上から感じたそれに、狭い通路の闇の中で顔を上げる。
「……へえ。使ったんだ?」
この魔力の波動は聖剣。10年前にも覚えがある。もっともその時とは出力が桁違いだが。
「認めたのね、セイバー」
セイバーが聖剣を解放したということは、シロウを真の意味でマスターと認めたということだ。
嬉しさに笑みが込み上げる。
「……フフ。ようやく敵になってくれたわね、シロウ」
彼は今まで、自分の復讐の対象として弱すぎた。それではなんの面白味も無い。
だけど今、セイバーに認められたことで、ようやく自分に対抗しうる力を手に入れた。
やはり復讐はこうでなければならない。激しく抵抗する獲物を仕止めてこそ、自分と母を捨てた父への報復となりうる。
さあ、準備を進めよう。
わたしと母の復讐に相応しい舞台を整えよう。
どのようなシチュエーションにするべきか、考えを巡らせる。と、それを妨害するようにして、海藻のような頭をした男がドタドタと騒音を撒き散らしながら現れた。たしかライダーのマスターだった男だ。
「ちくしょう……!ちくしょう……!何が私の宝具は他を圧倒しているだ!あっさりやられやがって役立たずめ!」
ライダーを失って逃げ出してきたらしい。見苦しい。
「って!?な……なんだよ!?なんでこんなところに壁があるんだよ!くそ!くそ!バカにしやがって!」
わたしのサーヴァントにぶつかって、見当違いの悪態をつく。
わたしのサーヴァントは巨大だ。
身長3メートルを超える巨人。岩のような筋肉(実際には岩などより遥かに頑強だが)に覆われたその体躯は、暗がりの中では壁と間違えるのも無理はない。
とはいえ、醜く喚きながらサーヴァントを殴りつける男の姿は、滑稽の一言に尽きた。
知らず、ため息が漏れる。
「っ!?な、なんだ!?誰かいるのか!?」
それが聞こえたらしく、面白いほどに狼狽する。
「だ、誰だ!出てこいよ!?」
別に隠れてなどいないのだが。
サーヴァントの陰になっているとはいえ、見落とすほどではない筈だ。が、ライダーのマスターは錯乱しているらしく、わたしに気付くことはない。
……見たところ令呪も失っているようだし、殺す意味は無さそうだ。かと言ってわざわざ見逃す理由も無い。何より、この男は見ていて不快だ。
「バーサーカー」
自分のサーヴァント、バーサーカー『ヘラクレス』に一言だけで命じる。
「あ……あああぁぁぁ!?」
バーサーカーが一歩踏み出したことでようやく状況を理解したらしく、耳障りな金切り声を上げる。思わず耳を塞ぎたくなったが、それは少々優雅さに欠ける気がする。
ライダーのマスターは逃げることすら忘れて棒立ちになっていたが、バーサーカーが右手に握った斧剣を持ち上げるのを見て再び悲鳴を上げた。
「あ……わ……あ……わああぁぁぁあぁあ!?」
うるさいなぁ……。
バーサーカーが斧剣を降り下ろす。
ともあれこれでお仕舞い。少し気分が悪くなった。帰ってお風呂に入ってサッパリしよう。
そう思って振り返ろうとし、気付く。
「は……ひ……あ、あれ?」
ライダーのマスターが……生きている。
避けた?そんなわけが無い。
ならばバーサーカーが空振り?それこそ有り得ない。
ライダーのマスターは、涙で顔をぐじゃぐじゃにして腰を抜かしている。その後ろ襟が不自然な形に伸びていた。
ライダーのマスターのすぐ後ろの空間が、揺らぐ。
「……どうして飛び出しちゃうんですか。せっかく気付かれてなかったのに」
「いや、見殺しにするわけにもいかんだろさすがに」
その揺らぎから滲み出るようにして、一組の男女が姿を現した。
「それで、ここからどうするんです?倒すんですか、アレ」
ファーのついたミルク色のコートにジーンズのミニスカ、肩から大きめのスポーツバッグを下げた短い銀髪の女が、責めるような顔で男に問う。
「ムチャ言うなよ。何も悪いことしてなくても土下座するぞあんなモン」
黒い、袖口の広いジャケットを羽織った目の腐ったその男(……アンデッド?)は、掴んでいたライダーのマスターの襟を引っ張り、自分の後ろに下がらせながら立ち上がった。ワカメ頭はバランスを崩して後ろに転がり「プギャ」とか言ってた。
どうも魔術で姿と気配を隠して潜んでいたらしい。まったく気付かなかった。……さすがに仕掛けられればバーサーカーが反応したとは思うが。
現代風の出で立ちをしてはいるが、女の方はサーヴァントだった。
シロウは確か、最近キャスターを味方に着けた筈だ。ということは、こいつが裏切りの魔女か。
魔術の腕前はさすがといったところか。そのマスターであろう、リビングデッドっぽい男が口を開いた。
「あー、念のために聞くけど、見逃してくれる気とかあります?」
「?」
何を言っているのだ、この男は?
確かにキャスターは雑魚だし、そのマスターにいたっては魔術師ですらないという話だが、だからといって目の前の敵を見逃す理由になどなる筈がないではないか。
「……いや、そこまで心底不思議そうにされるとなんか困るんだが。どっかズレてんのかこのロリッ娘」
……何かバカにされた。確かに年齢に比べて若く見えるだろうがロリとはなんだ。腹いせも兼ねてさっさと倒してしまおう。
バーサーカーを一歩進ませる。
「……なんかやる気出してきましたよ?」
「やる気っつーか殺る気だな。……普通にやって逃げ切れると思うか?」
「無理でしょうね」
「ですよねー」
左足を退いて軽く半身に構えるゾンビを先頭に、軽口を叩きあうキャスター達。随分余裕ではないか。
「……『保険』は持ってきてるよな?」
「はい、勿論。使う気ですか?」
「もったいないけどしゃーねえ。……こんな早く使う羽目になるとはな」
……わざわざ聞こえるように話しているのはどういうつもりなのだろうか?
こちらの警戒を煽って出足を鈍らせるつもりか。それとも聞かれても関係無いタイプ、あるいは知られている事を条件に効力を発揮する切り札なのか。
まぁどれであったとしても関係無い。わたしのバーサーカーの前には等しく無力だ。
わたしは暇ではないのだ。早く帰って次のことを考えなければならない。そのためにバーサーカーに命令を下そうとした、その矢先。
「跳べ!」
わたしの機先を制する形で、ゾンビ風の男が叫びを上げる。お陰でわずかに反応が遅れた。
その声を受けてキャスターが動く。身を起こしていたライダーのマスターを肩に担ぎ上げ、後ろに走る。その先にあるのは小さな窓。
キャスターは男一人を抱えたまま、躊躇無く窓を突き破って飛び降りた。
一方ゾンビ男は、叫ぶと同時に身体の後ろに隠していた左腕を振るって何かを放り投げていた。
それは一本の瓶。中には何かの液体が入っていて、その口に詰め込まれた布のような物には火が着いていた。
火炎瓶というやつか。下らない。自分の身体で隠しておいてキャスターに準備させたのだろう。
バーサーカーはそれを、蚊を潰すように左の平手で壁に叩きつける。火は燃え広がることもなく、あっさりと消えた。
わたしはバーサーカーに追撃の命令を出さなかった。何故なら逃げたのはキャスターだけで、肝心のマスターがその場に残っていたからだ。
「……なんのつもり?」
「さて、なんだろうか……ね!」
男は言葉と同時、右の袖口から警棒を取り出すと、間髪入れずわたしに向かって投げつける。それと同時に、身を低くして突進してきた。
無謀な。
ヒロイズムというやつなのだろうか。ライダーのマスターを助けた事といい、キャスターを逃がした事といい、馬鹿げた英雄願望に振り回されているようだ。
バーサーカーは、自分の脇をすり抜けようとする警棒を左手で叩き落と――そうとして動きが止まり、一拍遅れて右の斧剣で切り飛ばす。
巨体のバーサーカーが狭い通路で横凪ぎに武器を振るった為、斧剣はコンクリートの壁に突き刺さってしまった。
見れば、ガラス瓶の破片が混じった、見るからに粘性の高い何かがバーサーカーの左手と壁とを結びつけていた。
とりもち……!火はフェイクか!
男は速度を落とすことなく、わたしに真っ直ぐ向かってくる。
バーサーカーの両腕は封じられている。その隙にならマスターのわたしを抑えられる。
(とでも思ったのかしら)
バーサーカーは、右手は武器を手放せば済む話だし、左だってバーサーカーを抑え込むにはまったく足りない。
仮に、この接着剤がバーサーカーでも引きちぎれないような代物だったとしても、バーサーカーの膂力には壁の方が耐えられない。
また、わたし相手ならばどうにかできると思われているのも業腹だ。
確かにわたしは外見的にはやや幼く見えるかもしれないし、バーサーカーに比べれば弱いのも間違いないだろう。だがそれでも、多少強化されただけのただの人間にどうにかされるほど無力でもない。
さて、どうするか。
叩き潰すのは簡単だが、普通にやったらこの男の策略を見抜けなかったみたいで、なんか癪だ。
と、いうわけで、おそらくこの男が予測していないであろう方法で迎撃することにした。
男はバーサーカーの右脇、壁に刺さった斧剣の下を潜ってわたしに迫るつもりのようだ。
バーサーカーなら、単なる拳の一撃が並の宝具を凌駕する。だから武器を手放して素手で攻撃するのがセオリーだろう。が、今回はあえてそのセオリーを無視する。
バーサーカーはわたしの命令に従い、壁に刺さったままの斧剣を強引に振るった。
コンクリを抉り、鉄筋を引きちぎりながら己に迫る斧剣を見て、男の腐った目が驚愕に見開かれる。慌ててブレーキをかけるがもう遅い。
男は左腕で防御の姿勢を取るが、単なる反射的なものであって、それで防げるなどとは思っていなかっただろう。
当たり前だが、お構い無しにバーサーカーの右腕は振り抜かれる。
斧剣が通り過ぎた後には、身体を上下に引き裂かれ、その中身を無惨に撒き散らす――――ぬいぐるみ。
「!?」
直後。
爆音がビルを揺るがした。
立ち込める黒煙に咳き込む。耳が痛い。鼓膜は破れてはいないようだが。
すぐそばの瓦礫に白っぽい物が引っ掛かっていた。熱で溶けかけた、ナイロン製のウサギの耳。
それを手に取って、呻く。
「けほっ……リバースドールね、やってくれるじゃない……!」
完全に不意を突かれた。バーサーカーに庇ってもらわなければやられていたかもしれない。
人形というのは、元々人間の身代わりにするために作られた物だ。だから人形を使った魔術・呪術は世界中に存在する。この国ならば丑の刻参りが有名だろう。藁人形と五寸釘のアレだ。
リバースドールというのはそうした人形の呪いを逆転させたもので、人間が受けた被害を人形に肩代わりさせる魔術の総称だ。
先ほどのは転移の魔術と組み合わせたハイレベルなアレンジで、マスターが傷を負った瞬間に丸ごと人形と入れ換えてしまうという離れ業だ。さらにはご丁寧に、身代わり人形の中に爆弾を仕込んであったらしい。
倒したと思った瞬間に、意表を突いた上で反撃がくる。凄まじく底意地の悪いトラップだ。一体どんな人格破綻者が考えついたのか。
マスターが残ったのは、人形を遠くに運ぶ時間を稼ぐためだったか。今からでは追い付くのは難しいだろう。
通路は爆発でメチャクチャになっていた。
あの音ではビル全体の窓が割れているかもしれない。外も結構な騒ぎになっている筈だ。シロウとセイバーにも気付かれただろう。
……二人は今、消耗している。戦えば倒すのは簡単だろう。だが折角の復讐がそれでは、あまりにも味気ない。
「……いいわ、今日のところは退いてあげる。顔は覚えたわよ」