貧乏神の遠足   作:紅野生成

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39 茶涸れの黒楽茶碗

 周りがまったく見えない闇の中に高志はいた。

 自分のものではない思考が川のように、ちょろりちょろりと流れていく。

 何者かの、記憶の倉庫のような物の中にいるのではないかと高志は思った。

 ここで目覚める直前までの短い記憶が曖昧で、何をしていたらこうなったのか、まったく思い出せない。

 とりあえず身の危険は感じられないから、何者かと自分の間には互いに干渉

することを阻む、幕のような物が立ちはだかっているのかもしれないと高志は思った。

 心を落ち着けると暗闇が徐々に色づき、独り言のように語る声が意味をなして聞こえだす。

 高志は心を澄ませてじっとその声に聞き入り、目の前を流れる見たこともない景色に、ただひたすらに目を懲らした。

 

 

 

 

 

 

 

 わたしは、歴史に名を残さぬ男が焼き上げた茶器だった。

 金も名誉も持たないこの男の焼き物を、お忍びで求めに来る武将がいた。

 戦場で敵の首を取ることしか生き方を知らない武将は、なぜかこの男の焼き物を心より愛でた。

 束の間戦が止み、穴が空いたような時を城で過ごす日には求めた茶椀で妻に茶を点てさせ、庭石を眺めながら茶を飲む風流を好んだ。

 数ある茶碗の中でも、へらと手だけで茶碗を形成する『手捏ね』と呼ばれる方法で造られた、黒楽茶碗をこの武将は好んで使った。

 武将が男から最後に買い上げたのも、黒楽茶碗だった。

 中には茶の色がはいった物も多いが、武将が求めたのは漆黒を纏った薄づくりの黒楽茶碗であった。

 

 その黒楽茶碗がわたしであり、武将は純粋に茶器としてわたしを愛でた最初で最後の人間だった。

 

 戦国の世につくられ国宝として名を連ねる黒楽茶碗とは違い、わたしは時代の波を縫うように、ただ割れることなくそこにあったに過ぎなかった。

 親方様と呼ばれ民に慕われたこの武将も、戦国の世に散る日が訪れ敵の武将は勝利の証に首を取り、まるでついでのようにわたしのことも持ち帰った。

 おそらくは執拗なほどにわたしを愛でたという噂でも聞きつけて、愛用品を奪い死者を貶める為だったのであろう。

 

 割られることもなく、かといって茶を点てられることなく、客間に捨て置かれていた状態だったわたしは程なく次の持ち主の手へと渡った。

 何の因果か、持ち主が首を取られるたびに、わたしも一緒に持ち帰られたのだから、いま考えれば、いいかげんくたびれるというものだ。

 だが幸いだったのは、この頃のわたしはまだ、ただの茶碗であり己の意志など持ってはいなかったから、くたびれてなどいなかったし、どこへ持ち去られようと何も感じてなどいなかった。

 

 

 

――あぁ、これは黒い着物を着たあの男の記憶だ。

 

 高志は、最後に茶碗に触れた瞬間を思い出した。

 ぬらぬらと黒光りする茶碗には、確かにロクロを回した物とは違い、人の手が形作った独特の曲線が残っていた。

 

 

 

 己に自我が芽生えた頃、わたしは浪人の手にあった。

 戦乱の世はとうに過ぎて平穏な時代となり、剣の腕では生きていけなくなった者にとって、わたしは幾ばくかの食い扶持を稼ぐ道具でしかなくなっていた。

 どのような話のやり取りがあったのか、わたしは大店の主人の手に渡ることとなった。

 唐物を扱うこの店は、表向きこそ珍しい物を取りそろえた評判の店であったが、たいそう汚いことに手を染めてここまでのし上がったことは、客間にて執り行われる密談に耳を澄ませていると嫌でも知るところとなる。

 その内容たるや庭石の石ひとつ、立派な灯籠ひとつに、いったいどれほどの血が垂れ流されたのかと目を覆いたくなるようなものであった。

 自我など持たなかった昔のことを、絵草紙でも見るように思い出し始めたのもこの頃で、客間に一人でぽつりと居るときなどは、茶筅で香り立つ茶の匂いを懐かしく思い出したりもしたものだ。

 だが過去を懐かしむ罪のない時など、この頃のわたしにほとんど残されていなかった。

 

 

 

 高志はぶるりと身が震えるのを感じた。

 ここにいるというだけで、体など見えてもいないというのに。

 確かに背筋に、ぞわりと這い上がるものがあった。

 

――何だろう。これから客を迎えようとしている店の主人が、黒楽茶碗の内側に、何かを塗りつけている。

 

 

 

 

 唐物を扱うこの店の主が、本来手にすることなどあるはずもない薬が、水に溶かれてわたしの内に塗り込められた。

 幾度も口にするうちに体を内から朽ちらせる薬だといっているのを聞いたが、何という名の薬なのか、わたしには知りようもない。

 何度も飲ませる必要があったから、狙われた相手は端から見ると主人と仲の良い碁会の仲間や、個人的に将棋を打つ者達だった。

 殺そうとした者と、わざと近しい関係になった、といった方がいいかもしれない。

 この店の畳の上で茶と一緒に毒を飲み、時が経ってこの店とは関わりのない所で血を吐き死んでいくのだ。

 

 ずきんを被った御武家に頼まれて、恨みのない者を金で殺すことも多々あった。

 殺せば殺すほど、店は押しも押されもせぬ大店へと成長した。

 話を聞いているうちに、己に塗られた毒で人が死んでいるとはわかっていても、茶碗に死ぬという概念が理解できるわけもなかったのだが、ある日の出来事が、わたしに己の身の汚さを嫌というほど知らしめた。

 

 薬のさじ加減でも違えたのか、茶を飲んだ客人がお店の奥の客間で喉を掻きむしり血を吐いて死んだ。

 多少のことなら欠かしたことのない役人への心付けで蓋もできようが、亡くなったのは名の知れた小間物問屋の若主人で、おまけに嫁は町方から輿入れした娘だった。

 役人が目の色を変えて動いたのはいうまでもない。

 取り調べでどのような責めがあったのか知らないが、大店の主人は己の所業のほとんどを吐いたという。

 

 役人の手の中でわたしは、恐ろしくて恐ろしくて身の震えが止まらなかった。

 白目を剥き皮が剥がれて血が滲むほど掻きむしった、男の姿が心に焼き付いていた。

 絞り出すように発した死に際の声は、血が絡んで人の声とは思えないほど凄惨なものだった。

 

 

 

――この震え、この怯えはあの男のものだ。黒楽茶碗が、人の死を知った恐怖。

 

 

 

 お店は取り潰され、わたしは役人の手で蔵へと仕舞われた。

 蔵のなかで、どれほどの時が過ぎただろう。

 役人とて人の子だ。

 老いた病人でも抱えて食うに困れば、手を出してはならない物にも手をだす。

 時を経て、わたしがどのような因縁を持った茶器かなど知らぬ者が、闇に紛れてわたしを持ち出した。

 

 どこでどう手を組んでいたのか、小役人からわたしを受け取り信心深いお店のお内儀に売りつけたのは、見てくれだけの偽坊主だった。

 

「昨夜、屋根のあたりに白く渦巻く厄災を見たのだが、このままでは商売に差し障りがでましょう」

 

 偽坊主は言葉巧みにお内儀を謀り、商売繁盛の御利益を授け、白い厄災を呑み込む力をもった黒楽茶碗だといって、厚みのある小判と引き替えにわたしを売った。

 信心深いお内儀は、中庭に立派な祠を建ててわたしを祀った。

 時の悪戯で、祠を建てると同時にお店の方は繁盛したものだから、これは霊験あらたかな神器であるということになり、それは大切に扱われたものだった。

 茶器であるわたしの身に染みこんだ毒は、とうの昔に幾度も洗い流され何も残ってはいなかったが、内に宿る心に染みいった黒い物は、一向に消える気配はなかった。

 それどころか、時を経るごとに暗く影を落としていった。

 身勝手な人の世に、わたしは心底うんざりしていた。

 己の欲のために殺しの道具に仕立て、都合の良いように事が運べば神と崇める。

 わたしは茶碗だ。

 だというのに、もう茶を点てて貰うことすらできない。

 茶の香りが懐かしい。

 神器として磨かれ拝まれるよりも、ただ一度、この身で茶を点ててほしかった。

 もう一度あの茶筅の良い香りに包まれることができたなら、そのあと割れてしまっても構わぬというのに。

 

 

 

――茶筅の香りと、やさしいお茶の匂いがする。

 

 心安らぐ香りに高志が張った力をふと抜くと、風が吹き込むように流れてきたのは、濃い血の臭いだった。

 黒楽茶碗に残る、染みのような記憶。

 

 

 

 お内儀の産んだ男の子は、大切な跡継ぎと大事大事で育てられたが、いかんせん甘やかされて育ったせいで、親のいうことなど半分も聞く子ではなかった。

 絶対に触れてはならぬといわれていたのに、親の目を盗んでわたしを祠から取りだした。

 この時ばかりはお内儀も、頭から角を生やさんばかりに怒ったが、わたしの身に降りかかった問題は、お内儀の怒りではなかった。

 わたしを手に叱られていた男の子は、わたしを祠に戻した途端に、がくがくと全身を痙攣させ泡をふいたかと思うと、どさりとその場に倒れ込んだ。

 お店中が蜂の巣を突いたような騒ぎとなり、直ぐに医者が呼ばれたものの、すでに息はなく小さな手は刻一刻と冷たくなっていったのだった。

 

「祟り神じゃ!」

 

 気が触れたように、叫ぶお内儀の声が祠にも響いた。

 何をしたわけでもなかったから、全ての出来事をまったくの他人事として眺めていたわたしは、お内儀の叫びが己を指しているのだと知ったときには、正直驚いた。

 驚き、呆れ、諦めた。

 

 

 

――あぁ、黒楽茶碗の心にひびが入ったのは、この時なのか。利用され崇められ、祟り神にまで蹴落とされた恨みが、憎しみだけが渦巻いている。諦めようとしているのに、諦めきれず憎しみが勝った。

 

 

 

 息子の敵だ叩き割ると髪を振り乱すお内儀を、店の者達が力尽くで押さえていた。

 

「あれは神器ではない。器の形をとった祟り神だ。割っておくれ」

 

 譫言のように叫ぶお内儀に、夫である店の主は必ず割るといってきかせたものの、やはり祟りが恐ろしかったのであろう。

 秘密裏に、とある寺へとわたしを供養にだした。

 

 古い寺の坊主は形ばかりに経をあげたが、その程度のことでわたしを封じることなどできるはずもない。

 物を詰め込んだ小部屋の一角に置かれたわたしの周りを、時だけが過ぎていった。

 寺に来てから初めて季節移り変わった頃、この寺の中で他の気配があることにわたしは気付いた。

 夜には月明かりに照らされた障子の向こうを、小さな影が通り過ぎることがしょっちゅうあったし、坊主がいるのにも構わず、大声で話している声も聞こえた。

 

 人ではない者なら、わたしも言葉が交わせるやもと、抱いた微かな期待はあっけなく叶えられ、願いは粉々に砕かれたることとなる。

 この頃のわたしはまだ器から離れて出歩くすべなど持たなかったから、やってきたのは彼らの方だった。

 小さな障子の穴を広げて、小さな者が六人ほど入ってきた。

 彼らは、付喪神だと自ら名乗った。

 わたしも付喪神なのだと、知ったのはこのときだったのだから、いつの間にやら己にさえ関心を抱くことなく、いかにだらだらと時に流されて生きてきたかが知れようというものだ。

 

「げっ、こいつから血の臭いがする」

 

 付喪神達が、最初に発した言葉だった。

 

「もう毒など染みてはいない。わたしも仲間に加えてはくれまいか?」

 

 わたしにしては、思い切った言葉だった。

 

「仲間だと!」

 

 付喪神が、わたしを指さして笑う。

 

「なぜ笑う?」

 

「毒の代わりに、人の匂いが染みついてる。おまえは神と崇められ、挙げ句の果てに厄災をしょった祟り神とでもいわれて、この寺に捨てられたくちだろ?」

 

 その通りだから、わたしは何の反論もしなかった。

 

「おまえは付喪神だった者。だが今は、おれたちの仲間じゃない」

 

「どうしてだ?」

 

 わたしには、とっさに理解できなかった。

 

「今は、神だからさ。祟り神さ。くわばら、くわばら」

 

 一人の付喪神が鼻をつまむ。

 

「本物の神さまだって、おまえを見たら綺麗なベベの袖で鼻を覆うだろうよ」

 

 賑やかな笑い声が、わたしを嘲っているのだと気付くと身が縮んだ。

 

 付喪神達はわたしに興味をなくしたのか、潮が引くように部屋からいなくなってしまった。

 

 祟り神

 

 わたしの中に、その言葉だけが残った。

 人から忌み嫌われ、それ故に同じ仲間であったはずの付喪神からものけ者にされるなど。

 わたしの中に黒い闇が立ちこめた。

 憎しみを糧に、わたしは己の力を蓄えた。

 姿こそみせないが、隣で話す付喪神達の話で苦緑神清丸のことも知った。

 神の薬であるそれを手に入れたなら、強大な力を手に入れられるという話をわたしは信じた。

 

 人の子がそれを飲み込んだと聞いたとき、寺を出るのは今だと心を決めた。

 わたしを利用し勝手に崇め、身勝手に貶めた人の子に復讐し、わたしをつまはじきにした人ならざる者達を統べ、神に刃を向けよう。

 

 わたしは闇に紛れて寺を出た。

 

 人の形をなして己の器を懐にいれるなど、今では造作もないことだった。

 それほどまで、わたしの身は人の血を流して来たのだろうと思う。

 誰も受け入れてくれぬなら、この世で唯一無にの存在になろうと、わたしは誓った。

 

 だがそんな誓いもここまでらしい。

 憎しみと恨みでかたどった誓いなど、所詮は紛い物に過ぎないのであろう。

 それにくらべて、この強い気はどうして生みだされたのだろう?

 人でもなく、妖でもない。

 どれほどまで強く願えば、これほどの力を得られるのだろう。

 憎しみではなく、ただの想いが形をなした刃にわたしはやられたのかもしれない。

 祟り神などといわれる前に、茶と茶筅の香りに包まれてこの身が砕けていたなら、どんなにか幸せだったであろうに。

 

 

 

 黒楽茶碗の声が遠ざかり、高志は色も音もない闇に包まれた。

 涙の零れる音さえ響きそうな静寂のなか高志の意識も虚ろになり、闇に呑み込まれ溶ける感覚が身を包む。

 

――そうか、この闇は、黒楽茶碗の失望がつくりだしたものか。

 

 ぷつりと意識が途絶え、その後いくつかの夢を渡り歩いたような気がしたが、どの夢にも、茶から漂う香りと茶筅の木の匂いが満ちていた。

 

 

 

 

 

 

「痛いっ!」

 

 頬の痛みに目が覚めた。

 

「目が覚めたか。呑み込まれたかと思ったぞ」

 

 馬乗りになって、片手を振り上げたまますずがいう。

 この姿から察するに、気付けといわんばかりに頬を叩き続けていたのだろう。

 

「大丈夫だよ。この茶碗には、もうそんな力は残っていない」

 

 傍らに転がる茶碗には、うっすらと大きくひびの入った跡みえた。

 

「もう、何もしないと思うよ」

 

 高志に記憶が見えたのは、黒楽茶碗がそれを望んだからなのだろうか。

 そうだとしても、決して口にはしないだろうと思った。

 

「この茶碗、どうするつもりだ?」

 

 すずがいう。

 高志は力なく首を振った。

 

「疲れたよ。今日は小屋で眠って明日考えよう。もう命を狙われないとはいっても、迷い込んだ道から抜け出せないことに変わりはないから」

 

 小屋に入り、倒れ込むように眠りに落ちた。

 眠りが浅いのか、ぱちりぱちりと燃えた木が爆ぜる音に幾度か目を覚ましかける。

 

「けむり臭い」

 

 漂ってくる焚き火に似た匂いに体を起こすと、横に座っていたすずが、いいから寝ろと体を押した。

 すずがそういうなら大丈夫だな、そう思った高志は鳥の鳴き声に起こされるまで、深く静かな眠りに落ちた。

 

 

 

 

 




 ひとり語り調で会話も少なく、読みづらかった方はごめんなさい。
 今日も読んでくださって、ありがとうございました(=^0^=)
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