貧乏神の遠足   作:紅野生成

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20 ぐるぐる回って桜酒

山道を抜けて游湯屋の外れに立つ石造りの小屋へ戻ると、小男が汗を垂らして仕事に精を出していた。

 

「酒は見つかったか?」

 

 帰ってきた高志達を見つけると、小男は前掛けで手を拭きながら駆け寄ってきた。

 高志が重たい瓢箪を掲げて見せると、嬉しそうに白い歯を見せる。

 

「ところで一生懸命拭いていたものはなに? 仕事道具かい?」

 

「竹筒の手入れをしていたのだ。大地の熱を上手い具合に調節しないと、神々が浸かられる湯の温度が安定しないからな。神々のお好みに合わせて湯を調節するのが、お湯番の仕事であり誇りなのだ」

 

 よいしょと瓢箪を木台の上に下ろし、高志は重さに痺れた手首をぐるぐると回す。

 

「お湯の温度を調節するといっても、これだけ広大な面積に点在する湯をどうやって?」

 

 そんなことも知らないのかというように、小男は眉毛の端を下げる。

 

「お湯とは大地から湧き出るものだろう? ならば息を吹き込むのは、大地の裂け目と決まっている。ほら、そこに岩が積み重なった塚があるだろう? あの岩の隙間を埋める小さな岩は、それぞれ湯浴み処にある御湯に繋がっているのだ。もっと熱くと言われれば竹筒で息を吹き込み、ぬるくといわれれば岩を外して外気を送り、湯の熱を冷ます。おまえは本当にものを知らない奴だな」

 

「御湯番よ、そんなサル頭のことなど放っておけ。それより酒だ。酒を呑もう」

 

 酒のためなら足腰の軽くなるすずは、丸太を並べていそいそと酒盛りの準備をし始めている。

 

「すずも少しは酒以外のことに興味を持とうよ。それより、竹筒で息を吹き込むと温度が上がるということは、この大地の下に火が入った巨大な釜みたいなものがあるってことかな?」

 

 高志がいうと、すずが馬鹿にした顔でふんと鼻を鳴らす。

 

「御湯番、わしのいった通りだろう? 神の湯は傷を癒しても、カスカスの脳みそは修復できんらしいぞ」

 

 笑うすずにつられて吹き出しかけた小男は、高志の睨みに気づいて慌てて口を抑えた。

 

「あのな、大地の下に釜があるわけがないだろう? 竹筒で息を送れば大地を巡る気脈がそれに反応して温度が上がり、外気を送ればその流れに乗って、気脈から湯を温める気が流れ出るから湯の温度が下がる。常識だぞ? こんなことも知らないで、いつもどうやってお湯に浸かっているのだ?」

 

 そんな常識あってたまるかと、高志は見えないように舌をだす。

 

「ほれ、酒盛りの準備ができたぞ! 早くこい、酒が腐るぞ」

 

「あそこの酒は腐らないよ。早く呑みたいだけのくせに」

 

 呆れ顔でいう小男は襷を解いて、すずが用意した丸太にちょこりと腰掛けた。

 

「サル頭も早くこんか。酒が腐る!」

 

「だから、腐らないって」

 

 ちょっと待っていろ、といって小男は石造りの小屋へと走っていき、手に香ばしい匂いの焼き魚を持って戻ってきた。

 

「危なく焦がすところだった。今朝近くの川で釣ったものを串焼きにしてみたのだ。おれが湯の調節の次に得意なのが、釣りと魚を焼くことだ。好きなだけ食ってくれ」

 

「では神々の集う湯浴み処、游湯屋から愛でる夜桜に盃を傾けようではないか!」

 

 すずの音頭で、それぞれが盃に口を付ける。

 

「旨いな、いつ呑んでも最高だ」

 

「酒は自然に湧くものではないだろ? どうしてあの岩の隙間から流れ出ているの?」

 

「とある山で人に紛れて飯屋を営まれている方が、天狗酒を呑めない小天狗や我々の為に少しずつ送ってくださっているのだ」

 

「神様なの?」

 

 小男は、ゴクリと酒を喉に流し込みながら首を振る。

 

「あの方は神ではないよ。ずっとあの山に居て、山で迷う者達に救いの手を差し伸べていらっしゃる。望めば何処へだっていける方なのに、あの地で朽ちると決められたのだ。人の子でもなく、神でもない、存在そのものをあの方というしか、おれは呼び名を知らない」

 

 多くの者に慕われ尊敬される、恰幅のいい男を想像した。

 

「あの方でもこの方でもいい! とにかく呑もう!」

 

「すず! 何やってんだよ」

 

 乾かしている着物の代わりにと、小男に借りた浴衣を着たまま、すずは猿湯に浸かって酒を呑んでいた。

 

「そんな所で丸太に座って呑んでいる方が、湯浴み処を囲む山々に失礼というものだぞ。見てみろ、綺麗だろう? これぞ天下の桜湯だ」

 

 すずが手のひらですくった湯の中には、桜の花びらが散っていた。

 

「すごいや、本当に桜湯だ」

 

 暗くなったからと小男が持ってきた松明に照らされて、猿湯の表面がきらきらと光る。

 はしゃぐすずの体が湯の表面に波紋を広げ、波に揺れる小舟のようにサラサラと散った桜の花びらが、薄い桃色のまま揺れていた。

 風呂に入りながらの酒は、酔いが回るのが早いのではないかと思ったが、酔って溺れるすずを助けて恩を売るのも悪くないかと、高志は黙りを決め込んだ。

 溺れてばたつくすずを想像して、高志がひとりにんまりしていると、小男が大きなため息を吐いて星の輝く空を見上げた。

 

「今日もお客様は、ひとりも来られなかったな」

 

 寂しげな声でつぶやくと、瓢箪から酒を手酌して煽るように呑んでいる。

 

「これだけ素晴らしい湯があるのに、誰もいないのが不思議だったんだ。いつもこんなに空いているのかい?」

 

「前は賑やかだったよ。毎日毎晩、大勢の神様が訪れて、それはもう忙しかった。なのに五年くらい前から、ぴたりとどなたも来られなくなった。今は湯浴み処をぐるりと囲む、お山に住まわれている四季神様が、季節ごとにいらしてくれるだけだ」

 

 誇りをもって働いている小男が、何か取り返しのつかない粗相をしたとも思えない。神々がここを訪れなくなった理由を考えて、高志はじっと腕を組んだ。

 

「ねぇ御湯番さん、神様はどうやって游湯屋まで来ていたのかな?」

 

 御湯番さんかぁ、と小男は顔をくしゅりとさせて嬉しそうに微笑む。

 

「おまえが見たのと同じ看板を辿ってここへ来られるのさ。この世のあちらこちらには細く美しい湧水があってな、それは神を遠方へお連れする道のような働きをしているのだ。その湧水に沿って神様はこの土地へこられ、そこからは看板に沿って道なりにこの湯浴み処まで来られるのさ」

 

 高志の中で何かが引っかかった。たしかに看板を見ながらここへ来たが、その周りに湧水など見た覚えはなかった。

 看板をみつけたのだって、たまたまあの場所で道に寝転がったからに過ぎない。

 

「神様とぼくとでは、ここへ来る経路が違うかもしれないけれど、ここへ続く看板を見つけられたのはほんの偶然だと思う」

 

 小男は頷いて、真剣な眼差しで高志を見ている。

 

「ここに辿り着くまで七枚の看板を目にしたから、ぼくはその看板にしたがって歩いてきたんだ」

 

「七枚だけ?」

 

 小男が目を丸くする。

 

「そうだよ、七枚だった。その一枚目があったのはファミリー向け登山道の途中だったよ」

 

 雷に打たれたかのように立ち上がった小男は、呆けた顔で口をあんぐりと開けた。

 

「そんなぁ、看板はどの湧水からでも、きっちり七十七枚あるはずなのに、どうして? それに登山道ってなんだ?」

 

「ぼくが思うに、きっと登山道が造られたのが五年前くらいで、その登山道のせいで一本に繋がっていた道が途切れて、神様は游湯屋に来られなくなっているんじゃないだろうか?」

 

 小男が地団駄を踏んで、自分の頭を拳で叩く。

 

「何てことだ! 道が途切れていたなんて、お湯番失格だ!」

 

 同じ場所でぐるぐると回りながら、頭を叩き続ける小男の肩を高志は優しく両手で押さえた。

 

「落ち着きなよ、原因がわかったらまた道を繋げばいい。看板を立て直したら、ここはまた賑やかな神様でいっぱいになる」

 

 肩で大きく息を吐きながら、かくかくと小男は頷いた。

 

「そうだな、御湯番たるもの、立ち止まっていてはいけないな!」

 

「くるくる回っていてはいけないな、の間違いだろう?」

 

 猿湯のなかですっかり真っ赤になったすずが、ちゃちゃをいれる。

 

「酔っぱらいは黙ってろよ」

 

 高志が瓢箪ごと酒を猿湯に投げ入れると、すずは直接口をつけて呑みはじめた。

 そんなことをしている間に、少し落ち着きを取り戻した小男は、丸太に腰を下ろすと湯呑に残っていた酒を一口で呑み干した。

 

「おまえは、良い人の子だな」

 

 高志を見上げながら、花が咲いたように赤い頬で小男は笑った。

 同じように笑い返した、高志の笑顔が凍りついたのは、ほんの二秒後。

 

「いい奴だけれど、おまえこのままでは帰れないぞ」

 

 顎が落ちたまま聞き返すこともできずにいる高志の横で、猿湯に口まで浸かってぶくぶくしていたすずもぴたりと動きを止めた。

 

「ここは神々が集う湯浴み処だぞ。周りの山々は四季神様がお住まいになる神の御山。人の子がそんなところに足を踏み入れて、普通に帰れるわけがないだろう?」

 

 そうなのか? 帰れないのか?

 

「そんな理不尽なことってある?」

 

 情けない高志の様子に動じることなく、小男は魚に齧り付いている。

 

「四季神様がお許しになれば帰れるさ。おまえは運がいいぞ。あと二日も過ぎていたら、最低でも三ヶ月はここから出られないところだ」

 

「どうして?」

 

「四季神様は季節ごとに、四季神送りの儀式を執り行われている。ちょうど明日の晩がその日なのだ。運が味方したなら、明日の夜には四季神様に会える。この御山のどこかで今年最初の儀式である花見が行われるからな」

 

「どうする? この広い御山のどこかだそうだぞ。まぁ、わしは三ヶ月ここにいても構わんがな。こんな旨い酒が呑み放題なのだから、明日の四季神探しに失敗しても怒らんぞ」

 

「いい加減に湯からでなよ。オデコまで赤くなってるじゃないか。それに三ヶ月もここにいる気はない。絶対に明日、四季神様を見つけてみせるよ」

 

 濡れた浴衣を脱ごうともせずに、すずは酒を呑み続け、小男はやけ酒よろしく煽るように呑み、小さな呑兵衛ふたりは、いつのまにやらすっかり意気投合している。

 

 高志は小男が磨いていた竹筒を見ていた。

 ツルツルになるほど磨き込まれた竹筒は、太いもの長いもの、細くて短いものまで様々だ。

 

「御湯番さん、この竹筒は行方不明になった小僧さんも持っていたの?」

 

「持っていたさ。まだ見習いだから中程度の太さであまり長くないものをな。小僧の仕事は猿湯の御湯番だったのだぞ。猿湯の湯を自分でいじれるようになったときには、飛び上がって喜んでいたのに、何処にいっちまったんだか」

 

「その小僧さんて、襷掛けで腰帯に竹筒を差していた?」

 

「そうだが、どうして知っている?」

 

 すずがニンマリと笑って、魚に頭から齧り付く。

 

「その小僧なら二度ほど会ったぞ。天狗と同じで誰かにいらぬことを吹き込まれたらしいがな」

 

「小僧に会ったのか? いや、天狗に会ったのか!」

 

 立ち上がった小男がそわそわしだし、またぐるぐる回りだしそうなのを見て、高志が肩を押さえて座らせた。

 

「天狗といっても小天狗だったよ。いい子だった。ぼくたちに会ったことは里に帰ってもいわないように、念を押しておいたから大丈夫」

 

 よほどびっくりしたのだろう。小男は瓢箪を抱えると、口の端から酒を零しながらぐびぐびと喉を鳴らす。

 

「よっ、いい呑みっぷりだねぇ!」

 

 すずに煽られて、小男はもう一度瓢箪に口を付けた。

 

「小僧をどこで見かけた? 元気だったか? 御湯番見習いの仕事ができなくて、泣いてはいなかったか?」

 

 小男が眉を八の字にして聞く。

 

「元気だったよ」

 

「ついでにこいつを殺そうとした」

 

「ひぃー!」

 

 喉笛を鳴らして、小男が後ろにでんぐりかえる。

 

「まったく余計なことをいうなよ、すず」

 

「小僧はいい子だ。そんなひどいことをするはずがないのだ」

 

 ウエッ、ウエッっとしゃくりあげながら泣きだした小男の背を、さすりながら高志はすずを睨んでやった。

 

「いっただろう、あの小僧さんは悪ことを吹き込まれただけだって。小天狗の話から想像するに、たぶんぼくが極悪人で、倒さないと游湯屋がなくなるとかいわれたんだろうな。この場所を守りたくて、この地を離れたんだと思うよ。そして今は、神々と同じように、ここへの道がわからなくて帰るに帰れないのさ」

 

「うんうん。かわいらしい小僧だったぞ」

 

 意を決したように小男が拳を握り、顔を上げて涙を拭いた。

 

「道が繋がれば小僧が帰ってくるのだな? 看板を立て直せば帰ってくるのだな?」

 

「たぶんね」

 

「また小僧と、会うことはあるか?」

 

「それはわからないけれど、会うかもしれないね」

 

 なにしろ小僧は、高志を殺すことを諦めていないはずだから。

 だがこのこと、は小男には黙っておこうと思った。

 小男は締めた帯の中から、一枚の手ぬぐいを出し高志に差し出した。

 

「もし会えたなら、小僧に渡してくれないか。これはいつも小僧がハチマキがわりに頭に巻いていた手ぬぐいだ。道が繋がったら戻って来いと伝えてくれよ」

 

「わかった」

 

 藍色の手ぬぐいを受け取った。

 これを渡したら小僧は泣くのではないだろうか、ふとそんな風に高志は思った。

 

「べつに小僧に帰ってきて欲しいわけではないのだぞ。あんな半人前どうでもいいが、猿湯の世話をする者がいないと、おれの仕事が増えてかなわんからな! それだけだぞ!」

 

「わかった、わかった。ほれ呑むぞ!」

 

 すずの一声で仕切りなおして、ふたたび酒盛りがはじまる。

 

「おおっ、酒に桜が舞い込んだ。桜酒とは風流だな」

 

 月が傾いても二人の呑兵衛は呑み続けた。

 高志も酔いが回ってふらつきはじめたころ、一筋の風が吹いて桜の花びらが一斉に空に散った。

 月影に舞う桜の花びらを見上げたとき、ひらひらと踊る小さな影の、遠く上の方に黒い一筋の影が横切った気がしたが、木の枝が飛んだのか、鳥が飛んだのか、酒で回った高志の目では判断のつけようもなかった。

 

 

 




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