Fate/betrayal   作:まーぼう

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 その少年は独りだった。
 彼は常に弾かれる側の立場に立っていた。
 何か理由があったわけではない。理由が無い故に、解決法もまた存在しなかった。
 ただ、星の廻り合わせが悪かった。そうとしか言いようがない。
 少年はいつも泣いていた。
 誰かと一緒になろうと、仲間に入れてもらおうと、努力すればしただけ裏切られた。
 やがて、弾かれる理由が自分の側に無いことを理解した時。
 少年は静かに、涙を流すことをやめた。


帰路

 ああ、楽しかった。

 放課後の道草。クラスメイトとの寄り道。

 マスターの所蔵する書物で読んだ時にも思ったが、実際に試してみると、ここまで心浮かれるものだとは。

 ついつい全力で満喫してしまった。

 本当、この時代は素晴らしい。これほど娯楽に溢れた世が来るとは、生前は夢にも思わなかった。聖杯戦争のことなど忘れてしまいそうだ。

 

「じゃーね、メディア。また明日」

「はい、優美子様。また明日」

「じゃ、さよならメディアさん!ヒッキーも!」

「おー。じゃーな」

 

 祭りの時間も終わり、ゲームセンターとやらからの帰り道。

 他校の生徒も合わせて20人近くも居た集団も、家が近付くにつれて数を減らし、とうとう私とマスターの二人だけになった。

 それでも楽しい時間の余韻が熱となって残り、気付けば鼻歌など口ずさんでいる自分がいた。

 

「……ご機嫌だな」

「はい!」

 

 マスターが呆れたように苦笑を漏らす。

 比企谷八幡。私のマスター。そして憎む男。

 いつもなら彼の傍に居る間は、怯えたように表情を殺し、口数も減らしていたのだが、それもそろそろ飽きた。

 そうする事で、彼に周囲の人間の敵意を向けさせたのだ。が、どうもマスターはそうした感情に慣れているらしく、反応が薄い。あまり面白くない。

 そんなわけで他の相手と同じように振る舞うことにする。演技の使い分けも面倒だし。

 憎しみの対象に親しげに語りかける事に関しては特に抵抗も無い。

 私にとって、世の全てが憎悪の対象だ。つまりは通常営業というやつだ。……覚えたての言葉を使う楽しさは異常だと思います。

 これもマスターの本から学んだ言葉だが、全てを愛することは、何も愛さないのと同じだという。

 なるほどと思ってしまった。

 また、愛と憎しみはよく似ているとも。これにも唸ってしまった。

 私は全てを憎んでいる。だけど憎しみに狂ったりはしてない。

 怒りを感じれば簡単に攻撃的になるし、人を殺すことにも抵抗を覚えない。だけどそれを理性で押さえ込むこともできる。

 それは倫理観ではなく、損得勘定によるものだ。しかし結局のところそれは、どこにでもいる、ただの人間と変わらないのではないだろうか。

 全てを憎む私は、何も憎んでないのと変わらないのではないだろうか。

 そんなことを考えながら歩いていると、マスターが何かソワソワしていることに気付いた。

 

「どうかしましたか?」

「あー……いや」

 

 なんでもない。そう言いながらもマスターはしきりに周囲を気にしている。心なしか顔が赤い。

 マスターは、一つ大きく深呼吸してから右手を差し出してきた。

 

「?」

 

 意図を理解できず私がきょとんとしていると、真っ赤に染まった顔を明後日の方向に向けながら、ぶっきらぼうに言った。

 

「……手、繋ごうぜ」

「…………え?」

 

 一体何を言っているのだこの男は。

 私と生活を共にする内に下らない勘違いをした、という可能性が頭に浮かび、即座に否定する。

 しばらく観察した結果分かったことだが、この男はそう簡単に他人を、特に女性を信じたりはしない。

 案外惚れっぽいところはあるが、それ以上に警戒心と猜疑心が強いのだ。

 だからこの男の方からこのようなアプローチをしてくることは、可能性自体を考慮していなかった。

 私が戸惑っていると、不意に脳裏に声が響いた。

 

(言う通りにしろ)

 

 見た目の態度とは打って変わって冷徹な声。意外なことに、マスターからの念話だ。

 意外というのは、マスターはこの念話の感覚を「気色悪!」と言って嫌っており、滅多なことでは使おうとしないのだ。

 それをわざわざ使ってきたということは、使わざるを得ないような事態が発生したということ。

 私はマスターと同じように頬を染め、コクリと小さく頷いてから、差し出された手に自分の左手を添える。

 そして数秒間、マスターと見つめ合ってから互いに微笑み、寄り添うようにして歩き出した。

 私は勿論、マスターも完璧な演技だ。周りからは初々しいカップルにしか見えないだろう。

 

(……何かありましたか?)

(付けられてる。ゲーセンからだ……振り向くなよ)

 

 反射的に振り返ろうとした私を、マスターが手を強く握って止める。

 前を向いたまま背後の気配を探るがまるで判らない。元々私にそんな技能は無いのだから当然だ。が、後方から明らかに一般人よりも大きな魔力を感じる。どうやら勘違いではなさそうだ。

 

(どうやって気付いたのですか?)

(前に言ったろ。ぼっちは悪意に敏感なんだよ。これだけハッキリ意識を向けられりゃ嫌でも気付く)

 

 気配だけで察知したらしい。この男は本当にただの人間なのか?少なくともアサシンの適性を持っているのは間違いなさそうだが。

 

(それで、どうなさいますか?)

(遠回りするぞ。手遅れかも知れんが家を特定されたくない。人気の無い道を選んで誘い出す)

(その後は?)

(わざとやられる)

 

 !?

 

(どういうことですか!?)

(ゲーセンからってことは、相手は多分穂群原の奴だ。戸部からお前の名前を聞いて疑いを持ったんだろう。それで今日の集まりになるように誘導したんだろうな。ならばまだ確信には至ってない筈だ。だからその疑いを逸らす。隠蔽は効いてるんだよな?)

(はい、問題ありません)

 

 マスターにはサーヴァントを識別する能力がある。相手がサーヴァントなら、見ただけでそれと解るのだ。

 だがそれも、聖杯によって与えられた力。つまりは魔術だ。魔に精通した者であれば欺くことも不可能ではない。

 ちなみにマスターの令呪は外では手袋、屋内では肌色の目立たないカットバンで隠してある。

 料理中に油が跳ねたと裏口を合わせていたが、誰にも気付いてもらえなくてこっそり泣いていたことは秘密にしておいてやろう。

 それはともかく。

 

(無抵抗でやられちまえばそれ以上疑ったりしないだろ)

(危険過ぎます。考え直しを。逃げるくらいならどうにかなる筈です)

(駄目だ。この場を凌いでも追撃をかけられたらそれで終わりだ。後が続かないんじゃ意味が無い。いいか、俺達は弱い。戦ったらアウトだ。だから戦わないことに全力を尽くす)

(……一撃で殺される可能性もあります)

(わざわざ他人を使って接触を図る相手だ。社会的な常識くらいわきまえてるだろ。疑いレベルで殺しにはこねえよ。……覚悟決めろ。他に道は無い)

 

 まさか私の方が覚悟を促されるとは。

 マスターは声(念話だが)も態度も平静を装っているが、その心が恐怖で荒れ狂っているのが令呪を通して伝わってきていた。

 当然だ。確信を持っているかのような言い方をしているが、それらは全て憶測に過ぎない。

 一つでも予想が外れていればどう転ぶか判らない。が、その場合の最終的な結果は概ね死だ。

 しかしマスターはそれをおくびにも出さず、己に考え付く最善をこなそうとしている。そうあって欲しいという願望も混じってはいるだろうが、それでも尋常な精神力ではない。

 

(……分かりました。背後からの不意討ちに無反応で倒されれば良いのですね?)

(ああ。街中だし、派手な事は出来ないだろうから、とりあえず片方を無力化しようとするだろう。残った方は何が起きたか分からないまま倒れた恋人を心配する。そういう演技で行くぞ。まあ狙われるのは俺だろうが)

(何故ですか?)

(男と女のどっちかを襲うとなれば普通は男を狙う。その方が心理的な負担が少ない。好んで女を狙うようなゲスも居るかも知れんが、やり口を見る限りは違うだろう)

 

 女の方が狙われ易いと思っていたのだが、この国ではそういうものなのか。いや、違うのは時代か?

 

(後はまあ、能力順だな。弱い奴から狙うのは戦いの定石だ)

 

 どういう意味だろうか?隠蔽が効いている以上、どちらがマスターか、つまりどちらが弱いかは判らない筈。何か判別法でも……

 そこまで考えて気付く。

 マスターには令呪がある。そして令呪は左手の甲に顕れる。

 マスターは左手をポケットに入れているが、私の左手はマスターの右手と繋がれていて隠せない。しかもご丁寧に、互いの手を前後に向けて繋いでいる為、私の甲を後ろに見せ付ける形になっていた。

 ここまで見越して右手を差し出したというのだろうか。先ほど私が振り向くのを引き留めた時といい、どこまで抜け目が無いのだ、この男は。

 

(追撃が来た場合は?)

(そうならない事を祈るしかないな……。その場合はもうどうにもならん。なりふり構わずに逃げろ。場合によっては最後の令呪を使う)

 

 事前に決めておくべきことはこのくらいだろうか。人通りも減ってきて、後ろに隠れている敵を除けば、歩いているのは私達だけになっている。おそらくそろそろ……

 

(……そろそろくるぞ)

 

 マスターも同じ見解なようだ。

 角を折れて長い一本道に入る。そこを少し進んだ所。後ろを塞がれてしまえば、あとは隠れる所も無いその場所で。

 

「げはぁ!?」

 

 隣を歩いていたマスターが、唐突に吹っ飛んだ。

 

 マスター!

 

 そう叫びそうになるのをどうにか自制する。いくら何でもマスターはまずい。

 そのせいで数秒反応が遅れるが、状況を理解してない娘であればむしろこんなものかも知れない。

 

「八幡様!?」

 

 身を反らして前方に吹き飛んだマスターに、一拍遅れて駆け寄る。

 

「八幡様!八幡様!」

 

 倒れたままピクリとも動かないマスターにすがり付き、目に涙を浮かべながら身を揺する――フリをしながら状態を確かめる。

 完全に昏倒してはいるが命に別状は無い。かなりの衝撃で背中を撃ち抜かれたようだが、ただの打撲だけで骨などに異常はなさそうだ。

 医学的な意味ではダメージは無いに等しい。にも関わらずマスターの意識が戻る様子は無い。

 背中の目に見えない怪我を探る。

 高レベルに圧縮された呪いと魔力を撃ち込まれたらしい。体内が軽く汚染されている。

 おそらくはガンド。指差すことで呪いをかける簡単な呪術で、相手にちょっとした不幸や体調不良をもたらすことができる――程度の筈なのだが、呪いの圧縮率と込められた魔力が強すぎるせいだろう。不幸どころか物理的な破壊力を伴うレベルに至ってしまっている。

 相当な実力が無ければ不可能な芸当だ。が、果たしてこれは才能と呼んでも良いものだろうか?呪いとしては成立してない気がするのだが……。

 倒れた恋人にすがり付き、ただ泣くだけの女を見かねたのか、背後から足音が近付いてきた。

 私は振り向きたくなる衝動を力ずくで押し込めて、無力で無能な女を演じ続ける。

 

「あの、どうかなさいましたか?」

 

 かけられた声は女のものだった。私はその声にようやく振り返り、相手を確認する。無論涙は流したままだ。

 赤い女だった。

 穂群原の制服の上から纏った赤いコートがよく似合う、どこか大人びた雰囲気と年相応のあどけなさが混在する少女。……左手は手袋で隠れている。

 見覚えがある。あまり積極的ではなかったが、今日の集まりに参加していた娘の一人だ。どうやらマスターの読みは当たっていたらしい。

 私はその少女に、懇願するように言う。

 

「分からないんです。歩いていたらいきなり倒れて……」

「ちょっと見せて下さい」

 

 少女は動かないマスターの上半身を起こし、なにやら自分とマスターの腕を絡めてマスターの背中に掌を押し当てる。そして、

 

「破っ!」

「ゴホッ!?」

 

 少女の気合いと同時にマスターが息を吹き返した。

 

「八幡様!」

「ゴホッ、ゴホッ。……え?あれ、何だ?」

「八幡様!良かった……八幡様……」

 

 マスターの首筋にかじりついてホロホロと泣き崩れる。

 

「……あのー。わたし、もう行きますね?あ、そっちの人、原因が分からないなら念のために病院行った方が良いと思いますよ」

「え?その、どうも……?」

「ありがとうございました!このご恩は一生忘れません!」

「いえ、お気になさらないで下さい。それではお大事に」

 

 そう言ってにこやかに去っていく。

 それ見送り、マスターは私に支えられながらヨロヨロと立ち上がった。

 

(……どうだった)

(間違いありません。マスターです)

 

 念話で問いかけてきたマスターに断言する。

 あの娘がマスターを起こした時――活を入れると言うのだろうか?よく分からないが――上手くカモフラージュしていたが、それと同時に魔力を注入していた。それによって体内の呪いを押し出したのだ。魔術を学んでいるのは間違いない。

 それに何より、彼女の傍らには霊体化したサーヴァントが控えていた。疑う余地も無い。

 

(顔は覚えたか?)

(はい。使い魔に後を付けさせます)

(いや、それは後だ。顔も学校も割れてんだから調べるのは難しくない。それより使い魔が見つかってまた疑われる方がまずい)

 

 本当にどこまでも抜け目が無い。

 ここに至って確信した。この男は使える。

 胆力は十分。魔力不足は痛いが、その不利が問題にならないほど頭が切れる。

 何より心理面の読み合いにかけてはこの裏切りの魔女に匹敵、いや、下手をすれば凌駕する。

 いいだろう。私を辱しめた事は、ひとまず水に流してやる。

 これからの戦いに、精々役に立ってもらうぞ。

 マスターは少女達が去って行った方をしばらく眺めてから、元の進行方向へと歩き出した。

 家からは遠ざかる方向だが、これも念のためという事だろう。

 

「……てて、痛ってぇ……。何だったんだ、今の……。オイ、もう一人で歩けっから離れろ」

「ダメです!まだフラフラしてるじゃないですか」

 

 私はマスターの腕を取ってふらつく身体を支える。そのせいで腕を組むような形になってしまった。

 

(それに、まだ監視があるかも知れませんよ?)

(マジで?)

(いえ、分かりませんけど)

 

 私の言葉にマスターの身体がカクン、と沈む。私はそれを慌てて支える。

 

「お前な……いや、もう良い。それよりホント離れろ。その……当たってんだよ、さっきから」

「? 何がですか?」

「いやだから……」

 

 頬を染めて顔を背けるマスター。

 この男は眼は腐っているものの、顔立ち自体は整っている。特に照れた顔は堪らなく可愛らしい。……はやはちか。中々映えそうだ。

 当然だが当ててるのはわざとだ。今回は頑張ったからな。このくらいのサービスは有っても良いだろう。

 それに監視があるかも知れないというのも嘘ではない。あくまで可能性の話だが。

 だから家に着くまでの間、精々イチャついて見せようか。

 

「……お前、ワザとか?」

「何がですか?」

「……もういい。帰ろう」

「はい♪」

 

 マスターは観念したらしく、何も言わなくなった。が、肩に顔を擦り付けたりするとピクリと反応する。楽しい。

 この時代は本当に素晴らしい。

 娯楽に溢れていて飽きることはないし、人々は愚かで他人を疑うことを知らない。このマスターも、そこそこ気に入った。

 聖杯戦争が本格化するまでの束の間。

 この仮初めの平穏を、存分に楽しむとしよう。


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