南端泊地物語―草創の軌跡―   作:夕月 日暮

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夏の海に思い出を(後編)

 しばらくして、七駆の皆は六駆と交替した。

 

「ずっと漣たちでご主人様を独占するのも悪いですからね」

 

 悪戯っぽくそう言って笑う漣はどこか寂しそうだった。

 他の三人も、どこか普段と違って見える。

 曙はそっぽを向いて顔を見せてくれなかったが、なんとなく、どういう顔をしているかは予想がつく。

 

 この一年で、多少なりともこの子たちにとって良い提督でいられただろうか。

 そう悩むことも多々あったが――それなりに良い関係を築けたような気もする。

 

「司令官、どこか嬉しそうな顔してるわね?」

「ん、そうかい?」

「そうよ。暁にはお見通しなんだから。……そう、提督は今日美味しいデザートを食べて上機嫌なのに違いないわ!」

「はっはっは」

「暁。司令官のこの笑い方は外れみたいだよ」

「えーっ!」

 

 そうなの司令官、と暁に詰め寄られる。

 どうにか回答をはぐらかそうと悪戦苦闘していると、雷が暁の首根っこを掴んだ。

 

「はいはい、そこまで。司令官も困ってるじゃない」

「むう。暁のレディっぷりを見せてあげようと思ったのに」

「見せ方をもうちょっと考えた方が良いんじゃない?」

 

 雷が窘めるような口調で暁をこちらから引き剥がした。

 

 六駆の四人――特に響と電の二人とは長い付き合いになる。

 七駆ほどではないが、この泊地では古参の方だ。

 

「でも司令官さん、本当に優しい顔をしてるのです」

「普段とそんな違うかな」

「いつもは少し厳めしい表情をしてるからね。怒ってるわけじゃないって分かってるから、怖くはないけど」

 

 響に言われて、思わず自分の顔を触ってみてしまった。

 

「人相については、戻ってくるまでに改善できないか試みてみよう」

「今のままで良いのですよ、司令官さんは」

 

 電が宥めるようにフォローしてきた。

 

「自然体のままの方が私も良いと思うよ。どちらかというと最初の頃は表情作ってて、それが逆に怖かった」

「そうなのか? 全然自覚してなかったが……」

「余裕が出来て自然体でいられるようになった。そういうことじゃないかな」

「ああ――確かに、最初の頃は余裕なかったからな」

 

 企業に勤める平凡なサラリーマンが、突如提督になり、この島の窮状を見かねて泊地を立ち上げた。

 最初は本土との連絡も取れず、周囲に味方の拠点もなく、まさに孤立無援だった。

 艦娘のこともほとんど知らなかったから、当初は「信じるしかない」と割り切ろうとして接していたところがある。

 そういう状況が、ぎこちない表情を作り出していたのかもしれない。

 

 あの頃と比べると、自分は多くのものを失い、そして多くのものを得た。

 失ったものは戻ってこないが、それでもあの頃よりも自然体でいられるなら――きっと得難いものを得られたのだろう。

 

「司令官さん?」

「ああ、すまないな。少し……彼女のことを思い出していた」

「……そうですか」

 

 周囲の空気が若干しんみりしたものになる。

 最初の頃、この泊地が右往左往しつつ窮状を脱しようとしていた頃、一人の艦娘が海に沈んだ。

 その出来事は、当時泊地にいたメンバーの中に、消せない傷として刻まれている。

 

「あの、司令官さん」

 

 電が、突然意を決したように正面からこちらを見据えてきた。

 

「会ってもらいたい子がいるのです」

「……誰だい?」

 

 問いかけつつ、それが誰かは、なんとなく想像はついていた。

 あの出来事で、特に深い傷を負ったであろう子が一人いる。

 彼女とは、今もあまり話すことができていない。

 

 電は若干躊躇いながらも、その名前を口にした。

 

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「なかなか利根の短冊、見つからないわね」

「いい加減諦めんか、このバカマルクめ」

「ふっ、これしきのことで諦めるほど軟弱ではないわ。プロイセン魂を舐めてもらっては困るわね!」

 

 新八郎が六駆と短冊を見て回っている頃、他の艦娘たちも思い思いに泊地内を散策していた。

 利根はこうした催しに興味はなかったのだが、筑摩に嵌められる形で短冊を書くことになり、それを知ったビスマルクによって半ば強制的に連れ出されていた。

 

「まったく、最近はどうにも調子が狂う」

「あら、どこか悪いのかしら?」

「主に筑摩とおぬしのせいじゃ。あと提督と叢雲」

「……?」

「本気で分かっておらんようじゃな……」

 

 利根は頭を掻きながら溜息をついた。

 ショートランドの利根は、群れることを好まず、他の艦娘と距離を取る姿勢を貫いていた。

 そのスタンスが仲間内からも問題視され、孤立を深めていたのだが、今年の春の海戦以降どうにも風向きが変わってきた。

 

「最近は子どもたちにもよく声をかけられてるそうじゃない。良いことだわ」

「うっさいわ。吾輩は子どもなぞ苦手なのじゃ。面倒臭いことこの上ない」

 

 利根の悪態に、ビスマルクは肩を竦めてみせる。

 素直じゃないわね――と言いたげだった。

 

「あら?」

 

 と、そこでビスマルクが足を止める。

 彼女の視線の先には、浜辺近くで一人海を眺めている小柄な艦娘がいた。

 

「如月じゃない。一人でいるのは珍しいわね」

「あら……ビスマルクさん。それに利根さんも」

 

 如月は声をかけられて、初めて二人に気づいたらしい。

 どこか、ぼーっとしているようにも見えた。

 

「睦月たちとは一緒じゃないの?」

「睦月ちゃんたちは、司令官に挨拶してくるって……」

「ふうん? 如月は行かなかったのね。アトミラールのこと苦手だった?」

「苦手……ではないんですけど。ちょっと、顔を合わせにくくて」

 

 何かをはぐらかすような言い方をする如月に、ビスマルクは首を傾げた。

 

「あやつは、もうすぐここからいなくなる」

 

 ビスマルクの後ろから、利根が釘をさすように言った。

 

「顔を合わせにくくとも、話したいことがあるなら今のうちに話しておいた方が良い。あやつがここに戻って来るのかも、そのときまでにお前が無事でいられるかも分からんのだからな」

「……そう、ですね」

 

 如月の表情が曇る。

 利根の言葉で傷ついたわけではない。傷口に触れられたが故の曇りだった。

 

「少し――考えてみます。ありがとうございました」

 

 如月は二人に頭を下げて、何処かへと去っていく。

 その後ろ姿を見送りながら、ビスマルクは利根を肘で小突いた。

 

「もうちょっとソフトな言い回しはなかったの?」

「知らんな。吾輩は、そういう優しさは知らん」

 

 利根は、わざとらしいくらい大きな溜息をついた。

 

「けど、放ってはおかなかったわけね」

「何が言いたい」

「それを口にするのは、この国の言葉でいうところの『野暮』というものだわ」

 

 ふふん、となぜか勝ち誇ったような顔をするビスマルクに対して、利根は心底嫌そうに表情を歪ませるのだった。

 

 

 

 考えてみると言ったものの、如月はまだ新八郎に顔を合わせる決心ができていなかった。

 

 あのとき、彼女は如月の眼前で沈んだ。

 

 艦艇だった頃、如月は仲間が沈むのを目の当たりにして、その後すぐに自身も沈むという末路を辿っている。

 だから、目の前で再び仲間が沈んで動揺した。

 何かに心の拠り所を求めようとしてしまった。

 

 しかし、提督――新八郎はその後も何事もなかったかのように振る舞った。

 その姿勢に如月は失望した。この人は信頼するに値しないと、そう判断した。

 

 実際は違った。

 彼は彼で傷ついていた。しかし、泊地を取り巻く状況が嘆くことを許さなかった。だから平静を装っていた。

 傷つきながらも、彼はやるべきことをやり続けた。

 如月が新八郎の本心を知ったのは、彼が無理を重ねて倒れた後だった。

 

 新八郎の本音を知って、彼に対する不信感は消えた。

 ただ、彼が傷つきながら奮闘していたときに自分が取った言動を省みると――彼に合わせる顔がなかった。

 

 作戦上必要なことは話す。しかし、それ以外に交わした言葉はない。

 何を話して良いのか、分からなかった。

 

「なんだ、如月じゃねーか。湿っぽい顔してどうしたよ」

「あらあら、美人さんが台無しだわ~」

 

 顔を上げると、そこには天龍と龍田がいた。

 二人の周囲には他にも何人かの艦娘がいる。皆、心配そうに如月のことを見ていた。

 

「ごめんなさい、少し考え事をしていて……」

「なんだ、何か悩み事か? それなら一人で考えるより、誰かに話してみた方が良いかもしれないぜ」

「そうねえ。提督にでも相談してみたら良いんじゃないかしら」

「提督は説教臭いところがあるから駄目だろ。それくらいならオレたちが相談に乗るぞ」

「……ごめんなさい。ちょっと、話し難いことで」

 

 天龍たちの気遣いはありがたかったが、如月には、これが話してどうにかなるようなものとは思えなかった。

 

「なんだ、それなら仕方ねーか」

「そうね、無理強いは駄目よ天龍ちゃん。……あ、そうそう如月ちゃん。睦月ちゃんがさっき貴方のことを探してたわよ」

「睦月ちゃんが……?」

「ええ、なんだかとっても困ってるようだったわ。泊地の離れの方――あっちの方に行ったみたいだけど」

 

 龍田が指し示した方には、大きな岬がある。

 

「何しに行ったのかしら……」

「行ってみた方が良いんじゃない?」

「そうですね。ちょっと様子を見てきます」

 

 そう言って、如月は薄暗い空の下で駆け出した。

 

 その場に残った天龍は、隣の龍田に呆れ顔を向ける。

 

「お前、さらっと嘘つくのな……」

「あら、嘘なんて人聞きが悪いわ~。私、別に嘘は言ってないわよ?」

「騙してるって意味で言ったんだよ。……ま、いいけどな」

 

 如月の背中を見送りながら、天龍と龍田は互いに笑い合うのだった。

 

 

 

 そこには、確かに睦月がいた。

 しかし、一人ではない。睦月は、新八郎の車椅子を押しながら歩いていた。

 

 声をかけるべきか、如月は躊躇った。

 しかし、そうして迷っているうちに睦月が振り返り、如月に気づく。

 

「あ、如月ちゃん!」

「……睦月ちゃん。何か、私を探してるって聞いたけど」

「そうなんだよ。暁ちゃんたちからバトンタッチする形で提督を預かったのは良いものの、ちょっと別の用事を思い出して困っていたところだったんだ」

 

 ということで、と睦月は車椅子を指し示した。

 

「ちょっと用事を済ませてくるから、その間提督をよろしく頼むにゃしぃ!」

「ええっ……!?」

 

 如月が反論する間もなく、睦月は凄まじい速さで去ってしまった。

 あとに残されたのは、呆然とそれを見送るしかなかった新八郎と如月だけである。

 

「……」

「……」

 

 互いに押し黙る。

 特に仲が悪いわけではなかったが、何を話せば良いかまったく分からなかった。

 

「……如月」

 

 先に声を出したのは新八郎の方だった。

 

「今更な話ではあるが、一つ謝らせてくれないか」

「司令官が?」

「ああ。なんというか、すまなかった。あのとき――彼女が沈んでから、ずっと私は如月の期待に応えることができなかった」

 

 ずっとすまないと思っていた――新八郎は申し訳なさそうにそう告げた。

 

「それは、司令官のせいじゃないわ。あのときは、仕方なかったのよ」

 

 新八郎の言葉を受けて、ようやく如月の中でも何かが氷解した。

 ずっと喉元で止まっていた言葉が、口から零れ落ちる。

 

「司令官は悪くない。むしろ、謝らなきゃいけないのは私の方よ。……やるべきこともやらず、不貞腐れて皆を困らせてしまった。司令官のことも、余計に傷つけてしまった。艦娘失格よ……」

「良いんだ」

 

 新八郎は諭すように言った。

 

「如月も、皆も、今は艦じゃなくて艦娘なんだ。人と同じ感情を持っている。感情を持っていれば、合理的ではいられないときもある。不条理な振る舞いをしてしまうこともある。私も、如月も同じだ。だから、それはそれで良いんだ」

 

 如月の頬を涙が伝っていく。

 そんな彼女の頭を撫でながら、新八郎は優しく言った。

 

「……感情を持つって、難しいわ」

「要らないと、そう思うかい?」

「……ううん。難しいものだけど――あって良かったとも思う」

「そうか」

 

 如月の答えに、新八郎は心底安堵したように息を吐いた。

 

「それは、良かった。――本当に、良かった」

 

 

 

 そろそろ様子を見に行こうか。

 そう思って新八郎と如月のところに向かった睦月や六駆、天龍たちの耳に、どこか寂しげな――それでいて優しい音色が聞こえてきた。

 

「これ、何の音にゃしぃ?」

「……多分、司令官の笛じゃないかな。以前片手で器用に吹いてるのを見たことがある」

 

 響は足を止めてそう言った。

 他の皆も同様に立ち止まって、その場で笛の音に耳を傾ける。

 

 

 

 一方、別の場所で笛の音を聞きながら、ビスマルクは一枚の短冊を手に取っていた。

 

「分かったわ、これでしょう利根!」

「……違うのう。残念だったな」

 

 ビスマルクが指し示した短冊を見て、利根は頭を振った。

 

「本当かしら。これ名前書いてないし、願い事の中身も貴方っぽいじゃない」

「違うもんは違うわ。……それを書いた奴は知っておるから、断言できるわ」

「ぐぬぬ……なら、また別の場所を探すわ!」

「まだ諦めんのかおぬしは……」

 

 先を行くビスマルク。

 その後をついて行こうとした利根は、ちらりとビスマルクが示していた短冊を見た。

 

『一度で良いから、きちんとお話がしたい』

 

 やれやれじゃ、と溜息をついて、利根はビスマルクを追いかける。

 

 

 

 それぞれの想いを乗せて、七夕の夜は過ぎていく。

 その晩、ショートランド島の空は満天の星空に覆われていた。


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