貧乏神の遠足   作:紅野生成

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15 水底の祭りと顔の無い面と(後)

「おや、またあの子だ。去年もきていたのに」

 

 松明に照らし出された、湖面の上で繰り広げられる祭りの中、一人の男の子がいた。

 どこからやってくるのか、湖の水際に泣きながら現れて、手招きするとみなが集い踊る輪のところへと小さな足で歩いてくる。

 己が水の上に立っているという自覚など露程も持たぬ子供は、楽しげな音に涙を忘れ一緒に踊りだす。

 

「坊や、それは何という踊りだい?」

 

 周りの者に問われると子供は「ぼん踊り」と答えた。

 その踊りを知る者は誰もいなかったが、みなも楽しければよかったから、頑是無い子供の真似をして踊ったりした。

 人の子の体に、この世のモノではない何かが入り込んでいることにはすぐに気づいたが、それを教えることはしなかった。

 

「なぁ来年も、あの子はくるだろうか?」

 

 祭りが終わるとみなそういって子供との別れを惜しみ、来ないのなら呼べば良いのではないか、ということになった。

 湖へと続く道に提灯を下げ、道に迷わずここへ来られるようにし、あの子が喜ぶようにと盆踊りという舞をみなで練習までしたものだった。

 子供が姿を現してから四度の季節がまわった年、夜中を過ぎてもあの子は姿を現さなかった。

 

「子である季節がすぎて、鬼線を見つけられなくなったのだろうか」

 

 口ぐちに呟きながら、みな寂しがってため息を漏らしていた。

 その年みなの元気がなかったのは、何もそのせいだけではなかったが、あの子がくるなら空元気でもでようというものなのに、とぼくもひとり膝を抱えたのを覚えている。

 このままでは、来年の祭りを執り行うことは無理だった。

 この湖の源である湧水の気線が塞がれて以来、見た目は透明でもこの湖はすっかり輝きを失っていた。

 

「最後にもう一度、会いたかったな」

 

 あれほど好きな祭りの輪に入って、踊る力も残っていなかったぼくは、己の立つ足元を見て泣いていた。

 祭の夜だけ鬼線でふたつの世を繋ぐこの湖も、普段はただの湖に過ぎない。

 数年前に突然やってきた車からおりた男が、何かを湖に投げ入れた。

 ぼくたちにはそれがなんなのか、生きていくために必要なものなのかもわからなかったが、男の捨てた黒く硬い箱は、浅瀬で吹き出している水の気線を塞いでしまった。

 

「気線が塞がれて力を無くしているというのに、みな良く頑張ってくれた。とうに諦めていたはずの祭りを続けられたのも、無邪気なあの子の踊る姿がみなを力づけたから。希望を与えてくれたから」

 

 そう、希望を与えてくれた。自分たちの命を奪おうとしている人の子にも、憎まずに済む者がいてくれるのだと。愛すべき者がいるのだと。

 

 湖面で舞っていた者たちも力尽きて膝をつき、お囃子の音も途絶えて木々を揺らす風の音だけが湖面を走っていく。

 

「ぼくの無力をみなに謝ろう。そして、終わりにしよう」

 

 ぼくが立ち上がったとき、背後で砂を踏む音がした。

 

「どうしたの? お祭りは終わり?」

 

 そこに立っていたのは、待ちわびていた小さな姿だった。

 

 背は確かに伸びただろう。だがその笑顔は何一つ変わってはいない。

 

「会えてよかった」

 

 こちらの様子に気づいたみなも、顔を向けてじっと様子を伺っている。

 駆け寄りたくとも、みなにその力が残っていないのは誰よりもぼくが知っていた。

 

「どうして泣いているの? 何か困ってる? ぼくが助けてあげるよ」

 

 子供は握りこぶしつくって、力強く足を踏み鳴らした。

 

「ありがとう。でも、もういいんだ。祭りはもう終わりだよ。あの黒いものが、気線を塞いでしまったから、もう無理なんだ」

 

 どうしてそんな泣き言を子供に漏らしてしまったのか、言ってすぐに後悔したが子供は「あれがいけないの?」というと、ばしゃばしゃと水の中へ入っていった。

 

「危ないから戻って」

 

 去年までであれば、僅かに残った力でこの子を湖面に立たせてやれたが、その力はもう残っていない。深みにはまれば、その小さな体は簡単に溺れるだろう。

 子供は小さな手でそれを抱いて、力を込めた。

 

「動かないや。このテレビ重いな」

 

 あれはテレビというものなのだと、この時初めて知った。

 どんなに頑張っても動かぬそれを、子供は顔を真っ赤にして押している。

 手伝ってやらないのではない。ぼくたちには、手伝えないのだ。

 自分たちで何とかできるものならとっくにそうしていたが、この世には理がある。

 人の子のなした事が、この世ではない場所へ影響を及ぼしたとしても、ぼくたちはそれを見ていることしかできないから。

 

「ねぇ、このテレビちょっとでも動かせたら、お祭りしてくれる?」

 

「うん。お祭りしたいね」

 

「よし、ちょっと待ってて」

 

 林の方へ走る子供の背中を見ていたぼくは、きっと泣きそうな顔をしていただろう。

 太い枝を手に戻ってきた子供は、その棒でテレビの下を掘り始めた。

 

「そこを掘ってどうするの?」

 

「ここをいっぱい掘ったら、テレビが傾くと思うんだ。そしたら、斜めになっているからさ、思い切り頑張って押したら動くと思うんだよ」

 

 無理だと思った。

 でも気持ちだけでも嬉しくて、十分だと思っていた。

 

「よっしゃ!」

 

 汗だくの顔を上げて、子供がニッコリと笑う。

 テレビががくんと片肩をさげた。

 ほんの少し動いただけで、塞がれていた気線から命の気に満ちた湧水が流れ出たのがわかる。

 湖の上で膝をついていた者たちも、震える膝を押さえながら立ち上がっていた。

 

 斜めになったテレビを押す子供の顔は提灯より赤くなり、少しずつ少しずつ気線が通じていく。

 

「おりゃー!」

 

 子供の掛け声と共に、大岩より重くのしかかっている様にさえ思えた、大きな塊が転がった。

 

「湖に命が満ちていく」

 

 肩で息を吐く子供が、得意げに人差し指と中指を立ててみせた。

 湖面から喝采が沸き起こる。

 

「あ、お祭りが始まった。ぼくもいっていい?」

 

「うん」

 

 湖面をかけていく子供の背を追って、ぼくも走った。

 賑やかなお囃子が響く中、子供を取り囲んでみなで踊った。

 楽しくて楽しくて、涙が止まらなかった。

 

 表情を無くしていた、みなの白い面に笑顔が浮き上がる。

 終わらぬ祭りの真ん中で踊っていた子供は、笑顔のままで朝日にとけて消えた。

 そして二度と、祭りに姿を現してくれることはなかった。

 人の子の成長をこれほど悲しく思ったことはない。

 だが笑って見送ろうとみなで話した。

 大切な人の子が元気に大人になっていく様を、見守ろうとみなで誓った。

 

 

 

「起きろ、たわけが」

 

 額をぴしゃりと叩かれて高志は目を覚ました。

 たった今目の前で見たように、手で触れられそうなほどに祭りのざわめきが蘇る。

 

「あの子の記憶をみた。半分はぼくの記憶でもあったと思う」

 

 見回しても男の子の姿は見当たらない。

 声も聞こえない。

 あの子の思い出に触れた後の今なら、その正体が手に取るようにわかった。

 

「あの子は、この湖の気線から湧き出る水だよ。この湖の命そのもの」

 

「そうだな」

 

 すずが答える。

 

「あの子はどうして姿を消したの?」

 

 嫌な予感しかしなくて、声が震えた。

 

「もう人の形をなすことは無理だろう。人の形をとって祭りで踊ることは二度と叶うまい」

 

「ぼくのせい?」

 

 ほんの一瞬すずは黙った。

 

「そうだと言ってやりたいところだが、あの子はそう思っておらぬし、そう思われることを望んでもいない。あれはな、己の願うことのために己の一端を捨てたのだよ」

 

 胸がズキリと痛む。

 

「何を願ったんだろう」

 

「かつてこの湖を救い、年月を経て姿を現した祭りの夜の迷い子のためだ。閉ざされかけているガキの、幸せな日々を守るためだ」

 

 あの子の思念がまだ残っているのか、その心に収めている事実が高志の中に流れ込んできた。

 見開いた目から涙が溢れて、高志は叫んだ。

 

 祭りの中で唯一歳が近くて、一緒に踊ったあの日。

 

 夕暮れどきに、泣きそうな顔で忠告に来てくれたあの日。

 

 それだけで十分だったのに、あの子は己の身を削って高志を助けて姿を消した。

 姿を、失った。

 

「ぼくのせいだ。ぼくの毒だけを取り除くために、あの子は自分自身ともいえる湧水をぼくに飲ませた。そして毒を吐き出したぼくは元気になって、毒を吸い取った代償にあの子は人の形を成せなくなった。その力を失ったんだ」

 

「死んだわけではないぞ」

 

 慰めるように、すずがいう。

 

「あんなに楽しそうに踊っていたのに、もう二度と人の姿で踊ることはできないんだよ。ぼくが半分、命を奪ったようなものだ」

 

 泣き声を上げるまいと、食いしばった歯の間から嗚咽が漏れる。

 膝を抱えて座ったまま言葉をかけてこないすずには、あの時すで事の顛末が見えていたのだろう。

 だからあれほどまでに、辛そうな顔をしていたのだろう。

 

「どれほど身を粉にしても姿を取り戻してやることはできぬが、あ奴らを救ってやることはできるぞ」

 

 砂を握りしめて震えていた高志は、縋るようにすずを見た。

 

「これ以上は教えてやれぬ。ない頭で良く考えるがいい」

 

「どうしてさ! どうしていつも肝心なことを教えてくれないんだよ!」

 

「この世には理があるといっただろう。己の胸に手を当て記憶を手繰れば、答えは見つかるだろうさ。おまえはアホで馬鹿だが、無能ではない」

 

 顔の無い白い面。

 

 気線を塞いだテレビ。

 

 楽しげな表情を刻んだ面をつけて踊る人々。

 

 音のない祭り。

 

 考えろ、高志は拳で頭を叩いた。

 何か見落としているのに、途切れた糸をどう繋いでいいのかわからない

 

「すずが言うなら、ぼくにできることが必ずある」

 

 自分に言い聞かせるように声を絞り出す高志を、湖面の風が撫でる。

 

「怒っていたからなのか? 今日も白い面には表情が刻まれていなかった」

 

 豊かな表情を刻み込んだ、白い面を付けて踊る人々。

 

 腕をだらりとさげて、表情のない白い面を付ける人々。

 

 テレビを転がした途端に始まったお囃子。

 

 高志は走りだした。

 

「気線だ! どうしてかはわからないけれど、また気線が塞がれたんだ!」

 

 幼い日の記憶など残ってはいないが、さっき覗きみたあの子の記憶は写真をみるようにはっきりと残っている。

 対岸近くに生い茂る林近くの浅瀬で、気線は湧水を吹き出しているはずだ。

 

「彼らは気線が塞がれたのが、ぼくのせいだと思っている」

 

 表情のない面を通して伝わる憎しみは、謂れのないものであったとしても、たとえ殺されかけたとしても、神隠しにあって泣いていた幼い自分を温かく迎え、一緒に踊ってくれた彼らを、こんな自分を待っていてくれた彼らを、憎しみに打ち勝って土壇場で助けてくれようとした彼らを放っておくことなど、高志にはできなかった。

 

「このお人好しが」

 

 走り去る後ろ姿を見遣りながら、すずは少しだけ微笑んだ。

 

「あった」

 

 辿りついた先には、向こう岸から見たときにはなかった松明が灯っていた。

 

 以前のように不運にも塞がれたものではない。

 明らかな悪意をもって気線を塞ぐそれは、べたつくヘドロのように粘液質で、拳ほどの大きさでもあるにかかわらず、高志の力ではビクともしなかった。

 

「どうなってんだよ」

 

 あと二時間ほどで日が昇る。

 日が昇ったら取り返しがつかないと、高志の中に眠る何かが告げていた。

 

――苦緑神清丸の力か?

 

 以前にテレビを転がした時より遥かに力も知恵もあるというのに、小さなそれは重力を無視して水底に張り付き気線を塞いでいる。

 

「どうしてだ、何が違うんだ」

 

 子供の頃に動かしたテレビは、今思えば例え水底を掘ったとしても動かせるような大きさではなかった。

 だが、子供の頃の自分は確かにそれを動かした。

 

「何が違う? あの時と違うのはなんだ?」

 

 焦りに心臓が爆発しそうなほどに跳ねている。

 

「あのときおまえは、どうしてテレビを動かそうとした? 何を思っていた?」

 

 いつの間にやら追いついてきた、すずがいう。

 子供だった高志はそうだ、賑やかな祭りをみたかった。

 楽しく一緒に踊りたかった。

 みんなの明るい声を聞きたかった、ただそれだけ。

 

「ぼくはみんなに、笑って欲しかったんだ」

 

 そうだ、気線がどうのなんて関係ない。その先にあるのは、古から続く賑やかな祭りの声、音。

 

「そうだね、ぼくはまたみんなに笑って祭りを楽しんでもらう為に、頑張りたいんだ。何かしたいんだ」

 

 薄汚い緑色の塊に手を触れると、悍ましい気配が伝わってきて高志は背筋を震わせた。

 

「ぼくの中に本当に苦緑神清丸が眠っているのなら、力を貸してくれ。人に取り込まれた人ならぬものよ。ぼくのためじゃなく、人ならぬ者達のために力を貸してくれ」

 

 冷たい水の中で指先が燃えるように熱くなり、高志は痛みを堪えてそれでも声を漏らした。

 微動だにしなかった塊が、指の先端から吸い込まれていく。

 

「呑み込め!」

 

 高志は叫んだ。

 まるで腕から腐っていくような感覚に、思わず手放したくなるそれを、渾身の力で握った。

 

 バシャリ

 

 水飛沫があがって、自分の体が倒れていくのを感じた。

 全身が腐って溶けていくように、臭くて汚らわしい邪気に満ちている。

 

「情けない姿だな」

 

 水面に浸かると思った頭を、すずの膝が支えていた。

 

「おれは」

 

「終わった。おまえは、やりきったのだよ」

 

 すずが小さな手を高志の額に当てる。

 高志は額の痛みに悲鳴をあげた。

 

「すず!」

 

「大人しくしろ、たわけが」

 

――あと一時間ほどで日が昇るな。

 

 気を失いそうな痛みの中、高志は頭の隅でそう思った。

 少しずつ痛みが引いていくなか、虚ろに見ていた湖面に不意に光が溢れた。

 

 

「祭りだ」

 

 白い面をつけた大勢の人が踊っている。

 女は背に笠を背負い、男は着物の裾を端折って、賑やかなお囃子と合いの手が響く。

 

「よかった」

 

「無理をしおって」

 

 湖の真ん中で繰り広げられる祭りは、遠すぎて見えるはずもないというのに、高志の目には笑い、ひょっとこのように口を尖す豊かな表情の白い面が確かに見えた。

 

 完全に痛みが遠のくのと同時に、意識が薄れ始めた。

 もう夜明けが近いのだろうと高志は思った。

 

「さよなら、みんな」

 

 瞼を閉じた高志は、気を失う寸でに小さく呻く声を聞いた気がして、動かぬ手を伸ばそうとした。

 小さな呻き声は、生意気なすずの声によく似ていた。

 

 

 

 

 





 こんな祭りで踊れるなら、神隠しにあってもいいかも・・なんてね。
 お付き合いありがとうございました
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