傲慢の秤   作:初(はじめ)

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お久しぶりです。お待たせしました。



三十六、雲透

 

 

 

「――(かす)め、雲透(くもすき)

 

 何気ない朝の挨拶でもするような気軽な声で、桜花が呟いた。瞬間的に広がった霊圧と白煙に思わず怯んだ、その時だった。

 

 きらりと光る細身の刀身。

 その白銀色がこちらに迫ってきて。

 

「桜、花……おま、え……」

 

 気がつくと一護は、手に握った斬魄刀と共に串刺しにされていた。

 

 痛みや衝撃よりまず感じたのは、驚愕と戸惑いだった。

 どうして。"斬月"で受け止めていたはずなのに。まさか、あの細い刀で"斬月"諸共貫いたってのか……?

 

「くそっ……!」

 

 どうあれ、このままではマズい。

 相手は金属をも軽々と貫通させる強度の刀だ。横に払われでもしたら、上半身と下半身を分離されかねない。

 

 流石にそこまではしないだろうという希望的観測は、腹を貫かれたあの瞬間に捨て去った。桜花ならやりかねない。何が「私は喜助さんより優しい」だ。

 

 それにしても、こんな緊急事態にしては頭がよく回る。これも慣れってやつなのか――

 

「あれ、意外と冷静だね」

 

 言葉の割に驚きのない顔で、桜花が呟いた。

 そして、貫通したままだった刀をズルリと引き抜いて飛び退った。

 

 一護は咄嗟に貫かれた腹を押さえて――そして、ふと違和感に気がついた。

 

 ……血が、出ていない?

 

「は? え……?」

 

 見下ろす。

 

 痛みなど、あるはずもなかった。

 血どころか、そもそも傷口すら存在していなかったのだから。

 

「なぁんだ。冷静なんじゃなくて、気づいてなかっただけか」

 

 よく見ると、"斬月”に空いているはずの穴もない。

 

 一体何が起きているのかと立ち尽くす一護を見て、けらけらと笑った桜花が刀をかざしてみせた。

 

「私の"雲透"じゃ、人は斬れないんだよ」

 

 "雲透”と呼ばれたその刀には、本来あるはずの鍔がなかった。

 灰色と銀色の入り混じった糸が巻きつけられた柄と細身の刃との間にあるのは、鍔とは呼べない簡素な金具だけだった。

 

 そして何より目を引くのは、その華奢な刀身だ。

 細くて薄い"雲透"の刃には、根本から刃先までびっしりと雲文様の透かし彫りが施されていた。

 

 今にも折れてしまいそうな、美しく繊細な刀だ。

 その様は、まるで精緻な手作業によって作り出された美術品のようでもあった。

 

「折れねぇのか……?」

「折れないよ」

 

 知らぬ間に言葉に出していたらしい。

 そんなに華奢で折れないのかという一護の疑問に、桜花が答えた。

 

「そもそも打ち合いを前提としてないからね」

 

 人は斬れない。

 そして、打ち合いを前提としていない。

 

 それが本当ならば、あの斬られた感触は何だったのだろうか。あの独特な、刃物が体内に入り込む感覚は幻だったのだろうか。

 

 そんなはずはない、と一護は内心強く否定した。

 死神になって何度も怪我を負ったから分かる。あれは、本当に刺されている感触だった。

 

「なぁ、桜花。その"雲透”ってのはどんな力があるんだ?」

「秘密」

 

 いたずらっぽく笑った桜花が、左手の人差し指を立てる。

 

「私に勝ったら、教えてあげても良いよ」

「おい、教える気ねぇだろ」

「いつになく弱気だねぇ。私に勝てないとでも思ってるの?」

「…………」

「そんなんじゃ、尸魂界(ソウル・ソサエティ)で生き残れないよ」

 

 確かに、その通りだ。

 

 桜花の能力の得体の知れなさに怖気づいていた。勝てる訳がないと一瞬でも思ってしまった。

 

「…………」

 

 一護は"斬月”を地面に突き刺す。

 そして、空いた両手で自らの頬を思い切り叩いた。

 

 ちょっと刺されかけたくらい何だ。そんな些細なことで足を止めていられるほど暇じゃないだろ、オレは。

 

「……悪ィ、仕切り直しだ」

「次はないよ」

「分かってる」

 

 『勝つ』という気合と共に、斬魄刀を掴み取って構える。

 

 "雲透"とやらの能力を知るためには勝たなければならないが、そもそも勝つためには能力を知らなければならない。一見矛盾しているようだが、一護が取るべき行動ははっきりしている。

 

 戦いを通して、能力を見抜く。

 そして、勝つ。

 

 これしかないのだ。

 

「うおおおお!!」

 

 大声と共に斬りかかる。

 狙いは桜花の胴体だ。こうすれば、いくら刀身が細くともその刀で"斬月”を受け止めざるを得なくなる。そうなれば、刀が折れはせずとも隙はできるかもしれない。

 

「うわ、危ない」

「思ってもねぇこと、言うなよっ!」

 

 桜花は一護の一振りをごく小さな動作で避けた。一護の目から見ても分かるほど余裕のある動きだった。そこを指摘しつつ、さらに"斬月"を振りかざして桜花を追い詰めていく。

 

「思ってるよ……っと」

 

 またもや、避ける。再び胴を狙うが、やはり桜花は避ける。先程のように、突き攻撃を仕掛けてくる様子もない。

 

「……なるほどな」

 

 そんなやり取りを十数回繰り返した頃には、一護も気がついていた。

 

 あんなに刀で受け止めやすい箇所を狙っているのに、桜花が一度も刃を合わせようとしないことに。そして、あの刀では人は斬れないという桜花の言葉が、嘘偽りないものだったということに。

 

「何となく分かってきたぜ。その刀、"雲透"なんていうだけあって、雲みてーにものを通り抜けるんだろ?」

 

 だから刺されたように見えても傷は負わなかったし、痛みを感じることもなかった。貫通されたはずの"斬月”の刀身に穴がなかった。

 そして桜花は、斬魄刀の名前を呼んでからというもの、刀を使おうとしなくなった。

 

「一回そうなったら戻せねぇんだろ? だから、オレの攻撃をずっと避けてる。攻撃もしてこねぇ」

 

 十メートルほどの距離を挟んで対峙する。

 一護と対照的に、涼やかな顔をした桜花は息一つ乱していなかった。

 

 その事実に悔しさを感じつつも、一護は短時間で答えに辿り着いたというある種の高揚感を抱いていた。

 

「どうだ? 合ってるだろ」

「うん、合ってる」

 

 しかし、桜花の反応は非常に薄かった。ただ、呆れたように半笑いしているだけであった。

 

 ――あの目は、オレが何かミスった時の感じだ。

 

 フワフワとした高揚感が、引き潮のように消え失せていく。

 

 怒っているというよりは、姉が弟の失敗に呆れている姉のような表情。弟と見なされることが不満な一護にとっては、あまり歓迎できない顔であった。

 

「合ってる。でも、不正解だよ」

「何でだよ、合ってんなら正解だろ」

「何でって……じゃあ聞くけど」

 

 桜花が自然な動きで刀を持ち上げ、そして切っ先を一護に定めた。正確には一護の胴、先程貫かれた腹部にだ。

 

「さっき"雲透(これ)"で刺されたこと、忘れてない?」

「はぁ?」

 

 忘れている訳がない。こいつは何を言っているのか、と首をひねる。

 

 鈍い反応しか返さない一護に、桜花はいよいよ呆れ返って「えぇ……?」と声を漏らした。そして刀を持った腕を下ろすと、ついでに全身の力を抜いた。

 

 そんな桜花の態度を心外に感じながらも、一護は考える。

 

 刺された。それは分かっている。

 ならば、桜花の言いたいこととは――

 

「そこまで見抜いてて、どうして『"雲透(これ)"で斬られるとどうなるか』ってところまで考えなかったかな」

「っ……!?」

 

 その意味を頭が理解した途端、全身の血が一気に下がったような気がした。

 

 あの時……あの時オレは、何をされた?

 

 刀で貫かれた、あの行為に意味がない訳がない。

 だとすれば、まさか……

 

「まさか、オレはもう……」

 

 呆れていた幼馴染の顔が、笑みに彩られていく。

 

 同時に、一護はハッと息を飲んだ。

 

 彼女の背格好は、一護の小学生の妹たちとあまり変わらない。けれどその顔に浮かべられた笑みは、小学生の少女にはできない類のものであった。

 

「正解」

 

 婉曲な表現を使うならば、大人びている。

 

 普段学校でへらへら気楽に笑っている彼女とは、まるで別人のようであった。

 

「さぁて、私はあなたに何をしたでしょうか?」

 

 一護は、身体中に意識を向ける。しかし手も足も胴体も頭も、どこにも異変は認められなかった。

 

 この見慣れぬ笑顔には、理由があるはずなのだ。先程の一突きで、何かされたのは間違いないのだ。それなのに分からない。

 

 何とも言えない気持ちの悪い違和感に、一護は顔をしかめた。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 どうもかなり悩んでいるみたいだけど、分かる訳がないんだよなぁ……と私は内心ぼやいた。

 

 だって"雲透"で斬ったって、一護自体には何の変化もないんだし。それに、今の一護を斬ってもあんまり意味がなかったりするし。

 "雲透”は一護のような初心者より、喜助さんみたいな強い人の方が効く……そんな能力なんだから。

 

「じゃあ……そろそろ、終わりにしようか」

 

 知能がある、なおかつ能力が分からない敵と戦う厳しさを伝える――つまり、現実を見せることはできた。

 

 だから私は、これ以上続ける意味のなくなってしまった戦いを終わらせるべく、そっと"雲透"を掲げた。

 

 そして、()()()()部分をさらりとなぞる。

 

「――もう良いよ。ありがとう、"雲透"」

 

 「久々だってのに、短くない?」と文句を垂れる斬魄刀に「ごめん」と返して、始解を解いた。

 別に戦いを止める訳じゃない。浅打じゃないと決着がつけられないだけだから、と説得の言葉を掛けると、不満げながらも同意の声が返ってきた。

 

 始解する時と違って、解除する時は地味なものだ。特に雲が噴き出す訳でもなければ、霊圧が漏れる訳でもない。だから、上手くやれば相手にバレることなく始解を止めて攻撃に移ることができる。

 

 霊圧に関しては、始解する瞬間に漏れ出す分も隠そうと思えば隠せるけど……まぁ、そんなこと今はどうだって良い。

 

「まぁ、安心して。すぐに終わるからさ」

「安心できねぇよっ!」

 

 戸惑いを隠せない一護に、私は容赦なく駆け寄った。慌てて構えられた"斬月”の下をくぐり抜けて、さっと足払い。短い悲鳴と共にひっくり返った一護の首元に、"雲透"の刃先を突きつければ……終了だ。

 

「はい、終わり」

「……え?」

「ね、すぐに終わったでしょ?」

 

 今までの打ち合いと比較して、あまりに呆気ない終わり方。一護は頭がついていかないようで、倒れ込んだまま固まっている。

 

 「結局短いじゃん!」なんて言う斬魄刀に再度謝って、私は浅打を腰の鞘に納めた。

 

 

 




能力についてですが、伏線は張ってあります。
分かった方は是非感想欄へ!m(_ _)m

正確に当てられることはないと思うので、たぶんネタバレにはならないと思います。……たぶん。

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