貧乏神の遠足   作:紅野生成

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31 犬の客引き

 体の芯が歪んだような妙な感覚のなか目を覚ますと、平たい岩の上にうつ伏せに横たわっていた。

 高志は希薄な現実感にぼやける目を凝らしてみたが、すずとバッテンの姿はない。

 鈴と提灯に身を潜めているのだろう。

 目の前を流れる川は深く豊かな水をたたえ、東から登ったばかりの太陽に照らされ、白く水面を輝かせている。

 

「戻ったんだ」

 

 背中のリュックを下ろし、肩の力を抜く。

 旅籠屋で目にした光景は、人である高志には胸の悪くなるものだった。

 あんなモノを見ることになると知っていたなら、陽気に酒など呑んではいられなかっただろう。

 

「それをわかっていたから、お前達は直前まで詳しいことをいわなかったんだな。そして、明るく振る舞っていてくれた。そうだろ?」

 

 すずとバッテンから、答えはない。

 この先テンテンに会えることがあっても、あのことを高志が口にすることはないだろう。

 救いのない真実は、語る者の胸にも穴を穿つ。

 

「とりあえず移動するか」

 

 リュックを背負い直して、岩の上で高志が片膝を立てたときだった。

 目眩のように、景色が揺れた。

 目覚めたばかりだというのに、猛烈な睡魔が襲う。

 

「冗談だろ?」

 

 あの旅籠屋の川向かいにいくとして、もう妖達は姿を消しただろうか。

 紛れ込んだ人の子の探索は、続いているのだろうか。

 

「だったら、まずいよな」

 

 すずとバッテンを呼ぶ声は誰にも届かないまま、高志の姿は岩の上から霧となって掻き消えた。

 

 

 

「起きろ、腹が減ったぞ」

 

 けっこうな強さで脇腹を突く、すずの声に目が覚めた。

 

「ここはどこ?」

 

「知らんぞ」

 

 川幅が狭く浅い川が、目の前を流れている。

 川辺には、高志の膝下までありそうな草が生い茂っていた。

 

「旅籠屋がないってことは、別の場所に来ちゃったのか」

 

「辻で道が交わることなど、そうあることではない。運が悪かったな」

 

 人ごとのようにいうすずは、腹の辺りを撫でて不機嫌そうだ。

 本気で腹が減っているのだろう。

 

「なにげに山奥だね。登山したわけでもないのに、迷子になったらしいや」

 

「それなら心配はいらんぞ。近くはないが人の声がする。足音もな」

 

 高志も耳を澄ましてみたが、川のせせらぎと鳥の声以外、何も聞こえなかった。

 

「アホ面こいてないで、さっさと川の水で泥を落とせ。鬼気の残った泥だからの、早く落とした方がいいぞ」

 

 そうだった。このままでは人前に出られない。かといって、川で行水もきつい。

 川に指先を入れた高志は、あまりの冷たさに一瞬で引っ込めた。

 

「鬼気で具合が悪くなる前に、風邪で寝込むかも」

 

「ぐだぐだ言うな。後から思い出したが、屁っこき草の葉は昔から、妖の間では厄払いに使われておってな、邪気を払うらしい。まあ、妖が邪気を払うというのも笑えるがな」

 

「屁っこき草じゃなくて、屁垂れ花の葉だろ? 飲み込んだことを、ますます後悔するじゃないか」

 

「とにかくアホウがそうして、ぴんぴんしておるのは、あの臭い葉のおかげだ。とにかく体を洗え」

 

 しぶしぶ服を脱ぎながら、まだ冷える山の朝に高志は身を震わせた。

 川の浅瀬に膝まで浸かって、あまりの冷たさに戻ろうとした高志は、すずに蹴り飛ばされて川の中にざぶりと浸かった。

 

「その方がいっぺんに終わるだろう?」

 

 暖かい岩の上にちょこんと座るすずに背を向け舌をだす。

 めちゃくちゃに体を撫で回し、頭も顔も水に沈めて一気に洗った。

 ひぃー、ひぃおー、意味をなさない奇声を上げながら川から上がった高志に、タオルを投げつけたのはバッテンだった。

 

「少しは綺麗になったけど、しばらくの間、臭いのは仕方ないのかねぇ」

 

「まだ臭う?」

 

「近づくと少しだけ」

 

 ニンニクとニラ料理を食べて、肥溜めの空気を胸一杯に吸い込んでますみたいな臭さで、人前にでていいのだろうかと、高志はがくりと肩を落とした。

 

「心配ない、妖には臭うが人からすれば、加齢臭のオヤジがいるのと大して変わらんだろう」

 

「もっと嫌だ!」

 

 ぶつぶつ文句をいいながら、高志は服を着た。

 にやりにやりと笑うすずは、やはり腹が減っているのか腹を手で押さえている。

 バッテンは己の提灯が傷ついていないか、念入りに眺め回していた。

 

 旅籠屋での残酷な夜行のことを、誰も口にはしなかった。

 そのことに高志は少しだけ安堵して、大げさに明るく笑ってみせる。

 誰かと語り合うには、まだ時間が必要だった。

 

 

 人の声が聞こえるというすずを先頭に川沿いをしばらく行くと、高志の耳にも客の呼び込みの声が聞こえてきた。

 

「このまま真っ直ぐすすめば人の居る場所にでる。案内してやったぶんは、飯で返せよ」

 

 いうだけいって、返事も待たずにすずが姿を消した。

 バッテンにいたっては歩くのが面倒だと、さっさと提灯に身を潜めている。

 

「確かに腹が減ったな。何か食べ物が売っているといいけれど」

 

 川沿いを歩いて行くと、赤く塗られたアーチ型の小さな橋が見えて、その上を歩く人の姿があった。

 橋の横の土手を上ると、ちょっとした観光地なのか、家族連れや老夫婦など、多くの人が行き交う道があった。

 ここが何処なのかさえわからない高志は、とりあえず人の流れに乗って進むことにした。

 人々の服装が軽装なところをみると、山の中とはいえ登山道ではないのだろう。

 カシャカシャと鳴る滑車の音に顔を上げると、道を少し外れた上をゴンドラが走っていた。

 ゴンドラの側面には、丘の上のカフェ、と爽やかな色調の広告が入っている。

 

「いいな、温かい飯。すずの分はあとで買うか」

 

 文句をいいたくても、この人混みではすずが出てこられないのをいいことに、高志はゴンドラの到着先を目指して足を速めた。

 途中にお土産物屋や食堂が軒を連ねる場所があったが、脇目も振らずに前に進んだ。

 買ったものを、すずに取られずに食べ尽くす、千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかない。

 

「自分で稼いだ金で食べて何が悪い」

 

 足取りも軽く進んでいた高志が、ぴたりと立ち止まる。

 知り合いなどいないはずの土地で、さっきから視線を感じていた。

 ばっと振り返ったが、仲良くおしゃべりしているお婆ちゃんや、家族連ればかりで、誰も高志のことなど見てはいなかった。

 

「気のせいかな」

 

 ふと視線を下げると、ゴールデンレトリバーみたいな薄茶色の毛をもわもわに生やした中型犬が後ろにいるのを見つけた。

 短いしっぽが忙しく動いている。

 目が合った。

 犬が、きゅっと鼻先をずらす。

 

「飼い主のところへ帰りなよ」

 

 高志は溜息を吐いて先を急いだ。

 丘の上までのなだらかな道をせっせと登った高志を待っていたのは、カフェに入ろうとする客の長蛇の列だった。

 最後尾の看板を持った、若い男の子が客を誘導している。

 

「ちょっと待ってられないわよ。下の茶屋で何か食べましょうよ。今からだと一時間半待ちだって」

 

 三人組のおばちゃんが、ハンカチで額の汗を拭きながら戻っていく。

 

「無理だ」

 

 高志の腹に、一時間半も待てる猶予はない。

 踵を返し食堂がたち並んでいた場所に戻ろうとした高志は、えっ、といって足を止めた。

 さっきみたばかりの犬が、すぐそこに腰を下ろしている。

 高志が見つめると、犬はきゅっと鼻先をずらした。

 

「おまえ今、視線をずらしただろう?」

 

 犬は固まったまま鼻先を横に向けている。

 

「生意気な犬だな」

 

 犬がキッっとこちらを見たような気がしたが、無視して高志は食堂を目指した。

 

 食堂や土産屋が軒を連ねる場所は、相変わらず混み合ってはいるが、場所さえ選ばなければ何とか食事にありつけそうだった。

 

「うどんでもいいや」

 

 入り口の席が空いているのを見た高志は、三角ずきんをきゅっと縛ったおばちゃんが商う、小さなうどん屋に入ろうとした。

 

「おまえ、邪魔だよ?」

 

 さっきの犬が、狭い入り口を塞ぐように座り込んでしまっている。

 しっしと手で払っても、小山のように頑として動かない。

 

「ぼくのうどんを奪ったら後が恐いぞ? それともお前がそのちっさい前足で、うどんでも打ってくれるのか?」

 

 入り口で立ち止まった高志に気付いて、おばさんが客なのか計りかねたように顔を覗かせた。

 へへっと愛想笑いで高志が頭を掻いていると、ひょっこり立ち上がった犬がゆっくりと歩き出し、立ち止まって高志を振り返る。

 

「着いてこいって仕草で見るなよ? 犬のくせに」

 

 少し歩いては振り返りをくり返す犬に根負けして、高志も歩き出す。

 

「いったい飼い主はどうしたんだよ」

 

 首には赤い紐が結ばれているから、飼い犬なのは間違いないのだろう。

 少しあとを追ってやれば、きっと飽きてどこかへ行くだろうと、高志はのんびり歩いていた。

 軒を並べる店の間に細い道があり、そこで犬は右に折れた。

 その細い道の脇にも、小さな店がぱらぱらと軒を並べている。

 前を向いたまま、犬がわんっと吠えた。

 寄り添うように並ぶ店から五十メートルほど離れたところに、一件の店がたっている。

 

 もう一度吠えると、ついてこいとでも言うように、走りだした犬のあとを反射的に高志は追っていた。

 

「犬好きなのが、裏目に出たな」

 

 ひとり愚痴りながら犬の後を追う。

 店の前で立ち止まると、自分の家のように犬は寝そべって、ちろっとだけ高志をみた。

 

「この店なら、入るのを邪魔しないんだな?」

 

 我ながら馬鹿みたいだと思いながら、高志はそっと店の中を覗き込む。

 店の中は空いていたが、カウンターにでかい男が背を向けて座っていた。カウンターの中では、店主らしき男が桶から魚を取りだしている。

 商い中と書かれた木板をみて、高志はひとり頷き縄暖簾をくぐって店に入った。

 

「いらっしゃい!」

 

 威勢のいい店主の声が響く。

 

「うどんとかありますか?」

 

「あるよ!」

 

 そういって顔を上げた店主は、高志の顔を見ると、包丁さばきの手を止めた。

 

「あれ?」

 

 目を見開いて小首を傾げる。

 

「あの、お客さん。もしかして、表の犬のあとを追ってここへ?」

 

「はい。他の店に入ろうとしたら、邪魔されました」

 

 あちゃ、といって額を手のひらで叩いた店主は、手ぬぐいで両手を拭きながら外へでた。

 

 わん、と犬が吠えた。

 なかなか戻ってこない店主を待ちきれずに、とりあえず高志はカウンターの隅に腰を下ろした。

 先客の男はすでに五、六本の銚子を並べて酒を吞んでいる。

 戻ってきた親爺が、ばたばたと奥の方へ姿を消した。

 食い物の皿はなく酒だけを吞んでいたらしい男は、銚子に残っていた酒をぐいっと吞み干し、誰に声をかけることなく席をたった。

 そして奥の店主に声をかけることもなく、縄暖簾をくぐって外に出て行ってしまった。

 

「食い逃げ?」

 

 ちょうど奥から戻ってきた親父と、男が出ていったばかりの暖簾を、口をぱくぱくさせながら見比べる高志をみて、店主が髭の濃い顎を撫でる。

 

「もしかしてあんた、あの男が出ていくところを見たのかい?」

 

 高志が頷くと、親爺は目を大きくしてへぇー、っ感嘆の声を上げた。

 

「あの男と出会って、かれこれ二十五年以上になるが、俺でさえ一度もみたことがないよ。あの男が店からでていくところ」

 

 珍獣でも見つけたかのように高志を見回していた店主は、ちょっとまて、といって、外に出るとさっきの犬を連れて戻ってきた。

 

「おかしいと思ったんだ。こいつが客と間違えて、人の子を連れてくるなんてなぁ」

 

 高志と目を合わせた犬の周りに、ぶわりと風がまいたかと思うと、短かった尾がクジャクの羽のようにふさりと広がった。

 

 

 

 




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