貧乏神の遠足   作:紅野生成

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28  徒渡り先の旅籠屋

「いいかい、すず。高校のバイトで死ぬ気で貯めた金だって、いつかはなくなるんだぞ? もう半分近く使っちゃったのに、このまますっからかんになったら今年は青春真っ暗だ」

 

 そんな説教など何処吹く風。スーパーの軒先で買って貰ったばかりの、イカの炭火焼きを頬ばり、すずはご機嫌で口の周りを黒くしている。

 

「宵越しの金は持つなといっておったぞ」

 

「だっれが、そんな堕落人間用語を教えたんだよ」

 

 誰だったかのう、とすずは小首を傾げる。

 たまに自分でいったことに小首を傾げることが、すずにはままあった。

 口にした瞬間にははっきりしている事柄が、誰に何処でと問われた途端に、記憶が曖昧になるような返答をしてよこす。

 大切な記憶が歯が欠けるようにぼろぼろと抜けているみたいで、こういうすずをみると、高志は少し不安になる。

 

「帰り道はわからないし、神様はいないし金もない。だから今日はキャンプ場に泊まる」

 

「キャンプ場? 宿場のようなものか?」

 

「似て非なる物だよ。とにかく行こう。二千五百円でバンガローが借りられるんだ。今日は夜遅くに雨が降るらしいから、公園の滑り台で寝るのはなしだ」

 

 食べるだけ食べてさっさと鈴に身を隠したすずに文句をいったが、チンという返事さえない。

 

「食ってばっかで歩かないと太るぞ。バッテンも、いじけていないで少しはでてこいよ」

 

 テンテンと別れたのが堪えたのか、あの日からバッテンは一度も姿を現さない。

 ここからキャンプ場までは五キロほどあるが、夕暮れまでには着けるだろう。

 釣り道具も貸し出しているというから、うまくいけば川で夕飯がつれるかもしれない。

 コンビニでポテチを買った高志は、お荷物な連れをリュックと尻のポケットに押し込んで黙々と歩き出だした。

 

 

 

 一時間と少しで辿り着いたキャンプ場は、季節外れのせいか閑散としていた。

 ライダーが二人、小さなテントを張って休んでいる。

 受付にいくと[出かけています]の札が無造作に置かれていて、声をかけても返事はなく、直ぐ戻るつもりなのか奥の部屋から付けっぱなしのテレビの音が流れていた。

 

「まだ明るいからいっか」

 

 早々と一人焼き肉をしているライダーを尻目に、高志は緩やかに流れる川の上流へと向かった。

 あとで釣りをするために、ポイントを探しておこうと思ったのだ。

 ポイントなどといっても、釣りが趣味なわけでもなく単純に魚がいそうだなここ、という見た目判断。

 

「やっぱり、キャンプ場を離れると山だな」

 

 小石の転がっていた川辺はごつごつとした岩が重なり、徐々に足場が悪くなってきた。

 元々ない体力を無駄に使った高志は、平らな岩の上に腰かけ仰向けに寝そべり大きく伸びて背中をほぐす。

 

「うわ、シュークリームみたいな雲だ」

 

 上空の風に流されて、重ねたように上に伸びるふんわりと白い雲。

 

「分厚く重なる雲ひとつ、薄いは我が財布かな……才能なしっと」

 

 昼間の熱をため込んだ岩肌が背中に心地よく、隣の岩の隙間から逞しく葉を伸ばす雑草がそよそよと風に揺れるのをみている内に、だんだんと瞼が重くなる。

 腹に乗せたリュックのなかで提灯がごそりと動いた気がしたが、歩き疲れていた高志は、そのまま心地よい眠りに身を任せた。

 

 

「おい、起きろ。起きんか、たわけ!」

 

 耳元で騒ぐすずの声に目が覚めた。

 

「人がせっかくホッコリとあったか気分で寝ていたのに、邪魔するなよ」

 

 もう一度寝ようと腹の上のリュックを放り出し、腕を組んでごろりとすずに背を向けた。

 

「ホッコリしている場合ですか? 辺りはすっかり冷え込んできていますし、目を開けたらもっと小寒さが増すと思うけれどねぇ」

 

「いじけて引っ込んでたくせに、急に出てきてどうしたのさ」

 

 バッテンの声に意固地になった高志は、皺が寄るほど瞼を閉じる。

 

「別に出てきたくはなかったのだけれど、そうもいっていられないからさ」

 

「とっとと目を開けんか。開けんのなら、鼻と口も閉じてやる!」

 

 小さな手に鼻を鷲づかみにされて、高志は両手を振り回して跳ね起きた。

 

「死ぬって! 普通に死ぬ!」

 

「心配するな。このまま黙ってここに居れば八割方、明日の朝までにお陀仏だ」

 

 物騒な言葉に高志は思わず目を開けた。

 周りの景色が小揺るぎしたのは目眩のせいではなく、現状の景色と記憶に残るそれがあまりにも違ったから。

 

「ここは、何処?」

 

 まだ沈まぬ日にちらちらと輝く川の幅は広く、底に転がる小石がはっきりと見てとれた。

 高志が寝転がっていた平たい岩は、何一つ変わらずここにあるのというのに、周りの様子が一変している。

 岩の足場が続いていた川辺を短い草が覆い尽くし、その中にぽつねんと置かれた岩に高志達三人は座っていた。

 

「魚が釣れそうなほど深い川だった。川幅もこの三分の一にも満たなかったはずなのに。それにあの建物はなに? 絵でみた宿場町みたいだ」

 

「あながち間違ってはおらん。あれは旅籠屋だ」

 

「泊まれるのかな?」

 

 するとバッテンは襟から出した手を顎に当て、眉を顰める。

 

「あそこ泊まるのは命がけだよ。徒渡りしたら、もう引き返せない。けれどここに留まっては後がない。さて、困ったねぇ」

 

「カチワタリ?」

 

「川を渡ることだ。見かけ倒しの年寄りだから、古い言葉しか知らん」

 

 鼻で笑うすずに反論しかけたバッテンは、川上に目を向けて口を閉じる。

 

「もう遊んでいる暇はなさそうですよ」

 

「わかっておる。問題は、このアホウをどうやって隠すかだ」

 

 高志を蚊帳の外にして、二人は腕を組む。

 よくわからないが一番危ないのは自分の命で、この事態を引き起こしたのも自分らしいということだけを察した高志は、黙って交互に二人を見る。

 

「あまり良い方法とはいえないけれど、この川の水が含む鬼気なら、多少なりとも人の臭いを消すのではないかな? あとは川の水で口をすすぐことだね。間違っても飲んではいけないよ」

 

 バッテンの提案を聞き考え込んだすずは、小さく頷いた。

 

「それしかないな。おい、その辺りの草を抜いて、根に付いた土に川の水を垂らして泥をつくれ。それを全身に塗るのだ。隈無く塗るのだぞ」

 

 訳がわからずぼんやり立ち尽くしていると、服を脱がさんばかりの勢いですずにせかされた。

 草を抜いて土を集める作業をバッテンが手伝ってくれたが、その横顔は僅かに緊張の色を隠せず強ばっている。

 服の汚れを気にする訳にもいかない雰囲気のなか、高志は服の中に手を突っ込んで全身に泥を塗りたくった。

 

「これでどう?」

 

 塗った先から乾いていく泥は、高志の顔と髪の毛を灰色で覆い、口を開けただけでひび割れそうだ。

 仕上がりを確認して頷くすずを、バッテンが急かせる。

 

「徒渡りするなら、あの浮き石を足がかりに進もうか。少しでも塗った泥が、川に流れない方がいいからね」

 

「そんなに急がなけりゃ駄目なのか?」

 

 具体的に何も知らされないまま、泥だらけになった高志がごねたようにいうと、後の言葉を口にする前に、矢のように冷たい二人の視線が飛んできた。

 

「返事をする間が惜しいほど危地に追い込まれておるぞ。正確にいうなら、追い込まれているのは、おまえだけだが?」

 

「とりあえず、ぼくの命は大丈夫そう?」

 

「風の前の塵といったところかねぇ。さあ、本気で急いだ方がいいよ」

 

 バッテンが指し示す石を渡りはじめてはみたものの、浮き石というだけあって、ぐらついて安定感がまるでない。

 

 両手を広げ、綱渡りの要領で一歩一歩進んでいく。

 

「もし川に落ちたらどうなるの?」

 

「仮にこの場を生き延びても、十日は寝込むだろうな。なにしろこの鬼気だ。泥に染みた分だけでも、馬鹿にはできん」

 

 もう何も言わないで集中しよう。脇目も振らずに進む高志の足元がだんだん見えづらくなっているのは、沈んだ日が夜と昼の境目を造り出す独特な色が、空気を染めているからだろう。

 何度もふらつきながらも川を渡りきって振り返ると、バッテンとすずは平地を跳ねるような軽やかさで、浮き石を渡りこちらの岸にすとんと立った。

 

「来たぞ」

 

 すずが声を潜め、高志の手をぐいっと引く。

 バッテンも身を滑り込ませ、三人は杉の周りに茂った丈の長い草に身を隠した。

 

「そろそろ、おまえにも見えるだろう?」

 

 すずが顎をしゃくって指した川上の遠くに、幾つものちらちらと揺れる灯りがみえた。

 何がとはいえない幽かな怖気に、高志はぶるっと身を震わせた。

 

「奴らがここに辿り着く前に、何とかして旅籠に入るぞ。アホウはなるべくしゃべるなよ。頷いてだけいれば良いのだからな」

 

 高志が頷くと、身を低くしたまますずが走り出す。

 バッテンに背を押されて、高志も駆けだした。

 

 すず達が旅籠屋と呼ぶ建物は、木造の古屋だが二階建てで思いの外大きかった。

 広い間口にかけられた深鼠色の暖簾には、鮮やかな朱色で丸に塵の字が染め抜かれている。

 

「いらっしゃいまし」

 

 出てきたのはのっぺりとした顔の男で、長い前掛けを腰に巻いている。

 値踏みするように高志達を睨め回した男は、訝しむように顎をくいと引いた。

 

「ご一行様にしては早いおつきで。のんべんだらりんな行脚に、痺れでも切らしましたかな?」

 

「まあな。物見遊山でもあるまいし、とろくさいのは好かんのだ」

 

 ふうん、と頷きながらも男の目に宿る疑心は、いっこうに晴れていない。

 

「一晩だけ宿を取りたい。あの一行もそこまで来ているぞ。狐火が見えたからの。あやつらとは別に、一部屋くらい空いているのだろう?」

 

「別に、ですか?」

 

「なに、あの狸どもに聞かれたくない話があるだけのことだ」

 

 先ほどまでの緊張など微塵もみせずに、すずは澄ました顔であくびまでして見せた。

 

「まるっと一部屋は無理でございますが、独り泊まりのお客様が屏風で仕切って、それぞれの場に泊まられる大部屋があいております。そちらでは?」

 

 ほんの一瞬だけ眉を顰めたすずは、にこりと笑って、頼むかな、といった。

 

「おーい、二階の部屋はどうするんだ? 閉めちまっていいのかよ!」

 

 奥の方から野太い男の声がした。

 

「かまわんよ。そのままにしておいとくれ」

 

 男が答えた。

 妙な違和感に、高志はひとり首をかしげ今し方の記憶を辿る。

 はっとして高志は口元を押さえた。奇妙なはずだ。

 男の声が答えたはずなのに、その口はぴくりとも動いてはいなかった。

 

「そいでは、お部屋へ案内しましょうか」

 

 商売人が金にならない客に見せる、うすっぺらい笑顔を見せた男は、先だって二階へと上がっていく。

 

 ひっ、という声を、高志は寸でで呑み込んだ。

 

 背を向けて歩く男の襟足から覘く首には、色の抜けた唇を持つ口があった。

 高志には聞こえないが、独り言をいうように小さくぶつぶつと動いている。

 

「見晴らしのいい場所にしておくれよ」

 

 すずがいう。

 聞きたいことは山ほどあるが口をきく訳にもいかず、縋るようにみたバッテンもきょろきょろと辺りを見回して、高志と目を合わす暇さえ無さそうだ。

 

 廊下の両側にならぶ障子はいくつかの部屋から灯りが漏れ、先客の影を朧に映しだしている。

 その影さえ人の物ではないのかと思うと、心臓が喧しく鼓動をあげた。

 

「こちらでございます。相部屋ですが、ごゆっくり」

 

 開けられた障子の中は、絵屏風で三つに間仕切りされている。

 高志達があてがわれたのは一番端っこの場所だったが、すずは満足そうに腰を下ろした。

 軽く頭を下げて男が出て行くと、ほっとして高志は大きく息を吐いた。

 

「なんだ? 人間臭せえぞ」

 

 続けて案内された客がひとり、部屋に足を踏み入れ鼻をひくつかせている。

 

「馬鹿が」

 

 小声で高志を睨むと、すずはすっと立ち上がり新参の客へ向き直った。

 

 

 

 

 




次話は奇妙な世界を、不気味にそして少し可笑しくかけたらなと思います。
今夜も見に来てくれた方、本当にありがとうです
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