第十三条「規則正しい生活を心掛けよ」
かつて、自分たちがまだ艦艇だった頃。
自分には様々な人が乗り込んでいた。
お調子者もいれば厳しい者もいた。
優しい人もいれば怒りっぽい人もいた。
人と接することが苦手な人もいれば社交性のある人もいた。
人間とはかくも個性豊かなものかと、その多様性に驚いた覚えがある。
ただ、彼らの大多数に共通していることがあった。
家族を想う心。
妻子を想う者。両親を想う者。兄弟のことを想う者。これから家族になるであろう人のことを想う者。
そういう人間の在り様を見ていると――何か、温かなものを感じた。
自分にも姉妹艦と呼ばれる存在はいる。
しかし、それは人間の『家族』と同じなのかよく分からなかった。
よく分からないまま、憧れた。
「はじめまして。私が君たちの提督だ」
不安と期待が半々の初対面。自分を率いる人は穏やかな表情を浮かべて言った。
「と言っても私はそう大したことはできない。だから君たちも私にただ従うだけじゃなくて自分で考えて自分で動けるようになってほしい。もちろん私も私にできることであれば協力する。互いに助け合っていけるような関係になれればと考えている」
それは、人間でいうところの家族みたいなものなのか。
思わず口から零れ出た問いかけに、その人は笑って応えた。
「ああ――家族と言えば家族かもしれないな。私のことは冴えない父か兄だとでも思ってくれ」
霧の艦隊との戦いからしばらく経った。
各地での小競り合いは続いているが、大きな動きはない。平和とは言えないが――特に問題なく日々が過ぎている。
泊地の設備を拡充するには良い機会だったと言える。資金はないので日本およびソロモン政府から借りる形になってしまったが、ここ一ヵ月で泊地は大分拠点らしさを増した。
艦娘たちの居住区も多少改善できたし、訓練場や司令部の改築も済んだ。提督から艦娘に霊力を供給するための補助施設として、艦の御魂を祀る神社も造営した。元々私は霊力が少なかったようで、所属する艦娘が増えるたびに体調を崩しがちだったが、この神社のおかげもあって大分心身ともに楽になったような気がする。
そう、思っていたのだが――。
「すっかり顔馴染みねえ、提督」
医者として当泊地に来てもらった道代先生が呆れたように言った。
言われた男――私はというと、咳き込みながらベッドの上で愛想笑いを浮かべるしかない。
久々に体調を崩してしまった。泊地の拡充が一段落ついて気が緩んでしまったのかもしれない。
「言っておくけど、神社ができたからって提督が健康体になったわけじゃないわよ。これまで散々無理をしてきて大分消耗している。霊力の不足がどのくらい身体に悪影響を及ぼすのかは分からないけど、きっとこのままじゃ戦死するより先に病死するわよ」
「肝に銘じておきます」
「だったらベッドの上でまで執務するのはよしなさい」
道代先生はこちらの手から書類を奪うと、脇で控えていた古鷹に手渡した。
「古鷹、この人が執務室戻ってきても絶対追い返すよう司令部のメンバーに厳命しておいて。ドクターストップよ。いい?」
「はい、分かりました」
「……いやだな、先生。私は別段ワーカーホリックじゃありませんよ。体調崩してたら休みますって」
そう言うと、道代先生はなかなか自供しない容疑者を前にした刑事のような表情を浮かべた。
古鷹は古鷹で肯定とも否定とも取れる表情を浮かべている。
そのとき、提督間専用の通信機が鳴った。相手はトラック泊地の毛利仁兵衛のようだ。
「失礼」
二人に会釈して保健室を出る。周囲に誰もいないことを確認してから通話モードに切り替えた。
「仁兵衛、どうかしたか?」
『ああ。霧の艦隊のメンバー、覚えてるだろう』
イオナ、ヒュウガ、タカオ、ハルナ、キリシマ、マヤ、コンゴウ。敵味方という立場の違いはあったが、どの子も個性的で強力な戦士たちだった。
「当然だ。今は日本政府の監視下で生活しているんだろう?」
『いや、どうやら今朝方脱走したそうだ。今、大本営は大慌てさ』
仁兵衛は若干皮肉げに言った。彼は大本営に雇われる形でトラック泊地の提督になっているが――上層部のことはあまり快く思っていない節がある。下手すればこの脱走劇に一枚噛んでいるのではなかろうか。
「……逃走したってことは、大本営と彼女たちの間で何かが決裂したってことか」
『例の件だろう。……新八郎、これからそっちに行っていいか。会わせたい子がいる』
「別に構わないが」
『悪いな。明日には着く』
そう言って仁兵衛は通信を切った。
例の件というのは――人工的に艦娘を作り出そうという研究のことだろう。あれから特に続報は聞いていないが、仁兵衛は何かを掴んだのかもしれなかった。
「あれ、提督」
そのとき、不意に後ろから声をかけられた。
慌てて振り返ると、そこには瑞鳳の姿があった。祥鳳型二番艦――軽空母の艦娘だ。
「こんなところでどうしたの? あ、もしかして何か密談とか……?」
じーっとこちらに疑いの眼差しを向けてくる。どうやら話は聞かれていなかったらしい。
「トラック泊地の仁兵衛からだよ、明日遊びに来るってさ。瑞鳳はどうしたんだ、こんなところで」
「提督が倒れたって聞いたからお見舞いに来たのよ」
「それはすまないな」
瑞鳳は着任した頃からいろいろと世話を焼いてくれる子だった。出来の悪い身としては助けられてばかりである。
「……そうだ、瑞鳳。いつも世話になってるし何か今度御礼でもさせてくれないか」
「御礼?」
瑞鳳は「うーん」と唸りながら首を捻る。急に言われても思い浮かぶわけはないか。
「あ、それじゃあねえ」
瑞鳳はにこやかな表情をこちらに向けて、無邪気な要望を言ってきた。
「提督の身体が良くなったら、どこかに遊びに行きたいな」
なぜか執務室の空気が悪い。
せっかく新築して前より綺麗な部屋になったはずなのだが――この重々しさはなんだ。
叢雲はどことなく機嫌が悪そうだし、古鷹も何やらよそよそしい。大淀は若干呆れたような感じで接してくる。
皆どうしたんだと聞きたいところだが、聞いたら余計事態が悪化しそうな気がした。
「新八郎、これ演習リスト」
「提督。こちらソロモン政府とショートランドからの依頼書と清算書になります」
叢雲と古鷹が書類をどっさりと机に置く。気のせいかいつもより多いような気がした。
「……そういえば提督、今度瑞鳳さんと遊びに行かれるそうですね」
大淀が書類に目を向けたまま話を振ってきた。
「ああ。今日はこれから仁兵衛たちが来るから、明日辺りにしようかと思ってる」
「僕知ってる、それデートだよね」
「ナギ、デートってなに?」
「えーと、恋人同士が出かけることだって聞いた気がする」
「わあ、おじさんと瑞鳳さん恋人なの?」
机の両脇から身を乗り出して無垢な眼差しを向けてくるのはナギとナミだった。以前私を助けてくれたこの島の子どもたちだ。日本語を話せるということで、今も通訳としてときどき助けてもらっている。
「……誤解を解いておこう。これはデートではない。ただのお出かけだ」
「えー、そうなの?」
「つまんなーい」
「そう思ってるのはアンタだけだったりして」
叢雲が意地の悪い笑みを浮かべた。
「別に『デートではないよな』と確認は取らなかったが……デートという単語は全然出なかったぞ」
もう少し若ければ自分もそれなりに期待したかもしれないが、とうに春が過ぎ去ったオッサンである。そんな展開はあるまい。
「そもそも行くのは瑞鳳とだけじゃない。祥鳳も一緒だ」
「あ、そうなんですか?」
「後で瑞鳳から『祥鳳も一緒でいい?』と聞かれたんだ。特に支障ないのでOKを出した」
「なんだ、そういうことか」
叢雲が肩を竦めた。
執務室の空気が少し緩やかになる――ところで、ドタバタと大きな音を立てて飛び込んでくる者がいた。
「ヘーイ、て・い・と・くゥー!」
改めて確認するまでもない。金剛だ。彼女は頬を膨らませて不満を全力でアピールしながら机をバンと叩いた。
「聞きましたヨ、日頃の御礼に瑞鳳たちとピックニックデートデスカ!?」
「いやデートではない……顔、顔近い!」
おでこがぶつかりそうな距離感だ。金剛のこういう距離の詰め方には未だ慣れない。
「オー、ソーリィ。でも瑞鳳だけズルイデース……。私もいつも頑張ってマース。ご褒美欲しいネー!」
ゆっさゆっさと身体を前後に揺さぶられる。
「分かった、分かったから離してくれ。今度遊びに連れていくなり食事おごるなりするから」
「……一応フォローしておきますが提督、そんな調子で安請け合いしてると身が持ちませんよ」
大淀の的確な指摘に少し頭が痛くなった。
「言っとくけど私は特にそういうのいいわよ」
「わ、私も結構ですので……」
叢雲と古鷹からありがたい申し出があった。しかしそういうことを言われると急に物凄い罪悪感が募ってくる。この二人には特にいろいろと世話になっているのだ。
「叢雲と古鷹への御礼は私の方で何か考えておくよ」
「……あんた、そのうち本当に身を亡ぼすわよ」
そこに、扉をノックする音が聞こえてきた。もっとも、扉は先ほど金剛が飛び込んできたときに開いたままだ。開きっぱなしの扉をノックしたのは、噂をすればなんとやらというか、瑞鳳だった。
「あ、あのぅ。毛利さんが来たから案内してきたんだけど」
「やあ、なかなか楽しそうにしているようだな」
ひょっこりと仁兵衛が顔を見せた。側にはトラックの朝潮もいる。
そしてもう一人、初めて見る少女がいた。
「……その子が会わせたいって言ってた子かな」
「ああ」
仁兵衛に連れられて少女が部屋の中に入ってくる。
年齢は叢雲たちと同じくらいだろうか。まだ幼さが残る顔立ちだ。ただ、身にまとっている雰囲気は子どものそれではない。
研ぎ澄まされた刃物のような怖さがある。
ナギやナミは少し怯えたように私の後ろに引っ込んでしまった。他の艦娘たちもどこか警戒するような眼差しを向けている。
――この雰囲気は良くない。
席を立って、少女の前まで進み、腰を下ろして目線を合わせた。
「はじめまして。私は伊勢新八郎という。君はなんていうのかな」
「……」
少女は答えない。もしかして言葉が通じないのではないか――そう思った矢先、仁兵衛が助け舟をよこした。
「その子には、名前はないんだ」
「……名前がない?」
仁兵衛は執務室に集まったメンバーを見渡して、少し考えるような仕草をしてから口を開いた。
「この子はいろいろあって記憶が壊れている。自分の名前を思い出すことができないそうだ」
その説明を聞いて、この少女がどういう存在なのか、おおよその検討がついた。
「……すまない、皆は少し席を外してくれないか」
その言葉に従って、部屋の中にいた皆が外に出て行く。
ただ、叢雲だけは動かなかった。
「叢雲」
「私は残るわよ。それともアンタたち、私がいたらまずいことをするつもりなの?」
そう言われると返す言葉に困る。仁兵衛を見ると「任せる」といった感じのポーズを取っていた。
「……叢雲は長門を呼んできてくれ。話はその後で始めよう」
「長門を?」
「長門もこの件について少し関わっているからね。今は演習中だと思うが、急用だと言うことで呼んできてほしい」
「分かったわ」
そう言って叢雲も出て行く。
「……艦娘を作り出そうという研究に関する話か?」
「あれ、叢雲君が帰って来るのを待つんじゃないのか」
「そんなわけあるか。差し障りのあることは今のうちに話す」
この件はとてもデリケートな話だ。艦娘には――特に駆逐艦や潜水艦のような子たちには聞かせたくない。
「霧の艦隊はコンゴウが把握していた艦娘量産計画の実験場の一つを潰そうとしたらしい。ただ、コンゴウに把握されてるってことは向こうも分かってたんだろうな。実験場はとうに放棄されていた。残されていたのは艦娘化に失敗した被験者たちだけだった。この子はその中でたった一人の生き残りだ」
「……ってことは、他の子は」
「実験の後遺症が酷くて、もう駄目だったらしい。この子は他の子よりも適合率がそこそこ高くて、手遅れになる前に霧の艦隊の処置を受けたからギリギリ助かったんだそうだ。……で、一緒には連れていけないからってうちまで届けに来たってわけだ」
再び少女と正面から向き合う。
どこか危うげな雰囲気は実験の影響によるものだろうか。まだこの子のことはほとんど分からない。
ただ、大人として何か言葉をかけなければならないと思った。
「……大変だったね」
「――」
「けど、もう大丈夫だ」
そう言って力強くその手を握り締める。
「もう、大丈夫だから」
少女が、僅かに頷いたような気がした。
長門を連れて叢雲が戻ってきたところで、話を再開させた。
「……今新八郎には話していたんだが、この子は戦災孤児でね。いろいろ理由があって本土で生活させるのは難しい。もしよければこちらの泊地で引き取ってもらえないかと思ってる」
「ん、トラックじゃないのか」
「ああ。実はこの子は提督としての素質を持ち合わせていてね。もし彼女に異存がなければ将来新八郎の補佐役が務まるんじゃないかと思っている」
その話は初耳だった。
確かに霊力不足の私にとっては助かる話ではあるが、肝心のこの子の意思はどうなのだろう。
少女の様子を窺うが、どういう意見を持っているのかはさっぱり分からなかった。人形のように微動だにしない。
「……この子自身に判断を求めるのは少し難しいのではないか、提督」
おおよその事情を察したのか、長門がそれとなくフォローしてきた。
「詳しくは分からないがこの子は大分酷い目にあってきたようだ。いきなり自分で今後のことを考えろというのも酷だと思う」
「うーん……確かに、子どもを良い方向に導くというのは大人の役割だけど……提督候補として扱うっていうのは気が引けるな」
普通の生き方はできなくなる。九死に一生を得たこの子から平穏な未来を奪うというのは、どうにも抵抗があった。
「何も必ず提督にしろと言ってるわけじゃないさ。しばらくここで生活しながら、最終的にこの子自身がどうしたいかを選べるようになればそれでいいと思わないか」
「それなら、まあ」
念のため少女にも改めて確認してみたが、僅かに頷くのみだった。拒否されてはいないようだが、今後どうやって向き合っていけばいいか迷う。
「よし、話は無事にまとまったようだな。それじゃ僕はまだやらなきゃいけないことがあるから失礼するよ」
「……あまり深入りするなよ」
立ち去ろうとする仁兵衛の背に言葉を投げかける。
「例の件。良いか悪いかで言えば私は間違いなく悪いことだと思う。しかし必要かと聞かれれば必要だとも思う」
「それについては同感だ。別に僕も正義漢というわけじゃない。ただ、知らないでいるのは嫌な性質でね」
仁兵衛は笑みを消して言った。
「何か分かったら教えるよ。僕はどうも考えが先走ってしまうことがあるからね。相談には乗って欲しい」
そう言い残して仁兵衛は去っていった。
「例の件、ねえ」
「今のは私と仁兵衛の個人的な課題の話だ。一通り解決したら叢雲にも説明するよ」
「……まあ、いいけど」
こちらが話すつもりがないと察したのだろう。叢雲はそれ以上追及してこなかった。
「さて、しかしどうしようか。名前が分からないままだと生活するうえで困るよな」
「うむ。そうだな……萩というのはどうだろう」
「それ萩市から取ったろう。そのまんま過ぎる」
「なら周防」
「お隣さんから取るのも駄目。というか国名だと艦名であるかもしれない。被ったらどうする」
「被ってる張本人が言うと説得力あるわね」
叢雲のツッコミはスルーした。
「……ちょっと考えさせてほしい。名前というのは大事だから」
さっと考えて決めるというわけにはいかない。名前は一生ついて回るものだ。
少女は納得したのかどうか、微かに頷いただけだった。
提督が女の子を引き取った、という噂はすぐに泊地中に広まった。
毛利提督が連れてきたあの女の子らしい。少し尖った雰囲気ではあったが、どこか寂しげな子でもあった。
どんな様子かと気になって執務室を訪ねてみたが、その女の子はいなかった。部屋の割り当てが決まっていないので、とりあえず提督の部屋に案内しているらしい。
「瑞鳳は今日非番だったな。申し訳ないが少し様子を見ておいてくれないか?」
提督に頼まれては断れない。助け合うのが私たちの仲だ。
それに、提督の私室というのも興味があった。提督は執務室にいることの方が多いからあまり物は置いてないのかもしれないが、プライベートをどんな風に過ごしているのかは気になる。
そんな調子で浮かれながら提督の部屋を訪れると、あの女の子は窓際の椅子に座って何かの本を読んでいた。
「あ、あのぅ」
「――」
刺すような視線が向けられたが、それは一瞬のことだった。
毛利提督を案内するとき一度顔を合わせていたからだろう。女の子はすぐに警戒を解いたようだった。
「……なに」
小さな声で、来訪の目的を尋ねられた。
澄んでいてとても綺麗な声だ。
「えっと、私瑞鳳っていうんだ。ここで一緒に提督を待っててもいいかな?」
「……この部屋は私の部屋じゃない。あの人がいいって言ったなら、いいと思う」
「そ、それじゃ待ってるね」
距離感が掴みにくいが、拒絶されているというわけではないようだった。
彼女が手にしている本は、どうやら戦略論に関するものらしかった。
「その本、内容分かるの?」
「難しい」
「だよね」
「でも、なんとなくなら」
「分かるんだ」
見た目は駆逐艦の子とそう大差なさそうに見える。人間で言うならまだ子どもだろう。それでこんな難しそうな本の内容が分かるものなのだろうか。
提督の私室は押入れと本棚、机と椅子があるだけだった。興味本位で押入れの中を覗き込んでみたが、布団しか入っていない。
本棚には軍艦に関する本やかつての戦争に関する本が多く見受けられた。また、政治学や経済学、経営学にマネジメント論に分類されるものも揃っている。下の方には趣味なのだろうか、歴史小説が数多く取り揃えられていた。
「提督、本好きなのかな……」
他に趣味嗜好に関するものが見当たらない以上、そう考えるのが自然だろう。
確かに、外で何かやっているより部屋で静かに読書している姿の方が想像しやすい。
女の子に倣って適当に本を手にしてみた。専門書はちょっとついていけそうにないので、歴史小説である。
数十分ほど頑張って読んでみたが、どうにもついていけない。知らない言葉が多くてちっとものめり込めなかった。
女の子は相変わらず淡々と本を読んでいた。
「……ねえ。貴方はなんていう名前なの?」
「……私、まだ名前ない」
どうやら訳ありの子らしい。あまり踏み込んだ質問はしない方が良いかもしれない。
「本、好きなの?」
「……他にすること、ないから」
確かにこの部屋だと他にできることはなさそうだった。
「じゃあ、少し外を見て回らない? ここで暮らすならいろいろ知っておいた方が良いところいっぱいあるわよ」
「でも、ここで待ってろって」
「大丈夫大丈夫」
手を差し伸べられて、女の子は少し戸惑っているようだった。
「提督はそれくらいじゃ怒らないよ。優しい人だから」
「……うん、それなら」
おずおずとこちらの手を掴んでくれた。
その手を引っ張って泊地のあちこちに出かけた。
工廠で明石さんたちに挨拶をした。
間宮さんのところでアイスをご馳走になった。
演習場で武蔵さんや長門さんの訓練風景を見せてもらった。
広場でお茶をしていた金剛さんたちに今度の外出のことをいろいろと聞かれた。
道代先生のところで、少し女の子のメディカルチェックを行った。
非番の駆逐艦の子たちと一緒にだるまさんがころんだを遊んだ。
そうこうしているうちに日が暮れた。女の子は終始あまり表情を変えなかったが――不思議と喜怒哀楽の見分けはつくようになってきた気がする。
「ここはいろいろな人がいる」
提督の私室に戻ってきて、女の子が今日の感想を告げた。
言葉としては短いが、彼女が少し興奮しているのが分かる。刺激的な出会いも多かったのだろう。
「そうねえ。皆個性的でしょ。それをまとめてるのが提督なのよ」
「……正直、そんなに凄そうな人には見えない」
女の子がぼそっと言った。確かにカリスマ性があるわけではないし、実力で皆を引っ張っていく感じでもない。
だが、提督でなければ今の泊地はできていなかったとも思う。
「うちの提督は、凄くないからいいのよ」
「……凄くないのに?」
「そうそう。貴方も提督と一緒に過ごしてればそのうち分かると思うよ」
そんな話をしていると、疲れ切った顔で提督が戻ってきた。
「ただいま……。すまないな、瑞鳳」
「いいのよぅ。それより提督晩御飯食べた?」
「いや、まだだ。これから作ろうかと……」
「なら私が作ってあげる」
腕をまくってアピールする。提督は「うーん」と少し考えてから、
「なら一緒に作ろう。飯まで完全に世話になるのも気が引けるし、申し出を断るのも失礼な気がする」
と、いかにも提督らしい案を出してきた。
「あ、そうそう。名前、考えてきたんだ」
提督はポケットからメモ用紙を取り出して、私と女の子に見せてくれた。
「私がこんな不健康だから、せめて健康でいて欲しいと思って『康』。そこから女の子らしい感じになるよう『奈』をつけてみた。康奈。どうだろうか」
女の子はしばらく用紙を見ていたが――やがて小さく頷いた。
「……ありがとう、新八郎」
「お? おお……。いやいや、どういたしまして」
御礼を言われたのが余程嬉しかったのか、提督は少し締まりのない顔で頭を掻いていた。
「良かったね、康奈ちゃん」
「……うん」
三人連れだって夕食を作りに共有の台所へと向かう。
なんだか、こうしていると本当に家族のようで。
そう思うと、なぜだか少し泣けてくるような気がした。