Fate/betrayal   作:まーぼう

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第56話

 深夜、俺と遠坂はそれぞれのサーヴァントと共に、ある相手と会うために歩いていた。

 この冬木も近代化が進んできたとは言え、まだまだ都会と呼ぶには及ばない。加えて最近は通り魔事件やら謎の意識障害やらが頻発していて、このくらいの時間になると人通りはほぼ完全に無くなる。

 そんな人気の無い海浜公園。

 時期が時期だけに虫の音すらもしないそこに、その二人は立っていた。

 

「時間ピッタリだな」

「こういうのは早くても遅くてもNG。当然でしょ」

 

 その二人の片割れ、男の方の言葉に遠坂が強気な笑みで応える。

 待ち合わせの相手である男女。彼等はキャスターのサーヴァントとそのマスターだ。

 遠坂の話では男の方がマスターだったはず。その前情報の通り、女の格好はフードの付いた闇色のローブという、いかにも魔術師然とした出で立ちだった。

 対して黒いジーンズに黒いジャケットという、色以外はごく普通の格好をした男ーー比企谷という名だったはずだーーが口を開く。

 

「んじゃ、早速だが話を聞かせてくれ。雪ノ下の姿を見たってのはマジなのか?」

「ええ。もっともわたしが直接見たわけじゃないんだけどね」

「目撃者がいる?」

「そ。ただ、そいつの話をする前……に!」

 

 遠坂が言葉を切ると同時、魔力が白い光となって地面を迸る。間を置かずに薄明かるい光の壁が立ち上ぼり周囲を取り囲んだ。

 

「遠坂!?」

 

 俺は慌てて叫んだ。

 これは遠坂が昼間細工を施したキャスターの結界だ。範囲をこちらの有利なフィールドに絞り、こちらの意思で起動できるようにしておいたのだ。

 確かに相手が敵対的な素振りを見せればすぐにでも使うつもりだったし、そうなる可能性は高いと予想していた。しかしこれではこっちの方が宣戦布告しているようなものではないか。事実、比企谷は表情を消して暗い眼差しを向けている。

 

「何の真似だ?」

「そっちがそれを言う?」

 

 遠坂が答えると同時、突然アーチャーが腕を振るった。アーチャーがいつの間にか持っていた短剣が、視認すら困難な速度で飛ぶ。短剣は真っ直ぐに比企谷に向かいーー突き刺さる直前で動きを止めた。

 アーチャーの攻撃はキャスターが防いだ。投げつけられた短剣を『手で掴んで』。

 それを見た遠坂が不機嫌に言い放った。

 

「それのどこがキャスターなわけ?」

「……バレてたか」

 

 比企谷が苦笑いを浮かべる。キャスターが短剣を握り潰しすと同時、まるでノイズがかかったようにローブ姿が揺らぎ、スーツの女性に切り替わる。

 見覚えの無い相手だった。しかし俺たちには、その女性について心当たりがある。

 

「ランサーのマスター……!」

「そこまで知ってんのか。やっぱ敵だな、お前ら」

 

 比企谷はあっさり認めると後ろに退がった。同時に、確かバゼットという名だったはずのランサーのマスターが、比企谷を守るように前に出る。

 どうやらと言うべきか、それともやはりと言うべきか、キャスターとランサーは共闘していたらしい。となると件の黄金のサーヴァントも、やはり奴らの仲間なのだろう。

 

「お前ら、一体何を企んでる……!」

「んなもん聞かれて答える奴が居るか」

「大人しく答えた方が身のためよ」

 

 言い捨てる比企谷に、遠坂が感情を殺した声で忠告した。

 

「結界は範囲を絞った分だけ強度が増してるわ。あんたらのお仲間がどのくらいの力を持ってるのかは知らないけど、そうそう簡単に破れる代物じゃないはずよ」

 

 遠坂の指摘に比企谷の瞼がピクリと動いた。

 

「そっちは逃げることも援軍を呼ぶこともできない。仮に令呪を使ってサーヴァントを呼んだところで地形の分だけこちらが有利。あんた達に勝ち目なんて無いわ」

 

 わずかに戸惑うような素振りを見せた比企谷に、遠坂は告げる。

 

「ま、わたし達も鬼じゃないわ。この場で戦力を放棄するなら痛い思いはしなくて済むわよ。十秒あげるからどうするか決めなさい」

「……参ったな」

 

 比企谷は頭の後ろをボリボリと掻くと、小さく何事かを呟く。

 

「どうも嵌められたっぽいな。かと言って話し合いが通じる雰囲気でもないし、結局やり合うしかねえか……」

「……最後だけ聞こえたけど、要するに降参は無しって意味よね?」

 

 ボソボソとした声でよく聞こえなかったけど、確かにそう言った。俺は無駄かもしれないと思いつつ、もう一度比企谷に降参を促す。

 

「大人しく降参しろ。どんな仕掛けを仕込んでいたのか知らないけど、キャスターの結界を逆利用された時点で計画通りには行かないだろ」

「忠告ありがとよ。心配してくれなくてもここで戦うのは予定通りなんだ。予想とはちょっと違ったがな」

「は?」

 

 軽い調子の比企谷の返事に、つい間抜けな声が漏れる。予定通りだって?

 比企谷が右手を持ち上げ指を鳴らす。すると遠坂が起動した結界に重なるように、光の壁がもう一枚立ち上った。

 

「結界がもう一つ!?」

「お前らが見付けたのはデコイのつもりだったんだよ。解除されるもんだと思ってたんだけどな」

 

 それじゃあ本当にここで戦うつもりだったのか?伏兵は?アーチャー対策は?

 この場所は公園内の川沿いの通路が広くなっただけの、ちょっとした広場でしかない。

 置いてあるのはベンチが四つに自動販売機、それとくずかごのみ。すぐ横の森は結界の外だ。

 別に正確に区切ったわけでもないため少しは森を取り込んでしまっているが、それでも結界内にあるのは数本の木々と僅かな茂みのみ。人が身を隠すことは出来なくもないが、セイバーとアーチャーの目を欺くのは不可能だろう。

 

「アーチャー!セイバー!」

 

 いきなり遠坂が叫ぶ。それと同時に二人のサーヴァントが動いた。セイバーが正面から突っ込み、アーチャーは側面に回り込む。

 そうだ。相手が何を企んでいようと、今目の前にいるのはマスターであり人間でしかない。力付くで倒してしまえばそれで終わりだ。まずはとにかく無力化する……!

 

「覚悟!」

「させません」

 

 セイバーの進行をふさぐ形でバゼットが飛び出す。二人は衝突、する間際の数瞬に攻防を繰り広げ、やがてセイバーが弾き飛ばされた。

 

「チィッ!」

「セイバー!?」

 

 信じられない、セイバーが押し負けた。正面対決、それも相手は片手でだ。ランサーのマスターが強力だとは聞いていたがこれほどとは……!

 元の位置、俺の隣にまで押し戻されたセイバーを見ると、セイバーにはダメージを受けた様子は無かった。

 一方押し勝ったはずのバゼットは、目に見える怪我こそ無いものの額に汗を滲ませている。

 セイバーが負けたようにも思えたが、内実は逆だったらしい。心配はなさそうだ。

 それから僅かに遅れてアーチャーが矢を射った。

 標的は比企谷。角度からしてバゼットは手出し出来ない。それが無くても余力はなさそうだったが。

 

 アーチャーの矢は真っ直ぐに比企谷目掛けて飛びーー比企谷の拳によって叩き落とされた。

 

「何!?」

「はぁっ!?」

 

 アーチャーと遠坂から驚愕の声が飛ぶ。

 無理もない。バゼットについては既に遠坂から「サーヴァント並みの戦闘力を持つ魔術師」と聞いていた。だからその力を実際に目の当たりにしても、驚きこそすれ動揺はせずに済んだ。

 しかし比企谷は違う。

 事前の調べでも、また、遠坂とアーチャーが実際に会話して感じた気配でも、間違いなくただの素人だったはずだ。

 仮に、実は何かの格闘技の達人だったとしても、サーヴァントの攻撃など防げるはずがない。

 

「さて……と」

 

 比企谷が小さく呟く。それと同時、

 

 

 ポッ

 

 

 どこかから、そんな小さな音が聞こえた気がした。

 しかし当然ながらそんなことを気にしている場合ではない。比企谷がゆらりと左足を踏み出しながら口を開いた。

 

 

「お前ら、黒神ファントムって知ってる?」

 

 

 そんな言葉と、パァン!という破裂音を残して。

 

 比企谷が消えた。

 

 

 

 

「塵も積もれば、だったか」

「え?」

 

 前を歩くギルガメッシュが、突然そんな呟きを漏らした。

 

「この国にはそんな諺があったであろう。雪乃よ、貴様はこの言葉をどう思う?」

 

 いきなりどういうつもりなのだろうか。相変わらずこの男の考えは読めない。

 

「……嫌いではないわ。努力を積み重ねればいずれは高みに至る。良い言葉でしょう」

「ふむ、小物らしい考えだな。己に無い発想というのはそれだけで面白い」

 

 訝しみながらも答えると、まるで意外な答えをを聞いたかのようなリアクションを取る。……どうしてここまで自然に他人を見下せるのかしら。どういう育ち方をしてきたのか、逆に興味が湧くわね。

 ギルガメッシュは尚も続ける。どこか機嫌良さそうに見えるのは気のせいだろうか?

 

「よいか、雪乃。塵などという物は、風が吹けば飛び、獣が通れば飛び、虫が這いずれば飛ぶ。その矮小さ故に誰にも気付かれること無く降り積もることもあるが、それも人目に付く程に溜まれば誰かが簡単に片付けるだろう。分かるか?塵が山になるようなことは決して有り得んのだ」

 

 ギルガメッシュの言に私は黙る。黙るしかなかった。

 彼の言葉には、いつでもどこか重みがある。例え誰にでも言えるようなことであっても、彼の口から語られるとそれだけで強い力を帯びるのだ。

 が、今回はそれは関係無い。

 私はつい認めさせられてしまったのだ。彼の言葉が事実であることを。

 弱い人間が努力しても強くなることは出来ない。私はそれをずっと見てきたのだから。

 弱者が弱いのには様々な理由がある。しかし最大の要因は、きっとその心にある。

 心が弱いから努力しても強くなれない。否、心が弱い者は努力出来ない。努力しようという発想自体が浮かばない。そして努力する者を見付けると、それを自分と同じ弱さに引き摺り落とそうとする。

 みんな弱い。だから自分も弱くて良い。そう思い込むために。

 まったくもって吐血が出る。だけど世の中には、そんな人間ばかりが溢れかえっているのが現実なのだ。

 

「しかしだ」

 

 その逆説の接続語に、いつの間にか下を向いていた視線を持ち上げる。

 

「にも拘らず、稀にではあるが、塵を積み上げて山を産み出す者というのも確かに存在する。部分々々で見ればありふれたものでしかないというのに、全体を見れば他に二つと無い異様を持つ。なんとも珍妙よな」

 

 そう、自分自身の言葉を否定すると、黄金のサーヴァントは思わず身震いするような笑みを浮かべた。

 

 

「さて、今宵はどのような劇を楽しめるか……。クク、失望させてくれるなよ?」

 

 

 

 

 何が起きたのか解らなかった。現象だけをそのまま列記するならこうだ。

 

 まず、10メートルほど離れた場所に居た比企谷の姿が掻き消えた。

 同時に隣、俺と遠坂の間に居たセイバーの姿が消え、代わりに右拳を降り下ろしたような格好の比企谷が現れた。

 背後でメキメキと樹木が倒れるような音、そしてそれなりの重量と体積を持った何かが地面を打つ音が聞こえた。

 比企谷が僅かに身を屈め、力を溜めるように両腕を引き寄せた。

 いつの間にか戻っていたアーチャーが、遠坂を抱えて飛び退いた。

 そして俺も、反射的に身を伏せた。

 

 比企谷が左右の俺達に向けて双腕を振るう。

 断言するが当たってない。掠りすらしていない。にも拘らず俺の身体は浮き上がり、風圧だけで数メートルも弾き飛ばされる。

 どうにか受け身を取って遠坂の姿を確認すると、特にダメージを負った様子は無かった。アーチャーが上手く庇ったらしい。

 俺は殴り飛ばされ木に叩き付けられたセイバーの方に向かーー

 

「うおぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 ーーおうとして、突然横合いから飛び出してきた金髪の男に押し倒された。どこから!?ていうか誰だコイツ!?

 

「比企谷、急げ!」

 

 その金髪が比企谷に向けて叫ぶ。何者かは分からないが、どうやら敵らしい。

 

「くそっ!」

 

 背中に乗られ腕をガッチリと極められてしまった。どうにか脱け出そうと身を捩るが、凄まじい力で押さえつけられビクともしない。というか普通の力ではない。おそらく魔術で強化されてる。

 ならばと対抗するために魔力を精製しようとした、その時だった。

 

 

 ポッ

 

 

 またしてもそんな音が耳を突いた。

 顔を持ち上げ、気付く。

 

(なんだ……!?)

 

 公園のあちこちに小さな光が灯っている。十や二十ではきかない、蒼白い、蛍のようなか細い火が、視界の至るところで揺らめいている。

 

 

 ポッ

 

 

 今度の音は、俺の顔のすぐ横で聞こえた。

 視線を向けるとそこには蒼白い火。いや、火に見えるが熱は感じない。これは魔力の光だ。そしてそれを放っているのは小さな紙片。

 

「これ、昼間の……!?」

 

 そう、俺達が無意味と放置した魔術文字。それが炎のような魔力を放っていた。

 

 

 

 

「間抜けが!」

 

 何も無い空間から突然現れた金髪の男に、あっさりと組伏せられた衛宮士郎に悪態を漏らす。

 ただの八つ当たりだとは自覚しているが、あの小僧のことになるとどうしても怒りが込み上げてしまう。

 ともかく一つでも手数を増やそうと、衛宮士郎を押さえている男に矢を放つ。そしてそれは、半分の距離も飛ぶことなく停止した。

 

「私のことを忘れてもらっては困ります」

 

 ランサーのマスターは、掴んだ矢を親指でへし折ってから身構える。

 

「凛、下がれ!」

 

 叫ぶと同時、数メートルはあった間合いを瞬時に潰される。咄嗟に投影した干将と莫耶でその拳を受け止めるが、力負けして後ろに弾かれる。さらに投影した双剣はあっさりと砕けてしまった。

 もっとも、私の武器は基本使い捨てだ。失ったところでマイナスにはならない。引き換えに距離を稼げたならば上等とも言える。

 

「大した力だな。本当に人間か、貴様?」

「貴方は弓の英霊だけあって、セイバーほど接近戦を得意としていないようですね」

「狭いフィールドはこのためか」

 

 なるほど、戦いに十分な広さと言ってもこの程度では、この敵を相手に距離を取ることは難しい。

 ランサーのマスターは、首をコキリと鳴らすと再び拳を構えた。

 

「安心しました。この程度であれば、片手でもなんとかなりそうです」

 

 ……確かに私は接近戦を得手としているわけではない。ついでに言えば、誇りや矜持などというものも持ち合わせてはいない。

 だが、それでもこのような物言いに何も感じぬわけではない。

 よかろう。その安い挑発に乗ってやる。

 そう心を決めて、再び双剣を産み出す。

 どのみちこの女は倒さねばならん。セイバーがあの男の相手をしている今、それが可能なのは私だけだ。

 

 

「これでも英雄などと呼ばれた男だ。あまり舐めてくれるなよ、魔術師(メイガス)……!」

 

 

 

 

「で、わたしの相手はあなたってわけね?」

 

 そう言うと同時に、背後からゴボリという音が聞こえた。振り向くと川面からローブ姿の少女ーー今度こそ本物のキャスターが姿を現した。

 彼女は今の今まで川の中に居たというのに、髪の一筋すらも濡れてない。

 

「水中に潜んで……いえ、水中を移動してきたのね?」

「ええ、地上で四人分の目を欺いて身を隠すのは苦労しそうでしたから。夜の闇も、川の水も、立派な遮蔽物よ」

 

 結界はそれなりに広さがある。戦闘行為に支障をきたさない程度には。よって川縁のこの広場を中心にしている以上、範囲内の三割程は川になってしまう。キャスターはそのどこかに潜んでいたのだ。

 おそらくあの金髪もキャスターと共に居たのだろう。あの男を水中から衛宮くんの近くに送り届けて、本人はわたしの足止めにきた。

 キャスターの隠行は高精度だ。いくらアーチャーとセイバーでも、そう簡単には水中の彼女に気が付くのは難しいだろう。

 ともあれ呑気にお喋りしていられる状況ではない。わたしは既に握りこんでいた三つの宝石を投げ付けた。

 宝石が魔力の輝きと共に弾け川の水を凍り付かせる。同時に爆発が起こり、さらにそれを暴風が巻き込んで紅蓮の竜巻に変容する。

 

「ダメージくらいは通ってくれてるといいけど……」

 

 その呟きが終わるかどうかのところで悪寒が走る。とっさに身を投げ出すと、足下から伸びた何かがそれまで立っていた空間を貫いた。

 

(影の刃……!)

 

 わたしが居た辺りまで伸びていたベンチの影から黒い刃が飛び出ている。その刃が影に引っ込むと、入れ替わるように人影が競り上がってきた。

 影から現れたキャスターには、やはりダメージは感じられなかった。

 

「複数の属性を同時に操るなんて、中々の腕前ね。どう?貴女が望むなら弟子にしてあげても良いわよ?」

「ジョーダン!あんたみたいな危ない女の側に居たら、いつ薬の材料にされるか気が気じゃないわ!」

「気が合うわね。私ももう少し無能な弟子でなければ、安心して眠れないわ!」

 

 セリフと同時にキャスターが複数の黒い炎弾を産み出す。

 わたしは照準から逃れるため、全力で走り出した。足下に次々着弾するがスピードを緩めることなく駆け抜ける。

 

「弱体化してるとはいえ、人間の魔術師が魔術師の英霊に敵うものか!」

「チィッ!」

 

 最後の炎弾を躱わした先を、突如落雷が穿つ。それを身を捻って無理矢理回避し、崩れたバランスを側転で立て直す。そのままさらに数回、アクロバットに回転して跳躍し、空中から宝石を撒き散らす。

 

「っ!」

 

 宝石は一斉に弾けて激しい閃光を撒き散らした。それで目を眩ました隙に、近くにあった自販機の陰に転がり込んで息を整える。

 

(さすがにキャスターね。魔術の撃ち合いじゃ勝負にならない……!)

 

 精度、強度、速度。そのどれもが平均を遥かに上回っている。これで弱体化しているというのだから驚嘆する以外にない。

 

(とはいえ、弱点が無いわけじゃない。神代の魔術師には無くて、現代の魔術師にはあるもの。それなら……!)

 

 キャスターは魔術のエキスパートだ。魔術で彼女を上回るのはおそらく不可能だろう。

 しかし見たところ、身体の使い方はまるでなっていない。

 体術に関しては完全に素人なのだろう。接近戦に持ち込めば案外簡単に倒せるかもしれない。

 そこまで思考をまとめたところで足下に影が射した。身を投げ出すと同時、背中を預けていた自販機が爆散する。

 

「よく動くこと。魔術師のくせに」

 

 撒き散らされた缶ジュースを踏み潰し、余裕たっぷりに歩を進めるキャスターに、立ち上がりながら言い放つ。

 

「まあね。今の時代は魔術師も身体使ってなんぼよ。幸いあなたの吸精結界も大した力は無いみたいだし」

「あら、気付いてたの?」

「そりゃあ、ね。つい最近似たような結界に取り込まれたところだし」

 

 公園のあちこちで蒼い火をあげる基点。それに僅かだが力が抜けていく感覚。

 これはキャスターの結界魔術。魔力を吸い上げて自身に還元する、ライダーの鮮血神殿(ブラッドフォート・アンドロメダ)と同種のものだ。もっとも……

 

「あっちに比べて、威力の方はカスみたいなものだけどね」

 

 敵を弱体化させて、その分だけ自分を強化する。戦闘において極めて強力な効果と言える。

 しかし肝心の吸収量が非常に小さい。これでは相手がただの子供であっても、吸い殺すのに一時間以上かかるだろう。

 むろん、戦闘行動に支障をきたすことも無ければ、強化のレベルもたかが知れている。人間を瞬時に昏倒させていたライダーの結界とは比べるべくもない。

 

(この挑発でちょっとでも集中を乱してくれれば良いけど……)

 

 特に期待することもなくそう思う。が、返ってきたのはやや予想外の言葉だった。

 

「そうね、出力の方は大分絞ってあるわ。私のマスターは無駄に優しいから」

「は?」

 

 出力を絞った?

 優しい?

 

 わたしはこの結界を『敵の戦力を削ぎ、同時に味方の戦力を高めるため』の物だと思っていた。

 しかしそれなら威力を弱める意味など無い。しかも元から戦うつもりだったというのに優しいも何もないだろう。

 

 キャスターは余裕のためか、仕掛けてくる様子は無い。

 それならばと、状況の把握に努めようとしてーー不意に気付いた。

 

 

(……影?)

 

 

 そう、影だ。キャスターの足下から影が伸びている。

 なんということもない、ごく普通の影。

 先ほどのように影を用いた魔術を使用した気配もなく、ただ光源に合わせて揺らいでいるだけだ。

 

 光源。

 

(何が、光っている……?)

 

 今は深夜だ。外灯くらいはあるものの、こんなハッキリと影ができるほど明るい代物ではない。なら一体何が……?

 キャスターを視界から外さぬように、慎重に視界をずらす。その先には、

 

 

「ちょ……何、それ……!?」

 

 

 キャスターへの警戒も忘れて、思わず声を漏らす。

 顔を向けた先では比企谷が、その身体から蒼い炎を、否、炎のような魔力を、

 

 

 物理的に発光するほどの莫大な魔力を吹き上げていた。

 

 

 

 

「『冥精の寝所(ランパード・ニンフォメア)』、とか言ってたっけな。まあ、ぶっちゃけ名前とかどうでもいいんだけど」

 

 独り言のように呟く男に向けて、目の前の倒木を蹴り出す。

 大した太さではないとはいえ、五メートルほども長さのある樹が男へと飛びーー男はそれを左の裏拳で、蝿でも払うように凪ぎ払った。

 一抱えほどの生木が、二つにへし折れて吹き飛んでいく。

 明らかに人間離れした怪力を振るうその男は、全身から蒼い炎を、いや、炎のようにも見える魔力の輝きを吹き上げていた。

 

「……この結界のことか。街に敷いてあったのと同じ物だな?」

「そ。今使ってるのは今夜のために特注した特大品だけどな。ちなみに結界の規模は冬木市全域。160万の住人が俺の味方だ」

「それでかき集めた魔力を自身の強化に宛てているのだな」

「ああ。こっちは凡人なんでな、数に頼らせてもらう。卑怯とか言うなよ、強大な敵に対抗するために力を合わせるのは王道だろ?冬木のみんな、オラに力を分けてくれ、ってな」

 

 卑怯、か。確かにそうだな。

 無関係の人間を多数巻き込み魔力を奪い、策を弄して敵の隙を突く。しかもそのための業も他人任せ。

 策を弄して戦う者は覚悟に欠ける。

 彼らの戦術は有効かつ合理的だが、自らが傷付かぬことを前提に組み上げられるため、戦士の気概を持つ者からはむしろ嫌われることも多い。

 この比企谷という男もそうした手合いなのだろう。現に先ほども、倒れた私に追撃することもなく、己れの策を自慢気に語っていた。

 この男は、軽蔑すべき卑怯者だ。

 

 

(などと、思い込まされていたかもしれんな)

 

 

 策士には覚悟が足りない。しかし稀にではあるが、策士でありながら戦士の魂を持つ者も存在する。この男はそれだ。

 追撃はしなかったのではない。出来なかったのだ。

 立ち方で巧妙に誤魔化しているが右の拳、そして足首が砕けている。

 当たり前だ。

 先ほどの一撃、信じがたいがパワー・スピード共に、バーサーカーのそれを上回っていた。そんな出力に人間の身体が耐えられるはずがない。

 それだけではない。音の壁を越えた際の衝撃波のせいだろう、服はズタズタで皮膚もあちこち裂けている。

 また、皮膚が所々黒く変色している。体内で渦巻く魔力が強すぎて内出血を起こしているのだ。

 それだけの怪我を負って尚、この男は涼しい顔をして汗一つ流していない。

 無論のことそれは、私に自分の状態を知らせないためだ。しかし当然ながら実行できるかは別の問題である。

 

 ならば、一体どうやって?

 

 魔術で痛覚を遮断しているのか?それなら自分の怪我に気付くことなく戦い続けるだろう。

 では痛みを恐れる心の方を凍らせているのか?同じことだ。それなら怪我を庇ったりはしない。

 ならば一体何故なのか。

 それは、簡単にして単純な答え。

 この男はそれらの激痛を、ただ精神力のみで抑え込んでいるのだ。

 

 力も速さも敵が上。しかし戦いにならないほどの差は無い。そして男の動きは素人のそれだった。

 おそらく百度戦えば百度とも私が勝つだろう。それほどに技量に差がある。が……

 

 

(気を抜けば、食われる……!)

 

 

 これはそういう敵だ。

 強化の中には再生能力も含まれるらしく、裂傷が見る間に塞がっていく。砕けた拳も再生が終わったのか、具合を確かめるように二度ほど開閉してから口を開いた。

 

「お前ら悪い奴らじゃなさそうだし、俺も一応気を付けるけどよ……手加減できるほど余裕あるわけじゃねえんだ。悪いが死なねえように頑張ってくれ」

 

 まるで野生の獣のごとき気迫はみなぎらせて、比企谷が吠える。

 

 

 

「160万対1だ!勝てるもんなら勝ってみろよ、英雄様!」

 




オリ宝具解説

名称:冥精の寝所《ランパード・ニンフォメア》
レンジ:結界内
最大捕捉:結界内に納まる限り
ランク:D

 補足
 キャスターが魔力収集に用いた結界魔方陣。
 方円の内側に魔術文字を並べるタイプのスタンダードな魔方陣で、結界内の生物から魔力を吸い上げて術者、若しくは指定した者に還元する。
 ライダーの鮮血神殿と効果はまったく同じだがその出力は大きく劣り、通行遮断の効果も無い完全な下位互換。
 あくまでも基礎的な魔術を組み合わせた物であって、正しい知識さえあれば誰にでも使える、本来は宝具と呼ぶことも憚られるような物でしかない。

 魔方陣型の結界魔術は、それを構成する全てが意味を持つ。
 方円の形、大きさ。使用する魔術文字の種類、数、配列、方角。染料の色、材料。その他様々な要素を組み合わせ、互いが互いを補強しながら陣の効果を高めている。
 逆に言えば、効率さえ考えなければ適当に魔術文字を並べただけでも魔方陣は成り立つ。比企谷八幡はそこに目を着けた。
 最低限必要な魔術文字をメールで送信し、他人を使って街中に配置する。やったことはそれだけである。効率が落ちる分を数と規模で補ったのだ。これによって冬木市をまるごと覆う、極大の結界が完成した。
 尚、配置された基点は9000以上。これは比企谷八幡の想定の三倍を超える数値で、葉山隼人の人脈あっての数である。

 結界は起動さえできれば出力は一定となる。そのため魔力の収集量は規模に依存する。
 基点の数は出力ではなく稼働時間に影響する。
 基点から魔力が漏れるのは、魔力が通過する際にコピー紙がその負荷に耐えられないためである。
 吹き出る光は熱を持たないが、基点は負荷に伴い焼けたように劣化していく。完全に焼け落ちれば、当然その効果を失う。
 基点は門、あるいは導線の役目をするため、その数を増すほどに一つ当たりの負荷が軽減され、結果的に稼働時間が伸びることになる。
 比企谷八幡の想定した数では、稼働時間は最大で数分の計算だったが、実際の数では十数分にまで引き伸ばされている。

 尚、基点はごく普通のコピー紙であり、設置場所も基本的に屋外であるため、雨どころか霜が降りただけで瓦解する。

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