Fate/betrayal   作:まーぼう

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別離

 その日、ヒッキーとメディアさんは学校を休んだ。

 ちょっとは話題になるかと思ったけど、みんなあまり気にしてないみたい。まぁ、ヒッキーの場合はいつものことだけど。

 何回か電話をかけてみたけど繋がらない。電源を切ってるっぽい。

 どうしたんだろ?連絡くらいくれたらいいのに。

 あたしはそれだけしか思わなかった。昼休みのその時までは。

 

「ユイー?どしたん、ボーっとして」

「うえっ?い、いや、ヒッキーどーしたのかなーって……」

 

 いきなり優美子に声をかけられてびっくりした。そのせいでついそのまま答えてしまった。

 

 うぅ……またからかわれる……。

 

 そう思った。だけど。

 

「ヒッキー?誰?」

 

 あたしはちょっとムッとした。

 そりゃ優美子がヒッキーのことあんまり好きじゃないのは知ってるけどさ、今さらそれはあんまりじゃない?

 

「?どしたん、ユイ?」

「……いやー、クラスメイトにそれはちょっとヒドくないかなーって思って」

「へ?ウチにそんなやついたっけ?」

「……ちょっと、優美子?」

「い、いや、怒んなし」

 

 優美子のあんまりな態度につい睨みつけると、優美子は面食らったように引き下がった。

 

「まぁまぁ結衣ちゃん、落ち着いて」

「でも……」

 

 姫菜が取り成してくれたけど納得いかない。

 

「優美子だって悪気があったわけじゃないんだから」

 

 ……そんなわけないじゃん。なんだかんだで結構話するのに知らないフリとかちょっとヒドいと思う。

 

「や、悪かったって。でもしょーがないじゃん。あーしだってユイの友達全部知ってるわけじゃないんだから」

 

 しつこく知らないフリを続ける優美子に違和感を覚える。

 優美子はワガママなところはあるけど決して嫌な娘ではない。むしろ純情で優しい娘だと思う。

 その優美子が、こんな下らない嫌がらせみたいなことを、あたしとケンカしてまで続けるだろうか?

 

「それで?結衣ちゃん、そのヒッキーくん?ちゃん?がどうかしたの?」

 

 …………え?

 姫菜の言葉に頭が真っ白になる。

 

「……え、ちょっと、姫菜まで何言ってんの?」

「何って……あれ、もしかして会ったことある?」

「あるよ!ていうか姫菜、いつもはやはちとか言って鼻血吹いてたじゃん!」

「ちょっ、落ち着けしユイ!」

 

 立ち上がって大声を上げるあたしを、今度は優美子が止める。教室のみんなが見ているけど止まれない。

 

「マジでどうしたのよ?なんかおかしいよ、ユイ」

「おかしいのは二人でしょ!?なんでこんなヘンなことすんの!?」

 

 思わず怒鳴ってしまったけど、嫌な予感が止まらない。

 

「あの、ゴメンね、結衣ちゃん?ちゃんと覚えるからまた今度紹介して?」

「や、悪かったから。そんな怒んなし。な?」

 

 二人が謝罪してくる。それで気付いてしまった。

 二人は本気で謝ってる。本当に悪いと思っている。

 それはつまり、冗談でも嫌がらせでもなんでもなく、本当にヒッキーのことを忘れてしまっているということだ。

 ガラガラと。

 何かが足下から崩れていくような気がして、思わずよろけてしまう。

 そんなあたしの肩を優しく支えてくれたのは隼人くんだった。

 

「大丈夫か?結衣」

「隼人くん……」

 

 普段なら、こういうところがモテるポイントなんだろな、とか思うところだけど、今のあたしにそんな余裕は無い。

 代わりに泣きそうな気持ちで隼人くんに訴える。

 

「……優美子と、姫菜がおかしいの。ヒッキーのこと、忘れちゃってるの……」

 

 隼人くんはあたしと、心配そうにあたしを見る二人を交互に見てから、困ったようにこう言った。

 

「……ゴメン、結衣。ヒッキーって誰だっけ?」

 

 ガラガラと。

 何かが足元から崩れていくような気がした。

 

 

「ヒッキー?誰?」

 

 戸部っちも。

 

「えっと……ゴメン、わからない」

 

 彩ちゃんも。

 

「ムウ……?すまんが我にそのような知り合いはおらぬぞ?」

 

 中二も。

 誰もヒッキーを、いや、メディアさんのことも覚えていなかった。

 

「先生!」

「ん?コラ由比ヶ浜、廊下を走るな」

「先生!今日のヒッキ……比企谷くんの欠席の理由ってなんですか!?」

「比企谷?」

 

 廊下で見かけた平塚先生に駆け寄って、息を切らしながらそう聞いた。

 休みなら学校に連絡を入れてるはずだ。ヒッキーはそういうとこマジメそうだし。だけど……

 

「……あー、すまん。何組の比企谷だ?」

 

 ガラガラと

 

「……F組、ですよ。……何、言ってんです、か……?」

 

 何かが

 

「ム、そうだったか?済まんが分からん。……教師失格だな、私は」

 

 

 午後の授業の時間が近付き、廊下から人気が消えても、あたしはそこに立ち尽くしていた。

 のそのそと携帯を取り出し、震える指でプッシュする。

 三回のコール音のあとで繋がった。

 

『どもども~!やっはろーです、結衣さん!どうしたんですかいきなり?』

「……小町ちゃん、今日、ヒッキー、どうしたの?」

『ほえ?』

 

 ガラガラと

 

『ヒッキーって誰でしたっけ?』

 

 ガラガラと

 

 

 保健室で目を覚ますと、もう放課後に近い時間だった。

 教室に戻って仕度を済ませ、重い脚を引きずって部活に向かう。

 優美子達からは休んだほうがいいと言われたけど、そういうわけにはいかない。

 部室の戸に手をかけて、固まる。

 本当なら、最初にゆきのんに確認するべきだったのだ。

 ヒッキーと一緒にメディアさんが休んでいるのなら、きっと聖杯戦争関係で何かがあったのだから。

 あたしはきっと、考えが甘かったのだろう。

 ケンカしたり、すれ違ったりすることはあっても、このままずっとみんなでやっていけると思っていたのだ。それが、こんないきなり……

 もしも。

 もしもゆきのんまでヒッキーを忘れていたら。

 あたしはきっと狂ってしまう。

 それが怖くて、ゆきのんと連絡を取るのを避けていた。そして今、こうして部室に入るのをためらっている。

 何度も深呼吸して、手を伸ばしては引っ込めてを繰り返し。

 そうしてどのくらい時間が過ぎたころか。

 不意に、扉の向こうから声がかけられた。

 

「……いつまでやってんだよ、お前は」

 

 それと同時に弾けるように戸を開く。

 

「うるせえな……。開ける時はもっと静かにやれよ」

 

 そこには、今日ずっと見たかった顔が、会いたくて会いたくて仕方なかった人がいた。

 

「よっ、由比ヶ浜」

「…………ヒッキー…………」

「突っ立ってないでとりあえず入れよ。寒いし「ひっぎぃ~……!」って、おわ!?」

 

 あたしはヒッキーの胸に飛び込んでいた。

 夢じゃない。幻でもない。ちゃんとここにいてくれてる……!

 ヒッキーは泣きながらしがみつくあたしの頭を、優しく撫でてくれた。

 

「……たく、落ち着けよお前は」

「だって……みんなヒッキーのこと忘れちゃって……ヒッキーが居なくなっちゃったんじゃないかって、怖かったんだもん……」

「……いや、高二も終わりに近いってのに『だもん』はどうなんだ?」

「いいでしょ、別に。ていうかヒッキーのせいなんだから……」

「俺のせいかよ……。つうか由比ヶ浜、その、そろそろだな……」

 

 ヒッキーが何か言いにくそうにモゴモゴしている。どうしたんだろ?

 あたしがキョトンとしていると、ヒッキーは顔を赤くして目を反らしながら口を開く。

 

「……あー、その、そろそろ離れてくれないと、色々困るんだが……」

「へ?」

 

 言われて今の自分の状況に気付く。あたし、今、ヒッキーと抱き合ってる!?

 

「っっきゃーっ!?」

「おわっ!?」

 

 思わず突き飛ばすと、ヒッキーはバランスを崩して後ろに倒れ、頭を打ってしまった。

 

「……っお……ぐおぉぉ……!」

「ごっごごごごめん!大丈夫っ!?」

「おま……シャレんなんねえぞ……!」

 

 慌てて助け起こしたけど、涙目で睨まれてしまった。

 と、そこでようやく気付いた。

 ヒッキーは制服ではなかった。

 そしてヒッキーの後ろの椅子には、ゆきのんがもたれるようにして眠っていた。

 ヒッキーの気配が変わる。

 ヒッキーは立ち上がると、一歩、二歩と後ろに下がった。あたしから距離を取るように。

 あたしは――踏み込めなかった。

 

「……ヒッキー、今日、どうしたの?」

「ちょっとやらなきゃならん事が出来てな」

「大変だったんだよ?みんなヒッキーのこと忘れちゃってて」

「ああ、知ってる」

「知ってるって……」

「俺がメディアにやらせた事だからな」

 

 ……やっぱり。なんとなくそんな気はしてた。

 

「なんでそんなことすんの?あたし達って、そんなにヒッキーの迷惑?」

 

 そんなわけはない。ヒッキーは口では文句を言いながら、ちゃんと周りの人を大事にしている。

 きっとヒッキーだって悩んだ末での決断なんだ。

 なのにあたしは、わざとヒッキーが困るような聞き方をしてしまった。

 ヒッキーにとって、素直になることも、冷たく突き放すことも、すごく難しいことだと分かっていて。

 きっと他にどうしようもないんだと分かっていて。でも、それを認めたくなくて。

 ヒッキーはそんな意地悪なあたしに、寂しげに、しかし優しく笑いかけてくれた。

 

「……他のマスターに見つかった。もうこれ以上は、今まで通りを続けることはできない」

「なんで?みんなちゃんと助けてくれるよ?ヒッキーは信じないかもしれないけど、ヒッキーに感謝してる人はたくさんいるんだよ?あたしは何にもできないけど、ゆきのんや隼人くんだったら――」

「……相手がヤクザくらいだったらあいつらに頼っても良かったんだけどな。残念ながら、そういう次元の相手じゃねえんだ」

「でも……だって……」

 

 いつの間にか涙が流れていた。

 分かっていた。

 ヒッキーは既に、春に再会した頃とは違う。

 ひねくれた言動も、孤独を好む性質も変わらない。

 それでも他人を認め、『みんな』を許せるようになっていた。

 誰かに頼ることができるようになっていた。

 その上で誰にも頼るわけにはいかないと判断したのだ。

 ヒッキーは、考え方はいつも間違っていたけど、判断はいつだって正しかった。だから今回も、きっとヒッキーは正しい。だけど。

 

「やだよ……」

 

 あたしは涙を拭うのも忘れて訴える。

 

「あたし、ヒッキーのこと忘れたくないよ……!」

 

 困らせるだけだと分かっていても、言わずにいられなかった。

 ヒッキーは……

 

「……悪いな、由比ヶ浜」

 

 ただ、苦し気にそう言った。

 

「……ヒッキー、一つだけ教えて」

「なんだ?」

「ヒッキーは、みんなを巻き込まない為にみんなから離れようとしてるんだよね?」

「ああ」

「じゃあ、なんであたしとゆきのんだけ、こんな手の込んだことしてるの?」

 

 ヒッキーがみんなの記憶を消したのは、自分の知り合いだという理由で他のマスターに狙われるのを恐れたから。逆に知り合いから自分の情報が漏れるのを避けるためでもあるだろう。

 けど、それだけだったらあたしやゆきのんの記憶も一緒くたに消してしまえば良かったはず。

 なのにヒッキーは、みんなの記憶は消してもあたし達の記憶は残していた。

 その理由が知りたい。

 ヒッキーはあたしの質問に不意を打たれたような顔をして、ばつが悪そうに口を開いた。

 

「……単なる、わがままだ」

「……意味わかんない。ちゃんと答えてよ」

「だから……!」

 

 ヒッキーは怒鳴りかけて口をモゴモゴさせると、今度は「うぅ~!」と唸りながらガシガシと頭を掻き始めた。

 どうしたんだろ?

 

「……お前らは、さ」

 

 ヒッキーが、唐突に動きを止めて話し出す。

 

「お前らは、特別なんだよ。俺にとって」

「……へ?」

「だから、ちゃんと挨拶しておきたかった」

 

 憮然とした顔で、真っ赤になってそう言った。

 あたしは――つい、吹き出してしまう。

 

「ぷっ――何、それ」

「うっせ、ほっとけ」

 

 ヒッキーがむくれながら近付いてくる。

 

「――また、会える?」

「当たり前だ。別に死にに行くわけじゃねえんだから」

「ホントに?」

「ああ。そもそもこれも、俺の顔を見ただけで勝手に効果が解けるシロモノなんだ。だから雪ノ下が起きる前に出てかなきゃならん」

「嘘ついたら、小町ちゃんに言いつけるよ?」

「だから平気だって。こんなのはただの念の為だ。……だから小町はかんべんしてくれ」

「ダーメ。小町ちゃんに嫌われたくなかったら、ちゃんと帰ってくること」

「ヘイヘイ、分かりましたよ。あーあ、やっとぼっちに戻れると思ったのによ」

「……ねえ、ヒッキー」

「ん?」

 

 

「大好きだよ」

 

 

 

 

「……ヶ浜さん、由比ヶ浜さん、起きなさい」

「……ふぇ?」

 

 目を開けると、ゆきのんが呆れ顔で覗きこんでいた。

 

「暖房が効いているとはいえ、こんなところで寝ると風邪をひくわよ」

「あ、あれ?」

 

 キョロキョロと辺りを見回す。いつもの部室だった。

 いつの間にか眠ってしまったらしい。

 

「ご、ごめんゆきのん!」

「謝らなくても良いから、よだれの跡をなんとかしなさい」

「へ?わわっ、ちょっとタンマ!」

 

 慌てて顔をゴシゴシするあたしを見て、ゆきのんがクスリと笑う。いつもの光景だ。

 なのにどこか物足りなさを感じるのは何故だろう?

 

「……ねえゆきのん。奉仕部って、あたしら二人だけだよね?」

「……ええ、その筈よ」

「……だよね」

 

 最初にゆきのんがいて。

 あたしが依頼を持ち込んで。

 それから入部して。

 それだけだ。他の部員なんていない。

 なのになんだろう。この喪失感のようなものは?

 

「……由比ヶ浜さん。あなたも何か違和感を感じるの?」

「……って、ゆきのんも?」

「ええ……。それで落ち着かなくて、由比ヶ浜さんが目を覚ます前に部室を歩き回っている時に気付いたのだけど、ポケットにこんな物が入っていたの」

「何コレ?」

「ICレコーダーよ」

「……なんでそんなの持ってんの?」

「わからないの。それで、何かデータが入っているみたいなのだけど、一緒に聞いてみる?」

 

 

 好奇心に負けて聞いてみると、入っていたのは自分と、ゆきのんと、知らない男の子の声だった。

 

「……何なのかしら、これ」

 

 ゆきのんが小さく呟く。

 レコーダーの中で、まずゆきのんが、次いであたしが、知らない男の子とお芝居じみた会話をしている。

 だけどあたしはこんなものを録った覚えは無い。ゆきのんも知らないそうだ。

 男の子の声にも聞き覚えが無いし、気味が悪い。

 それに会話の内容も問題だ。

 なんかこれだと、あたしとゆきのんが同じ男の子に、その、あれみたいじゃん……。あたしなんか大好きとか言っちゃってるし……。

 

「うぅ~……、もう止めよ?」

「待って、まだ何かあるわ」

 

 今度は男の子と、また知らない女の子の声だった。

 

 

『本当に、よろしかったのですか?』

『……良いわけねえだろ。だから今まで無理してしがみついてたんだろうが』

『どちらへ?』

『決まってんだろ、最後の仕上げだ。お前もそっちが終わってんなら手伝え』

『了解しました』

 

『……ったく、めんどくせぇ。さっさと終わらせて帰ってくんぞ』

 

 

 それで終わりだった。

 

「……本当、何なのかしら?」

 

 確かに意味がわからない。

 

「セリフの内容から推測すると、この比企谷くんという男の子がどこかへ行こうとしているのを、私達が引き留めようとしている……ように思える、のだけど……」

 

 うん、確かにそんな感じ。でもやっぱり覚えが無い。

 

「でもさ、このヒッキーって人さ」

 

 それと、あたしはゆきのんとはちょっとだけ違った印象を覚えていた。

 

「なんか、奉仕部のことをスゴく大事に思ってくれてるよね」

 

 あたしやゆきのんが必死に止めてるのにどっかに行っちゃおうとしてるけど、最後にちゃんと『帰る』って言ってる。

 それはつまり、この人がここを自分の居場所だと思っているってことで。

 それが何故か、何故かとても嬉しかった。

 

「……由比ヶ浜さん、大丈夫?」

「? 何が?」

「あなた、泣いてるわよ?」

「へ?」

 

 手で目元を触ってみると、確かに濡れていた。

 あ、あれ?何コレ?

 拭っても拭っても、次から次へと涙が溢れてくる。

 

「ちょっと、由比ヶ浜さん、本当に大丈夫?」

「う、うん、多分。ていうか、ゆきのんだって泣いてるじゃん」

「え?」

 

 ゆきのんは自分の頬を触って驚いている。あたしと同じで、言われるまで気付かなかったようだ。

 

「な、何、これ?どうして……」

「わか、んない、やば、止まんない……」

 

 涙は止めどなく溢れ続け。

 あたし達は。

 わけもわからないまま、下校時刻まで泣き続けた。


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