歩、近づいてくる。俺は動かない。

 

「最初に、クッキー作り手伝ってもらった。あれ、本当はヒッキーにあげるためのものだったんだ」

 

 知っている。

 

 あの日、あの夜に想いを告げられた日から、そうなんじゃないかと記憶の中の慌てふためく由比ヶ浜を思い出した。

 

 でも信じられなくて、何度もそんなはずはないと沸き起こる感情に蓋をした。そうしなくては、また絶望するから。

 

「他にもさいちゃんのテニスのコーチしたり、サキサキのバイト止めたり、千葉村行ったりさ……それに、職場見学」

 

 言われた瞬間、脳裏にあの日の情景が思い浮かぶ。

 

 いつものように一人で悩み、しかし答えを出せなくていろはと義父さんに頼って、どうにか答えを出せた。

 

 あの時から、俺と由比ヶ浜の関係は本当の意味で始まった。涙を流しながら頷いてくれたこいつと友達になった。

 

「嬉しかったんだ。あの頑固で偏屈で、意地っ張りのひねくれてるヒッキーが、自分から友達になってくれって言ってくれて」

 

 いや、流石にそれは言い過ぎ……じゃあないか。

 

 折本という前例があるとはいえ、俺が他人に、ましてや材木座たちのような類でもない人間に一歩踏み込んだ。

 

 それは大きな進歩であり、大きな冒険だった。心を許す人間は、雪ノ下ただ一人だと思っていたのに。

 

「とっても、とっても嬉しかった。あんな間違った始まり方だったのに、ヒッキーの近くに行くことができて」

『……間違いじゃ、ないだろ』

 

 確かにいい縁とは言えないし、彼女は心を傷め、俺は一ヶ月近くの時間を失った。

 

 でも、それがきっかけを与えてくれたのは事実だ。どっちにしろぼっちだったんなら、あんな事でもないよりあった方がいい。

 

 いつかの夜に彼女は言った。事故がなくたって、俺は助けたと、ただ始まり方が違うだけだと。

 

 ……たらればに意味はない。過去は変えられない。ならば俺は、あれが間違いだとは決して思わない。

 

 違うな。隠しあって、傷つきあって、それでも手に入れたこの関係が、俺はいいんだ。

 

「ありがとう。ヒッキーは、たまに優しいね」

 

 いいや、俺は優しくはない。事実を言うことが優しいのならば、この世界はもっと優しくていいはずだ。

 

 本当に優しいのは、こんな優しくないやつを受け入れ、あまつさえ想ってくれる女の子の方のはずだ。

 

「なんとなくヒッキーの思ってること、わかるよ」

 

 ……へえ、そりゃご大層なことだ。

 

「でもね、私にとってはそれでいいんだ。捻くれてて、意地悪で、たまに抜けてて、でも優しくて……」

 

 声が近くなる。響いた足音が少しずつ小さくなっていって、ほんの少し先で止まってしまった。

 

 もっとかかると思っていた。もう少しだけ迷っていられると言い聞かせた。あと少しだけ、目を背けられると信じた。

 

 なのに、由比ヶ浜は。

 

「だからね、ヒッキー」

 

 もう目の前にいた。

 

「好きだよ。ヒッキーのことが、どうしようもないくらい好き」

「──っ!」

 

 赤く、ガラスの向こう側で焼ける陽の光よりもずっと熱を帯びた頬と瞳で、彼女はそう言ってきた。

 

 俺の、影の方に入った彼女は、もう誤魔化しようがないほどに熱い視線を上目遣いに向けてくる。

 

 それはまるで感染するようで、顔が、皮膚が、目が、指先が、俺を構成する全てが焼けるように熱い。

 

 二度目、なのに。いつかはまた来るとわかっていたのに。心に張った予防線は、あっさりと倒壊した。

 

 そんなものは、まるで意味がないと嘲笑うかのように。

 

「ねえ、お願い」

 

 喉が渇き、味を感じる以外使えない舌が張り付いて、何も言えないままで突っ立っている俺の前で。

 

「私を選んで?」

 

 由比ヶ浜は、目を閉じる。

 

 ……ああ、今の俺の顔はとんでもなく間抜けなことになっているだろう。きっとそうに違いない。

 

 口をパクパクと動かして、そこから出ないはずの声を出そうと、何回も何回も試しては失敗する。

 

 せわしなく開いては閉じる口とは裏腹に、目はずっと由比ヶ浜に釘付けだ。

 

 軽くすぼめた桜色の唇も、不安そうに端の下がった眉も、ふるふると震える、宝石のような瞳を隠す瞼も綺麗で。

 

 こんな時に、早く答えを出さなくてはいけないのに、そんなことばかりを考えてしまう自分が嫌になる。

 

『…………俺、は』

 

 やっと絞り出した声は、とても小さかった。

 

 用意していた言葉も、覚悟も、最初からそんなものなかったと言わんばかりに綺麗さっぱり吹っ飛んで。

 

 目の前で答えを欲する由比ヶ浜の、ほんの数センチ先にある顔を見つめるだけで俺は何も返せない。

 

 これまでにないほど近づいた彼女からありありと伝わってくる期待と不安に、心が支配されて動かない。

 

「っ、……」

 

 たった一言、言えばすむはずだ。

 

 〝俺は雪ノ下が好きだ、だからお前と付き合うことはできない〟……それだけを言えばいいのに。

 

 俺だって、何も準備をしないでいたわけじゃない。部屋の中で一人、何度も練習をした。

 

 だが、そんなものは所詮自己満足でしかなかったのだろう。

 

 だって、何十回も繰り返した言葉はどんなに思い出そうとしても出てこないんだから。

 

『俺、は……っ!』

 

 心が、感情が、これまで積み重ねたこいつとの記憶が、彼女の思いを踏みにじってしまうことを拒む。

 

 お前にそんな権利なんてない、この優しい女の子を傷つける事なんて、許されるはずがない。

 

 それでも、答えないことだけはしたくない。こんなに待ってくれた由比ヶ浜を裏切ることだけは、絶対に。

 

「…………っ!」

 

 だから、必死に鉛のような両手を上げていく。

 

 いつもは軽いそれがとても重々しく感じながら、それでもどうにか由比ヶ浜の小さな肩に置く。

 

 全くと言っていいほど力の入らない手で、全身から絞り出すようにして、強張った華奢な肩を……

 

「あ……」

 

 それまでずっと溜め込んだ熱を一気に吐き出すように、胸に息が吐きかけられる。

 

 それで察しのいい彼女はわかってしまったんだろう。失望と落胆と悲しみがないまぜになったような顔で笑った。

 

「そう、だよね…………選んでくれるわけ、ない、よね…………」

『…………すまない』

「ううん……わかって、たよ…………ヒッキーが、ずっと…………ずっと、ゆきのんのこと…………ゆきのんだけ、見て、たの……」

「………………」

 

 少しずつ、濁っていく。いつもあの部屋に鈴を転がすように明るさを足した声が、弱々しくなっていく。

 

 掴んだ肩は震え、スカートの裾を握りしめる手が彼女の心境を表している。

 

 今にも崩れて消えてしまいそうな様は、だけど力を入れたら、そのまま壊してしまいそうで。

 

「それでも、ねっ……好き、だったん、だっ……!」

 

 そうして上げた顔は、これまでのどんな涙よりも痛ましい涙で彩られていて。

 

 終わってしまったと自覚するには、十分すぎた。

 

 無くしたくないと目をそらして守ろうとしたものがこぼれ落ちていくのを、はっきりと実感する。

 

 ああ……また無くしてしまったんだ。大切なもののために、大事なものを壊してしまった。 

 

「ヒ、ッキー?」

 

 どうしたことか、泣いていたはずの由比ヶ浜がぽかんとしている。

 

 理由はわからない。

 

 どうしてフラれたはずのお前が、そんな顔を──

 

「何で……泣いてるの……?」

『……え?』

 

 言われて、頬に伝う何かがあることにようやく気づいた。

 

 触れてみると、それは涙だ。一度自覚するともう止められず、腐った目から何筋も頬を伝っていく。

 

『何で、こんな……!』

 

 俺に泣く資格はない。傷つけられたのは彼女で、傷つけたのは他でもない俺なのだから。

 

 なのに、涙は溢れて止めることができない。拭っても拭っても、後からとめどなく流れだしてしまう。

 

『止まれ、止まれよ……!』

「ヒッキー……」

 

 やめろ、由比ヶ浜の前でだけは泣くな。誰より痛みを感じている人の前で、人間のふりなんてするな。

 

 もう一度最低最悪の外道に、悪役になってみせろよ比企谷八幡。そうしないと、由比ヶ浜が……!

 

「ヒッキー」

 

 自己嫌悪の沼に沈みかけた時、優しい声が聞こえた。

 

 暗闇で狭まっていた視界が元に戻れば、いつものように……否、それ以上に優しく笑う由比ヶ浜がいる。

 

 あっけにとられていると、頬にそっと指が当てられた。それは俺の涙を掬い、拭い去っていく。

 

「ありがとう、そんなに思ってくれて。私、幸せだよ」

『由比ヶ浜……俺は……』

 

 ………………ああ、そうか。

 

 

 

 

 

 俺も、痛かったんだ。

 

 

 

 

 

『……すまない、由比ヶ浜。本当に、すまない』

「もういいよ、ヒッキーが私のこと大切にしてくれてるのはわかったから……例えそれが、女の子としてじゃなくたって」

 

 由比ヶ浜結衣は、一体どこまで優しい女の子なのだろう?

 

 本当に、どうしてこんな素敵な女の子が俺のことなど好いてくれたのだろう。何回聞いてもそう思ってしまう。

 

 それさえもお見通しかのように由比ヶ浜は笑って、手を引っ込めるとくるりと踵を返した。

 

『おい、ゆいが……』

「ねえヒッキー。私たちは親友、そうだよね」

 

 突拍子も無い質問だった。

 

 しばらくして、それが彼女なりの思いやりなのだと理解する。

 

 友達から親友に変わることでの、意思表示。これからもずっとそうでありたいという俺のわがままを許してくれる言葉。

 

 思いを踏みにじった俺に対する、優しい彼女の仕返しにまた涙腺が決壊しそうになって、なんとか押しとどめて答える。

 

『そうだな。俺とお前は……親友だ』

「……うん」

 

 こちらを振り返らない由比ヶ浜は、笑ったような気がした。

 

「それじゃ、バイバイ。また来週ね」

『……ああ、じゃあな』

 

 俺の返答に頷いて、由比ヶ浜は走り出す。これ以上の会話は必要ないと、そう言うように。

 

 

 

(バイバイ、私の初恋)

 

 

 

 どこか儚いその背中を見えなくなるまで見送って、俺もまた向かうべき場所へと歩き出す。

 

 

 

 

 

 

 

 さあ、約束を果たしに行こう。




読んでいただき、ありがとうございます。
はい、ガハマさんの回でした。
一度フラれたことのある身ですが、本当に大事な相手なら振る側もきついのかなーと。
さて、なんだかんだで延びてますが次回やっとゆきのんです。
感想をいただけると嬉しいです。
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