「お前のメシを食うのもこれが最後だな」
王女との結婚を明日に控えた夫が感慨深そうに呟いた。
夫は相変わらず粗暴で、酒を呑んでは家具を壊していたが、それでもこのところはずっと機嫌が良く、理不尽に暴力を振るうようなことは無くなった。
「なんだかんだ言って、お前には随分助けられた。その礼というわけでもないが、明日の『仕事』が済んだらお前は自由だ。好きにして良い」
やめてください。やめてください。
普段からは想像出来ないような殊勝な態度で語る。が、夫の言う『仕事』とは、彼の結婚相手にして私の親友たる王女の暗殺である。
しかし、魔法の薬によって今だに心を縛られている私には、そんな事をさも「感謝しろ」と言わんばかりに語る夫に、疑問を抱く事すらも出来ない。
「美味かった。俺は明日に備えてもう寝る」
夫はそれだけ言って寝室に向かい、その途中で足を止めた。
「ああそうだ、忘れるところだった」
やめてください。やめてください。
あなたにとって、手近なモノに劣情をぶつけた結果でしかないのだとしても。
私にとって、憎い仇の血を引いているのだとしても。
それでもあの子達は、お腹を痛めて産んだ子供達なんです。
「あのガキ共を始末しとけ。魔女の血を引く息子がいるなんて知れたら俺の名誉に傷が付くからな」
「そうか……」
メディアから説明を受けて、出てきた言葉はそれだった。
「……それだけ、ですか?」
「お前を責めたって状況が良くなるわけじゃねえだろ」
布団に横になったままのメディアにそう答えた。
あれから一時間程しか経ってないが、メディアの顔色は随分良くなっている。
元々ただの麻痺毒(ただし強力な上に超速効性)だった上に、メディア自身の魔術で解毒と治療を行った為、後は体力を回復させれば全快という状態だ。
もっともその体力が底をついていた為、俺が世話をしてやらなければならないが。……くそっ、小町以外の女の子の着替えを手伝わなけりゃならん日が来るとは思わんかった。
いや、仕方ないだろ?泥と血で汚れたまま寝かせるわけにもいかんだろうが。別に意外と着痩せするタイプなんだななんて思ってないよ?誰に言い訳してんだ俺……。
「ですが八幡様」
「ひゃっ、ひゃい!なんでふか!?」
「は?」
「い、いや、すまん。何だ?」
あっぶねえ、変な声出た。虫を見るような目で見られちまったぜ……。
「……いえ、その、おそらく八幡様の計画を継続する事は酷く困難になってしまったと思うのですが……」
「ああ、その事か。気にすんな。計画なんて元々上手く行かないことを前提に組むもんだろ?」
「いえ、その考え方はどうかと……」
え、違うの?自分の思い通りに事が運んだことがないからそういうものだと思ってた。
それはともかく、実際それほどショックのようなものは感じてないんだよな。
はっきり言ってしまえば、メディアを召喚してしまった時からいずれはこうなるだろうなとは思っていた。お約束でもあるしな。
「ま、それほど悲観する事もねえだろ。少なくともアサシンが倒れたってのは朗報だしな。アサシンを倒したのはアーチャーで間違いないのか?」
「確証はありませんがおそらく。超長距離の狙撃を可能とするクラスはアーチャーとキャスターになります。他のクラスでもそうした性能を持った宝具を用いれば不可能ではありませんが、そうした霊装を持つ英霊は大抵アーチャーになります」
……宝具ってのは初めて聞く単語だな。
今の話し方だと霊装ってのがいわゆるマジックアイテムのことで、宝具はその中で英霊の切り札になるアイテムのことか。
しかしこれは今までメディアが隠してきた情報だろうに、うっかり漏らしちまうとか本気で弱ってるぽいな。とりあえず聞かなかった事にしてやるか。
それはそれとして、今の状況は最悪からはほど遠い。
俺の考える最悪とは、状況をまったく把握出来ないまま詰んでしまう事だ。そうなった場合、何の手も打てないまま死ぬしかないだろう。
それに比べて現状は、いくらかの準備も出来ているし、わずかとは言え敵についての情報もある。
「……アーチャーって事はセイバーもセットで着いて来るって事だよな。めんどくせぇ」
アーチャーのマスターが遠坂、セイバーのマスターが衛宮であること。そしてこの二人が同盟を結んでいることは、ここ数日間の監視で判明している。
遠坂には魔術師ならでは弱点があったし、衛宮はそもそも警戒心の足りない人間のようなので、思った程苦労しなかった。
もっとも危惧していたのはサーヴァントだったのだが、その警戒網もメディアにかかれば潜り抜けるのは難しくないらしい。
自分が持っている敵の情報というのが、この二人のことに集中している(と言うかほぼ全て)というのも幸運と言えば幸運だろう。
「ま、文句言ってもしゃあねえ。最初のプランがダメになった以上、次のプランに移るだけだ」
さっきも言ったが、俺は計画なんてものは上手く行かなくて当たり前だと考えている。ならば当然、失敗した時の為の対策だって用意している。
「それにあたって細かい調整をしたいんだが、お前が今まで街でやってた事を教えてくれ」
「――――出来るか?」
「……はい。どうにかなると思います」
「なら頼む。あいつらの行動パターンを考えれば動くのは夜になるだろう。つまり明日、つうか今日一日は猶予があるわけだ。その間に詰められるだけ詰める。とりあえずお前は朝まで休んで回復させろ。準備さえ済ませてくれれば本番は俺が引き受ける」
「……よろしいのですか?」
「他に選択肢がねえんだ。良いも悪いもねえだろ」
「了解しました。それでは休ませていただきます」
メディアはそう言って目を閉じると、すうすうと寝息を立て初めた。
異様な寝付きの良さだ、とも思ったがよく考えてみればそもそも人間ではないのだ。スイッチのon/offのようなものなのかもしれない。
俺は自分の部屋に戻ると、羽織ったままだったジャケットを脱ぎ捨ててベッドに転がった。
明日からのことを考えて気が沈む。
ショックは無い。意外でもない。
来るべき時がついに来た。それだけだ。
だが、だからといってそれを望んでいたわけでもないのだ。多少鬱になるくらいは見逃して欲しい。どうせここから先は落ち込んでる暇も無くなる筈だ。
ため息を一つ。今までのことを思い出す。
どうしてこうなった?
もっと安全な、命の心配などする必要の無い道だってあった筈だ。
どこで間違った?何を間違った?
決まってる。初めから全部だ。
あの時、雪ノ下に魔導書のことを聞かなければ――
召喚の儀式を無理矢理にでも止めていれば――
メディアを追い詰めずに、対等の立場で交渉していれば――
メディアの勝手な行動を黙認していなければ――
最後の令呪を、使っておけば――
チッ
最悪の選択肢に未練を残す自分に嫌気が差す。
やはりなにもかもが間違った人間である自分には、正しい選択など選べないのかもしれない。
だけど、それでも俺は――
存在するかどうかも分からぬ未来に思いを馳せながら。
俺は、次の夜に備えて眠りについた。