貧乏神の遠足   作:紅野生成

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8 言語界の骨董品とアホなおっさん(前)

「なあ、おまえ気づいているか? すっかり家に帰る道のりを失っているぞ」

 

 人気のない遊歩道を歩いているとき、気まぐれに姿を現したすずがいう。

 

「まさかとは思ったけど、やっぱりそうなの?」

 

 引き攣る口の端を無理やり上げて笑う高志を見上げて、すずが鼻から息を吐く。

 

「そういうのを現実逃避、というのではないのか? どんなアホでもいい加減真剣に気づくだろうが」

 

 ずっしりと気が滅入った高志の脛を、小さな足が蹴飛ばした。

 

「アホはアホらしく笑っていろ。アホウのしけたツラなど、酒のつまみにもならんぞ」

 

 すずの赤い鼻緒の下駄がからり、ころりと音をたてる。

 

 姿を現したからといって、ほかの人間に見えるわけでもないのだろうが、人のいる前ですずがその姿を現したことはなかった。

 

「それなら聞くけど、どうやったら家に帰れるわけ? 解決策があるなら教えてくれよ。すーずーさーまー」

 

「七人の神の役にたったなら、直ぐにでも帰れるが」

 

 高志はケッと鼻にしわを寄せた。

 

「だろ、わからないだろ? ほんっと生意気なんだか……えっ? 今なんつったの?」

 

「七人の神の役にたてといった。そうすれば帰り道に辿り着ける」

 

「どうして今まで黙っていたわけ? 生意気通り越して、性格悪いぞ」

 

「文句をいうなら、自分の空っぽの頭にいえ。理があるといったろう。人間以外の者は、その理に縛られて存在しているのだ。礼に酒の一杯もくれるならともかく、文句を垂れるとはな」

 

 恩知らず、腑抜け、役たたずと思いつく限りの悪口をいいながら歩くすずに舌をだして、高志はむくれていた頬を引っ込めた。

 

 帰り道を失ったとはいっても、映画のように異界に迷い込んだわけではないのだ。

 上手く表現できないが、確かな現実の中で家に帰る道だけが、異空間に飛ばされたような奇妙な感覚。

 人に訪ねて進んでも、路線を調べて進んでもたどり着くのは、いつも目指していたのとは違う場所なのだから、そうとしか言い様がなかった。

 

――まるで惑わされているみたいだ。

 

 間違って違う路線のバスに乗ったり、教えてもらった道そのものが間違っていたり、眠っているあいだに乗り過ごしたり、ゴールが見えているのに道を見いだせない、まるでスケルトンの迷路の中に放り込まれたようだった。

 

「すず、人が神様を助けるなんて無理がないかな? だいたいどうやって七人もの神様に出会えばいいのかもわからないよ。聞いてる?」

 

 見下ろした先に、すずの姿はなかった。

 

「勝手なんだから」

 

 仕返しに鈴を指先で弾いてやったが、ちんとも鳴らない。

 

「かわいくないやつ」

 

 ぶらりぶらりと遊歩道を抜けると、駅前の公園にでた。大きな噴水が涼しげに水を吹き上げている。

 腹が減ったが今食べると、夕方早くにまた空腹に襲われるだろう。高志は噴水の縁に腰掛けて暇つぶしに行き交う人々を眺めた。

 平日の昼とあって、サラリーマンの姿が多い。

 たまに風に乗って首筋にかかる、霧のしぶきが心地よかった。

 

「ママ、おうちに帰ってごはん食べようよ」

 

 小さな子供がにこにこと母親の手を引いているのを見て、年甲斐もなく羨しいと思った高志は、ひとり恥ずかしくなって頭をかいた。

 

――母親か。

 

 今度は両手で頭をわしゃわしゃとかいて、駅で地図でも見てみようかと腰を浮かせた高志は、すとんと座り直して視線を奪ったそれをじっと見つめた。

 

 背を丸めてとぼとぼと歩くその男は、ハガキ大の白い紙をここ其処の電柱にぺたりと貼り付け、電柱を使い果たすと、ひとつだけある電話ボックスの中に入ってさらに貼りだした。

 遠くて何が書いてあるいのか見えないが、その男の奇妙な動きにひかれて、高志は目の端で追い続けた。

 

「こんな場所に好き勝手に、紙なんか貼っていいのかな」

 

 貸金業やエロ業界の広告貼りのアルバイトにしても、ふつうは人目につかない夜中とかにするものではないのだろうか。

 

「それにしても丁寧に貼る人だな」

 

 目にするであろう紙の先にいるはずの誰かに、まるで祈りを捧げるかのような振る舞いは、男が着ている背広がよれよれであることを忘れさせるものがあった。

 全て貼り終わったのか電話ボックスからでた男の背が、道を行き交う人並みの向こうへと消えていった。

 むずむずと湧き上がる好奇心を抑えられなくなった高志は、男が紙を貼り付けたばかりの電話ボックスの中に飛び込んだ。

 受話器を手に電話をかけるふりをしながら、男が貼ったばかりの白い紙を上目遣いに探す。

 

 あった。

 

「はぁ?」

 

 大雑把にいえば、日本語なのだと思う。

 

「読めない」

 

 戦国武将の直筆を、テレビで見た時の読めなさ具合に似ている。

 あるいは万葉集。

 話しているふりも忘れて、高志は筆でかかれた黒い糸ミミズに見入っていた。

 

 ガシャリ

 

 音と共に、涼しい空気が流れ込む。

 振り返った高志は、受話器を放り投げて細長ガラスの壁に張り付いた。

 開け放たれた入口から半身乗り入れて目を潤ませているのは、白い紙を貼っていた男だった。

 

「興味ありますか!」

 

 男の第一声が、狭苦しい電話ボックスの中に響く。

 

「えーっと」

 

「興味津津ですか!」

 

 鼓膜がきーんとなり、思わず目を閉じる。

 目を開けたとき、男はドアを閉めてちゃっかり電話ボックスの中に立っていた。

 体が触れるほど狭い空間に、見知らぬオヤジと二人。

 

 うれしくない。

 

「なんでも良いのです。いってみてください」

 

 嬉しそうに小鼻を膨らませた男が、満面の笑みで顔をぬっと突きだす。

 男は小脇に抱えていた紙の束から一枚抜くと、それを高志の顔の前に差し出して

「ねっ」といった。

 

「あの、すみません」

 

「なんでしょう!」

 

 男の声が嬉しそうに上ずる。

 

「何が書いてあるのかわかりません」

 

 男の顎が落ちて、口角がすとんと下がる。

 

「これ、読めませんか?」

 

「はい、読めません」

 

「筆には自信がありましたのに、自惚れでした」

 

「いいえ自惚れてください。達筆すぎて読めないのです」

 

 がっくりと項垂れた男に「とりあえず外にでませんか」というと、こくりと頷いた。

 外へ出ると、男二人のむさ苦しい空気がそよ風にさらわれて、高志は大きく息を吸い込んだ。

 二人で噴水の縁に座るなど全く気が進んだものではないが、電話ボックスで寄り添っているよりは遥かにましだ。

 清々しい思いも束の間、聞いてもいないのに男が話しはじめる。

 

「わたしの仕事は営業です」

 

「何を売っているのですか?」

 

「あなたが欲しがるものです」

 

 高志は首を傾げて考えた。家に帰れる地図とかいいたいところだが、ここは常識的に答えるべきだろう。

 

「車?」

「いいえ」

 

「家?」

「違います」

 

「オートバイとか?」

「どれも持って歩けませんよ」

 

 男が呆れ顔で高志をみる。

 

「ではわたしから質問しましょう。今一番欲しいものは?」

 

 腕組みして考え込む高志に男は、駄目ダメ、といった。

 

「心の枷をとっぱらってください。今のあなたにとって、これさえあれば人生上手くいくというようなものですよ」

 

 面倒くさくなってきた高志は、ちょっとからかうつもりで意地悪なことをいってみることにする。

 

「そうだな、欲しいのは」

 

「欲しいのは?」

 

「自信かな」

 

 呆れて肩を落とすとばかり思っていた、男の大きな目がさらに見開かれる。

 

「それです! まさしくそれ!」

 

 得たとばかりに、男は手を打ち鳴らす。

 この人は職業の選択を、というより自分の職業の認識を間違っていないだろうか。

 高志の手を握りしめて上下に振り回す男をみながら、深呼吸して冷静に話しはじめる準備する。

 

「あなたは自信を売っているというのですか?」

 

「いいえ、売ってはいません。そもそも自信なんて、売り買いできませんでしょう?」

 

 こみ上げる馬鹿! アホ! マヌケ! という心からの言葉を、唾と一緒になんとか喉元で飲み込んだ。

 

「あなたは営業が仕事だとおっしゃいましたよね?」

 

「はい!」

 

「せんえつながら、営業とは何かを売ることです。お金で売るのです。売り買いできないものを売るのは、営業とはいいません」

 

「ではわたしのしていることは、いったいなんなのでしょう?」

「わかりません」

 

「わかりませんか?」

「意味不明です」

 

 断言。

 

 意気消沈してすっかり丸くなった背中で、ヘソを覗くように項垂れた男にさっきまでの勢いはまったくない。

 静かになって高志がほっとしたのは、ほんの短い間だけだった。

 

「わたしはどこで道を間違えたのでしょうか。先人にならったつもりでしたのに」

 

 まるで自分に問うように、ぽつりと言葉を落とした。

 

「先人にならって 何をしようとしたのですか?」

 

「人が心から望むものを、見つけ出す手伝いをするのがわたしの生業です。人はすべからく望むものを己の中に持っているのです。ただ気づいていないだけです」

 

「それを見つけ出す手伝いをしようと?」

 

「はい」

 

 この男の何かが世の中とズレているのはわかるが、ここまでくると最早何がずれているのかさえわからない。

 

「ではひとつひとつ考えていきましょう。まずはこの紙に書かれている内容を教えてください」

 

 情けない顔で男は、摘んだ紙に視線を落とす。

 

「掻い摘むと、あなたの中に眠る宝を見つけるお手伝いをします。というようなことを書いてあります」

 

「この達筆な文を読める人は、ほとんどいないと思いますよ」

 

「どうしてです? ここは大和の国です。これはれっきとした大和言葉ですのに」

 

 男がまっすぐに高志を見つめる。

 再度喉元まで這い上がってきた「馬鹿ですか!」の一言を高志はぐっと飲み込んだ。

 

「大和言葉は今や太古の言葉です。この国に神様が人と共にいた万葉集の時代の言葉です。大和言葉など今では、言語界の骨董品です」

 

 本気で驚いたように、男はぽかりと口を開けた。

 大和の国なんて、長者番付にのるようなご老人でもいわないだろう。

 これ以上話しても無駄だろうと、軽く頭を下げて腰を浮かせたとき、どさりと音がして今しがた高志が座っていた場所に男が倒れ込んでいた。

 慌てて覗き込んだ高志を、青白く血の気の引いた男の潤んだ瞳が見返す。

 

「喉が乾きました」

 

 さっさと席を立たなかった自分を罵りながら、高志は自販機にスポーツドリンクを買いに走った。

 

「おいしいですね」

 

 あっという間に飲み干した男は、頬に色が戻り驚くほど元気になった。

 男はにっこりと高志に頭を下げる。

 

「一生懸命紙を貼っていたので、三日ほど何も食べていませんでした」

 

――嬉しそうにいうな! 命に関わるじゃないか!

 

 薄い財布を握りつぶしながら、高志はコンビニへ走った。

 握り飯に齧り付く男の横顔を見ながら、シャツの下で鳴る自分の腹を抑える。

 一日に使う食費は決めていたのに。

 

――昼抜きかよ。

 

「ご馳走さまでした」

 

「どういたしまして」

 

 さてどうしようと高志はそわそわと腰を動かす。すっかりここを立ち去る機会を逃してしまった。

 

「あなたは何を迷っているのですか?」

 

 不意にかけられた男の言葉に、高志は自分の中に積もった瓦礫を、ほんの一瞬掘り起こしてしまった。

 迷っているではないと思う。

 それ以前の問題だ。

 

「どうしてそう思うのですか?」

 

「あなたが、自信が欲しいといったから」

 

「それは……」

 

 ふざけたのだとはいいづらくて、高志は口を噤んだ。

 それでもふと思う。

 無意識にでた、本音も有り得るのだと。

 

「そんなにお若いのに、何を躊躇っているのです?」

 

「もうあと二年で就職です。今がまだ高校生ならまだしも、色々考えます」

 すると男は、さわやかな笑顔で目を細めた。

 

「十年後にあなたはこういうでしょうね。二十代ならやり直しもきくが、もう三十を過ぎましたからと」

 

 高志ははっとして顔を上げた。

 

「無謀に生きろというつもりはありません。でも人というのは、時間が過ぎてからようやく己の立ち位置がわかるものなのですよ」

 

 男の声が、新鮮な空気のように胸に染み入る。

 

「目的地に着けるかもわからないのに、荷物を全部置いて飛ぶ馬鹿はいませんよ」

 

 それを聞いた男は立ち上がって、両腕を大きく広げた。

 

「とりあえず、という言葉があるでしょう? 飛んでみたら見えるかもしれませんよ、道。地に這いつくばっていたら見えない道も、少し高いところからなら、かなり遠くまで見通せますでしょう?」

 

 高志は返す言葉に詰まって俯いた。

 

「あなたは生い茂った森の真ん中で、迷子になって歩いている蝶です。自分がまだ芋虫のままだと思い込んでいる」

 

 高志は笑った。

 

 ある意味失礼なことをいわれているのだが、この男の口を通して発せられる言葉は心地よく、誠実であたたかい。

 

「ぼくに羽なんてありますか?」

 

「ありますよ。広げたことがないから縮んだままのちっちゃいのがね」

 

 高志の背中をつついて男が頷く。

 通り過ぎた風に背中がむずむずした。

 

「いつか広がりますかね。ぼくの羽」

 

 男の目が輝いた。

 

「あるのですね、飛んでいきたい場所が!」

 

「抱えすぎて味噌みたいに発酵していますけれど」

 

 味噌は美味しいのです、と男は手をたたいて喜んだ。

 

「自信を見つけることに、興味はありますか!」

 

「えっ?」

 

「興味津津ですか!」

 

 身を乗り出す男の肩を抑えて高志は苦笑した。

 

「はいはい、興味津津ですよ」

 

 

 

 

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