「比企谷メディアと言います。皆さん、よろしくお願いします」
総武校の制服に身を包み、教室の壇上で明るい笑顔を振り撒く我がサーヴァントを見て――俺は頭を抱えた。
何あれ可愛い銀髪キレー彼氏いんのかな比企谷ってどっかで聞いたことないっけどこの国の娘なんか耳尖ってね?
そんなざわめきに混じって、いくつかの視線が俺に突き刺さる。
『何か関係あんの?』という、葉山を始めとした数人の目だ。
メディアは今朝になって用意された、一番後ろの窓際という主人公専用の特等席(しかも葉山の隣)に座らされていた。俺の隣よりはマシだが目立ちすぎる。
「よろしく、比企谷さん」という声が、それほど大きくないにも関わらずはっきりと聞こえて、思わず鳥肌が立つ。
この鳥肌の原因には、異様に鋭い三浦の姉御の眼光も含まれる。俺に向けられているわけでもないのに怖すぎる。
HRが終わってすぐに一限目の担当教師が入ってきた。メディアが質問攻めに遭うのは休み時間になってからだな。
一限目の授業が終わるとすぐさま教室の隅、メディアの席の周りに人だかりができた。
出身国は趣味は彼氏はと、チェーンガンの如く質問が繰り出される。ちょっと落ち着けよお前ら。聖徳太子だって十人同時に聞くことは出来ても、同時に答えるのは無理だろさすがに。
隣で巻き込まれていた葉山が、マネージャーよろしく皆の手綱を引いていた。あいつ英霊になったらライダーになんのかな。
「ヒッキタッニくん!」
机に頬杖をついて眺めていると、後ろ首に衝撃があった。
見れば金髪の男子が、肩を組むようにして馴れ馴れしく腕を回している。
バカだった。間違えた、戸部だった。
「……何だよいきなり」
鬱陶しいから離れろ。海老名さんに見られたらどうすんだ。
「なあなあヒキタニくん、メディアさんとどういう関係?」
「なんで俺が関係あると思うんだよ」
「だって名字一緒じゃん」
……こいつ俺の名字知ってたのか。じゃあちゃんと呼べよ。
「どういうって言われてもな……」
ぶっちゃけこの状況は想定外だった。
確かにメディアには、暗示を使って学校に通うように指示を出したが、それは隣のクラスに適当な名前で、という筈だったのだ。それが同じクラスというだけならまだしも同じ名字とは……。
「あいつに直接聞けよ」
さすがにただの偶然とは言えず丸投げする。
「おぉ!?あいつとかかなり親しげじゃん!やっぱ彼女とか?」
うぜぇ。なんで同じ名字で彼女になんだよ、意味わかんねぇぞ。ああ、そういやこいつ戸部だったっけ。違った、バカだったっけ。
「でも話聞こうにもあんだけ人が居るとなー。しばらくはムリっしょ、これ」
確かに。
ホントはメディアを問い詰めるつもりだったんだが、クラスで目立つ方の戸部でも断念する程となると俺にはもっと無理。
と思っていたら向こうから声をかけてきた。
「マスター」
教室が静まり返る。
…………何言ってくれちゃってんのこのバカ?
「……マスターはやめろ」
怒鳴りたくなるのをギリギリで自制してそう答える。一体何のつもりだこいつ。
「では……八幡様」
ざわ……!と、カイジのモブばりに教室がざわめく。
さらに戸部のバカに席から引き起こされてガクガクと揺さぶられる。
「ちょっとちょっとヒキタニくんどういうことよ!?この美少女とマジでどういう関係なわけ!?」
いや気持ちは分かるよ?
クラスメイトの冴えない男に突然親しげに接する美少女が現れたら俺だって混乱する。
でも頼む。考える時間をくれ。俺にも何が起きているのか分かってないんだ。
メディアを見ると、先ほどまでにこやかに笑っていたのに今は無表情。何それ意味深すぎる。
「あんさー、なんでヒキオのこと様付けで呼んでんの?」
大根乱妖精の乱舞する周囲を無視して、頼れる姉御が口を開いた。
それに対してメディアは、俺だけに分かるように薄く笑った。このアマ、面白がってやがる……!
はたして謎の銀髪美少女転校生の答えとは。
「私は八幡様の下僕ですから」
帰りてえ……。
あっという間に放課後。「ほうかご」と入力すると最初に放火後と出るのは何故だろう。
俺は昼休み同様逃げるように教室を抜け出し、部室へと退避していた。
「……随分お疲れのようね」
「ああ、ちょっとな……」
そんなに酷く見えるのだろうか。雪ノ下が皮肉を込めることすらせずに気遣う言葉をかけてきた。
今日一日はきつかった。文化祭直後がまだマシに思えたほどだ。
メディアはギリシャ産まれの遠い親戚ということになっていた。
下僕やら様付けやらは、日本語に慣れてないことからの勘違いということに落ち着いたのだが、それでも女子からは侮蔑と嫌悪、男子からは嫉妬と憎悪の視線を浴びせられてへとへとになっていた。
誤解だって言ってんのになんで態度変わんねえんだよあいつら。特に戸部、お前海老名さんが好きなんじゃなかったの?
件のメディアはというと、上位カーストにあっさりと溶け込んでいた。つうか猫の被りっぷりが半端じゃなかった。
ニコニコきらきらと笑顔を振り撒き、周りに合わせつつも自ら話の流れを誘導し、機知に富んだ話題で皆を驚かせたかと思えばユーモアに溢れた返しで笑いを誘う。
もはやクラスの中心だ。わずか半日で完全に葉山の立場を喰っていた。根暗女のくせしてなんつうコミュ力だ。
ちなみに俺の解釈では、明るさというのは態度や言葉使いではなく、生き方や考え方を指す言葉になる。芝村の末姫様がそう言ってた。
表面上どんなに明るく振る舞おうとも、心の中でナチュラルに他人を見下しているような、いわゆる(笑)が付くタイプのリア充は「根の暗い人間」ということだ。
つまりそれと正反対の生き方を貫く俺は、最高に明るくて超前向きな人間ということになる。違うか?違うな。
話が逸れたが、俺の見立てではメディアはクラスの連中を見下している。
他の奴らは気付いてないみたいだが、葉山達に混じって一緒に笑っている時の違和感が半端じゃない。怖すぎて失笑すら出来んかった。
「やっはろーゆきのん、ヒッキー!」
「やっはろーです」
今日のことを回想していると、由比ヶ浜がメディアを連れて部室に入ってきた。ところでその挨拶って伝染性かなんかなの?やだ怖い。
「こんにちは、由比ヶ浜さん、メディアさん。……メディアさんってショートヘアだったのね」
昨日まではフードで隠れていたからな。俺も少し驚いた。
なお、クラスの男子によると「活動的なショートヘアとお嬢様然とした言葉使いのギャップがそそる」だそうだ。
ついでに俺の近くに居る時だけに見せる「無口・無表情キャラバージョン(しかもやや怯えた風)」も人気があるっぽい。
あれはホントやめて欲しい。お蔭で針どころかグングニルのむしろだ。俺、学園長に逆らった覚えねえんだけどな。
「ねえねえゆきのん!メディアさんすごいんだよ!あっという間にクラスの人気者になっちゃった!」
「……そうなの?」
由比ヶ浜ではなく俺を見て言う雪ノ下。
そうなんです。凄いんですよウチの子。どのくらい凄いかというと、今後の方針に支障が出るレベル。……マジシャレんなんねえ。
「あまり目立たない方が良いと思うのだけれど……」
「……申し訳ありません。調子に乗りすぎました」
俺の疲れきった表情を見て、メディアが謝罪してくる。まあ表面だけだろうが。
「生徒達の印象を操作することも可能ですが」
「……いや、このまま行こう。噂はもう学年全体に飛び火してる。こんだけの数を記憶操作しちまうと、どうやっても不自然さの方が目立っちまうだろ」
ため息混じりに吐き出す。
「……まぁ、比企谷くんが被害を受けるだけなら良しとしましょう。過ぎたことよりこれからのことを考えましょう」
「オイ、さらっと俺をどうでもいい物扱いすんな」
「比企谷くん、話の腰を折らないで。メディアさん、この書類に記入してもらえるかしら」
「これは?」
「入部届けよ。関係者は一纏めにしておいた方がいいでしょう?」
メディアは少しだけ考える素振りを見せて、すぐに了承した。
言いなりになる必要は無いが、逆らう意味も無い、と言ったところか。ところで俺の存在がすげえナチュラルに無視されてるんですけど。……釈然としねえ。
メディアが入部届けを書き終え、雪ノ下がチェックする。
それを見届けてから口を開いた。
「んじゃ由比ヶ浜、メディアと一緒にこれ届けに行ってやってくれ」
「へ?あたし?別にいいけど、自分で行けばいいじゃん」
「……今どんな噂が流れてるかさっき話してたじゃねえか。何?俺にリンチに会ってこいつうの?」
「あ、そっか。それじゃヒッキーは行けないね」
「そゆこと。ついでにメディアに学校案内してやってくれ。確かまだ行ってなかっただろ」
由比ヶ浜とメディアがきゃいきゃいと騒がしく出ていく。これでしばらくは戻ってこないだろう。
俺はそれを見届けてから、雪ノ下に声をかけた。
「……メディアの伝説について、聞かせてくれ」
これは口に出して頼んだわけではない。本人が目の前に居たしな。だが雪ノ下なら言われる間でもなく調べているだろう。
雪ノ下は小さく頷いた。
魔女メディアの伝説。
彼女の名前が登場するのは、ギリシャ神話におけるアルゴー船遠征の物語の中でだ。
イオルコスの王子イアソンは、亡き父に替わって王位を継いだ叔父に、黒海の東に位置するコルキス国から至宝とされる金の羊毛を持ち帰るように命じられる。
これは、達成不可能な命令によってイアソンを亡き者にせんとする策謀でもあった。
女神アフロディテは困り果てたイアソンを見かね、息子のエロスに助力を命じた。
コルキスには魔術に長じた王女がいた。この王女こそがメディアである。
エロス、いわゆるキューピットとも呼ばれる彼がコルキスの王女を射抜くと、彼女はたちまちイアソンへの恋に落ちた。
メディアは国を裏切りイアソンを助け、弟を人質に取って逃亡した。
追ってきた父の目の前で弟を殺害し、更にはバラバラにして海にばら蒔き、父が泣きながら遺体をかき集めている隙に逃げ切ることに成功した。
イオルコスに辿り着くと、イアソンに王位を譲ろうとしない叔父を「魔術で若返らせてやる」と騙し、娘の手で殺させてしまった。
メディアとイアソンは、互いの故郷を捨ててコリントスという国で生活を始める。
しかしコリントスの王が娘婿にイアソンを欲し、イアソンも財宝と権力に惹かれて承諾してしまう。
嫉妬に駆られたメディアは、親友でもあったコリントスの王女を、その父もろとも焼き殺してしまった。
更には自分とイアソンとの間に産まれた二人の息子をも手にかけ、全てを失い嘆き悲しむイアソンを残し、何処かへと姿を消した。
「そんな彼女に付けられた呼び名が、『裏切りの魔女』よ」
そう締めくくった雪ノ下に、俺はげんなりと漏らした。
「なんつうか……何の救いも無い話だな」
「神話や伝説なんてそんな物でしょう」
なんか戦いのヒントになる情報でもあるかと思ったけど、不安が増しただけだな。
と、そこで思い出したが雪ノ下には他にも色々頼み事をしてあった。
とりあえずは、
「そういや制服ありがとな。助かったわ」
「別に構わないわよ、そのくらいは」
メディアが着ている制服は雪ノ下の物だ。
由比ヶ浜ではなく雪ノ下に頼んだ理由は……ある一部分のサイズだということは黙っておこう。
「戸籍と転入手続きの方は?」
「私個人ではさすがに無理ね。家の力を借りればどうにかなると思うけれど?」
「いや、そこまでやると却って不自然さが目立つかもしれん。メディアの暗示で誤魔化そう。例の物は?」
「明日には届くわ。それと昇降口と部室の合鍵。……姉さんに借りを作ってしまったわ。あんな物、役に立つの?」
「さあな、気休めでも無いよりはマシだろ。つうか頼んどいてなんだけど、なんであっさり用意出来んだよ陽乃さん……」
さて、明日から色々しなきゃならないな。しかも目立たないように。めんどくさいけど手を抜くわけにもいかん。
頭の中で段取りを考えていると、雪ノ下が戸惑うように口を開いた。
「それにしてもメディアさん、一体どういうつもりなのかしら。あんな行動を取っていれば自分が不利になることくらい分かっているでしょうに」
「別に構わないと思ってるんだろ」
「どういうこと?」
「あいつもマスターが俺じゃ勝ち目が無いと思ってるんだろうな」
「自棄になっているということ?」
首を振って否定する。
「聖杯戦争ではな、マスターにしろサーヴァントにしろ、パートナーには替えが効くんだそうだ。どっちかが死んでも再契約して敗者復活が可能なんだと。だからサーヴァントを倒してマスターが生き残っていた場合、『念のため』に殺しておくのが通例なんだとよ」
息を飲む雪ノ下。それに取り合わずに続ける。
「メディアはその辺のルールを利用するつもりなんだろうな。俺を他のマスターに殺させて、もっと優秀なマスターに鞍替えするつもりなんだろう」
「……比企谷くん、四月くらいまで海外留学するつもりはない?母に頭を下げれば、そのくらいなんとかなると思うわ」
つまり、聖杯戦争から逃げろということだ。
俺は首を横に振った。
「それをやると、多分メディアに殺される」
「……!?」
絶句する雪ノ下。雪ノ下と由比ヶ浜も巻き添えになるだろう、ってのは口に出さなくて正解だったな。
雪ノ下はどうにか言葉を絞り出す。
「で……でも、令呪は?それが有る限り自分のマスターには手出し出来ない筈でしょう?」
「それは信用し過ぎない方がいいな」
雪ノ下は顎に手を当てて考え込む。メディアから説明を受けた時のことを思い出しているのだろう。
「……そうか、令呪の説明があったのは比企谷くんが令呪を使う前だったわね。あの時ならまだメディアさんも嘘を吐ける」
「いや、あの説明自体は多分本当だと思うぞ?嘘なんか吐かなくたって騙すことはできる。おそらくメディアには、令呪の縛りをすり抜ける手があるんだ。ルール的な抜け道なのか、令呪の制約自体を無効化できる裏技なのかは分からんが」
「どうしてそう思うの?」
「あの説明の時、あいつロボットのふりしてただろ。質問されたことにただ答えるだけって。にも関わらず令呪の説明の時だけやたら饒舌だった。聞かれてないことまでべらべら喋ってな。俺達に『令呪が有る限り自分は裏切れない』って思わせたかったんだろうな」
雪ノ下は再び考え込んでしまう。俺の推論の否定材料を探しているのだろう。いや、俺もできれば間違ってて欲しいが。
「……それなら、比企谷くんは既に殺されていないとおかしくない?わざわざ他のマスターを誘い出す意味がわからないわ」
「魔術師自体の数が少ないんだろ。実在してるにも関わらず、それに関する情報はほぼ完全に秘匿されてる。噂レベルを除けばだけどな。ある程度以上の人数が居た場合、どうやっても情報は漏れる。つまり、情報を隠匿出来る程度の規模しかないってことだ」
話ながら考えを纏める。
「サーヴァントがマスターを失ってから活動可能な時間は、一部の例外を除けば一日程らしい。その間にフリーの魔術師を見付けるのは無理だと考えたんだろうな。その点、マスターならほぼ確実に魔術師だ。敵のサーヴァントを倒し、俺を敵のマスターに殺させて再契約、ってのがメディアにとって最良のシナリオだろうな」
「で、でも、そんなに上手く行くとは思えないわ。比企谷くんが殺されるだけの可能性の方が高いじゃない」
「それでもいいんだろ。その場合はそこらのパンピー操って『繋ぎ』に使えばいいんだから」
今それをやらないのは、メディアが俺達を憎んでいるからだろう。
召喚したあの日に、俺達はメディアの願いを強引に聞き出した。おそらくそれがメディアのプライドを傷付けたのだ。
雪ノ下から聞いた伝説からも想像できるように、メディアはひどく陰湿で執念深い女だ。俺達を殺す前に出来る限り苦しめようとするだろう。そのお蔭でまだ死なずにすんでいるのだから皮肉なものだ。
うむ。我ながら一分の隙も無い完璧な推論。わあ泣きたい。
「いいか、雪ノ下。メディアが行動を起こさないのは俺達を軽視しているからだ。普段通りに行動していれば、少なくともしばらくは大丈夫だ。出し抜こうとするな。相手は伝説にまで名前を残す魔女だ。上を行けるなんて考えるなよ」
少しきつめに言っておく。
雪ノ下は、ゴクリと喉を鳴らして頷いた。
釘は刺した。後はメディアが飽きる前に俺の利用価値を認めさせなければならない。それ以外にも問題は山積みだ。
……実を言えば、安全にリタイアする方法は、一つ思い付いてはいる。
ただ、できればこれはやりたくない。
上手く行く保証も無いし、しくじったらそれでアウトだ。なにより後味が悪すぎる。
雪ノ下と由比ヶ浜の安全を考えれば、これが一番だとは思うんだが……
「たっだいまー!」
思索に耽っていると、由比ヶ浜が元気よく帰ってきた。もちろんメディアも一緒だ。
「お帰りなさい、由比ヶ浜さん、メディアさん」
「うん!入部届け、ちゃんと平塚先生に渡してきたよ」
「ありがとう、由比ヶ浜さん。ではメディアさん」
雪ノ下はメディアに向き直り、一度言葉を切った。
「ようこそ奉仕部へ。あなたを歓迎するわ」
普段通りの態度で、かつて俺に向けた言葉をメディアに投げ掛ける雪ノ下。
だが、机の下に隠した手が微かに震えているのを、俺は見逃さなかった。