善意や好意に理由を見出だし、理屈を当てはめ、それらを欺瞞と断ずる。
感情に損得を絡め、だから本物ではないと切り捨てる。
そしてそれは自身のものにすら当てはまる。
他人のために行動するなど間違いだと、誰かのために何かができるなど思い上がりだと繰り返す。
故に少年は自分のため、効率のためとうそぶき続けた。それで救われる者がいたとしても、それはただの結果にすぎないと。
それはきっと、事実ではあったのだろう。
だけどそれだけでもなかった筈だ。そうでなければ、敵と呼んでもいいような相手まで助けたりはしない。
彼に近しい者達は、少年を分かりにくいと評した。
実際その通りなのだろう。本人ですらそう思っている。
しかし結局のところ、少年のことを誰よりも理解できていないのは彼自身なのではないだろうか。
少年は人の善意を理解できない。己が他人に向ける善意ですら。
要するに少年は、自分よりも弱い者を――例えそれが、一時的に弱っているだけだったとしても――見棄てられないだけなのだ。
比企谷八幡がさらわれた。バーサーカーのマスターの仕業だ。
今朝、衛宮士郎と共に遭遇し、アーチャーが助けに入ったもののそのまま連れ去られてしまったそうだ。
「……救出は難しいでしょうね。それに比企谷くんを切ってしまっても痛手にはならない」
やはりというか、そう言ったのは遠坂凛だった。
当然の判断ではある。今の状態でバーサーカーに挑むなど自殺行為以外の何物でもない。
しかしやはり、それに反発する声もある。衛宮士郎だ。
「比企谷は俺の身代わりに捕まったようなものなんだぞ!?見棄てろって言うのか!?」
「単なる事実よ。比企谷くんは有能だけど、彼が力を発揮できるのは入念な事前準備があってこそよ。スパンの短い聖杯戦争でこれ以上活躍できるとは思えないわ。彼の為にチーム全体を危険に晒すのは得策とは言えないわ」
「だからって……!」
とまあ、こんな調子である。
衛宮士郎は人情家らしく救出を主張するが、遠坂凛の感情を排した現実的な意見に否定される。
実際、衛宮士郎の言うことは無謀なのだ。それに遠坂凛の指摘も正しい。
私も比企谷八幡も、二戦目以降を戦い抜くのが不可能だと考えたからこそセイバー達を戦力として取り込もうとしたのだ。ここで戦力にならない比企谷八幡を助ける為に消耗する意味は無い。それでも意味を見出だすとすれば……
「そ、そうだ!俺達呪いをかけられてただろ。比企谷を助けないと俺達もヤバイだろ?」
「ああ、共死の呪いならもう解けてるわよ」
「え?」
これだとばかりの言葉をあっさりと否定されて、衛宮士郎が唖然とする。やはりバレたか。
「暇みてちょくちょくチェックしてたからね。今朝になっていきなり呪いが消えてたのには驚いたけど。まぁ、あんな強力な呪いを魔術師でもない人間が簡単に使えるんだもの。どこかしらに欠点があるのは当たり前よね。それが有効期間だった。違う?」
最後の言葉は私に向けられたものだった。私はそれに黙って頷く。
さて、どうしたものか。
私としてはなんとしてでも比企谷八幡を助けたい。まだ奴の化けの皮を剥がしてないのだ。これは私にとって、もはや聖杯よりも優先されることだ。死なれては困る。
しかし現実問題、私一人では比企谷八幡を取り戻すことは不可能だろう。彼等の協力は不可欠だ。
このチームの中心は遠坂凛だ。彼女を説得しないことにはどうにもならないし、セイバーが動けない現状、最大の戦力であるアーチャー抜きでは話にならない。
セイバーを回復させられれば多少は違うのだろうが、マスターからの魔力供給が途切れてしまっている今では、心霊手術に私の方が耐えられない可能性がある。
どうにかして説き伏せなければならないのだが、理は彼女にある。
頭の中で交渉材料を探っていると、それまで黙っていたアーチャーが口を開いた。
「つまり、比企谷を助けに行くのは反対ということだな?」
「……まぁ、そうね。文句ある?」
「いや、冷静な判断だ。ここは見捨てるのが正解だろう」
「お前!何を!」
衛宮士郎がアーチャーに食って掛かるが、アーチャーはそれを相手にせずに立ち上がった。
「それでは凛、すまんが一日だけ暇をもらいたい。君はここで待機していてもらえるか」
「……ちょっと、アーチャー?何のつもり?」
「無論、比企谷の救出だ。私だけで行ってこよう」
「な……!」
遠坂凛が愕然としていた。それはそうだろう、私も驚いた。一番説得が面倒だと思っていたアーチャーが自ら行動するというのだから。
私はアーチャーに声をかける。
「……どういうつもりですか?」
「そういう約束をしてしまったのでな。見捨てるわけにもいかんのだ」
私のいないところでどんなやり取りをした。
さっさと出ていこうとするアーチャーを、今度は衛宮士郎が呼び止める。
「おい、待てよ」
「……何か用か、小僧」
「俺も行く」
そう宣言して立ち上がると、しばしアーチャーと睨み合った。
先に視線を外したのはアーチャーだった。
「……勝手にしろ。足を引っ張るなよ」
「言われなくても」
「フン。拐われたのが貴様だったなら遠慮なく見棄てられたのだがな」
「何だと?」
「ちょっと!二人とも待ちなさいよ!?」
いがみ合いながら出ていこうとする二人を、さらに遠坂凛が呼び止めた。
「なんだよ遠坂。言っとくけど止めても無駄だぞ」
「あーもう!別に助けに行かないとは言ってないでしょ!?これじゃあたしが冷血女みたいじゃない!」
「え?でも遠坂、さっきまで……」
「だから!普通にやっても無理なんだから、何か対策を講じようって話でしょう!?最初っから見捨てるつもりなんか無いわよ!」
照れくさいのか、若干顔を赤らめながらそう言う。
意外にも満場一致で比企谷八幡の救出が決定した。本当に意外だ。寝込んでいるセイバーは例外だが、彼女も反対はしないだろう。
「とりあえずセイバーを動けるようにしましょう。キャスターを真似して回復用の宝石をいくつか作っておいたわ。それを飲ませれば動くくらいはできる筈よ」
そんなやり取りがあったのが半日以上前。
現在は既に深夜。そろそろ日付も変わろうかという頃合いだ。
あれからアインツベルンの牙城を突き止め、バーサーカーのマスターに取り引きの為のメッセージを送り、外に誘い出してから救出に踏み込んだ。
取り引きは勿論デタラメだ。部隊を分けても各個撃破されるだけなのだから。衛宮士郎の名前を使ったためか、意外なほどあっさり食い付いた。
ここまで私が先導することで、森全体を覆う結界を含めて敵に検知された気配はない。が、途中に見られたいくつかの仕掛けを見る限り、相手の技量も相当なものだ。どこかで見落としがあってもおかしくないし、何よりここに辿り着くまで結構な時間がかかった。感付かれていてもおかしくない。戦闘は覚悟しておいた方がいいかもしれない。
距離が縮んだことで復活した令呪のリンクを頼りに、比企谷八幡の居場所を探る。ここだろうと思われる部屋の扉を見付け、中の気配を探っていた時のことだ。
「ちょっ、おい!やめろ!」
聞き覚えのある声。しかも悲鳴。間違いなく比企谷八幡のものだ。
聞いた瞬間に、隣の遠坂凛と共に扉を押し開いていた。
「八幡様!?」
「比企谷くん、無事!?」
扉の向こうに見たものは、椅子に縛られた状態で、メイド(巨乳)にズボンを降ろされている比企谷八幡だった。
「で、あたしらが必死こいてここまで来る間、肝心のあんたは敵のメイドとよろしくやってた、と」
「いえ、ですからこれは誤解でして……」
「ハッ!どうだか!」
アーチャーがあっさり気絶させたアインツベルンのメイドの横、顔面を変形させて正座する比企谷八幡と、仁王立ちで彼を見下ろす遠坂凛。なお、私も同じポーズで彼女の隣に立っている。
「だから、あれは俺が小便したいって言ったらこいつが尿瓶とか持ち出してだな……!」
「うわあ……」
「あのさぁ、人の趣味をとやかく言うつもりは無いけど、そういう特殊な性癖を他人にさらすのはどうかと思うわよ?」
「違ぇっつってんだろが!おい、ドン引きやめろ!」
表情を歪めて遠ざかる私と遠坂凛に、比企谷八幡が食い下がる。
「ま、何にしても無事でよかったよ」
「……ああ、サンキュー」
そう言って、苦笑しながらも立ち上がるのに手を貸す衛宮士郎に、比企谷八幡は複雑そうに応えた。
衛宮士郎はその様子に疑問符を浮かべる。
「どうした?」
「いや、やっぱり来ちまったかと思ってな」
「……どういう意味だ?」
「いや、感謝はしてんだぜ?見捨てられたら死ぬしかなかったわけだしな、俺は。でもチーム全体の事を考えると、ここに来ちまうのは失敗なんだよ。今頃イリヤスフィールは入口辺りで待ち構えてるんじゃないか?」
やはりその可能性が高いか。比企谷八幡も私と同じことを考えていたようだ。
「え、でも俺達、イリヤが出て行くのを確認してからここまで来たんだぞ?」
「幻影か、出てくふりしてすぐに引き返してるか。まぁホントに騙されてる可能性もゼロじゃないだろうが、期待はするべきじゃないな。セイバーは回復してるのか?」
「いや……」
「やっぱ戦うのは無謀か……。キャスター、入口以外で出入りできそうな場所はあったか?」
この男、こんな状況で私達が助けに来ることを見越して、さらにバーサーカーと戦うことまで視野に入れていたのか?
「……この城そのものが一種の結界の役目を果たしています。正規の方法以外での脱出は難しいかと」
「だろうなぁ……。せめて城の中で戦闘するのは避けたいんだが……」
比企谷八幡は眉間に皺を寄せてぼやいた。
この城はアインツベルンの工房だ。城内で戦うことは、ただでさえ低い勝率をさらに下げることを意味する。
「……仕方ねえ、まずは入口まで行こう。そこからは一応考えがある」
「途中で仕掛けてきた場合は?」
「その場合は犠牲無しで乗り切るのは難しいかもな。でもまぁ、その心配は多分要らないだろ」
「どうしてそう思うの?」
遠坂凛の、当然といえば当然の質問に、比企谷八幡は軽く肩をすくめた。
「魔術師ってのがそういう生き物だからだ」
「あら、もうお帰り?もっとゆっくりしていけばいいのに」
城のロビーまで辿り着き、門扉に手をかけた時のことだった。
カツン、という靴音と共に聞こえたその声に、私達は一斉に振り返える。
見れば幅広い正面階段を登った先、吹き抜けの二階へと左右に別れる踊り場。
先ほどまで誰も居なかった筈のそこから、バーサーカーを従えたイリヤスフィール・フォン・アインツベルンが悠然と見下ろしていた。
「ごめんなさい、おもてなしが遅れてしまって。この城の主としてお詫びす……なに?その顔」
イリヤスフィールが私達の表情を見て、やや不快そうに眉根を寄せる。期待した反応と違ったのだろう。
衛宮士郎と遠坂凛が、思わずといった調子で呟いた。
「凄いな……。出てくるタイミングから場所から、ほとんど比企谷の言った通りだ」
「最初のセリフなんか一言一句そのままだったわよ?どうなってんのよこいつ……」
「ハ、ハァッ!?なによそれ!?」
二人の言葉にイリヤスフィールが顔を真っ赤にして叫ぶ。
無理もない。格好よく意表を突いたつもりがとっくに予想済みだと言われたら、恥ずかしくてたまらないだろう。
白髪の幼女(ちょっと涙目)は比企谷八幡にビシィ!と指を突きつける。
「もう!なんなのよアンタ、あたしの邪魔ばっかりして!なんか恨みでもあるわけ!?ゾンビのクセに!」
「いやゾンビ関係ねえし。つうかなんで恨まれてないと思ってんだ」
モゴモゴと反論する比企谷八幡。聞こえるように言えばいいのに。声のトーンはそのままで、つまりはイリヤスフィールには聞こえないように他のメンバーに声をかける。
「……んじゃ、手筈通りにな。いくぞ!」
掛け声と同時、入口にもっとも近かった比企谷八幡と衛宮士郎が、身体全体を使って巨大な城門を押し開ける。扉そのものが重いため一気に全開とはいかないものの、それでも人間二人ほどが並んで通れるほどの隙間ができた。
また、それと同時に遠坂凛が左手を掲げて口を開く。
「アーチャー!」
「! バーサーカー!」
それを見たイリヤスフィールが血相を変えて叫んだ。勘付かれた!
「あたし達を連れて逃げなさい!」
「そいつらを逃がさないで!」
命令が完成したのは同時だった。
ガラスが砕けるような音と共に二つの令呪が弾け、アーチャーとバーサーカーの姿がかき消える。
途端、ロビーのそこかしこから無数の衝撃音が鳴り響く。
人の身では有り得ない、否、サーヴァントとしても常軌を逸したレベルでの高速戦闘。
数瞬の後、二人が元居た位置に再び姿を現した。
アーチャーは手傷を負ったらしく、左腕から血が滴っていた。対してバーサーカーは――無傷。
「――思ったよりはやるみたいね。まだ生きてるなんて」
私達の逃走を阻止してか、余裕を取り戻したイリヤスフィールが悠然と冷笑を浮かべる。
「それで?今度はどうするつもり?」
遠坂凛は悔しげな表情で比企谷八幡へと声をかけた。
「……ダメだったわね。他にプランはあったりする?」
「……悪いが全員が離脱できるのは今のだけだ」
「そう……。次善策はあたしが考えたやつと一緒かしら?」
「多分な」
遠坂凛は深くため息を吐いた。
「アーチャー」
そして。
「五分でいいわ。あいつを足止めして」
己のサーヴァントに、『死ね』と命じた。