労働ってやっぱ害悪だわ。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
雪乃ちゃんの絶叫が響き渡る。
無理もないだろう。目の前で自分の想い人が命を落としかけているのだ。
彼女は顔を青ざめさせ、膝を落として頭を抱えている。
そんな彼女を眺めながら俺は、あの黄金のサーヴァントーー雪乃ちゃんは確かギルガメッシュと呼んでいたーーを刺激しないように、慎重に移動していた。
我ながら冷静すぎるとは思うが、これは別に驚くような、ましてや誇るようなことではない。この冷静さは、メディアさんの催眠暗示の影響なのだから。だけどそれが逆に俺の動きを縛ってもいた。
俺は比企谷を見捨てたいとは思っていない。しかしこの冷静さと、比企谷に割り振られた役割は即時の撤退を要求している。
撤退の合図を出すのは俺の役目だ。作戦上、一番の安全圏に居るのが俺だからだ。
その俺が危機を感じとったなら、それは作戦そのものの失敗を意味する。だからその場合、動けない奴は残して逃げられる者だけで逃げることになっていた。しかし……
(だからって見捨てられるかよ……!)
比企谷のことだ、切り捨てる対象として真っ先に考えたのは自分だっただろう。だけどそんなのは認めるわけにはいかない。
比企谷の作戦能力はこのチームには必要不可欠なものだし、何より比企谷が死ねば雪乃ちゃんが悲しむ。
俺は音を立てないように比企谷たちの近くまで回り込んだ。幸いにもギルガメッシュには気付かれなかった。いや、おそらく気付かれてはいたのだろう。しかし奴は俺に興味を示さなかった。
「比企谷……」
倒れた比企谷の姿を見て血の気が引く。
酷い有り様だった。
両足首はどう見ても砕けているし、服が破れて剥き出しになった腕は内出血で真っ黒に染まっている。しかし、そんなことすらどうでもいいと思えるほどに胴体が損壊が酷かった。
損壊、である。それ以外の言葉では表現できない。
ギルガメッシュの流れ弾が命中したのは、おそらくは右脇腹のあたり。
おそらくというのは正確に判別するのが不可能だから。というのも、比企谷の胴体は胸から下のほとんどが消し飛んでいたからだ。
穴、と呼ぶのも馬鹿馬鹿しいほどに大きな穴。
比企谷の腹部はほとんど残っておらず、左側にわずかに残った肉が胸から上と下半身とを辛うじて繋いでいる。
救急車という単語が脳裏に浮かび、すぐに打ち消す。どう考えても普通の医学で助かるような状態ではない。ならばーー
「おいお前!」
「ヒッ!?」
俺はすぐ傍で呆然としていたワカメ頭の胸ぐらを掴み上げた。身体強化の影響もあってか、驚くほど簡単にワカメの足が地面から離れた。
「な、なんだよ!?言っとくけど僕のせいじゃないぞ!?」
「そんなことはどうでもいい!令呪を使って比企谷を治療させろ!」
通常の手段で間に合わないなら常ならぬ手段、要は魔術に頼るまでだ。となるとメディアさんに頼るのが筋だろうが、彼女の令呪はこの男に奪われてしまった。『
ワカメは俺の言葉に虚を突かれたように目をしばたたかせると、今度は真っ赤になって喚きだした。
「ふ……ふざけるなよ!?なんでこんな奴のために大事な令呪ぶぎゃ!?」
セリフの途中で頭突きを叩き込む。鼻血を吹いて黙ったワカメの首を両手で掴み、宙吊りのまま少しずつ力を加える。
「あ……ぐぁ……!?」
「さっさとしろ。今の俺はお前の首をへし折るくらいやってみせるぞ」
「ヒ……!?」
完全に本気の口調で脅しつけるとワカメは真っ青になって抵抗をやめた。
震えながら左手を持ち上げるワカメを見て、声を出せるように少しだけ力を弛めてやる。
「れ……令呪を持って命ずる……」
ワカメは一際深く息を吸い込むと、一拍だけ溜めてから意を決したように口を開いた。
「僕を助けろォ!」
「クソが!」
硝子が砕けるような音。俺はワカメを突き飛ばし、その反動も使って身体を投げ出すように飛び退く。
倒れざまに眼前で火花が散ってわずかに目が眩んだ。令呪の力で引き戻されたアーチャーの剣を、割り込んだバゼットさんが拳で弾いたのだ。
「無事ですか、隼人」
「はい。だけど……」
勢いのままに後転して身を起こすが、すでにワカメの前にはアーチャーとメディアさんが立ち塞がっている。バゼットさんの力でもサーヴァント二体を抜くのは不可能だろう。
ワカメは這うように遠坂のところまで行くと、呪いで身動きのとれない彼女を抱きすくめてサーヴァント達に振り返った。
「おい!逃げるぞ!」
「慎二、あんたいい加減に……!」
「うるさい黙れ!おい、お前ら早くしろ!?」
ワカメは何かを言いかけた遠坂の首を締め上げて黙らせ、口角から泡を飛ばしてサーヴァントに命令する。奴の左手の令呪がまたも輝き砕け散る。それと同時にメディアさんが印を組むと、彼女らは黒い粒子のようなものになって夜空へと飛び散っていった。
「クソッ!」
四人が消えた夜空を見上げて悪態を吐く。
最悪の結果になってしまった。
仲間を奪われ、比企谷を救う手段を奪われ、戦う力を奪われた。それら全てが致命的ではあるが、さしあたって現在最も重要であろう事柄に思考のリソースを回す。すなわち、ギルガメッシュの脅威をどう切り抜けるかである。これをどうにかしなければ比企谷を助けるどころではない。
奴は雪乃ちゃんに止められてからは動きを見せていない。というかもう飽きて帰りたがっているようにも見えるがさすがに気のせいだろう。
雪乃ちゃんの言動を見る限り、彼女たちがこの場に現れたのはギルガメッシュの暴走らしい。マスターである彼女には俺たちを殲滅する意思が無さそうなのが救いだがーー
「令呪を持って命ずる!比企谷くんを助けなさい、ギルガメッシュ!」
その雪乃ちゃんが突然立ち上がって令呪を使った。命令の内容も含めてそれ自体はさほど驚くことではないだろう。しかし、
「ーーほう?」
ギルガメッシュの反応は鈍い。彼は彼女に対してわずかに興味を向けただけだった。雪乃ちゃんはそんな己のサーヴァントに苛立ちと共に言葉をぶつける。
「何をしているの!?早くしなさい!」
「フム……まあ、よかろう」
ギルガメッシュは一言呟くとパチンと指を鳴らした。それと同時に俺達の、そして離れたところで動けずにいたセイバーの周りにも金色の魔方陣がいくつも浮かび上がる。
しまった、と思う間もなくそこから鎖が飛び出し比企谷の身体を絡めとる。とっさに伸ばした手は比企谷に触れることなく空を切り、比企谷とセイバーは鎖ごと謎空間へと飲み込まれた。
「さて、では往くか、雪乃」
「え……きゃあ!?」
悲鳴に目を向けると雪乃ちゃんにも同じように鎖が絡み付いていた。ギルガメッシュは驚き慌てる己の主に、むしろせせら笑うような口調で続ける。
「何を驚く。あの男を助けるのだろう?ならばこんなところでのんびりしている暇はあるまい」
「そ……それとこれとにどんな関係が……!」
「何、生身の人間の足に合わせていては要らぬ時間を食うであろう。だからこの
「ちょっ……きゃ……!」
雪乃ちゃんは小さな悲鳴だけを残し、比企谷やセイバーと同じように魔方陣へと飲み込まれた。
ギルガメッシュはそれを確認する素振りも見せずに俺達に背を向け、そのまま立ち去ろうとする。
俺はそれを黙って見送る。不安は残るがどうすることもできない。
俺達には比企谷を治療する手段が無い。ならば彼等に任せた方が良いだろう。あのギルガメッシュはともかく、そのマスターである雪乃ちゃんが比企谷を助けたがっているのは確実なのだ。
令呪まで使ったのだから助けてくれるに違いない、と信じるしかない。何より俺達では、あのサーヴァントには太刀打ちできないのだから。
だから、ここはこのまま見過ごすのが上策。心情的な要因を除けばこれ以外は悪手だ。それなのに、
「待て!」
奴を呼び止める声があった。衛宮だ。
ギルガメッシュは立ち止まり、肩越しに衛宮に視線を投げる。俺には意識を向けてないはずなのに、それだけで肌が粟立つ。
「セイバーを返せ」
しかし、そんなプレッシャーを直接ぶつけられているはずの衛宮は全く怯まない。どういう精神力してるんだこいつ!?
ギルガメッシュは衛宮の声には応えず、ただ少しだけ目を細めた。
……ヤバイ。何となくだがどうしようもなくヤバイ気がする。
そもそもこのサーヴァントは強すぎる。万全な状態でも対策無しで太刀打ちできる相手ではない。今戦うのは無謀を通り越してもはやギャグだ。
「……おい、やめろ衛宮」
俺は仕方なく止めに入る。このままでは多分巻き添えで殺される。逃げるのも考えたが、その行為自体が奴を刺激しかねない。
衛宮は今にも飛び出しそうに見えたのだが、俺が肩を掴むと意外にもあっさり前傾の姿勢から重心が後ろに戻った。頭に血が昇ってはいても力の差が理解できてないわけではなさそうだ。
「クッ」
不意にギルガメッシュから笑いが漏れる。失笑、というやつだろうか。
「その男に感謝しておけよ、雑種。本来ならその不快な能力のことも含めて細切れにしているところであるが、
ギルガメッシュは自らの言葉通り、機嫌良さげにクツクツと笑っている。
「とんだ無駄足かと思っていたが、思わぬ楽しみが増えたわ。クク……、セイバーを受肉させるまでの暇潰しとしては上々だ。
さて、セイバーのマスターよ。今日までセイバーを現界させ続けた功績に免じて
まあ、あれほどの女だ。手放したくない気持ちは解らんでもない。とは言えアレは元々
ギシリと、衛宮の身体に力が充ちる。俺は肩を掴んだ手に力を込めてそれを抑えた。
ギルガメッシュはそんな俺達を一顧だにせず背を向け歩き出す。
「セイバーの価値を理解できた眼だけは評価できるな。特別に
去り際にそんな言葉を残し、黄金のサーヴァントは今度こそ夜の公園から姿を消した。
ギルガメッシュが去り、この場に残ったのは俺とバゼットさん、そして衛宮の三人だけになった。途中で増えた分も合わせれば十一人もいたわけだから、一気に三分の一以下になったことになる。
「衛宮、大丈夫か?」
「あ、ああ。済まない。さっきは助かった」
立ち尽くしていた衛宮に声をかけると礼を言ってきた。さっきのギルガメッシュとのやり取りでのことだろう。
それにしても、衛宮はけっこうなお人好しらしい。
助けたと言っても俺はただ衛宮を止めただけ。それも単なる成り行きでだ。
大体俺達は本来敵同士なのだが、それ自体頭からスッポリと抜け落ちてるようだ。
まあ元々停戦を呼び掛けるところだったし丁度良い。もう戦うどころじゃないしな。
「とりあえず場所を移そう。ここに留まるのはまずい」
そう言って衛宮を促す。バゼットさんも俺の言葉に頷いているところを見ると、やはりまだ終わりではなさそうだ。
「場所を移すってどこに……」
「どこにも行かせねえよ」
衛宮のセリフを遮って、新たな声が響く。
周りを見渡すと、夜闇に浮かんだ無数の白い仮面がグルリと広場を取り囲んでいる。そのアサシン達の一角が割れ、一つの人影が歩み出てきた。
「な……!?」
衛宮が息を飲む気配。しかし俺とバゼットさんにとっては予想済みの相手ではある。
その蒼い男は、まるで散歩でもするかのような歩調で近付いてきた。
きっと街中で、普通の格好ですれ違ったとしたら気にも止めなかっただろう。そのくらい普通に歩いてきた。
だけど彼からは、ギルガメッシュにも劣らぬほどの不吉な気配を感じていた。もしかすると殺気というやつなのかもしれない。
多分だが、これはきっと彼なりの誠意、のような気がする。せめて騙し討ちはしないとか、そんな感じの。
無論、そんなものは俺の勝手な妄想に過ぎない。そもそも俺は、何かを想像できるほどその男のことを知らない。
もし、彼の心情を推し測れる者がいるとすればーー
「……よう、バゼット」
「やはり来ましたか、ランサー」
久し振りに顔を合わせた主従が交わした言葉は、ごく短いものだった。