東アジアの覇者たらんとするウィジャ王(孝徳天皇)は和国から高向玄里を新羅入りさせ圧力を強めていく。そして高向玄里の工作によって新羅で反乱が起き女王は没してしまった。反乱後、新羅の金春秋・金ユシンらはウィジャ王に百済と和国から挟撃されることを警戒し、唐と和国の二面外交を行うことを決め、ウィジャ王には恭順の態度を取りつつ、唐には百済出兵を請う使節を送ることにした。
1話 ピダムと善徳女王
2話 女王の苦悩
3話 高向玄里の新羅上陸
4話 新羅・ピダムの乱
5話 新羅・滅亡の危機
646年9月、
ウィジャ王は高向玄里を新羅へ派遣する。
新羅では度重なる百済や高句麗の侵攻に対して、もはや女王ではなく男の王を立て対抗すべきだとの声が上がり、
善徳女王側の金春秋・金ユシンら軍部と、
朝廷側の有力部族達の執行機関「和白会議」との対立が深まっていた。
【ピダムと善徳女王】
唐の太宗皇帝は「女王でなく男性の王を立てよ」と指示し
「新羅の王に唐の皇族をおくる」とまで言ってきた為、
(唐に介入にされるぐらいなら)と、
ピダムは自ら善徳女王の入り婿となって新羅の王につこうとしていた。
ピダム
ピダムは先々代の新羅王である真智王とミシルの間に生まれた子で、善徳女王の父・真平王の父である銅輪の義兄弟にあたり善徳女王とは血は近くない。
ミシルが真智王の皇后となりピダムはその皇子の地位をえていたはずだったが、
真智王はミシルの擁立により王位についた後、ミシルを皇后にはしなかった。
ミシルの従妹で同じ大元神統だが嫡系ではないチドを皇后とした。
真智王は「大元神統』という血統聖母に対しての理解が浅はかであり不遜であった。
神の血統聖母に選ばれし者が王になるのではなく、
大元神統の血統であれば煩いミシル以外の者でも、王の権限で誰でも選んで良いと思っていたようだ。
怒ったミシルは真智王を廃位に追込んで、
真智王の甥の「真平王」を即位させてしまった。
ミシル
そのため、「廃位された真智王の子」ピダムはずっと
真平王の世では日陰者として、忍ぶように生きてきた。
ミシルも真平王もなき今、陽の当たる所で自分をもっと伸ばしていきたい。ピダムが担っていた諜報組織も、影にまわる役割であり、
「今が、陰陽逆転の好機なのだ」とピダムは考えていた。
「女性の身で1人で国を治め、列強と渡り合っていくことは難しいですから、どうか私を共に新羅を支える相手として選んで下さい」
と善徳女王を説得し、
共に新羅を支える女王の夫=王の地位を望んだ。
善徳女王は、その言葉は嬉しく感じた様だが、
ピダムの申し出には答えなかった。
奥ゆかしくも情熱的な新羅の女性にとって、殿方からの求婚は女王でなくとも嬉しいものだった。
そして女王であればこそ、子を産み王統を残したいと言う思いは何よりも強くあったが、申し出に答える事は出来なかった。
善徳女王
神統の女性が認めた権力者が婿入りし、王になるという新羅の伝統的なやり方に対し、男性と女性の立場が入れかわってしまっているが、血統を継いでいくという事には変わりはない。
男王は、一度に何人もの姫を娶り、何十人もの妃に子を産んでもらうことができる。例えばウィジャ王には、
王子だけでも50人の王子がいた。
しかし、
女王はその様に一度に多数の婿をとって沢山の子を産むということはできない。
和国の女王の様に、王が変わり、夫が変わり、生涯何人もの夫を持つことはあるが、一度に婚姻を結ぶのは必ず一人だった。
一度に多数の夫を持つことができないだけに、どの相手と結ぶかは慎重にならざるを得ない。
誰かと結んでしまえば、結ばなかった勢力を失うことになり、善徳女王は国力の分散と唐の王室乗っ取りを恐れ、結局誰とも相手を決められずにいた。
乱世でなく何事も無ければ、神の子孫ピダムと王の子孫善徳女王の婚姻は有り得たかもしれない。
しかし、内戦勃発の危険をはらみ反唐国から侵攻を受けている今、金ユシンらの勢力との対立は新羅を崩壊させかねなかった。
操り人形の様にすえられた善徳女王であったとしても、国を守る為の苦悩はある。
新羅に殉じる純粋な心がまえと、
純粋血統である聖骨として子を産み王統の子孫を残したいと言う気持ちと、
その相手が例え金ユシンでもピダムでも、新羅と言う国の為なら厭わないと言う覚悟はあった。
しかし、金ユシン自身は王位には興味がなく、金一族の血統聖母である金ユシンの妹らに子を産ませ、金一族の王統を残す事しか考えて無い男だった。
その男が、善徳女王の身近で直轄兵のファランを率いてるので、容易に子など産める状況ではなかった。
【女王の苦悩】
「戦さえ無ければ、、」
善徳女王は一人呟く。
ピダムを王として選び、自身はその女王となり、
子をもうけてみたいと言う思いは叶わぬ思いであり、
その様な事を金ユシンが認めるはずもなかった。
そして
金ユシンは、戦争中の新羅にとって軍事的に必要な存在であり、金ユシンと反目するピダムと結んでしまえば、全てを失う可能性もあり、決して望んではならない事だった。
「国をまとめる為には、別れた王統と神統の血統を再び和合させるしか方法が無いのだ」と、
ピダム側との婚姻合併を思いつつも、
善徳女王は何もできずにいた。が、
その心は何処にあったのだろうか。
善徳女王
そもそも、聖骨の女性とは斎宮のように(斎宮=部族の繁栄の為、宮に入り神に使える巫女)未婚のまま生涯を神に捧げる様な存在である。
善徳女王は婚姻が叶わぬならば、結局誰とも結ばず生涯独身を貫き、新羅の伴侶であろうとしていた。
そして、仏教に傾倒していった。
竜宮の南の『皇龍寺』にアジア世界を模した「九重塔」を建立して、争いから身をかわすかの様に斎宮の如く引きこもり、周辺国の侵攻を鎮め新羅の民が安祥であるようにと慈しみの祈りを捧げ続けていた。
仏教に傾倒、、と言うより
後ろ立てだったのかもしれない。
新羅が仏教を導入して以来、仏教国化は最高頂となり九重の塔はその権勢の象徴になっていた。
和国でも神道勢力と仏教勢力の対立があった如く
新羅の古来からの『神統勢力』と、
新興の『仏教勢力』の対立はそのまま
宮殿側のミシル・ピダム、部族連合陣営
対
寺院側の金ユシン・善徳女王、伽耶部族
の対立でもあった。
その様なとき、新羅に渡ってきた高向は、この状況を利用し少しでも有利な工作を行って失態を雪ごうとやっきになっていた。
※6世紀、エフタル族の真興王(元・和国宣化天皇)に新羅が支配され、真興王は宮を仏教寺院に変えてしまい仏教国化による建国を行った。
以来120年、中国の都「洛陽」の構造を取り入れ龍宮の南に建立された【皇龍寺】は、仏教国王都の中心となっていった。
仏教の開祖ブッダはマガダ国の王子として生まれたが、ブッダがもしも国を棄てて出家せずそのまま国にあれば
「転輪聖王」と言う天下の全てを統治する理想的な王になっていたと言う。
真興王はこの故事にちなみ、自らを『転輪聖王』と名乗り、
王子達には輪王の名である「鉄輪」「銅輪」と名付け、寺院内に「輪宝」の継承儀礼を行う三光堂も建立した。
孫の善徳女王にも「トンマン」と言う仏教名を名付け、トンマンの父真平王は、ブッダの父・白浄、母はブッダの母・マヤと言う名で、王族は全てブッダの一族の名前で徹底している。
王即ち仏であり、
王宮を寺院に変えてまでも強力に仏教国化をはかったのは、
古来からの神統勢力に対抗する為である。
この時代の仏教は単なる宗教ではない、古い宗教勢力を駆逐する為の宗教政策であり、治国の為の仏教国化で王権強化を目的としている。
この新羅の仏教故事を使ったやり方は、その後中国(唐)の則天皇帝も取り入れ、同じ経典を使い自ら「弥勒菩薩」の生まれ変わりとして、
古来からの中国の「道教」は仏教より席次は後であるとした「仏先道後」を定めた。
遅れて 日本でも、
奈良仏教勢力が、神道の天皇は仏教の法王より位が下であるとして、
天皇に自ら仏教の下僕である事を宣言させ、天皇の王権を譲れと迫るほどになった。王権譲位には至らなかったが、
「神道の神とは 仏教神の化身である」とされ、神仏習合という神道が仏教の配下に置かれる時代にいたった。
新羅の仏教国としての立ち回りは、アジア世界の先駆けであり
新興の仏教勢力と金ユシンら武闘派の新興勢力が結びつき、
かつてより新羅を支えてきた部族長や神統派の勢力らは、ミシルなき後は大いに力を失いつつあった。
【高向玄里の新羅上陸】
高向玄里
新羅入りした高向は、王都ソラボル(韓国ソウル)で正式な挨拶を済ませる前に、まず新羅の金一族のもとへと立ち寄った。
何か政治工作を企むときの高向の行動は早い。
高向玄里は旧知の間柄である、金ユシンの館へ案内されたが、そこには高向によって夫のイリを高句麗へと連れ去られてしまった鏡宝姫とその息子・法敏がいた。
高向にとって法敏は孫であるが、長じてからはこの時初めて対面する。
離別以来である。
「大きくなった」と、笑みを浮かべ高向は、
心にもない言葉をかけながら法敏の人相を素早く読み取り、政治的利用の選択肢を考えていた。
息子であるイリはもはや思うままにならない為、今度は孫である法敏を如何に使うかに高向の関心は絞られている。
高向は、一本気で真面目そうな若者に、息子イリの懐柔を委ねることにした。
金法敏
(イリの実子・金春秋の養子)
高句麗に金春秋が軟禁されたとき、密かに金春秋がイリの息子・法敏を養育していることを伝えて放免されたように、イリにとっては息子・法敏は家族というものをはじめて感じることができた大切な存在であり、イリの猛々しく冷徹な武威の内側にある唯一のぬくもりである。
高向は法敏に、自分が祖父であることを伝えた。
法敏は驚いたが、高向玄理に対しては和国にいる遠い親戚のような感覚であり、まだ実感は沸かない。
和国からの使節である高向に対しては、
(さすが、金一族だ…)
と、思った。
和国にも金一族の里がいくつかあり、金一族は新羅だけでなく、和国にも隠然とした勢力があるということは少年ながらおぼろげに理解していた。
和国から来た高向の存在は、改めてその片鱗を見せられたようで、金一族の奥行きのように感じていた。
その後、高向は
金ユシン、金春秋らと密議をはじめると、
おもむろに
「法敏を正式に金春秋様の跡継ぎとして、イリをこちら側につけましょう」
と、提案を切り出した。
金春秋は、ウィジャ王に娘夫婦を殺されて以来、その恨みが先に立っている。
「ウィジャ王側についているイリをこちらの味方にできるのであれば」と、前のめりで食いつく。
いまや和韓諸国のみならず、大国唐でさえイリの武威には一目置いている。イリと高句麗の武力を後方支援に置けるのならば、優位このうえない。
金春秋も新羅の王族である。実子の法敏を金春秋の養子(元子)とすることは、イリにとっても悪いことではない。
新羅女王にもしものことがあれば、継承権のある聖骨がいない為、金春秋かピダムによって王位が争われ、また唐から使わされた唐の王族が新羅王位につく可能性もあった。
イリの実子・金法敏の養父『金春秋』、ミシルの子『ピダム』、唐の王族、三つの勢力で新羅の王統が争われるのであれば、
イリとしては全力で金春秋の擁立を支援したいはずである。
また法敏を金春秋の後継者としてイリから離しておくことは、体の良い人質にもなる。以前、金春秋が高句麗に軟禁されてしまった時も、法敏を引き合いに出し解放へとつながったのだ。
高向の考えは、和韓連合国の新たな構想へと進んでいく。
孫の法敏と金一族を使い新羅を制し、法敏を皇太子とすることで息子イリを抑え、新羅と高句麗の力を背景に和国へ圧力をかけて、宝妃を和国女王に擁立し、自分はそれを傀儡として実権をにぎる。
(ウィジャ王さえ百済に追い払えば、不可能ではない)・・・
ウィジャ王が夢見る「三国連合国」とはまったく異質の、
「新羅・高句麗・和国」の三国連合国が、高向の頭の中にふつふつと沸きあがった。
高向の孫・金法敏の新羅、
高向の息子・イリの高句麗、
高向の元妻・宝皇妃の和国、
やりようによっては、それぞれの権力に手が届くつもりでいる。
(まずは法敏をこちら側にしっかりと、つながなければならない)
金法敏
高向は、周到に法敏との距離を詰めていった。
法敏と話す毎に、隋と唐、高句麗、和国の様子など新羅では耳にすることの無い様なアジアの出来事を度々、語った。国際政治家として大陸を奔走してきた高向の遊舌に、思春期の一本気な少年は夢中になっていった。
高向玄里には、あまり家族に対する境界線というものが無く、子供や妻も、自分とは別個の独立した人格を持つ存在だということを尊重せず、自分の手足か道具くらいにしか考えてない。
自分の野望の為に、
「手足や道具をどの様に動かすか」
といった具合で考えて、粛々とそれを実行する。
突厥族などの、寵愛している妻を相手に差し出すという習慣は、最も大切な人をおくるという意味であり、大切な存在であればあるほど相手への畏敬をしめしている。
しかし、高向玄里はそうした大切な意識さえ踏みにじるかの様に、何の思い入れも感じずにいともたやすく己の野心のために家族を使う。
高向は、新たな切り札である法敏を掌に乗せ、
邪魔者であるピダムの追い落としにかかった。
※高向玄里の孫=法敏、後の新羅文武王・和国文武天皇
※高向玄里の子=イリ、高句麗宰相・後の和国天武天皇
※高向玄里の元妻=宝皇妃、上宮王家嫡流、百済武王妃・後の和国斉明天皇
【新羅・ピダムの乱】
高向玄里は根回しを終え、ようやく和国ウィジャ王(孝徳天皇)からの使者として『王都ソラボル』の宮廷に参内した。
宮中の群臣らは固唾を飲み、
水をうった様に静まりかえっていた。
玉座には、善徳女王が菩薩の様に静かに坐っている。
新羅に対し、開口一番
「任那地方はもう百済領となった為、新羅から任那と称しての和国への調使いは必要ない。」
という口上を伝えた。
高向玄里
そして、新羅との通交を求め、
「新羅が和国へと帰服し、和国のウィジャ王のもとへ女王様が参るならば、新羅を攻撃せずに和平を結ぶ!」
と言い放った。
この強気な口上には、金春秋だけでなく宮廷中が反発し、列っしている諸臣からは怒号が溢れる。
、、高向は
「ならば!女王様に変わって金春秋が参行することです!」と
続けたが、
「たとえ和国と百済から挟撃を受ける事になろうとも、是は受け入れざること!」という主戦派と、
「唐との関係はさておき、和国にも帰服の使者をおくるべきだろう」という穏健派で
意見が分かれて収拾がつかなくなってしまった。
穏健派といえば、平和主義者の様に聞こえるが、この場合は、戦の為に私有民や私兵を犠牲にされたくない非戦派の部族達である。
部族長らはそもそも、女王の存在にも肯定的ではない。
「女王派の実力者の金春秋が和国に人質に、、」
という事はこれ幸いであり、天下の蒼生や国の勝ち負けよりも、目の前にせまる女王派の圧力により部族の存亡がかかっている。
「聞けば、和国の大化の改新とやらでは、私兵を差し出すと本領安堵で民は与えられ、その上新たな官職と地位が保障されるというぞ!」
「新羅の様に、なんの保障もなくただ私兵を奪うだけでは、吾らに死ねということではないか!」
と、ピダムを担いでいた部族達の間では、和国の使者によって更に女王に対する怒りが高まってきた。
ピダムは金ユシン・金春秋と反目していたが、元々は女王側についていた者である。
以前、善徳女王が病で倒れた時、ピダムは傍にあって、
「和白会議の部族との対立は負担が大きすぎます、私が女王に代わって和白会議を制止します」
と、女王に提言した。
ピダム
善徳女王は、新羅を支えるためにピダムとも、他の誰とも結婚する気はなかったが、そうした役割であればとピダムの案を容れた。
ピダムは、直ぐに女王の夫になることはあきらめて、女王派の有力者として信頼を得ようとしていた。
そして、女王に対しての信義に基づく誓約を誓い、上大臣の位を与えられ、部族達の決定機関「和白会議」首座に就任した。
ところが、女王に代わって各部族らを抑える為に和白会議の首座に就いたはずのピダムだったが、今では女王を裏切り、部族達におされるままに旗頭となって女王の退陣を要求するようになってしまった。
これには、女王からピダムを切り離そうとする高向玄里の暗躍が早くも働いていた。
ピダムが和白会議に就いた時には既に
『女主不能善理』(女王では国は治められない)と、
金春秋・金ユシンの傀儡となりつつある女王を廃し、唐の要求に応え男王を即位させ、唐に援軍を請うべきだという「反女王派」の意見が強かった。
そこで高向玄里は、
ピダムが唐と女王排除の密約をかわしている密書を偽造し、女王の目に触れるように画策した。
唐の密書の偽造は、長年唐の手先となって策謀に動いていた高向にしかできない。
高向玄里にとって、善徳女王は法敏のいる金春秋、金ユシンの側で無ければならず、絶対にピダムを近づける訳にはいかなかった。
高向の離間策は見事に成功し、ピダムが唐の女王排除に協力するとした密書は善徳女王の知るところとなって、女王側はピダムに対し疑心暗鬼になっていった。
そして、疑われたピダムは善徳女王から遠ざけられてしまい、
「もはやこれまで、」と、女王を見かぎって
女王廃位の強行策に転じて自らが王位に就こうと考えはじめていた。
高向玄里は唐の使者として新羅に立ち寄った事があり、新羅ではまだ代理としての表見が残っていた為、ピダム側の朝廷部族らに対してもその様に振る舞い、
「唐の実力者・長孫無己氏を通じて、ピダム王位の冊封を働きかける」などと騙して、王位奪還の火種をたきつけていった。
「高向王の言うことを、そのまま信じて良いものか、、」
「確かに謎多き者、、だが、信じるも信じぬもない!吾らは唐に繋がりを持ってなく、遣唐使を送ることも出来ないのだ。絶妙な機会に現れた唯一の唐との繋がりだ。例え偽りであったとしても、吾らはピダムを王に立てる以外に道はないのだ、、」
部族長らは、
高向の言葉に懐疑しつつもピダムを擁立し唐の冊封を受けんとする策には飛びついた。
不満がくすぶっていたピダム側の部族達は、廉宗らを中心にピダムを担ぎ上げ、女王廃位を強行に訴えるようになった。
ピダム自身は、まだ強行には慎重であり、新羅の力が二分され国力が失なわれる事を憂慮していたが、高向に煽動された部族達の勢いは、ピダムにも抑えが効かないほど過激になっていった。
一方で、高向玄里は、
「ピダムは強引にでも善徳女王の夫となり、王位につくことを狙っている」「善徳女王はピダムの子を宿した」などと
流言を流し、
女王派の金春秋・金ユシンらを慌てさせた。
ピダムの存在をいよいよ警戒しはじめた金春秋らは、ピダムを野心を押さえる為、女王の皇太子を擁立することにし、急遽善徳女王の妹である聖骨の真徳妃を皇太子にしようと動き始めていった。
新羅の金一族の権勢にあやかろうとする高向は、ともかくピダムが邪魔であり、和国ウィジャ王の圧力で反応する部族もろとも片付けるつもりでいた。野望の為には犠牲を払ってでも邪魔もの共を破砕し、金一族の権威を不動のものにしなければならない。
エフタル族の真興王(宣化将軍)に攻め滅ぼされ任那が新羅の領土となって以来、金一族をはじめ任那地方出身の伽耶部族達は、新羅の中で、差別され弾圧され、冷遇され続けてきた。
新羅エフタル族の真興王(宣化将軍)没後のエフタル政権は次第に弱まり、今では将軍・金ユシンの戦闘力なくして新羅国境の防衛は敵わず、新羅の危機は金一族が武力で新羅の実権を握る好機となった。そして、善徳女王を推戴するようになり金一族を筆頭とする旧任那の伽耶部族たちはようやく力を盛り返してきていた。
この状況に対し、任那を領有していたウィジャ王は、伽耶部族に向け、
「新羅王室につき我らに攻められるのが良いか、我ら側につき任那へ返り咲くのが良いか選べ」
と、高向玄里を通して強気な働きかけをしてきた。
新羅は、百済、高句麗が当面の敵だったが、百済のウィジャ王が和国王(孝徳天皇)となってしまったことで、新たな挟撃の脅威にさらされている。過激な言葉に実効性が無いわけではなかった。更に
ウィジャ王は、伽耶部族に対して、
「80年間、伽耶部族達は新羅王室に不遇に扱われてきた。差別され、不当な税を新羅王室に搾取されてきた。それを新羅王室に代わって伽耶部族たちに還すので、いま任那地方を望むのなら和国に参向するように。」
と、任那を餌に促す。
任那出身の部族らは、もはや任那の地を失った新羅の部族ではなく、任那のある百済・和国側の部族となれということである。
ウィジャ王は任那地方を領有したことで高向を使って任那出身の伽耶部族らを押さえ、新羅へ匕首をつきつけるつもりでいた。
ところが、高向玄里は既に金一族側につき、内心ウィジャ王を裏切っていた。
金春秋も、ウィジャ王の強気な要求に更に憎しみは増し、イリの息子・法敏を跡取りとしてでもイリとつながりを強めて、ウィジャ王に復讐する気になっている。
(任那地方はウィジャ王に与えて貰わずとも、新羅を制し唐の後方支援を受け奪い取る)
と、高向は思っていたが、
表面的にはウィジャ王には逆らわずに、言われるままに動いてみせた。
高向は、ウィジャ王の思惑どおり、さらに混乱を激化させるための工作を双方へ次々と行っていく。
新羅は百済・高句麗と交戦中で、常に国境に兵を配備し続けなければならず、とても大きな内乱を起せる様な状態ではなかったが、ウィジャ王は百済との国境地帯を切り取るのはここぞとばかりに、内戦を煽って国境の兵を首都ソラボルに集めようと躍起になって、新羅に滞在中の高向に矢継ぎ早に指令を送っていた。
ピダムも、金春秋ら女王派が真徳妃を皇太子にしようとしていることに怒り、女王側の金春秋らとピダムとはもはや抜き差しならない不和となってしまった。
ピダムに対し、力づくでの王位簒奪を勧める部族長らも増え、ウイジャ王の望む大乱が内部で起きつつあった。
高向の企みは、百済和国・両国の王となったウィジャ王からの圧力を利用し、新羅の部族らに反発させて一気にピダムと部族どもを叩いてしまおうというところにある。
ピダム側の部族の反発は、危険なことではあるが、
高向は、
(弱体化した部族どもに勝ち目はない)と、
思っていた。そして、
「勝てる」と思わせ、ピダム側の部族らが挙兵を考えるまで煽動を続けてきた。
ピダムは容易に反乱など起こすような者ではなかったが、行き詰まった部族長達を煽動することでようやく火の手が上がりつつあった。
国際人の高向には、母国と呼べるほどの国がなく、全てが他国であり工作には容赦がない。
高向は漢王室の末裔であり、漢が母国と呼べるかもしれないが、いずれにしても漢王朝は遥か昔に滅んでしまい存在しない。
高向にとって、新羅も高句麗も他国の一つでしかなく、企んだ動乱が失敗し国がどうなろうとも、結果的に自分の命さえ助かっていればよいのである。
そして、いよいよ百済からはウィジャ王の内臣・中臣鎌足総督が王命を受け新羅入りしてきた。
中臣鎌足も、
「ピダムを裏から支援する」と
反女王派の朝廷部族側にもちかけ接近する。
ここで、高向玄里は部族側から下がり、
金春秋側へと身を寄せ真徳妃の立太子に動いた。
鎌足の内政干渉によって、新羅王都ソラボルは混乱し沸騰しはじめた。
百済総督【中臣鎌足】(百済名=沙宅チジョク)
647年正月、ついに
宮廷にて女王派による真徳妃の立太子礼が行われた。
これを認めない反女王派のピダム側部族らは、参内せず
一斉に挙兵し実力行使に出る。
私兵廃止により、憤っていた部族達は新たに集めた兵で立ち上がり、
「女王に任せていては新羅は守れない!」と、
女王の廃位をを訴え、大徳山に陣をおき王都ソラボルの女王の居る月城へ兵を向けた。
緒戦は陽動作戦で、反女王派のピダム側が勝ったが、女王側の金春秋・金ユシンらは夜襲で反撃、翌朝には決着がついていた。
所詮、千軍万馬の勇将・金ユシンの敵ではなく、ピダムは処刑され善徳女王もこの戦の中、命を落とした。
長期化せずに決着がついた為、ウィジャ王が望んだほどの内戦もなく国力を大きく削がれるには至らず、反女王派の部族側が負けたことによって、新羅の古い部族体質は瓦解した。
ピダムは何に絡めとられたのかも分からず、部族達に担がれるままに反乱を起こしたが、結果的には高向玄里の企みどおりピダムらを排除する陰謀は成功した。
新羅の趨勢は金一族に傾き、金ユシン金春秋らは傀儡となる皇太子に立太したばかりの真徳妃を王位につけた。
落命した善徳女王は、一刻も早く内乱を終わらせる為に自ら死地へ向かったとも言われる。
善徳女王を奉戴し続け国軍を率いる金ユシンらと
善徳女王を廃し王位を望むピダムらと、
覇権争いをする男達に挟まれ、内戦の勃発に苦悩した女王は、その争いの元凶である自分の存在を無くすことが、唯一できた解決だったのかもかもしれない。
ピダムと戦いたくはなかったが、我が身はその矛先にある。
そして、ピダムに殺されたくもなかった。
(平和が叶わぬなら、、)
平和の為にと、潔く金ユシンらに
奉戴されていた善徳女王だったが
皇太子の妹のことは、
その後の運命に託し、
新羅が内乱により国力が失われること、新羅人同士で戦い民の命が失われていくことを、命をかけても止めようとするしかなかった。
よほどの暴君でない限り「王」という地位につき民を守ろうと考えない者はいない。
ましてや、新羅において女王とは「国母」と言うべき存在である。どこまでも平和を願い、
母が子にできる事は少なくとも、戦う男達に挟まれながら
女王はひとつの悲しい選択をした。
女王を利用しようとした男達の中で、筋の通った
彼女の優しい思いに、気づいた者はどれほどいたのだろうか。
【新羅滅亡の危機】
647年ピダムの乱の後、
新羅は唐に善徳女王が崩御し、真徳女王が即位したことを伝える使節を唐に送らねばならなかった。
女王派が勝利し、新羅は古い部族連合体質から脱却して王を頂点とし挙国一致した統一国家への道を進んでいく事になる。
和国の大化の改新に続き、部族連合国家から統一国家への道が開けた二国目の国となる。
この後、部族連合から統一国家への道を開く事が出来なかった百済と高句麗は滅び、新羅と和国だけが生き延びて行く事になる。
真徳女王の新政権は、ピダム派(旧ミシル派)の部族らが一掃され、金春秋宰相、金ユシン大将軍、そして古くからの女王派の中核であったアルチョン大臣らの新体制となっていた。
真徳女王は彼らの傀儡であり、女王が即位したばかりの新羅政権は、目の前の危機の対応に追われている。
「今は、二面外交しかありません。金春秋様が和国のウィジャ王のもとへ上洛し帰順の姿勢を見せるべきです。」と、
高向玄里が、結論から述べた。
金春秋、金ユシン、そして女王派のアルチョン大臣も卓を囲みその場に座っている。
アルチョンは高向の存在は面白くはなかったが、金春秋の独断も癪にさわるので、高向の意見も入れる為に真剣に話しをきいている。高向との密議は、高向が唐から和国への使者を伴い新羅に立ち寄り和国蘇我政権と唐との仲介を担った時以来である。
唐に身限られた高向玄里が、今も果たして親唐なのかは分からないが、少なくとも唐の臣国である新羅の方が唐の手先として動いていた高向には馴染みがあり、唐の出方が分かる高向にとってくみしやすかった。
先年、新羅は太宗皇帝に命じられ唐の高句麗攻めに参戦したがその際に百済からの攻撃を受けて城を奪われてしまっていた。
しかし唐は、高句麗を滅ぼしたいのであって、新羅を助ける為に百済を攻めるということはない。
救援を求めたところでまた
「唐の皇族をおくるので女王でなく男王をたてよ」と、介入の機会を狙ってくるだけである。
しかし、今これ以上、領土を切り取られたら新羅は消滅してしまう。唐と高句麗の戦よりも、なんとしても百済と和国の侵攻を防がなければならない逼迫した局面であった。
和国のウィジャ王は間もなく大化の改新を終えて、和軍を動かしてくるかもしれない。もしも今、両国からの挟撃を受ければ、唐が高句麗を滅ぼすより前に、新羅は跡形もなく無くなってしまうであろう。唐の後ろ盾は必要だが、今は百済と和国からの挟撃だけは回避しなければならず、例え二面外交であろうとも、和国のウィジャ王のもとへの参向もやむを得ないだろうと、皆、内心では思っている。
何れにせよ面従腹背である。
「唐の高句麗攻めに協力させられ、その隙に百済に城を奪われてしまった。唐は吾らを利用するだけで、助けようとはしない」、、
「そもそも、唐へ救援を求めようにも交通路は押さえられ使節の派遣さえままならないではないか・・・」
アルチョン大臣は嘆く。
新羅の北西の党項城は、唐と結ぶ航路の要所だったが、新羅を攻めない事と引き換えに通交の制限がされていた。南の任那地方も海路で唐へ向かうための要所だったが、既に奪われてしまっていて、唐との通交は分断され、新羅は百済・高句麗・和国に封じ込まれてしまっているような有様だった。
「それに、、和国への参向も安全ということでもないだろう・・・」
参向するべきといわれている金春秋は、頭では状況はわかっていても、不安が勝っている。
蘇我政権の頃の和国は、新羅と協力関係にあったが、百済のウィジャ王が和国王となった今では、はっきりと事情が違う。和国は新羅の敵国なのだ。
「ここは軍王とまで言われる強者のイリに協力を頼むしかないでしょう」と、高向は言い切る。
実力者イリは、ウィジャ王に野心を利用され協力してきたが、和国では不遇な扱いを受けて不満が鬱積している。那珂大兄王子の義妹・額田文姫を嫁にしたが、まだまだイリの立場は弱い。法敏を呼び水にして、和国から新羅側に乗り換えさせる余地はある。
「イリの実子・法敏を新羅の皇太子にしてでも、こちら側にイリを引き込み金春秋様に協力させるべきです。法敏が新羅にいることを好機ととらえた、最後の手段です。」
高向のあからさまなこの言い様に、
「法敏は、お前の孫でもあるな。それが最後の手段か」と、アルチョン大臣は不機嫌に口を挟む。
「しかし、イリと結ぶのは今しかありません。イリは、幸い高句麗にいます。法敏を後継者とすることでイリを味方にし、和国での金春秋様の安全を図ることと、唐に使節を送る時に高句麗からも安全を図って貰うよう協力を頼むべきです。」
高向の説得に、
(そんな話しができる訳がない)、と、金春秋とアルチョン大臣は思っていた、
それではイリに新羅を差し出すようなものである。
「吾が話しにゆく」、
金ユシンが口を開いた。
「和国には上洛するにしても、まず唐へ使節を送らなければならない。真徳女王の即位の報告と共に、極東の窮状を伝えてなんとか唐に出兵して貰い、唐の出兵と同時進行で和国へ向かってウィジャ王を牽制してみてはどうであろう。」
ウィジャ王が強気なのは、百済・和国だけでなくイリや宝蔵王ら高句麗勢力が背後に控えているからであり、イリをこちら側に引き込めば高句麗を押さえるだけでなく、力動均衡は逆転して、ウィジャ王の強気も押さえられるかもしれない。その上、唐の出兵を背後にして来和すれば、強気なウィジャ王も目の前の金春秋の扱いを無碍にはできないであろうということである。
皆、固唾を飲み金ユシンの言葉に耳を傾ける。
「吾らは、イリに助けを求めようとも、唐に助けを求めようとも、引きかえに新羅を奪われてしまうようなことは絶対に避けねばなるまい。」
「高句麗の様に今の新羅が、唐の侵攻を跳ね返すことが出来るか?」
「否だ。だが、高句麗のイリの侵攻を跳ね返すことはできる。イリの戦闘力は強いが吾が、勝てないということはない。三国同時に攻められれば吾にもどうにもできないが、個々に兵を率いて討てれば必ず勝つ。イリに協力を求めようとも、吾の目の黒いうちは決して新羅をイリの好きな様にはさせない。」
イリが新羅で修業していた頃も、ファランの中では敵う者はいなかったが、金ユシンだけには絶対に勝つことができなかった。金ユシンの言葉は誇張された大口だけではなく、イリと立ち合った中での見切りが感じられた。
法敏を餌にイリと結ぶことで、イリだけでなく高向の影響力も増すであろうことは懸念されたが、新羅は進退両難の局面であり、結局、唐に使臣を送り出兵を請うと共に、和国のウィジャ王にも表向きは従い、二面外交を続けながら、その間に唐や高句麗のイリとの関係を強化するという方針が決定した。
高向玄里は、新羅を通じ、
「朝鮮半島から日本列島までがウィジャ王の体制下に置かれつつあり、和韓統一の危機的状況にある」
ということを唐国に訴え出て、なんとかウィジャ王を百済へ追い返したいと思っていた。
高向は、新羅の唐使節団への同行を頼んだが、それは新羅とっても高向にとっても危険なことでありできないと断られてしまう。唐は、高向に親唐工作を任せていたが、高向の失敗は到底許されることではなく、高向の存在自体に危険が及ぶと共に、高向を同行させた新羅に対しても不快感を持たれることになる。
使節団は、なんとしても唐の援護をとりつけ、善徳女王崩御と真徳女王の即位を伝えると共に、窮状を訴えて百済出兵の援軍を請うという使命をもって出立することになった。
唐への使節団の出立前に、金ユシンと高向は、新羅との国境地帯に密かに酒宴の場を設け、イリを呼び出すことにした。
イリの息子・法敏を正式に金春秋の跡継ぎにして金一族の筆頭としていくことと引きかえに、協力を求めるための交渉の場である。これによりイリは、高句麗の宝蔵王や和国王室の額田文姫だけでなく、新羅王室ともつながりを持つことになる。
背景となる血族集団がいないイリにとっては、決して悪い話しではない。
当然、イリが強力になりすぎる恐れもあったが、金ユシンの心中にはイリに対する恐れは一切なかった。
国境地帯へは、金ユシン一人で向かうことにした。
唐の太宗皇帝の言葉すら平然と撥ねてのけてしまうイリに対して、物言いができるのは、広大なアジア天下に金ユシンしかいない。
乱世に裏切りはつきものとは言え、反唐の血が濃いイリをウィジャ王側から切り離し、新羅と密約をかわすなど不可能なことのようにも思えた。
しかし、今の新羅の置かれた状況では、何もせずに守勢を保っているだけでは危険だった。
金ユシンは、新羅と高句麗の国境地帯で会盟しようという密使を、高句麗のイリの元へと送った。
参考文献
キム・ビョラ「ミシル」早川文庫
金富軾・他「三国史記」東洋文庫
李恩碩「皇龍寺建立と運営に関する考察」国立羅州文化財研究所(2024)
陳蕾「新羅善徳・真徳女王の即位条件に関する考察」則天皇帝との比較を中心に(2024)
崔淙鯣「弥勒信仰の新羅的受容と変容」韓国金剛大学
田中俊明「新羅の龍神・龍王」なみはや歴史講座(2019)
他
ドラマ「善徳女王」