「はぁ……はぁ……」
少女は森の中をあてもなく彷徨っていた。
「せめて、街道にさえ出られれば……」
少女にこのあたりの土地感は無い。
見つかる危険はあるが、森の外の街道に出て道沿いに街まで行くしかない。日が暮れてしまえば、薄暗い森は、更に暗さを増してくるだろう。
少女の白い肌に、スカイリムの厳しい寒さが突き刺さる。
魔法の空調が効いた馬車の中から着の身着のまま飛び出してきたせいで、少女は薄い服に上着を1枚身に纏うのみであった。足には霜とまだ残る雪の冷たさがジンジンと染みてくる。
こんな格好で夜の森を動くことはできない。 それに、グズグズしていればサルモールに追いつかれるかもしれない。
ガシャッ
「……!」
何か、物音がした気がした。
足を止めて身を隠し、周囲を警戒し耳をすます。
ガシャッガシャッ
「……!」
これは、鎧のたてる音だ。
追手だ。間違いない。
しかし、まだこちらに気づいたわけではなさそうだ。
少女は想定したよりもずっと早い追手に焦りを覚えると同時に、複数音が聞こえたので、あの甲冑の戦士でないことに、少しだけ安堵する。
しかし、あの恐ろしい戦士を撃退できたのだろうか?
どちらにせよ、サルモールだろうと何だろうと、全く安心できる状況ではない。捕まれば再び、いや、もっと待遇は悪くなるだろう。
音を立てない様に、その場を離れようとする。しかし、
「……キャッ!」
木の根に足を取られ、転けた拍子に声をあげてしまった。
(しまった!)
「……いたぞ!!」
少女の立てた音に反応し、兵士の1人が声をあげる。すぐさま、複数の足音が近づいてくる。
少女は急いで起き上がり、走り出す。
「待て!!」
その声と共に、すぐ横の木で閃光が弾けた。
雷撃の魔法だ。威力は大したことはないが、それでも華奢な少女が喰らって無事なものではない。少しくらい痺れさせ火傷させても、逃すよりはマシということだろうか。
今度は、少女の足元で大地の魔法が炸裂し、隆起する。
「きゃあああ!!」
華奢な身体が宙に投げ出される。
地面に全身を叩きつけられ、肺から息が全て吐き出される。
「ゴホッ、ゴホゴホッ!」
しかし、少女はよろめく身体に鞭を打って、またヨロヨロと走り出す。
もう二度と、あんなところに戻って堪るか。
ただその想いが、少女の足を懸命に動かしていた。
だが、現実は残酷なものである。
再び魔法が地面を揺らす。
少女はまたも宙に投げ出された。
二度も全身を打ち付け、今度こそ立ち上がることもできない少女に、二人の兵士達が追いついた。
「手間かけさせやがって!!」
兵士の怒声と乾いた音が森に響く。地面に伏せる少女の手を掴み上げ、兵士の一人が容赦なく殴りつけた。少女は悲鳴をあげる気力も無いのか、ぐったりとしていた。
しかし、兵士が髪をつかみあげると、少女は意思のある目で、しっかりと兵士を睨みつけていた。
それが癇に障ったのか、兵士は更に少女を殴りつける。
「こんな散々な任務!」
バシンッ!
「やってられねぇってのに!」
バシンッ!
「おまえのせいで!」
バシンッ!
何度も、兵士の平手が少女の身体を打つ。その度に乾いた音が響く。
「お、おい…不味いだろ。
一応護衛対象だぞ?高官にでもバレたら……」
側で見ていたもう一人が、気まずそうに止めに入る。
「確保優先、生きてれば構わないって言われたんだ。抵抗したからってでも言っときゃ、ばれやしないだろ」
兵士が再び少女の金髪を掴み上げると、その美しい顔が、白くみずみずしい肌が目に入る。
「へ、へへ……それに、よく見りゃ、可愛い顔してるじゃねえか」
兵士の顔に下卑たものが浮かぶ。
少女は首筋にゾワリとしたものを感じる。少女は『そういったこと』は、まだ良く知らなかった。
だが、自分の身に起きようとしていることを本能的に理解してしまう。
「もう、二度と逃げられないよう、教え込んでやる」
「お、おい!それは本当に不味いだろう!!」
兵士は仲間の制止も無視し、カチャカチャと腰のベルトを緩める。
「あんな酷い目にあったんだ!
あの訳の分からん剣士と!こいつのせいで!もう沢山だ!」
この二人の兵士は、元はシロディールを根城にする追い剥ぎとその舎弟であった。帝都を略奪できると聞いて、大戦に乗じてアルドメリ自治領の軍に加わったのだ。
実際に美味しい思いをしてきたものの、戦争が終われば、規律のある集団というのは足枷でしかなかった。
ここに来て不満は爆発し、思考は短絡的になっていた。
「……へへ、なら、少しくらい、楽しんで行こうじゃねえか。山賊にでも襲われてたってことにでもすりゃいいのさ。逃げたこいつの言うことなんて信じやしないさ」
「し、しかし……」
「お前は誰も来ねえか見てろ!」
怒鳴られた兵士は、すごすごと周囲の警戒の為に離れていく。
「いやあ!いやあああ!」
邪魔者がいなくなり、下衆な笑み浮かべた兵士は少女の服に手を掛けた。少女は気丈に睨みつけ、必死にもがくが、その非力な腕ではどうにもならない。
込み上げてくる嫌悪感と無力感に、遂に少女の目には涙が浮かぶ。
一体、自分の人生は何なんだろう?
物心ついた頃、少女は母と共に森の小さな小屋で暮らしていた。
少女にとって、最愛の母だった。
優しく、愛に溢れていた。
幼い頃のことなど多くは覚えていないが、それでも母の顔だけははっきりと思い出せた。
少女の最も幸せな日々。
しかし、それも長くは続かなかった。
「奴ら」が来たのだ。
母娘共々、奴ら…ある日急に現れたサルモールに連行され、引き離された。
それからの生活に自由はなかった。
衣食住にこそ困ることはなかったが、部屋に閉じ込められて、出歩くことを禁じられた。勿論母と会うことなど叶わなかった。長い軟禁生活の中で、少しでも心を通わせた者たちは直ぐに何処かへ消えてしまった。
母も、もしかしたら同じ様に。そう想像してしまうたびに少女は枕を濡らした。
そして今もまた、この仕打ちである。
非力な自分の腕では、これから降りかかる屈辱に、固く目を瞑り耐えることしかできないだろう。
……更にその後はどうなるのだろう?逃亡を図ったのだ。鎖にでも繋がれ、今迄以上に自由を失うことだろう。
下手をすれば、光もささぬ牢獄で暮らすことになるかもしれない。
自分は何の為に生きてるのだろう?
もう全てを失ったではないか。
自由も、友人も、最愛の人も。ついでにこれから純潔さえも……
白い肌に、兵士の薄汚れた手が伸びる。少女は諦めた様に目を閉じる。
目にいっぱいに溜まった涙が、頬をスーッと、伝う。
ここは、ここでは一旦諦めて、耐えるしかない。耐えて、耐えて耐えて、そしてまた次のチャンスを狙うのだ。
例え汚されても、汚泥をすすりながらでも、抗い続けるのだ。
そう覚悟を固めると、少女は再び自分を抑えつける兵士をキッと睨みつけた。
「へ、へへ……気丈なだな。良い顔だ、そういうのがそそるんだ。……すぐにひぃひぃ、言わせてやる」
兵士がそう言って、白い肌に指を這わせた、その時だった。
「おい」
後ろから、声がした。
しかし兵士は無視する。
また同僚が邪魔しにきたのだろうが、もう止まらない。少々未熟な少女とはいえ、こんな上玉だ。ここのところ女日照りだったし逃す手などない。
「……おい」
また声がする。
「あぁ!?」
流石の鬱陶しさに後ろを向く。瞬間、
メコッ
と、拳が兵士のこめかみにめり込んだ。
「ブフッ!!」
間抜けな声と共に兵士は吹っ飛んだ。
少女は何時まで経ってもこない、その瞬間に薄目をあける。
そこに立っていたのは先程とは違う男、巨大な大剣を担ぎ、暗色の外套と鎧を身に纏った戦士であった。
ーーーー
……やってしまった。
エドアードは、木に打ち付けられて泡を吹いている兵士を見て、ただただそう思う。
この鎧は、間違いなくサルモールだ。
こいつらを敵に回してしまえば面倒なことこの上ない。そう思っていたばかりだというのに。
ファルクリースに向かう為、近道と森を突っ切る為に奥に入っていったエドアードは、エルフの少女と、それを暴行する兵士達に偶然遭遇してしまったのだ。
兵士達がサルモールそうだということもあって、最初は素通りするつもりで隠れていたのだが、どういうわけかこんな状況になってしまった。
騒ぎを聞きつけて、周囲を警戒していたもう一人の兵士も駆けつけてくる。
ここまでやってしまったのだ。
もう色々手遅れであるし、このエルフの少女をこのままにしておくのも無責任というものだ。
(別に、助けるつもりなんてなかったんだがな)
自分でも、自らの行動に首を傾げてしまう。別に、エドアードは悪人でもない。(と、信じている。)が、正義に燃える熱血漢などということもない。
治安の悪い地域、特にこのような内戦地では略奪暴行など日常茶飯事、見かける度に助けていてはキリがない。況して、自らの目的を阻害してまでサルモールと事を構えようなどとは、普段は決して考えない。
つまり、こんな行動は「キャラではない」のだ。少なくとも、エドアードは自分ではそう思っている。
一瞥すると、少女と目が合う。
少女の胸元は軽くはだけており、所々に傷を負っていた。
だがそんな様子でも、その青い瞳には、何処か毅然とした強い意志と、そして、孤独を感じさせた。
「下がってろ」
泡を吹いていた兵士が、もう一人の兵士に助け起こされている。
「お前、何者だ!
俺たちが誰だかわかってるのか!?」
お手本の様な口上に、エドアードは少し呆れる。
(……さっきは他にも仲間がいるみたなことを言ってたな。
あんまりチンタラとしている暇はないか)
気を引き締めて、背からその大きな剣を抜き、ブンッと中段に構えをとる。
すると、あからさまに兵士達の顔が歪んだ。
「お、おい。あれ……」
「ち、違う。あいつじゃ無いはずだ。鎧も、剣の形も違う」
「?」
ヒソヒソと何かを話す兵士達の顔には、心なしか恐怖の色が浮かんでいる。
(この剣を見て? 確かに、これは威圧にもなりはするが……まぁ、いい)
戦いに於いて、恐れられることは優位だ。恐れるなら勝手に恐れておいてくれれば良い。
そう考え、エドアードは地面を蹴った。
完全に腰が引けている兵士二人と一気に距離を詰め、決めにかかる。
しかし、斬りかからんとしたその時、エドアードの足元に矢が飛来した。
「チッ!」
エドアードは、口の中で小さく舌打ちをする。
増援だ。思ったよりもずっと早い。
「これはこれは、私どもの連れが、何かご迷惑をおかけしましたでしょうか?」
四、五人の兵士の後ろから、男の声が響く。
黒衣のアルトマー……見覚えがあった。ブルーマにいた、あの司法高官だ。
……ということは、あの馬車の中からした声の主は。
また、少女を一瞥する。
(思ってたより、不味いことに首を突っ込んだか……)
エドアードは内心ため息を吐くが、そこは顔には出さない。予想はしていたことだ。
「最近のサルモールってのは、同族の女子供のケツまで追い回してんのか?」
エドアードの皮肉に、少女のはだけた服を一瞥した司法高官は、頬をピクリと引きつらせた。
「……どうやら、部下が少々やり過ぎた様ですね」
キッと睨みつけられた兵士二人は、血の気がサアッと引いた様に顔を蒼ざめる。
「さて、その方はサルモールが丁重に御守りせねばならないお方です。どうかその方をこちらに返して頂けませんか?勿論、そちらの部下は、こちらで厳罰に処すことを約束致しましょう」
司法高官のエルフが懇切丁寧な態度で頼むと、エドアードはチラリと後ろの少女を省みた。
「……だ、そうだ。どうする?俺はこのままお前を、あいつらに引き渡してやればいいのか?」
急に話を振られた少女は一瞬固まったが、すぐに、必死にブンブンと首を横に振った。
「だ、そうだ」
再びエドアードは大剣を構え直す。
またも兵士達が狼狽える様な素振りをみせるが、気にしない。
司法高官は、チッと舌打ちする。
「下等種如きが、調子に乗るなよ。」
先程までの丁寧な口調が一変する。
本性を現したのだ。
「ハッ、そっちの方が似合ってるぜ」
「……やれ」
司法高官の冷徹な合図と共に、兵士たちの放つ矢が、魔法がエドアードに殺到する。
だが、エドアードは全く避ける素振りを見せない。
「避けて!!」
次の瞬間に待ち受ける惨劇を想像した少女の悲鳴が響くも、エドアードはそのまま動かず、矢も魔法もそのままに降り注いだ。
小さな爆発が起こり、ブワッ、と砂塵が巻き上がる。
「馬鹿な奴だ」
司法高官がせせら笑う。
「あ、ああ……」
少女は惨劇に思わず目を覆った。
自分の責任だ。
助けを拒絶するべきだった。無関係だった彼に、与えられた状況に縋るべきではなかったのだ。
少女は今更その考えに至った自分を激しく責める。しかし、
「ぎゃあああああ!」
巻き上がる雪と砂塵の中からのっそりと現れた黒い陰に、すぐ近くにいた兵士が一人吹き飛ばされた。
「何!?」
驚愕の声が上がる。
「安心しろ。腹(・)で殴っただけだ。死んでないぜ。……たぶんな」
なんと、エドアードは無傷で立っていた。
その不敵な言葉に司法高官は顔を引きつらせる。
「射手!もう一度打てぇ!」
今度は司法高官も加わって魔法を放つ。
またもエドアードは避ける素振りも見せず、獰猛な笑みを浮かべ、再び構えをとる。そして大剣を大きく振りかぶり、薙ぎはらう様に振り回した。
ブォッ!!
激しい風圧により、またもが砂塵が舞う。
それが途切れると、やはりエドアードは無傷であった。
少女は、いや、そこにいた全員が、しばらく何が起こったのか理解できなかった。いや、目の前で起こったことが信じられないのか。
それもその筈。
なんとエドアードは、その凄まじい「剣圧」で矢の雨を弾き飛ばし、魔法を掻き消したのだから。
「こ、この……!」
司法高官はムキになって何度も魔法を、矢を放たせるも、その度に上手く防がれてしまう。
「槍だ!槍で刺し殺せ!!」
飛び道具だけでは拉致があかないことを理解したのか、兵士達は弓を槍に持ち替え、エドアードに一斉に襲いかかる。
槍衾がエドアードに殺到する。だが、
「へぶっ!」
「ほげっ!!」
良いようにいなされ、逆に反撃を受ける。
そんな攻防を幾らか繰り返した後、
「……そろそろ潮時か」
全員を始末して目撃者を無くすのがベストなのだが、これ以上の増援が来ないとも限らない。それは避けたいのがエドアードの考えだった。
それに増援が来ずとも、1人でも討ち漏らさないとも限らない。ならば、恨みを買いすぎぬように、被害を与え過ぎない程度に相手をしてから撤退するのがベターな選択だろうか。今までの攻防で1人も(たぶん)殺していなかったのはそういうことだ。
そして、エドアードは少女を、片手でヒョイと力強く抱え上げる。
「きゃっ」
「行かせると思うか!」
再び矢が飛ぶも、大剣を盾にする様にして上手く防ぐ。すかさずエドアードは、バックパックから「玉」を3、4個取り出し、放り投げる。すると玉から白い煙が上がり、森に薄くかかり始めていた霧と共に、視界を阻害する。煙幕だ。
「くそ!原始的な手を使いおって!!」
エルフ、特にアルトマーは魔術の扱いに長けており、小手先の幻惑魔法などはそう効果がないだろう。
だが、逆に魔術に過信し過ぎている部分があるのだ。
そういったためか、対エルフに於いては、案外こういった原始的、物理的な撹乱手段が効果を発揮しやすい。
案の定、矢や魔法が四方八方に飛かって大混乱といった様子だ。
「おい、お前。振り落とさるなよ」
「こう日に何度も!おのれぇ!!」
後ろでサルモールの怒号が響くが、
エドアードは後ろの混乱を尻目に、そのまま少女を抱えて走り出した。
「お前じゃないわ!」
少女は揺れるエドアードの身体に、しっかりとしがみつきながら叫んだ。
「あ?」
「名前!……私の、名前!!」
少女は目を爛々とさせながら、強く主張するように言う。
「……ノア!私の名前は、ノアよ!
あなたは!?」
「……俺?」
「貴方の名前!まだ聞いてないわ!」
少女の強い主張に、エドアードは少し沈黙してから、結局名乗った。
「……エドアード。俺は、エドアードだ」
無愛想な上にロマンチックさの欠片も無い、担ぎ上げられる様な抱かれ方にほんの少しの不満を覚えつつも、少女は──ノアは、ある予感を覚えていた。
自分にも来たのかもしれない。
物語の様に、外に連れ出してくれる存在が。
……そして、冒険の始まりの時が。