夜が明けた。
俺は結局眠ることはできず、セイバーも床に伏せったままだ。
まぁ俺の方は横になって目を閉じていればそれなりに回復できるので、期間の短い聖杯戦争の間くらいなら保つだろう。問題はセイバーだ。
メディアだったら昨日衛宮を診察した時に令呪の不具合に気付いていてもおかしくない。だとすると、メディアがわざと黙っていたことになる。つまりメディアは、セイバーを危険視しているということだ。
となると、メディアにとってセイバーの今の状態は好ましいものだということになる。つまりこのまま知らん顔をする可能性もある。
まぁ全体的な戦略を考えれば有り得ない手ではないだろう。衛宮達と結んだ同盟の契約条件にも抵触していない。勿論、不義理だとは思うが。
だが、俺としてはセイバーには持ち直してもらいたい。別に聖杯戦争をこのメンバー全員で乗り切ろうとかそういうことではなく、そうしてもらわないと困るからだ。
昨夜接触したバーサーカー。あれは危険だ。セイバー抜きで、というかわずかでも戦力を減らした状態で戦うのは考えられない。メディアがそれを解ってないようなら、どうにか説得しなければ。
「キャスター、起きてるか?」
「はい」
返事を確認してから襖を開ける。とりあえずは直球で聞いてみる。
「セイバーのことだが、何か回復させる方法は思い着いたか?」
「いくつか。ただ、どれも問題がありますが」
返ってきた答えは建設的と呼べるものだった。どうやらメディアもバーサーカーの対策を打つ方が先決と判断したらしい。これなら余計なことを口にする必要は無さそうだ。
「そうか。順番に説明してくれ」
俺はまず、メディアの考えた方法を確認することにした。
「まず一つは私か凛様、あるいはアーチャーの魔力を分け与える方法。昨晩私が応急的にとった方法です。宝石魔術の一種で、魔力を溜め込んだ宝石を飲ませることでその相手の力を回復させることができます」
「……昨日も思ったんだがそんなに特殊なもんなのか、それ?割と誰でも思い着きそうな方法だと思うんだが」
「方法自体は単純ですが、他人の魔力を馴染ませるために宝石に特殊な処置を施さなければなりません。この時代ではそれが失伝しているようですね」
なるほど、臓器移植みたいなもんか。……返って分かり辛いな、これ。
ともあれ方法は分かったが、昨日見た限りだとあまり効率が良さそうには思えなかった。それに、
「味方の魔力を分け与えるってことは、チーム全体としての魔力量は変わらないってことだよな?それじゃ意味ねえな」
「無意味どころかマイナスですね。処置の段階でわずかですが消費しますし、人体と宝石間でも減衰が生じますから」
「却下だな。だが余裕のある段階で、いざって時のためにストックを作っておくのはありだろう。遠坂に頼んでおこう。まぁあいつなら言われるまでもなくやってるかもしれんが」
間が抜けてるようで抜け目ないからな。逆に、しっかりしてるようでポカやらかす奴でもあるんだが。
「ところで魔力を与える側に俺と衛宮の名前が無かったのは?」
衛宮はともかく俺の魔力ならいくら削れても問題無いんだが。
「八幡様、宝石に魔力を込めるって出来ますか?」
「……それもそうか。んで、次は?」
「魂食いです」
「不許可だ。つうかセイバーの方が拒否るだろ、それは」
「ですね。以前街に敷いた吸精の結界は?」
「まぁ、そのくらいなら……いや、ダメか。効率重視でいくと結局倒れる人間が出る」
「総武校に引いた霊脈を利用する手もありますが」
「それもあんま効率良くねえんだよな、確か。それに学校には個人的に近付きたくないし……。まぁ手段の一つとしては考えておくか。これで全部か?」
「他には、性交による魔力の補充でしょうか」
……………………
「すまん。耳には届いたんだが心には届かなかった。もう一回言ってくれ」
「性交による魔力の補充です。具体的にはセック「分かったもういい」」
どうやら聞き間違いではなかったらしい。
まあね?考えてみたら魔術だのオカルトだのにそういうのは付き物だもんね。別に出てきたって不思議じゃないよね?
「……一応、理屈とか聞いても良いか?」
「元々性交には『活力を分け与える』という意味合いが含まれています。これを魔術的な儀式に見立てることで、他人の魔力を譲渡することが可能となります」
「最初の宝石のやつと変わらないようにも思えるんだが、効率面ではどうなんだ?」
「非常に良いですね。宝石魔術のものはあくまでその場凌ぎの応急措置ですが、これは初めからその為に設計された儀式魔術ですから。不完全とはいえ令呪の繋がりを利用すれば、ただの譲渡に終わらずに互いの力の増幅も見込めるかもしれません」
なにその良いことずくめ。
……令呪の繋がりを利用すればってことは、その役割は衛宮ってことになるよな。二、三回刺しとくか。どうせ死なねえし。……令呪の繋がり、か……。
「……私はゴメンですよ?」
「バババババッカ!ベベ、別にんなことかかか考えてね、ねえよ!?」
「ドモリすぎ。キモいです」
蔑むような目で見られてしまった。いや、ホント誤解だよ?マジで。
「と、とにかく。当人同士の合意の上なら手段としてアリだな。衛宮達に話しておこう。でも今言った方法だと、結局どれも根本治療にはならないよな?そっちはなんとかならねえのか?」
「そちらは原因から調べないことにはなんとも……。一応、擬似的にリンクを繋げる方法も考えましたが」
「どんな?」
「マスターである士郎様の魔術回路をセイバーに移植します。そうして一時的にパスを繋ぎ、その間に魔力の通り道を固着してしまえば、そのまま令呪のリンクの代わりとして使えるでしょう」
「……現状、一番良いのはそれかな。時間はどのくらいかかる?」
「それなりに。通常の、医学的な手術よりは短いとは思いますが」
「うし、決まりだ。まずは衛宮達に話を通そう」
俺は立ち上がって部屋を出た。
「あ、比企谷くん。衛宮くん見なかった?」
人を探して歩いていると、逆に遠坂から声をかけられた。
「いや。なんかあったのか?」
「セイバーのことで少し相談したかったんだけど、姿が見えなくて」
「そうか。こっちもキャスターがいくつか思い着いたから意見を聞きたかったとこだ」
「そ。ならちょうど良かったわね。衛宮くんを探しましょう」
遠坂と二手に別れて家の中を一通り歩く。が……
「居ねえな……。なんか聞いてるか?」
「何にも……おかしいわね。アーチャー!」
遠坂が天井に向かって声を上げると、すぐさま赤い騎士が姿を現した。
「何か?」
「衛宮くんを見なかった?姿が見えないんだけど」
「あの小僧なら少し前に出ていったぞ」
「ハ、ハァ!?出てったって、何で!?何しに!?」
「さてな。あんな未熟者の考えることなど知らん」
「あんたねぇ……!」
驚くのは分かるがちょっと落ち着けよ遠坂。人様に見せられん顔になってるぞ。
アーチャーは過剰に反応する遠坂に取り合わず冷徹に答えた、んだけど、なんか『いつも通り』には見えないんだよな……。昨晩の会話のせいか?
「なあ、あんた。衛宮となんか話したのか?」
問いかけると、アーチャーは少し瞑目してから答えた。
「……大したことではない。セイバーが、自分が倒れると分かっていながら聖剣を使った理由を教えてやっただけだ」
……それ、もしかして。
「……理由ってのは?」
「あの小僧を護るためだ」
やっぱりか。
「あんたね!セイバーがあんな状態でそんなこと言われたら誰でもショックに決まってんでしょ!?」
遠坂の言った通りなんだろうな。
衛宮は元々戦うのに反対してたらしいが、その理由の一つにセイバーが、というか女の子が傷付くのが嫌だから、というのがあったらしい。
学校でライダーにボロカスにやられて考えを改め、セイバーに頼る覚悟を決めたみたいだが、その直後にこれだ。そこにアーチャーから追い打ちを受けて、自失したまま出ていっちまったってとこか。
「知らん。私は聞かれた事に答えただけだ」
「こっの……!」
にしても、アーチャーが衛宮に対してやたら辛辣に見えるのは、気のせいじゃないよな、多分。
「おい、アーチャーと衛宮って仲悪かったのか?」
「……なんかそうみたい。あたしも理由は分かんないんだけど」
念のために確認してみたら案の定だよ。
今までその組み合わせで会話してるのを見たことが無かったが、もしかしたら無視し合ってただけだったのかもな。
「とにかく捜しにいくぞ。今の状況で単独行動とか危険すぎる」
「それはそうだけど、セイバーはどうするの?あの状態じゃ一人にするわけにはいかないわよ?」
「……しゃあねえ、キャスターを置いていく。どの道戦闘になったら何もできないしな。俺はこの家の周辺を捜すから、遠坂はアーチャーを連れてその外側を頼む」
「分かったわ。見付からなくても30分で一度戻ることにしましょう」
「ああ。アーチャー、ちゃんと探してくれよ?」
「……フン」
……行動から感情を切り離せるって印象は修正した方がいいかな。どうしたってんだ、ホント。
衛宮は案外すぐに見付かった。
衛宮邸からほど近い公園(空き地?)だ。見た目はのび太君達がたむろっているあそこをイメージしてくれれば大体合ってる。
遠坂達は方向が逆なためか気付かなかったようだがそれはいい。いいんだが……俺は今、絶賛スニーキング中である。
衛宮はそこで、白い髪の少女と話し込んでいた。
昨夜出会った、バーサーカーを従えていた十歳ほどの女の子だ。衛宮達の話だと、確かイリヤスフィールと名乗っていたそうだが。
(な、なんでバーサーカーのマスターが居るんだよ……!?)
衛宮の姿を見かけて声をかけようとしたら、塀の蔭になってたイリヤスフィールが見えて、慌てて隠れて今に至る。気付かれてはいない、と思いたいが……
つうかなんで普通にお喋りしてんだあいつら。
イリヤスフィールは人を躊躇いなく殺せるタイプの筈だ。ライダーのマスターをあっさり始末しようとしてた事から考えて、それは間違いないだろう。
殺人狂というよりは、善悪の判断がつかない残虐ロリタイプだと思う。厄介さで言えばどっちもどっちだが。
衛宮はともかく、そんなのがなんで敵と馴れ合っているのか……いや、逆にそういうタイプだからか?そういや遠坂が、バーサーカーのマスターが衛宮に執着してる、みたいなことを言ってたな。
衛宮とどんな接点があるのかは皆目分からんが、イリヤスフィールにとっての衛宮は、単なる敵というわけではないのかもしれない。
どうにか会話の内容を聞きたいところだが……
「こそこそしてないで出てきたら?」
いきなりこっちに声が飛んできた。
やはりバレてたらしい。仕方なく出ていく。
「よっ」
「……比企谷?」
「あ、ゾンビ」
衛宮とイリヤスフィールが揃って意外そうな顔をする。イリヤスフィールも誰かがいることには気付いていても、それが俺だと特定してたわけではなかったらしい。
「誰がゾンビだロリガキ。つうかよく気付いたなお前」
「当然でしょ。人避けの結界張ってるのに人の気配がするんだもの。ま、いたのは人じゃなくてアンデッドだったけど」
「さっきから勝手に人のこと殺してんじゃねえよ。これでもまだ新鮮だよ?腐ってるの目だけだからね?」
「じゃあなんで人避けが効かないの?あなた魔術師じゃないのよね?」
「知らねえよ。俺に聞くな」
そう答えはしたが、一つ心当たりはあった。
人避けの結界にはいくつか種類があるが、スタンダードなものは、人の無意識下に働きかけて『なんとなく』近付かないようにするものだそうだ。
それはつまり一種の精神干渉になるわけだが、俺は既にメディアの催眠暗示の影響下にあるため、人避けの効果が打ち消されてしまったのではないだろうか。
まあ実際のところはどうなのか分からんし、ぶっちゃけどうでもいいんだが。
「比企谷、なんでここに?イリヤと知り合いなのか?」
衛宮が呑気にそんなことを言う。こいつ、なんでこんなに危機感ねえの?敵が目の前に居んだぞオイ。
見たところバーサーカーは連れてないらしい。が、これは多分、自信の現れなんだろう。もっともそれは、魔術師特有の慢心でもあるわけだが。
……巧く不意を突ければこの場で倒せるかもしれないが、挑戦するにはリスクが高すぎるな。やはり危険か。
「昨日ちょっとな。お前がいきなり居なくなるから捜しに来たんだよ。おい衛宮、令呪を使ってセイバーを呼んどけ」
「バカ言うな!セイバーがどんな状態か分かってるのか!?」
「バカはお前だ。今バーサーカーを呼ばれたら俺らは二人ともやられるしかねえんだぞ。せめて先手を取れるようにしとかんとどうにもならんだろ」
「それなら大丈夫だ。イリヤは昼間は戦わない」
「あ……?何言ってんだお前?」
なんぼなんでも呑気が過ぎんだろ。お人好しってレベルじゃねえぞ。それともロリコンなの?
「聖杯戦争は夜にするもの。そうでしょ?」
そう、おどけたようにイリヤスフィールが言う。
「……そんな決まりあったのか?」
「ああ。イリヤはこの前もそう言ってたんだ」
この前?以前にも会ってたのか。その時は『昼間だから』という理由で見逃されて、それで油断してる、と。
衛宮はこの無邪気さに騙されてるわけか。
……いや、騙されてるってのは違うか。イリヤスフィールの無邪気さは本物だ。だけど無邪気だから安全とは限らない。むしろ逆だ。
子供が遊び半分で虫を殺せるのは無邪気さゆえだ。
殺す相手が虫なのは反撃を受ける心配が無いからだ。
ならば、無邪気な子供が理不尽に巨大な力を手にしたなら?その力が人間に対して向けられる事もあるだろう。
それにな、衛宮。ルールと聞いたら破らずにいられないのが子供ってもんだぞ。
「でもね、シロウ?」
ほらな。
「今日はちょっとズルしに来ちゃったんだ」
「え……?」
イリヤスフィールが、並んで立っている俺と衛宮に立ちはだかる。その紅い瞳が妖しく輝いている気がした。
「わたしの城まで案内するわね。あ、ゾンビは要らないから。そこで寝てていいわよ」
イリヤスフィールに見つめられた途端、いきなり頭が重くなる。
この感覚には覚えがある。催眠暗示だ。メディアのものと比べると、やや拙い気もするが。
「あれー?なんで効かないんだろ……?」
イリヤスフィールが怪訝そうに俺の顔を覗き込む。
衛宮は既に意識を失い人形のように立ち尽くしているが、俺はまだ意識を保っている。それに疑問を感じているらしい。
俺に暗示が効き辛いのは人避けが効かなかったのと同じ理屈だろう。しかしメディアほどではないとは言えイリヤスフィールの暗示も強力だ。それも時間の問題だろう。今の内に何とかしなくては。
ふと。イリヤスフィールの背後に目を向ける。
「……!?」
「?」
目を見開くと、イリヤスフィールもつられて後ろを向いた。暗示による気だるさが、わずかだが弛む。
その隙に、気力を振り絞って左腕を持ち上げた。
プシュッ
「っ!?」
後ろに何も無いことを確認し、こちらに向き直ったイリヤスフィールの顔面に『それ』が直撃する。
「ゲホッ!ケホ、何、これ!?」
一気に身体が軽くなる。
咳き込むイリヤスフィールを尻目に、隣の衛宮の腕を引いて走り出した。
「逃げるぞ衛宮!」
「ちょっ、何だ今の!?」
「痴漢撃退用の催涙スプレーだ!」
「おま、女の子になんて物を!?」
「言ってる場合か!?いいから走れ!」
催涙スプレーの効果は精々数十秒だ。その間に可能な限り距離を稼がなければならない。衛宮と問答してる余裕なんか無い。
当然だがイリヤスフィールも黙ってはいなかった。
「こっ……のぉ!バーサーカー!」
硝子が砕けるような音と共に、目の前に巨人が降ってきた。
よほど頭に来たらしい。令呪を使ったようだ。
着地の振動に、身体が浮き上がるような錯覚を覚える。俺と衛宮はほとんど反射的に、それぞれ逆方向へと横っ飛びに身体を投げ出した。直後、それまで俺達が居た場所をバーサーカーの巨大な掌が叩き潰す。
「捕まえなさい!絶対に殺すんじゃないわよ!」
イリヤスフィールのの命令が飛ぶ。遅いッス!危うく死ぬとこだったじゃないですか!
起き上がろうとしていた俺の身体を、バーサーカーがムンズと掴む。
殺すなとの命令のためか痛みなどは無いが、ガッチリと固められてビクともしない。いや、人間の胴体を鷲掴みとかおかしいだろ!?ていうかバーサーカーさん、指先が『すぼみ』に食い込んでてすっげぇ嫌なんですが!?
バーサーカーは衛宮にも手を伸ばすが、衛宮は間一髪でそれを避けた。しかしそれもマグレの範疇。次には捕まるだろう。
体勢を大きく崩した衛宮にバーサーカーの手が迫る。いよいよ捕まるかと思った、その瞬間。
キュドッ!
そんな鋭い風切り音と共に、光弾がバーサーカーのその腕を貫く。その隙に衛宮は間合いから抜け出した。
「今の……アーチャーね!?」
イリヤスフィールが弾が飛んできた方向を睨みつける。来てくれたか!
光弾はさらに連続で飛来し、次々にバーサーカーへと突き刺さる。……いや。
(なんだ!?)
光弾は最初に飛んできのと同じ物だろう。最初の物は確かにバーサーカーにダメージを与えた。しかしそれ以降の攻撃は、全て効いていない。というかバーサーカーに届いていないように見える。バーサーカーは防御すらしていないというのに。
「「っ!?」」
声にならない声は、俺とイリヤスフィールのものだった。
バーサーカーが動いた。
光弾の一つがイリヤスフィールへと向かい、それをバーサーカーが防いだのだ。
流れ弾、ではないだろう。アーチャーがマスターを狙ったのだ。
「……っ!退くわよ、バーサーカー!」
このまま戦うのは危険と判断したか、イリヤスフィールが撤退を命じる。あれ、これヤバくね?
グニャリと視界が歪む。
「比企谷!」
衛宮の声もどこか現実感が損なわれていた。これは多分あれだ。空間転移ってやつだ。
意識が暗転する。
拝啓、お父様、お母様。
比企谷八幡17歳。
これまで学校の演劇では木の役すら貰い損ねてきたわたくしですが、この度、囚われの姫という大役を賜ることと相成りました。
……誰得だよ、これ。