それは『馬酔木を採って来て』と言う単純なものだった。
それだけだった。
春の景色が見えてきた冥界。段々と桜に彩られる木々はまさに眠りから覚めた様で。特に音の無い世界だけれど、それでも心地良い騒がしさを感じる。
春は向こうから自然とやって来た。そして向こうへと自然に去っていくのだろう。今年の春とも一期一会、きっと来年の春の色はまた違う。だけれど、その季節の流れは悠久で変わることのない素晴らしいもの。すぅっと息を吸い込めば、少し冷たさの残る空気がすっと何かを洗い流してくれた様な気がした。
「……もう、春かぁ」
口に出して、その小さな幸せを噛み締める。釣られる様に上機嫌になっていく私は二刀を持って買い物へと行こうとした。
それが出来なかったのは、他でも無い幽々子様が私を呼び止めたからだ。
「ねぇ、妖夢。少し良いかしら?」
「は、はい!! 何でしょうか?」
「今から買い物かしら?」
「えぇ、まぁ……」
幽々子様は私の答えを聞くと、直ぐに顔を輝かせて「だったら」と私に頼みごとをしてきた。
「そうね……買い物ついでに
「馬酔木、ですか? あの、お墓などでよく見る」
「えぇ。馬酔木よ、馬酔木。他の花では駄目。馬酔木を採って来て欲しいの」
無論、大切な主君の命令である以上、私に断る術はなく、寧ろ喜んで承知した。
それにしても、馬酔木とはどうしてだろうか。何か特別な花だったりするのだろうか?
☆ ☆
幻想郷の山も、ちらほらと桜の色を見せていた。幽々子様に命じられた以上、採って来ても直ぐ枯れてしまうのでは意味がない。白玉楼から買い物用の籠と一緒に小さな植木鉢も持って行き、買い物を早急に終わらせると私は墓地へと赴いた。
墓地は少し涼しくて、そしておどろおどろしい。幽霊は見慣れているけれど、この雰囲気には中々慣れない私は少々本気になって馬酔木を探した。とは言っても、そんな難航する訳でもない。ほんの少しで馬酔木を見付け、それが意図的に植えられたようなものでないことを確認すると、屈んで周りの土ごと植木鉢に移した。
「……何を、しているのかしら?」
「ひゃい!?」
そんな折、突然誰かに背中側から話し掛けられた。馬酔木にばかり集中していた私は思わず変な声を上げてしまった。恐る恐る振り返ってみると、そこに立っていたのは紫色の髪をした少女、稗田阿求が立っていた。
「あぁ、馬酔木を採っていたの」
「え、だ、ダメでした?」
「いえいえ。自然の物であるならば、粗末にしない限り変に妖の怒りを買うこともないでしょう。採ったのならば、枯れてしまうその瞬間まで誠心誠意手入れをすることです」
「それは承知しています」
「もしくは美味しく頂くか。まぁ、馬酔木は毒があるからタンポポの様には食べられませんけどね」
二人でクスリと笑った後、私は立ち上がる。目線の高さが大体同じになると、阿求は私に聞いてきた。
「それよりも、どうして馬酔木を?」
「あぁ、主に頼まれたのです。採って来てくれと」
「なるほど。では、断れませんね。観賞用かしら?」
「恐らく」
「死した者が馬酔木を求める。お墓に馬酔木があるのはそういうことなのかしらね」
「違いますよ」
「揶揄っただけよ。馬酔木の毒が動物を避けてくれるから、土葬された亡骸を動物に荒らされずに済む。これがお墓に馬酔木があることの原点なの」
私の植木鉢の中の馬酔木を見ながら、阿求はスラスラと言った。
純粋に知らなかった私は、へぇと相槌を打つと、阿求は微笑んで私を見た。
「そう言う意味では、桜満開の冥界に馬酔木は合っているのかもしれないわね」
「どういうことですか?」
「桜の下に眠る骸。それによって、桜の美しさは更に極まる。その骸を守る為、馬酔木を植えると言うのも一つ、ということです。念には念を入れよってね」
なるほど。と素直に納得してしまう私。幽々子様の真意はイマイチ汲み取れない所があるので、阿求の言うことは真実かどうかは分からないけれど、それでもそれっぽいので納得してしまった。
そして、また阿求は私に言う。
「そうそう、馬酔木にも当然花言葉があるのよ」
「はぁ、それはどういう?」
「『献身』『犠牲』後は……まぁ、それ位」
「……」
たった二つの季語を教えてくれただけ。それだけで、何故か阿求の見ているものが私と違う様な気がした。
阿求は、私の知らないものを見ている。馬酔木の花に、何かを見ている。「長く止めるのも失礼だから、私はこの辺でね」と言った阿求は私の答えも聞かずに墓地の中、何処かへと歩いて行った。
☆ ☆
「ただ今戻りました!!」
「あら、妖夢お帰りー。ご飯は出来てないわよ」
「知ってます」
とは言え、仕事は完遂してきた。漏れはない筈だ。白玉楼の玄関で出迎えてくれた幽々子様は私の手の中の植木鉢を見てとても満足そうに頷いた。
「しっかり、採って来てくれたのね」
「当然です」
植木鉢を土間に置くと、ついでに食材が沢山入った籠を置く。仕事を終えた達成感と物理的な解放が私の中で小躍りして、思わず息が漏れた。
そして、一度咳払いを挟み、靴を脱いで土間から上がりながら幽々子様に質問する。
「ところで、どうして馬酔木を?」
「あら、人間のお嬢さんから言われなかったかしら?」
「いえ、あれは阿求の意見ですので……やはり、幽々子様の口からお伺いしたいと思いまして。と言うより、見ていらしたのですか」
「紫に教えてもらっただけよ」
ころころと笑みを漏らしながら、幽々子様は私の顔を見て言う。鈍い私のことを揶揄う様で、少し面白くない。だけど、幽々子様が笑っていられることが嬉しい。
「勿論、彼女の言った馬酔木の毒のことだって間違いではないわ。ふとした瞬間、どうでも良さそうなことに恐怖を覚える。ならば、保険を掛けても損はないじゃない」
「では、やはり桜の近くにこれを?」
「そうじゃないの。彼女の言った花言葉。これこそが最大の意味。私が、妖夢に伝えようと思ったことなのよ」
ポスン。幽々子様は私の肩に手を置いた。その手と幽々子様の顔を交互に見遣ると、またころころと笑う。
「貴方は自信を『犠牲』にして私に『献身』している。馬酔木の様に、私を守っている。まさに妖夢は馬酔木みたいで……」
「あ、あの……」
「なんてね。妖夢は馬酔木なんかよりもずっと綺麗で、可愛らしいから安心なさい。それよりも、よ。馬酔木にはまだ花言葉があるの」
幽々子様は私の両肩に手を置いた。笑みは崩さない。けれど、いつになく真剣な顔で、私に正面から言う。口は挟めない。
「『あなたと二人で旅をしましょう』よ。そう、妖夢と二人で」
「た、旅……ど、何処へですか? そんな幻想郷や冥界ではそんな旅なんて……」
「妖夢は鈍い子ね。だからこそ、こんなにも愛おしいのかしら」
そっと抱き寄せられた。その冷たい温かさに胸が一気に高鳴る。戸惑いと、そして感じる確かな喜びと幸福。入り混じったその感情が、顔を紅く染めていく気がする。見えない幽々子様の顔は、今どうなられているのか。
「貴方は私を守りなさい。その分だけ、貴方に守られるに相応しく振る舞える。そして、どうしようもなく流れ続ける時間を、過ぎて行く世界の中を、二人で旅していきましょう」
何かが抑えられない。バクバクと高鳴る鼓動が苦しいけれど、嫌ではない。これはどういう意味なのか、私に理解出来るのか。それは春を集めるより難解な気がする。
だけど、分からなくても良い気もした。今まさに、幽々子様が私を欲していることに変わりは無い。そうだ、私は幽々子様の従者。どんな関係であれ、私に拒否権は無く、そしてその気も無い。
だからこそ、私は頷いた。
「……はい、喜んで。いつまでも、ずっと……お願いします」
幽々子様が今度こそはっきりと笑った。
顔は見えないけれど、そう確信できた。
昨日は妖夢の日でしたね。
一日遅れたぜ。
はっはっは
はぁ……