南端泊地物語―草創の軌跡―   作:夕月 日暮

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序章
第一条「一人で出来ないことは協力して事に当たれ」


 いつの時代も、人は海に対して悩みを抱えていた。

 天候。波の具合。現在位置。飢え。海賊。他国の艦隊。

 あるとき、そこに深海棲艦と呼ばれる存在が加わった。

 それらは海上における全人類の敵だった。船も飛行機も根こそぎ落とす。様々な攻撃を跳ね除け、どこにでも現れ、僅かな期間で海上から人間を駆逐した。

 それに対抗すべく現れたのが艦娘と呼ばれる存在である。彼女たちは海上における人類の守護者だった。

 深海棲艦を倒す力と意志を持った可憐な戦士たち。そんな彼女たちを指揮する者は提督と呼ばれ、各地に拠点を築き深海棲艦に対抗する構えを取っていた。

 

 

 

 これは、ある拠点の最初の一年間の物語であり――ある男の一年間の物語である。

 

 

 

 警報が機内に響き渡り、まどろみの中から引きずり出された。

 連日の残業続きで疲れていたせいで意識が落ちていた。どうやらその間に、予想通りのことが起きたらしい。

 

『繰り返します。近くに深海棲艦と思しき反応がありました。機長の判断により当機はコースを変更し……』

 

 切迫した様子のアナウンスだ。機内の人々はざわついている。皆不安なのだろう。

 だいたい嫌な予感はしていたのだ。このご時世に――海と空を失ったこんなときに海外出張など。

 

「おい、あれ!」

 

 誰かが叫んだ。前の席の人らしかった。腰を少し浮かせて窓の方を見ている。私もつられて窓の外に視線を向けた。

 そこには、どこか生物的な印象の小型飛行機のようなものが飛んでいた。この飛行機と並行で飛んでいるようだ。まるで玩具のような大きさだが、しっかりと飛行機についてきている。

 

「深海棲艦じゃないの、あれ!」

 

 女性の叫びが聞こえた。それと同時に――小型飛行機がこちらを向いた。

 そこから、何かが放たれる。機内が一斉にパニック状態になった。あれはなんだ。ロケットか。攻撃をされたのか。

 答えに行きつく間もなく――視界が真っ白になった。

 

 

 

 関節部が痛い。痛いということは生きているということか。

 ゆらゆらと揺れているような気がする。地震の揺れではない。もっと穏やかな揺れ方だ。

 まぶたを少しずつ開けると、白い雲が見えた。天に昇っていく階段のような雲だ。

 痛みのあまり呻き声をあげると、何やら高めの声が聞こえてきた。

 上体をどうにかして起こすと、ここが小舟の上ということ、同じ船に褐色の少年少女が乗っていることが分かった。

 

「――」

「――?」

 

 二人は気づかわしげに何かを尋ねているようだったが、生憎こちらは二人が何を言っているのか分からない。

 どうしたものかと困りながら笑みを浮かべると、少年の方が唐突に「ジャパニーズ?」と尋ねてきた。

 

「イエス」

 

 そう答えると二人は少しの驚きと好奇心を表情に浮かべた。

 

「……日本人。この言葉、日本語か?」

「あ、ああ。日本語だね」

「良かった、通じた。――――」

 

 後半は別の言葉で何か言ったようだった。二人は日本人には見えない。東南アジア諸国の人だろう。

 

「すまないが、私はなぜこの船にいるのだろう。君たちが助けてくれたのかい?」

「うん。釣りをしていたらおじさんが流れてきたんだ」

 

 少年が得意げな調子で説明してくれた。

 

「そうか、ありがとう。私は伊勢新八郎という。日本人だ」

「僕はナギ。こっちは妹のナミ。そこの島で暮らしてる。爺さんが日本贔屓だったから結構話せるんだ」

 

 ナギの説明に合わせてナミがぺこりとおじぎをする。ナギが指差した方を見ると、さほど離れていないところに島があった。

 

「おじさんは怪我してるみたいだけど、どうしたんだい?」

「……飛行機に乗っていたんだけどね。どうも深海棲艦に落とされてしまったらしい」

「深海棲艦! 僕もそれ知ってるよ。あいつらのせいで皆大変なんだ」

「大変? ここで何か――」

 

 と、喉から出かかった質問を飲み込んだ。島の反対側――外洋の方から、黒い何かが迫ってきているのが見えたからだ。

 

「ナギ。深海棲艦はこの辺りにも出るのかい?」

「うん、そのせいで僕らは海に出られないんだ。ただでさえ今年は食べるものも少ないのに……」

 

 後半は正直あまり頭に入らなかった。深海棲艦はここでも出る。なら、あの黒いのは、もしかして。

 

「海に出られないっていうのは、危ないから出るなってことかな」

 

 言いながら、船のオールらしきものを見つけて強引に漕ぎ出す。そこでナギたちも異変に気付いたらしい。

 

「おじさん、あれ!」

「分かってる。逃げるよ。逃げ切れるか分からないけど、じっとしているんだ」

 

 怪我のせいか起きて間もないからか、身体が十分に動いてくれない。小舟の進みは遅い。このままだとあいつに追いつかれる。

 必死にオールを漕いでいると肘に何かが当たった。小型の金属。何か筒のようなものがついていた。少し砲身のようにも見える。

 

「ナギ、これは武器か何かかい!?」

「知らないよ、おじさんがしがみついてたから一緒に引き上げたんだ!」

「私が!?」

 

 こんなものを持っていた覚えはない。飛行機の乗客の荷物か何かだったのだろうか。

 オールとその謎の物体を交互に見る。どれくらい悩んだろう。永遠のようにも感じたが、実際はほんの数秒だったかもしれない。

 逃げ切れない。そう思った。だったら徹底抗戦してやる。半ばやけだった。

 その物体を抱えて海に飛び込む。それは意外と軽く、沈むようなこともなかった。

 

「おじさん!?」

「早く逃げなさい!」

 

 小舟を叩いて逃げるように促す。

 金属がこすれるような嫌な音が聞こえた。叫びだ。これはあの黒いやつの叫び声だ。

 もうこの距離なら見間違えようがない。あれは深海棲艦だ。

 だとしたら勝ち目はない。深海棲艦には艦娘以外の攻撃がほとんど通じないらしい。怪我をしていて運動神経にも自信がない、そんな素人がどこまでやれるのかは分からない。ただ、諦めて三人揃ってやられてしまうよりは、ここで時間稼ぎにチャレンジする方がまだいくらか成果は出せそうだった。

 目の前に迫る。不気味な双眸と剝き出しの歯、そこから見える砲身。深海棲艦は――ただの無力な凡人にとっては死の象徴だ。

 トリガーはないのか。どう使えばいいのか。焦って謎の物体を調べるも、よく分からない。時間がない。奴はもうすぐそこだ。

 

「おじさん!」

 

 子どもたちの悲痛な叫びが聞こえた。砲身がこちらに向けられる。深海棲艦が大きく口を開いた。

 

 ……駄目か。

 

 身体の芯が急速に冷え込むような感覚。せっかく助かったのに、これで終わりなのか。俺の人生、何か意味があったのだろうか。

 そのとき――再び視界が白に染まった。

 手にしていた物体から不思議な熱を感じた。それは一瞬のことで、すぐに何の感覚もなくなった。

 ない。手にしていた物体はどこかに消え失せていた。

 その代わり――砲声が轟いた。

 深海棲艦によるものではない。その砲声は、深海棲艦を打ち砕くものだ。

 気づけば、目の前には一人の少女が立っていた。海の上に二本の足で立ち、不思議な武装を――あの謎の物体を想起させる武装を身にまとった少女だ。

 彼女はこちらに背を向け、深海棲艦に向かって手にした武装を向けている。

 深海棲艦はのたうち回っていた。先ほど聞こえた砲声はこの少女によるもので、深海棲艦に痛手を与えたらしい。

 もう一度、砲声が響き渡る。今度は何かが深海棲艦に直撃するのは見えた。深海棲艦の表面に亀裂が走る。そのまま奴は、断末魔の雄叫びをあげながら沈んでいった。

 少女は周囲を注意深く観察した後で、ようやくこちらを振り返った。

 勝気そうな眼差しと少し薄い色の長髪が特徴的な子だ。だが、一番目を引くのはやはり海上に立っていることだろう。

 

「あんた、大丈夫?」

「……ああ。どうにか」

 

 怪我をしてる状態で無理に動いたからか、あちこち痛む。しかし生きている。なら大丈夫と言っていいだろう。

 

「そっちの二人は?」

「だ、大丈夫!」

 

 見ると、ナギとナミの小舟はまださほど遠くに行っていなかった。二人とも無事なようだ。

 

「もう深海棲艦はいなさそうかな」

「ええ。さっきのはたまたま近くに来ていたはぐれものみたいね。私でも倒せるくらいの奴で良かったわ」

 

 少女の手を借りて小舟の上に戻る。身体が重い。スーツもびしょ濡れだ。

 改めて少女に向かって頭を下げる。

 

「ありがとう、助かったよ」

「お姉さん、すごいな! 深海棲艦をやっつけるなんて大人でもできないよ!」

 

 ナギとナミが憧憬の眼差しを少女に注ぐ。それが照れくさかったのか、少女は少し視線を逸らしながら言った。

 

「当然よ。だって私はそのための存在なんだから」

「……それじゃあ君は」

 

 実際にお目にかかるのは初めてだったが、伝え聞いていた特徴と一致する。

「ええ、私は艦娘。――吹雪型五番艦の叢雲よ」

 

 

 

 ナギとナミに連れられて、二人が暮らしているという集落にやって来た。

 先ほどまでは寒かったのだが、陸に上がると思いのほか暑い。正確な場所は分からないが、ここは東南アジアの辺りだろうか。

 村は静かだった。どういう反応をされるだろうと若干警戒していたのだが、何の反応もないというのは気にかかる。

 

「……ナミ。村はいつもこんな感じなのかい?」

「うん。皆ずっと元気ないんだ。今年はご飯が少ないから……」

 

 そういえば、二人もどちらかというと痩せているように見えた。

 

「あまり食べ物が収穫できなかったのかな」

「お母さんはそう言ってた。皆、お腹空かせてるんだ」

 

 そこまで言って、ナミは小声で付け足した。

 

「ナギと私が海に出てたのは、魚が欲しかったからなの。お母さん、最近調子が悪いから……」

「そういえば海に出るのは禁止されてるんだったね」

「うん……。村長さんには怒られると思う」

 

 今向かっているのはその村長の家だった。集落の中心部に他より大きな家があった。おそらくあそこだろう。

 

 ……この状況だとあまり歓迎されそうな気はしないな。

 

 説明してくる、と村長の家に入っていったナギたちを見送り、叢雲と二人で外に待たされる。

 叢雲は自己紹介以降あまり口を開かなかった。こちらもあれこれと尋ねるようなことはしていない。少なくとも彼女は敵ではないようだし、どちらかというと現状を把握する方が重要事項だ。

 ふと見やると、叢雲は痛ましげな表情で村を眺めていた。視線の先を追うと、やせ細った人々が働いているのが見えた。こちらを意識する余裕もないのか、皆フラフラになりながらも一生懸命農作業や家畜の世話に勤しんでいる。

 

 ……こういう表情も浮かべるんだな。

 

 艦娘がどういう存在かよく分からないが、感性は普通の人間に近しいのかもしれない。深海棲艦に唯一対抗し得る存在ということで超常的なものを想像していたが、そういった先入観は捨てた方が良さそうだった。

 

「なに?」

 

 こちらの視線に気づくと叢雲はきつめの口調で問いかけてきた。

 

 ……こちらに対して友好的かは微妙なところだなあ。

 

 そんなことを考えていると、家の扉が開いてナミが手招きしてきた。

 家の中に入ると、外の熱気が少しだけ薄らいだ気がした。ナギとナミの他に一人の老人がいる。

 

「――」

 

 老人が何か言葉を発した。ただ現地の言葉らしく、何を言っているのかよく分からない。海外出張すると聞いてから急いで英語の復習をするくらいの頭の出来だ。正直日本語以外あまり自信はない。

 

「えっと、僕を助けてくれたことについてお礼を言ってます」

 

 ナギが通訳してくれた。少し涙目だ。海に出たことについてこってり絞られたのかもしれない。

 その後、ナギを通して伝えられた村長の言葉は意外なものだった。

 村のはずれに使われていない小屋があるから、しばらくはそこを寝床にしていい。食事も少しでいいなら提供する。そういう申し出だった。

 正直どちらもありがたい話だったが、それだけの余裕はないのではないか。

 

「……それで、私は何をすれば?」

 

 当然何か代価を期待してのことだろう。そう思って尋ねたところ、村長は小さく頷いて言葉を発した。

 この島は今年凶作で、食べ物が極端に少なくなっている。そういうことはこれまでも何度かあって、島の外から食料を買い付けることでどうにかしていた。ただ今は深海棲艦のせいで島の外に出られない。

 

「つまり、島の外と連絡を取れるよう周囲の深海棲艦をどうにかしろ、ということですか」

 

 村長は大きく頷いた。

 困って叢雲に視線を向ける。

 

「深海棲艦を倒せって話なら、命令してくれればいつでも出撃するわよ」

 

 それが当然だと言わんばかりの調子だった。

 

「……少し考えさせてください」

 

 村長からの申し出については保留することにして、一旦その場を後にした。空き小屋は好きにしていいと言われたので、そこまでナギたちに案内してもらうことになった。

 道すがら村の様子を改めて見る。皆疲れ果てている。そしてやつれていた。

 ナギたちは何も言わなかったが、彼らの母親も同じような状態なのだろう。

 小屋まで案内してくれた二人に礼を言って別れた。

 中は思っていたよりも整っていた。長年使われていなかった、というわけではないようだ。

 

「叢雲。今後のことについて少し相談させてほしい」

「いいわよ。見たところあんた何も分かってないようだし」

「うん、まあ恥ずかしながらその通りだ。艦娘についても深海棲艦についても、ニュースで得た知識程度しか持ってない。君のことを教えてくれると助かる。それから今後の方針を決めていこう」

「……変に見栄を張らないのは美徳かもしれないわね。なんていうか、頼りない感じもするけど」

「はは、今のところ頼りになる要素はなにもないだろうね。ここがどこかも分からない。荷物もほとんど持ってない。運動神経だっていいわけじゃないし、頭もそこまで良くはない。けど、現状を嘆いても仕方ない。どうにかしないと」

「そうね。まず最初に言っておいた方が良さそうなのは――あんたが『提督』になったってことね」

 

 提督。聞いたことはある。軍人の役職だったか。ただ、叢雲の言っている『提督』は少し違う意味合いのようだ。

 

「その『提督』というのはなんだい?」

「艦娘を率いて深海棲艦と戦う者のことよ。提督がいないと艦娘は受肉もできないし全力で戦うこともできない」

「……それが私だと?」

「自覚はないみたいね。さっきなったばかりだから仕方ないのかもしれないけど。――艦娘って艤装と呼ばれる兵装に軍艦の御魂の分霊を宿らせた存在なのよ。そこで艤装と分霊を結び付けて受肉させる力を持つ者が提督になれる。あんたも意識的か無意識にかは知らないけど、それをやったのよ。私がここにいるのがその証拠だわ」

 

 艤装というのはあの謎の物体のことだろう。他に思い当たる節がない。叢雲が身に着けている兵装とどことなく似ている。

 

「私が君を呼び出したことになるんだな。実感はないけど、今は君の言葉を素直に信じることにするよ。……けど、呼び出したからと言って君が私に従う道理はないよな。さっきは私の命令があれば戦うと言っていたが――不服はないのか?」

「頼りなさそうなのはとっても不満だけど、他は別に。艦娘っていうのは提督に従って深海棲艦と戦うのが本分だから、そうしろと言われたら拒む理由はないわね」

「……そこがどうにも納得しかねるんだけどね。普通、頼りない相手の指揮に従って命賭けた戦いをするなんて嫌なはずだ」

「妙なところにこだわるわねえ」

 

 叢雲は少し呆れたように言った。

 

「私自身は深海棲艦と戦えない。身体を張るのは君になる。それなのに私が一人で戦うかどうか決めるというのは……なんというか、フェアではない気がするんだ。元々私と君が軍人で上下関係にあるなら別だろうけど、私は軍人じゃない。今のところはただの漂流者だからね」

「だから相談して決めたい、ということ?」

「そういうことになる」

 

 艦娘についてはまだ知らないことも多いが――意思の疎通が取れて人の姿をしている子を、こっちの都合で戦わせるというのは気が進まない。良心の呵責によるものではなく、単に臆病なだけなのだろうけど。

 

「まあいいけど。……で、あんたはどうしたいのよ」

「――私は」

 

 沈思する。この子を戦わせるのに気が引ける。なら何もしないのか。この村の現状を見ると、それもそれで気が引ける。なら自分で戦ってみるか。否、それはただの蛮勇だ。

 言葉に詰まっていると、叢雲がすっと立ち上がった。煮え切らないこちらに痺れを切らしたのかと思ったが、そういうわけでもなさそうだった。彼女は表情を強張らせてある方向に視線を向けている。

 

「……深海棲艦がまた出たみたい。今度は複数いるわ」

「深海棲艦が? あいつらは何をしている?」

「――何かを追いかけてるのかもしれない。私たちは深海棲艦の大まかな気配はある程度離れていても分かるけど、それ以外はあまり検知できないのよ。……けど、こいつらは何かを追っているような動きのような」

「行こう」

 

 こちらも腰を上げた。

 

「ここにいても仕方ない。今はそこに行こう」

 

 どうするかは、行きながら考えるしかなさそうだった。

 

 

 

 気配を頼りに駆けていく。

 自然に囲まれた道なき道をかき分けて進んでいくと、島のはずれに出た。そこからは近海が一望できる。

 

「あれね」

 

 ナギたちの乗っていた小舟よりも大きな船が、深海棲艦に襲われている。

 

「襲っているのは二体。どっちも駆逐艦みたいだし、立ち回り次第では勝てるかもしれないわ」

「叢雲。正直私は彼我の戦力差を把握できてない。その言葉は信じていいのか?」

 

 新八郎はすっかり息が上がっていた。怪我と疲労で相当参っているはずなのだが、意外にも弱音は吐かなかった。

 

「……当たり前でしょ。自分を信じられないなら私を信じなさい。私はあんたの艦娘なんだから、あんたの期待は裏切らないわ」

 

 船に乗っている何人かの男たちは必死に抵抗していたが、あの分だとそう長くは持たなさそうだ。

 新八郎はまだ少し躊躇いがあるようだったが、意を決したように表情を引き締めた。

 

「分かった。叢雲、あの深海棲艦を倒して――あの人たちを助けて欲しい」

「了解!」

 

 海に向かって跳躍する。かなりの高さだったが、艦娘である自分にとっては大したことではない。

 海面に着地すると、すぐに主機を稼働させる。異常は見受けられない。

 幸い敵の駆逐艦たちは船の方に意識を集中させているようだ。

 気づかれる前に奇襲を仕掛ける。数の不利を覆すにはそれしかない。

 敵の視界に入らないよう、少し迂回しながら距離を詰める。動く敵相手に砲撃を喰らわせるにはある程度近づかなければならない。戦艦のような長距離砲撃能力を持たない駆逐艦は、まず敵に肉薄する必要があった。

 先ほど顕現したばかりなので実戦経験はさほどないが――本霊である軍艦の御魂から戦闘の記憶は得ていた。どうすればいいのかという知識はある。

 あと少し、というところで敵の一体がこちらに気づいた。撃ちたくなる衝動に駆られたが、そこをぐっと堪えた。ここに味方はいない。失敗は許されないのだ。

 もう一体はまだこちらを向いていない。

 距離は詰めた。主砲を構える。

 

 ……こっちだ!

 

 まだ気づいていない方の駆逐艦相手に一撃をお見舞いする。横合いからまともに一撃を喰らった敵の駆逐艦はそれで沈んだ。

 が、先にこちらに気づいた方が砲撃を仕掛けてきた。

 

「計算済みよ……!」

 

 身体を大きく屈めながら推進方向を転換する。姿勢は崩れたが、かろうじて敵の攻撃は避けた。

 

「……叢雲ーッ!」

 

 新八郎の叫びが聞こえる。心配性な彼からしたら、今の攻防は冷や汗ものだったに違いない。

 

 ……大丈夫って言ったでしょうに。

 

 呆れると同時に少し笑ってしまった。

 敵はまだ健在だが――不思議と負ける気はしなかった。

 第二撃を放とうとする敵に向けて、主砲を構える。

 

「邪魔よっ!」

 

 砲声が一つ、響き渡った。

 

 

 

 襲われていた船を曳航して浜辺に戻ると、不安そうな顔が出迎えてくれた。

 

「だ、大丈夫……か?」

「なに、見てなかったの? 私の勝ちだったじゃない」

「それはそうなんだが……」

「何か不満なの?」

「いや、うん。……不満はない。無事に戻ってくれてなによりだ」

 

 こちらの様子を見て問題なさそうだと判断したのだろう。不安そうな表情にようやく安堵の色が見えた。

 船に乗っていた男たちも安全を確認しながら降りてきた。

 

『いやあ、助かったよ。お嬢さん艦娘ってやつだろう? こんなところにいるとは思わなかった。おかげで命拾いした』

 

 島の人たちと違って、こちらは英語だった。

 

『無事で良かった。貴方たちは?』

『俺たちはホニアラから来たんだ』

『ホニアラ……どこかで聞いたような』

 

 新八郎が首をかしげている。

 

「確か――ソロモン諸島の首都よ」

『ソロモン。そう、ソロモン』

 

 ソロモンという言葉に反応して男たちが頷く。

 

『少し前に大規模な戦いがあって、この辺りの深海棲艦も減ってきたと聞いて、国内の島の現状調査をしていたんだ』

『ここは……ショートランド島だな』

 

 船の奥から一人の老人が出てきた。老人が顔を出すと男たちは一斉に姿勢を正した。どうやらこの老人が船乗りたちのリーダーを務めているらしい。

 

『艦娘のお嬢さん、それにそこのお人。貴方たちが助けてくれたと理解しているが、合っているかな』

『助けたのは彼女です。私は何も』

『……なるほど。ではお嬢さん、ありがとう』

 

 風格のある老人に頭を下げられると、なんだか反応に困った。

 

『いいですよ。それに助けるよう指示をしたのはそっちの人ですから』

 

 と、新八郎を指し示した。彼は困ったような表情を浮かべている。

 

『私はウィリアムという。……艦娘の力、見事だったよ。君たちはなぜここに?』

『深海棲艦に襲われて、ここに流されまして』

『そうか。日本あたりの艦娘が来てくれているなら護衛を頼もうと思ったのだが、そういうわけではないのだね』

『期待させて申し訳ないですが……』

『こちらが勝手にした期待だ。気にしないで欲しい』

 

 ウィリアム老人は穏やかな笑みを浮かべた。

 

『ショートランド島の調査をするから我々はしばらくこの島に滞在する。君たちもその様子ではしばらくここにいるのだろう? 何かあったときはよろしく頼む』

 

 手を差し出され、新八郎は何とも言い難い表情で握手を交わしていた。

 彼が何かに迷っているのは、見て取れた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 村に戻り、小屋に入ってからもずっと考え続けた。

 自分は結局何もできなかった。戦ったのは叢雲だ。後方で応援していただけの自分が決めてしまってもいいのか。ずっとそのことが引っかかっている。

 叢雲は、こちらが言えば深海棲艦と戦ってくれるだろう。だが今日の戦いだってかなりギリギリの勝利に見えた。こんなことを何度も続けていかなければならないのか。

 だが、島の状況やウィリアム老人たちのことを考えると、戦わないというのもそれはそれで酷いことのように思えてくる。皆が深海棲艦の被害を受けている。それに対抗する力を持っているのは叢雲だけで――彼女は自分の指示に従うと言っているのだ。

 思考は堂々巡り。酷い疲労感にもかかわらず全然寝付けず、外の空気を吸おうと小屋から出た。

 知らない土地。知らない人々。何も持たない自分。星は煌々と輝いているが、自分はくすんでいるに違いない。

 

「はあ……」

「辛気臭いわね」

 

 声がした。小屋の窓から叢雲が顔を出している。

 

「すまない、起こしたか?」

「起きてたわよ」

「そうか」

「……私は――吹雪型五番艦・叢雲という艦は、ある後悔を残して沈んでいったわ」

 

 叢雲は真剣な眼差しをしていた。大事な話なのだろう。正面から彼女に向き合う。

 

「後悔?」

「あんたは知らないだろうけど……叢雲は、ある戦いで姉妹艦を助けに向かったの。でも、助けに行く途中でやられてしまって、結局別の姉妹艦に看取られる形で艦としての生涯を終えたわ」

「……」

「誰も助けられないまま、何事も成せぬまま沈む。それが、かつて叢雲という艦が残した後悔よ」

 

 叢雲が何を言いたいのか、なんとなく分かった。

 

「……戦おうか」

 

 まだ迷いが晴れたわけではない。だが、叢雲もこちらと同じ思いを持っていると考えたら――少しだけ気が楽になった。

 

「このままじゃ私も日本に帰れないし、ここの人たちも困ったままだ。やれることがあるならやりたい。私には戦う力はないが、何をすればいいのかも今は分からないが、やれることがあるなら頑張りたい。……付き合ってくれるかい?」

 

 ウィリアム老人がしたように手を差し出す。叢雲はその手を力強く握り締めた。

 

「悪くない顔もできるじゃない。ええ、付き合ってあげるわ。ま、せいぜい頑張りなさい」

 

 叢雲と交わした握手は力強過ぎて正直少し痛かったが――彼女に「悪くない」と言われたのは、悪くない気分だった。

 

 

 

 二〇一三年八月。後にショートランド泊地と呼ばれる拠点が発足した。

 何も持たない提督と、駆逐艦娘が一人ずつ。

 小さな、とても小さな一歩目だった。


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