声を失った少年【完結】   作:熊0803

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どうも、作者です。
アポクリファコラボのBGMってブラボ感あるなとか思いました。

さて、今回は後編。

楽しんでいただけると嬉しいです。


82.そして、惨劇の幕は開く。 急

 

「……当たらずとも遠からず、かな」

 

 ようやく内臓が再生したので、活力が戻った体に力を込め立ち上がる。

 

「僕は試作品で、今君が倒したそっちは完成品。性能差は二倍っていうとこだ」

「ふぅん……でもなんで戦ってるんです?」

「……僕が逃げ出したから、だろうね」

 

 その時に手当たり次第に壊したんだけど、こうして完成したのを見ると意味はなかったみたいだ。

 

 結局当初の目論見通り、僕は奴らに……〝彼〟に必要なものを与えるだけの人形にすぎなかった。

 

「そっか……そういうとこもお義兄ちゃんと同じかぁ」

「?」

 

 何やらぶつぶつと言う女の子。よくわからないけど、とにかくここにいるのはまずいだろう。

 

「えっと、その様子なら僕がいなくても平気そうだし。なるべく早く家に帰ってね」

「え、あなたはどうするんですか?」

「僕は……《同族》を探してみる」

 

 この一体だけだとはどうしても思えない。それに、匂いを嗅いだ今なら必ず見つけ出せる。

 

 歩き出そうとして……ガクッと力が抜けた。慌てて後ろから駆け寄ってきた女の子に支えられる。

 

「く……まだ血管の修復が……」

「ちょっと、動けなさそうじゃないですか。無理しない方がいいですよ?」

「いや……行かなくては……さっきので僕が生きてることは伝わった」

 

 あのメットは装着者の視界情報をリアルタイムで送信している。僕の姿も見えていたことだろう。

 

 なら、新しく来る可能性がある。あんなものが少しでも増えたらその分人間が死んでしまう。

 

「……とりあえず、もう少しだけ休みましょう。ちゃんと動けないとできることもできないんじゃないですか?」

「それも……そうだね」

 

 女の子に肩を貸してもらい、壁に体を預けて再生に意識を集中する。

 

 程なくして女の子が傘を持ってきてくれて、冷たい雨に晒された状態から少しだけ暖かくなった。

 

「ありがとう、初対面の僕にここまでしてくれて」

「いえいえー、困ったときはお互い様です。それにさっき助けてくれましたから」

「なんてことないよ……それにアレは、ある意味僕の不始末だから」

 

 僕がもっと早い段階で、データが集まり切る前に逃げ出していればあるいは変わったのかもしれない。

 

 けれど彼女に言ったように、もう終わったことにたらればを考えたって仕方がないんだ。

 

「……事情を聞いてもいいですか?」

「まあ、助けてもらったのだから話さない訳にはいかないね……」

 

 それから僕は、女の子に自分の素性をできる限り明かした。

 

 僕の正体、生まれた場所、そこで受けた仕打ちから、静さんのことを除いて今に至るまでの全てを。

 

「ふむふむ、なるほど……なんか映画みたいな話だなぁ」

「自分でもそう思うよ」

 

 実に非現実的だ。

 

 しかしそれは、彼女も……

 

「……君はさっきのを見るに、本物の鬼種(おにしゅ)かい?」

 

 ちらりと元に戻っている女の子の手を見る。

 

 あれは紛れもなく鬼と呼ばれる……そして僕や、《同族》の元となったウィルスの原料である生物の力。

 

 実験中に聞いた〝彼〟の言葉では、人間以外の知的生命体の中では最強の肉体と再生力を持つ生物らしい。

 

 人間の姿になれるあたり、多分人間との混血だろう。《研究所》で聞いた話だと人と妖怪の混血は非常に強い力を持つという。

 

 それは僕たちの〝オリジナル〟と同じ性能を持つ《同族》を、あっさりと倒してのけたことからも確実。

 

 油断していたとはいえ一撃で倒されるとは思ってもみなかった。

 

「……まあ、そうですね。小町は可愛くないからあんまり好きじゃないんですけど」

「うん、確かにその方が君は似合ってる」

 

 そう答えると、女の子は変な顔をした。あれ、おかしなこと言っただろうか。

 

「またさらっとそういうことを……はぁ、もうこれ確定だよ……絶対お義兄ちゃんの()()()()だよ……」

「っ、君は僕たちのオリジナルを知っているのか?」

 

 ぼやくような言葉に僕は過剰に反応を示した。

 

 その拍子に女の子の手首を握ってしまい、慌てて手放す。

 

「ご、ごめん……」

「いや、別にいいですけど……やっぱり本物の自分って、気になります?」

「……ならないと言えば嘘になる。僕は兵器になるべくして生まれたけど、願わくば本物には会ってみたいと思っていた」

「へえ。小町にはわからないなぁ、もう一人自分がいても会いたいとはなかなか思えないかも」

「あはは……でも、どっちにしろすぐに会うことになりそうだ」

「え?」

 

 素っ頓狂な声をあげる女の子。僕は彼女に憶測の説明をする。

 

「もしもこれが、完成した《同族》の性能を確認するための実戦テストだとしたら。間違いなく〝オリジナル〟も狙うだろう」

「それって……」

「ああ……君のお兄さんは、今どこにいる?」

 

 そこにきっと、《同族》も向かうはずだ。

 

 お兄さんが、僕たちの〝オリジナル〟がいるそこにはおそらく、多くの人間が集まっているだろう。

 

 むしろそうでなくてはいけない。だって兵器の真価が発揮されるのは……無力な人間に使ったときだから。

 

「……お義兄ちゃんは今、学校にいるはずです」

 

 女の子は顔を真剣なものにして、神妙な声音で告げる。

 

 考えうる中で最悪の答えだった。

 

「やはり、今すぐ行かなくては……大勢の死人が出てしまう」

 

 話しているうちに完全に修復も終わった。これだったら油断しなければ、次は勝てる。

 

 早速立ち上がろうとして……そんな僕の肩に、女の子は手を置いた。

 

「……私も行きます」

「わかっているとは思うけど、危険だよ?」

「それでも行きます。お義兄ちゃんが危険なら……どこへだって」

 

 女の子の目は真っ直ぐだった。何日か前に見た由比ヶ浜さんのように、決して曲げない信念がある目だった。

 

 ……すごいな。

 

 人間は、本物はこれほどの意思を持つのか。クローンの僕にはない、強い感情が。

 

「それに最近、お義兄ちゃんには彼女ができたんです。大事な友達だって……今お義兄ちゃんがそれをなくしたら、もう何も信じられなくなっちゃう」

「だったら、なるべく急ごう。僕も〝オリジナル〟と話してみたいしね」

 

 頷き合って、僕は女の子の手を取り立ち上がった。

 

「僕は平塚八兎。君は?」

「比企谷小町です。よろしくお願いします」

 

 挨拶をすると、僕は傘を投げ捨てた小町さんの先導で走り出した。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「いや……」

「どうすれば……」

 

 見たことのない怪物を前に少年少女たちは怯え、互いに囁く。

 

 解決策を求めるその心に、しかしこの場にいる誰もそんなものは持ち合わせておらず。

 

 頼りになるヒーローの葉山も、このような現実離れした事態を前には一人の子供に過ぎない。

 

(怖いよ。誰か……助けて)

 

 由比ヶ浜結衣も恐怖に震えながら、海老名の体を抱きしめていた。

 

 その脳裏に浮かんだのは、二人の人物。

 

 つい先日まで心を寄せていた男と……ほんの数日前、彼女を危機から救った男によく似た少年の顔。

 

 そのどちらもここにはおらず、故に彼らをこの絶体絶命の状態から助け出せるものなど、いない。

 

「……あーあ、リーダーの予想通りになっちゃったな」

「え?」

 

 一人の少女が、そう呟くまでは。

 

 結衣の腕の中で海老名は、やや残念そうな笑い方をして俯かせていた顔を上げた。

 

 その表情に怯えは一切なく、仕方がないという雰囲気を醸し出して結衣の手を優しく解く。

 

「ごめんね、ちょっと下がってて」

「ひ、姫菜?」

 

 結衣の手から抜け出して立ち上がった姫菜は、誰もが動けない中で怪物に近づいていった。

 

 皆、驚愕した。彼女が所属するグループの面々が、先ほど殺された彼の友人が、その他の全員が。

 

「ちょ、姫菜!?何やってるし!?」

「姫菜、今すぐ戻るんだっ!!!」

 

 いち早く我を取り戻した優美子と葉山が叫ぶが、海老名は一向に気に留めず歩みを進めた。

 

 そして、1分もしないうちに獲物を見定めていた怪物の前に一人で立ちふさがった。

 

「キ?」

 

 怪物が、首を傾げて海老名を見る。

 

 彼の視界を覆うバイザーに様々なデータが映し出され、目の前の餌がある感情を抱いていないことを解析する。

 

 すなわち、恐怖。圧倒的に性能の違う自分を眼の前にして、その人間は欠片も恐れを抱いてはいないのだ。

 

「コ、ロス」

 

 その時初めて、かくもおぞましいものがこの世にあるかというような声音で怪物は言葉を使った。

 

 右手に持っていた女生徒だった物を手放して、海老名めがけて大きく拳を振りかぶる。

 

 海老名はその拳を見上げ、一向に動かない。

 

 皆がクラスメイトが、友人が、はたまた心を寄せる少女が肉塊に成り果てる様を幻視した。

 

 

 

 

 

「姫菜、逃げて────っ!!!」

 

 

 

 

 

 結衣が、怪物の意識を引くのもかまわずに友達の背中に向けて声の限り叫ぶ。

 

 

 

 

 

 それは、海老名姫菜への友情によるものだったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 あるいは、人死にを目の前で2度は見たくないという本能的な忌避だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 しかし、人間の結衣がいくら叫んだところで、現実は変わらず──

 

 

 

 

 

「うーん、遅い」

 

 しかし、幻想もまた実現しえなかった。

 

 太く、ラグビー部の大岡などよりもずっと重量のある腕を、海老名はあっさりと受け止めたのだ。

 

 先ほどとは反対の意味で、誰もが目を剥いた。細身の少女が身の丈以上の怪物の一撃を防いだのだ。

 

「ふっ!」

 

 それどころか、海老名は素早く足を踏み込み、全身を回転させて怪物を勢いよく壁に叩きつけた。

 

 嘘のように浮き上がった巨躯は大きな音を立て、コンクリート製の壁に半身を埋める。

 

 初めてのダメージに怪物は驚き、そのまま壁の破片と共に床に落ちた。

 

「ふぅ、スーツ着てても重いなぁ。まあ準備運動にはいいかも」

 

 クラスメイトたちの開いた口が塞がらない中、海老名は手首をさすってそうぼやく。

 

 まるで重い荷物を運んだ後のような軽い口ぶりに、ますます観衆の混乱は深まった。

 

「ひ、姫菜?」

 

 結衣が、たまらずといった様子で彼女の名前を零す。

 

 未だ立ち上がらぬ怪物を見ていた海老名は、友人の声に振り返ってにこりと笑った。

 

「そこ動かないでね。じゃないと死ぬから」

「ど、どういう……姫菜、後ろっ!」

 

 言葉の途中で、立ち上がって海老名に飛びかかる怪物を見た結衣は声を張り上げた。

 

「よっと」

 

 しかし、それさえも姫菜は体をわずかに傾け、紙一重で躱した。

 

 その代償に制服は鋭い爪で盛大に破け、内側に着ていた()()()()()()が衆目に晒される。

 

 

 キュィイイ!

 

 

 スーツに走る曲線が輝き、不安定な姿勢で空中にいる怪物に惚れ惚れするような回し蹴りを入れる。

 

 再びゴムボールのような吹き飛んだ怪物は、今度は黒板を盛大に破壊して壁のオブジェと化した。

 

「あーあ、破けちゃった。買い直しだなー」

 

 海老名は素手で僅かに残った制服を引きちぎり、投げ捨てる。

 

 首から下を覆う黒いスーツはいっそ扇情的で、幾人かの男子生徒が不謹慎にも生唾を飲み込む。

 

 邪魔だと言わんばかりにローファーを脱ぎ捨てた海老名は、眼鏡を取って机の上に置くと。

 

「君の相手は私がしてあげるよ。《 陽炎(カゲロウ) 》第伍番姫の〝腐姫(ふき)〟が、ね」

 

 ここにいる誰も、一度も聞いたことがない冷たい声でそう言った。

 

「ガァァアアアア!!!」

 

 答えるように立ち上がった怪物は咆哮をあげ、机を蹴散らし海老名に突貫する。

 

「煩い男の子は嫌われるよ?」

 

 海老名は全く気兼ねした様子もなく、ただ自然体で構えをとった。

 

 

 

 それからは、一方的な光景だった。

 

 

 

 怪物が殺意と敵意をもって振るう腕や足を、海老名がことごとく避けてはカウンターを入れていく。

 

 ただの一度も怪物の凶器的な攻撃が届くことはなく、ひたすらにダメージを蓄積させていった。

 

「グッ、ガ……」

「もう終わりかな?」

 

 戦いが始まって、5分ほどだろうか。

 

 先に膝をついたのは怪物であり、全身に傷を負って床にうずくまる。

 

 スーツの至る所が破れ、露わになった赤肌からドス黒い血が流れ出す。

 

 ありえない。自分に性能で劣る人間に負けるはずがない。そもそも、こんな戦力は情報になかった。

 

 半壊したバイザーで、怪物は唸り声をあげて海老名を解析しようとする。

 

「ああ、あんまり動かないほうがいいよ」

「……?」

 

 何を言っている?と首を傾げた怪物は、ふと違和感を覚え自分の手を見下ろす。

 

 すると、指先から少しずつ腐り落ちていくではないか。

 

 水に浸した岩塩が溶けていくように、全身が傷口から徐々に腐敗していく。

 

「私の力は、腐敗の猛毒。君が一回私の拳を受けた時点で、もう勝負は終わってたよ?」

 

 目の前まで歩いていき、最初にそうしたように全く怯えなく笑う海老名。

 

「グ、ギァァアアアアアアアアアッ!!!!」

 

 メットで制御されていたはずの本能的な恐怖と激怒がこみ上げ、怪物は最後の抵抗を見せようと──

 

「さようなら」

 

 する寸前に海老名が毒を染み込ませた右手を振るい、その首を跳ね飛ばした。

 

 怪物の体が、重い音を立てて転がる。腐りきった首から血は流れなかった。

 

「ふう、任務完了。あー疲れた」

 

 未知の怪物を殺したことになんの感慨もなく、海老名は伸びをした。

 

「ね、ねえ」

「ん?」

 

 眼鏡をかけ直したところで、恐る恐ると言った様子で立ち上がり結衣が話しかける。

 

 無意識に優美子たちが手を伸ばすが、結衣は後ろ手でそれを制して海老名に問いかけた。

 

「本当に、姫菜、なの?」

 

 その言葉に、海老名は一瞬キョトンとして。

 

 しかしすぐにクスクスと笑いだした。その様子は、見る者たちからすれば非常に不気味である。

 

「うん、そうだよ。私は海老名姫菜。生まれた時から私はずぅっと私。これでいい?」

「……うん」

「やべーっしょ……海老名さんマジ本物じゃん……」

 

 ポロリとこぼした戸部の言葉に、ほぼ全員が心の中で同意した。

 

「さっ、早いとこ校庭に避難しよっか。同じのが何体かうろついてるみたいだし」

 

 緩みかけていた空気が、その一言で一瞬にして緊迫したものに逆戻りする。

 

 クラスメイトをあっさり殺したあの怪物が、まだ何体もいる。その事実に全身が震え、心は絶望と恐怖に満たされていく。

 

 結果として、我先にと教室の外に向けて移動を開始した。

 

「ほら、結衣も」

「う、うん……」

 

 ただ一人、目の前で立ち止まっていた結衣に海老名はそう言い、彼女はやや不安げながらもクラスメイトたちの後を追う。

 

 一人もいなくなったのを確認してから、海老名も彼らの護衛をしに行こうと踵を返しかける。

 

「ん?」

 

 そこで、ふと足元に転がっている怪物だったものに気がついた。

 

 ちょうど正面を向いており、最後の一撃で完全に破壊したバイザーの中身が露わになっていて。

 

「…………これは」

 

 その顔に、海老名は初めて緊迫した表情を見せた。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「グルルルルル……」

 

 立ち上がった人型の何かは、獣のような唸り声を漏らす。

 

 こいつは……一体何者だ?

 

 〝組織〟のエージェントとも、これまでオクタが任務で狩ってきたどの人外とも決定的に違う。

 

 まるで安いSF映画に出てくる生物兵器のような異様な出で立ちに、得体の知れない奇妙な威圧感。

 

 メットから頚椎に接続されたコードからして、まさにその通りなんだろうが……感じる殺意は本物だ。

 

「何よ、あの生物は……」

 

 腕の中で雪乃がかすれた声で呟いた。

 

 ……当たり前だった。雪ノ下雪乃は確かに強いが、しかしそれは常識的であり、あくまで人間の範疇だ。

 

 たとえ彼女がどれだけ尊敬し、愛する少女であっても──雪ノ下雪乃は、ただのか弱い()()なのだから。

 

 そんな彼女にとってあれは、常識の埒外にある恐怖に他ならない。それを前に怯えるななどと誰が言える。

 

 

 ……あれが何にせよ、状況は限りなく最悪だ。

 

 

 こっちは雪乃という護衛対象つき、さらにはオクタに変わるための仮面も眼鏡もないときた。

 

 俺が使えるのはせいぜい身体能力の三割、良くてアスリート並。言っておくがトップじゃなくて平均くらい。

 

 とても奴と渡り合えるとは思えない。安全に体を使えるスーツも、武器の一つもないんじゃ……

 

 

 

 

 

 ……いや、待て。

 

 

 

 

 

 一つだけ、武器がある。

 

 昨日の放課後、帰宅途中にドクターに突然呼び出されたと思ったら新しい装備品を支給されたのだ。

 

 1時間に及ぶ長ったらしい自慢話と説明に疲れ果て、受け取って鞄に入れまま帰って寝落ちした。

 

 それが今も、鞄の底にぶち込んである。あれさえあれば、奴に対抗できる。

 

 鞄は……あった。先ほど机を蹴り飛ばした時に一緒に動いたのだろう、たった二メートル先にある。

 

 

 

 だが、あまりにその二メートルが長い。

 

 

 

 俺一人では、雪乃を守りながら武器を手に入れることはできない。

 

 せめてあと一人でも手があればどうにでも──

 

「……っ」

 

 ……待て、比企谷八幡。

 

 その策はあまりに危険だ。ともすれば俺の大切なものすべて、この場で失うかもしれない選択だぞ。

 

 だがそれ以外に手はあるか?それとも後から処罰を受けるのを覚悟で、今すぐ抑制装置を外すことができるとでも?

 

 無理だ。それこそ暴走すれば何もかも滅茶苦茶になる。

 

 下手をすれば、雪乃をこの手で……ことになる。

 

「カハァァア…………」

 

 ダメだ、迷っている時間はない。

 

 この一か八かの賭けに頼らなければ、死ねない俺と違って結局はこいつに雪乃を殺されてしまうのだ。

 

 なら、やるしかない。

 

『……雪乃』

「え……な、何?」

 

 雪乃が、怯えに揺れた瞳で俺を見上げる。

 

 その表情にまた躊躇が生まれて、しかし必要なことだと自分に言い聞かせて言葉を続けた。

 

『今から俺が、あいつを引きつける。あの鞄が見えるか?』

 

 床に転がった鞄を、SF野郎に見えないようにこっそりと指差す。

 

『あれの中に武器がある。鞄を持って、俺に投げろ』

「え、ええ。でも……」

 

 不安げな表情で俺を見上げてくる。おそらく俺がやつと相対することに心配しているのだろう。

 

 雪乃は俺の正体を知っている。人間じゃないことを知っている。死なないことも、勿論知っている。

 

 ……罪を犯したことを、知っている。

 

 その上で行って欲しくないというように、小刻みに震える手で俺の服の裾を掴んだ。

 

『雪乃』

 

 その手を、しっかりと握り締め。

 

 俺は雪乃を腐ったなりに決意を込めた目で見下ろす。

 

『俺を信じろ』

 

 雪乃はその言葉に瞠目し。

 

 しかし、すぐに覚悟を決めたように肯いた。それでこそ俺が誰より憧れ手を伸ばした、雪ノ下雪乃だ。

 

 太腿の裏に添えていた右手を離し、雪乃の両足を地面に下ろす。雪乃はすぐに自分で立ち、姿勢を低く身構える。

 

『いくぞ、三、二、一……今だ!』

 

 叫ぶのと同時に、弾丸のように雪乃が胸の中から飛び出していく。

 

 奴はすぐさま反応を示し、まるで獲物を追いかける狼の如き速度で雪乃の方を振り返った。

 

 極限まで感覚が研ぎ澄まされた視界の中で、酷くゆっくりに奴が拳を握りしめるのを見つめる。

 

 それで何をするかは明白だ。故に俺は、奴に向けて俺の出せる最速で駆け出した。

 

『こっちだ、化け物!』

「グルァアアアッ!」

 

 最大音量まで上げた首輪の声に、奴は標的を自分に向かう俺に変える。

 

 それでいい。お前の判断能力は立派だが、おかげで俺はお前を止めることができる。

 

 両足の筋肉が膨張し、奴は俺目掛けて飛びかかってきた。その手の先端は鋭く尖り、相当な切れ味があるのが伺える。

 

『ふっ!』

 

 集中力を高めて軌道を読み、手首の内側に蹴りを見舞う。そうすることで僅かにバランスが崩れた。

 

 その隙を逃さず、残った足で飛び上がると膝蹴りを喉に入れる。

 

 首の筋肉は相当厚く、奥までは届かないが、仰反らせることには成功した。

 

 両手で後頭部を掴み、胸を蹴って背中に回るとつま先で膝の裏を蹴る。

 

「ガッ!」

『シッ!』

 

 膝をついた奴の首に手を回し、喉元を締め上げた。くっ、こいつなんて筋肉の鎧を着込んでやがる!

 

 全力で押さえ込もうとするが、しかし圧倒的に奴の方がパワーがある。

 

 振り回していた大きな右手が偶然、右の二の腕を掴み──

 

 

 

 ボギッ!

 

 

 

『づっ……!』

 

 あっさりと折られた。

 

 一瞬力が緩んだタイミングで、奴は俺の首根っこを掴んで投げ飛ばす。

 

 腕を半分失った俺は受け身も取れずに宙を舞い、慣れ親しんだ長机を破壊して床に転がる。

 

「ッ……!」

 

 音にならない苦悶の声と、少量の血が口から飛び出た。

 

 朦朧とする意識の中、黒い影が体を覆うのに気がついて咄嗟に横に転がる。

 

「ガァアアッ!」

 

 間一髪、飛び込んできた巨体の下敷きになるのを免れた。すぐに体制を立て直して奴を睨む。

 

「八幡くん!」

「っ!」

 

 そこで、奴の体越しに雪乃が両手を振りかぶっているのを確認する。

 

 次の瞬間、その手に握られていた学生鞄が宙を舞った。長方形の青いそれに、俺は目線を向ける。

 

「アアァアアアアッ!」

 

 それは奴も同じであり、何か危険だと思ったのだろう。最初のように指先を尖らせて鞄を切り裂いた。

 

 中から破れた教科書やペンケース、ノートが溢れ出る中──黒い棒のようなもの目掛けて、俺は手を伸ばした。

 

「……っ!」

 

 刹那の瞬間それは俺の手の中に収まり、奴はそれを見る。

 

 

 

 

 

「ガァアアアァアッ!」

 

 

 

 

 

 憤慨した様子で、奴がこちらに向けて突進してきた。

 

 

 

 

 

 だがもう遅い。

 

 

 

 

 

 この手に手段は、握られた。

 

 

 

 

 

『……あばよ、化け物』

 

 黒い棒の……新しい武器の取手に付けられたボタンを押し込む。

 

 

 

 

 

 

 

 キィンッ──────!

 

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間には清涼な音とともに黒光りする刀身が両端から飛び出して、奴を一刀両断した。

 

 慣性の法則に従い、真っ二つになった奴の体は俺の数歩後ろまで行った所で倒れ伏す。

 

 

 

 

 

『……すげえ切れ味だなおい』

 

 

 

 

 

 血糊一つなく蛍光灯の下で輝く黒刀を見上げ、俺は乾いた笑いを浮かべるのだった。

 

 




読んでいただき、ありがとうございます。
今回も長くなってしまった……
次回で本当に終わります。

コメントをいただけると嬉しいです。

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