南端泊地物語―草創の軌跡―   作:夕月 日暮

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第三条「失敗や喪失を恐れるなら無理をするな」

 ホニアラから持ち帰った物資で島の状況は改善した――と言いたいところだが、事態はそう甘くなかった。

 あれからまた数日が経過している。ホニアラから運び込んだ食料はとっくに尽きていた。

 

「うちの母さんも、最近辛そうにしてるんだ」

 

 村々との連絡役が板についてきたナギも、ここ数日でめっきり元気がなくなっていた。一緒にいるナミも痩せてきている。

 かく言うこちらもあまり健康的な状態とは言えない。朝からどうにも調子が悪い。

 

「大淀、うちも人員が増えてきたことだし、まずシーレーンの確保を最優先で進めていきたい。それもなるべく早く」

「了解です。……実はそれに関して一つご報告したいことがあるのですが」

 

 そういえば先ほど哨戒から戻った曙たちから報告を受けていた。何かあったのだろうか。

 

「すまない、ナギ、ナミ。これから内々の話がある」

「分かった。……頑張ってね、おじさん」

 

 気力の感じられない声を残してナギは出ていった。

 この小屋に残っているのは執務を手伝ってくれている叢雲と大淀だけだ。

 

「曙たちが先ほど哨戒中に大型の深海棲艦を発見したそうです。おそらくは戦艦クラスかと」

「戦艦……駆逐艦や軽巡洋艦よりもずっと大型の艦だな」

 

 現在、うちの艦隊には軽巡洋艦より大きな艦はいない。ホニアラ出発前から比べると新たに如月・長月・吹雪・朧・響・電・初春・天龍・龍田・木曾の建造――契約に成功した。しかし彼女たちはいずれも駆逐艦もしくは軽巡洋艦だ。

 

「率直に聞きたいが、現有戦力で戦艦クラスの深海棲艦を相手に戦うことはできるか?」

「難しいわね」

 

 叢雲が答えた。この手のことは実際に前線に出ている叢雲の方が詳しい。

 

「少なくとも日中正面からの艦隊戦じゃ太刀打ちはできない。魚雷を直撃させればなんとかなるかもしれないけど、確実に当てるためにはかなり接近する必要があるわ。けど、戦艦の主砲は駆逐艦や軽巡洋艦と比べてとても長い。敵の砲撃の雨をかいくぐって至近距離から魚雷を放って離脱する。……経験を積んだならまた話は違うと思うけど、今の私たちじゃ相応のリスクを伴うわね」

「……奇襲を仕掛けるなら?」

「海上で奇襲を仕掛けるなら闇夜に乗じてやるしかないから時間が限られるけど……そうね。その場合日中よりはリスクは幾分下げられると思う」

「幾分かは、というくらいか。やっぱりリスクは避けられないんだな」

「できるなら相手にしないのが一番だけど……それが難しい状況だったりするの?」

 

 叢雲の問いに大淀が頷いた。ホニアラでもらってきた地図を広げて戦艦の出現ポイントを指し示す。

 そこは、ソロモン諸島とパプアニューギニア、オーストラリアの海を結ぶ要所だ。

 

「……ウィリアムさんや長崎さんは近隣諸国との輸送ルートが強力な深海棲艦のせいで確立できないと言っていた。もしかしてその戦艦クラスの深海棲艦がそうなのか?」

「おそらくは。少なくともここに陣取られていては他国とのやり取りに支障が出ます」

「どうにかするしかないか。……ただ、不安は残るな。戦艦クラスの艤装建造は?」

「正直、今の設備だと軽巡洋艦以上の建造は難しいかと思います」

「対等の条件で臨みたかったが、それは無理か。こっちにはあまり時間もない。現有戦力でどうにかそいつを倒すしかないな」

 

 危険な賭けだが、待っていても状況は好転しそうにない。打って出るしかなさそうだ。

 

「……大丈夫? なんだかアンタ顔が青くなってるわよ。戦艦クラスの敵についてはこっちでやっておくから、休んでた方がいいんじゃない?」

「問題ないよ。それに提督が近くにいた方が艦娘は力を発揮できるんだろう? 勝率を下げるような真似はしたくない。今回も同行させてもらう」

 

 奇襲を仕掛けるならメンバーは厳選した方が良さそうだ。どういう構成にするか決めなければならない。

 一人一人の顔を思い出しながら、叢雲、大淀と戦艦対策についての検討を続けた。

 

 

 

 いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

 周囲を確認する。ここは執務用の小屋の中だ。叢雲たちとの話し合いが終わって、一息つこうとしたところで意識をなくしたんだったか。

 ひどく頭が痛い。身体も重い。戦艦クラスを倒したら一休みさせてもらおうか。

 そんなことを考えながら身体を起こすと、毛布がかけてあったのに気付いた。

 

「おはようございます、提督。随分お疲れみたいですね」

 

 暗がりから声がした。

 

「……夕張か?」

「ええ。私も少しお休みしてました」

「すまない、起こしてしまったかな」

「いえ、大丈夫ですよ。……叢雲ちゃんから聞きましたけど、本当に行くんですか?」

「ああ。今度は――今度もかな。とにかく、次の戦いは失敗が許されない。そのくせリスクは高い。だから勝率を上げるためにできることは全部やっておきたいんだ」

「……この島の状況、どんどん悪くなってますもんね。亡くなった方も何人かいるそうです」

 

 月明りで、夕張の痛ましげな表情が見えた。

 

「けど、提督もあまり無理はしないでくださいね。貴方に何かあったら……それこそすべてが終わってしまうんですから」

「分かってる。無茶はしないさ」

 

 とは言ったが、多少の無理はせざるを得ない。今はそういう状況だ。

 

「……提督は、なんでこの島の人たちのためにそこまで頑張るんですか?」

「どうしたんだ、急に」

「いえ。提督はこの島の人じゃないし、恩があるからと言ってそこまで無理をするものなのかな――と」

「うーん……だって、無理をするしかないじゃないか。私たち以外に現状をどうにかできる人がいないんだから」

「そういうものなんですかね?」

「そういうものだと思うよ。少なくとも私は、自分以外にやる人がいないなら自分がやるしかない、と思うのは普通のことだと考えているけど」

 

 そうしないと――世の中上手く回らないではないか。

 夕張は肩をすくめてみせた。

 

「それって、貧乏くじ引く生き方だと思いますよ。……でも、そういう提督だからこそいい艦隊を作れそうだなって気もします」

「ありがとう。素直に受け取っておくよ。……今日はもう遅い。明日は作戦決行だ。夕張も早く休むといい」

「そうですね。それじゃ提督、おやすみなさい」

 

 夕張は艦娘たちが寝泊まりしている小屋の方に向かって去っていった。

 

「貧乏くじ引く生き方か……」

 

 まあ、その通りかもしれない。だがそれで何もせず事態が悪化するようなら、貧乏くじ引いてでも改善した方が良いではないか。

 今回もそうだ。この場で深海棲艦と戦えるのは彼女たちと自分だけだ。なら、やるしかない。

 上手くいく。そう信じて挑むしかない。

 

 

 

 翌日、執務用の小屋に現在この艦隊に属している艦娘が勢揃いした。

 戦艦クラスの敵を発見したこと、この敵を倒さなければシーレーンの確保が難しいことを簡単に説明する。

 

「今回は正面からぶつかり合うのはなしだ。夜襲を仕掛ける。敵に気づかれないよう接近して魚雷を叩きこむ。奇襲を仕掛ける形になるから人数は六名に抑える。基礎訓練が出来ていることも必須条件だ。……以上の点を考慮してメンバーを選んだ。大淀」

 

 はい、と応えた大淀がメンバーの名前を読み上げる。

 

「旗艦は夕張。その他は叢雲、電、響、如月、五月雨。以上が奇襲部隊になります」

「この他に奇襲部隊のフォローを行う支援部隊にも参加してもらう。支援部隊は私と共に指揮用の船に乗って、事前の索敵等で働いてもらうことになる。こちらは那珂を旗艦とし、曙、漣、白雪の四名体制とする」

 

 本当は軽巡洋艦である天龍・龍田・木曾も組み込みたいところだったが、三人は昨日着任したばかりで基礎訓練ができていない。今回のようなリスクの高い作戦に参加させるのは良くないと判断した。

 夕張と叢雲以外の奇襲部隊のメンバーはホニアラ市から戻ってすぐに契約したから、天龍たちよりも幾分かは訓練ができている。曙たちを出そうかとも思ったが、前線よりも後詰の方に経験者を配置した方が手堅い備えになるということで、この形に落ち着いた。

 

「天龍たちは留守を頼む。留守といってもやることは山積みだ。ここはまだまだ何もかもが足りていない。その不足分を皆が埋めてくれることを期待しているよ」

「……前線に出せって言いたいところだけど、そんな死にそうな顔じゃ文句は言えないな。分かった、留守は任せておきな」

 

 そんなに顔色が悪いのだろうか。確かに気分は相変わらず優れないが――。

 

「今回の作戦が成功すれば近隣諸国からの輸送も現実的なものになる。海上の輸送路を確保できればこの苦しい状況も変えられるはずだ。皆、頑張ろう」

「応ッ!」

 

 景気のいい声が室内に響き渡る。

 今回も上手くいって欲しい。そう切に願うばかりだった。

 

 

 

 ホニアラでソロモン政府から譲り受けた指揮官用の船に乗り込み、曙たちが戦艦クラスの敵を見つけたポイントに移動を開始する。船の周りには那珂たち後詰部隊が展開していた。敵艦隊が見えるまで奇襲部隊は休ませることにしている。

 

「如月、少しいいかな」

「あら司令官。どうしたの?」

 

 如月は風に当たっているようだった。特に緊張している様子は見受けられない。

 

「その様子なら大丈夫そうだな」

「もしかして緊張してないか様子を見に来てくれたの? だったら大丈夫よ。相手を甘く見ているつもりはないけど、必要以上に緊張しても良い結果は出せないもの」

「そう思っていても緊張してしまうものだろう。私も実のところ戦艦クラスの深海棲艦ははじめて見る。不安で身体が震えるのが正直なところだ」

「司令官の場合体調のせいもあると思うけど」

 

 こちらの額に手を当ててくる。如月の手はとても冷たかった。

 

「……凄い熱よ。周囲への気遣いはいいけど、少し休んだ方がいいんじゃない?」

「この一件が片付いたら休ませてもらうよ。残念だけど今は休んでいる余裕がない」

「司令官、焦る気持ちは分かるけどあまり急ぎ過ぎるのも良くないわよ」

「ああ、ありがとう」

 

 分かっている。確かに今、自分は少し焦っている。

 ナギ・ナミがやつれていく姿を見ていると、早く解決しなければという衝動に駆られる。飢えで苦しむ人々の姿というのは、身近で見てみると想像以上に辛かった。

 ソロモン諸島の状況は日本政府も知っているはずだから、待っていればそのうち自分などより優秀な提督が派遣されてきてパパッと事態を解決してくれるかもしれない。だが、それまでに何人が飢えで死ぬのか。

 

「……すまないな、如月たちもまだ着任してから日が浅いのに、過酷なことを頼んでしまった」

「それは構わないわ。私たちは戦うために生まれ、死んで、そして再び戦うために戻って来たんだもの」

 

 こうして話してみて、時々疑問に思うことがある。

 艦娘たちは何のために戦っているのか。

 自分と同じように現状をどうにかしたいと思っているからか。それとも提督の指示に従って戦わねばという義務感からか。

 分かったようでいて、未だ全然分からないことだらけだ。ただ、それでも信頼できる相手であることに違いはない。

 

「司令官、大丈夫?」

「あ、ああ。すまないが、少し休みを取らせてもらうよ」

「そうした方がいいわね。おやすみなさい、司令官」

「ああ、おやすみ」

 

 如月に別れを告げて船内へと戻る。

 ときどき吐き気がする。生まれてこの方乗り物酔いはしたことがないから、おそらく体調によるものだろう。

 戦闘になったときに寝込んでいるような無様だけは晒さないようにしたいところだった。

 

 

 

 叢雲が船室に飛び込んできたのは日が沈みかけた時間だった。

 

「深海棲艦が出たわ」

「戦艦クラスが来たのか?」

「いえ、軽巡クラスを旗艦とする水雷戦隊編成よ。今那珂たちが迎撃してる」

「分かった、私も行こう」

 

 まだ調子は戻っていなかったが、皆が命を賭けて戦っているのに一人休んでいることはできない。

 甲板に出たときには、既に戦闘は半ば終わっていた。

 敵は軽巡洋艦と駆逐艦が一体ずつ残っているだけ。それに対しこちらは全員少し手傷を負っているだけだ。

 

「一斉砲撃、いっくよー!」

 

 那珂の号令に合わせて曙たちが敵めがけて主砲を構える。

 

「てーっ!」

 

 主砲が轟音と共に放たれ、敵に直撃する。

 やった……と誰もが思った瞬間、異変は起きた。

 那珂がいたポイントで爆発が生じたのだ。

 

「魚雷!」

 

 白雪が爆破の原因を特定し、那珂の元に駆け付ける。曙と漣は残敵がいないか警戒を強めていた。

 幸い那珂は無事だった。ただ艤装が大きく損傷している。

 

「……ごめん、提督。那珂ちゃん、これじゃちょっと戦えないかも……」

 

 甲板に上がってきた那珂は申し訳なさそうに詫びた。

 

「分かった、那珂は船に戻ってくれ。悪いが夕張、代わりを頼めるか」

「はい、お任せください!」

 

 艤装を展開して夕張が海上に降りる。他に指揮を執れる艦がいないので、このまま出ずっぱりということになる。

 

「……じき日が沈む。戦艦クラスを発見したというポイントも近い。ここからは索敵重視で動いていこう」

「私も偵察機使えたら良かったんですけどね。まあ自力でも探し出してみるけど!」

 

 夕張が腕をまくってみせた。任せろと言いたいらしい。

 

「司令官さん。引き返した方がいいということはないのですか……?」

 

 そのとき、電が控えめな声で意見具申をした。大人しめの子だからこういうとき意見が出てくるとは思わなかった。もしかすると芯の部分は強い子なのかもしれない。

 

「確かに電の言うことも一理あるわね。やる気になってる夕張には悪いけど、やっぱり先制攻撃を仕掛けるなら偵察機がないと厳しくなるわ。元々那珂たちは敵を発見するところまでやって、そこから私たちが出る予定だったんだし」

 

 電の意見に叢雲も頷く。

 確かに二人の意見ももっともだ。余裕があれば出直したい。

 一旦引くか。それとも勝負に打って出るか。全員の視線がこちらに向けられる。

 

「…………警戒を厳にして索敵を続けよう。残念だがショートランドはもう余裕がない。できるなら、今回で決着をつけたいんだ」

 

 口にしてから、これで本当に良かったのかという迷いが去来する。

 だが、他の皆はこちらの意見に対して異を唱えなかった。島の状況は皆も把握している。最善手ではないがやるしかない、という認識を持っているのだろう。

 

「電」

「は、はい」

「今みたいな意見具申はこれからもして欲しい。今回は案を容れられないが、意見をもらえたこと自体は嬉しく思っているよ」

「――はいなのです!」

 

 電が敬礼をする。その表情には微かな喜びの色が見えたような気がした。

 重要な戦いの前に意気消沈しないか心配だったが、この分だと大丈夫そうだ。

 

「……どこにいる、戦艦」

 

 日が沈む。海が深い闇へと染まっていく。

 まるで、地獄への入り口のようだ。

 

 

 

 

「――今、何か動かなかった?」

 

 那珂を船室で休ませてからどれくらい経過しただろう。

 すっかり日は落ちて、海を照らすのは頼りなさげな月だけだ。

 そんな中、夕張が何かを見つけたらしい。

 夕張が指し示す方に視線を向ける。確かにそちらで何か動いているのが見えた。

 

「……人のようにも見えるが、こんな夜間に海の上を歩く人間はいないよな。艦娘という線は?」

「いえ、あれは……多分深海棲艦です。ここからだと感知しにくいですが、深海棲艦の気配が僅かにあります」

「人型の深海棲艦は基本的に大物と見ていいわ」

 

 隣に来た叢雲が補足する。既に艤装を展開していた。いつでも海に出られる状態だ。

 今まで見てきた深海棲艦は人とは言い難い姿形をしていたが、戦艦ともなると少し話が違ってくるらしい。

 

「よし、ではあちらにいる深海戦艦を目標とする。夕張、やれるか」

「任せてください、提督。島の皆を助けるためにも頑張りますよ!」

 

 重たそうな艤装を展開させて張り切りながら夕張が拳を突き出してきた。

 距離があるのでぶつけることはできないが、こちらもそれに合わせて拳を突き出す。

 その間に如月、電、響、五月雨がやって来た。出撃準備はこれで完了だ。

 

「夜間の奇襲による超短期決戦だ。長期戦はするな、無理そうならすぐに引き上げろ」

 

 作戦の趣旨を徹底させる。皆、神妙な面持ちで頷いた。

 

「よし、それでは――」

 

 作戦開始だ――そう言おうとしたとき、異変は起きた。

 轟音と共に、船が大きく揺れたのだ。見ると、すぐ側で大きな飛沫が上がっている。

 

「砲撃よ!」

 

 叢雲が叫びながら海に飛び込んだ。如月たちもその後に続く。

 

「まずい、向こうもこっちに気づいてたんだ……! 先制攻撃を仕掛けるつもりが、やられた!」

 

 夕張の状況説明で、フリーズしかかっていた脳が再活動を始める。

 

「て、撤退だ! 真正面からじゃ勝ち目はない!」

「逆です!」

 

 夕張が血相を変えて叫んだ。

 

「すぐにあいつを倒さないと逃げ切れません。奇襲は失敗しましたけど、戦艦の砲撃だって夜間じゃ簡単には当たらないです! 命令してください、行けと!」

「っ……」

 

 そんなことを――急に言われても。

 即断即決は、苦手なのに。

 もう一度大きな音が響き渡り、誰かの悲鳴が聞こえた。暗いせいで状況が正確に把握できない。

 

「どうした、大丈夫か!」

「だ、大丈夫です……」

 

 夕張が返答した。暗闇でよく見えないが、ダメージを負ったのかもしれない。

 

「それより提督、早く! 迷えばその分、不利に……な、なりますっ」

「だ、だけどな……」

「あいつを倒して皆を助けるんでしょう!?」

 

 夕張の檄に返す言葉がなくなった。

 引くことができないなら、迷わず突き進むしかない。本当にそうなのかという疑念が背中にへばりついたままだったが――。

 

「分かった、夕張隊は直ちに敵艦隊を撃破しろ! 曙たちはこの船の守備を!」

「了解!」

 

 頼もしい声が漆黒の海に響き渡った。

 

 

 

 嫌な感覚が胸の奥に詰まっている。

 夜ということもあって敵艦の姿が正確に見えない。加えて先手を取られたことでこちらには動揺が走っている。

 

「みんな、行くよ……!」

 

 夕張の声に従って進んでいく。

 しかし、奇襲に失敗したこの状況で、どうやって戦艦を倒せばいいのか。

 

「至近距離からの雷撃しかない」

 

 こちらの考えを読んだのかのように夕張が言った。

 

「けど、どうやってそこまで近づく?」

 

 再び近くで着弾する音が聞こえた。敵の攻撃精度は少しずつ上がってきている。それだけ近づいてきているということだ。

 

「敵は戦艦クラス一体だけじゃないわよ。さっきちらっと見た感じだと随伴艦も何体かいる」

「私が囮になって敵を引き寄せる。そこをみんなの雷撃で一気に仕留めて」

 

 迷いのない指示だった。

 

「雷撃だったら夕張もできるじゃない。それにあんたさっき砲撃喰らってたでしょ。囮は私に任せなさい」

 

 ダメージを負った状態で戦艦の一撃をもらえば無事では済まない。そんな危険なことをさせるわけにはいかなかった。

 

「……砲撃喰らったおかげで実は魚雷発射管がやられちゃったのよね。主砲はあんまり強力なものじゃないし。だから今の私は囮くらいしかできることがないの」

 

 悔しそうな声だった。その言葉に嘘偽りはないのだろう。

 

「言っておくけど、下がるつもりはないわよ。駆逐艦五人だけで倒せる相手だなんて思わない方がいいわ」

「別に相手を甘く見ているつもりはないけど……」

「なら――あとはお願いね」

 

 夕張の主機が悲鳴のような音をあげる。我はここにあり、と言わんばかりだ。

 敵の砲撃が激しさを増した。最初はすぐ近くに水柱が立った。しかしそれもやがて離れていく。囮となった夕張を負っていたのだ。

 

「叢雲ちゃん……」

 

 五月雨が不安そうにこちらの腕を掴んできた。

 

「分かってる。追うわよ、絶対に失敗できないんだから」

 

 さすがに夜の暗さにも慣れてきた。敵の姿も大分はっきりと見えるようになってきている。

 戦艦クラスの人型が一体。他は軽巡クラスや駆逐クラスだ。

 

「響、どう思う?」

「魚雷は全部戦艦に使おう。他は至近距離からの主砲で片付ける」

「完全に懐に飛び込むわけね。リスキーだけど今はそれが最善か」

 

 他の皆からの意見はなかった。響の案でいくことにする。

 夕張を追ううちに固まり始めた深海棲艦たちに迫る。肉薄する。

 早く仕留めなければという焦りと、確実に仕留めるために慎重になれという理性がぶつかり合う。

 怖い。仕留めきれなかったらどうなる。そのことを考えると、どうしようもない恐怖がわき上がってくる。

 それをなけなしの理性で押さえつけた。

 最初に私たちの接近に気づいたのは、他の誰でもなく――標的の戦艦だった。

 思わぬ方向からの敵襲にかすかな驚愕の色が見える。巨大な砲身がこちらに向けられた。

 

 ……撃つ!?

 

 一瞬の迷いの後に、妙な空白感があった。撃つならこのタイミングだと直感が告げているような気がした。

 

「――沈みなさい!」

 

 艤装から魚雷を射出する。敵はすぐそこで――直撃するのもすぐだった。

 鼓膜を震わせる大きな音が夜の海に広がる。

 理性で動くことができたのは、そこまでだった。

 

 

 

 静かになった。

 夜の海を騒がせていた轟音が聞こえなくなった。

 

「……どうなったのかしら」

 

 曙の不安そうな声だけが聞こえる。

 こちらとしては待つしかない。

 どれくらいの間そうしていただろう。

 かすかな駆動音が近づいてくる。やがて、叢雲たちの姿が見えてきた。

 全員一目で満身創痍と分かる状態だった。かなり激しい戦いだったのだろう。

 

「――お疲れ様。早く船に上がって休むといい」

 

 そう声をかけたが、叢雲たちは誰一人として上がってこなかった。

 皆、うつむいている。

 

「……」

 

 そのときになって、ようやく異変に気付いた。

 一人いない。

 戻って来たのは、五人だけだった。

 

「……夕張は?」

 

 声がかすれた。

 叢雲はいる。如月もいる。電も五月雨も響もいる。

 夕張が――いない。

 

「夕張は、どうした?」

 

 重ねて尋ねると、如月がこちらに向けて何かを掲げた。

 夕張がしていた緑のリボンだった。

 

「……夕張さんは、もう戻ってきません」

「なぜだ」

「沈んだからです。敵と戦って……最後まで戦い抜いて、私たちの目の前で沈んでいったからです」

 

 沈んだ。夕張は、もう戻ってこない。

 これが深海棲艦との戦争だというなら――そうなることもありえるのか。

 

『提督はいい提督になりますよ。そして、この艦隊もきっといい艦隊になります』

 

 そう言っていた彼女は、もういないのか。

 

『それって、貧乏くじ引く生き方だと思いますよ』

 

 そんなことを言っていたくせに、自分の方が貧乏くじを引いているではないか。

 

『……でも、そういう提督だからこそいい艦隊を作れそうだなって気もします』

 

 そう思うなら、最後まで見届けるのが筋だろう。

 いろいろな思いが胸の内にわき上がっては消えていく。

 これは――駄目だ。

 

「……分かった。今は皆休んでくれ。作戦は終わりだ。帰投する」

 

 短くそう告げて、皆から視線を外した。

 今は上手く向き合えそうにない。

 あれほど渇望していた勝利を得たというのに、この感覚はなんだ。

 よく、分からなくなった。

 

 

 

 それから程なく、近隣諸国とソロモン諸島を繋ぐシーレーンは復旧した。

 ソロモン政府からの要請によりオーストラリアやパプアニューギニア、そして日本から支援物資が届き――ようやくショートランド島を含むソロモン諸島の食糧難は解決の兆しを見せつつあった。

 ナギやナミをはじめとする島の人々も少しずつ調子を戻しつつあるようだった。ずっと臥せっていた二人の母親も、最近は起き上がって仕事を再開し始めたという。

 島の人々からは会うたびに御礼を言われる。ホニアラからも一度お偉方が来て感謝状を置いていった。

 助けられたのだ。自分を助けてくれたこの島の人々を。

 為すべきことを為し遂げたのだ。

 それでも――本当にこれで良かったのかという思いは、まったく晴れなかった。


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