その一枚がこれでございます↓
【挿絵表示】
これからまたちゃんと更新していきます。
今回は3話構成の話のプロローグ、楽しんでいただけると嬉しいです。
……奴が、生きている。
俺から人生を奪い、家族を殺し、命を踏みにじり、全てを道具として弄んだあの男が。
元来人間に興味を抱かない、特に悪意ある人間に対してはそれが当然である故にどうでもいい俺だが、あいつだけは違う。
怒りや憎しみが、深く深く心の奥に根付いている。それはまるで寄生生物のように、今も俺を苛む。
だが、どういうことだろうか。奴が生きているなど、到底信じられん。
調査部の見間違いかとナンバーズの権限でアーカイブを検索したが、唯一回収できたという写真に映っていたのは間違いなく奴だった。
最初は瓜二つの別人かと思った。しかし、俺の記憶が告げる。
あれは、間違いなく奴本人だと。
「お義兄ちゃん?ちょっと、お義兄ちゃん!」
「っ!」
ハッと顔を上げると、そこには訝しげな表情のマイスウィートエンジェル小町が。
「パン、コーヒーまみれになってるよ」
『え、マジで……ってマジじゃねえか!』
手の中で斜め三十度くらいに傾いたカップから、きつね色に焼けたパンにそれはそれは苦々しい色の滝が落ちていた。
慌てて戻してもすでに遅し。元から乗ってた目玉焼きと合わさってグチャグチャだ。これがダークマターか。
『あーくそ、やっちまった』
「もー、ぼーっとしてるからいけないんだよ。しかもせっかくの小町の番の日にさー」
『面目無い』
可愛い妹の作ったご飯を台無しにするとか、千葉のお兄ちゃん検定失格である。一級とか高坂さんちしか取れなさそう。
「で、何考えてたの」
机に飛び散ったコーヒーの残骸をティッシュで擦ってると、小町から疑問を投げかけられる。
正面からじとっとした目とかち合い、ちょっと怯む。目と目が合う〜瞬間好きだと気付いた……妹だから当たり前か。
「もしかして彼女さんのこと?」
や、違うけども……本当のことを言っても心配されそうだし、誤魔化しとこう。
『まあそんなとこだ』
「よかったねー、可愛い彼女ができて」
『なんだよ、やけにトゲのある言い方だな』
「べっつにー。ただ、ここ数日いきなりニヘラって笑って気持ち悪かったから、気になっただけだよ」
『小町ちゃん朝からきついね?』
だがまあ、そんな顔をしていた自覚は正直あるので反論もできない。
そう、俺は今や彼女持ちなのだ。こう言うだけで自分が無敵に思えるんだから男子高校生って不思議。
相手は他でもない、奉仕部の部長であり初恋の少女である雪ノ下雪乃。
かつて最悪の方法による問題の解消とともに一度別れを告げた彼女と、ようやく答えを出し合うことができた。
告白して付き合うなんてリア充どもはしょっちゅうしてんだろうが、俺たちからしたら大冒険もいいとこだ。
ただ、その果てに手にしたこの幸福はあそこでの地獄に日々に匹敵するほど大きなもので……
「……また顔緩んでる。はっきり言ってキモいよお義兄ちゃん」
『ねえ、なんで朝からそんな冷たいの?お兄ちゃんの心に言葉のナイフ刺さりまくってるよ?』
なんならもうボロ雑巾みたいになってる。え、元から貧相だろって?ほっとけ。
いつものように自然とくだらないことを考えていると、小町はことりとコップを置いた。
それからジト目をやめ、真剣な表情でこちらを見る。え、何、彼氏ができましたとか報告されちゃうの?
などとからかうことはせず、俺も話を聞く体制に入る。この目の小町は、真面目な話をしたい小町だ。
「ねえ、もう一度聞くよ」
『今更改まってなんだ?』
「本当に、雪ノ下さんでいいんだね?」
……それは、文化祭が終わって家に帰り、雪ノ下と付き合うことになったと告げた時にされた質問だった。
その時の小町はこれまでにないようなリアクションをしていた。
最初に硬直し、次に呆けた顔をして、衝撃を受けたように開眼すると最後になぜか悔しげに俯いた。
その上で、複雑な感情の混ざり合った顔でそう聞いてきたのだ。
「小町はね、お義兄ちゃんに幸せになってほしい。そのためならなんだってできる」
朝から重たいこと言うなこの義妹は。だが、その言葉からは薄っぺらさを感じない。
俺と小町は、血が繋がっていない。そういう意味では世間一般の家族よりも血縁的には繋がりがない。
ある意味
俺とて小町のためならなんでもするし、いざとなれば命だって捨てる覚悟くらいはある。どうせ捨てられないけど。
「だからこそ聞くよ。本当にあの人は、人間に裏切られ続けたお義兄ちゃんが自分から傷ついてでも守りたい人なの?」
「………」
だからこそ、わかってしまう。小町が本気で俺のことを案じ……事と次第によっては、何をするのかも。
小町の気持ちは理解できるし、きっと立場が反対でも俺は同じ質問をするだろう。
家族には幸せでいてほしいからこそ、心配になる。親が子供に勉強しろとしつこく言う心理と同じだ。
小町は時々アホだが、聡い子だ。中学生にしては気が利くし、頭の回転も早い。
その上で同じ質問をするという事は、それだけの強い思いがある証左である。ならばこちらも答えるしかあるまい。
『ああ。どんな思いをしようと、あいつの側にいたいと思う』
「雪ノ下さんに裏切られたとしても?」
『ないとは思いたいが、まあそうだとしても失望する事はねえよ。少なくとも、俺のあいつへの気持ちは嘘じゃないんだからな』
最初に憧れ、弱さを知り、そして恋心を抱いた。その事実は決して変わりなく、不確定なこれからにおいても同じだ。
だったら俺は自分の感情を信じる。あそこで枯れ果てたそれを、もう一度芽吹かせてくれた雪ノ下のために。
「人間を、信じるんだね」
『ああ』
その選択が、間違いでないと願って。
「……そっか。なら小町は全力で応援しちゃうのです!」
しばらく見つめ合い、やがて小町はいつもの調子で笑う。
とりあえず、小町のお許しは出たらしい。まったく俺はいい家族を持ったな。
少し身を乗り出して、手を伸ばして小町の頭を撫でる。するとふにゃりと笑った。何これ超可愛い。
『ありがとな、小町』
「えへへ。さっ、早くご飯食べちゃって。愛しのお義姉ちゃんが待ってるよ!」
『気がはえーよ』
でもそうなれたらいいとか朝っぱらから思ってる俺は、間違いなく浮ついてるんだろうと確信できた。
それからさっさと朝食を腹に入れ、食器を軽く洗うと支度をして二人揃って家を出た。
小町を中学の近くで降ろしてから、学校へ向かい自転車を駆る。
この2年で使い慣れた通学路さえ、なぜだか新鮮な気分になるのだから本当に不思議だ。
心なしかペダルを漕ぐ足も軽く、いつもより早く学校の近くの交差点にたどり着く。
赤信号だったので緩やかに停車し、ぼんやりと目の前を通り過ぎる車の行列を眺めて物思いに耽る。
思えば、この場所から始まった。
由比ヶ浜がサブレの散歩をしていなければ、雪乃がリムジンに乗っていなければ、俺が飛び出さなければ、入院しなければーー
ゲームセットの後にたらればを言い出したらきりがないが、もしそれらすべてがなかったらと考える。
ロクでもない思い出だし、サブレを助けた事くらいしか良い事はなかったが、それでも今この瞬間までの思い出だ。
『我ながら妙な感傷に浸りすぎだろ』
自嘲気味に言葉をこぼし、青に変わった信号を見てペダルに置いた足に力を入れた。
時々思うけど、信号の青って青じゃなくて緑だよね?確か信号を導入した当初青信号って表記したらそのまま定着したんだっけ?
定着って言えば、あの劇のことどうなってんだろ。変なイメージついてるとぼっち生活に支障が起きるんだけど。
一抹の不安を感じながら、前方に見えてきた校門にやや減速して通り過ぎる。
そのまま流れるように駐輪場に行き、自転車をいつもの左端に止めるとロックをかけて鍵を抜いた。
ブレザーのポケットに経年劣化でくすんだキーを放り込む。
そして校舎に向けてのらりくらりと歩き出すが……
(なあ、あいつがあの?)
(ああ、雪ノ下さんと演劇でキスしたっていうやつだ。聞いた話だと一人で文化祭実行委員会を支えてたとか)
(くう、美少女の彼女持ちな上にハイスペックとか裏山妬ましい)
(比企谷くんの目、今日もいい感じに腐ってるハァハァ)
……見られてる、なんかめっちゃ見られてる。
いや、そりゃ注目を浴びる事は覚悟してたけど、何も見るやつ全員がヒソヒソしなくても良くない?なに、陰口叩いてんの?
居心地の悪さを感じながら、何とか玄関までたどり着く。視線という名の集中砲火を浴びた気分だ。
『ったく、コレだから思春期は』
恋愛とエロいことには興味津々である。かくいう俺も思春期だけどね。
靴を脱ぎ、下駄箱に手をかけたところでふとある懸念が生まれる。
恐る恐る開けると……そこにはいつも通り、使い古した上履きが入っていた。思わず安堵の息が漏れる。
あーよかった、無事だった。てっきり雪乃とのことを妬んだ輩が何かしてんじゃないのかと思ったわ。
……考えてみれば、元からその可能性は低いか。
人間は自分とは決定的に異なるものを恐れ、嫌う生き物だ。それは才能の差がある場合にも当てはまる。
その点において、雪乃は隔絶した才色兼備さを併せ持つ存在。だからこそあの頃は排斥され、今も孤高を貫いている。
高校生ともなればリスクも考えられるようになり、そんな相手や関係者に手を出そうものならどうなるかくらいわかる。
特に雪乃の場合は容赦ないから、徹底的に潰されるだろう……自分で考えても自意識過剰すぎてウケる。
「ヒッキー、何ボーっとしてんの?」
『どわっ!?』
振り向くと、そこには不思議そうに首をかしげる由比ヶ浜。んぐっと喉を詰まらせてしまう。
「ん?どしたの?」
『あ、いや……』
一瞬のうちに脳裏にあの日の出来事がよぎり、頭の中で様々な感情が絡まり合う。
それは罪悪感だったり、罪悪感だったり罪悪感だったり……罪悪感しかねえじゃん。
フッた相手にどうやって接すればいいわけ?フられたこと(小1)はあってもフッたの初めてだからわかんねーよ。
ただ、後悔だけはしてない。それは由比ヶ浜に対する侮辱になるから、絶対にしないと決めた。
そうは言ってもどう話したらいいかは分からないんだけどネ⭐︎……駄目だ、テンパってて頭がおかしくなってる。
「……ふふっ」
「?」
え、いきなり笑い出したよこの子。そんなに俺のリアクションがおかしかったのだろうか?
「ヒッキー、超慌ててるし」
『いや、別に慌ててねーから超クールだから。なんなら寝てる時までクールまである』
「いや、それおかしいから」
だよな。寝てる時までクールとかわけわからん。
「別に、そんなに気にしなくていいよ?」
『え?』
間抜けな声を首輪が発した。それくらい由比ヶ浜の言ったことに虚を突かれたのだ。
「あたしはヒッキーにフられた、それでおしまい。で、あたしとヒッキーは友達。そう決めたでしょ?」
『いやまあ、それはそうなんだが……』
確かにあの時、由比ヶ浜の優しさに甘えて了承はした。だが、すぐにはいそうですかとなれないのが男心だ。
ましてやたったの三日前、それで完全に切り替えられたらそいつは勇者である。俺は村人Aなので無理です。
「そうやってヒッキーがいつまでも引きずってると……あたしも、前に進めないよ?」
『うぐっ』
そうきたか。こっちの罪悪感に訴えかけてくるとは、さすがトップカーストはやり口が狡猾である。
ただ、それでも迷ってしまうのは俺がヘタレだからだろうか……問いかけるまでもなくそれが理由ですね。
「じゃあ、こうしようよ」
「?」
どうしたもんかと首をひねっていると、由比ヶ浜はポンと手を叩く。
「ヒッキーは、これからあたしのことを名前で呼ぶ。それがフッたお返しってことでどう?」
『いや、どう?って言われても……』
罰になってんのかそれ?確かに恥ずかしいは恥ずかしいが、特にこっちのリスクが羞恥以外に無いような……
ニコニコと笑う由比ヶ浜からは、これ以上は譲らないと言わんばかりの無言の圧力を感じる。こ、これが覇王色……!
……はぁ。流石に折れるしかないか。
『わかったよ……結衣。これでいいか?』
「うん、よろしい。じゃあまた部活でね!」
おう、と返事を返すまでもなく、由比ヶ浜は走り去ってしまった。
ほどなくして「ちょ、どしたん結衣!?」という声が聞こえくる。どうやらオカンがいたらしい。
……まあ、とりあえず元どおりってことにしておこう。そうしないとまた悩むはめになりそうだ。
「朝から青春してますね〜」
「うむ、我が相棒ながら羨ましいぞ呪ってやる」
『……お前らいたのかよ』
ひょっこりと隣の列から顔を出す材木座といろは。
両手に鞄を持った材木座の様子からして、荷物持ちさせられたんだろう。まあ住んでるマンション同じだしな。
ていうか、最近一緒にいる頻度多いなこいつら。いろはが材木座のことを……なんて冗談で考えてたけど、マジなのか?
「ふふ。これからも面白いラブコメを期待してますよ、せーんぱい♪」
『ラブコメってお前な……』
呆れているうちに、いろはは材木座を引き連れて行ってしまった。
「さ、行きましょ先輩。ゴールは私の教室の前ですよ〜」
「ちなみに報酬は?」
「ないです♪」
「であるかー……」
『……朝から騒がしいやつらだな』
まるで姫と従者のごとき二人を見送り、俺も床に落とした上履きを履いて教室に向かった。
読んでいただき、ありがとうございます。
感想などをいただけると嬉しいです。