家族というのは何か――そう聞かれて答えられる者はいるのだろうか。
ドラマや小説では素晴らしいものとして描かれることも多いが、実際はそんなに良いものではない。
今日世界のどこかでは身内に殺される誰かがいることだろう。
ずっと肉親同士でいがみ合っている家もあることだろう。
距離が近しいだけに、仲がこじれたら他の誰よりも忌まわしい相手になり得る。家族と言うのはそういう可能性も秘めていた。
一方で、助けてほしいとき最初に声を届けられる相手でもある。
では、家族というのはそういった距離感の近しさで表せるものなのだろうか。
それもまた――何か違う気がする。
何かが、足りない。
島の中を、瑞鳳・祥鳳と並んで歩く。
普段休みのときは室内にいることが多いせいか、一時間もしないうちに息が上がってきた。
「すみません、提督。せっかくお休みのところを瑞鳳が無理言ってしまったようで……」
「むっ、別に私から無理言ったわけじゃないわよぅ。ね、提督」
「ああ、私の方から日頃の礼にと言ったんだ。……なに、息が上がるのは早いかもしれんがこうなってからが粘り強いぞ私は。なにせ万年体調不良だからな。息が上がっているのがスタンダードなんだ」
当たり前だが強がりである。正直かなりしんどい。
「……少し休みましょうか」
森の中の少し開けた場所で腰を落ち着ける。
足を止めた途端一気に疲れが出てきた。まだ調子が完全に戻ったわけではないようだ。
「だ、大丈夫提督? なんだったら、ここからは私がおぶって行く?」
「……いや、それは勘弁してくれ」
身体能力は艦娘の方が圧倒的に上だが、それでも女の子に背負われていくというのは抵抗を覚える。男のつまらないプライドなのかもしれないが、そのプライドはまだ捨てたくない。
疲労回復用にと持ってきていた塩飴を口に入れる。祥鳳と瑞鳳にもそれぞれ一個ずつお裾分けした。
「これ、ちょっと普通の飴とは感じが違いますね」
「塩分補給で熱中症対策とかに有効なんだ。海上移動は暑いし汗かくことも多いだろうから、移動中に携帯すると役に立つかもしれない」
艦娘は怪我に強いが、病への抵抗力は人間とそう変わらない。艤装さえ残っていれば手足が千切れかけても元通りになるらしいが、流行り病には普通にかかったりするそうだ。健康対策は心掛けておいた方が良いだろう。
「そういえば提督、康奈ちゃんは今日連れて来なくて良かったの?」
「今日は二人と出かけるって約束だったからな。あの子は今日叢雲が見てくれている。大丈夫だよ」
引き取ることになったからには信頼関係を築いていかねばならないが、それは急いで築くものではない。
人と人の関係と言うのは少しずつ、時間をかけて構築していくものだ。性急に築き上げた仲というのはどこかで綻びが生じる。
「実は出かける前、何かお土産を持って帰ると約束してね。何か面白そうなものがあれば持ち帰りたいところだ」
「それなら大丈夫よ。今日の目的地は綺麗なお花がいっぱいあるから」
「花か……」
そういうのを喜ぶ子だろうか。
「けど、びっくりしたわ。瑞鳳が急に花畑に行きたいって言うんだもの」
「ナギたちに教えてもらっただけで、私も実際行くのは今日が初めてなんだ。それなら、せっかくだし提督や祥鳳と一緒に行きたいなって」
瑞鳳の無邪気な言葉に祥鳳は照れているようだった。
「二人はやっぱり仲が良いんだな」
「それはもう、姉妹艦だし」
「姉妹艦と言っても、私たちはちょっとややこしいんですけどね」
祥鳳と瑞鳳は元々給油艦として建造される予定だったが、当時のいろいろな事情も相まって計画が変更され、潜水母艦・空母へと改装されることになった。給油艦として先に完成したのは祥鳳だが、空母として完成したのは瑞鳳が先だったという。
「……二人ってどっちが姉なんだ?」
「一応、今の大本営は私を姉ということにしているようです」
「昔は千歳・千代田たちとも姉妹として扱われてたっけ。あともう一人、まだ艦娘にはなってないけど妹が一人いたのよ」
「千歳たちもか。不思議な繋がりだな」
姉妹艦か。人間の兄弟とは少し違う関係性だ。
両親が同じというわけではない。生まれたところが同じとも限らない。
しかし、姉妹艦同士の間には確かに何かしらの結びつきがあるように思う。金剛姉妹や扶桑姉妹、瑞鶴や翔鶴を見ているとそれはよく分かる。
「提督は誰か兄弟とかいたりしないの?」
「私か。大分年は離れているけど、妹と弟が一人ずついるよ」
「おぉ、やっぱり可愛い?」
「んー……どうだろう。年の近い兄弟と比べると喧嘩は全然しなかったけど。半分子どもみたいなもんだったしなあ。それに二人とも今は大学生だし、可愛いっていうような年でもない」
「そういうものなんだ」
「下の兄弟が無条件で可愛いわけじゃないぞ。それは幻想だ。仲の悪い兄弟もいっぱいいるだろうし」
言われて、瑞鳳は少し表情を暗くした。
「そ、そっか。それじゃ私と祥鳳もあんまり仲が良いと変なのかな……」
「――いやいや、それは極端過ぎるだろう。そういう兄弟もいるというだけだ。親兄弟親戚の関係性はケースバイケースだし、こうでなければならない、なんてものはない」
「……そうなの? 家族は助け合うものじゃないの?」
何か、まずい話題に足を踏み込んだのかもしれない。
瑞鳳の表情は――ひどく不安げだ。
「そういう家族もいるな」
できるだけ刺激しないよう、言葉を濁した。
ただ、瑞鳳はそれで安心したらしい。ほっとした様子で頷いた。
「そう。そう……よね」
「瑞鳳?」
「なんでもないよ、祥鳳」
「なら、いいんだけど……」
祥鳳から見ても、今の瑞鳳の様子は奇異に映ったのだろう。腑に落ちないような、心配そうな表情を浮かべていた。
目的の花畑にはなかなか到着しなかった。
どうやら道に迷ってしまったらしい。
「ど、どうしよう提督……」
「慌てても仕方がない。周囲を敵に囲まれているわけでもないし、印でもつけながら周囲を散策していこうか」
森の中で三人迷子になりながら、のんびりと歩いて回った。
風で木の葉がざわめく。木漏れ日を浴びながらの散策は、少し不思議な感覚だった。
どれくらい歩いただろうか。
開けた場所に出た。人の気配はないが、半ば朽ちかけた建物が見える。
「なんだろう、これ」
「誰もいないようだし、少しお邪魔してみようか」
扉は開けっ放しになっていた。中を覗き込むと、広々とした部屋に黒板らしきものがあった。両脇には本棚や物入と思しきものも見受けられる。
「……これは、教室かな」
更に覗き込もうとすると、何やら怒声が聞こえてきた。
「――!」
建物の裏手から島の人と思われる老人が、抗議の言葉らしきものを叫びながらこちらに向かってやって来た。
びっくりしているこちらに向かって、老人は杖を突きつけてくる。
ナギやナミから少し言葉は教わったが、早口で怒鳴りたてられると何を言っているのかさっぱり聞き取れない。
「ちょっと、なんなんですか!」
見かねて瑞鳳が私と老人の間に入る。老人はギロリと瑞鳳と祥鳳を見て「……カンムス」と面白くなさそうに呟いた。
言葉が通じていないということを察したのだろう。老人は嫌悪感を前面に出しながら、さっさと失せろ、といったようなジェスチャーをした。
「いや、すみませんでした。お邪魔しました」
通じるかどうか分からないが、頭を下げてそのまま足早に退散する。幸い老人は追ってこなかった。
「もう、なんなのあのお爺さん!」
突如向けられた敵意に対して、瑞鳳は怒りをあらわにしていた。
対照的に祥鳳は悲し気な表情を浮かべている。
「私たち、何かまずいことをしてしまったんでしょうか」
「多分あの場所はあのお爺さんにとって大事な場所だったんだろう。見知らぬ連中がいきなり土足で踏み込んだとあれば、怒るのも無理はない」
「だからっていきなり提督を突っつくことないと思う。それにあの人私たちが艦娘って気づいてから余計嫌そうな顔してたし!」
「それも仕方ないんじゃないかな」
「なんで? 私たち島の人たちのためにいろいろ仕事してるのに!」
瑞鳳は不服そうだった。その気持ちも分かるが、どう説明したものだろうか。
「言ってしまえば艦娘と提督――私たち泊地は軍事組織だ。規模は小さいし、相手は深海棲艦限定だけどね。それでも、軍事組織というのは平穏にその土地で暮らしたい人からすると、部外者だし、邪魔者だし、厄介者なんだ。あのお爺さんに限らず、どこにだってそういう人はいる。それはおかしいことじゃない」
「……なんで、厄介者なの? 私たち悪いことなんてしてないのに」
「例えば、戦闘に巻き込まれる可能性があるからという理由がある。軍事組織さえいなければこの土地が争いに巻き込まれることはない。あいつらがいるからここが戦争に巻き込まれるんだ――とね」
「それっておかしくない? 深海棲艦は私たちがいようといまいと人間を襲うわよ」
「うん、それも間違いじゃない。ただ、深海棲艦と戦うにしてもここに居座らなくてもいいだろう、よそに行けよ――って思う人はいるものなんだ」
「……提督は、どっちの味方なのよぅ」
納得がいかず瑞鳳は不貞腐れてしまったようだった。
「もちろん私は泊地の皆の味方だ。それに、ナギたちの村の人みたいに協力的な人たちもいる。瑞鳳たちが島の人たちに迷惑をかけず頑張り続けていれば、そのうちさっきのお爺さんだって認めてくれるかもしれない」
「とてもそうは思えないけど……。それに、私たちのこと嫌いな人のことなんか助けたくない」
よほどショックだったのだろう。瑞鳳はすっかりへそを曲げてしまった。
「瑞鳳、駄目よ。そんなことを言っては提督にもご迷惑がかかるわ」
「……分かってるけど」
瑞鳳の不満は正当なものだ。それだけにこういう問題をどう説明すれば良いか悩んでしまう。
あえて言わなかったが、艦娘が人間に避けられたり嫌われたりするケースは他でもそれなりにある。
艦娘は元々の身体能力からして人間より遥かに優れているし、殺傷能力のある武器も使う。可愛らしい隣人というには、少々恐ろしい存在だ。
軍と現地の人の間だけでなく――人間と艦娘の間にも、決して小さくない溝がある。
私は瑞鳳や祥鳳が、日々周囲の人々のために頑張り続けていることを知っている。それだけに、こういう問題をどう伝えればいいかが分からない。
「難しいものだな……」
小さく口から零れ落ちた言葉は、木々のざわめきによってかき消された。
結局、あの日は花畑に到着することなく、微妙な雰囲気を残したまま泊地に戻ってきた。
せっかくの外出だったのに、瑞鳳と祥鳳には申し訳ない結果になった。
「そこは確かに何かフォローしてあげるべきだったと思うわね」
相談を聞いてくれた道代先生の言葉には返す言葉もない。ただ、ああいうときどうフォローを入れれば良いのか分からないのだ。
「けど、民間人と軍人――人間と艦娘の間にある壁の話っていうのは、確かに簡単に説明がつくものではないわね。当人同士が言葉一つで納得してくれるなら、世界平和は一日で実現できるわ」
「そうですね。ただ、今後も深海棲艦との戦いは続きます。その中で民間人との交流は欠かせない。軍人というのは民間人あってのものだからです。……守る側と守られる側という単純な話ではない。こちらだって支えられている。そう考えると、この問題は放置して良いものではないように思うんです」
「ま、瑞鳳に限らず人間相手に複雑な感情持ってる子は多いからね」
道代先生には艦娘のカウンセリングもお願いしている。人間との接し方に悩む子は、やはりそれなりにいるらしい。
「そういえば、これは興味本位なんだけど――提督は、どうして艦娘を信じようと思ったの?」
「特別な理由とかはないですよ。信じる必要があったから信じた。そうしているうちに本当の意味で信じられるようになってきた。強いて理由を挙げるなら、信じながら彼女たちを見続けてきたから、ですかね」
戦う姿を、苦悩する姿を、傷つく姿を、楽しむ姿を――沢山見てきた。
「見聞きするというのはとても大事なことよ。相手を知ることは信頼への第一歩。相手のことを見て、相手の言葉に耳を傾ける。それを怠っていてはいつまでも信じ合うことはできない」
「私の場合、そうでもしないとどうにもならない状況だったからそうすることができた、というのが大きいかもしれないです」
そうでもなければ、艦娘が目の前に現れたからと言って積極的にコミュニケーションを取ろうとは思わなかったはずだ。
「艦娘と人間とでコミュニケーションを取れる機会が設けられればいいんですが……」
「親睦会でも開いてみる? けど、そういうのって積み重ねが大事だと思うわよ。一回や二回で互いの理解が深まるかは微妙な気がするけれど」
「まあ、そうですよね」
「それに、今のまま無理に交流を図ろうとしても上手くいくかどうかは怪しいでしょう。あの子たち、戦い以外のことに関してはまだまだ子どもだから」
「うう……」
道代先生の手厳しいコメントが突き刺さる。正論だし実際その通りだとは思うのだが。
「まずは泊地の人たちとか、ナギやナミみたいにここを訪れる人たちとの交流からですかね。艦娘に対して理解がある、もしくは好意的である人たちがほとんどですし」
「それが妥当なところでしょうね。現状だと特に用がなければ話すこともない――って子たちがほとんどだと思うけど」
「きっかけは必要ですね。それについては、少し考えていることがありますが」
「へえ?」
「もしかすると道代先生にも協力をお願いすることになるかもしれません」
「別に構わないわよ。それに見合う給料をいただけるなら」
「……善処します」
資金繰りを頑張らねばなるまい。大淀にまた苦労をかけることになりそうだが――それでも、この計画は実現させたかった。
最近、何か新八郎の様子がおかしかった。
仕事は普段通りこなしているのだが、ときどき大淀や長門たちと小声で話し込んでいたりすることがある。
先日康奈が来たときのこともそうだが、どうも振る舞いが怪しかった。
「……と、私は思ってるんだけど」
「うーん、私も少しおかしいなと思うことはあるけど」
古鷹が困ったような笑みを浮かべながら言った。
「でも叢雲ちゃん、提督が私たちに言わないならそれにはちゃんと理由があるんじゃないかな?」
「それはそう思うけど、その理由が何なのかが気になるのよね。つまらないことで蚊帳の外にされるのは面白くないもの」
輸送船から降ろされる積荷のリストをチェックしながら、どこかよそよそしい態度の新八郎の顔を思い出してしまう。
「……あら?」
リストの中に『取扱注意』『貴重品』と書かれたものがあった。作業員の人を呼んでそれを持ってきてもらう。
他の荷物と違って小さい箱だった。手のひらに収まるくらいの小ささである。
「これ、何かしら」
「受取人は提督になってるね」
「差出人は……大本営名義になってるわね」
普通、重要な荷物がある場合は事前に新八郎から積荷チェック担当者に一言あるはずだった。しかし今回は特に何も聞かされていない。
「一応中身確認しておきましょうか」
「いいのかな……」
「大本営から送られてきたってことは別にプライベートなものじゃないでしょ。もしかしたら最近様子がおかしいのと何か関係があるかもしれないし」
古鷹と二人、その小さな箱を開けてみる。
中に入っていたのは――指輪だった。
作りはとても簡素なものだ。宝石がついているわけでもない。ただ、その指輪からは何か妙なものを感じる。
「あ、説明書かな」
古鷹が箱から紙片を取り出した。
『こちらはケッコンカッコカリに必要な指輪です。量産化に着手できるようになりましたので、一つ進呈させていただきます。貴方がもっとも信頼する艦娘に渡してあげてください。式の方法については別途連絡させていただきます』
古鷹が内容を読み上げていく。
「……ケッコンカッコカリ?」
「それって……結婚ってこと?」
「じゃあ、これは結婚指輪……!?」
なんだか、この小さな箱の簡素な指輪の重みが急に増したような気がした。
「ちょ、ちょっと待って古鷹。読み間違いじゃないの?」
「ま、間違えてないよ……! ほら、ここに!」
古鷹に紙片を見せてもらう。何度も見直したが、確かに古鷹の読み方に間違いはなかった。
二人で、まじまじと指輪を見つめる。
「大本営も何考えてるのかしら……。結婚て。いつから仲人事業を始めたのよ」
「そ、そうだよね。おかしいよね、こんなの」
「……まあ、妙な話だとは思うけど」
紙片を箱に戻して蓋をする。
「もしかすると最近のあいつの妙な挙動はこれのせいかもしれないわね……。だとすれば、これを渡せば謎も解消されるかも」
「え、渡すの……?」
古鷹が妙なことを言い出した。
「新八郎宛ての荷物なんだし、渡すのが当然でしょ」
「それはその、そうなんだけど……」
古鷹には抵抗があるようだった。これを手にした後の新八郎の振る舞いが気になるのだろう。
新八郎が誰にこれを渡すのか。気にならないと言えば嘘になる。しかし、気にしたところで仕方がないではないか。
「いいじゃない、古鷹なら可能性あるでしょ」
「それなら叢雲ちゃんだって……」
「私はそういう対象としては見られてないわよ。それに信頼って面でも最近の扱いじゃね……」
肩を竦めて、残りの作業を再開する。
荷下ろしが一段落ついてから、古鷹と一緒に執務室まで報告に行く。
「……ん?」
部屋の前に、中を覗き込んでいる瑞鳳がいた。
「なにしてんの、瑞鳳」
「ひゃっ、む、叢雲ちゃんに古鷹!?」
見るからに不審な感じがした。普通に中に入ればいいのに、何をしているのか。
「……もしかして、この前のことで提督に何か?」
古鷹の言葉に、瑞鳳は気まずそうな表情で頷いた。
そういえば、先日の外出はあまり良い感じにならなかったと聞いた。目的地には辿り着けず、現地の人ともトラブルになってしまったとのことだった。
「あのときは私のせいで空気悪くなっちゃったから、謝ろうと思って来たんだけど……。中にいるの大淀だけだし、どうしようかって思ってたの」
「中に入って大淀に新八郎がどこ行ったか聞けばいいだけでしょ」
「あっ、ちょっ」
制止しようとする瑞鳳を振り切って執務室に入る。
大淀はジト目で瑞鳳を見てため息をついた。
「さっきからなんですか瑞鳳さんは……」
「ば、バレてた……!?」
「中からは丸見えよ、あの位置じゃ」
話が散らかりそうだったので、手短に荷下ろしの報告と瑞鳳の事情を説明する。
「なるほど。それでしたら行き違いになってしまいましたね。提督は少し前にウィリアムさんたちとホニアラへ出発されました」
「あら、外出?」
「ホニアラってことは今日は戻ってこないか……」
瑞鳳はがっくりと肩を落としていた。
「それじゃどうしようかしら、この指輪」
「指輪?」
大淀や瑞鳳にも先ほどの指輪と説明書らしき紙片を見せる。
「……これ、もしかすると艦娘の能力を引き出すとかいうやつかもしれないですね」
大淀が訝しげに指輪を眺めながら言った。
「能力を?」
「以前大本営の活動報告でそういう研究をしているというのを見た覚えがあります。ケッコンカッコカリなどという名称だったかどうかはうろ覚えですが、大本営がいきなり提督の仲人を買って出るというのもおかしい話ですし」
確かに大淀の言う通りだ。もしこれが能力を引き出すためのものだとしたら、人騒がせな名前をつけたものだと思う。
「まあ追って大本営から詳細な連絡があるでしょうから、提督の机にでも入れておけば良いのではないでしょうか」
「そうね」
執務室にある机の引き出しに放り込んでおく。
心なしか入れるときまで視線を感じたような気がしたが、気にしないでおくことにした。
康奈が口を利いてくれなくなった。
先日土産を持ち帰り損ねたことで機嫌を損ねてしまったらしい。全面的にこちらが悪いので謝り倒しているが、なかなか機嫌を直してくれなかった。今は長門と話をしているようだ。
「提督もすっかり形なしだねー」
居場所をなくして甲板で彼方を見ていると、海上の北上からお声がかかった。見ると大井も一緒のようだった。
「私が悪いからどうしようもない。こういうときは下手に小細工をせず、誠意を見せ続けるしかないな」
「あら、分かってるんですね」
「分かっているとも。昔もあった。妹も弟もこうなると長かった。……大人というのは長く生きてる分若者より自分たちの方が正しいと思い込んでいることが多いが、決してそうとは限らない。大人が間違っていて子どもが正しいということもある。今回だってそういうパターンだよ」
はあ、とため息をつく。
「そういえば結局あの子は提督の養子ってことになるの?」
「いや、まだ法的には何もしてないよ。あの子の境遇を考えると養子縁組できるかどうかも怪しいしな……」
今回ホニアラに康奈を連れていくのは、駐在大使の長崎さんにその辺りのことを相談するためでもある。康奈たちを研究していたのがどの系列の組織なのかは分からないが、軍事関係とは直接関りがないであろう長崎さんはおそらくノータッチだ。戦災孤児ということでゴリ押しすればまず問題はないだろう。
「何か特別な事情を抱えてるんですか。過去の記憶がないというのは聞きましたけど」
「そんなところだ。いろいろと辛い目に遭ってきた子らしい」
「……そうですか」
大井はそれ以上特に何も聞いてこなかったが、きっと康奈のことを多少なりとも気にかけてくれるだろう、という感じがした。
北上はそんな大井のことをぼーっと見ているだけで、今一つ考えが読めないが。
「――提督」
そこに加賀が姿を見せた。あまり表情を動かすことのない加賀だが、もう半年以上の付き合いにもなるからか、彼女が焦っていることはすぐに分かった。
「どうかしたのか、加賀」
「前方に敵艦隊。……一体、初めて見るタイプの個体がいる」
「どんな?」
「小柄……けど、大きな尾があったわ。艦種は正直まだ何とも」
「分かった。総員、戦闘配置に。現場指揮は長門に任せる。補佐は加賀だ」
それだけ指示を出すと、護衛として同行していた艦隊のメンバーは次々と艤装を展開させて配置につく。
「では提督、少し出てくるぞ」
「ああ。任せた、長門」
北上たちを引き連れて長門が出撃していく。長門は今や練度も武蔵に勝るとも劣らない程になっており、名実ともにうちの艦隊の中心になりつつあった。
「……何か始まるの?」
長門がいなくなって不安に思ったのか、康奈がやって来た。
「深海棲艦が出たんだ。けど大丈夫。皆優秀だからね。すぐに倒して戻ってくる」
康奈と二人、敵艦隊に向かっていく艦隊のメンバーを見送る。
遠方の空模様が、少し怪しくなってきていた。