「クソが!」
戸を乱暴に蹴り開けたのは夫だった。
そのままテーブルに並べられた料理の一つに手掴みでかじりつく。
「不味い!冷めてるだろうが、作り直せ!」
そう怒鳴って中身が入ったままの食器を私に投げ付けた。
やめてください。やめてください。
「クソ!クソ!クソ!あの老いぼれめ、何が『貴様に人を束ねる資格は無い』だ!誰に向かって言っている!このアルゴー船の勇者に!」
夫は家具に当たり散らしながら喚き続ける。
やがて疲れたのか、ドッカと椅子に腰を下ろし、酒を煽り始めた。
しばらくしてから、ふと思い出したように口にする。
「……オイ、お前確か若返りの秘術とやらを使えたな?殺されてから生き返ると若返るとかいうやつ」
やめてください。やめてください。
言葉に出すことは出来なくても。涙を流すことは出来なくても。
私はもう、人を殺めたくはないのです。
「あのオヤジの娘共の前で実演してみせろ。で、やり方を教えてやれ。ウソっぱちをな。あの親孝行なバカ女共ならすぐに殺してくれるだろう。フン、こんな国、俺の物にならないなら必要無い」
「ああー!メディアさん、それ違う!」
「え?え?で、ではこちらを足してバランスを……」
「にゃー!それは料理ではしちゃいけない考え方!」
リビングに降りてくると、キッチンがなにやら騒がしかった。
「……何やってんだお前ら?」
「あ、お兄ちゃんおはよー。最近早いね」
「ああ、まあな。で、何やってんだ?」
「もうすぐ朝ごはん出来るからちょっと待っててね~」
……ナチュラルに俺の言う事無視するのやめてもらえませんか妹よ。お兄ちゃん泣きたくなっちゃう。
まあ、わざわざ聞かなくても何をしてるかは一目瞭然。メディアが小町に料理を教わっているのだろう。
俺はソファに座ってテレビを付ける。映ったのはニュースだった。市街地で女性が倒れて入院?またこの街じゃねーか、最近多いな。
「お待たせ~♪」
そうこうしてる内に出来たらしい。ホントにすぐだったな。
パンの多い比企谷家の朝食としては珍しく白米と味噌汁、おかずに卵焼きと野菜炒めが並べられていく、のだが……
朝から野菜炒めというのは、まあ良い。胸焼けがどうとか言う奴もいるかも知れんが俺は平気だ。なんならステーキとかでもいける。
ただ、俺の分だけ明らかに出来が違う。卵焼きは焦げてるし、野菜炒めも水気が切れてなくてベシャベシャだ。
これがどういう事かは……考えるまでも無いか。
「じゃ、いただきまーす♪」
「……いただきます」
とりあえず卵焼きを口に運ぶ。……じっと見てんじゃねえよ二人とも。食い辛いだろうが。
「……苦い」
俺は甘い味付けの方が好みなのだが、砂糖を入れると焦げやすくなる。そのためちょっと油断すると酷い事になるのだが、これはその典型だった。
次いで野菜炒めに箸をつける。
野菜から出た汁気が底に溜まってとってもジューシィ。……言い方変えてもダメだな。まあこのくらいは許容範囲だが。
気を取り直して口に入れる。
「辛!?」
塩コショウで味付けしてあるのだろうが、明らかに入れすぎだった。もはやしょっぱいなんて表現には納まらないレベル。そう言えば『しょっぱい』って関東の方言らしい。コナン君から聞くまで知らなかった。
俺の反応を見ていたメディアが、おそるおそる口を開く。
「……美味しく、ないですか?」
「ああ」
「ちょっと!お兄ちゃん!?」
はっきり正直に答えた俺に小町が立ち上がる。が、訂正する気はない。こういうのは嘘ついても本人の為にならんからな。
「申し訳ありません、片付けます……」
メディアは俺の答えにしょんぼりとうなだれると、俺の皿に手を伸ばした。
俺はその手が届く前に、皿をひょいと取り上げる。
「あの……?」
「別に食えなくはねーよ」
そのまま野菜炒めをご飯にかけて掻き込む。
こういう食い方なら味付けは濃いくらいの方がいい。卵焼きだって少し焦げてるだけだ。
まあ、単純に経験が足りないだけなんだろうな。考えてみれば元はお姫様なわけだし。
一応味見はしてたみたいだし、よほどのことがなければ食えない物は出てこないだろう。少なくとも由比ヶ浜よりは全然マシだ。
「悪い、水くれ。……どうした?」
それでも喉に渇きを覚えて水を無心すると、二人がぽけー、と見ていることに気が付いた。
「おい?」
メディアは俺の再度の声にハッとすると、慌てたように立ち上がる。
「……あ、いえ、その、あの、あ、ありがとうございます!」
「どういたしまして、ってなんでお礼?ってか水くれって言ったんだが」
「あ、ハイ!お水ですね、只今!」
そのままドタドタとキッチンに向かう。
「……なんだありゃ?」
呆然と呟くと、今度は小町が再起動して俺の背中をバンバン叩いてきた。いや、痛えよ。
「もう、お兄ちゃんってば何今の高等テク!?最初このクズどうしようかと思ったのに小町までうっとりしちゃったじゃない!」
「いや何言ってんだお前、なんだテクって」
つうか兄に向かってクズとか言うな。
「またまたまたまたまたまたまた~。いやー今のはホントにポイント高かったよ!あれが普段から出来てたらモテモテなのに」
また多いよ。別に特別な意味なんかねえんだけどな。
ホラ、あれだ。俺主夫志望だし、食材の無駄とか許せないだけだ。もったいないおばけとか出たらヤダし。
「お待たせしました!」
メディアが水を持って戻ってきて、躓いて溢しそうになり、それを支える。
「ちょっ……!危ねえな、気ぃつけろよ」
「は、はい。ありがとうございます。あ、お水です」
「おう、サンキュ」
「いや~朝から見せ付けてくれますなぁ~。もう完全にお義姉ちゃん筆頭候補だねメディアさん」
「い、いやですわ。小町様ったら」
「ただ出来る妹としては一人に肩入れすることはできないんですよね~、スミマセンけど。うーん、雪乃さんと結衣さんにも発破かけるべきかなぁ?」
「……さっさと食えお前ら。遅刻すんぞ」
比企谷家の食卓は今日も平和だった。
穂群原のマスターの襲撃から二日後のことだ。
「調査結果が出たわ」
「早いな。まだ一日経ってねえぞ?」
「雪ノ下お抱えの興信所よ。顔も名前も判っていて数日かかるような無能な筈ないでしょう、と言いたいところなのだけど……」
やや不満気なお言葉。
あれから帰って雪ノ下に連絡し、翌日ポラロイドカメラを用意してもらい、調査資料としてメディアに念写させてみた。
もしかして出来んじゃね?くらいの気持ちで言ってみたのだが上手くいってくれた。魔術って超便利。
由比ヶ浜がそのカメラを物珍し気に触りまくっていたが、それが幾らする物なのかは心の安寧の為にも聞かなかった。だってどう見ても年代物なんだもん。
尚、雪ノ下の連絡先を知らなかったので由比ヶ浜に伝言を頼んだのだが、正直正しく伝わるか気が気じゃなかった。雪ノ下の番号聞いとくか……。小町に頼むわけにもいかんし。
で、出てきた写真を見た由比ヶ浜が、たまたま相手のことを知っていたのだ。
彼女の名前は遠坂凛。由比ヶ浜の話によると、穂群原では結構な有名人なんだそうだ。
なんでも成績優秀、運動万能、生徒、教員双方からの信頼も厚く友人も多いらしい。何その完璧超人、雪ノ下の進化型?いや、それは陽乃さんか。
また、雪ノ下が名前を聞いて思い出したのだが、遠坂というのはこの冬木の名士らしい。もっとも十年前に先代の当主、つまり彼女の父親が亡くなって没落したらしいが。
ともあれまたしても興信所、すなわち陽乃さんに借が出来てしまった。
「調べによると、最近特定の男子生徒と行動を共にすることが多いみたいね。相手の名前は衛宮士郎。同い年ね。ただのボーイフレンドという可能性もあるけど、彼女とは今までまるで接点の無い相手だったみたい」
「ふーん。やっぱそいつもマスターなのかね」
「かも知れないわね。興信所の調べによると、十年前の火災で家族を亡くし、衛宮切嗣という男性に引き取られているわ。衛宮姓になったのはその時ね。その義理の父親も五年前に他界、現在は藤村組の藤村雷河を後見人に一人暮らしをしているわ」
「随分波乱万丈だな……」
ラノベやギャルゲーなら間違いなく主人公のポジションだろこいつ。
話を聞いてた由比ヶ浜が、恐る恐るといった体で口を開く。
「……ねえゆきのん、藤村組って……」
「……まぁ、ヤクザね」
「ひぃぃ……」
気持ちは解る。冷静に考えれば魔術師やサーヴァントの方がよっぽど危険な筈だが、ヤクザと聞いただけで何となくビビってしまうのが日本人の性だ。
「つーかなんでそんなのが後見人になってんだ?聞いた限りだと天涯孤独っぽいんだけど」
「義父の切嗣氏と繋がりがあったみたいね。こちらも調べたようだけどかなり不審な人物みたい。十年前に冬木に越してきたようだけど、それ以前の経歴のほとんどが不明。僅かな手掛かりから推測するに、どうも世界中の紛争地帯を転々としていたらしいの。しかもはっきりとした事は分からないけど、いくつかの国ではこの衛宮切嗣らしき人物が指名手配されてるらしいわ」
「聞けば聞くほど無茶苦茶じゃねえか。つうかなんで衛宮って奴のことばっかなんだ?肝心の遠坂の情報がほとんど無いんだけど」
提供した写真は遠坂凛の物だけだ。だが彼女について新たに判ったことは住所くらいしか無かった。
無論、新たなマスターであろう衛宮士郎についての情報が手に入ったのは大きな収穫だが、依頼したのはあくまでも遠坂凛の調査なのだが……。
「……それが、彼女、まったく隙を見せないらしいの。それで周囲の人間から洗い出そうとして彼に目を付けたようなのだけど……。なんでも500m以上離れた場所から望遠レンズ越しに目が合ったこともあったらしいわ。調査員も怯えてしまって、出来れば調査を打ち切りたいと言っているのだけど?」
どこのシティハンターだよ、出没地域間違ってんだろ。ここ新宿じゃねえぞ。
ともあれ相手の備えは万全らしい。常識的な手段では近付く事も出来なさそうだ。それが判っただけでも収穫だろう。
「分かった、調査はもう良い。これ以上は多分危ない。後はこっちでやろう」
「そう伝えておくわ。……でもこっちでやるって、何か考えでもあるの?」
「んー……まぁ、一応な」
魔術師というのは色々ふざけた存在だ。
俺の知ってるサンプルがメディアしか居ないのではっきりしたことは言えないが、メディアに見せられた一部の事例だけでも俺から見れば完全にチートだ。
メディアはキャスターのサーヴァントだ。つまり、弱体化している事を加味しても魔術師という括りの中では最高位の存在と言えるだろう。
だからサンプルとしてはあまり優秀とは言えないかも知れない。だがそれでも見えるものはある。
最高の魔術師ということは、魔術師の模範そのものだということだ。
つまり魔術師であれば、それも優秀であればあるほどに、価値観や思考がメディアに似通ってくるということだ。
メディアを見ていていくつか気付いたことがある。これはおそらく魔術師特有のものだ。
ならば、多分付け入る隙はある。
「メディアの話によると魔術師ってのは血筋を重んじるものらしい。一族が研鑽してきたものを家督と一緒に譲り渡し、それをさらに突き詰めていくんだそうだ。だからその父親ってのも魔術師だったのかもな」
俺は雪ノ下が淹れてくれた紅茶を受け取りながらそう言った。ちなみに湯飲みだ。日本茶置いてないのに。
「おそらくは。聖杯戦争は遠坂、マキリ、アインツベルンの三つの家系が協力して始めたもので、そこの魔術師は最優先でマスターに選ばれます。先代の死因も前回の聖杯戦争での敗北ではないかと思われます」
こちらはコーヒーカップだった。どうも被らないようにしているらしい。
徹底すればそれはそれで統一性があると言えるから、雪ノ下らしいと言えばらしいかも知れない。
「マジか。つうか十年前?聖杯戦争ってそんな頻繁にやってんの?」
メディアが焼いてきたクッキーをつまみながら聞く。うん、旨い。さすがにクッキーくらいで失敗はしないか。
「いえ。本来は六十年周期の筈です。聖杯が力を取り戻すほど魔力を溜め込むのにそれだけかかる筈ですので。おそらく前回は何かイレギュラーがあって聖杯の魔力が消費されなかったのでしょう。もしかしたら本来適性の無い八幡様がマスターに選ばれてしまったのも、その辺りが影響しているのかも知れません」
「……十年前というとこの街で怪事件が頻発していた時期ね。もしかしてそれも聖杯戦争と関係あるのかしら」
これもクッキーをつまみながら。雪ノ下の舌も十分満足させる出来らしい。
「そういやあったな、なんか色々。連続儀式殺人に未成年者の大量行方不明、自衛隊の戦闘機が墜落したなんてのもあったな」
「あー、あったねー。あれ、今でも解決してないんだよね?あたしの小学校でも居なくなっちゃった子いたんだ。隣のクラスで知らない子だったけど、あたしすごい怖かったなぁ」
今まで黙ってクッキーを頬張ってた由比ヶ浜が思い出したように口を挟んできた。大好評だな。
「断定は出来ませんが可能性は高いと思います」
これは雪ノ下の十年前の事件が聖杯戦争に関係あるか、という疑問に対する答えだろう。
「後、十年前っつうとあの大火災か?結局原因不明のままなんだっけ?」
俺の口から漏れ出た言葉に、今度は雪ノ下が答える。
「ええ。死者五百人以上、一三四世帯を巻き込んだ、冬木史最悪の大事件よ」
「……子供のころは実感なかったけど、今改めて聞くとすごい数字だね、それ。あの辺りって今公園になってるんだっけ?」
確かに由比ヶ浜の言う通りだな。年をとってからだとものの見え方が変わってくるものなのだろうか。
「その公園というのは新都にある大きな公園の事でしょうか?」
「ああ。あそこ、何か新しく作っても何故か長続きしなくてな。立地は良い筈なのに、今じゃもう誰も欲しがらないらしい。それで公園のままなんだと」
「…………そうですか」
「……どうかしたのか?」
「いえ、特には」
メディアは俺の説明に考え込むような素振りを見せたが、特に何も言わない。
令呪の縛りは効いているから、何かあるなら今ので答えている筈。だから本当に大したことでは無いのだろう。
……こういう事なら普通に読めるんだけどなぁ。
最近メディアの考えが読めないことが増えてきた。
例えば今摘まんでいるクッキーもそうだし、今朝の朝食もそうだ。ついでだからと言って作ってきた弁当もだ。
最近外は寒いから昼は教室で食っているのだが、これのお陰で周りからの視線が痛かった。が、メディアがどういうつもりで弁当なんぞ作ってきたのかがまったく分からない。
もしかしたら意味なんか無いのかも知れない。初めから意味が存在しないなら、読み取れないのも納得だ。
だけどそうだとしたら、メディアは無意味な行動を取ることが増えたということだ。そうなった理由が分からない。
「八幡様、お茶のおかわりは?」
「……ああ、頼む」
一体何がメディアを変えたのか、メディアがどう変わったのか。
俺にはさっぱり分からない。
雪ノ下と由比ヶ浜もメディアの変化には気付いているだろう。だけど二人は何も言わない。
だからきっと、問題があるとすれば俺の方なのだろう。
君はまるで理性の化物だね
かつて誰かに言われたその言葉が、ちくりと胸を刺した。