Fate/betrayal   作:まーぼう

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第65話

「くそっ! くそが!」

 

 長椅子の背もたれを蹴り付け、そこに靴跡を残していく。

 荒れている。まあ無理もない。

 アーチャーが出ていってから四半刻ほど。その間、間桐慎二はずっとこの調子だった。

 とにかく目に着いた物に当たり散らし、しかし壊してしまうほどの度胸も無い。……その割に平然と殺人を命令していた気もするが、自分が直接手を下していなければセーフということなのだろう。

 先ほどは、うっかり椅子を壊して露骨に慌てていたが、この教会の損害と呼べそうなのはその程度だった。いや、これの掃除もそこそこ大変だとは思うが。

 

「はぁ……はぁ……、くそっ……!」

 

 ひとしきり暴れて落ち着いたか、と言うより単に体力が尽きたようにも見えるが、とにかく暴れるのをやめておとなしくなった。それから壊した椅子、眠っている遠坂凛、最後に私の順に視線を巡らせ、小さく舌打ちしてそっぽを向く。自分の醜態を恥じる心くらいは残っているらしい。

 

「……今日はもう休むぞ。ベッドを探すからお前も来い。寝室くらいあるだろ」

 

 バツが悪そうにそう言うと、こちらの返事も待たずに奥への扉に向かって歩き出す。仕方なく遠坂凛を抱え上げ、私もそれに続いた。

 扉の向こうは居住スペースになっていた。住居も兼ねた教会らしい。

 狭くはないが、さほど広くもない廊下を見渡して、浴室を発見した。

 

「お湯を沸かしましょうか?」

 

 特に意識もせず、ふとそんな言葉が口を突いた。

 人間としてマスターの家で生活していた頃は、他に家事のできなかった私が風呂を担当することが多かったので、その名残が出てしまったらしい。いや、家事ができなかったのは最初のうちだけだが。

 

「ん……そうだな。お前もシャワーを浴びておけ。汗臭いのは好みじゃないんだ」

「…………は?」

 

 何を言われたのか理解できなかった。

 一瞬、気遣いかとも思ったが、それにしてはニュアンスがおかしいし、何よりこの男にそんなものがあるとは思えない。

 ではどういうつもりなのか、言われると……

 

「ああ、勘違いするなよ? 別にあいつ ( アーチャー)にビビったわけじゃないからな。でも眠ったままの遠坂を抱いても面白くもなんともないだろ。仕方ないから今日のところはお前で我慢してやるよ」

 

 ああ、どうやら妄想や自意識過剰の類いではなかったらしい。

 つまるところこの男は、私に女として相手をしろと言っているのだ。しかも他の女の代用として。

 今さらながらに思い知る。比企谷八幡は本当に当たりだったのだ。

 

「失礼」

「あん? さっさと風呂を……」

 

 男の瞳を覗き込む。男は何かを言いかけて、最後まで口にできずに黙りこんだ。

 

「行きなさい」

 

 男に一言そう告げると、夢遊病者のような足取りでフラフラと外に出ていった。

 魔術の初歩、催眠暗示である。生娘でもあるまいし抱かれるくらいは別に構わないが、だからといって女を安売りするつもりもない。

 もう少し抵抗されると思っていたのだが、拍子抜けするほどあっさり掛かってしまった。

 

 サーヴァントは自分のマスターに危害を加えることはできない。

 令呪がストッパーとしてサーヴァントの行動を阻害するからなのだが、それはサーヴァントの直接的な殺意や害意に反応する機能だ。

 逆に言うと、そこさえ誤魔化してしまえばやりようはいくらでもある。

 殺意に反応するのであれば、殺意を一切持たずに事に及べば令呪には止めようがない。だから魔術で操られたサーヴァントがマスターに攻撃を加える、などという事態も普通に起こりうる。

 他にも、何らかの理由で朦朧としたサーヴァントが、無意識にうっかりマスターを殺害してしまうというケースも、可能性としてはあり得るだろう。いや、さすがに無いだろうけど。自分で言っておいてなんだが。

 今回私が使ったのは正真正銘ただの暗示である。これも直接「死ね」と命令すればさすがにストッパーが発動するだろうが、ただ歩かせるだけなら何の問題もない。

 まあ、向かった先には踏切と崖と河があったはずだが、それは私の知ったことではない。運が良ければ死にはしないだろう。

 

 男のことを脳から消去し、寝室を探す。さほど広くもないためすぐに見付かった。

 ずっと抱えていた遠坂凛をベッドに横たえ、軽く体調と呪いの様子を診る。

 体調は特に問題は無さそうだ。呪いの方も時間経過で消滅するだろう。長くても1年以上眠ったままということはあるまい。

 

「それじゃ、さようなら」

 

 眠り姫にそれだけを告げて、私は教会を後にした。

 

 

 

 

 これからどうしようか。

 

 夜の街を当てどもなく歩きながら、ぼんやりとそんなことを思う。

 比企谷八幡の元に戻るのが道理としては正しいのだろうが、正直そんな気も起きない。

 

 私はあの男が嫌いだった。

 ヘラヘラと軽薄な言葉で態度を濁しながら、そのくせ欺瞞を許せない。

 嘘を嫌い偽りを憎みながら、人が己を誤魔化すことは佳しとする。

 他者を偽り、自分を偽り、正道を嘲笑い世の不条理を謳いながら、さりとて非道に堕ちることもなく、悪逆に染まることもできない。

 なにもかもが未熟で未満な半端者。

 ああ、まったくもって反吐が出る。これではまるで私ではないか(・・・・・・・・・・・・・)

 

 実際、私と彼はよく似ていた。共感できる部分も多々ある。

 だからこそ、あの男が己を犠牲に人を救ったことが許せなかった。それは、私には決してできないことだから。

 比企谷八幡の正体にこだわったのはそれが理由だ。

 

 比企谷八幡の正体。

 私は悪人であってほしいと思っていた。

 彼の行動は善意などではなく、打算と計算で他者を利用するためのものだと証明したかった。そうであってほしかった。

 自分に似ていると勝手に思っていた相手が、実は自分など比較にもならないほど強い人間だった。そんなの私が惨めすぎるではないか。

 

 しかしながら、彼の本性は、結局のところただの善人だった。それも特別な何かに基づいたものではない、どうと言うことのない、ごく普通のありふれた善性の持ち主だ。

 彼はそれを、己れの身を危険に晒してでも親しい友人を救おうとすることで証明してしまった。

 私の目標は、私にとって何の救いにもならない形で達成されてしまったことになる。

 

 比企谷八幡が期待した通りの人間であれば、同じ小悪党のよしみとして、聖杯戦争の最後まで付き合ってやってもいいと思っていた。

 あるいはその善意が私自身に向けられていたなら、私の方が恋に落ちる、などといった形で救われていた可能性もあったかもしれない。

 しかし今となっては、そのどちらも起こり得ないだろう。彼に対する執着も、憎しみと一緒に消えて失せた。

 聖杯は……要らないことはないが、相手があの英雄王では勝てる見込みも無い。

 要約すると、私にはもう戦う理由が残っていなかった。

 

 ぼんやりと夜空を見上げる。

 左腕を持ち上げ、目をやる。

 あの時、英雄王の攻撃により令呪は左手ごと失われてしまった。あの後セイバーはどうなったのだろうか。

 セイバーだけではない。あの時点では、敵も味方も戦力はガタガタだった。そこに完璧なタイミングで横槍を入れられたのだから、そのまま全滅していても不思議ではない。

 無事を確かめたい気持ちはあるものの、下手に近付けば無用に蛇を出す可能性の方が高い。このまま逃げるのが上策だろう。

 

(彼らだって、私に戻ってきてほしいとは思ってないでしょうしね……)

 

 口にも態度にも出してはいなかったが、ずっと彼を殺す機会を伺っていたのも事実だ。そして比企谷八幡も、それに気付いた上で私をそばに置いていた。

 純然たる偶然の結果によって私から離れられたのなら、もう元に戻りたいとは考えないだろう。

 私の方にも、理不尽な理由で命を付け狙ったという後ろめたさくらいはある。このまま姿を消してしまう方が、ある意味では誠実かもしれない。

 

「そう言えば……」

 

 比企谷八幡のことを考えていて、不意に思い出す。こんな夜道にパジャマ姿で現れたことがあったか。

 あの時は確か、私がアサシンに襲われて、令呪越しに私の危機を察知して駆けつけたんだったか。

 今までは意地になって認めなかったが、この時点で大概なお人好しである。私に憎まれているのは気付いていただろうに。

 あの時は毒にやられて大変だった。アーチャーの介入が無ければあそこで終わっていただろう。

 当時のことを思い返しながら、何の気なしに索敵の魔術を起動する。

 眼に見えない波が円形に広がっていく。自分に対して敵意を持つ者がこの波に触れると術者に伝わる、そういうシンプルな術だ。そこに更に隠蔽や隠行を強制解除する効果も加えてある。

 特に深い意味はない。なんとなくだ。

 まったく無意味に魔力を消費して憂さを晴らしたかっただけかもしれない。

 

 

 ともあれ魔術は正しく発動し、自分のすぐ真後ろに、白い仮面が姿を現した。

 

 

 

 

「!?」

 

 咄嗟に前へと身体を投げ出す。それとほぼ同時に、今まで首があった辺りを黒い刃が薙いでいた。

 まさに間一髪だが、危機はそのまま通り過ぎたりはしてくれず、地面を転がる私へと再度襲いかかってきた。

 

「アサシン……!」

 

 思わず口にしたと同時、身を起こそうとする私にアサシンが覆い被さり逆手に持った凶刃を振り下ろす。

 

「…………っ!」

 

 咄嗟に受け止められたのは幸運以外の何ものでもなかった。

 私に跨がり両手持ちで全体重をかけてくる短剣を、歯を喰い縛って押し戻す。英雄王に吹き飛ばされた左手は治療済みだったが、身体強化込みでも力負けしている。体勢の悪さも手伝ってジリジリと刃を押し込まれてきていた。

 というか本当に体勢が悪すぎる。

 運動力学の知識など欠片も無いが、それでも馬乗りにされるのが凄まじく不利なことくらいは分かる。

 こっちは踏んばりがまるで利かないのに、相手は重力の助けを借りて力を加えられる。抜け出したくても身体を押さえつけられてどうにもならない。

 魔術を使おうにも詠唱どころかそちらに集中する余裕すら無い。ちょっとでも腕の力を緩めれば一気に持っていかれる。

 ジリ貧なのは分かっているのにどうにもできない。突破口を見つけなければならないのに、それを探す隙がない。

 

 膠着したまましばしの時が過ぎる。

 凄まじく長い時間にも感じたが、実際はそこまででもなかったはずだ。でなければ私の体力が持つはずがない。

 アサシンは私に比べていくらか余裕があるのか、一気に仕留めることよりも、こちらを逃がさないことを優先しているようだ。

 趣味による嗜虐ではなく、堅実さの現れだろう。おかげでどうにか持ちこたえているが、同時に着実に寿命を削りとられてもいる。

 

 どうにか隙を作らなければ……!

 

 初めから思っていたことが、頭の中で明確な言葉になった時のことだった。

 

 

 コツ────

 

 

 唐突に聞こえた音に意識が引き付けられると、こちらを見て夜道に立ち尽くす男が1人。通行人の靴音だった。

 考えてみれば人避けの結界も何も張っていない。自分にはそんな余裕は無かったし、アサシンが事前に張っていたなら私が確実に気付いていただろう。

 ともあれ膠着状態に訪れた明確な変化である。状況がどう動くにせよ、流れを掴む以外に自分が生き残る道はない。

 そしてそれはアサシンにとっても同じこと。表面上は変化を見せていないものの、明らかに男へと意識を向けていた。

 

 男はやや痩せぎすの長身をスーツに包み、左手に革製の手提げ鞄を持った、いかにも仕事帰りといった風体だった。

 眼鏡の奥に切れ長の眼を隠し、やたらと老成した印象を纏ってはいるが、おそらく30には届いていないだろう。

 どう見てもただの一般人である。

 彼からすれば私たちは、刃物を持った暴漢と、それに襲われる女性にでも見えるだろう。

 悲鳴を上げて逃げ出すか、哀れな被害者を救わんと通り魔に立ち向かうか、いずれにせよ状況は私にとって有利に変化するはずだ。大声でも上げて人が集まってくれればなおありがたい。

 

 コツッ

 

 男はしばし硬直した後、こちらに向けて足を踏み出した。

 アサシンがわずかに身を捻り、男へと視線を向けるが、まだ抜け出せるほどの隙は生まれない。

 男は淀みのない、驚くほど自然な足取りで距離を詰めてくる。

 大きく踏み込んで手を伸ばせば触れられる、そのくらいの距離まで近付いたところで、アサシンと私の全身に緊張が漲る。

 男はそれを意に介すことなく歩を進め──そのまま横を通りすぎた。

 

 

 ……………………は?

 

 

 思わずアサシンと顔を見合わせてしまう。

 色々と展開を予測してはいたが、いくら何でも無視というのは予想外にすぎた。アサシンも私も、今まで何をしていたのか忘れたかのように呆けてしまった。

 男に目を向けると、変わらぬ歩調でスタスタと歩み去ろうとしている。

 アサシンはその背中と私とに何度か視線を往復させ、慌てたように男の後を追った。私に手間取っている間に目撃者を逃がすより、さっさと始末してから仕切り直すことを選んだらしい。

 その判断はこちらとしてもありがたい。

 アサシン相手に逃げ切るのは難しいだろうが、幸い相手は1体のみだ。男が殺されてる間に少しでも迎撃の準備を整えれば、少しは生存の目も生まれるだろう。

 

 男はすでに10メートル以上は離れていたものの、サーヴァントにとってその程度の距離は有って無きが如しのものだ。

 アサシンは一息に間合いを詰め、男の背中へと躍りかかった。

 私はそれを眺めながら急いで魔術を構築し──

 

 パキャッ!

 

 そんな乾いた音が響き、アサシンがたたらを踏んで後退した。アサシンは自分の顔を押さえており、手の隙間から覗いた白い仮面は、ひび割れてその欠片を地面にこぼしていた。

 

 またしても予想外の光景に、編みかけの魔術が霧散してしまう。

 今のは、見間違いでなければ、背後から襲い掛かるアサシンの顔面に、背中を向けたままの男が拳を叩き込んだように見えたのだが!?

 

「むっ?」

 

 男が怪訝そうな声を上げて振り返ると、アサシンは弾かれたように距離を取って身構えた。

 明らかに警戒レベルが跳ね上がっている。無理もないが。

 アサシンは一瞬だけこちらに視線を向けると、男に向かって地を這うように駆け出した。男の方も完全に向き直って拳を構える。

 アサシンが駆けながら短剣を投擲し、男がそれに鞄を投げつけて叩き落とす。

 男の足下にまで踏み込んだアサシンが、ほとんど真下から貫手を放つ。しかし男は逆に、その貫手に絡み付くような軌道のカウンターを放った。まるで蛇だ。

 アサシンは被弾をものともせずに、貫手の勢いのまま攻撃を放つ。立ち上がりざまに蹴り上げ。そのまま跳躍して宙で蹴りを3発。

 男は身を捻って攻撃を躱していたが、最後の後ろ回し蹴りを避け切れずに両腕でブロックした。アサシンは踵で蹴りを引っかけて、男を私の方向へと放り投げる。

 男は転がって受け身をとり、瞬時に身を起こす。同時にいつの間にか拾っていた短剣を、追撃をかけようと迫っていたアサシンに投げつける。

 アサシンは短剣を指で挟んで受け止めた。そのまま持ち変えて男に切りかかる。しかし投擲でわずかに勢いを削がれたか、男は余裕を持って後ろに跳んで躱していた。

 

 いや、何者だこいつ!?

 

 思わず唖然と眺めてしまったが、どのみち逃げ出す間も割り込む隙も無かった。それほど両者のレベルは高かったのだ。

 こうして離れた位置からだから何が起きているのかかろうじて見えているが、もし自分があそこに立っていたなら何をされたか理解する間もなく倒れていただろう。

 

 その後も二人は目まぐるしく立ち位置を入れ替えていたが、やがてどちらともなく跳び退って距離をとった。男は私の正面、数メートルほどの位置で油断なく構えをとっている。ただの偶然だろうが、丁度アサシンから私を庇うような配置だった。

 私はいくらかの逡巡の後、意を決して声をかけた。

 

「あ、あの」

「できれば手短に済ませてくれ。あまり余裕はない」

 

 即座に返ってきたその言葉に面食らうが、余裕がないのは事実なのだろう。私は相手に合わせて必要なことだけを聞くことにする。

 

「勝てますか?」

「無理だな。その内殺されるだろう」

「え」

 

 思わず男の表情を覗き見る。

 冷静に考えれば当然の話なのだが、声音も含めて態度があまりに平静すぎるため、聞き間違いかとも思ってしまった。

 

「互角に戦えているように見えたんですが」

「腕にはほとんど差はない。だが理由は不明だが、こちらの攻撃がまるで通らん。普通なら最初の一撃で死んでいなければおかしい。ダメージを与えられんのではどうしようもない」

 

 あれ、そんなにえげつない一撃だったのか。

 それはともかくこの男、サーヴァントが霊体であることや、そうした相手には神秘のない攻撃が通用しない、といった知識は持っていないらしい。

 つまり魔術や聖杯戦争とは関わりのない、本当にただの通りすがりなようだ。いや、魔術関係なしにこの戦闘力って、そちらの方がよほど意味不明だが。

 

「君は逃げなさい」

「え?」

 

 特に前触れもなく出てきたその言葉に、正直戸惑った。

 男の表情には最初から一切変化がなく、呼吸や声色といったものも平淡そのものである。

 故に、男には何らかの打開策、少なくとも本人はそう考える何かがあるものだと思っていたのだが。

 

「その、あなたはどうするんですか?」

「ここであれを足止めしよう」

「……私のために犠牲になると?」

「君ではあれの足止めはできないだろう。2人とも殺されるよりは1人の方がマシ。ただの算数だ」

 

 あまりの偽善者ムーヴに一瞬激昂しかけたが、内実はむしろ冷淡そのものだった。自分もそれに頭を冷やされて、こちらから提案を持ちかける。

 

「……攻撃が通用すれば、どうにかできますか?」

「可能性はある」

「なら私がなんとかします」

「では頼む」

 

 …………

 

「えっと、疑わないんですか? 騙そうとしてるのかもしれませんよ?」

「その場合はただ私が殺されるだけだろう。結果が同じなら疑う意味もない」

 

 なんと言うか、合理主義も行き過ぎると逆に滑稽に見えるものらしい。これもう天然だろむしろ。

 

 こちらの会話が聞こえていたのか、アサシンがにわかに焦りを見せる。

 当たり前だがアサシンは、こちらが話している間、ボケッと突っ立っていたわけではない。ただこの男に加え、私からも牽制を受けて攻めあぐねていただけである。

 そのアサシンを障壁で弾いて距離を作る。

 この程度の距離では稼げる時間などたかが知れているが、私にとってはそれで十分。一言呟くだけの短い詠唱の後、男の拳が青く淡い光を放つ。

 

「これは……?」

「今なら攻撃が通用するはずです!」

「分かった」

 

 応えると同時に男が駆け出す。アサシンも短剣を逆手に構えて迎撃体勢を取った。

 男は真っ直ぐに突進、と見せかけて間合いの直前で急停止する。普通なら釣られて手が出そうなものだが、アサシンは踏み留まって待ちを貫く。

 低い体勢から、男のしなるような3連撃。アサシンは躱し切れずに1発を腕で弾く。その瞬間、ひび割れた仮面の奥で表情が歪むのが見えた。明らかに効いている。

 男もそれを見てとったか、ただでさえ速い攻撃の回転がさらに上がった。アサシンはそれを嫌がり距離を取ろうとするが、男は許さずに食らい付く。

 男の張り付くような体勢からの連撃。その合間を縫って、アサシンが針を通すような突きを放った。

 躱せない。そう思った瞬間、『蛇』の一撃がアサシンの仮面を捕らえた。

 カウンターを決めた、と思ったところに狙い澄ましたクリス・クロス(カウンターへの更なるカウンター)。アサシンはたまらず仰け反って動きを止め、がら空きの喉を、男の抜き手が貫いた。

 

 

 

 

 終わった……

 

 その場にくず折れたアサシンが、光の粒子となって消滅するのを確認し、ようやく力が抜ける。

 一方男はというと、私の方は一顧だにせず、消え行くアサシンを眺めて小さく首を傾げていた。

 

「……人間というのは、このように死体が消えて無くなるものだったのか?」

 

 そんなわけねーだろ。

 心の中で突っ込みを入れ、私は地面にへたり込んだままで男に頭を下げた。

 

「ありがとうございます。おかげで助かりました」

「礼には及ばん。私は自分の身を守っただけだ。むしろこちらこそ助けられた」

 

 そう言って、男は何事もなかったように鞄を拾う。

 素っ気ない物言いだが、きっと本気で感謝しているのだろう。出会ったばかりの相手だが、なんとなく性格が掴めてきた。

 故に、その感謝が心苦しい。

 

「……私はただ、自分が助かるために貴方を利用しただけです。お礼を言われるようなことはしていません。それどころか、貴方が殺されるのを時間稼ぎのために見過ごそうとしました」

「それを言うならこちらも同じだろう。私も、自分には関係ないという理由で君が殺されるのを見過ごそうとした」

 

 そうだった。そういえばこの人、初め私を見捨てて帰ろうとしてたんだ。

 

「重要なのは私が助けられたという事実だろう。君の意図がどうであれ、助けられた者にとってそれにどれほどの違いがある?」

 

 そうなのだろうか。

 誰かを助けるというのは、もっとこう、善意とかそういうものに基づいて行われるべきであって……

 

「故に、感謝するのは私の勝手だ。ありがとう。礼を言う」

「────────」

 

 ああ、そうなのか。

 私はずっと、他人を助けるというのは特別なことだと思っていた。

 それは善性の塊のような人間だけに許された特権であって、感謝とはそれに対して支払われる極めて特殊な報奨なのだと思っていた。

 だからそうでない人間が他者を助けるのは、何らかの見返りを期待した取り引きか、さもなくば陥れるための前振りなのだと思っていた。

 そうあるべきだと、そうでなければならないと、そう信じてきた。

 

 だけど、そうなのか。

 誰かを助けるとは、誰かに感謝されるとは、こんなにも簡単なことだったのか。

 

 男はおもむろに歩み寄ると、屈み込んで私に眼を合わせた。

 

「───ふむ。何かは分からんが、迷いは晴れたようだな」

「え?」

「そういう顔をしている」

 

 思わず自分の顔に触れる。そんなに分かりやすかっただろうか。というか……

 

「分かるんですか、そんなの?」

「正直に言うなら人の感情というものはよく解らん。しかし職業柄、君くらいの年代の若者とは触れ合う機会が多いのでな。悩みを抱えているかどうか、くらいの見分けはつく」

「……もしかして先生なんですか?」

「一応な。倫理を担当している」

 

 表情を変えないまま、男は呟くようにそう答える。

 倫理を担当してると言う割に一般的な倫理観が欠如している気がするが、きっと何か特殊な事情や生い立ちがあるのだろう。だってどう考えても普通じゃないしこの人。

 私は立ち上がって服の埃を払い、同じく立ち上がった男に向けて深く頭を下げる。

 

「──ありがとうございます。これから何をするか、決まりました」

「それは何よりだ。うちの生徒ではなさそうだが、学生の助けになれたのなら、それはきっと喜ばしいことなのだろう」

 

 やはりどこか他人事のような物言い。だけど、それはきっと本心からの言葉なのだと思う。

 この人は多分、感情を表に出すのが下手なのだろう。

 人の感情が理解できないとか言ってるのも、おそらく中2的なあれではなくて、本当に解らないだけなのかもしれない。カッコつけてるんなら喜ばしいとか言わないと思うし。

 

 私は持ち歩いていたいくつかの巾着の1つを取り出し、髪を1本引き抜いて小さな植物の葉や花と一緒に詰め込み祝福を施す。

 

「これを」

「これは?」

 

 即席の護符を差し出すと、男は小さく首をかしげた。まあ、魔術の知識がなければこれの価値など解らないだろう。

 

「御守り、のようなものです。もしかしたら先ほどの敵の仲間がまたやってくるかもしれませんが、これを持っていれば少なくとも抵抗はできると思います」

「そうか。ではありがたく受け取っておこう」

「まあ、大丈夫だと思いますけどね。一応手放さないようにしてください」

 

 通信を送られないように妨害していたから可能性は低いと思うが、それも絶対というわけではない。

 この護符もそこらの悪霊程度なら問題なく祓えるが、サーヴァントが相手では焼け石に水だろう。それでもこの男なら、もしかしたら逃げるくらいはできるかもしれない。

 何にしても無いよりはマシなはずだ。

 

「では、行きます」

 

 私は男にもう一度礼をして背を向ける。

 駆け出すと同時、背中から声をかけられた。

 

「ああ、君」

「はい?」

「暗いから気をつけて行きなさい」

 

 思わず足を止めて振り向いた私に、そんなずれた言葉が飛んできた。ポカンと立ち尽くしてから、小さく吹き出す。

 私はきっと、ずいぶんと間の抜けた顔をしていただろう。暗くて助かった。

 

「はい、先生!」

 

 いつかの日々のようなセリフを返して、私は今度こそ夜道を駆け出す。

 成すべき事を成すためではなく、成したい事を成すために。

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