「その三名とは、東仙要、市丸ギン――そして全ての黒幕である、藍染惣右介です」
「なっ……!?」
言ってやったよ。黒幕の目の前で。よくやった、私。
妙な達成感に包まれる私とは全く異なって、父様は「そんなはずはない」とでも言いたげな目をしていた。
私だって、実際に彼らの悪事を目の当たりにした訳ではない。でも、これが真実だ。
漫画の中でそう描かれていたから。そして何より、私の規格外な保護者達がそうだと言っていたから。だから私は、自信を持って告げることができるんだ。
「約百年前……隊長格十一名が同時に行方不明になった事件を、覚えていますか」
「あぁ」
「あの事件の真犯人は、藍染惣右介を始めとする先程の三名でした」
今、藍染はどんな表情をしているのか……振り返ることのできない私には知りようがないけれど、それでも私は話を続ける。
いや、続けなければならないんだ。藍染が私に“鏡花水月”を掛けていると勘違いしている今、私は藍染がいない体で話を進めなければならない。藍染たちの名前を敢えて出したのも、この『藍染がいない体』をよりリアルにするためだ。
私たちの本来の作戦では、父様に藍染の存在は伝えても、藍染の斬魄刀の能力までは伝えない予定だった。だから、その通りにする。私が少しでも計画と違うことをして、それが小さな矛盾に繋がったとしたら。その矛盾に気づかない藍染ではないんだ。
藍染が黒幕だと伝えたら、父様に危険が及ぶかもしれない。けれどそれ以上に怖いのは、私に完全催眠が通用しないことを勘づかれた場合だ。そうなったら本当に、ここで父娘もろとも消されてしまう。それだけは、なんとしてでも避けなければ。
「被害者は当時の隊長格八名であり、主犯格とされた浦原喜助は冤罪でした。浦原喜助、四楓院夜一、握菱鉄裁の三名は被害者の命を救うために奔走したに過ぎず、投獄されるほどの悪事を働いた訳ではありませんでした」
「そんな、ことが……」
「今すぐに無条件に信じてほしいとは言いません。ですが、心の隅には置いていてほしいんです」
藍染惣右介が黒幕であること。それと、私の記憶喪失について。この二点は、当然話しておかなければならないことだ。それは、喜助さんに言われたことだった。
「そして、私が現世で世話になっていたのは……浦原喜助、四楓院夜一、握菱鉄裁の三人でした」
「…………」
でも、私はそれだけじゃいけないと思っていた。
喜助さん本人は別に話さなくても構わないと緩く笑っていた、百数年前の事件における冤罪――このことは、どうしても伝えておきたかった。だから、何とか計画に組み込んでもらったんだ。
こんなのは、ただのエゴなのかもしれない。世話になった親代わりの人が、実父に誤解されたままなのが許せないだけなのかもしれない。それでも、だ。
父様は、考え込むように黙り込んでいる。
もしかしたら父様は、夜一さんだけじゃなくて喜助さんや鉄裁さんとも面識があったのかもしれない。喜助さんと鉄裁さんは夜一さんの世話になっていた時期があったと聞いたことがあるし、それなら彼らに対して何かと思うところがあるのも当然だ。
そして数秒の後、父様が問う。
「……先程の話も、本人から聞いたのか」
「はい」
「そしてお前は、その荒唐無稽な話を信じていると」
「……はい」
えらく酷い言われようだ。そう思われても仕方ないくらいには突飛な話なのだから、仕方がないことだろう。
でも、これが真実だ。
喜助さん達を嵌めた張本人がすぐ側にいることが、私に更なる確信を与えている。
「彼らは、記憶をなくして居場所もなかった私を家に置いて、保護者として面倒をみてくれました。こうやって死覇装をまとえるくらいに強くなれたのも、彼らのお陰なんです」
「そうか」
「それに……そうやって長く一緒にいたから分かるんです。三人は、そんな大罪を犯すような人じゃない」
それだけは伝えておきたかったんです、と話を締めくくった。
さて。父様は、何と言うだろうか。
そんな奴らを信じるな、とたしなめられるだろうか。それとも、先程のように「桜花が言うのなら」と彼らを信じてくれるだろうか。
全く……これではまるで、叱られる直前の子どもの心境だ。
私は顔色を窺うように、そっと父様を見つめた。
父様が、口を開く。
「まさか、あの化け猫に礼を言う時が来るとはな」
「……へ?」
予想外な言葉に、笑えるくらい間抜けな声が出た。化け猫? 礼を言う?
「この件に於いて、彼等の無罪を信じるに足るか否かは後回しだ。彼等はお前を保護し、鍛錬までしてくれたのだろう? ならば朽木家当主として、そしてお前の実父として、まずは彼等に謝辞を述べねばなるまい。話は、それからだ」
父様らしからぬ長台詞を一息に言い切って、苦々しげに細い眉を寄せた。しかし、心底嫌悪しているようには見えない。それどころか、少し安心した様子でさえした。
「
だから有罪無罪はともかく、夜一さん達が私を匿ってくれていたという話は信じてくれると。そういうことなんだろう。
夜一さんのことも、嫌いつつも本心から憎んでいた訳ではなかったんだろう。だからこそ四大貴族当主としての責任と誇りを投げ捨てたと聞いて軽蔑し、そして落胆したんだ。
「ふふっ」
藍染のせいで気を張り詰めてはいたものの、あまりに分かりやすい反応には少しだけ笑ってしまった。
「……何が可笑しい」
「いえ、夜一さんから昔の父様の話を聞いていたので、つい……」
由衣のことがあってからしばらくして、夜一さんと鉄裁さんに、私がまず間違いなく朽木桜花であることを伝えた時。
さして驚くこともなく「あの白哉坊も娘を持つ歳か……」とニヤニヤ笑う夜一さんに、昔の父様のことを教えてもらったんだ。
曰く、「おぬしよりも感情の起伏が激しかった」とか「顔は然程似てはおらんが、やたらと真面目な所は似とるのかもしれんのう」とか。
その当の本人が目の前で「全く、あの化け猫めが……」と不快そうに呟いたことで、私の緊張もほんの少しだけ和らいだ――その時。
「さて、と……」
今まで静観していた藍染が呟いて、移動する。
立ち止まったのは父様と私の間……つまり、私の目の前だった。
「……?」
総毛立つような嫌な予感がした、その時。
息もできないほどに重苦しい何かが、私にのしかかってきた。
「ぐっ……!」
ただひたすらに重たくて、そして恐ろしい何か。
その
まるで霊圧が掌の形をしていて、その手指に直に首を絞められているような……そんな殺意のこもった息苦しさに、思わず左手を胸元に押しつけた。そのまま死覇装の襟を握りしめる。
「桜花っ……?!」
前触れなく様子が急変した私に驚いたらしい。藍染が間にいるせいで私からは姿は見えないが、父様の声が切羽詰まっている。
「どうした!」
そう言うなり父様は、瞬間的に私の側までやってきた。当然、その間にいた藍染はそれを避けて私から離れることになる。しかし、霊圧を収めてくれるつもりはないらしい。
むしろ先程より強力になったようにも思える重圧に、歯を食いしばって耐える。薄く開いた目に映る畳に、冷や汗なのか涙なのか分からない染みが広がっていく。
「直ちに医者を――」
「だ……駄目、です……」
息が、できない。
鼻も口も塞がれてはいないのに、肺が空気を取り込もうとしない。
そんな中、何とか声を絞り出した。酸素不足で上手く回らない頭が、「バラしては駄目だ」と必死で警鐘を鳴らしている。でも、それ以外のことは考えられそうにない。
とにかく、バラしちゃダメなんだ。
だって、バラしちゃったら……えっと……
「大丈夫、だから……」
「嘘を
違う、これは病なんかじゃない。
これは、藍染の化け物みたいな霊圧に当てられているだけで……でも、藍染がここにいるって伝える訳にもいかないから……
「ホントは……大丈夫、じゃないけど……でも、バレたら……殺される、から……だから……」
何せ頭が働かないから、言ったことも支離滅裂だったかもしれない。もう何が何だか分からなくなってきて、胸元から離した左手で父様の死覇装の裾を掴んだ。
「…………」
父様は数秒ほど黙りこくって、自らの死覇装を掴む私の手を握って……そして小さく「判った」と言った。
「良かっ、た……」
「桜花っ!」
途端に、がくがく震える私の右腕から力が抜けて、畳に突っ伏しそうになった。でも、無事だった。父様が受け止めてくれたんだ。
父様が、うろたえながらも私の背を撫でる。
私はその手に応じて空気を吸い込もうとするが、気道が塞がってしまっていてできそうにない。
「う……ぁ……」
息ができない。苦しい。怖い。
固く閉じたまぶたの裏に、白い光が飛び散った。
これは……もう、駄目かもしれない。
「しかし、妙だな」
そうやって、意識を飛ばしかけた瞬間。
藍染が何やら呟いて、私を押し潰そうと暴れていた霊圧が不意に大人しくなった。
ようやく喉のつかえが取れて、私は派手に咳き込んだ。
貪るように呼吸を繰り返すことで、だんだんとまともな思考回路が戻ってくる。
何だったんだ、今の霊圧は。
少なくとも、普通の隊長格のレベルじゃなかった。それこそ数年前の
何というか……もっと重くて、途方もない規模で、直接的な殺意をはらんでいる……そんな霊圧だった。
あんなものを何の前触れもなくぶち当てられて、何食わぬ平気な顔をしていられる者なんて、隊長格にもほとんどいないんじゃないか? 喜助さんや夜一さんでも多少は反応してしまうはずだ。本当に、とんでもない奴を敵に回したものだ。
「霊圧知覚を支配できていない、か……こうなると可能性は一つだな」
藍染の低めの声が、必死に思考を働かせていた私を突き刺した。
やっと戻ってきた血の気が、再び急速に引いていくのを感じた。
――そうだった。どうして、すぐに気づけなかったんだろう?
「君の勇気と演技力は称賛に値する。判断も悪くはなかった。ただ、相手が悪かったな」
藍染の霊圧に反応してしまった時点で、状況はもう詰んでいるのだということに。
「聴こえているのだろう、朽木桜花」
「っ……!!」
そして藍染は、確信を持って私に語りかけてきた。
――やっぱり。バレてる。
「……落ち着いたか、桜花」
「は、はい……何とか……」
荒い息でうずくまったまま、父様の問いに上の空で答える。
返事をするか?
いや、それはあまりに危険すぎる。
ここに藍染がいることを、父様に知られる訳にはいかない。絶対にだ。だってそんなことになったら、藍染が口封じで今すぐにも父様を殺してしまうかもしれない。
それだけは、何としてでも避けないと……
「返事はしない、か……なるほど、只の莫迦ではないらしい」
先程霊圧をぶつけられた時に比べれば、まだ今の方がまだマシだ。そう思い込むことによって何とか平静を保つ。そして、ただひたすらに考える。
今起こり得る最悪の事態。それは「私達が父娘もろとも藍染に殺されて、その後私の身代わりが喜助さんの元に送り込まれる」こと。
その場合、殺されるであろう私や父様には抵抗する術がない。それに"鏡花水月"の餌食になっている喜助さんや夜一さんでは、私が偽物であることに気づけない。つまり私の前世の記憶を、むざむざ敵に渡すことになってしまう。
そうなる前に、私が取れる唯一の対策は――
「そんなに警戒しなくとも、今は殺しはしない。殺してしまうには、
――
伝令神機を取ろうと動かしかけた手が、止まってしまった。喜助さんに伝えなければならないのに。止まっている場合じゃ、ないのに。
「君
邪魔をすれば二人とも殺す。
言外にそう警告されて、本能的な恐怖に身を震わせる。
コイツならやる。本当に殺される。抵抗する間もなく、簡単に。
「まだ痛むのか?」
「いえ……」
そんな私を心配して、父様が私の顔を覗き込む。
しかし、それどころではなくて、私は身体の震えを押さえるのに必死だった。
今すぐに殺す気がないなら、早くどこかへ行ってくれ。父様に支えられながら、そう心から願い続けた。
「せいぜい足掻くと良い」
藍染は嘲るような口調でそう言い放った。
そして足音とともに、その霊圧が遠ざかり始める。
早く行け、早く行けと念じる私の思いの通りに、藍染は部屋を出て……屋敷を出て……屋敷から離れて……
その辺りでやっと、霊圧さえ感じ取れなくなった。
「はぁ……」
やっと……やっと、行ってくれた。
疲労感から図らずも身体中の筋肉が弛緩してしまって、私はぐったりと父様に身を預ける。目尻に溜まった涙を拭おうと、腕を上げるのも辛いくらいだ。
「大丈夫か……?」
「大丈夫、です……」
化け物だ化け物だとは聞いていた。漫画を読んで、その凄まじさは理解していた。
そういう、つもりだったらしい。
私は理解などしていなかった。
藍染という存在を、ちゃんと実感できていなかったんだ。
「……やっと、いなくなりました」
「何がだ?」
「藍染、です」
「藍染隊長だと……? ここに、か?」
「はい」
「しかし、この部屋には私と桜花しか居らぬだろう」
ようやく落ち着いてきた息と心拍数に安堵しながら、その名を口にする。父様は何のことやら全く分かっていないようだ。それもそうか、と納得しつつ再度口を開いた。
「藍染の斬魄刀の能力は、知ってますか?」
「斬魄刀? 蜃気楼で敵に幻覚を見せる流水系だとは聞いているが……それに一体何の関係が?」
「それ、半分嘘です」
「嘘、だと?」
「藍染は、他人の五感と霊圧感知能力を自在に操ることができる。父様を始めとする瀞霊廷の全死神が、その餌食となっているんです」
少し言葉を止めて、乾燥した口の中を湿らせた。
「それを使って、藍染は今の今までこの部屋の中に隠れていたんです。もっとも、私からすれば普通に目の前に立ってるようにしか見えなかったんですが――」
「ま、待て……つまり藍染隊長は、私に幻を見せて『存在しない』かのように錯覚させていたと……そういうことなのか……?」
「はい」
理解が早くて助かる。
その通りだと頷いてみせると、信じられないという表情に疑問の色が混じった。
「ならば何故、桜花には効かなかったのだ?」
問題は、それである。
記憶喪失になっているから効かなかった? まさか、そんなはずはない。
喜助さんによると、何らかの理由で記憶を喪失してしまっていても、実は脳から記憶が完全に抹消されている訳ではないんだそうだ。ただ単に、脳内のどこかにある記憶の引き出しを見失ってしまっているか、もしくはその引き出しを開ける鍵を紛失してしまっているか。いずれにせよ、失った私の記憶は、私の中のどこかに存在しているということになる。
だから、記憶喪失は"鏡花水月"が効かない理由にはなり得ない。
「それは、私もよく分からなくて……というか、信じてくれるんですか?」
下手したら先程の話よりも突飛かもしれないのに、よく私の話が事実であるということを前提に話してくれるものだ。
「まだ完全に信じている訳ではない。しかし、あの様子を見た後ではな」
「まぁ、確かに……」
「隊長格――それも古株の本気の霊圧に当てられていたのだと考えると、先程のお前の異様な様子も理解できる」
それほどまでに、私の様子は酷かったと。我ながら情けなくなってくる。心配を掛けてしまったな、と少し反省しつつ、よいしょ、という掛け声とともにゆっくりと身を起こした。
まだ手は微かに震えているが、身体を支えられないほどではない。疲労感も、耐えられないほど辛い訳ではない。大丈夫だ。
「もう平気なのか?」
「はい、ありがとうございます。心配を掛けてしまってすみません」
今からここで全力で戦えと言われたら、流石にしんどいかもしれない。けれど今私がすべきなのは、父様に心配を掛けないよう、座って話をすることだけだ。だから、問題はない。
「本当は、こんなことまで話すつもりはなかったんですが……」
状況のせいとはいえ、『知ってしまうこと』そのものが危険な情報を説明せざるを得なくなってしまったのは、不本意ですらあるくらいだ。
しかし、喜助さん程ではないにせよ、頭の切れる父様にだんまりが通用するとは思えないし、心配を掛けておいてむやみやたらと嘘をつくのも不誠実だし。だったら最初から嘘偽りなく、ある程度ぼかした事実を伝えてしまった方が良いのではないか。
そう結論づけて、私は座布団の上で姿勢を正した。
やっぱり藍染様はこわい。