着任して間もなく、気づいたことがある。
自分はどうやら――少し他の艦娘と違う立ち位置にいるらしい。
意識がはっきりとしてくる前から、工廠の機械が発するにおいが脳に届いていた。
いつもの環境の中に身を置いている。そう感じながらも、どこかに違和感を覚えた。
「あれ、寝落ちしちゃってたか……」
工廠の片隅にあるデスクに突っ伏していたらしい。
おかげで背中と腰と肩が痛い。ついでにいうと、目の前にある設計図が少し汚れていた。
時計を見ると、既に日付が変わっていた。
近頃、この工廠ではドイツの艤装に関する開発作業が進んでいる。
設計図は伊8たちが持ち帰っていたが、それを実際に扱えるようにするためにはいろいろと手間がかかるのである。
「明石――はいないか。おやっさんも帰っちゃったかな」
工廠の中は静かで、夕張がいる辺りを除けば消灯状態。
おそらく、残っているのは夕張だけなのだろう。
「私も一旦帰ろうかしら。明日は非番だし……」
戸締りをしてから工廠を後にする。
天に陽はなく、ただ無数の小さな星が輝くばかりであった。
「非番……非番かあ」
明日どうやって過ごそうかと考えてみたが、妙案は浮かばない。
部屋に娯楽設備はない。寮のリビングにいけばテレビはあるが、僻地であるこの泊地では地上波も何もあったものではない。
どこからかビデオなり円盤なりを入手する必要があり、正直言って面倒だった。
かと言って、こういうとき一緒に過ごせるような特別親しい相手というのもいない。
「……そう、いないのよねえ」
泊地には多くの艦娘がいる。
人間のスタッフもいる。
特に仲が悪いわけではないし、嫌いというような相手はいないのだが、どこか壁を感じてしまうところがあった。
普段話していても、共に戦場に出たとしても、どこか相手が引いているのを感じる。
全員が全員そうではない。しかし、決して少なくない数の艦娘が自分に妙な態度を取っている気がする。
何度かそういう振る舞いについてそれとなく話を引き出そうとしてみた。だが、上手くいった試しがない。
自覚がないだけで、自分の振る舞いに問題があるのではないか。
そんな風に思い悩むこともあるが、未だに正解は見つからない。
「あら、貴方は確か――ユバリ!」
そんなことを考えながら歩いていると、不意に呼び止められた。
若干名前を間違えているが、それは相手の出自を考えれば仕方のないことだろう。
「ビスマルク、こんばんは。あと私の名前はユ・ウ・バ・リよ」
「失礼。どうやら間違えてしまったようね」
間違えたという割には申し訳なさそうな素振りが見えないが、それは文化の違いというやつなのかもしれない。
彼女はここ最近になって着任したドイツの艦娘である。何度か顔を合わせたことはあるが、対面で話したことはあまりなかった。
「ところで夕張! 私の艤装改造計画の進捗はどんなものかしら?」
「あー、そこ聞く? 聞きます? いろいろ口から出ると思うけど、それでも聞く?」
「……今のでおおよそは察したわ」
「貴方の聡明っぷりに感謝するわね」
寝落ちするくらい忙しくなっている一因に、改造計画も含まれている。
進捗どうだと聞かれても、ビスマルクに説明できるほど整理できていない。
今無理に話そうとしても、仕事の愚痴にしかならないだろう。
「けど、もう第二改装か……。羨ましいわね」
「そのうち夕張にも来るんじゃないの?」
「どうかしらねー。私、実験艦だからか戦力としては中途半端だし……万一来たとしても、多分そんな活躍する場に出ることもなさそうだし。重要な局面では、留守役かサポート役ばっかりだしね」
「そうなの?」
「うん。多分、私の出番は、この先もないわよ」
夕張は噛み締めるように言う。
人によっては「危険な目に合わずに済んでラッキー」というかもしれない。
しかし、夕張には艦娘としての矜持があった。
「本当は出たいって顔してるように見えるわよ」
「まあ、そりゃ艦娘としてはね……」
ビスマルクに図星を指され、夕張は諦観まじりの笑みを浮かべる。
「なら、提督に直談判しに行けば良いじゃない」
「直談判――えぇっ!?」
夕張が反応するより早く、ビスマルクはその腕を掴んで力強く歩き出した。
「ちょ、ちょっと待って! 今もう零時過ぎてるわよ!? せめて日中とかにしといた方が――」
「日中だと提督も忙しいじゃない。ならこの時間帯の方が都合良いわよ!」
「え、えーっ!?」
戦艦であるビスマルクと軽巡である夕張では、力の差は歴然としている。
夕張はなすすべもなく、引きずられる形で提督の私室へと行くハメになった。
「なるほど。来訪の理由は分かった」
幸いというべきか、提督・伊勢新八郎はまだ起きていた。
読書の最中だったらしい。部屋着として愛用している甚兵衛姿で、片方だけになった腕で単行本を持っていた。
元々は一般の勤め人だったが、僅かながら提督としての資質があったことから艦娘と出会い、南方の地で提督をすることになった人である。指揮官としてはお世辞にも頼りがいがあるとは言えなかったが、泊地の皆からは慕われているようだった。
ようだった、という言い方になるのは、夕張自身はそこまで提督と親しくしていないからである。
「話は分かったようね。なら提督、これからは夕張のこともちゃんと出撃させなさい!」
一方、ビスマルクは提督相手にガンガン詰め寄っている。
ビスマルクが誰に対しても距離感が近しいだけなのかもしれない。
しかし、提督の方もどことなく夕張相手よりは気楽そうに振る舞っているように見えた。
「落ち着こうか、ビスマルク。別に私は夕張を冷遇しているというわけじゃないぞ」
「じゃあ何、彼女が戦力にならないっていうの?」
「そういうわけじゃない。彼女は多くの兵装を詰める分、他の軽巡にはない強みもある。頼もしいと思ってるよ」
夕張としても、特別冷遇されているという印象は持っていなかった。
否。冷遇というよりは、むしろ――。
「じゃあなんで出撃させないのよ」
「いや、それは……」
ビスマルクに迫られ、提督は言葉を詰まらせた。
「……そろそろ白状した方が良いんじゃないの?」
夕張やビスマルクたちの後ろから声がした。
振り返ると、開けっ放しだった扉のところに叢雲が立っている。
「大声で誰か騒いでると思って様子見に来たのよ」
遅れてノックをしつつ、叢雲は諭すような口ぶりで続けた。
「新八郎。言い難いのは分かるけど、いつまでも誤魔化し続けるわけにはいかないでしょ」
「……」
「なんだったら私が代わりに言うわよ」
「それはちょっと勘弁して欲しい」
観念したように降参のポーズを取ると、提督は静かに話し始めた。
かつて、この泊地には艦娘・夕張がいた。
今いる夕張ではない。先代の夕張である。
この泊地は、創設時から深刻な問題を抱えていた。
本国と連絡が取れず、近隣の島々は食糧難に見舞われている。
両者を解決するためには海路が必要不可欠だったが――深海棲艦がその前に立ちはだかった。
飢饉のせいで時間の猶予はない。
強引にでも深海棲艦を倒し、道を切り開く必要があった。
そんな状況下で、初代・夕張は深海棲艦と死闘を繰り広げ、暗い海の底へと沈んでいった。
泊地における最初の――そして唯一の戦死である。
「情けない話だが、言ってしまえばトラウマということになる」
提督は力なく口元で笑ってみせた。もっとも、目元は笑っていない。どこか、泣きたそうな顔に見えた。
「……提督。言ってはなんですが、私たち艦娘は戦うためにここにいます」
「ああ。理解しているよ」
「私たちが沈むのが嫌だというのでは、困ります」
「……ああ。それも、理解している。理解して、覚悟しているつもりだ」
夕張の言葉に、提督は静かに頷いてみせた。
「だが、どうしてもな。夕張、君については――まだ覚悟が定まらない」
「それは……」
夕張の口から非難の言葉が出そうになったとき、机の上に置かれていた通信機が音を立てた。
すぐさま提督は通信機を手にする。こんな時間の連絡であれば、ろくなことではあるまい。
はたして、事情を聞き終えた提督は顔を青ざめさせた。
「新八郎?」
「船団警護に行っていた天龍たちが、深海棲艦と遭遇した。敵の中には戦艦級もいる」
天龍たちの部隊は、任務が比較的近場で済むということもあって軽装備だった。
この辺りは深海棲艦の勢力が大分削がれていたのでそれで良いと判断したのだが、今回はその判断が裏目に出た。
「天龍たちはそんなに遠くではなかったわよね。だったら、すぐ救援に向かうわ」
「当然、私も同行するわよ」
叢雲とビスマルクが名乗りをあげる。
無論、夕張も気持ちは同じだった。
行って良いか。その思いを込めて、夕張は提督を真っ直ぐに見据える。
提督の表情には迷いが見えた。だが、この状況においてはやむを得ないと判断したのだろう。
「私の方でも動けそうなメンバーを探して増援に出させる。三人は先行して天龍たちと合流してくれ。天龍たちには逃げに徹するよう指示を出しておく」
「――了解!」
ごめんねと、叢雲が謝った。
「え、なにが?」
「あいつの代わりよ。……なんだかんだ、全然覚悟出来てなかったみたいだし。それで夕張には随分と気を揉ませたと思ってね。だから、代わりに謝っておくわ」
叢雲は伊勢新八郎と最初に出会った艦娘であり、泊地のすべてを知っていると言っても過言ではなかった。
最初から、すべての事情を把握していたのだろう。
「ううん。少し、気が楽になったわ」
「そう?」
「ええ。自分だけが贔屓されてるんじゃないか、でもその心当たりも全然ないし――って不安だったのよね」
どこか、箱入り娘を扱うような、そういう空気感が提督の周囲には漂っていた。
その正体が分かった今となっては、いろいろと納得できる。
「私は少し見損なったわ。他の艦娘が沈む覚悟はできていて、夕張についてはその覚悟ができてないって……見方によっては随分と酷い話に見えるもの」
ビスマルクが口元を尖らせる。
しかし、夕張は頭を振って否定する。
「多分、あれは口だけよ」
「そうなの?」
「覚悟をしたいとは思ってるんだと思う。でも、天龍たちから連絡受けたときのあの顔見るとね」
天龍たちの危機を聞いて、提督はこの世の終わりのような――何かに救いを求めるような表情を浮かべた。
ほんの一瞬のことだから、ビスマルクは見落としたのかもしれない。だが、夕張は確かにその顔を見た。
おそらく提督は、夕張に限らず、泊地の誰かが沈むことへの覚悟ができていない。
覚悟しているとすれば、それはまったく別のことに対する覚悟だろう。
「提督が覚悟しているとすれば、それは――」
「それは?」
「……」
ビスマルクの問いかけに、夕張は笑みだけで応えた。
それはきっと、余人が軽々しく口にして良いものではない。そんな気がしたからだ。
「……覚悟ができていよううといまいと、あいつは戦場に艦娘を送り出す。少なくとも、そこからは逃げないわ」
叢雲が、どこか憐れむように補足した。
「だから、二人も覚悟を決めてちょうだい。決して沈まないと。あいつのところに帰るんだと」
夕張とビスマルクは、互いに顔を見合わせ、深く頷いた。
これからも、夕張たちはこうして出撃していくのだろう。
その度に、戦う者だけでなく送り出す者も、身を切るような痛みを味わうことになるのだろう。
「提督が逃げないなら――私たちも、逃げないようにしないとね」
皆、傷だらけだった。
傷だらけになりながらも、全員で泊地へと戻ってきた。
埠頭には提督の姿が見える。
もしかすると、ずっとそこで待っていたのかもしれない。
近づくにつれて、安堵の笑みが見えてくる。
これが見られるなら、絶対沈むなという無理難題をこなすのも悪くはない。
そう思いながら、彼女は大きく手を振った。
今になって気づいたことがある。
自分はどうやら――ようやく他の艦娘と同じ場所に立てたらしい。