満天の星空の元。
建物の上から燃え盛るビルを眺めていた。
熱気がここまで届いている。火傷しそうなほど熱い空気が頬を撫でた。
止めようのない火が窓を割り、鉄骨を燃やし、人を殺している。
耳をすませば、遠く離れたここにまで悲鳴が聞えて来そうだった。
実際聞こえたかもしれない。
少なくとも、人が落ちる音は聞こえた。
そこに悲鳴はあっただろうか。
空気はそれまでは運んでくれなかった。あざ笑うかのように、火の轟音が聞こえてくる。
何を思うでもなく、ただ漫然とその光景を見ていた。
おそらく明日、地獄絵図と報道されるであろうその光景は、俺からすれば浄化の炎でしかなかった。
浄化している。
悪を。正義を。矛盾を。
何もかも無に帰している。一心不乱に見つめた。俺が最後まで見るべきだと思ったから。
その時、ふと背後で物音がした。
振り返るとこの世で最もヒーローらしいヒーローがそこに立っていた。
「少年、君があれをやったのかね」
尋ねるヒーローに俺は答えない。
だったらなんだと態度で示してやった。
ヒーローは深刻そうに俺を見つめている。
彼はいつも笑っていた。
表面だけのうすら寒いその笑みは、いつも虚で飾られている。
けれども今だけは笑っていない。目の前の業火を見て笑える人間はそうはいないだろう。
あの地獄絵図を見て平然としていられる人間は、紛うこと無き敵だろう。
そう言う意味で彼は、真の意味でヒーローだった。
けれど、俺は昔からこのヒーローが嫌いだった。
何の心情か、彼はバカみたいに笑ってばかりいる。
それを見て安堵に笑う市民たち。その光景が憎いほど嫌いだった。
「……今ならまだ引き返せる。さあ、私といっしょに――――」
「うるせえよ」
ヒーローは口を閉じた。
その内心を推しはかることは出来ない。
けれどその眼には哀れみが滲んでいる。
可哀そうだと思っているのか。この俺を。
「憐れむなよ、ヒーロー」
俺は無理に笑って見せた。歯を見せて狂犬の様に。
仮面の奥のその顔を彼は察することが出来ただろうか。
「お前はヒーローだ。俺は敵だ。それだけだ。俺は俺の仕事を果たす。お前はお前の仕事をしろ。……出来るならな」
「少年」
それでもまだ何か言い募ろうとするヒーローを、俺は殴り飛ばした。
ビルのてっぺんから遥か地面に落ちる彼は、ただ俺を見ていた。
変わらない憐みの眼が俺を見ていた。
ヒーローに憧れたことがないと言えばうそになる。
かつては年相応に彼のヒーローに憧憬していた。いつか自分もああなりたいと思っていた。
けれどいつからだろうか。ヒーローへの憧れよりも、大切な人を守りたい気持ちよりも、この歪な社会への憎しみが勝ったのは。
たった一人のヒーローを酷使して、ヒーローに頼らなければ何もできない。
個性なんて何の意味もない。少なくとも、一般人にとっては。
ヒーローはいつしか見世物に変わっていた。
人を守ることではなく目立つことが今やヒーローの絶対条件だった。
容姿端麗な、あるいは格好良く、あるいは壮絶な、そんなヒーローを市民は望んでいた。
ヒーローとはなんだろうか。
少なくとも、今のヒーローは人間が作った虚像にすぎない。
個性と言う異能に対応するための都合の良い時間稼ぎ。
答えが出るまで、彼らは在り続けるだろう。ヒーローと言う虚像の何かに。
俺は、今のヒーローが嫌いだった。
全てのヒーローが、目の前の最も"らしいヒーロー"すら嫌いになった。
かつて憧れた彼を、今や憎くすら思う。
「死ねよオールマイト」
今、地に這いつくばる彼に宣告する。
ヒーローとして退場しろ。
彼は笑って立ち上がった。殴られたことも蹴られたことも、何もなかったように。
ただ笑って平然と立ち上がった。
「……君を助けるまでは、死ねないね」
「ふざけんな。助けてほしいなんて、言ってねえだろうが」
「そうかな? 私には聞こえるね。君の声が。人を憂い、世を憂う君の声が。だからこそ、君は――――」
「ガタガタうるせえ!!」
殴る。
地を割りながら吹っ飛ぶオールマイト。
壁に激突した彼は、血を吐きながらそれでもなお立ち上がる。
「うぅむ……。その年で、これほどの……。将来有望だな、少年!」
「てめえ……どこまでもそうやって……」
いらいらとオールメイトに近づく。
満身創痍のその姿は、かつて憧れた姿ではないけれども、ヒーローとしてなおもあり続けた。
少しの距離をもって睨みあう。
オールマイトの方が随分背が高い。
幅も厚みも、彼の方がある。だと言うのに、今こうして無傷に立っているの俺の方だ。
分からないものだ。これほどまでに彼に近づけるとは。
「少年、君はヒーローになるべきだった。敵ではなくヒーローに。敵も味方も全てを救うヒーローに、君はなるべきだった」
「俺はヒーローにはならない。俺はヒーローが嫌いだ。あんたのことも大っ嫌いだ。嫌いなヒーローに俺はならない」
「……面と向かって言われると堪えるな」
オールマイトは苦笑する。
その余裕はなんだ。なんでそんなに笑っていられる。
殺されかかってるんだぞ。どうして、そんなに笑える。
「……まだ遅くはない」
オールマイトは言う。
「確かに、君は罪を重ねた。重罪だ。しかしまだ遅くはない。罪を償うんだ。そしてヒーローとしてやり直しなさい。私が手助けしよう。君が、きちんと罪を償えるように」
「だから! 俺は――――!」
「ヒーローが嫌いだと、君は言ったね。なら答えは簡単だ。好きなヒーローになればいい」
意味が分からない。
彼の言葉の意味が分からない。
「好きなヒーロー? 何言ってんだお前」
「君は今のヒーローの在り方が嫌いなのだろう? なら、なればいい。自分が望む、理想のヒーローに」
反射的に拳を握りしめた。
理想のヒーロー。
そんなもの分かったら苦労しない。
ここまで来るのにどれだけ悩んだと思ってる。
どれだけ考えたと思ってる。
こんなに悩んで、考えて、結局分からなかった。
それをあっさりとこいつは……!
「俺が、ただこんなことをしているとでも? 考えたさ! ヒーローの理想を! でもわかんねんだよ! 何が理想なんだ? 何が最高なんだ? 何もわかんねんだよ!」
「当然、君は考えたさ。けれどそれは、君ひとりで考えたのだろう? それじゃ答えは出ないね」
オールマイトはニカッと笑った。
あっけらかんと言ってのけた。
「君は子供だ。見識が浅い。思慮が浅い。経験が足りない。今までどれだけの人間が考えてきたと思ってる? 幾千、幾万の人間が考えて来たさ。最高のヒーローを。ヒーローの理想像を。しかし未だ答えは出ていない。これは命題なのだ。我々ヒーローに与えられた、絶対に解かなくてはいけない難問だ」
口元を拭って、オールマイトは続ける。
「当然、私には私なりの答えがある。しかしそれが正解とは限らない。正解に限りなく近いかもしれん、あるいはまったく見当違いかもしれない。分からないさ、誰にもね。だが歩くのを止める訳にはいかない。正解を求め続けて、常に邁進しなければいけない。ヒーローとはそういう職業だ」
言い終わって、オールマイトは今日初めて拳を握った。
彼の身体から蒸気が零れている。もう時間がそう無いことを示していた。
「君は歩き始めてすらいない。問題文を見て、そのあまりの難しさに投げ出した子供だ。そういう子はよくいるものだ」
言いながら一歩ずつ近づいてくる。
その眼は爛々と輝いていた。狂気と見間違いかねない光が彼の瞳に宿っている。
その光りを俺は憎悪した。憎悪した光に、俺は今気圧されていた。
「しかし、ここからは違う。一人で考える時間はもう終わった。これからは私が手伝おう。共に考えよう。ヒーローの理想像を。最高のヒーローとは何なのかを。そして、答えが出たら教えてくれ。君にとっての理想のヒーローを」
今や限りなく近くにオールマイトは立っている。
俺は一歩もうごけない。彼の重すぎる決意を目の当たりにして、その重圧に潰されかかっている。
知っていたはずの重みを真に体感した。限りなく正解に近いヒーローの重みを。
「さあ、その仮面を取りなさい。一緒に行こう。大丈夫。死ぬその時まで共にいよう。君が答えを見つけるその時まで」
俺は唾を飲み込んだ。
この人と一緒に行くか、それとも一人で行くか。
思いがけず岐路に立たされていた。
どっちを選んでも地獄だろう。
過酷な人生を歩むことになるだろう。
だが恐らく、どっちを選んでも後悔はしない。
多分、どっちも正解でどっちも間違いなのだ。
ほんの少しの間だけ考えた。
答えは決まっていた。俺は選んだ。
地獄の道を。間違った道を。
俺は――――。
続きはないです
こんなんばっかでごめんなさい