声を失った少年【完結】   作:熊0803

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どうも、作者です。

今回は前回のある意味続き。

楽しんでいただけると嬉しいです。


89.声を無くした少年は、己の罪に囚われている。

 

 

 

「……はぁ。暇だなぁ」

 

 

 

 ポートタワーの頂上で一人、呟く。

 

 仮面の表面を撫でる風は寒く、適温に体温を保ってくれるスーツに感謝した。

 

 そうしてまでここで待つこと、はや一時間。それが連日続けば、いくら私でも精神的に疲れが出てくる。

 

 あー、雪乃ちゃんに会いたいなー。母さんの話じゃあ比企谷くんと同棲したみたいだし、お祝いしてあげたい。

 

「……いや、それこそ私が行っちゃったら迷惑か」

 

 可愛い妹と唯一その精神性を認めた男の子の幸せに、私が踏み込んではいけない。

 

 彼から大切なものを、彼が雪乃ちゃんに沢山あげられるはずだったものを奪った、私だけは。

 

「お、戻ってきた」

 

 なーんて考えていると、細いスリットの向こう側でこちらに向かうものを見つける。

 

 遠い空の彼方に見えるのは、黒い点の集合体。それは私めがけて、まっすぐに飛んでくるのだ。

 

 しゃがみこんでいた落下防止のフェンスの上で立ち上がり、それを受け入れるために両手を広げる。

 

 やがて、だんだんと近づいてきた黒点が全て鳥の形をしていることがわかる。

 

 そう見えるようになってから然程時間はかからず、黒点たちは凄まじい音を立てて私を取り囲んだ。

 

 白く、天に向かって螺旋を描く様はまるで紙吹雪のよう。

 

 それらは全て、鶴の形をした折り紙……私の操る式神であった。

 

「おかえりー。何か情報は手に入ったかな?」

 

 そっと差し出した指にとまった一羽から、式神に繋がる全ての個体から情報を得る。

 

 群体にして一つの生き物である彼らは、自らの見たもの聞いたもの、感じたもの全てを私に与えてくれた。

 

「……今回も収穫なし、か」

 

 しかし、その中には私が求めるものは何もなかった。

 

 内心がっかりしながら、タクトのように指を振って式神たちの術式を解く。

 

 途端に小さな体に浮き上がっていた黒い刻印が消え、式神たちは四角い紙に変形して集まった。

 

「ご苦労様。よく頑張ったねー」

 

 最後の一枚まで回収しきって、掴めなかった本命の他に手に入れた目ぼしい情報を記録課に送る。

 

 それが終わると、私は軽くフェンスを蹴って足場に着地し、そこで大の字になって寝そべった。

 

「あー、見つからないなぁ……津西博士のアジト」

 

 あの男、どこに隠れてるんだか。携帯の逆探知も結局ダメだったらしいし。

 

 あの対話で嫌な予感を感じてから二週間弱、毎日日本中に式神を飛ばしてはあの男の行方を追っている。

 

 空から地上、海の中から地の底まで全て入念に探した。

 

 だというのに津西博士のつの字もなく、成果はない。骨折り損のくたびれ儲けとはこのことだ。

 

「さすがにお姉さん、もう飽きちゃったなぁ……雪乃ちゃんたちの顔見たい」

 

 さっき自分で拒否しながらそんな思考になっていることが、自分が人との接触を欲していることを自覚させる。

 

 別に下らない人間たちはどうでもいいけど、でも可愛いあの子たちには会いたいと時々思っちゃう。

 

 そろそろ大学にも行かないといけない。これでも表向きは、れっきとした大学生だしね。

 

 任務扱いだから出席日数はどうとでもなるし、授業は手駒たちから情報を得ればいいけど……

 

「……それでも、やめるわけにもいかないんだよねぇ」

 

 総武高校の事件の話は、一昨日支部に一時帰投したときにいろはちゃんから聞いた。

 

 ちゃーんと八幡くんは番犬やってるし、心苦しいけど呼んだ海老名ちゃんも奮闘してくれたみたい。

 

 だからこそ、最初に知った私が何もしないというのは、あの子たちの苦労を無駄にするようで悪い。

 

 津西博士は、間違いなくとんでもないことを企んでいる。

 

 このまま野放しにしていれば……あるいはこの千葉が血の海に染まるかもしれない。

 

「それだけは、阻止しないとね」

 

 あの子たちが安心して、青春ができるためにもね♪

 

「よいしょっ、と……それで?あなたは私を

 この退屈から解放してくれるのかな?」

「……気ヅイテイタノ」

 

 立ち上がって屋上への入り口の物陰へ声をかけると、そこから一人怪しい人物が出てくる。

 

 見るからに薄汚いコートを着て、ボロボロのフードを被ったそいつは、ずっと私の後ろにいた。

 

「あなたは何者?三秒以内に答えないようなら拘束させてもらうわ」

 

 折り紙を二枚取り出して蜂の式神を作り、呪力で硬質化した尻の針を向けてフードに威圧をかける。

 

「敵デハナイ。アナタト戦ウ意思モナイ」

 

 ボイスチェンジャーを使っているのでしょう、男とも女ともわからない声でフードは両手をあげた。

 

 未だ狙いを外さずに蜂たちに狙わせながら、足場から飛び降りて自分の間合いギリギリまで近づく。

 

「さて、戦う意思はないと言ったけど。それならなぜ私の前に現れたの?私を見れば、どうなるか分かっていると思うけど」

 

 私をずっとつけていたということは、あの男と同様に私が何者であるか知っている可能性も高い。

 

 私たち陽炎は組織でも最高機密の存在。その姿を知るものは、罪の有無を問わずに抹殺する決まりだ。

 

「……貴方ニ渡シタイモノガアル」

「渡したいもの?」

 

 フードはポケットから何かを取り出して、私に放る。

 

 危なげなくキャッチすると、それはなんの変哲もないUSBだった。

 

「これは?」

「アナタガ今、一番欲シイモノ。アノ男ニ繋ガルピース。使ウカドウカハ、アナタタチ次第」

 

 この人物、津西のことを知っている?

 

 貴重な情報源かもしれないフードは、言いたいことを言った為か少しずつ後ろに下がり始めた。

 

「止まりなさい。それ以上動くと足を射抜くわよ」

「……スルベキコトハシタ。後ハ見守ルノミ」

 

 その言葉を最後に、素早くフードは身を翻した。

 

 すぐに式神に命令を送り、蜂たちはその臀部の矢をマシンガンのようにフード目掛けて発射した。

 

 しかし、コンクリートの地面に突き刺さる針を全て避けてフードはフェンスに向かって走っていく。

 

 凄まじい反射神経……!式神を増やさないと逃げられる!

 

「待ちなさい!貴方は何者なの!?」

 

 二十体ほど増やした蜂の式神たちで、フェンスに乗ったフードを包囲する。

 

「舞台ノ上カラ退場シタモノ。今ハ観客。アノ子ノ成長ヲ……見守ル。ソレガ私ノ戦ウ理由」

「待ちなさい!」

 

 振り返ることもなく彼あるいは彼女は、躊躇なくフェンスを飛び越えてその先へ飛んでいった。

 

 止める暇もなく姿を消したフードに、私は一足飛びにフェンスに飛び乗って下を覗き込む。

 

 しかし、そこにはフードの影も形もなかった。右を見ても左を見ても、どこにも姿は見えない。

 

「……何だったのかしら」

 

 とりあえず不審な情報保持者の情報を支部の方に通達しながら、私は受け取ったものを見た。

 

 

 

 

 

「さて、これが鬼と出るか蛇と出るか……一体どちらなのかしらね」

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ……!」

 

 逃げる。

 

「はぁ、はぁ……ぐっ、はぁ、はぁ……!」

 

 足を動かし、乱れる息を整えて、ただひたすらに逃げ続ける。

 

 生き残るために、生き延びるために、一心不乱に走っていた。

 

 

 

『防衛シークエンスが開始されました。職員は速やかに安全室へお逃げください。繰り返します、防衛シークエンスが……』

 

 

 

 白い廊下にはアラームが鳴り響き、俺以外にも人外の子供や研究員たちが逃げ惑っている。

 

「見つけたぞ、こっちだ!」

「くそっ……!」

 

 警備に見つかった……!

 

 黒づくめの格好をしたそいつらは、その手に持っていた銃を俺に定めて引き金を引こうとした。

 

 しかし、その前に廊下の防衛装置が作動して、全員天井から飛び出たネットで吊るされる。

 

「くっ、なんだこれは!」

「おい、早く外せ!」

 

 もがいてる警備員に、これ幸いと俺はその下を走り抜けた。

 

 それからまた、右も左も分からない廊下の中を、あるのかわからないゴールを目指す。

 

「くそっ、出口はどこだ……!」

 

 つい、三十分前のことだった。

 

 部屋で〝出荷〟を待っていると突然警報が鳴り響き、扉が開いて出られるようになった。

 

 廊下に出ると、そこはすでにめちゃくちゃだった。

 

 至る所で作動した防衛装置に逃げ惑う研究員たちと、俺と同じように部屋から出たサンプルがいた。

 

 そのとき悟った。これは誰かがくれた、逃げる為の最後のチャンスだと。

 

 そのどちらともを黒い格好の奴らが追いかける中、俺はこの研究所から出るために走っていた。

 

「ぐぅ……!」

 

 くそ、脇腹が痛む。何回目かに見つかった警備員の銃撃を受けてしまった。

 

 抑えた傷口からこぼれる黒い血が、俺の死までのタイムリミットを示しているように思える。

 

「あっ!?」

 

 傷の痛みに気を取られていたせいで、何かにつまづいて転んでしまった。

 

「ぐっ、痛ぇ……」

 

 早く、逃げないと。あいつらに捕まったら終わりだ。

 

「っつ、こんなとこに何置いて──」

 

 

 

 

 

 

 

 足を引っ掛けたものを見て、俺は言葉を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 それは、人だった。

 

 

 

 

 

 

 

 壁にもたれかかって、今にも死んでしまいそうな人間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 その人間は──俺が唯一、知りたいと思ったかもしれない女だった。

 

 

 

 

 

 

 

「おいっ、お前!」

 

 自分でも無意識に、そいつの両肩を掴んで体を揺する。

 

「目覚ませよ!何死のうとしてんだよ!起きろ、起きろよっ!」

 

 いくら揺らしても、真っ赤な血で濡れた目蓋は開かない。

 

 一体何がと体を見下ろして……その胸や足や腕が、真っ赤なもので染まっていることに気がついた。

 

 ほとんど反射的にシャツをめくると──白い肌には、何個も穴が開いていた。銃弾を受けた痕だ。

 

「クソ、止まれ!」

 

 自分の血で黒くなった手で、そこから流れている血を止めようとする。

 

 でも、いくら抑えても血は止まらなくて。ただただ、この手の隙間から女の命がこぼれ落ちていく。

 

「止まれっ……止まれっ……止まって、くれよぉ……!」

 

 血は止まらないのに、生暖かいものが俺の両目から溢れてくる。

 

 なんで流れてるのかもわからないその一滴が、女の頬に落ちた時だった。

 

「………………ぅ」

「っ! おい、起きろ! まだ死ぬな!」

 

 さっきよりも強く揺さぶって、ようやく生きているのがわかった女を起こす。

 

 呻き声を上げた女は、ゆっくりと目を開ける。

 

「あぁ………………その声………………逃げられたのね…………本当に…………よかった………………」

 

 半分までしか開かなかった目は、もう見えてないんだろう。顔を俯かせたまま、弱々しく笑う。

 

 ……違う。それは、俺の知ってる笑い方じゃない。俺が初めて知りたいと思ったお前じゃない。

 

「何言ってんだ! ていうかこの傷どうしたんだよ!なんでお前が、こんな……!」

「…………この施設の…………データを…………全部…………〝ノスフェラトゥ〟に…………送った…………部屋のロックも……全部…………解除して…………」

 

 ノスフェラトゥ?何言ってんだこいつ。

 

 それより今、全部の部屋を開けたって……つまりこいつは、俺たちを逃すために裏切ったのか!?

 

 ……そうか、だから撃たれたんだ。

 

 前に逃げ出そうとした研究員がいて、警備隊に殺されたって聞いたことがある。

 

「ふふ、おかしなものね…………最初からそうするつもりだったのに…………貴方と過ごすのが楽しくて…………こんなに、遅く…………」

「話しくらい、いくらでもしてやる!お前のこと、いくらでも聞いてやる!だから一緒に逃げるぞ!」

 

 こいつを死なせたくない。俺に悪意じゃない笑顔を向けてくれたこいつを、こんなとこで死なせてたまるか!

 

 ここに来た時よりもずっと強くなった力で女を背負おうとして……でも、女は弱々しい力で俺の手を振り払った。

 

「……無駄よ…………私はもうすぐ死ぬ…………貴方だけでも…………逃げて…………」

「ふざけんな!そんなの嫌だ!一緒に生き延びるんだ!」

 

 白衣の裾を掴んで、女の目を見る。たとえその目にもう俺が映ってなくても、それでも睨み付ける。

 

「大切な家族がいるって言ってたろ!甥に会うんだろ!?あんたが死んだら、誰がそいつに笑いかけてやれるんだよ!」

 

 俺が無くしたその暖かさを、こいつはその誰かに与えられるんだ……!

 

「……………………もう………………会えたわ…………」

 

 ……………え?

 

「もう会えた、って……」

 

 ──まさか。いや、そんなはずない。

 

「ほんと…………兄に似て変な子だった………………私のことを邪険にして……なのにどこか優しくて…………」

「…………ろ」

 

 頼む。

 

「捻くれてて…………ぶっきらぼうで………………ああ、とっても楽しかった…………」

「……めろ」

 

 頼む、お願いだから。

 

「ねえ…………貴方はどうだった……? 少しでも…………楽しいって…………思ってくれた…………?」

「やめろ」

 

 その先を……

 

 

 

 

 

「遅くなって……ごめんね………………〝八富(やと)〟」

「やめろっ!!!」

 

 

 

 

 

 ……言わないでくれ。

 

「ふふ…………やっぱり気づいてた…………」

「…………………………」

「貴方は頭がいいから…………ああ言えば、気づいてくれると…………思ってた…………」

「…………なんで、今になって言うんだよ」

 

 なんでもっと、早く言ってくれなかったんだ。

 

 機会はあったはずだ。沢山くだらないことを話したはずだ。

 

 有り余るほど、俺たちが〝それ〟になれる時間が、あったはずなのに。

 

 なのに、どうして……

 

「ごめんね……臆病で…………でも、兄さんを助けられなかった私が…………今更家族面するのが…………どうしても怖くて…………」

「っ、そんなの関係ないだろ!俺は、俺はただ……!」

 

 ……ただ、あんたを知りたかった。

 

 それだけ、だったんだ。

 

「ありがとう…………でもね……今度こそ、貴方だけは…………助けて………みせる」

「…………どういうことだよ?」

 

 助けるというのなら、お前が生きててくれれば、それでいいっていうのに。

 

 これ以上、俺に何を与えてくれる(背負わせる)というのだ。

 

「貴方の血中に流れるウィルスは…………まだ完全に活性化してない…………本当の力を発揮するには…………新鮮なDNAが必要…………」

「……それって」

 

 まさか……

 

 

 

 

 

「八富…………私を、食べなさい」

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「八幡くん!八幡くん!」

「っ!」

 

 私の呼ぶ声に、彼はカッと目を見開く。

 

 そのまま勢いよく起き上がって、あまりの挙動に思わず揺さぶっていた手を離してしまった。

 

「ハァ、ハァ……!」

 

 八幡くんは怯えた様子で部屋の中を見渡す。

 

 肌には大量の冷や汗が滲んでいて、彼らしからぬ取り乱した様子にやはり悪夢を見ていたのだと確信した。

 

「八幡くん、私がわかる?」

 

 その手をとって話しかける。

 

 すると、彼は凄まじいの一言に尽きる形相で振り返って……途端に拍子抜けしたようにぽかんとする。

 

 どうやら現実に戻ってきたみたいね……とりあえず、慎重に言葉をかけないと。

 

「……?」

 

 私の姿を捉え、どうしてここに?とでも言いたげな顔をする。

 

 時刻は深夜二時。そんな時間に自分の部屋に人がいれば不思議にも思うでしょう。

 

「あなた、魘されていたのよ。覚えていないかしら?」

 

 寝室まで届くほどの唸り声に、何事かと来てみればこれだもの。私も驚いたわ。

 

「っ……」

 

 彼は額に手を添え、また表情を険しいものに変えてしまう。

 

 ……夢の内容を思い起こさせてしまったようね。失敗したわ、他の言葉をかけるべきだったかしら。

 

「何か温かいものを持ってくるわ。待っていてちょうだい」

 

 そっと手を離して部屋を出て行こうとして……踵を返した瞬間、袖を引かれる。

 

 振り返ると八幡くんが自分でも驚いた様子で、慌てて手を離した。

 

 まるで幼い子供のよう。こんな時だというのに、珍しい言動に心臓が跳ねる。

 

「すぐに戻ってくるわ。心配しないで」

 

 優しく言葉をかけ、今度こそ部屋を後にする。

 

 リビングに行ってキッチンの戸棚を開け、そこにストックしている茶葉のうちいくつかを選ぶ。

 

 そこから一番良いものをさらに選出して、やかんを出すとお湯と入れて沸かし始めた。

 

「…………」

 

 やかんを見張りながら、先ほどの様子について思案する。

 

 普段何があっても冷静沈着な彼が、あそこまで取り乱すようなもの……それはいくつか思い当たる。

 

 

 

 例えば、先日の事件のこと。

 

 

 

 彼は被害者を助けられなかったことに小さくない後悔を抱いていた。

 

 しかし、そういったことはこれまでの任務の中でも経験しているはず。可能性は低いでしょう。 

 

 

 

 例えば、私たちのこと。

 

 

 

 私たちは彼の知己の中でも、最大級に大切にされている。恋人としてはそうでなくては困るのだけれど。

 

 先ほど出ていこうとした時の反応から見ても、これの可能性は非常に高い。

 

 

 

 最後に……彼の過去のこと。

 

 

 

 今日の昼頃に、彼が由比ヶ浜さんたちに明かした自らの過去。私が幼い頃に知った彼の苦しみ。

 

 その頃の記憶は彼にとって最大のトラウマであり、恐怖の対象。この選択肢が一番ありえそうね。

 

「っと、そろそろ良いわね」

 

 十分に熱されたお湯をティーポッドに移し、茶葉と一緒に入れて紅茶を作ると二人分ティーカップに注ぐ。

 

 トレイに乗せて部屋に戻ると、足音で気がついた彼はこちらを振り返った。

 

 その表情は、部屋を出た時よりはある程度落ちついていた。

 

「その様子だと、少しは気分が良くなったようね」

『……ああ、迷惑をかけた』

「あら、同居人がうなされているのだからケアするのは当然の行為よ」

 

 机にトレイを置いて、カップを差し出す。

 

 彼はそれを受け取り、湯気の立つカップに息を吹きかけ冷ましてから一口すすった。

 

「リラックス効果のある茶葉を使ったわ。心が落ち着くはずよ」

『……ああ、その通りだ。おかげで少しマシになった。サンキューな』

 

 素直にお礼を言う彼に微笑みつつ、隣に腰掛けて手を握る。

 

『……酷い夢を見た』

 

 しばらくして、彼は自分から話し出した。

 

 何も言いたくないのなら、彼が寝付くまでこうするつもりだったのだけれど。

 

「……そう。それで、どんな夢を見たの?」

『あの日の……夢だ。俺があの人を失った日の』

「それは……辛かったわね」

 

 予想は的中したけれど……よりによって一番の核心に触れてしまったのね。

 

 それは彼が由比ヶ浜さんに話さなかったもう半分であり、彼が本当の意味で怪物になってしまった記憶。

 

 八幡くんが、無意識に由比ヶ浜さんに軽蔑されることを恐れて隠しただろう……彼が自ら行った罪。

 

『俺は、あの人を救えなかった。それどころか俺は、あの人を犠牲にして自分だけ……!』

 

 震える手で私の手を強く握りしめ、とても……本当にとても苦しそうに顔を歪める。

 

 家族や近しいと感じたもの全てのために動く彼にとって、自らのその行為は最大のタブー。

 

 今でも強く根付いたその恐怖を、今日の話と……何より平塚くんの名前が思い起こさせたのでしょう。

 

『他にも方法はあったはずなんだ……あれが最善じゃなかった……あの人を殺さなくても、助かる道は……』

「そこまでにしなさい。そこから先は、あなた自身の過去を否定することになるわ」

 

 いつの間にか弱まっていた彼の手から右手を抜き、そっと頬に添える。

 

「何よりそれは、あなたを命がけで、全てを投げうってでも守ろうとした叔母様の名誉を汚すことになる。それを望むのかしら?」

『……そんなのは、嫌だ』

 

 辛い記憶を思い起こして精神年齢が後退しているのだろう、やけに素直に彼は答えてくれる。

 

「だったら、肯定しなさい。あなたの決断を、彼女の勇気を、そして愛情を。それがあってこそ、あなたは今ここにいる。その事実を否定してはいけないわ」

『……そう、だよな』

 

 彼は目を閉じる。そうすることで考えをまとめようとするのは昔からの癖だった。

 

 やがて、もう一度目を開けた時。そこにはもう怯えも恐怖もなく、すっかり元の濁った目に戻っていた。

 

『すまん、トチ狂ってた。おかげで目が覚めたわ』

「それなら良かったわ。後で紅茶の茶葉代とカウンセリング代を請求しておきましょう」

『おい、それ今言うことか。別に払ってもいいけど』

 

 くだらないやり取りを交わして、互いに笑みを見せる。これで元通りね。

 

 彼はまだ自分の頬にあった私の手をとって、目に見える位置に落とす。

 

 規格外の握力で握りしめた私の手には、赤い痣が残っていた。

 

『すまん、やりすぎた』

「傷物にされてしまったわ。これではもうどこの家にも嫁ぐことはできないわね」

『いや、そんなことさせないから。なんなら責任取る気ありまくりだから』

 

 ……この男、なんともなさそうな顔で途轍もなく重要なことを言っていると理解しているのかしら?

 

 ぬぼーっとした表情からは何もうかがえない。まあ、どうせくだらないことを考えているのでしょう。

 

 なんだか無性に気に入らないわ。この私が八幡くんに翻弄されてばかりなんて。

 

「それなら早速、責任を果たしてもらいましょうか」

『は? 何言って』

 

 最後まで言い切る前に、彼をベッドに押し倒す。

 

 既に中身を飲み干したカップを手放し、困惑している彼の体を両手で抱きしめた。

 

「今夜はこのまま寝なさい。それで今日のところは精算してあげるわ」

『……一人用のベッドだから狭いぞ』

「それなら密着していればいい」

『へいへい。お姫様の仰せの通りに』

 

 どうしようもない状況になると諦めの早い彼は、すぐに受け入れてくれた。

 

 カップを机に置き、彼の手がぎこちなく背中に回される。それは私を壊さないようにしているようで。

 

 程よく鍛え込まれた彼の腕は、私に安心感と温かさを与えてくれた。

 

「おやすみなさい。今度こそは良い夢を」

「──」

 

 既に首輪を外したのか、言葉の代わりに私の頭を撫でて答える。

 

 それからそう時間はかからずに、彼は寝息を立て始めた。安心して眠気が戻ってきたのだろう。

 

「……どうしたものかしらね」

 

 彼の問題は根が深い。

 

 曰く、心の傷は薄れることはあっても消えることはないという。

 

 彼ほど深ければ、治ることそれ自体にも長い時間がかかるのだろう。ともすれば一生かもしれない。

 

 そうだとしても私のすることは変わらない。彼を人として、誰よりも信じ続ける。

 

「かつて、あなたがそうしてくれたように。私があなたを支えるわ」

 

 誓いとともに、私もそっと目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ……さて、これでひとまず区切りましょう。

 

 あら、少し怖かった?

 

 ごめんなさいね、激しいとは言っておいたけど予想よりも上だったかしら。

 

 でも、楽しめていたようね。嬉しいわ。

 

 さあ、次が最後。だから少しだけ引き伸ばしましょう。

 

 だって、その方が面白いでしょう?

 

 

 さあ、お休みなさい。

 

 

 またあなた達が心惹かれたときに、最後の物語を紡ぎましょう──。

 

 

 

 

 

 声を失った少年

 第五章 狂う物語 終




読んでいただき、ありがとうございます。

陽乃さんの前に現れた謎の人物、八幡の過去のもう半分。

そして次回、ついに決戦前。

コメントをいただけると嬉しいです。
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