雪ノ下陽乃は完璧な女性である。
容姿、家柄、能力、理由をあげればキリがないだろう。多少性格に難があるかもしれないが、彼女はそうしようと思えばいくらでも好意的になれたし、その強化外骨格を見破れる者はほとんどいない。
改めて、結論を言おう。
雪ノ下陽乃は完璧な女性である。
「もう比企谷君に熱々のおでんを食べさせる以外ないわ」
しかしそんな陽乃をして、妹である雪ノ下雪乃の発言は不可解であった。
「ごめんね、雪乃ちゃん。意味が分からない」
「はぁ……。姉さん、こんな時までからかうのはやめてちょうだい。私は恥を忍んで姉さんに相談してるのよ? 誠意には誠意で返すのが当たり前ではなくて」
「うん。私も誠意で返したいとは思ってるんだよ。でもね、本当に意味が分からないの。順を追って話してくれるかな?」
「ふふん。私に話して欲しいの? それはつまり、私に教えをこうと言うことね、姉さん」
雪乃は踏ん反り返って、陽乃を見下した。
「それじゃあさようなら、雪乃ちゃん。出口はあっちだよ」
「待って。待ちなさい。待ってください。私が悪かったわ、姉さん」
「あのね、雪乃ちゃん。お姉ちゃんもそんなに暇じゃないんだよ? 早く要件を言ってくれるかな」
「ええ、ええ。姉さんは私と違って友達が大勢いるものね。さぞかし忙しい事でしょう」
「……どうしてそんなに卑屈なの、雪乃ちゃん?」
「ごめんなさいね。確かに良くない態度だったわ。でもそれは、私が切羽詰まってる事への裏返しでもあるのよ」
「メンドくさい裏返り方するねー」
「嫌だわ、姉さん。そんなに褒めないでちょうだい」
「褒めてない。全然褒めてないわ」
「ふふん」
「ドヤ顔をしない」
「へへん」
「三下の笑い方をしない」
はぁ……。
陽乃はまた一つため息をついた。
高校生時代。
本物がどうとか言っていた頃は、こんな子じゃなかったはずだ。
いつからだろう、こんな子になってしまったのは。
大学に行って、社会人になって……その頃には家族にも折り合いがついて、雪乃は丸くなった。昔は決して仲が良いとは言えなかった雪ノ下姉妹も、今ではこうしてお互いの家に気軽に遊びに行く仲だ。
これはずっと側についていてくれた、由比ヶ浜結衣のおかげもあるだろう。
ちなみに結衣も丸くなった。
主に体系的な意味で。
「まあ聞きなさい、姉さん」
「さっきからずっと聞いてるわ、妹さん」
「こないだ私はテレビを観てたのよ。あっ、姉さんはテレビは知ってるかしら? 正式名称をテレビジョンというのだけれど」
「雪乃ちゃんは私をどれだけ無知だと思ってるのかな?」
「私はつい先週テレビの存在を知ったのだけれど……」
「5秒でバレる嘘をつかない」
「それで、テレビで言ってたのよ。想い人をゲッドするには、胃袋から攻めるのだと」
「まあ良く聞く話ね」
「私は思ったわ」
「なにを?」
雪乃は一拍貯めて、一息で言った。
「もう比企谷君に熱々のおでんを食べさせる以外ないわ」
陽乃は一拍も溜めずに、ため息をついた。
「はあ……。まだ彼の事が好きなの?」
「当たり前よ。私は未来永劫、彼のことを愛し続けるわ。例え来世が訪れても」
「重い。重いわ雪乃ちゃん」
「それだけ想ってるという事よ」
「上手い事を言わない」
「姉さんも知っての通り、私は料理が得意だわ」
「そうね」
「だからおでんもとても上手く作れます。ただ、比企谷君に食べさせる機会がないのよ」
「それでウチに来た、と」
「そうよ」
「帰ってくれるかな、雪乃ちゃん」
「嫌よ。今日は比企谷君に熱々のおでんを食べさせるまで帰らないわ」
「私の愛しい旦那様に熱々のおでんを食べさせない。それに、今日のお夕飯はもう私が用意しちゃったわよ」
陽乃の言葉に、雪乃は目をひん剥いて驚いた。
「そう。流石は姉さんね。常に私の上を行っていると、そう言いたいのね」
「どちらかと言うと、雪乃ちゃんが常に私の下を行っている感じだけどね」
「でも甘いわ、姉さん。私も昔の様に、受け身なだけの女じゃないのよ」
雪乃はカバンの中から、圧力鍋を取り出した、
当然、中身は熱々のおでんである。
「雪乃ちゃん」
「はい、義理姉さん」
「姉さんを義理姉さんと呼ばない。そろそろ八幡が帰ってくるから、本当に帰ってくれるかな?」
「嫌よ。比企谷君に熱々のおでんを食べさせるまでは、例えパンさんのステーキを出されたって帰らないわ」
「例えが絶望的に下手だね……」
ガチャ!
二人が話していると、玄関から扉が開く音がした。
陽乃は太陽の様な笑顔を浮かべながら、玄関の方へと駆けて行く。
「お帰りなさい、八幡!」
「ただいま、陽乃。何か危ねえ事はなかったか?」
「今日も何にもなかったよ。キチンと家を守りました。八幡こそ、会社で言い寄られたりしてない?」
「してねえよ。言い寄られるどころか、今日も誰にも話しかけられなかったぜ」
「うん。それはもうちょっと頑張ろうね……。お夕飯とお風呂、どっちを先に取ります?」
「あー……そうだな、夕飯にする」
「それじゃあ直ぐに準備して来ちゃうね」
陽乃はパタパタと走って、リビングへと戻って来た。
陽乃が太陽の様な笑顔を浮かべる中、雪乃は雪の様な無表情を浮かべていた。
「……ぁ」
「姉さん、私のこと忘れていたでしょう?」
「う、ううん。全然そんなことな、ないよぉ?」
「嘘をつかない」
「テヘペロ!」
「可愛く言わない」
「──お、雪ノ下。今日も来てたのか」
「お邪魔させていただいてるわ、比企谷君。ところで、お腹は空いてない?」
「空いてるけど……。なんだ、お前も今日はウチで食ってくのか?」
「いいえ。食べるのは貴方だけよ、比企谷君」
「──え?」
刹那。
雪乃は圧力鍋を開き、中からダイコンを取り出した。
──人間の反射速度の限界。
つまり脳が神経を伝い、命令を筋肉に伝える速度の限界。
それは一般的に、0.11秒だと言われている。
それを遥かに上回る速度で、雪乃は八幡の口の中におでんを放り込んだ。
「アチィ!」
「は、八幡! こ、氷!」
即座に陽乃が氷と水を持って行く。
「雪ノ下、お前何の恨みがあってこんなこと──」
「比企谷君」
「なんだ?」
「私の事、好きになった?」
「……何だかよく分からねえけど、お前1週間出禁」
「!?」
──こうして、雪ノ下雪乃は比企谷家を1週間出禁になった。
次の日、葉山隼人が八幡に熱々のおでんを食べさせに来るのは、また別のお話……
大人になった八幡のキャラが全くわからない。
陽乃と結婚した八幡に雪乃を「雪乃」と呼ばせるのか「雪ノ下」と呼ばせるのかで小一時間悩みました。割と本気で。