・白雄助ける(本編開始十年前・秋)
・紅炎と密会(十年前・冬)
・ドゥニヤ救う(九年前・秋)
「…それで信頼を得たのかはわからないけど、正式に鬼倭は同盟を組むことになって、俺も晴れて煌に滞在できることになったんだ。」
「へぇ…じゃああなたは煌の将軍になったというわけですね?」
「いや…ちょっと違うんだ。」
「え?」
「…イサアク…」
アクティアから出る移動船。
甲板でずっと話していた乙彦とイサアクの後ろに、小さな少女がいつの間にか立っていた。
「あ!姫様お目覚めでしたか。おはようございます。」
「…おはようイサアク。」
この少女はドゥニヤ・ムスタシム。
ムスタシム王国の王女なのだが、先日のマグノシュタットのクーデターで命を狙われ、護衛のイサアク共々逃げていたところを乙彦が助けたのだ。
「おはよう、姫。よく眠れました?」
「あなたは乙彦様でしたね。ええ、信じられないくらいぐっすり眠れましたわ。」
「そうか。」
「昨日はあなたに助けていただいて、本当に感謝しています。ありがとうございました…。」
「いや、いいですよ、お礼なんて。」
「いいえそんな、命の恩人ですから。」
ドゥニヤが乙彦の手をとり、上目遣いで言った。
まだ幼く、体にはあちこち傷が見受けられるが、姫は姫。
その気品と年齢に会わない色気を兼ね備えた仕草に、女性免疫が少ない乙彦の心臓が跳ねた。
緑がかった髪、青い眼、白い肌、その全てが乙彦を引きつけた。
(いかん、こういうときは紅玉のことを考えろ…。)
「どうかされました?」
「いや…。」
さらにドゥニヤが乙彦に近づいてきた。
自分は女の子に弱い、と認めざるをえなかった。
早く、この状況を打開しなければ…!
「乙彦!乗り換えですよ。」
「…!…あぁ、行こう。」
正直、助かったと思った。
◇◆◇
「先ほど、あなたのこと、これからのことをイサアクから聞きましたわ。」
乗り換えた船の個室内。
今はバルバッドから煌へ船は向かっている。
「私たちをあなたの側に置いてくださるなんて、どうお礼を申し上げたら良いか…。」
「…。」
側に置くって約束したかな?
疑問に思ったが、まぁ良いだろうと気にしないことにした。
「それで、気になっていたんですけど、煌の将軍じゃないってどういうことですか?あと、料亭ってのは?」
今度はイサアクが質問をしてきた。
この顔、どこかのプロ野球チームで見たことがあるような気がするが、思い出せない。
こんなことは関係ないのだが。
「俺は、煌で同盟を結んだときに、紅炎に色々と条件を出されたんだ。」
兄弟の命を救った恩があるはずなのだが、紅炎は俺に対する接し方を変えなかった。
しかも、交渉に条件を加えてくる強引さ。
それが、練紅炎という男なのだ。
「条件というと?」
「…俺が紅玉姫を守ることを目的に煌に入ろうとしていることは言ったよな?」
「はい。なんだか笑えましたが。」
やはり、紅玉のことを隠しているというのでは、話がややこしくなると思って、あの紅炎と話した日以降は、信頼できる人間には真の目的を言うことにした。
レイは驚いていた。
紅炎は「やはりお前は狂気に満ちていて愉快だ」と笑った。
紅明はさらに俺を怪しむようになった。
まだ白雄含め、煌では四人しか話していないこの話は、すでにイサアクとドゥニヤにはしていた。
「俺が紅玉姫の護衛に就きたいと下手に出たのを良いことに、紅玉の護衛に就くにはと、言ってきたわけだ。」
「はぁ…。」
ピッと乙彦は人差し指を立てる。
「まず煌帝国軍の兵士ではなく、紅炎直属の部下になれと言ってきた。まぁ、呑むしかないのだが。」
「…。」
「あと、練家に忠誠を示さなければ紅玉の護衛には就かせないと言われた。」
「ち、忠誠!?…あなたは鬼倭の王子なのでしょう!?」
イサアクが驚いて身を乗り出した。
確かに、俺は鬼倭の王子なのだが、その前に、紅玉と世界を守ると誓った転生者なのだ。
鬼倭のことは気にかけていないとまではいかないが、兄に任せておける安心がある。
目的のためには練家に忠誠を示すくらいどうってことないのだ。
「…まぁ、そんな難しいことでもなければ、王子としての誇りを捨てることでもないんだけどな。」
「というと?」
「紅炎の下で働いて功績を残すことと、会議で奴らとは違う立場見方から意見を言うこと…あと、練家の皇女と結婚することとか…。」
「結構難しそうなのもあるじゃないっすか!!しかも、結婚って!?」
「…あぁ、それは、何とか断ったんだけど…。」
練家の男は横暴で滅茶苦茶なのだ。
下手に出たと思ったら色々と注文をつけてくる。
結婚の話も、俺に知らせる前に準備をしていて、皇女様が挨拶にきたときは本当に驚いた。
なんとか年齢や立場の危うさをネタに頼み込んで断ったはいいが、相手になる予定だった皇女様はひどく落ち込んでいた。
アリババ君にもこんなことを言っていたわけだから、彼らは元から本当に滅茶苦茶だったのだ。
「…まぁ、そんな訳で、俺は将軍になるわけでも紅玉の護衛になるわけでもなく、最近は国内の内紛をおさめたり、警備をしたりしていたんだ。」
「そうなんですか…。」
「じゃあ、料亭っていうのは何ですの?」
「…前に話した、俺が助けた練白雄とレイ。そいつらが暇だっていうんで、二人にも働いてもらうことにしたんですよ。」
俺が紅炎の下に付くとき、住むところとして洛昌にある家に(頼み込んで)住まわせてもらうことになったのだが、白雄とレイが俺が働いている間、何もできないから暇だと言い出したのだ。
暇とは何だというところだが、白雄は組織に追われている身、無闇に外に出せない。
そこで、住んでいる家を改良して、一部を料亭として建て替えたのだ。
これが最初こそ全然儲からなかったのだが、俺の前世の記憶を生かすことで急成長した。
朝にはモーニング、お茶を頼むと軽食が出るサービスを設置。
昼はランチとして特別日替わりメニューを出し、夜にはオシャレなバーになる。
また、煌の人々の舌に合いそうな中華料理を主に扱い、テイクアウトもできる。
今では朝早い煌の兵士や、ちょっと身分の高い方々が訪れるほか、知り合いである皇子や皇女も足を運ぶ場所になっている。
「二人にも、しばらく料亭で働いてもらうんで。」
「え!!?」
「だって、行くとこないんだろ?」
「それはそうですが…。」
チラッとイサアクがドゥニヤを見ると、ドゥニヤは下を見てうつむいていた。
「…?」
◇◆◇
「いらっしゃいませ…って今日は休業日なんですけど?」
「今戻ったぞ、レイ。」
「なんだ、乙彦だったのか……ん?そちらは?」
「…新しい従業員。」
何日かかったのかわからないくらいの船での移動を終え、俺はドゥニヤたちを連れ、煌に戻った。
レイに彼らを紹介すると、「乙彦って王族助けるのが趣味なの?」と言われた。
仕方ない。道に迷ったら偶然王族が襲われていたのだから。
「紅炎様から戻り次第王宮に顔を出せって手紙が来てたよ?」
「わかった。今日は遅いから明日行こう。」
紅炎にお暇をもらっての旅行だったのだが、いつ帰るかとかは明確に知らせていなかった。
それでも紅炎が許したのは彼の大ざっぱな性格からなのか、今の煌の状態からなのか…。
マギ本編が始まるまであと約9年だが、煌帝国はやっと争いばかりだった三国を平定したばかりで、他国への侵略戦争とかは始まっていなかった。
もちろん、各国への諜報活動や、近隣国、村への「煌の傘下に下れ」という通達をする活動はしているらしいが。
「明日から、また色々と始めることにしよう。二人も、今日は寝てくれ。」
「えっ…あ、はい!ありがとうございます!」
「…どうも。」
「二階に空き部屋があります。お布団もありますから。案内しますね、こちらへどうぞ。」
「レイは敬語がうまくなったな。それだけでも、店を開いて良かったというものだ!」
「うるさい乙彦!」
レイはそう言うと、二人を連れて二階へと上がっていった。
気が付けば、後ろのカウンターに白雄がいた。
「お帰りなさい、乙彦殿。」
「あぁ。」
「…彼らも紅玉姫を守るために必要な人材なのか?」
「まさか。助けたいと思ったから連れてきただけだ。ただ、労働力としては役に立つ人材かもな。」
「…。」
白雄はにっこり笑っていた。
ー夜ー
「…?」
何だか寝付けなくて、水でも飲もうと一階に下りようとすると、一階に明かりがついていた。
消し忘れだろうか。いやまさか。
「…!…眠れませんか?」
「…乙彦様…。」
一階でドゥニヤが窓から外を眺めながらイスに座っていた。
月に照らされて、緑の長髪がまた美しく輝いていた。
「月がきれいですね。」
「…ええ。本当に。」
「でも姫様の方がきれいですよ?」
「…。」
しまった。
余計なことを言ったか。
調子に乗って言ってみた台詞だが、結構恥ずかしいものだ。
俺が何を言おうか考えていると、
「…私、ずっと考えていました…。」
ドゥニヤがうつむきながら言った。
良かった。さっきのは気にされてないみたいだ。
「…何を?」
「私は本当にこのままでいいのでしょうか、と…。」
「…?」
「あなたと初めて出会う頃こそ、周りが怖くて、ただ逃げ出すことだけ考えていました。」
「…。」
「それからあなたに命を救われ、あなたは私たちを匿うと言ってくれましたね。」
「えぇ。」
「私はそのとき、本当に嬉しかった…。でも…。」
「?」
「でも、あなたに頼りきりでいいのでしょうか?…私の国、ムスタシムはマグノシュタットによって滅ぼされ、父も母も殺されてしまいましたわ…。」
「………。」
「私は王女として、一人生き残った王族として、自分の責務を全うしなくてはならない…。マグノに復讐しないといけないんですわ…!」
ドゥニヤの声に力がこもる。
王族としての責任感が、ここまで彼女を追いつめているのか。
まるで呪いだな。
「…復讐は…ダメですよ。」
「……あなたならそう言うと思いましたわ。…でも、やらなきゃ。勝機がなくてもやらなきゃいけませんわ。」
「…。」
「私は彼らが憎い。私たちはただ、普通に生きていただけなのに…!!」
「…姫様」
「もう姫じゃありませんわ!!!」
「…私は運命が憎いですわ…。」
「ダメだ。復讐は絶対にさせない。」
ドゥニヤの前に移動し、彼女の手を握る。
彼女はボロボロ泣いていて、その手は震えていた。
「今マグノシュタットに刃向かえば、君はすぐ死ぬだろう。」
「……それでも…!」
「いや、ダメだ。君は死んでしまった人たちのために、君を救おうとした人たちのためにも生きなきゃいけない。」
「!!」
「……。」
「…では、怒りを押し殺し、自らの責任を捨てて無様に生きながらえろと言うのですね…。」
ドゥニヤは涙をいっぱいにためて言った。
俺は彼女の肩をつかむ。
「違う。」
「………え?」
「自らの責務だとか、復讐のためだとか、そういう考えがまず違う。君は、自分の好きなように生きていっていいはずだ。」
「…!?」
「復讐が、君の本当にやりたいことか!?生きるのが嫌なのか!?…違うだろ!?」
「それは…。」
「…生きる希望を、生きる理由を、自分のやりたいことを見つけてください。」
「…。」
「生きる理由なんて、俺も最近見つけたばかりで、見つけるのは難しい。…考え抜いて考え抜いて、結局復讐なんだったら俺は止めない。」
「………。」
「…だけど、それが見つかるまで復讐はさせないし、無様に生きながらえてもらう。」
「…そんなの…!!」
「君は一人じゃないんだから、じっくり考えてみろよ。」
「……!!」
また、ドゥニヤはボロボロ泣き出した。
俺は彼女を優しく抱きしめた。
押さえつけていたものが溢れたかのように、彼女は泣き続けた。
国や、復讐なんて、考えるのには彼女はまだ若すぎる。
これからイサアクと、みんなとじっくり答えを探っていけばいい。
「……乙彦様は、大人なのですね…。」
「大人だからな。」
しばらく泣いて落ち着いたドゥニヤは話しかけてきた。
俺は大人だ。なぜならもう三十年も生きているからな。途中で一度死んだが。
「…私のほうが一つ年上ですわ…。」
「…春の俺の誕生日になったら、同い年になるんじゃない?」
「それはそうですわね。」
そう言うと、何だかおかしくなったのかドゥニヤはうふふと笑った。
俺はそれが愛らしくて、愉快で、はははと笑った。
ちょっと次は更新遅れます。