南端泊地物語―草創の軌跡―   作:夕月 日暮

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四月になりましたね。新しい門出を迎える皆さんが、良い一年を過ごせますよう。


春の学び舎に式典を

 四月になろうとしていた。

 季節は巡る。夏にここへ来て、秋が過ぎ、冬が過ぎ、春が来た。

 あっという間に、移り変わっていく。

 

「入学式の準備、しないとな」

 

 執務室での仕事が一段落つき、明日のことを考えた。

 泊地では、ここで暮らす艦娘や島の子どもたち向けの学び舎を準備していた。

 まだ教室一つ分の小さな学び舎ではあるが、明日、そこがとうとう開く。

 

「入学式? やるの?」

 

 きょとんとした顔で尋ねてきたのは、泊地の初期艦である叢雲だった。

 

「ああ。やるつもりだったが」

「別にいいんじゃない? 本格的な学校ってわけでもあるまいし」

「そういうわけにはいかん。規模の問題ではないぞ。こういうのは、やっておくべきだ」

「……まあ、あんたがやるっていうならそれでいいと思うけど」

 

 叢雲はあまり乗り気ではなさそうだったが、それ以上反論してくることはなかった。

 近頃、互いに引き時というものを弁えてきたような気がする。これ以上言い合っても相手が引かないと分かれば、さっさと会話を切り上げる。そういうことが多くなってきたように思えた。

 

「――新八郎。入学式って?」

 

 そう尋ねてきたのは、先日泊地で引き取った康奈という少女だった。

 身寄りがないこと、提督としての適性があることから引き取ったのだが、過去のことを記憶が欠損しているらしく、ところどころ一般常識が抜け落ちているようなところがある。

 今も、軽巡洋艦の大淀に、いろいろとレクチャーを受けているところだったようだ。

 

「……康奈さん。目上の人を呼び捨てで呼ぶのは駄目ですよ」

「でも、新八郎は別にいいって」

「提督」

 

 大淀にジト目で睨まれた。

 どういう呼び名がしっくり来るのか分からないのだから仕方ない。

 さん付けだとなんだか遠慮されている気がするし、かと言ってお父さんと呼ばれるのは年齢的に抵抗がある。

 

「呼び名の件はひとまず置いておくとして、だ。入学式というのは、学校に新しく生徒が入るときに行う式典だな」

「式典――」

「そうだ。入学する子たちに周囲の人間がエールを送る日でもある。こういう式典は、参加者の大半が煩わしいと思うものかもしれないが――何年も後になって、学校でのことを思い出すときに必要になるものだ。私はそう思っている」

 

 その場にいた全員が「ほほー」という顔をしていた。

 考えてみれば、ここにいるメンバーで学校に通っていたのは私だけだ。

 話だけ聞いても、実感が湧かないのかもしれない。

 

「提督の入学式では、どんなことが行われたんですか?」

 

 重巡洋艦の古鷹が興味津々な様子で尋ねてきた。彼女も叢雲や大淀と同様、執務の手伝いをしてくれていたのだ。

 普段からいろいろと気遣ってくれる優しい子ではあるのだが――この質問は非常に困るものだ。

 なにせ、全然覚えていないのである。

 

 これが友人相手の会話なら「いやー、忘れてしまったよ」で済ますのだが、散々入学式が大事だと語った直後なだけに、そういう返しはできない。

 

「……えーと。まず入学生が全員集まって、校長先生の――学校でかなりえらーい人の挨拶があった……ような気がする」

「気がする?」

「いや、あった。あったぞ、間違いない」

 

 叢雲の疑わしげな眼差しから顔を背けつつ、何度も頷いてみせた。

 

「あと、歌を歌った。国歌だったか、校歌だったか。あと自治体とかの代表者の挨拶もあったような、なかったような」

「新八郎。アンタ、あんまり覚えてないんじゃないの」

「……まあ、そうなるな」

 

 叢雲の追求から逃げられないと判断し、即座に白旗を上げる。こういう潔さも時には大事だと、声を大にして言いたい。

 

「だが大事なのは中身ではない。入学したということを入学生の皆が自覚できるような思い出を作ること! それに尽きる!」

「……たまに思うんだけど、新八郎って考え方が妙に古臭いというか堅いところない?」

「そうか? そんなことはないと思うが……」

 

 そう思って周囲の反応を窺ってみたが、意外なことに叢雲に反論する者は誰一人としていなかった。

 大淀は「うんうん」と頷いているし、古鷹も困ったような笑みを浮かべるばかり。

 

 もしかして、私は艦娘たちから口うるさい頑固親父と見られているのだろうか。

 助けを求めるように康奈へと視線を向けたが、こちらの意図を理解できないのか、きょとんと首を傾げてみせた。

 

「康奈さん。提督はどういう人だと思いますか?」

 

 大淀がストレートな質問を繰り出した。

 

「優しいと思う」

「……おおっ」

「でも、怒ると怖い。すごく頑固」

「……ぐうっ」

 

 ぐさりと見えない何かが胸に突き刺さる。

 どうやら、自分のイメージというものについて、真剣に振り返る必要がありそうだった。

 

 

 

「……話は分かりましたが、なぜ私のところに来たのですか」

 

 胡乱げにこちらを見てくる加賀の視線がちょっと痛い。

 

「赤城が言っていた。『加賀さんはあれでいて可愛いところがある』と。赤城にそう言わしめた加賀なら、何かヒントを持っていないかと思ったんだ」

「成程。今の発言からすると、提督は普段私のことを怒ると怖くて頑固な奴だと思っている、ということでよろしいですか」

「……いや、そんなことないぞ? うん。本当に」

 

 実のところそういうイメージもなくはない。ただ、それが加賀のすべてだとは思っていない。

 分かりやすい言葉で説明できるような単純な人など、滅多にいない。

 

 加賀は「まあ良いです」と言って嘆息した。

 

「ところで提督。その場にいた子たちの中で、あなたのことを嫌いだと言った人はいますか」

「いや、さすがにそんなことは言われていない」

「では、嫌われていると思いますか」

「……うーん、嫌われてはいない、と思いたいが、そこまで自信があるかと言われると」

 

 自分ではあまりそのように思ったことはないのだが、どうも昔から「お前は人の心の機微に疎い」と言われることが多かった。

 だからか、人にどう思われているのか、という点についてはとにかく自信がない。

 

「嫌われていないと思うなら、良いではないですか。自信がなくとも、今は大丈夫だと思っておけば良いのです。嫌いだと面と向かって言われたら、また改めて自分の行いを振り返れば良い。そう思うけれど」

「うーん、まあ、それはそうなんだが」

 

 そういう割り切りが大事だというのは分かる。

 ただ、私は頑固親父というイメージを払拭したいのである。

 

「それは無理ね」

 

 自分の希望を口にした途端、加賀はそれを一蹴した。

 

「……一応聞いておきたいんだが、加賀から見た私はどういうイメージだろうか」

「言って良いの?」

「すまん、やはり止めてくれ。聞くのが怖い」

 

 口を開きかけた加賀を制止する。

 これ以上心にぐさりと来るのは勘弁願いたい。

 

「……提督」

「ん?」

「お互い、自分の希望通りのイメージで見てもらうのは難しいかもしれないわね」

「そうだな」

「でも、そういう頑固なところがなければ提督は今この場にいなかったとも思うわ。そう考えると、頑固というのも誉め言葉の一種に聞こえてこない?」

 

 もしかすると、加賀なりに励ましてくれているのかもしれない。

 落ち着いた物腰の加賀の言葉だけに、一瞬そうかもしれない、と思いそうになる。

 

 ただ、やはりそれではいけない気がする。

 

「結果的にそれがプラスになっている面があったとしても、やはりそれをただ放置しておくのは良くない。直せるなら直したい。私の在り様のせいで周囲に迷惑をかけてしまうようなことは避けたいんだ」

 

 それを聞いて、加賀は再び大きな溜息をついた。

 

「……本当、頑固な人ですね」

 

 小声でそう呟いた加賀が、ほんの僅かな間、笑みを浮かべていたように見えた。

 気のせいだったのかもしれない。まばたきをしてもう一度見ると、普段通りの表情の加賀がいた。

 

 

 

「そもそも私は提督がそこまで頑固だとは思わないが」

 

 波止場の一角で汗を拭きながら、長門がそう言った。

 先程まで訓練をしていたのだという。前にもまして熱心に打ち込むようになったようだが、以前のような焦燥感はもう見えない。

 

「それは、単純に長門さんが提督以上に頑固だからじゃ……」

 

 長門と一緒に訓練していたという瑞鳳が、ぼそっとツッコミを入れる。

 確かに長門は武人肌で非常に頑固一徹なイメージがある。

 ただ、本人はそういう自覚がないらしい。

 

「実は陸奥にも同じことを言われた。いや、陸奥だけではない。金剛や赤城、加賀にも言われたのだ。なぜだろう……」

「なぜもなにもないのでは」

「?」

 

 全然分かっていないようだった。

 ただ、長門はこれでいいような気もする。そういう骨太で実直な在り様は、多くの艦娘の支柱になり得るものだ。

 

「瑞鳳はどうだろう。私はやはり頑固だろうか」

「えっ、そうねえ。……うーん、そうかも」

 

 若干躊躇いながらも肯定する。

 瑞鳳は裏表があまりない素直な性格の子だ。その言葉に偽りはないと見て良い。

 

「そうか。やはりそうなのか」

 

 なんだか頑固と言われるのにも慣れてきて、段々辛く感じなくなってきた。

 

「こうなると、さすがに自分の意見を引っ込めた方が良いのではないかという気もしてくるな」

「自分の意見?」

「ああ。明日、簡単なものだが入学式をやろうとしていたんだ。だが、それを無理に押し通すのは良くないことなのかもしれない、という気がしてきた」

 

 叢雲たちとの話のあらましを二人に説明する。

 話を聞き終えた長門は、別にそこまで気にする必要はなかろう、と言った。

 

「入学式をやること、直接反対されたわけではないんだろう。ならば、別にいいのではないか」

「いや、遠慮してるのかもしれないだろう。上司と部下という関係だし、直接だと言い難いことだってあるかもしれない」

「それは、ないんじゃないかなあ」

 

 こちらの懸念を払拭するように、瑞鳳が笑った。

 見る者の不安を吹き飛ばすような、屈託のない笑顔だ。

 

「遠慮するような相手に、貴方は頑固な性格だ――なんて言わないでしょ?」

 

 

 

 その後、新八郎が何を思ったのか知る者はいない。

 確かなのは、翌日、入学式が予定通り行われたということと、新八郎の挨拶がかなり長く不評だったということのみである。

 

 ただ不思議なことに、翌年以降も新しいメンバーを対象に入学式は行われることになった。

 散々不評だった新八郎の挨拶も、その年ごとにアレンジされつつ、ずっと残っていった。

 

 あるとき、それを奇妙に思った誰かが、泊地司令部の艦娘に尋ねてみた。

 なぜ毎年きっちり入学式をやるのか。あの冗長な挨拶はどうにかならないのか、と。

 

 すると、以下のような答えが返ってきたという。

 

「こういうのはキッチリやるべきだって、皆にエールを送りたがった頑固親父が言ってたのよ」


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