南端泊地物語―草創の軌跡―   作:夕月 日暮

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第二十一条(4)「今日の自分より一歩進んだ明日の自分になれ」

 あのとき負けていなければどうなっていただろう。

 手持ち無沙汰になると、ついそんなことを考えてしまう。

 あの戦いの結果、日本の立場が一気に苦しくなったことは疑いようがない。

 仮にあのとき勝っていれば、その後の戦いは随分と違ったものになっただろう。あの敗北がすべてを駄目にしてしまった。そんな気がしてしまう。だからか、あの戦争で自分たちより後に亡くなった人々の死の責任は、私にあるのではないかとさえ思えた。

 だから、勝ちたかった。

 何が何でも勝利を掴む。それがきっと皆のためになると信じていた。

 

「……う」

 

 意識が現実へと引き戻されていく。

 最初に感じたのは痛みだった。全身あちこちが痛む。

 それは生きている証拠だ、と自分に言い聞かせて立ち上がろうとした。

 しかし、身体に力が入らない。ぐらりと身体が後ろに倒れそうになる。

 そこを、誰かが抱き留めてくれた。

 

「……すみませんね、加賀さん」

 

 見なくとも気配で分かる。支えてくれているのは加賀さんだった。

 

「やっと見つけました。心配しましたよ、赤城さん」

「ええ、ええ。今回はさすがの私も無茶をしたと反省していますよ。……それで、戦況は?」

 

 加賀さんが呆れたような溜息をついた。

 

「貴方の反省の定義を一度確認したいのですが……。うちの艦隊は現在榛名・霧島両名に任せています。私も赤城さんの捜索に集中していたので実情は把握できていませんが、敵艦載機の攻撃は乗り切ったと言って良さそうです」

 

 言われてみれば、この辺りの空は静けさを取り戻していた。少し離れたところでは空中戦が継続しているようだが、徐々にこちらが押しつつあるようだった。

 三浦提督に状況を窺おうと思ったが、通信機がなかった。先ほど攻撃を喰らったときにどこかへやってしまったらしい。

 

「加賀さん」

「駄目です」

 

 こちらの言わんとすることを察したのか、加賀さんはきっぱりと頭を振った。

 

「一旦戻りましょう。その後でなら、お付き合いします」

「……分かりました」

 

 二人で肩を並べて皆のところへと戻る。

 帰路、先ほど頭に浮かんだことを思い返した。

 

「加賀さん、なぜ私が勝利にこだわるのかという質問をしていましたよね」

「ええ」

「先ほど沈みかけて――あのときのような状況に立ち返ったことで、その理由が分かったような……思い出せたような気がします」

 

 かつてこの島で敗北し、国を劣勢に立たせてしまったこと。

 その後失われた命に対する責任を感じていること。

 それを、包み隠さず加賀さんに伝えた。

 

「赤城さん、それは傲慢な考え方です」

 

 加賀さんは少し迷った末に、そのように返してきた。

 

「あの戦いで負けた責任は赤城さんだけのものではないわ。まして、その後の戦いのことまで私たちが口にするのは、劣勢の中でも諦めず戦った人たちへの侮辱になる」

「……ええ。頭ではそう理解しているつもりです」

 

 それでも、思わずにはいられない。あのとき勝利できていれば――と。

 

「私もあの場にいた一人だから、その気持ちは分かるわ。後悔はある。申し訳なさもある。そこから反省すべき点もあると思う。けれど、反省した結果が『何が何でも勝つ』ということなら、私はそれを否定するわ、赤城さん」

 

 こちらを見て、加賀さんはきっぱりとそう言い切った。

 

 

 

 目覚めたとき、身体の半分以上は川に浸かっていた。

 深海棲艦の艦載機に襲われて、咄嗟に道の外れに飛び込み――その先の川へと落下したのだ。

 自分の状況を思い返しながら、周囲の様子を確認する。

 深海棲艦の艦載機は見当たらない。こちらを始末したと思って去ったのか、あるいはこちらが川に流され遠くに来たのか。

 見ると、先生もこちらと同じように川辺に引っかかるような形で倒れていた。

 

「先生、大丈夫?」

「……ああ。どうにか生きているみたいだ」

 

 ただ、先生の車椅子は駄目になっているようだった。川に落ちてしまったからか、上手い具合に動いてくれない。

 不幸中の幸いか、車椅子についている籠の中身は無事だった。泊地から持ち出した資料の入ったケースに、先生の義足もある。車椅子に比べると移動は遅くなるが、ないよりは良いと先生は義足を取り付けにかかった。

 

「康奈、その怪我は大丈夫か」

 

 言われて、自分があちこちに切り傷を負っていることに気づいた。それに、身体を捻ろうとすると一部が妙に痛む。どうやら敵艦載機の機銃が少し当たっていたらしい。

 

「……少し痛みますが大丈夫です。少なくとも、今のところは」

「ナギたちの村にも医者がいたはずだ。早く向かおう」

 

 義足と杖を頼りに先生が立ち上がる。しかし、すぐにその身体は崩れ落ちてしまった。

 

「せ、先生?」

「……ううむ。困ったな」

 

 先生の表情はいつも以上に蒼白かった。呼吸も少し乱れている。

 嫌な予感がして、先生の背中に回り込んだ。見ると、何ヵ所か血が滲み出ている箇所がある。先生も撃たれたのだ。

 

「……私が背負っていきます。先生は無理しないでください」

 

 そう言って先生を背負う。重みでこちらの傷も痛んだが、今はそんなことに悲鳴を上げている場合ではない。

 ゆっくりと少しずつ進んでいく。とりあえず身を隠せる場所に行かなければ。この川辺は、空から丸見えだ。

 そのとき、再び深海棲艦の艦載機が近づいてくる音が聞こえた。

 慌てて周囲に身を隠せる場所がないか探すと、人ひとりが隠れられる程度の木陰があった。先生と二人で隠れられるかは不安だったが、今はそこしか身を潜められる場所がない。迷っている暇はなかった。

 二人で物陰に隠れながら、敵の艦載機を注視する。

 川辺に残した先生の車椅子に気づいたのか、敵艦載機は注意深くその辺りをうろうろし始めた。

 こちらに気づかないよう一心に祈る。その祈りが届いたのか、やがてその艦載機は遠くへと飛び去っていった。

 

「今のうちに」

 

 再び先生を背負う。だが、傷の痛みが先程よりも悪化していた。思いがけない激痛に、先生の身体を落としてしまいそうになる。

 

「……少しここで休もう。今無理に動くのは危険だ」

「けど……」

「リスクがないわけではない。ただ、今二人でよたよたと逃げるよりはマシだと思う」

 

 先生は苦しそうだったが、物腰はいつもと変わらなかった。取り乱している様子は見受けられない。

 

「……分かった」

 

 今は、先生の判断を信じるしかなかった。

 

 

 

 敵の前線は大分崩せてきたように思う。

 その証拠に、後衛にいた戦艦棲姫たちが少しずつ前に出て来ていた。

 射程圏内に入るかどうか、ギリギリの距離に迫りつつある。

 

「……っ」

 

 かつて、昨年の秋にあれと対峙したが――あのときは成す術もなく倒されてしまった。

 圧倒的な力を誇る敵が今度は二体いる。その恐ろしさに、思わず身体が竦みそうになった。

 

「よくやってくれた、古鷹」

 

 そのとき、力強い声が聞こえた。

 こちらの肩に手を置いて、凛々しい表情を見せたのは長門だった。そのすぐ側には、陸奥・大和・武蔵が揃っている。

 

「おかげでこちらは準備万端だ。奴らの相手は私たちに任せてもらおう」

「どちらが強き戦艦か、勝負といこうではないか」

 

 拳を鳴らしながら武蔵が好戦的な笑みを浮かべる。陸奥や大和も気合十分のようだった。

 

「古鷹、お主はまだいけそうか」

 

 長門たちとは反対の方から、利根が顔を覗かせた。

 

「敵は戦艦どもだけではない。後方にいるあの空母の新型――鬼か姫であろう。あちらは我らで叩く。いけるか」

「……うん。まだ、やれるよ!」

「では、面倒をかけるが付き合ってくれ」

 

 戦艦棲姫がこちらめがけて突撃を開始した。この海原を震撼させるような砲撃が、あのときの倍の数飛んでくる。

 恐怖で身体が止まりそうだったが――泊地で過ごした日々のことを考えると、それが抑えられた。

 かつては物言わぬ艦でしかなかった自分たちが、人の身体と心を得た。

 思わぬ形で別れを告げることになった仲間と、再び出会い、共に笑い合えるようになった。

 自分たちを人として見てくれる、良き人がいた。

 この戦いは、そんな居場所を守るための戦いだ。そう思うと――どんな恐怖にでも打ち勝てる気がした。

 

「私たちが背負ってるのは、私たちの居場所だ……! 私たちが守る! それは、絶対に絶対なんだから……っ!」

 

 覚悟を新たに、一歩を踏み出す。

 それは、自分たちの居場所に帰るための前進だった。

 

 

 

 身を潜めてからどれくらい経っただろう。

 空爆は収まったが、敵艦載機は相変わらず上空を飛び交っている。

 時間が経過して傷の具合が悪化しているのか、少しずつ気分が悪くなってきた。

 

「……大丈夫か、康奈」

「うん。先生こそ」

「私は、いつも調子が悪い。調子が悪いのが普通だから――問題ないさ」

 

 それが強がりであることは分かっているが、私にはどうしようもなかった。

 周囲の様子を窺っていると、見覚えのある人影が見えた。

 

「あ、康奈さん……!」

 

 周囲を警戒しながらこちらに近づいてきたのは、私たちが行こうとしていた村の住人――ナギだった。

 いつも妹のナミと一緒に泊地の手伝いをしてくれている、馴染みの子だ。

 こちらに駆け寄ってきたナギは、私と先生の状態を見て顔を真っ青にした。

 

「二人ともひどい怪我だ。大丈夫……!?」

「大丈夫。……それよりナギ、なんでこんなときに出歩いているの。ナミは?」

「ナミは避難場所に置いてきたよ。さすがに危ないから」

「だったら、なんで貴方は……」

「うちの避難場所に転がり込んできた人が、おじさんたちを見たって言ってたんだ。それで不安になって……」

 

 ナギはそう言って俯いてしまった。

 困った。そんなことを言われては、強く叱ることができない。

 

「……ナギ」

 

 それまで黙っていた先生が、ナギの頭に手を置いた。

 

「ありがとう。本当は叱らなくちゃいけないんだが……今回は、正直なところ君の勇気に感謝したい」

「……おじさん?」

 

 先生の様子に違和感を覚えたのか、ナギが訝しげに顔を上げた。

 普段、先生はこんなことを言わない。危険なことをしてはいけないと、きちんと叱るはずだった。

 

「私は、何も諦めたわけではない。ただ、状況は決して良くない。打てる手は打っておきたいと思っていたんだが、私と康奈だけではできることに限界があった。……だが、こうしてここにナギが来てくれた。これで一つ保険が打てる」

 

 先生は、申し訳なさそうな表情でこちらを見た。

 

「今後のことを、考えていた。この状況を切り抜けて、泊地の未来を繋いでいくための方策だ。私は阿呆だから、他に手は思い浮かばなかった」

「……先生、何を?」

「すまないな……。康奈、君は良いと言ってくれていたが――やはり謝らせてくれ。私は今から君にとても酷いことをする。もう、後戻りはできない。こんなタイミングですることになるとは思わなかったが、念のためだ。念のため、今しておいた方が良い」

 

 そう言って、ナギの頭に置いていた手を私の額に向けた。

 先生の手が微かな光を放つ。それはきっと、とても大切な――かけがえのないものだ。

 光が先生の手から、私の方に移ってくる。その瞬間、膨大な量の何かが私の中に入り込んできた。

 駆逐艦・叢雲。

 軽巡洋艦・夕張。

 重巡洋艦・古鷹。

 戦艦・長門。

 軽空母・瑞鳳。

 航空巡洋艦・利根。

 正規空母・加賀。

 他にも数多の艦娘の情報が――私の脳内に叩きつけられていく。

 

「せ、先生……これは……」

「――提督権限の委譲は完了した。今から提督は君だ、康奈。君が生き延びることが最優先事項になる」

 

 意識が朦朧とする。先生から渡されたものの重みに耐えかねているのだ。

 

「……生きなさい、康奈」

 

 そこまで聞いたところで、私の意識は闇に落ちた。

 最後に見えた先生は――いつもと変わらず、どこか頼りなさそうで、とても優しい表情をしていた。

 

 

 

 目の前で康奈さんが倒れた。

 何が起きたのかサッパリ分からない。おじさんが額に手を当てて、そこが光ったと思ったら突然倒れたのだ。

 

「お、おじさん。康奈さん大丈夫なの……?」

「ああ。心配ない。精神的な負荷で倒れただけだ。傷への影響はないはずだ」

 

 おじさんは倒れた康奈さんを抱きかかえながら、こちらに真剣な眼差しを向けてきた。

 

「ナギ、一つ無茶を頼みたい。康奈を背負って君たちの村の避難場所まで逃げてくれないか」

「……」

 

 それがとても大きな頼み事だということは分かった。

 今はあちこちで深海棲艦の艦載機が飛び回っている。人一人を背負ってそれを掻い潜らなければならないのは、相当難しい話だ。

 それでも、おじさんはやってくれと頼んできた。普段無茶を言わないおじさんがそんな頼みをしてくるということは――是が非でも成し遂げなければならないことなのだろう。

 だが。

 

「おじさんは、どうするの?」

 

 おじさんも怪我をしているし、片足は義足だ。とても歩き回れるようには見えない。

 

「私は、休みながら避難場所に向かうよ」

「そんな、無茶だよ……!」

 

 康奈さんを連れて逃げるこっちより、もっと無茶だ。避難場所に着く前に深海棲艦にやられてしまう。

 

「そうなる可能性もあるな。だから、念のため提督権限を康奈に委譲したんだ。少しでも泊地存続の可能性を高くしておくために」

「……おじさん、死ぬつもりなの?」

 

 不安からか、そんな言葉が口から出た。

 昔死んだ父さんが最後に見せた顔が、不意に脳裏に浮かんだ。おじさんの顔が、そのときの父さんと同じものに見えたのだ。

 おじさんは苦笑いしながら頭を振った。

 

「座して死ぬ気は毛頭ない。ギリギリまで生きることを諦めるつもりはないさ。ただ、どう頑張っても死ぬときは死ぬ。そういう可能性を考慮した、というだけの話だ」

「難しいことはよく分かんないよ。でも、おじさん、死ぬつもりじゃないんだよね」

「ああ。後から向かう。だから頼む、この子を――俺たちの泊地の希望を繋いで欲しい」

 

 そう言って、おじさんは倒れた康奈さんをこちらに渡してきた。

 背負ってみる。こんなことを言ったら怒られそうだけど――ナミに比べたら重い。けど、頑張れば走れなくはない。

 

「プレッシャーをかけておいてなんだが、焦らないでくれ。敵に見つからなければ、ゆっくりでいいんだ。少しずつ、一歩ずつ進んでいけば、それでいい」

「……分かった」

 

 周囲を見渡す。今は艦載機の気配もなかった。

 

「おじさん」

「うん。また会おう」

 

 こちらが望む言葉が分かっていたかのように――おじさんは笑って手を振った。

 それに背を向けて、何かを断ち切るように走り出す。

 振り返ったら、泣いてしまいそうな気がした。

 

 

 

 赤城さんと揃って戻ったが、残っていたのは筑摩だけだった。

 攻勢に転じることになったので、指揮を霧島に委譲して全員空母棲鬼打倒に向かったらしい。

 

「ですが、空母棲鬼はこちらの攻勢にも動じず互角の戦いを繰り広げているようです。……形態を変えて、攻撃の苛烈さは増す一方とのことでした。三浦提督たちは暫定的に形態を変化させた空母棲鬼を姫クラスと認定したそうです」

「空母棲鬼改め空母棲姫ということね」

 

 こちらが優勢に立ったかと思ったが、状況はそこまで甘くないようだった。

 急ぎ補給と修繕を済ませて出撃準備を整える。

 赤城さんも、損傷は大きいものの応急処置でどうにか出られるようにはなった。

 

「……赤城さん」

「なんでしょう」

「やはり、出るのですか」

「ええ。こればかりは性分です。一航戦赤城として、戦場を前に一人休息することはできません」

 

 赤城さんの頑固さには困ったものだった。

 こういうところは、提督に少し似ている気がする。

 

「先ほどの話、少し補足しておきます」

 

 決戦を前に、僚艦相手にしこりを残しておきたくなかった。

 

「勝利を望む気持ちは分かります。あの戦いへの後悔があることも分かります。けど、私が抱いている後悔は赤城さんのものとは少し違います」

「……どう違うのですか?」

「私が一番強く後悔しているのは、あの戦いで沈んでしまったことです」

 

 勝てなくとも、生き延びてさえいれば状況は変わっていたはずだ。

 後の子たちにばかり苦労をかけることもなかった。辛く苦しい戦いを強いられている子たちと、共に戦うことができた。

 

「勝てないことへの悔しさもありますが、あそこで沈んでしまったことに比べれば、大したことではありません。本当はもっと生きて戦い続けたかった。五航戦の子たちや雲龍型にばかり辛い思いをさせることになってしまった。私の一番の後悔はそこにある」

 

 今年の春先、かつてない強敵を相手に苦戦する赤城さんや瑞鳳たちに向かって提督は言った。

 生きることを諦めるな、と。

 共に明日を迎えよう――と。

 

「今も私たちには、共に戦ってくれる仲間たちがいる。私は、目先の勝利のために犠牲になるようなやり方を採るくらいなら、勝てずとも皆と生き延びてリベンジを果たす方が良い。……赤城さんは、どうなのかしら」

 

 赤城さんはしばし呆けていたが、やがておかしそうに笑ってみせた。

 

「ずるいですね、加賀さん。そんな風に言われて、前者だと答えられるわけないでしょう。……ええ、今度こそ本当に反省するしかないようです。確かにあの戦いで一番反省すべきところは、負けたことではなく、沈んでしまったことにあるでしょうね」

 

 そんな赤城さんに向かって、手を差し伸べた。

 

「一緒に来てくれますか。私は臆病なところがあるから、貴方の勇敢さが欲しい」

「いいですとも。ただし、私は勇猛すぎるきらいがありますから、いざというときは止めてください」

 

 二人、短く握手を交わす。

 ショートランド島を出る前からずっと抱えていた心のもやが、ようやく晴れたような気がした。

 

「行きましょう。空を我々のものにするために」

「ええ。頼みにしていますよ」

 

 筑摩の偵察機に誘導されながら、前線に向かっていく。

 これは――生きて帰るための前進だった。

 

 

 

 艦隊全員が満身創痍になりつつあった。

 だが、それは敵も同じだった。別方面に向かった部隊はいるようだが、こちらに展開しているのは千歳の報告通り五艦隊だけだったようだ。

 それも残すところあと一体――戦艦棲姫だけとなっている。

 相対するのは長門たち戦艦四人。いずれも中破以上のダメージを負っているが、戦意はいずれも衰えていなかった。

 

「長門……」

「心配無用だ、古鷹。……いつぞやの霧の艦隊に比べれば、この程度の困難は大したことではない」

 

 長門が、主砲を戦艦棲姫の一体に突き付ける。

 相手の戦艦棲姫も、長門や陸奥に向けて砲身をまっすぐに向けていた。

 一瞬の静寂の後、先に動いたのは戦艦棲姫だった。

 主砲を撃つと見せかけて、長門たちめがけて突撃する。巨大な艤装に見合わぬ速度で急接近する戦艦棲姫に、長門たちは一斉掃射で迎え撃った。しかし、中破した状態での砲撃では威力が足りなかったのか、戦艦棲姫の装甲を貫くには至らなかった。

 そのまま長門たちの懐に飛び込んだ戦艦棲姫は、剛腕のような艤装を振り回して長門と陸奥の身体を殴り飛ばす。更に、迎撃しようとした利根に至近距離から砲撃を放った。

 

「ぐっ……!」

 

 間一髪で避けた利根だったが、その隙に敵の接近を許してしまった。

 

「――――ッ!」

 

 吠え猛る艤装の一撃で、利根も海面に叩きつけられる。

 だが。

 

「まだ、だよ……っ!」

 

 敵の目が長門や利根たちに向いている隙を突いて、戦艦棲姫に肉薄する。

 至近距離で、目に仕込んだ探照灯の光を思い切り戦艦棲姫にぶつけた。その衝撃で、戦艦棲姫が悶えながら目を抑える。

 相手の視界が封じられている今が――千載一遇の好機だった。

 

「――武蔵っ!」

「応ともっ!」

 

 外すまいと、武蔵が戦艦棲姫の真正面に迫る。

 

「大和!」

「ええ!」

 

 側面から大和が、正面から武蔵が戦艦棲姫めがけて同時に主砲を放つ。

 動けない戦艦棲姫にそれを避ける術はなく――主砲はその身体へと吸い込まれていく。

 大和型二人の主砲は、さすがに耐えきれなかったらしい。戦艦棲姫は、苦悶の声を上げながら海の底へと沈んでいった。

 ――――。

 ――。

 激闘が終わり、全員が死んだように動きを止めた。

 

「……どうにか、片付いたみたいだね」

 

 大破した北上が、呼吸を整えながら呟いた。

 

「いや、まだ終わりではない」

 

 よろよろと態勢を整えながら、利根が口元の血を拭う。

 

「あくまで正面の敵が片付いただけじゃ。動ける者も動けない者も、早々に戻るぞ」

「うへー、スパルター」

「なら、ここに残るか?」

「……いや、帰るよ。だってあたしらの帰る場所、あそこだし」

 

 北上の言葉に、皆が頷いた。

 ショートランド島を振り返る。

 あちこちから煙が立ち込めていた。何度か敵の襲撃があったようだ。きっと酷い状態になっているのだろう。

 

「……急ぎ戻ろう。これからだ、大変なのは」

 

 長門がこちらの背中を叩きながら言った。

 そうだ。これで終わりではない。

 私たちは――まだまだこれからだ。

 

 

 

 空母棲姫との戦いは長引いていたが――私たちの合流によって形勢が変わった。

 私たちの艦戦隊が加わったことで、拮抗状態になっていた制空権争いの主導権を奪うことができたのだ。

 そこからは早かった。上空を気にしなくて良くなった戦艦・重巡・水雷戦隊が敵めがけて突撃を敢行し、一気に敵陣形を突き崩したのである。

 

「……不思議なくらい、あっさりと勝ててしまった気がします」

「いやいや、大変だったのですよ。赤城さんと加賀さんが美味しいとこ持っていっただけです」

 

 ずっと第一線で頑張っていた飛龍が不服そうに頬を膨らませた。

 その隣には、修復を済ませて戦線に復帰していた蒼龍の姿もあった。

 

「二人とも、なんだか表情変わりましたね」

「そうかしら」

「ええ。……この戦いに、勝てたからでしょうか」

 

 蒼龍は、残敵掃討に移る味方の背中をどこか眩しそうに見ていた。

 

「……さて、どうかしら。ねえ加賀さん」

 

 赤城さんが少し意地悪そうな笑みを浮かべてこちらを見た。

 二航戦の前でも先ほどのような話をしろということだろうか。さすがにそれは――恥ずかしい。

 

「……一番嬉しいのは、皆で無事に帰られそうだということですね」

 

 今は、そう言うのが精一杯だった。

 蒼龍と飛龍は不思議そうにこちらを見ていた。いつか、二人にも折を見て話しておくべきかもしれない。

 

「あ、そうだ。帰ったらご馳走!」

 

 飛龍が思い出したかのように手を打った。

 

「加賀さん、提督と念話できるんですよね。だったら戦勝報告しておいてくださいよ。帰る頃にはご馳走いっぱい用意しておいて欲しいなあ!」

「……こういうときでも飛龍は相変わらずね。でも、戦勝報告は……しておいても良いかもしれません」

 

 指輪を握り締めて、何度かやったときと同じように、提督に向かって念話を試みる。

 だが、今回は何も感じなかった。念話をするときは繋がった感触があるのだが、今回はそれがない。

 

「……おかしいわね」

「繋がらないんですか?」

「ええ。……もしかしたらお休みなのかもしれないわ」

 

 また後でかけてみればいい。

 今は――皆で迎えた勝利の一時の中にいたかった。

 

 

 

 どれくらい、この場に留まっていただろう。

 ナギは、康奈を連れて避難場所まで逃げ延びただろうか。

 迎撃に出た利根たちは無事だろうか。

 AL作戦に向かった那智たちは、MI作戦の加賀たちはどうだろう。

 加賀から連絡があったが、赤城はきちんと見つけられたのだろうか。

 叢雲たちは、島の人たちをきちんと逃すことができただろうか。

 いつまでも、ここでじっとしていても仕方がない。全身が痛む中、一歩ずつ進むことにした。

 

 ……やれやれ。なんだか、上手くいかないことばかりだったな。

 

 こんな傷だらけになって一人異国の島を歩くことになるとは、一年前は想像もしていなかった。

 嫌なことばかりの人生だった。

 遊びたい盛りの頃、弟と妹が生まれた。両親は共働きだったから、自分が面倒を見なければならなかった。

 弟や妹が物心つく頃、両親が事故に遭った。父は亡くなり、母は事故で障害が残った。家族の面倒を、自分が見なければならなくなった。

 自分が何をやりたいのか、考える時間もないまま大人になった。

 生活のために仕事に就いた。楽しくなんてなかった。怒られるばかりの日々だった。稼いだ金は、家族のために使った。

 そんな生活を過ごしていたところ、出張に行かされ、事故に遭った。

 そうして――叢雲と出会った。

 もっと自由に生きたかった。青春らしい青春を謳歌したかった。自分のやりたいことを探したかった。こんな風に戦いの中に身を置きたくなんてなかった。

 それでも――嫌なことから逃げて、もっと嫌な思いをするよりはマシだった。

 家族の面倒なんて見たくなかったが、家族が不幸になるのを見ているよりは良かった。

 仕事をするのも好きではなかったが、誰かの役に立っていると実感できたときだけは嬉しかった。

 戦いに身を投じるのも嫌だったが――それで救われる人がいるなら、いいと思った。

 

『それって、貧乏くじ引く生き方だと思いますよ』

 

 そうかもしれない。

 

『……でも、そういう提督だからこそいい艦隊を作れそうだなって気もします』

 

 作れただろうか。

 そう言ってくれた子のことを思い出して、また一歩を踏み出す。

 彼女が進みたくても進めなかった一歩だ。

 どれだけ状況が悪かろうと、生きているならまだ進むべきだ。

 いつか静かな海を作ってみせようと、あのとき誓ったのだから。

 皆で共に明日を迎えようと、そう願ったのだから。

 春先の大規模作戦が終わった頃、由良にタロット占いをしてもらったときのことを思い出す。

 作戦前に占いをしていたときから由良の様子がおかしかったので、一応見てもらったのだ。

 引いたのは『死』のカードだった。由良が言うには、作戦前私が偶然拾ったのもこのカードで、そのことがずっと気にかかっていたという。

 だから、私は言った。

 

『アルカナは人間の人生の流れを表しているものだと聞いたことがある。愚者から始まり、世界で終わる。死というのは道半ばに置かれたカードだ。つまり、これは何もかもが終わりになってしまうような、そういう死を意味するものではない』

 

 なぜ、今その話を思い出したのだろう。

 死を身近に感じているからか。それに対して挫けまいとしているからか。

 傷のせいで体力がいつも以上に減りやすい。すぐに息が上がって、足が止まりそうになる。

 これでは駄目だ。急いで移動しないと――。

 

「……」

 

 そう思っていた矢先、影が差したような気がして、空を見上げる。

 そこには、どこか生物的な印象の小型飛行機のようなものが飛んでいた。

 一年前の今も、こんな光景を見たような気がする。思えば、あれがすべての始まりだったか。

 銃口がこちらに向けられる。

 身体はとうに限界を迎えていた。

 動きたくとも、もう動けない。

 だが、それでも一歩前に出た。

 後ろに下がって終わるのは、嫌だった。

 そのとき――砲声が轟いた。

 気づけば、目の前には一人の少女が立っていた。この一年間、ずっと側にいてくれた少女だ。

 敵の艦載機が、物言わぬ躯となって地に落ちる。

 

「――あんた、大丈夫?」

 

 彼女は、あのときと同じように振り返った。

 

「……ああ。どうにか」

 

 思わず――笑みが浮かんだ。

 

 

 

 背負った新八郎の身体は、不思議なくらい軽かった。

 周囲を警戒しながら、少しずつ歩いていく。

 

「よく、俺の居場所が分かったな」

「居場所が分かったのは、偶然よ。何か胸騒ぎがして、急いで泊地戻って、あんたたちの姿がなかったから……あちこち探し回ってたのよ」

「そうか。すまんな……」

 

 謝らなくていい。こんなのは、いつものことではないか。

 

「……提督権限、手放したのね」

 

 新八郎からは、提督としての気配がなくなっていた。

 おそらく、康奈に移したのだろう。今の彼は――もう提督ではないのだ。

 

「……念のためな」

「康奈は?」

「ナギに頼んで、避難場所まで送ってもらった。叢雲たちに異常がないなら……無事なんだろうな」

「そうね。きっと、無事でいると思う」

「島の人たちは、大丈夫かな」

「救援は一通り済んだわ。今、そっちを担当していた艦娘は皆で北側の敵への対処に当たってる」

「そうか」

 

 新八郎が安堵したのが、気配で伝わってきた。

 

「南方に行った古鷹たちも、じきに戻ると思うわ」

「……ああ、そうだな」

「AL/MI作戦に行ってる金剛や赤城、加賀たちも……きっと無事に戻ってくる」

「…………そう、だな。きっと、無事に戻ってくる」

 

 新八郎の声が、次第にか細くなっていく。

 

「……叢雲」

「なに?」

「康奈たちのことを――泊地のことを頼む」

「……何を今更。頼まれなくたって、しっかり見ておいてあげるわよ。あんたと私で作り上げた場所だもの。あんたが後継者として選んだ子だもの」

 

 それを聞いて、背中で新八郎が穏やかな声を上げた。

 

「――良かった。……なあ、叢雲。この一年間は……楽しかったな……」

「……ええ。あなたと出会えて、良かった」

 

 不意に、背中から重みが消えたような気がした。

 何か――とても大切な何かがなくなってしまったような、そんな感覚が全身を包み込む。

 

「……そっか、疲れちゃったのね」

 

 一歩、また一歩前に進んでいく。

 

「あんたは、頑張り過ぎなくらい頑張ったもの。……今はゆっくり休みなさい」

 

 私たちには、まだやらなければならないことが沢山ある。

 だから、まだ休むことはできない。

 

「……いつか、また会いましょう。新八郎」

 

 夏の空を見上げる。

 立ち止まってはいけない。

 生きている限り、歩み続けなければならない。

 私たちの物語は――まだ続いていくのだから。


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