家族の眠る、故郷へ。
窓から射し込む朝日に目を開ける。
時計を見るとまだ5時を回ったところだ。こんな早くに目が覚めたのは初めてかもしれない。
「メディア、居るか?」
「ここに」
――しゅるり。
そんな音を立てて、闇色のローブを纏った少女が姿を現す。
俺に仕えるキャスターのクラスのサーヴァント。キャスターとは魔術師という意味らしい。何語だかは知らんが。
「何用でしょうか」
「……いや、昨日の今日なんで、もしかしたら夢だったのかと思ってな」
「左様ですか。では私はまた休ませて頂きます。ご用命とあらば何時でもお呼び立て下さい」
そう言い残して、現れた時と同じように姿を消す。霊体化、というやつらしい。魔力の消耗が少ないいわゆる省エネモードだそうだ。
ハァ。
日曜の朝だというのにため息が出る。
今日は雪ノ下のマンションで作戦会議の予定なのだが、約束の時間までまだ四時間以上もある。
こんな時間ではアニメもやってないし、寝直そうにも夢見が悪かったせいでまるでそんな気が起きない。別に悪夢というわけでもなかったのだが……
「……ヘンな夢」
俺はまた、嘆息した。
午前10時。
約束の時間丁度に、雪ノ下の部屋に呼び出しをかける。
『遅い。由比ヶ浜さんはもう来てるわよ』
「時間ぴったりだろうが」
『だから何?五分前行動という言葉を知らないの?小学校で教育を受け直してきた方が良いのではないかしら』
「早すぎる方が失礼なパターンだってあるだろうが。つうか五分前に来たら来たで文句言うんだろ。さっさと開けろ」
『……やめましょう』
「……そうだな」
通話が切れると同時に入口の自動ドアが開く。
俺は中に入ってエレベーターに乗り、十五階のボタンを押した。
先程のやり取り、お互い言葉は普段と大して変わらなかったが、そこに含まれた刺はいつもよりずっと鋭かった。
雪ノ下が切り上げてくれなかったら、多分本気の喧嘩になっていた筈だ。
余裕がなくなっている。もっとも当然と言えば当然なのだが。
なにしろ懸かっているのは命なのだ。しかも状況次第では、無関係の相手を巻き込む恐れがある。これで普段通りにしろという方が無茶な注文だろう。
家を出る際も、小町にいつもの如く茶化されたが、上手く冗談で返すことが出来ずに心配されたりした。
これでは駄目だ。平常心を取り戻せ。
エレベーターが止まる。
下りていくつか並んだドアの一つの前に立ち、インターホンを押すとさほど待つこともなくドアが開いた。
「よう」
「……入って」
出迎えに来た雪ノ下に軽く挨拶し、部屋に上がる。リビングでは由比ヶ浜がソファでくつろいでいた。
「あ、やっはろー、ヒッキー!」
普段と変わらぬ声と笑顔。
「よう。今日も元気だな、由比ヶ浜は」
「うん!沈んでても何にもなんないもん。ヒッキーは今日も目が死んでるね」
「うっせ、ほっとけ」
いつも通りの会話。だがお互いにどこかぎこちなさを感じる。
唐突に訪れた非日常に、由比ヶ浜とて動揺しているのだろう。それでも普段通りに振る舞おうとしてくれてる。
そんな由比ヶ浜に、俺も雪ノ下も何度となく助けられてきた。だが今回ばかりは由比ヶ浜に頼り過ぎるわけにはいかない。
「比企谷くん、メディアさんは?」
「居るぞ。メディア」
「はい」
短い返事とともに、メディアが虚空から姿を現す。雪ノ下と由比ヶ浜が揃って息を飲んだ。
「……ホントに人間じゃないんだ」
由比ヶ浜がどこか感心したような声を漏らす。
「……それじゃあ早速始めましょうか。みんな、紅茶でいいかしら?」
雪ノ下の言葉に全員が頷いた。
「まず、サーヴァントは七人。セイバー、ランサー、アーチャー、ライダー、アサシン、キャスター、バーサーカーのクラスが一人ずつになるそうだ。同じクラスのサーヴァントが二人、という事態は有り得ないらしい」
昨日、家に帰ってからさらに詳しく聞き出したことを二人に説明する。
「サーヴァントは元々持っている能力に加えて、各クラス毎にボーナスのようなものが与えられるそうだ。キャスターだと『陣地作成』だったか?」
俺の言葉にメディアが頷く。
「それはどういった能力なの?」
「任意の土地に自分に有利な領域を設置することができます。戦闘に不向きなキャスターのクラスは、ここで待ち構えるのが基本的な戦術になります」
雪ノ下の質問に、メディアが抑揚のない声で答える。俺はそれにさらに付け足した。
「ゲームっぽく説明すると、そこに居る限り自分のパラメーターアップ、HPMP回復、特殊能力付加、敵の場合は逆にパラメーターダウンとかそんなところか」
「……比企谷くん、これはゲームではないのだけれど」
「いや、説明聞く限りだと色々ゲームっぽいんだ、これが。俺としては理解しやすくてありがたい」
雪ノ下はふむ、と頷く。
「他のクラスにはどんな能力があるの?」
「アサシンが『気配遮断』。文字通り、気配を完全に消すことができるらしい。これを使われると魔術でも機械でも発見することは不可能だそうだ。バーサーカーは『狂化』。理性を失う代わりに全ての能力が上昇するらしい。三つは覚えたんだが……」
「覚えきれなかったの?理解しやすいという言葉はどこへ行ったのかしら。ああ、ごめんなさい。どんなにデータを圧縮したところで容量自体が皆無では何の意味もなかったわね」
「うるせぇな……。途中で割り込むんじゃねえよ。説明くらい黙って最後まで聞けねえのか」
「あなたがちんたら喋っているからでしょう?言葉をいくら重ねたところでそこに含まれる意味がスカスカでは情報量が多いとは言えないのよ。そんなことも分からないの?」
「ああ?今の説明のどこら辺に無駄があったってんだ、言ってみろオイ」
「ちょっ、やめようよ二人とも!」
ヒートアップする俺と雪ノ下に、由比ヶ浜が割って入る。
「……ごめんなさい」
「……いや」
駄目だ。本気で余裕がなくなってるらしい。普段ならこのくらい軽く流せる筈なんだが。
止めてくれた由比ヶ浜をじっと見つめる。
「ど、どしたのヒッキー?」
「……いや、助かった。ありがとな」
「へっ!?う、ううん!なんでもないよこんなの!」
そうは言うが、由比ヶ浜の存在は正直でかい。
俺が辛うじて平静を保っていられるのは、彼女のおかげと言っても大袈裟ではないだろう。それはおそらく、雪ノ下にとっても変わらない筈だ。
気を取り直して再開する。
「続けるか」
「そうね。各クラス毎に一つずつ特典がある、という解釈で良いのかしら?」
「いや、それが他の四つだとボーナスが複数あるらしいんだよ」
「え!なにそれズルい!」
まったくだ。
「そのせいで覚えきれなくてな。メディア、頼む」
俺の言葉にメディアが頷いて後を継ぐ。
「他のクラスは主に戦闘力を底上げするタイプのアビリティが与えられます。特にセイバー、ランサー、アーチャーのクラスは三騎士と呼ばれ、対魔力のアビリティを獲得できる強力なクラスとされています」
「対魔力?」
由比ヶ浜が首を傾げる。
「いわゆるレジスト能力ってやつだな。ファンタジーじゃ割とお馴染みの言葉だ。魔術の効果を半減したり無効化したり、だろ?」
「はい。中でもセイバーのクラスは最高の対魔力が与えられ、魔術による攻撃はほぼ全く通用しません。パラメーターも総合的に高く、全クラス中で最強とも言われています。キャスターの私にとっては天敵と言っていいでしょう」
「魔術が通用しない…。マスターのほぼ全員が魔術師であることを考えると破格とも言える能力ね。最強というのも頷けるわ」
「まあ俺には関係ないけどな。そもそも魔術使えないし」
「比企谷くん。他の人とのハンディが消えただけではあなたがハズレだという事実は覆らないわよ」
「そうだな。セイバー以外には結局俺一人だけ不利なままだしな、ってやかましいわ」
雪ノ下に突っ込んでから先を続ける。
「問題は他にもあってな、つーかこっちのが重要なんだが……」
「問題?」
「実はな……ウチのメディアなんだが、弱体化してるらしいんだよ」
「どういうこと?」
雪ノ下の疑問に頭を掻きながら答える。
「サーヴァントはマスターから令呪を通して魔力を受け取ってるって話だったろ?つまりマスターの魔力が大きいほどサーヴァントも全力に近い状態で戦えるわけなんだが……」
「つまり比企谷くんが無能なせいでメディアさんは力を発揮出来ないと」
「人を傷付ける事だけを目的とした事実確認はやめてくれる?これ前にも言ったよな?」
ジト目で雪ノ下を睨む。が、事実なのでそこまでだ。
そんな俺達を無視してメディアが説明を続けた。サーヴァントにシカトされるマスターって俺だけなんじゃないだろうか。
「魔術の素養は魔術回路という、通常の神経の裏側に存在する、普通ならば使われることのない隠れた神経の数によって決定します。マスターの場合、この魔術回路がほぼ全く存在しません」
「そのせいでメディアは全盛期から外れた年齢で召喚されて、能力自体も大きく低減しちまってるそうだ」
「メディアさんってホントは歳違うんだ。てか結局ヒッキーが足引っ張ってんじゃん」
「ほっとけ、つーかどうしようもねえだろそんなもん。生まれつきのものなんだから。金髪に産まれてこなかったのが悪いとか言われてんのと変わんねえぞ」
いやもうホント、目が腐ってるとか言われてもどうすりゃいいんだよそんなもん。心根の問題ですか?じゃあ俺が悪いか。
「まあとにかく、無い物ねだりしてもしょうがねえ。この戦力で生き残る方法を考える」
雪ノ下と由比ヶ浜が頷く。
「……そうね。そうなると最も警戒しなければならない相手は……」
「アサシンだ」
俺の言葉に他の三人が動きを止める。
『何言ってんだこいつ』
目がそう言っていた。
何これデジャヴ?中一の時の白井さんグループの表情にそっくりなんですけど。
「比企谷くんどういうこと?どう考えてもセイバーの方が相性が悪いと思うのだけれど」
「そうだよヒッキー。メディアさんも自分で言ってたじゃん」
メディアも口には出さないが目で疑問を投げ掛けてくる。
「いいか、おそらく俺は全マスターの中で最弱だ。多分メディアもな。弱体化してなけりゃどうだったか分からんが」
メディアは少々不愉快そうな顔をしたが何も言わなかった。
「要するに誰と当たったところで不利なのは変わらない、つか正面からやりあったら多分負ける。なら俺達が生き残れるかは、一つしかないアドバンテージをどれだけ活かせるかで決まる」
「アドバンテージって何?」
「優位性。お前ホントに受験して総武校に入ったの?」
「そのくらい知ってるし!バカにしすぎだから!」
「それで、私たちの有利な点とは何なの?」
「敵に知られていないこと。メディアの話によると、マスターは基本先着順で選ばれるらしいんだが、期限までに七人揃わない場合は冬木市に居る人間の中から残りのマスターがランダムに選ばれるらしい」
「随分とはた迷惑ね……」
雪ノ下が顔をしかめる。
「で、その際も魔術師としての素養がある人間の中から選ばれるらしいんだが、今回俺が選ばれたのは完全なイレギュラーなんだそうだ」
「……なんかすごいヒッキーらしいねそれ」
どういう意味だオイ。分かってんだから言うんじゃねえよ。『間違って選ばれし者』とか材木座だって羨ましがらねえぞ。
「つまり、予め聖杯戦争に備えて情報収集していた奴であっても、俺がマスターになることはどうやっても予測出来ない。魔力も持ってないから令呪さえ隠し通せばマスターとばれることはないだろう」
「……なるほど。つまり比企谷くんの戦略は」
雪ノ下は俺の考えに気付いたらしい。
「ああ。戦っても勝てない。ならば初めから戦わない。名付けて『漁夫の利作戦』。他のマスターが全滅するまで隠れ通す」
「うっわー……。なんていうか……ヒッキー、生きてて恥ずかしくならない?」
「バカ言え。これが一番安全かつ確実な戦法なんだよ。大体昨日も言ったように俺は聖杯なんか要らねえんだよ。そんなもんの為に殺し合いとか馬鹿げてんだろうが。俺と関係ないとこで勝手にやってろっての」
由比ヶ浜は俺の言葉に考え込むような素振りを見せた。そして一つ頷くと口を開いた。
「……うん、そだね。わざわざ自分から危ないことすることないもんね」
どうやら同意を得られたらしい。それは雪ノ下も同じなようだ。
メディアもやや不満気にしてはいたが、積極的に反対するつもりはないらしい。
「そうなるとこれまで以上に情報が重要になってくるけど……。なるほど、それでアサシンなのね?」
雪ノ下の言葉に頷いて答える。そう、それがセイバーよりもアサシンを警戒する理由だ。
「実際にどんな奴なのかは分からんが、クラスの特性を考えるとアサシンはどう考えても情報戦に特化したサーヴァントだ。何時の間にか身元がばれて、気が付いたらグサリ、なんてことにもなりかねない」
由比ヶ浜が息を飲む。
雪ノ下も緊張を含んだ声で続けてきた。
「それで、何か考えはあるの?」
「ああ、一応な。それで雪ノ下にいくつか頼みたいことがあるんだが……その前に、メディア」
俺は、これまでずっと黙って成り行きを見守っていたメディアに声をかけた。
「マスターならサーヴァントは見ただけで分かるって話だったが、それって誤魔化す方法とかあるか?」
「通常なら不可能ですがそのような能力も存在します。私にも可能です」
「そいつは重畳。もう一つ聞くが、催眠術みたいなの使って人の記憶を操ったりは?」
「暗示は魔術の初歩です。魔力に耐性の無い人間の意識を操るのは容易いでしょう」
「うし。なら決まりだな」
満足そうに頷く俺を、雪ノ下が訝しげに見る。
「比企谷くん、何をするつもり?」
「大したこっちゃねえよ。用意して欲しい物ってのはな……」