鋼の刃がふわり、と舞う。
つい先ほどまで目の前の男が持っていた物で、どうもバネ仕掛けで射出できるらしい変わったナイフの刃だ。
「さて、と」
その、柄の失われたナイフを顔の横でピタリと止め、男の太股目掛けて打ち出す。
「ぐっ!」
短い苦鳴と共に鮮血が噴き出す。
予想よりもずっと多い出血に、慌てて刃を引き抜いた。
刃を顔の前に引き寄せて観察する。
真っ直ぐな両刃のナイフで、真ん中が肉抜きされてスリットのような細長い空洞がある。
ただの軽量化のためだと思っていたのだが、これがストローの役目を果たして刺した相手に出血を強いるらしい。なるほど、よく考えられている。
「でも、今は邪魔ね」
呟いてパチンと指をならす。
魔力が変質してナイフの肉抜き部分を塞ぎ、一枚の鋼の板に変える。出血が多いとすぐに死んでしまうし、汚れるのも困る。
同時に男の傷口を塞いで出血を止め、ついでにその全身を軽くスキャンする。うん、やっぱり。どうりで反応が薄いと思った。
わたしは男の脚に触れた。本当なら胸とか首の方が様になるところだけど、身長差がある上に宙吊りにしているため届かないのだ。ともあれ、そこから魔力を流し込む。
「ぐあぁぁぁぁっ!?」
途端、男がみっともなく悲鳴を上げる。
「テ……メェ、何しやがった……!?」
「大したことじゃないわよ。あなたにかかっていた魔術を解除しただけ。痛覚を遮断していたんでしょう?腕が砕けてるのに平気そうだったものね」
図星を突かれ、男がヒクリと顔を痙攣させる。いや、これから起こることを想像してか?
わたしは気にせずもう一度ナイフを打ち込む。さっきは左脚だったから、今度は右だ。
「ぐわあぁぁぁ!?」
うん、いい声。こうでなくちゃ。
今度は血が噴き出したりはしない。刃が蓋になって傷口を塞いでいる。柄の無いナイフは尚も肉を抉って沈み続け、男の脚に完全に埋没し、反対側から飛び出す。
「あ……が……?」
男は痛みに喘ぎながらも不思議そうな顔をする。どうやら気付いたらしい。
男の脚、刃が通り抜けた部分は血で汚れていたが、怪我そのものは既に無い。わたしが治療したのだ。当たり前だが善意などではない。
「ねえ、知ってる?治癒の魔術っていうのはね、拷問にも使えるのよ?」
身体の真ん中をナイフが貫く。
溝尾の辺りに突き刺さった刃は体内で回転し、臓腑をメチャメチャに掻き回しつつ背骨を砕いて背中から飛び出る。
そしてその頃には身体は元通り。衣服と皮膚の表面を紅く汚すのみ。後は男が吐血するくらいか。
心臓を抉り、耳を削ぎ、肺を潰し、眼球を貫き、腸を引き出し、手足を裂き。
そんなことを何十回と繰り返し、男にはもはや血で染まっていないところなど残っていないような有り様。
常に再生させながら壊しているため怪我の類いは無いが、段々反応が鈍ってきている。今ではぐったりして悲鳴も出なくなってしまった。
「ねえ、何かしゃべってよ。退屈になってきちゃったわ」
言葉と共に男の身体を吊り下げている右腕に刃を打ち込む。が、男は小さく震えただけで声すら上げなかった。
つまらない。そろそろ終わりにしようか。
ため息を一つ吐いて歩み寄る。
特に意味の無い行動だ。気分を変えるために少し観察しよう。その程度のことだったのだが、近付いたことで『それ』に気付いた。
思わず吹き出す。
「プッ……!アハハハハハッ!汚ったない!お漏らししてる!」
股間の湿り気からは、既に温度が失われているように見える。つい今しがた、というわけではなさそうだ。もっと前にあって、ただわたしが気が付かなかっただけだろう。
勿体ないことをしてしまった。が、それでもわたしは気を良くし、上機嫌で男へと語りかけた。
「ねえ、どんな気分?女の子にいじめられておしっこ漏らすのって。恥っずかしいね~?もしかして死んじゃいたい?」
ちゃんと表情が見たい。
下に潜り込むようにして顔を見上げると、唇が小さく動いているのが見えた。
「………う………て……い……」
「ん?なになに?ちゃんと聞こえるように言ってくれないと分かんないよ?」
そう言ってやると、わずかではあったが声量が上がった。
わたしの方も耳に意識を集中していたため、そのかすれた声をどうにか拾うことができた。
「……もう……許し……さい……」
どうやらギブアップらしい。
「えー?せっかくまた面白くなりそうだったのにー」
でもまあ仕方ないか。とっくに泣いてたし、考えてやってもいいだろう。
「それじゃあねえ、ちゃんとゴメンなさいしてお願い出来たら許してあげるかもしれないよ?」
わたしの言葉に男がピクリと反応を示す。
「……ほん……とに……?」
「うん、ホントよ?それが出来たらちゃんと考えてあげるわ」
わたしやっさしー♪こいつなんか泣いて喜んでるし。泣いてるのはずっとだけど。
男はほんの少しだけ気の緩んだ様子を見せて口を開く。
「……すみま、ああああぁぁぁぁっ!?」
そしてセリフの途中で絶叫する。肘の辺りに突き刺さっていたナイフを、一気に肩口まで引き下ろしたためだろう。
「すみま、何?」
わたしはニコニコと続きを待つ。無論、その間もナイフの抜き刺しは忘れない。むしろ今までにないペースで何度も何度も男の身体を貫く。
「いまっ、までっ、なっ、まいっ、きっ、たいっ、どっ、ってっ、もうっ、しっ、わけっ、あっ、りまっ、せんっ、でしっ、たっ!」
ビクビクと小さく痙攣を繰り返す男を見て、わたしはこれまでにないほど気分が高揚しているのを感じていた。
「……うん、ゴメンなさいは出来たわね。それから?」
「だっ!?」
男が何かを言おうとして、止まる。それはそうだろう。気道が完全に塞がっていては声など出しようがない。
向かって左側から男の首に突き刺さったナイフは、気道と頸動脈を含む首の大部分を塞ぎつつ、たっぷり十数秒以上をかけて反対側へと突き抜ける。
当然すぐさま組織は再生を果たし、後にはわずかな血の滴が残るのみ。
代わりというわけではないだろうが、男はごぽりという音と共に、泡の混じった血を吐き出した。
わたしはそれを避けずに受け、左の頬に男の体温を感じながら続きを促す。
「それから?」
「……だず……げで……」
男は顔のいろんなところから、いろんな体液を流しながらそう懇願した。
うん。
この子は頑張った。
本当に頑張った。
だからわたしも、とびきりの笑顔で応えてあげよう。
そう心に決めて、彼に花が綻ぶような笑顔を向ける。
そうして、その言葉を口にした。
「ダーメ☆」
考える、とは言ったが許すとは言ってない。
そしてまた、宴が再開される。
どしゃり
右腕の拘束が解けると共に、声もなく崩れ落ちる男。
うつ伏せに倒れたまま、もはやピクリとも動かない。しかしわたしはまだ満足していない。すっかり火が着いてしまった。
「起きなさい。気を失う許可なんて出してないわよ」
髪を掴んで引き起こしてやろう。そう思って近付いた。その時だった。
ズンッ!
「!?」
腹の底を突き上げるような衝撃。そして、
「ぐあぁぁぁっ!?」
久方ぶりの、男の悲鳴。
ふと気付けば自分のすぐ隣、それこそ触れるかどうかというほどの傍に、バーサーカーがいた。
何が起きたか分からず、バーサーカーを上から下まで眺め、気付く。
バーサーカーが、男の右腕を踏み潰していた。
「何のつもり!?下がりなさい!こんな命令は出してないわよ!」
バーサーカーは逆らうことなく離れる。
なんだというのだ、一体。
せっかくの興奮に冷水をかけられた気分だ。
今までこんなことはなかった。バーサーカーはこれまで、わたしの指示にひたすら忠実に従ってきた。それが何故突然……。
「ぐ……あ……ぐぅぅ……!」
ともあれかがみこんで男の傷を診る。
出血が酷い、のでとりあえず魔術で止血する。死ぬのは別に構わないが、それはもっと楽しんでからだ。
右腕は、肘から先が完全に潰れていた。
バーサーカーの巨体に踏み潰されたのだから当然だろう。比喩ではなく、文字通りのぺしゃんこだ。
「?」
バーサーカーの足跡に残った、血と潰れた肉の混合物に紛れて、異質な何かが微かに輝くのが見えた。
紫色の金属。土に埋もれかけてはいるが、破損はしていない。それは……
「『
思わず飛び退く。
『
かの裏切りの魔女が所持していたとされる、ありとあらゆる契約を破壊する裏切りの魔剣。
(何故そんな物がここに!?)
いや待て。キャスターの正体は当の裏切りの魔女メディアだ。そのマスターが彼女の宝具を持っていたとしても不思議ではない。
問題は、それが何故今のタイミングで出てきたかだ。
遠巻きに観察する。
かの魔剣は、バーサーカーに踏み潰されて尚壊れてはおらず、男の血と肉片で汚れているだけだ。
元は手の部分であっただろう肉が柄にまとわりついていて、何かのどさくさで投げ出されたのではなく、男が手で握っていたのが伺える。そしてその切っ先は――
思わず息を呑む。
その刃の先端の、わずか数㎝先に小さな足跡がある。
言うまでもない。わたしのものだ。これが何を意味するか。
(あとちょっとで、刺されてた?)
まったく気が付かなかった。
無論、足を刺されたところで大したことはない。
普通の人間にとってはそれなりに大事かもしれないが、わたしは魔術師だ。すぐに治療すればいい。が。
『
魔術的な契約を全て無効化してしまうという、一見地味だが恐ろしく凶悪な宝具だ。下手をすれば、バーサーカーの支配権を令呪ごと奪われていた可能性もある。
そうなっていたら、わたしではバーサーカーに勝ち目は無い。
(負けていた?あと一歩で……バーサーカーの機転が無ければ負けていた!)
油断した隙を突かれた。
そう言ってしまえばそれだけだが、仕方ないではないか。悲鳴も上げられないほど衰弱している相手から反撃がくるなど誰が考える。――いや待て、悲鳴だと?
(衰弱――してた筈、よね?)
体感時間で約一時間。
男が反応を見せなくなってから、それだけの間切り刻み続けた。それに飽きたからこそ、新しい刺激を求めて拘束を解いたのだ。
しかしこいつは、バーサーカーに腕を踏み潰されて『悲鳴を上げた』。そんな力など残ってない筈なのに。
男の身体をもう一度スキャンする。今度は簡単にではない。可能な限り精密にだ。
「これって……!?」
男の背中にナイフを突き立てる。
「ぐっ……そ……!」
反応が鈍い。が、その声には失われた筈の力が戻っている。それを聞いて確信した。
「あんた……痛覚を『殺し』てるわね!?」
痛みを感じる神経そのものを破壊してある。魔術による痛覚の遮断は、それを隠すためのカモフラージュ。
「……正確には現在進行形で『死んでいってる』だ。完全にゼロになっちまうと反応が鈍るからな」
「信じられない……!」
これではもう、魔術でも回復は望めない。
感覚や感情というものは、必要だから存在しているのだ。
初めから持っていないのならともかく、失ってしまえば全体のバランスを保つことはできない。例えそれが、どんなに余分なものに思えたとしてもだ。
一時的に遮断するくらいならともかく、完全に殺してしまえば、いずれ五感の全てが引きずられるように壊死してしまう。
こいつはそれを理解しているのか?
痛みを感じないのであれば、拷問にでも耐えられるかもしれない。
そうしてこちらの油断を誘い、隙を伺い、反撃の機会を待ち続けた。つまり――
(今までのは、全部演技……?)
最初からここまで。それでワンセットの
全身が粟立つ。
確かに効果的ではあるだろう。
事実、わたしはあと一歩で逆転を許すところだった。魔術師ですらない人の身で戦おうとするなら、そのくらいの覚悟が必要なのかもしれない。何より死ぬよりはマシだ。しかし――
(だからって、本当にやるか普通!?)
痛みを感じないとはいえ、他の感覚は健在なのだ。拷問の不快感は拭い切れるものではない。というか、軽減されているとはいえ痛みそのものも感じていた筈だ。
そこまでしても確実に勝てる確証など無く、勝ったとしても、待っているのは良くて半身不随の未来。
例え他に手が無かったとしてもこんな道を選び、あまつさえ成功の一歩手前までこぎ着けるというのは、どんな自制心があれば可能なのだ?
あり得ない。人間ではあり得ない。これではまるで……
「理性の……化け物……!」
無意識にそんな言葉が漏れた。
慎重に、慎重に近付く。今度はすぐ傍にバーサーカーを控えさせて。
さすがにこれ以上は無いとは思うが、もはや警戒を解く気にはなれない。
ゆっくりと歩を進め、その刃に触れないように気を着けながら魔剣を蹴飛ばし遠くへ追いやる。
これでひとまずは大丈夫。だろう。多分。
わたしは倒れたままの男に声をかけた。
「イリヤスフィール・フォン・アインツベルンよ」
「……あ?」
名乗るわたしにきょとんと返す男。その声は多少弱ってはいるものの、やはり衰弱してる様子は無い。
「わたしの名前。人に名前を聞く時は自分から名乗るのが礼儀なのよね?あなたのお名前、教えてくれる?」
「……今さらどうしたってんだ?」
「あなたに興味が出たの。名前を教えてくれたら殺さないでおいてあげるわよ?」
「……比企谷八幡だ。こんなもんで助かるならいくらでも名乗るけどな」
「ヒキガヤ、ハチマン――ハチマンね。ねえハチマン、わたしの物にならない?シロウと一緒に可愛がってあげるわよ?」
「……ロリ美少女からのお誘いとはオタ垂涎のシチュではあるんだろうがな、はっきり言って嫌な予感しかしねえ。生憎俺はシスコンであってロリコンじゃねえんだわ」
「わたしじゃ不満?」
「こちとら純情なオタク少年なんでな。平然と二股宣言するようなビッチはお断りなんだ」
「……前から思ってたけどハチマンって失礼よね。わたし、これでもあなたより歳上なんだけど?」
「は?」
わたしの言葉に唖然とするハチマンを見て、ちょっとだけ溜飲が下がる。この国じゃ一本取ったって言うんだっけ?
「ふふっ、やっと驚いてくれたわね?でも、フラれちゃったかぁ……」
わたしはハチマンの背中におもむろに手を当てる。
「何を……ぐ、ぎゃあぁぁぁぁっ!?」
今度こそ、演技ではない本物の悲鳴。
「テ……メェ……何を……!?」
「感覚を一時的に研ぎ澄ます術よ。こんなボロボロの神経に使ったらすぐに焼き切れちゃうだろうけど、どのみちすぐにダメになるんだし、構わないわよね?」
ヒクリと頬を痙攣させるハチマン。
「大丈夫、殺したりしないから。ハッキリそう約束しちゃったもの。知ってる?例えただの口約束だとしても、魔術師にとって契約は絶対なのよ?」
でも、と続ける。
「それはそれとして、女に恥をかかせた報いは受けるべきよね。そうは思わない?」
「……どうぞ、お手柔らかに……」
顔をヒクつかせながら、それでも笑みを浮かべてそう答えるハチマン。
それはきっと、精一杯の虚勢なのだろう。そんな彼が、途方もなく愛しい。
彼が痛覚を完全に失うまでの間、その最後の時を自分が独占するのだと思うと、どうしようもなく昂る。
思えばこれまで自分の周りには、異性というものが存在しなかった。キリツグやシロウといった家族を除けば、ハチマンこそが生まれて初めて触れあった男性といえる。
もしかしたら、この感情こそが初恋というものなのかもしれない。
そんなことを思いながら――――
そしてまたしても。
霧深いアインツベルンの森に、長い長い悲鳴が響き渡る。