和国大戦記-偉大なるアジアの戦国物語   作:ジェロニモ.

7 / 29
西暦646年

和国・百済、両国の王となったウィジャ王は、後は新羅さえ従えさせれば、日本列島と朝鮮半島に覇を唱えることが可能となり、新羅攻略へ動きだす。反唐三国にかこまれた新羅はかつてない危機に陥ってしまった。


1話 右大臣 蘇我石川倉麻呂 
2話 ウィジャ王の野望 三国連合国
3話 ミシル
4話 新羅・高向の暗躍



第5章 ウィジャ王の野望【三国統一】

646年5月、和国の大化の改新後の体制がひと段落ついてくると、イリは和国での徴兵を終え高句麗へと戻り、唐へ和平の使者を遣わした。

 

これで熾烈を極めた唐・高句麗戦はひとまず終戦したかたちとなった。

 

しかし、イリの唐への使いは全く人を喰ったもので、貢納品などはなく美女二人を献上しただけであり、太宗皇帝はこれを受けなかった。

 

9月になり、今度は唐の太宗皇帝が「弓と服」をイリに賜ったが、当然イリは「唐の服」など贈られても喜ぶはずもなく、使者を遇せず謝恩の使も派遣しなかったため、その不遜な態度に怒った太宗皇帝は、高句麗からの朝貢を受け取らないよう命じ、再び高句麗征討の検討をはじめた。

 

 

【右大臣 蘇我石川倉麻呂】

大化の改新により、和国ウィジャ王(=孝徳天皇)の政権下で右大臣になった蘇我石川倉麻呂は、

 

(自分が蘇我氏の長者にとって代わりたい)と、

 

野心を持ち、蘇我馬子・蘇我蝦夷らと対立し続け、ウィジャ(軽王子)を対立候補として擁立して、今やっと蘇我親子打倒が叶ったことで、ウィジャ王から右大臣の地位を与えられた。

 

一方、中臣鎌足の仲介で那珂大兄王子には娘の遠智姫を嫁がせている。

 

もう1人、左大臣となった阿部内麻呂は方々へ娘を嫁がせている強か者で、ウィジャが和国へ亡命したはがりでまだ軽王子と呼ばれていた頃、娘の阿部小足姫を差出して姻戚関係となり、蘇我石川倉麻呂と共にウィジャを推していた。

 

 

【挿絵表示】

 

阿部内麻呂

 

その後、ウィジャが百済へと去ってしまい、蘇我蝦夷・入鹿親子の天下となると、時勢になびいた阿部内麻呂は今度は蘇我氏に娘を嫁がせ、蘇我蝦夷の側近となっていた。

 

生前の上宮法王が隋との戦いに敗れ、逃亡先の高句麗で寵姫の宝妃を嬰耀王に差出したように、アジアには懐妊している寵姫を託すことにより、絆を深めるという風習があり、ウィジャ王も懐妊していた寵姫・阿部妃を中臣鎌足に下賜していた。

 

しかし、普通は臣下に差し出すということ等なく、これは破格の行いで中臣鎌足は

 

「この日のことは生生忘れませぬ」と

 

感激したが、このときの『阿部妃』がウィジャ王の下もとに嫁いでいた阿部内麻呂の娘・小足姫である。

 

ウィジャ王と阿部妃の間には既に幼い「有馬王子」が生まれていたが、鎌足には阿部姫だけでなく、この有馬王子もともなわせ和国に向かわせた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

これは、和国の阿部内麻呂に対し、

 

「こちら側につくように」と

 

ウィジャ王の意図も含んでいた。

 

百済王室の王子であり、阿部内麻呂の孫でもある有馬王子を和国入りさせ、阿部内麻呂を味方につけようとした思惑どおり、

 

阿部内麻呂は鎌足のもとにいる娘と孫に頻回に会ううちに、蘇我王朝打倒の協力を承諾し、蘇我蝦夷の見張り役となって乙巳の変を成功へと導いた。

 

この一連の流れで阿部内麻呂、中臣鎌足、ウィジャ王、三者の絆は強まり、蘇我石川倉麻呂の包囲網となっていった。

 

 

蘇我石川倉麻呂は朝庭での位階受任式の後、中臣鎌足にいちから問うた。

 

 

【挿絵表示】

中臣鎌足

 

中臣鎌足は大冠錦を賜っていて、左右両大臣より上の位である。

 

 

「鎌足様、左右に大臣を置くのはかつて和国ではなかっことだ!果たして左大臣と右大臣では、どれほどの違いがあるか?」

 

「それは、図り兼ねますが、、『左が上』は確かです。」

 

「ばかな!そもそも何故、左大臣の阿部の方が、右大臣の吾より上位であるのか!和王即位に至って阿部に何の功があったというのか?礼典も違うのか!?」

 

「礼典はおなじです、、しかし、

 

石川倉麻呂殿は、まだ思い違いをされてる様だ。

 

和国の位階勲等はウィジャ王様が和王(=孝徳天皇)に即位したことの論功行賞ではござらぬ。

 

新たな『強い和国』を造る為の強化制度、

 

くれぐれもそこに私心や二心を持たぬ様に。その様に和国に仕えねばならぬ!

 

叛心を疑われば身が危うくなりますぞ、、」

 

 

「くっ、、」

 

蘇我石川倉麻呂は、奥歯に力を込め悔しがった。

 

 

【挿絵表示】

蘇我石川倉麻呂

 

そして次は自分が入鹿や蝦夷の如く警戒されている事を悟り、

吾が身の立場を改めて考え直さなければならなかった。

 

阿部内麻呂は、蘇我蝦夷側にありながら裏から協力しウィジャ王の大化の改新に功があったが、

左大臣として石川倉麻呂より上位に就くという程のことかと、石川倉麻呂の様に納得のいかぬ者共もいた。

 

阿部内麻呂の立場はもと蘇我蝦夷側の人物で、また阿部一族では高句麗宰相のイリに加担している『阿部比羅夫』にも繋がりがある。

 

和国の勢力を全て手中に収めたいウィジャ王にとって、石川倉麻呂らの新興勢力と、既存の勢力分布の均衡を考えた最善の策だったのかもしれない。

 

 

阿部内麻呂にとっては、ウィジャ王が和国王に即位すれば、和国王の外戚となり阿部妃が生んだ有馬王子・自分の血を引く孫が次期和王になる可能性が出てくる。

 

このことによって、阿部内麻呂は俄然野心に火がつけられてしまっていた。

 

ウィジャ王は野心家たちの力を均衡を計りながら利用する。

 

二人の大臣に継承権のある王子を奉戴させることで互いに対立させ臣下の力が集中することを防いだ。

 

右大臣・蘇我石川倉麻呂は那珂大兄王子を、左大臣・阿部内麻呂は有馬王子を推し、ウィジャ王の次世代には自分の擁立する王が即位することを密かに夢みている。

 

また、そのように対立させている間は、ウィジャ王に対して刃が向く可能性も幾分少なくなる。特に那珂大兄王子はウィジャに対して父・武王の敵という敵愾心を捨てずにいたから、対抗する有馬王子の存在を強くしなければ、直接ウィジャに刃を向け父・武王の敵を討ち、王座を狙おうとすることも想定された。

 

唐を背後に新羅と交戦中だったウィジャ王は、和国での権力争いや派閥争いなどを生み出している場合ではなかったので、

 

(派閥が生れる前に、逆にこちらから派閥を作り出して統制していくしかない)…

 

と、この様な諸刃のやり方を選ぶしか無かったのだ。

 

 

【挿絵表示】

ウィジャ王

 

 

【ウィジャ王の野望 三国連合国】

ウィジャ王は、蘇我石川倉麻呂と阿部内麻呂の左右二人の大臣を置くことで足元の序列を固め、和国にいまだ残存している、王家と有力部族が同列的であった古い部族連合意識を無くさせ、王家の下に、臣下との主従関係を作ろうとしていた。

 

そして、和国の構造改革の後に続く

 

「百済・高句麗・和国」

 

三国連合国家の樹立を目指し、唐と戦う大国建国への道を着々と思案しはじめている。

 

今や和国・百済の両国の王となり、高句麗にはウィジャ王の実子・宝蔵王が君臨している。

 

そして後は、新羅さえ従えさせれば朝鮮半島と日本列島に『覇』をとなえることができる。

 

大望を描くということは、

 

「東海の曾子」「孝徳の王」とまで言われたウィジャ王にとって欠かすことのできない心がまえだ。

 

王子時代のウィジャは、親唐派の栄留王によって高句麗を追われ和国へ亡命し、和国では親唐派の蘇我氏の暗殺から逃れて百済にまで渡った。

 

元々は高句麗の嬰陽王の王子だったウィジャ王が、和国・百済両国の王となった今、高句麗の権力に野心がない訳がなかった。

 

「息子の宝蔵王に命じ、イリを高句麗の宰相から外させれば、、高句麗は後はどうにでもなる」

 

ウィジャ王には、

 

「百済・和国・高句麗」三国連合国の夢は、そう遠くないように思えていた。

 

 

 

一方

 

イリは思う、

 

(血が繋がっているだけという親子よりも、 我ら義理の親子の絆は固い)

 

宝蔵王も、実父・ヴィジャ王のことは

(血が繋がっているだけの父親が今さら何だというのだ)、と、思っていた。

 

ウィジャ王が思っているほど、息子の宝蔵王は父ウィジャ王に対しての思い入れは無いのだ。

 

イリのおかげで王位についた今でも、子供時代、父親から高句麗に置き去りにされてしまった事は悔しいと感じている。

 

宝蔵王は実際、ウィジャ王より義理の息子イリとの絆を大切にしていたし、イリも実の父・高向など(たまたま父親という存在)という遠い親戚程度の関係にしかみておらず、

或いはそう捻じ曲げて自分に言い聞かせていて、義理の父・宝蔵王との絆を、自分という存在の根であるかの様に大切にしていた。

 

イリと宝蔵王親子の義理は、

 

(いざ事あれば、実父を捨てる)という、

 

心がまえがあり、

 

ただその一点だけで、ウイジャ王が望む連合国樹立への力動的均衡は既に崩れてしまっていた。

 

逆にイリもウィジャ王を警戒し、

 

高句麗をウィジャ王の思いどおりに連合させようとは、思ってない。

 

ウィジャ王の描く三国連合国にも冷やかであり、

 

(ウィジャ王についていけば、唐軍のとの戦で利用され行く末は高句麗が犠牲になるだけだ)、と

 

宝蔵王もイリも思っている。しかし、

 

ウィジャ王は、和国の統治と新羅への介入へ意識が向き、そうしたことにまだ気づいてはなかった。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

ウィジャ王の和国統治は、和韓諸国への先駆けとなる試行的取り組みである。

 

中国に統一王朝が誕生したことによって、周辺諸国は今までにない大軍に脅かされるという脅威に改めて直面するようになった。

 

高句麗、新羅、百済、和国の和韓諸国は全て部族連合国家であり、王を頂点とした統一国家と言える状態ではなく、まだ部族主権が強く根強いていた。

 

一丸となって戦うことが難しい「部族連合」体質からは一刻も早く脱却し、統一国家となり挙国一致して戦う事が、東アジアの和韓諸国が抱える共通の課題だった。

 

そして和韓統一と言う大国の樹立を目指す事も、単なる野心や征服欲だけではなく、唐賊に支配されない為には避けられない事態となっていたのだ。

 

部族長たちはそれぞれの利益と危険を考えて兵を出し、その為に派閥や軍閥が生じてしまうことで、常に一枚岩になって国が全力をあげて戦うことができず、また出兵を拒む部族は、敵側からの攪乱や切り崩しの工作を受けるかっこうの対象となっていた。

 

軍派閥は自国内にも敵を生む為、国は弱体化することが多い。

 

大国はこうした危うい過程を乗り越えてきたからこそ、大国なのであり、逆にこの様に小国を切り崩すことには長けていた。

 

唐の太宗皇帝は、李靖将軍が暴走したことをきっかけに軍改革を行い軍閥化を防ぎ、門閥(与党)貴族と寒門(野党)との均衡に常に心を配り国内の安定化を図っていて、辺境国の部族連合軍に比べ遥かに越えた次元で国をまとめ戦っていた。

 

 

まだ、和韓諸国が国内の派閥争いや隣国との衝突程度の戦で「部族連合軍」だけで生き延びることが可能だった時代は、

諸国の有力部族達それぞれが軍を率いる連合によって敵と戦い、戦いによって各部族たちが求め得るのは恩賞などでなく、

もっと直接的な部族にとっての利得のみを目的としていた。

 

時代が変わっても、和韓諸国の部族達のそうした権利意識は容易には変わらない。

 

大軍を起こして国が一丸となって戦うことのできない、

 

「乱世にはおよそ不向き」と、

 

云われる古い部族連合体質のままで、和韓諸国は乱世をむかえてしまっていたのだ。

 

古くなってしまった虚構を捨て、乱世を生き延びる新しい国家へと軸足移動できない部族や国は、滅びてしまうかもしれない。

 

百済ではウィジャ王が有力部族達の

『政事厳会議』の停止に動き、八大部族らの影響力を押さえていたが、土地制度に改革課題があり、百済37郡を有力部族らが分かっていた。

 

高句麗でも宰相イリが強引に五大部族を押さえ込んだ事で反唐に治まってはいたが、

五大部族達の私兵に対する統制権をイリが行使するだけであり、まだ抜本的な構造改革は進んでいなかった。

 

各部民が有する部族民(部民)や奴婢を1人でも多く解放し、

国に所属する国民にして田畑を与え、直接的な徴税権と徴兵権を国(王)が持たない限り「兵数は各部族が決める」と言う状況は何ら変わらないのだ。

 

高句麗は、

王族である「桂樓部」を中心に、絶奴部、肖奴部、順奴部、権奴部らに分かれそれぞれ所領と部民を有していたが、多民族系の国家である。

 

扶余族に始まり、安息族、鮮婢族等の部族らが同化し、強さと繁栄を誇った国であり、イリが少しでも油断をすれば彼らの巻き返しを受けることは明らかだった。

 

イリの味方は、彼ら有力部族から差別を受けている少数部族の靺鞨族しかいない。

 

 

和国は、

ウィジャ王(=孝徳天皇)が有力部族達の私有地・私有民を取り上げる為に大化の改新を実行し、国民の戸籍化を初めて行い「班田収受の法」という先進的な施策を試みたが、

 

新羅は、

それよりも早くから農民(国民)に土地を与え、国軍を持つということを実行していた。

 

新羅でも有力部族の力は残存し「和白会議」という部族達の決定機関がまだ残ってはいたが、

ずっと百済・高句麗に攻められ続けていた新羅では早くから兵部を設置していて、正規軍ではないが「花朗」ファランという直轄兵が配備されていた。

 

 

その一方、

 

新羅は裏では40年もの間、『ミシル』という巫女がその実権を握り続けてきていた。

 

 

【挿絵表示】

ミシル

 

新羅の王位継承は複雑で、王族や権力者の由緒は、男王の血統ではなく女性の血統により決定される。

 

ミシルは、神の血を引く血統聖母の様な存在であり、

 

ミシルを妻とする者が、男王の位につく事ができるのだ。

 

しかし、

 

先々代の王「真智王」は即位した後にミシルを裏切りミシルを皇后にしなかった為に廃位されてしまい、かわって

 

ミシルは「真平王」を王位につけ権力を握ってきた。

 

ようやくそのミシルが没し、束の間の安寧がもたらされたが、

 

後に高句麗が唐の侵攻を跳ね返して、和韓諸国が全て反唐となり、唐の臣国だった新羅は周辺諸国の猛威にさらされることになってしまった。

 

そして、今では新羅全ての有力部族達の私兵を国軍として編成しなければ防衛できないほどの危機に陥ってしまっていた。

 

 

この危機的状況で、女王側に私兵を止む無く奪われてしまって力を有さなくなった「元有力部族」達は、

 

不安に駆られ、

 

(ミシルの後継者ピダムしかいない)と、

 

ミシルの勢力を受け継いだ後継者のピダムという者を頼り派閥をつくって

「反女王派」の勢力となり、金春秋を筆頭とする「女王派」伽耶勢力の金一族と対立し、新羅を二分していった。

 

 

ピダムは司量部令という諜報活動を担っている。

 

 

【挿絵表示】

ピダム

 

ピダムも、金春秋も、お互い新羅の実力者ミシルに廃位されてしまった先々代の王「真智王」の血統同志で、王位継承権の無い王族【真骨】である。

 

真智王の孫の金春秋は、金一族の金ユシンと義兄弟となり伽耶勢力に支持されている。ミシルは祖母にあたる。

 

真智王の子のピダムは旧部族勢力に担ぎ出されていた。母がミシルでありその勢力を受け継いでいて伽耶勢力に続く勢力である。

 

 

 

【ミシル】

ミシルはただの巫女ではない。

 

新羅は自ら「神国」と名乗っている国だったが、

 

それは神の血統を保持している唯一の国であるという自負からであり、母系血統を大切に継いできたからに他ならない。

 

ミシルは祭政一致の時代から続いてきたその女王の血統であり、血統聖母の様な存在である。

 

古来より新羅の王とは、神の血を引く『神統聖母』に子種を宿す者であり、女王に伴侶として選ばれた者が王位についていた。

 

エフタル族の支配下では乱れたが、もともと新羅の前身であるシロ国から続いてきた伝統的な女系主義であり、

 

神の子孫である女性の血統を大切に守ってきたからこそ新羅が『神国』を名乗れる由縁となっていて、それだけにミシルの影響力は強かった。

 

(※男系主義では、秦国の様に宦官制をもってしても皇后が密通してしまった事があり、まだ当時は王の血統は男系主義では維持できないと言う事が自明の理だった。人間は皆、女性から生まれてくるもので、母が王統であれば父親が誰であってもその子は必ず王の血統を受けついでいる。なので、血統を神聖視する国は女系主義をとっていた)

 

巫女というより神の血を引く神統血女である。

 

「大元神統」という血統で、権力者は大元神統の純粋血統であるミシルと結ぶからこそ王となれる。ミシルと結ばなかった王が廃位されたのも当然だった。

 

 

【挿絵表示】

大元神統ミシル

 

王の血統である善徳女王と金一族、

神の血統であるミシルと部族たちの対立は、

 

影響力のあるミシルが没したことによって、

 

新羅の覇権争いという膠着を生んでいた。

 

神の血統のミシルの子ピダムが、王の血統の善徳女王と結婚し、新羅の権力を継いでゆこうとするのは当然の成り行きであった。

 

善徳女王を囲い込む様に奉戴する金一族から、

 

善徳女王を切り離してその夫になろうとするピダム、

 

善徳女王には子が無く【聖骨】という正統後継者がいなかった為に、ピダム側は殊更に善徳女王との婚姻を迫っていた。

 

 

【挿絵表示】

善徳女王

 

 

伽耶勢力は、新羅に吸収された旧任那の部族達で、新羅ではずっと差別され冷遇されてきたが、

金一族の金ユシン将軍は伽耶勢力でありながら新羅一の武将であり、新羅の防衛になくてはならない存在になっていた。金ユシンは、ファラン(花郎)と言う女王直轄兵を率いていた。

 

その為、ミシル没後は伽耶勢力側も善徳女王を奉戴し金ユシンを中心にその勢力を着々と伸ばしていた。

 

 

 

【挿絵表示】

金ユシン

 

百済に攻められる度に、金ユシンは大将軍として出陣し家に帰る間もない程戦い続けた。

 

部族らの私兵でも一軍となって新羅を守る為、戦い続けていれば金ユシンの下にも連帯感が生まれる。

 

危機回避的な緊急措置とはいえ、私兵廃止によって力を奪われた各部族達は、

 

「このまま軍部に力が集中していけば、伽耶勢力の金一族に新羅が奪われてしまうのではないか」

 

と懸念し、排除を口にする者も出始めてきた。

 

部族長らは秘密裏に集まり謀議を重ねた

 

「吾らの私兵が国軍に駆り出され久しい。なんとかしてら取り戻さねば金ユシンらを討つことも出来ぬ」、、

 

「否。それは無理だ、、今、金ユシンが国軍兵を失えば、新羅はあっという間に百済の領土になってしまうだろう。」

 

「それは分かってる。その有り様だからこそ、新羅は唐の臣国となり救援を求めてるのではないか、、」

 

「だが、唐が新羅の為に援軍をよこした事はない。新羅を高句麗との戦に駆り出すだけだ。その上、男王を立てなければ助けぬとまで言って来ている。ここは、唐の要求どおりに唐の王族から婿を頂き、唐の力で金ユシンらを打ち払うしかないのでは、、?」

 

 

、、

 

「いや、、それはいくら何でも無理だ。その様なことをすれば吾ら『神国』新羅の神統が穢れる。それに、金ユシンを討つため唐国の王を迎え入れるなど、狼を払い虎を招き入れる様なものではないか」

 

「ならば!、、男王はピダムしかない。」

 

 

 

【挿絵表示】

ピダム

 

「うむ、しかしピダムを王に擁立したとしても、どうやって唐へ冊封を願い出るかだ?今の吾らは遣唐使を送る事など出来ぬ。

 

やはりまずは、金ユシンらを倒さねばならぬ、、

 

話しが巡るがどうやって金ユシンを討つ?」

 

「唐の加護を期待せず、新たに私兵を雇い吾らだけで金ユシンを倒そう。流民や百性の中から人を集め、調練して兵士にするしかない。その分時間は掛かるが、他に手立てがない、、」

 

部族長らは、密かに金ユシンらを討つ『新たな』部族軍の編成に動きはじめた。

 

 

 

四年前、

 

新羅は、百済ウィジャ王に40余城を落とされ高句麗と百済から党頒城を攻められ唐に救援を求めたが、

 

太宗皇帝より

 

「助けて欲しければ男王を立てよ」と、

 

牡丹の絵を送られ女王を否定されて以来、

 

私兵を奪われて憤りを感じていた部族長らは、皆「反女王派」に靡き、

 

「唐からの援軍を期待する以上、女王廃位はやむを得ず」

 

との意見を声高に上げ続けてきた。

 

部族長らは、是を殊更に宮廷で言い騒ぐことで、

 

私兵を新たに雇い、地方に潜伏させ調練を密かに続けている部族軍の存在から注意をそらそうとしていた。

 

 

善徳女王を奉戴している金春秋・金ユシンらはこの女王廃位の動きは阻止しなければならなかった。

 

奉戴、、というよりは人身御供に近い扱いである。

 

「ピダム側は女王との結婚を認めぬなら女王を廃位せよと迫りくる。どうする?

 

金春秋を立太する前に廃位されてしまったら、新羅王座は大元神統へ明け渡さねばならないのか…?」

 

 

女王派の金ユシンやアルチョンらは、ピダム側の対抗手段に困っていた。

 

新羅という国は、大元神統の血統を入れなければ王位につくことは難しい。

 

もしも大元神統を入れずにその様な事をすれば、真智王の如く排除されるか、権簒奪者としての攻撃を受け新羅が内乱状態になることは必然である。

 

既に部族らが新たに兵を雇い入れ訓練し、攻撃準備をしてる疑いがあるという情報は、既に金ユシンらにも届いていた。

 

「もはや、内戦は避けられぬか、、」

 

金ユシンらは、百済側からの攻撃に曝されながら、如何に内戦にも勝利するかという難しい瀬戸際に立たされていた。

 

 

 

 

 

【高向玄里の暗躍】

高向玄里は、極東の親唐政策を担わされていたにも関わらず、息子イリの暴挙を抑えられずに、唐・高句麗戦争のきっかけとなった、栄留王殺害事件が起きてしまった。

 

以来、高向は唐に見限られ、唐の後ろ盾を失ったうえ、百済・和国・高句麗三国が反唐一色となり居場所がなくなってしまい、和国での命運もつきかけていた。

 

アジア世界最強の軍隊といわれた唐軍の進撃を高句麗が撃退して以来、三国の対唐政策は強行に転じて政治家の高向玄里の存在は必要とされなくなっていた。

 

今のところ、和国での新しい体制づくりには政治知識の豊富な高向玄里がまだ必要だったが、用が済んでしまえば、その後はどうなるかさえ分からない。

 

知識だけが必要とされ「国博士」という何の権力もない地位の高向には未来がなかった。

 

ウィジャ王(和国孝徳天皇)の元では野心を望めなくなった高向玄里は、巻き返しを謀り、親唐国の新羅を通じて唐を動かして百済へ圧力をかけ、ウィジャ王を百済へ追返そうと考えた。ウィジャ王を百済に追い払えれば、宝妃を和国女王に擁立する機会も巡ってくるかもしれない。

 

今は無力になってしまったが、高向は、

 

(上宮法王の娘である宝妃がこちら側についてる限り、なんとかなる)と、思っている。

 

646年、7月になり百済・新羅からの御調使いの使節が来和してくると、

 

高向はウィジャ王に対し、

 

「百済に中臣鎌足総督、高句麗には宝蔵王、そしてウィジャ王さまが和国の王となった今、残るは新羅を帰服させるだけです。東アジア統一のため、新羅・金一族と旧知の間柄である自分を帰服を促す使者として新羅に派遣して欲しい。」

 

と願いでた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

高向はそうした外渉と工作だけで、身を起してきた者であり、ウィジャ王は高向を使者とすることには懐疑的だったが、その分高向への要求は強くし、

 

「新羅に交渉に行く以上は必ず王族より人質を出させろ!」と厳命した。

 

そして、和国と百済、両国の王であるウィジャ王は、まず百済・任那からの和国への調使いを止め、新羅との通交を求めた。

 

ウィジャ王は、

 

「任那地方は既に百済領となった為、新羅からはもう任那と称しての和国への調使いは必要ない。」と、

 

改めてそのことを新羅王室へ伝える様に高向に命じた。

 

これは、百済が任那地方を新羅から奪って領有したことをわざわざ強調して屈辱を与えるためで、その時の戦で、大伽耶城の娘夫婦を殺されてしまった金春秋の感情を逆なでする行為でもあり、高向は難しい命令を課せられてしまった。

 

通常の使臣は、必要以外のことを伝えないが、更に要求があるときは相手国の気に障ることをわざと言うこのような心理戦が用いられた。

 

新羅に敗戦国としての意識を持たせて、和国へ人質を出させようとするウィジャ王の支配的な物言いであった。

 

高向玄里は、頭脳を巡らせ新羅へと向かう。

 




後書き

主なこれまでの参考資料
【文献】
※古代天皇家と日本正史/中丸薫
失われた日本古代皇帝の謎/斎藤忠
消された日本建国の謎/斎藤忠
盗まれた日本建国の謎/斎藤忠
西域から来た皇女/小林惠子
白村江の戦いと壬申の乱/小林惠子
興亡古代史/小林惠子
本当は恐ろしい万葉集/小林惠子
騎馬民族国家/江上波夫
遊牧騎馬民族国家/護雅夫
古代朝鮮と日本文化/金達寿
高句麗五族五部考/今西、龍
聖徳太子/梅原猛
隠された十字架/梅原猛
清張通史古代天皇と豪族
清張通史空白の世紀
項羽と劉邦/司馬遼太郎
日本人のルーツ和韓/柴田文明
人口から読む日本の歴史/鬼頭宏
古代日本ユダヤ人渡来伝説/坂東誠
言霊ホツマ/鳥居礼
ミシル/キムビョラ
高麗王若光物語/高麗文康
天皇家誕生の謎/関裕二
古代史封印された謎を解く/関裕二
古代史が解き明かす日本人の正体/関裕二

三国史記
三国史記倭人伝
旧唐書
新唐書
中国帝王図
古事記と日本の神々
図解古事記日本書紀
聖徳太子伝暦
上宮聖徳法王帝説
先代旧事本紀
神皇正統記
伽耶と古代東アジア
封印された闇の日本史
宝島別冊天智と天武

【漫画】
天智と天武/中村真理子
日本の歴史/石ノ森章太郎
天上の虹/里中満智子
日出処の天子/山岸凉子
聖徳太子/池田理代子
葦の原幻想/長岡涼子
玉響/長岡涼子

【Web】
百済人将軍てい軍の墓誌に記された日本という国名
草原から来た天皇
古代東アジア世界史年表

【韓流時代劇ドラマ】
チュモン
ケベク
淵蓋蘇文
薯童謡
風の国
鉄の王キムスロ
善得女王
剣と花
大祚榮
大王の夢
大王四神記

見るだけでも1000時間以上はかかりますが、新潟県まで行ってみて日本海に入り、高句麗からの上陸を考えてみるとかマニアックな現地考証を全国でしていますので更に時間が掛かります。

※【古代天皇家と日本正史/中丸薫】は最初に巷説の世界観に出あった本です。

中丸薫さんという方は、なんと明治天皇のお孫さんで古代天皇家について書かれてるのですが、

「日本書記が明したくなかった真実を」から始まり
「天智天皇は百済のキョギ皇子だった」など、
当時は、衝撃的な内容はがりでびっくりしました。

「明治天皇のお孫さんがこんな事を書いてしまっていいの?!」と驚きつつ、教科書では教えてくれない巷説の世界にグッと引き込まれました。


今後も歳月を掛けてゆっくり書き進めていきたいと思ってます。長い話しをお読み頂きましてありがとうございます。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。