南端泊地物語―草創の軌跡―   作:夕月 日暮

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第二十条「大事なのは行いではなくそこで得たものである」

 まどろみから覚めると、筑摩が一人遠くを見ていた。

 まだ陽は昇っていない。辺りは薄暗かった。

 

「……あら、ビスマルクさん。お目覚めですか」

「ええ。筑摩も少し休んだら? 見張りなら私が交代するわよ」

 

 海は静かだった。波の音だけが聞こえてくる。

 筑摩はこちらの言葉が聞こえているのかいないのか、じっと彼方に目を向けていた。

 

「どうかした?」

「……いえ。そうですね、見張りの交代、お願いできますか」

 

 言いながら、筑摩は艤装を身に着けていく。どう見ても休もうとしている様子ではない。

 

「どこか行くの?」

「はい。ちょっと利根姉さんを迎えに」

「利根? 近くまで来ているの?」

 

 筑摩は偵察機を持っていなかった。おそらく見張りのために飛ばしているのだろう。

 その偵察機が利根を見つけたのかもしれないが――なぜこんなところに利根が来ているのかという疑問が残る。

 こちらを探しに来たという可能性もなくはないが、利根は確かショートランド島の子どもたちを任されていたはずだ。

 

「……」

 

 筑摩は表情を硬くしたまま答えない。何か嫌な予感がした。

 

「……分かったわ。けど一人で行くのは危険よ。私も同行するわ」

「ですが、それでは見張りが……」

「見張りなら誰か起こして頼めばいいじゃない。こういう状況なんだから」

「もう起きとるで」

 

 暗がりの中、龍驤がむっくりと身体を起こした。

 

「榛名と雪風は全速力でこっち追いかけてきたみたいだし、まだ疲れとると思う。見張りはうちがやっとくから、二人は利根を探しに行ってきたらええ」

 

 龍驤も疲労は溜まっているはずだが、その気配はおくびにも出さなかった。

 

「すみません、龍驤さん。それではビスマルクさん、一緒に来ていただけますか」

「ええ」

 

 手早く準備を済ませる。先の戦いで艤装はそれなりの損傷を被ったが、まだ自力航行や戦闘は可能だった。

 榛名たちを起こさないよう静かに島を離れる。

 

「けど、利根はなぜこんなところに……?」

「……おそらく、母艦に何かあったのだと思います。敵の増援部隊の襲撃を受けて逃げてきた、というところではないでしょうか」

 

 筑摩の言葉で不安が募る。

 島風は間に合わなかったのだろうか。

 他の皆は無事なのか。

 ここでうろたえたところで仕方ないというのは分かっているが、それでも心中ざわつくのは抑えられなかった。

 筑摩の先導に従ってしばらく夜の海を進む。やがて筑摩のものと思しき偵察機の音が聞こえてきた。

 

「もう近いのかしら」

「ええ。そろそろ視認できる距離になります」

 

 筑摩の言葉通り、前方にぼんやりと人影らしきものが見えた。おそらく利根だろう。

 いろいろとあったが、何だかんだで無事だと分かるとほっとする。

 しかし、その安堵は近づくにつれて少しずつ打ち消されていった。

 徐々にはっきりとしてきた利根の姿は、決して無事とは言い難いものだった。

 衣服はあちこちズタズタになっており、そこかしこに流血の痕が残っている。

 艤装は酷くボロボロで、海の上で立っているのは不思議なくらいの損傷を受けていた。

 

「利根姉さん……!」

 

 溜まりかねたのか、筑摩が速度を上げた。こちらもその後に続く。

 利根はじっと何かを抱きかかえたまま俯いていた。

 それはがあのとき部屋にいた子どもたちだと分かるのに時間を要したのは――それだけ利根が二人をがっちりと抱きかかえていたからだ。

 

「利根!」

 

 駆け寄って呼びかけてみるが、三人とも反応しなかった。

 

「利根姉さん」

 

 筑摩は呼びかけながら利根の腕に手を添える。

 少しずつその腕を解きながら、子どもたちの身体を受け取っていた。

 

「……大丈夫。二人とも無事です」

 

 筑摩から二人を受け取る。あちこちに血の跡があるが、子どもたち自身の傷らしきものは見当たらなかった。呼吸もしている。脈拍も安定している。今はただ眠っているだけのようだ。

 おそらく利根は、二人を守るために死に物狂いで戦ったのだろう。そうでなければこの状況は説明がつかなかった。

 

「利根姉さんも、息はあります」

 

 筑摩がゆっくりと利根の身体を抱きかかえる。

 小柄な身体だ。二人の子どもを守るには小さ過ぎる。

 それでも、利根は守り切った。

 

「……急いで島に戻って手当てしましょう」

「はい。……絶対、利根姉さんを助けてみせます」

 

 同感だった。

 あれだけ嫌な奴だと思っていたのに――今は不思議と敬意を表したくなっている。

 

 

 

 提督と仁兵衛が難しい顔をして何か話し合っている。

 作戦のことか、それとも今後のことか。

 北太平洋戦線は、ピーコック島に出現した離島棲鬼の存在によって膠着状態に陥りつつあった。

 これまで発見報告のなかった新種の個体である。

 以前ソロモン海に出現した飛行場姫と同様、陸地に拠点を設けて指揮を執るタイプの個体らしかった。

 敵戦力がどの程度か正確に掴めていないということもあり、各拠点の提督は皆慎重論に寄りつつあった。

 元々この作戦に乗り気でなかった者が多かった、というのも影響しているらしい。大本営は攻略を急げと言っているようだったが、主に横須賀の三浦剛臣とトラックの毛利仁兵衛が突っぱねているらしい。二人は比較的やる気を持っている方だったが、それでも現状の士気を鑑みて、急ぐのは無理だと判断しているようだった。

 

「……長門」

 

 腕をくいと引っ張られる。振り返ると、そこには康奈と加賀がいた。

 

「どうした、二人とも」

「いえ……康奈が落ち着かないというものだから」

 

 加賀はどうも康奈に弱いところがあるようだった。

 康奈は物静かだが意外と強情で、こうと言ったら引かないところがある。それに加賀は押し切られてしまうのだろう。後輩の空母には先達として厳しい一面を見せる加賀だが、本質的には優しい性格の持ち主だ。

 

「先生は?」

 

 康奈が先生と呼んでいるのは提督のことだ。当初は名前で呼んでいたが、保護者を名前で呼び捨てにするのはいかがなものかということで、別の呼び名を検討した結果、これに落ち着いた。提督もときどき学校で艦娘や康奈に教鞭を取っているから、そこから取ってきた呼び方なのかもしれない。

 

「まだ話し込んでいるようだ。今は邪魔しない方が良いだろう」

 

 仁兵衛と話し込む提督の表情は険しいものだった。今後のことを話しているのかもしれない。だとすれば、まだ康奈には聞かれたくないだろう。

 康奈は提督たちの様子を見て、残念そうに溜息をついた。

 

「どうした、提督に何か用でもあったのか?」

「用……と言えば用なのかもしれないけど」

 

 康奈は提督からこちらに視線を切り替えてきた。この子の眼差しは不思議と力強さを感じさせる。急に視線を向けられると少したじろいでしまう。

 

「どうした?」

「長門。先生は……私に提督になって欲しいと思ってるのかな」

 

 答え難いことを直球で聞いてくるものだ。加賀が困った表情を浮かべている。どうやら同じ質問を喰らったらしい。

 

「……なぜ、そんなことを?」

「ここに来て、いろいろな人に引き合わされた。もし君が提督になるなら助けになってくれるって。けど、そういうことを言いながら先生は一度も提督になれって言わない。先生が何を考えているのかが――分からない」

 

 分からないのは怖い、と康奈は不安を吐露した。

 頼れる者が他にないからだろう。この子にとっては提督や泊地が拠り所になっている。

 しかし、そんな相手の考えが分からないというのは――確かに怖いものなのかもしれない。

 提督はそういうところで鈍いから、康奈の心情は伝わっていないのかもしれない。折を見て言っておいた方が良さそうだった。

 ただ、今問題なのは目の前にいる康奈だ。

 

「……これはあくまで私個人の印象だが、提督が康奈に望んでいるのはそういうことではないのではないかな」

「でも、先生は私に提督になる資質があるから引き取ったんでしょう?」

「それは建前だ。いや、建前ではないかもしれないが――所詮きっかけの一つに過ぎないと思う。提督は康奈にこう言っていないか。君には君が望む道を選んでほしいと」

「……それは、言われているけど」

「康奈に何かやりたいことができたら、そのときはその道を行けばいい。それが提督の本当の願いだと思う。……もしかするとそういうことを言ってられない状況になるかもしれないが、提督の本心はそこにあるだろうと私は思う」

「私にもやりたいことはある。けど、それを言ったら先生は笑って取り合ってくれなかった」

 

 康奈が頭を振りながら不満げに言った。

 

「……やりたいことがあるのか。それは?」

「先生を助けたい」

 

 曇りのない真っ直ぐな瞳だ。その言葉には余計なものが感じられない。

 きっと、本心からそう思っているのだろう。

 

「……それは立派な心掛けだと思うが、引き取ってもらった恩返しとかではないだろうな。そういう理由だとしたら、提督は絶対に断ると思う」

「恩義とか、そういうのはよく分からないけど。先生はいつも大変そうにしているから、どうにかしてあげたい。そう思うのは――そんなにおかしいことかな」

 

 おかしいことではない。

 むしろ、真っ当過ぎるほどに真っ当だ。

 

「……けど、あの人はそういう理由で差し伸べられた手は取らないでしょう」

 

 加賀がぼそりと言った。

 

「なんで?」

 

 康奈が不思議そうに尋ねる。

 加賀の言わんとしていることは分かる。おそらく康奈には――言ってもまだ分からないだろう。

 

「康奈。大人というのは――子どもの前では格好をつけたがるものだ」

「……?」

 

 案の定、康奈は怪訝そうな表情を浮かべる。

 

「大変そうだから助けたい。そう言われても、大丈夫だと言ってしまいたくなるものなのよ」

 

 加賀がフォローしてくれた。彼女も提督の心情は理解しているのだろう。

 

「……大丈夫じゃなくても、それでも格好をつけたくなるの?」

「ああ。むしろ、大丈夫じゃないときほど無理して格好をつけたくなる」

 

 提督を見た。

 髪の毛は真っ白になり、四肢も一部を失い、身体は痩せ細っている。

 ただ巻き込まれただけなのに、文句も言わず、弱音も吐かず、今日まで無理を通してきた。

 

「……そういう見栄や意地があるからこそ、提督はここまで来られた。並大抵ではないよ、あの人の格好つけは」

 

 提督がこちらに気づいたらしく、笑って手を振ってきた。

 いろいろと苦悩を抱えているはずなのだが――それを一切感じさせない振る舞いだった。

 

 

 

 赤い泥溜まりの中に浸かっていた。

 身体が重い。泥の中に沈んでいくような感覚がする。

 鼻腔に刺さる臭いがした。この赤いのは血だ。血の中に自分はいる。

 抜け出そうともがくが、動けば動くほど落ちていく感じがした。

 次第に全身が泥の中に埋もれていき、まともに呼吸ができなくなっていく。

 苦しい。

 辛い。

 こんなところからはさっさと出たい。

 しかし、足元から誰かが囁く。

 

「出られると思っておるのか?」

 

 そこには、血塗れになった忌まわしい自分の姿があった。

 

「抗う力を失くした者どもを手にかけた。そのときからお主はこの泥の中の住民よ」

「……違う。あれはそういう命令が出ていたから、それに従ったまでじゃ」

「捕虜を上陸させよとの通達も出ておったろうが」

「それが有効な命令であるという保証はなかった。より有効と思われる命令に従っただけじゃ」

「救える手もあったが、お主は保身のためにその手を伸ばさなかった。何がより有効な命令に従った、じゃ。後々命令違反で罰される可能性が低い方を選んだだけではないか」

「違う、違う、違う! 己の保身だけであんなことをするものか。吾輩は、あんな――」

「――哀れよな」

 

 足首を掴んでいた自分の姿が崩れていく。

 誰のものとも分からぬ顔になっていく。それが、あのときの人々の顔に見えてきた。

 

「お主のことではない。こんなお主のせいで命を落とした――あの者どもが、我々が、嗚呼、哀れで哀れで哀れで――」

 

 ごぼごぼと口元から血を噴きこぼしながら、その何かは嘆きの言葉を紡いでいく。

 

「嗚呼――本当、もうどうしていいか分からなくなる」

 

 その瞬間、目の前が真っ暗になった。

 

「……大丈夫ですか、利根姉さん」

 

 気づいたときには、筑摩がこちらを覗き込んでいた。

 身体のあちこちが痛い。相変わらず血の臭いが漂っているが、泥の中ではないようだった。

 

「夢か」

「かなり、うなされていましたよ」

「左様か」

 

 それ以上は言葉が出てこなかった。

 こうした夢を見るのは初めてではない。艦娘として生を受けてから、何度もこの悪夢の中に落ちている。

 だが、何度経験しても慣れるようなものではない。この悪夢から覚めた後は酷い脱力感に襲われる。全身が重くなり、何もしたくなくなる。会話すら億劫だった。

 

「……筑摩」

 

 ただ、今はそれでも一つだけ確認しておきたいことがあった。

 

「二人なら無事ですよ。ほら、そこに」

 

 筑摩が指し示した方に顔を向けると、呑気な顔をして眠りこけている小憎らしい顔が二つあった。

 

「怪我もしていません。利根姉さんも起きたことだし、もうすぐ目を覚ますと思いますよ」

「……左様か」

 

 今度こそ、身体中の力が抜けた。

 ここがどこかは知らないが、もう当面は動きたくない。

 目を閉じて心身を休ませる。眠っているのか起きているのか曖昧な感覚のまま、そうやってしばらく過ごしていた。

 再び目を開けると、筑摩は姿を消していた。隣で寝ていたはずのナギとナミもいない。

 ただ、金髪の戦艦娘の姿があった。

 

「気がついたみたいね」

「……筑摩たちは?」

「向こうで本隊と連絡を取っているところよ。ナギたちは榛名たちと一緒に食べられそうなものがないか探しに行ってるわ」

「そうか」

 

 ゆっくりと上体を起こす。まだあちこち痛むが、動くことはできそうだった。

 

「悪かったわ」

 

 ビスマルクが突然謝罪の言葉を口にした。

 いきなりのことで、どう反応すればいいか分からない。

 

「貴方のことを誤解していたみたい。子どもたちのためにあそこまで尽力できる艦娘だとは思っていなかった」

「……自己中心的で協調性のない艦娘だと思っておったか。だとすれば、別段間違いではない」

 

 ナギたちを守るために奮闘したのは、あれも一種の戦いだと思ったからだ。

 戦うこと以外に能がない。それが今の自分のすべてである。

 

「間違いではないかもしれないけど、最初からそうだったとは思わない。……何かあったのよね」

「……」

 

 黙ってやり過ごそうと思ったが、ビスマルクはじっとこちらを睨み据えていた。

 誤魔化すのは許さない、と言われているような感じがする。

 

「かつて、ビハール号事件と呼ばれる事件があった。大戦が始まる前に沈んでいたお主が知っているかは分からぬがな」

「大戦中に起きた出来事ということかしら」

「そうじゃ。当時吾輩は筑摩や青葉たちと共にサ号作戦と呼ばれる通商破壊作戦に従事しておった。……この通商破壊作戦は、人的資源の漸減も目的に含まれておってな」

 

 ビスマルクの表情が微かに曇った。通商破壊作戦にて人的資源を殲滅すべし。その方針は当時の海軍上層部が出したものだが、方針決定にあたってビスマルクの母国が与えた影響は大きい。ビスマルク自身が何かしたというわけではないが――あの事件と完全に無関係というわけでもない。もしかすると、ビスマルクはそのことを察したのかもしれなかった。

 

「捕虜は皆殺しにしろ……ということ?」

「吾輩はビハール号という英国商船を撃沈し、生存者を捕虜として収容した。……吾輩に乗っていた者たちも、吾輩が属していた戦隊の者たちも、その大半は殺したくなどなかったというのが本心だったろうよ。実際、捕虜をどうにか生かしておけないかと尽力していた者もおった。じゃが、上手くいかなかった」

 

 それは、深夜の甲板上で行われた。

 遺体は海中に投棄されたが――あのとき流れた血は、軍艦利根に染みついたまま離れなかった。

 誰かの血が染みついた軍艦というのは珍しくない。それが戦場を駆る艦の宿命だ。

 しかし、あれは一方的な行為だった。

 戦いというものは、どういう状況であれ、互いにやるかやられるかという点では公平である。軍艦として生まれた以上、それを否定するつもりはない。しかし、あの出来事は断じて戦いというものではなかった。大局的な戦いの一部ではあったかもしれないが――あれを肯定することはできない。

 

「……艦娘として生まれてからも、あの事件のことを思い出す。どうすれば良かったのか自問し続けたが、結局分からずじまいであった。だから吾輩は考えるのを止めた。戦うことだけを考えるようにした。他のことはすべて余計なものだと思って、切り捨てることにしたのじゃ」

 

 それが、協調性がなく、戦うことしか能がない艦娘の成り立ちである。

 

「これで分かったろう。吾輩はろくでもない過去を引きずってる根性なしよ。お主が気にかけるような艦娘ではない」

「そうかしら。確かに貴方の過去は他人に誇れるようなものではないかもしれない。けど、それはあくまで過去よ。今の貴方の在り様まで否定するものではないと思うけれど」

 

 ビスマルクは笑った。初めて見る、少し優しそうな笑みだった。

 その視線を追うと、こちらに駆け寄ってくるナギとナミの姿があった。

 

「――利根さん!」

 

 二人揃って飛び込んでくる。危うく受け止め損ねて倒れるところだった。

 

「良かった、目を覚ましたんだ!」

「私たちのせいで利根さんが死んじゃったんじゃないかって……」

 

 ナミは少し涙ぐんでいた。どうやら心配させてしまったらしい。

 

「……安心するが良い。吾輩は生きておる」

「だから言ったじゃん、大丈夫だって。ナミは心配性だな」

 

 ナギが声を震わせながら強がりを言った。

 

「利根。少なくとも、今の貴方はこの二人の命を救ったわ。それで貴方の過去が消えるわけではないけど――私は、それだけで十分貴方を仲間として認められる」

 

 なぜだろう。

 これまでは、誰とも関わり合いたくないと思っていたからか、その手の言葉は鬱陶しいとしか思えなかった。

 しかし、今は不思議と悪い気がしない。

 ナギたちと接しているうちに、自分の中の何かが変えられたのだろうか。

 

「……ふん。単純な奴じゃな」

「貴方は難しく考え過ぎなのよ。子どものために命を張れる人に、悪い人はいないわ」

「命を張るなどと、そんな大層なことをしたつもりはない」

 

 ナミの頭を撫でてやる。

 そう。これはそんな大層なことではない。

「子どもの前で、格好をつけたくなった。――それだけのことじゃ」

 

 

 

 叢雲から指輪を通して報告があった。

 

『ええ。ナギとナミは無事よ。利根が頑張ってくれたみたい。その利根も無事。榛名たちと合流していたところを発見したわ』

「そうか。それは良かった。……本当に、良かった」

 

 前回の報告では、母艦が襲撃を受けて利根たちが行方不明になった、というところまでしか分かっていなかった。

 ナギたちは私にとって恩人でもある。もし何かあったらと思うと気が気ではなかった。

 榛名たちの報告により、インドネシア方面の戦線も敵根拠地を発見したらしい。これから各拠点の部隊と合同で攻めかかるとのことだった。

 

『そっちはどう?』

「仁兵衛の立案した作戦が順調に進んでる。うちからは大和や武蔵たちも出ているが、特に大きな被害はない。もうじき決着になりそうだ」

 

 仁兵衛は、この状態でピーコック島の離島棲鬼に直接挑むのは得策ではないとして、周囲の敵戦力の漸減から取り掛かった。それによってピーコック島は孤立する形となった。その後のこちらの襲撃で離島棲鬼も弱体化しつつある。

 

「大本営としてはこのまま余勢を駆ってMI/AL方面まで手中に収めたいようだったけど、それは一旦見送りになりそうだ。厭戦気分が蔓延している」

 

 正直なところ、私も早くショートランドに戻りたかった。この遠征の意義が今一つ見えてこないからだ。

 今、北太平洋の制海権を獲得する意味はあるのか。意味があったとして、果たして維持できるのか。そういう疑問が頭から離れないのだ。

 

『こっちも決着までさほどかからないと思う。敵戦力は大分減らせたし、他に増援が控えている様子もないもの』

「油断はしないようにな。……ああ、それと利根に言伝を頼む」

 

 勝利に貢献したわけではないが、利根は大きな仕事を果たしてくれた。

 だから、何かを伝えておきたかったのだ。

 

『……分かった、そう言えばいいのね』

「よろしく頼む。……またショートランドで」

 

 そこで念話を打ち切った。微かに霊力のパスが残っていて、妙な名残惜しさを感じさせる。

 

「インドネシア戦線も片が付きそうか」

 

 隣で戦況を確認していた仁兵衛が、顔をこちらに向けてきた。

 

「さっき相談を受けた件だが、僕なりに少し考えてみた。新八郎は、やはり一度康奈君と話をしてみるべきだと思う。格好をつけるのはそろそろ止めて、素直に現状を伝えてみることだ」

「……それしかないか、やっぱり」

「艦娘の数を減らすという選択肢はない。ソロモン海の制海権維持のためには多くの艦娘が必要。そう考えたからこそ、新八郎も新たに契約を結び続けてきたんだろう。だったらある程度康奈君の力を借りるしかないと思う。というか、僕は最初からそのつもりであの子を君に預けたわけだしな」

 

 仁兵衛の言葉は付け入る隙がない。感情を排して考えるなら、やはり康奈にすべてを託すべきなのだろうか。

 

「……全部をあの子に押しつけたくないと言うなら、両統体制でも築けばいいんじゃないか」

「両統体制?」

「新八郎と康奈君の二人が、提督としてショートランド泊地の指揮を執るんだ。大本営はもしかしたら反対するかもしれないが、新八郎は康奈君の後見人でもあるんだ。別段おかしなことではない」

「確かに、すべてをあの子に押しつけるよりはマシだろうが……」

 

 それでも、何か妥協したみたいで。

 言い訳をしながら子どもに重荷を背負わせるようなことになりそうで――嫌な気分だった。

 

「新八郎」

「ん?」

「僕は、お前に提督を続けて欲しいと思っている。ずっと無理をし続けてきたお前にこんなことを言うのは残酷かもしれないが、どんな形でもいいから残っていて欲しい。自覚はないだろうけど――新八郎には霊力などよりもっと大事な資質が備わっているからな」

「買い被りだろう、それは」

「お前自身はそう受け取っておくくらいで丁度いい」

 

 仁兵衛はおかしそうな笑みを浮かべた。

 

「お前に潰れられても、ショートランドに潰れられても困る。そういう意味では両統体制案が僕にとって一番都合がいい。……考えておいてくれないか」

「……分かった。検討はしてみる」

 

 一人で考え続けるのは、もう限界なのかもしれない。

 母艦に戻ったら、一度康奈に話をしてみよう。他の皆も交えて――今後のことを決めていかねばならない。

 

 

 

 敵の新型――港湾棲姫と名付けられた個体との戦いは順調に進んでいた。

 もっとも、先の戦いで艤装にダメージを負った自分たちは戦線に出られず、待機を命じられている。

 戦況はこちらが圧倒的に有利だった。敵は戦力の大部分を先日の攻勢で使い切ってしまったらしい。

 こちらも相応の被害は受けたが、残った戦力の差は大きかった。

 

「あら、利根。こっちに来てたのね」

 

 どこからか戻ってきた叢雲が珍しそうに言った。

 ここはリンガの母艦の司令室である。一応ナギたち用に部屋を割り当ててもらったのだが、部屋にこもっているとナギたちが落ち着かないようだったので、司令室まで出てきたのだ。

 周囲にはショートランドやリンガの艦娘たちが大勢いる。以前はこういう集団の中にいると居心地の悪さを感じたものだが、今は若干それが薄らいでいた。

 

「提督と話しておったのか」

「ええ。なんで分かるの?」

「どことなく機嫌が良さそうじゃったからな」

「……そんなことないけど?」

 

 叢雲は若干気恥ずかしそうに目を逸らす。

 

「そうそう。あいつから利根に伝言を預かってるわよ」

「提督から?」

「ええ。――『二人を助けてくれてありがとう。利根がいてくれて良かった。これからもよろしく頼む』って」

 

 生真面目な顔で語る提督の姿が脳裏に浮かぶ。

 

「……そうか。吾輩がいてくれて良かった、か」

 

 噛み締めるようにその言葉を口にする。

 なら、自分はまだここにいるとしよう。

 過去を吹っ切れたわけではない。きちんと向き合えているわけでもない。

 それでも、居場所があるなら――ここで踏み止まれる。

 

「叢雲」

「ん?」

「今までいろいろと、すまんな」

 

 今はそう口にするのが精一杯だったが、少しずつ変わっていきたいという願いは確かにある。

 いつか、格好つけではなく本当に格好いい大人に――己の行いを誇れるような艦娘になるために。

 新しい一歩を踏み出そうと、密かに誓った。


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