夜の闇の中、私を含む四人の男女がある建物を見上げていた。
学校の制服を着た者、そして騎士の甲冑を纏った者が、それぞれ男女一名ずつ。事情を知らぬ者が見れば、さぞ奇妙な集団に思うだろう。
その内の一人、騎士の出で立ちをした青年が口を開いた。
「……本当にここなのか?」
「何よ、信用出来ない?」
「そういうわけではないが……」
自信に満ちた制服の少女の言葉に、青年が困惑気味に答える。
どちらもどことなく赤を想起させる雰囲気を纏った、当人達は否定するだろうがどこか似た二人だった。サーヴァントにはマスターに似た英霊が選ばれる為、当然と言えば当然なのだが。
少女の名は遠坂凛。私はリンと呼んでいる。
この冬木の管理者たる遠坂の当主であり、聖杯戦争に参加するマスターでもある。
そして赤い騎士は彼女に与えられたアーチャーのサーヴァントだ。
その正体は不明。記憶喪失の為、本人にもわからないらしいが……どこまで信用出来たものか。
彼が主の言葉を疑うのも無理からぬ事だった。
我々は今、同盟を組んだ彼女達と共に、敵対するサーヴァントを討伐する為にこの場所を訪れていた。
広い敷地を塀がぐるりと取り囲んでいるが、肝心の高さが足りておらず、乗り越えようと思えば魔術師やサーヴァントでなくとも越えられるだろう。
我々の正面には正門があるが、そこを塞ぐ扉、もとい柵にはやはり頑健さは感じられない。
「でも遠坂、ここってただの学校だろ?」
制服姿の少年、シロウ――私のマスターで、衛宮士郎という――が二人に口を挟む。
彼の言うように、その門柱には『総武高校』と刻まれたプレートが埋め込まれていた。特に霊地というわけでもなく、魔術師が居を構えるには不向き過ぎる。
「ま、そうなんだけどね。近くに霊脈があるわけでもなく、構造的にも防御に向いてるわけじゃない。だからこそ完全にノーマークだった。そこを突かれたわけね」
顔に疑惑が出ていたのだろうか。リンは発言していない私を含めた全員に説明するように話し出した。
「わたし達を監視してた使い魔、あの隠れるのがえらく巧かったやつ。あれの魔力を逆探知したらここに繋がってたわ。あいつに気付かなかったらここにたどり着くことはなかったでしょうね。セイバーのお手柄よね」
「いえ、私は役割を果たしたに過ぎません」
警戒監視は私とアーチャーが交代で行っている。これに関しては、クラスの問題もあるだろうがアーチャーの方が優秀だった。
件の使い魔は位置取りの巧妙さに加え、魔術的、光学的にカモフラージュが施されており、そのアーチャーの眼をも欺く事に成功していた。私が気付けたのはただの幸運だ。
しかし同盟を組んでいるとはいえ、他人のサーヴァントをこうも素直に誉められるというのは……。
シロウもそうだが、彼女も大概なお人好しのようだ。マスターとしては致命的とも言える欠点だろう。
が、騎士の主としては申し分ない。少なくとも私なら、ここで相手を妬むような卑屈な主に仕えるのは出来れば避けたい。
「この辺一帯の魔力の流れを調べてみたら、いくつかの霊脈から小さな、意識して調べなきゃ気付かないくらいの支流がこの学校に繋がってたわ。不自然さから考えて、間違いなく人為的に作られた支流よ。効率は今一でも、これなら誰にも気付かれることなく力を蓄える事が出来る。巧いやり方よ」
リンは裏をかかれたことを憤るより、相手に感心しているようだった。
騎士が力と技とで相手を評価するのに対し、魔術師は知略と深慮によって相手を推し測る。
今回の敵は、どうやら彼女の闘争心を煽るに足る相手のようだ。もっともこうして優れた相手に対抗心を燃やすのは、魔術師よりは戦士に近い気質だとは思うが。
とは言え彼女が優秀な魔術師であることは疑いようがない。今回も敵の所在を突き止めるのは、彼女抜きでは成り立たなかっただろう。
若さ故かたまに抜けているところもあるが、それは私やアーチャーで補佐すれば良いだけのことだ。
「……街にいくつか敷いてあった結界も、やっぱりここのサーヴァントの仕業なのか?」
「多分ね。隠蔽の精度から考えて、まずキャスターの仕業に間違いないわ。霊脈に支流を作るような離れ業が出来るサーヴァントが複数いるっていうのは、正直考えたくないわね」
「そうか。じゃあ、やっぱり止めなきゃな」
リンの説明に、シロウが頷く。
シロウは初め、聖杯戦争に参加することに消極的だった。聖杯を使ってまで望むものなど無いと。
しかし先日、最近この街で頻発している意識不明者が、サーヴァントの魂食いの餌食となった者達だと知って戦いを決意した。
単純に暴走するサーヴァントやマスターの犠牲となる者を無くす為。そして、そうした者達に聖杯を渡さない為にだ。
私としては聖杯さえ手に入るのならば、マスターの戦う理由は気にしない。が、見知らぬ他人の為に戦えるこの少年を、少なからず好ましく思ってはいた。
「それにしてもなんで急に動きが活発になったんだろうな」
今まで魂食いの犠牲者は1日に一人程度の割合だった。
しかし昨日、一昨日と連続して、それぞれ十数人の意識不明者が出た。シロウが言っているのはそのことだ。
ちなみに魂食いとは言っても、本当に魂を食うわけではなく魔力を奪うだけだ。ただ、魔力を大量に奪われるとショック症状を起こし、その様が魂を奪われたかのように見える為にそう呼ばれている。
今までの事件では死亡者は出ていないが、それはあくまで今のところの話で、死に至る可能性も少なからずある。
「……考えられる可能性としては、一つは急に大量の魔力が必要になった場合。何か早急に対処しなきゃならない事態が発生した場合ね」
「他には?」
「既に充分な魔力を溜め込んで、こそこそする必要が無くなった場合。でも、こっちの可能性は高くないと思うわ」
「何故ですか?」
シロウに解説していたリンに口を挟んだ。
「今までこれだけ用心深く行動してた相手よ?ちょっと力を蓄えたくらいで油断するような低脳とは思えないわ。用心深い奴がそれでも慢心する程の魔力を蓄えていたらさすがに気付くと思うし、効率面から考えてもそこまでの量にはなってない筈よ」
「つまり……」
「ええ。敵は今、何か問題を抱えている。狙い目ってことね」
彼女はシロウの呟きにニヤリと返した。
「……だが、そんな状況なら相手も警戒しているのではないか?」
そんな彼女にアーチャーが異を唱える。
彼はこの戦いに対して、理由はわからないがずっと曖昧な態度をとっていた。
臆した、という風にも見えない。どちらかというと戸惑っているように見える。
リンも彼の異変には気付いているのだろうが、言及するつもりは無いらしい。
「そうでしょうね。でも同時に焦ってもいる。だからこそ使い魔の擬態が甘くなったんでしょうし」
「……そうだな。『家』の偽装はばれていないか?」
「問題無いわ。例の使い魔に動きがあれば警報が働く筈よ」
今回の出撃に際して、我々は一つの細工を施していた。
現在、敵の監視下に置かれている衛宮邸では、魔術で作られた我々の人形がいつも通りの生活を演じている。
使い魔を通してそれを見ている限り、我々がここに居る事には気付けない。敵の監視を逆手に取ったわけだ。
「ま、屋内まで踏み込まれればさすがに気付くとは思うけどね。だからその先はスピード勝負よ。相手の体勢が整わない内に見つけ出して一気に倒す。フォーメーションを確認するわ。まず対魔力の高いセイバーが先行して危険を排除。良い?」
「了解しました。まずはあちらの校舎の四階を目指せば良いのですね?」
「それでお願い。大体のアタリでしかないからわたしが中で改めて絞りこむわ。衛宮君は罠の検知。頼りにしてるわよ」
「わかった」
「アーチャーは後方を警戒しつつ全員のフォローを、アーチャー?」
アーチャーはリンの言葉に反応せず、どこか明後日の方向を向いたまま表情を厳しくしている。
「どうした、アーチャー?」
「……セイバー、あれが見えるか?」
言われて彼の視線を追ってみると、遥か彼方の民家の屋根の上に何かが見えた。とは言え私はアーチャー程には眼が良くない。
「……なんだ?あれは」
「分からん。が、私には砲台のようにも見える」
「砲台だと?」
アーチャーの言葉を受けて、リンが眉間にシワを寄せた。
「……物騒ね。衛宮君、校庭辺りに何か無い?」
「ちょっと待ってくれ……あそことあそこ、うわ、メチャクチャたくさんあるぞ」
校庭に目を凝らしていたシロウが驚きの声を上げる。
リンの話では、シロウは『世界』の異常に対して驚く程敏感らしい。その為魔術的な仕掛けを見抜く感性はリン以上だそうだ。
リンはシロウの示した地点に、しばし意識を集中する。
「……あの結界そのものには特に力は無いみたいね」
「おそらくあの砲台と連動しているのだろうな。結界に検知された標的を自動的に狙撃する仕掛けだろう。警報も兼ねているのだろうな」
「無視するわけにもいかないわね……。アーチャー、狙撃できる?」
「爆発すれば下の民家を巻き込むが構わないか?」
「却下」
アーチャーの推測にリンが思案の表情を見せる。
このまま突っ込めば大損害を被った上に相手に気付かれてしまう。
離れた場所にある砲台を無力化してからでは、時間がかかってやはり感付かれるだろう。他の方角にも同じ様な仕掛けがあるだろうから、回り込む意味もない。
正直正面対決でも異存は無いのだが、わざわざこちらの利を捨てる意味もない。
何より相手はキャスター。戦士ではなく魔術師だ。戦わずに逃げてしまう怖れもある。そうなっては元も子も無い。
「私が行こう。あまり時間をかけるわけにもいかんだろう」
アーチャーが立ち上がる。
「……そうね。フォーメーションを変更、アーチャーが砲台を無力化すると同時にわたし達で突入。アーチャーは外から援護。出来ないなんて言わないわよね?」
「当たり前だ、私は弓の英霊だぞ。君の方こそ油断するな。一度手玉にとられていることを忘れるな」
「それはあんたも一緒でしょうが……!」
この二人は以前、キャスターとそのマスターとおぼしき相手に接触している。そしてその時はサーヴァントだと見抜けなかったらしい。
アーチャーは神妙な顔で私を見下ろし、口を開いた。
「セイバー、凛を頼む」
「言われる間でもない。貴様こそしくじるな」
「……くれぐれも、頼んだぞ」
……?
正直、アーチャーの態度は腑に落ちない。
敵を警戒するのは当然だが、それにしても様子がおかしい。
私を信用していないのかとも思ったが、それならリンの側を離れる筈がない。
訝しみながら見送っていると、去り際に彼の漏らした独り言が聞こえた。
「一体どうなっている……?こんな展開は知らんぞ……」
「アー……!」
声をかけようとしたが、既に出発した後だった。
「セイバー、どうした?」
「……いえ、なんでもありません」
シロウの言葉にうやむやに返す。他に答えようがない。
我々サーヴァントは、なにかしら抱えているものがある。だからこその英霊だ。隠し事を咎めるのはルール違反だろう。しかし……
(……どういう意味だ?何を知っている、アーチャー)
「アーチャーが配置に着いたわ」
それからほどなくして、全ての準備が整った。
アーチャーと念話で連絡をとっていたリンが表情を引き締める。
私はそれを見て、確かめるように剣を握り直す。
透明剣『
これはこの剣の名前ではない。
この剣の鞘は失われてしまっている。しかし強力過ぎるこの剣を、抜き身のままで持ち歩くわけにもいかない為、風の結界で力を封じてある。その副作用として剣が透明化してしまっているのだ。
その目に見えない握りの感触で、自分の調子を確かめる。
問題無い。アーチャーの事はひとまず忘れろ。
「じゃ、合図と同時に突入よ。準備は良い?」
リンの言葉に私とシロウが頷く。
戦力では完全にこちらが上回っている。
敵の監視も欺き、こちらの所在は未だにばれていない。
全員の戦意も高く、なおかつ油断せず、用心を重ねている。
敗れる要素は無い。
「状況、開始!」
リンの宣言と共に、私は闇の中を疾走した。