ガイエスブルグ要塞、指揮所。
ファーレンハイトは報告を受けるなり、シュターデンに向き直った。
「帝国政府軍に即時休戦を打診する」
「根拠はいかに」
「レンテンベルグ要塞発通信を傍受した情報だ。ブラウンシュヴァイク公が惑星ヴェスターラントへの核攻撃を命じた」
シュターデンは、しばし沈黙した。
「裏付けは。いささか信じがたいことです」
「ない。今は、まだ」
ファーレンハイトは即座に答えた。
「裏付けを待つ余裕はない。動く」
* *
旗艦ブリュンヒルト、司令官室。
回線がファーレンハイトと繋がった。
「休戦を打診する」
ファーレンハイトの声だった。
「根拠はレンテンベルグ要塞発の傍受情報だ。ブラウンシュヴァイク公が惑星ヴェスターラントへの核攻撃を命じた」
「確度は」
ラインハルトが問うた。
「まだ、こちらでは裏付けが取れていない」
その時だった。
オーベルシュタインが、一枚の紙をラインハルトの手元に差し出した。
音声には、乗せない。
そこには、こう記されていた。
「たった今、レンテンベルグ要塞からの脱走兵の証言で裏が取れました。賊軍軍事指揮官からの休戦提案には根拠があります」
ラインハルトは、その紙に目を落としたまま、わずかに頷いた。
「ーー阻止する」
回線の向こうで、ファーレンハイトが、一瞬だけ間を置いた。
「早いな」
「賊軍の一部とはいえ、200万人を見殺しにする理由がない」
ラインハルトは、そう答えた。
「休戦の条件は」
「捜索期間中の全面休戦。互いに軍事行動を控える。それだけだ」
「承知した」
回線は、そこで一旦切り替えられた。
遮音力場が展開される。ファーレンハイト、シュターデンの側には、この先の会話は届かない。
「先ほどの発言、補足いたします」
オーベルシュタインが言った。
「賊軍の一部とはいえ200万人を見殺しにすれば我が方の得るものはあまりに少なく失うものが大きすぎます」
「意外だな」
ラインハルトは、わずかに目を細めた。
「卿ならば『ヴェスターラントの民衆を見捨て、ブラウンシュヴァイク公爵の愚挙を実施させこれを帝国全土に放送すれば民心は完全に賊軍の元貴族から離れる』くらいは言うものと思い、殴り倒すつもりでいたのだが」
「その分析には根本的な誤りがあります」
オーベルシュタインは続けた。
「すでに同盟の苛烈きわまる平和攻勢により、民心は賊軍の元貴族から離れ始めています。200万人を見殺しにする必要自体が消滅しつつある。近い将来、消滅するでしょう」
「その民心をいかに帝国政府に、エルウィン・ヨーゼフ陛下に戻すか」
「すでに述べた通りです。善政。他にありません」
ラインハルトは、しばらく黙りこんだ。オーベルシュタインらしくなく聞こえたのだ。
「仮に、民心がなおも賊軍の元貴族にあるならば」
オーベルシュタインは、抑揚のない声で付け加えた。
「私は200万人の見殺しを提案しておりました」
「シュターデン参謀長からも1点あるそうだが」
端末に目を向けたラインハルトが、そう水を向けた。これも、遮音力場の中でだけ届く言葉だった。
「阻止に成功せず核攻撃が実行された場合、士気への影響を考慮すべきです。我が方の将兵の全般に」
その表示された意見には、ラインハルトもオーベルシュタインも異論を示さなかった。
遮音力場が解かれた。
「協力に感謝する」
ラインハルトは、回線に戻ってそう告げた。
「捜索の進展があれば、随時共有する」
「同じく」
ファーレンハイトが答えた。
両者とも、たった今交わされた内輪の会話については、一言も触れなかった。
* *
阻止の方法は、限られていた。
単艦で行動する艦、独航商船、宇宙海賊なるものは、艦隊を挙げて捜索してなお発見は困難である。
核攻撃を命じられた1隻の駆逐艦を、広大な宙域から見つけ出すことは、艦隊戦力の多寡とは無関係な難事だった。
帝国政府軍は休戦を受け入れると同時に、艦隊の一部を捜索に転用した。
これに際してラインハルトは、メルカッツ元帥の承諾を待たず、将官以上に限り、かつての自身の経験ーー情報部命令による同盟領潜入と亡命船の追跡捕獲が、スケジュールが提供されていてもなお、いかに困難であったかーーを含め開示した。
豪華絢爛たる客船を装ったそれでさえ、追跡し発見することは難事だった。
同時に、同盟軍をもってしても単独航行する帝国巡航艦を発見することは困難だった。
当時の巡航艦ヘーシュリッヒ・エンチェン艦長であったラインハルトと、同じく当時の副長であったワーレン提督が証言を行った。
フェザーン回廊から侵入しイゼルローン回廊まで同盟領の辺境を移動し、そしてイゼルローン回廊に同盟領側から侵入しての生還。
この報告経緯で諸将にとってはさらに意外な事実が明らかになった。
この任務に協力した、当時フェザーン駐在高等弁務官事務所の武官であった人物、ナイトハルト・ミュラーもまた証言に加わったのだ。
「まさかそんな任務だとは思わなかった」なる追加発言もあった。
そして。
無言のまま支援者であると示したのは沈黙提督とすでに異名が固まっているエルンスト・フォン・アイゼナッハであった。
彼が艦長を務めていた補給艦とのランデブーあってこそ巡航艦ヘーシュリッヒ・エンチェンは生還に成功したのだ。
諸将はどよめいた。
しかし帝国全土でフェザーン商人が好き放題に商業航行を実施している事実、そして帝国は一度として宇宙海賊の根絶に成功したことのない事実と併せて考えることのできない将官はローエングラム元帥府にはいなかった。
むしろこの攻撃阻止の難しさに顔をしかめる者、重大性に蒼白になる者があった。
だが確実性を持つ手段は、別にあった。
惑星ヴェスターラント自体への直接通知である。
これはくしくも、銀河の反対側でこの数ヶ月前に論じられた「経済封鎖の唯一の方法、すなわち末端消費地における監視」と対を成していた。
あるいは銀河に広がる人類社会における普遍法則であったかもしれない。
反乱の過程で奪取された、あるいは自発的に反乱に加わったシャイド家の旧私兵たちが、迎撃の任についた。
星系に到達した駆逐艦が、攻撃射程に惑星を捉える寸前だった。
元シャイド家私兵のわずかな艦艇群は、2陣営の艦隊から提供された情報ーーヴェスターラント星系へのありうる到着時期、星系への侵入角度ーーに基づき、惑星周回軌道上に布陣、警戒に当たった。
彼らは、無警告かつ持てる火力の全てを行使して、この駆逐艦を破壊した。
ブラウンシュヴァイク公爵の命により核攻撃の任務についていた駆逐艦乗組員たちは、苦痛を感じなかったものと推察される。
一方で迫りくる死に気付いたことは間違いない。
「ブラウンシュヴァイク公爵閣下に勝利と栄光あれ!」それが彼らの遺言となった。
* *
核攻撃阻止の報が届いた後、休戦の扱いを巡る交渉が始まった。
ブラウンシュヴァイク公が、次なる核攻撃を企てないと確認できるまで、休戦を継続すべきか。
ファーレンハイトは、その一点を巡って、ラインハルト陣営と幾度かやり取りを重ねた。
その過程で、ファーレンハイトはそれを知った。
ラインハルトが、なぜガイエスハーケンの射程という危険を冒してまで短期決戦を急いでいたのか。
その理由の一端が、交渉の端々からようやく推察されたのだ。
同盟の平和攻勢が結実する前に、内戦を終結させねばならないーーそう理解した瞬間、ファーレンハイトは沈黙した。
自分たちの分析は、間違ってはいなかった。「同盟は無傷でも痛手を被り、次の行動までの時間は伸びた」ーーその読み自体は、恐らく正しい。
だがローエングラム侯ラインハルトの読みは、その先にあった。
「次の軍事行動までの時間が伸びた」ことと、「時間切れになるまでに何が起きるか」は、別の問題だった。
国家組織による情報支援の有無とは、これほどまでに違うものか。
シュターデンが、珍しく言葉少なだった。
「参謀長。ひとつ独自に動きたいことがある」
ファーレンハイトは、シュターデンに向き直った。
「ブラウンシュヴァイク公が次なる核攻撃を企てないという保証はどこにもない」
「同感です」
「これを防ぐ手をこちらだけで講じる。ローエングラム侯には気付かれぬように」
シュターデンは、わずかに眉を動かした。
「休戦の最中にですか」
「休戦を破るわけではない。まだな」
ファーレンハイトは続けた。
「準備を進め成功次第ローエングラム侯に通知する。伝達を確認した直後に休戦を破棄する」
「意図をお伺いしても」
「これで一時的にでも優位を作れる」
ファーレンハイトは、そう言い切った。
「いわゆる通告前の攻撃なるものは千年を過ぎても13日戦争を隔ててもなお。その真偽と経緯がどうあれ、悪名を残す類のものだ。個人的にも立場的にも避ける」
それだけを告げ、彼はローエングラム侯の旗艦との間に回線を保持している端末に向き直った。
* *
やや時間を遡る。
レンテンベルグ要塞、ブラウンシュヴァイク公の私室。
無断停戦の報告を受けたブラウンシュヴァイク公は激怒した。
「金髪の孺子と停戦するなど論外だ。戦え」
ファーレンハイトにそう命じた。
返信はなかった。
そもそも送信されてさえいなかった。
命じられた通信士がその命令に従っていなかった。だがブラウンシュヴァイク公はそれに気付かなかった。気付く能力そのものが彼にはなかった。
決して暗愚ではない。ただ帝国でも屈指の大貴族である自分の命令を「従うふりをして実施しない」部下がいるなどという発想が彼の常識にはそもそも存在しなかった。
数日後。ヴェスターラント核攻撃が阻止されたという報が届いた。
ブラウンシュヴァイク公は次の攻撃艦を差し向けるよう命じた。
部下たちは了解の返事だけを返した。
これも実施されなかったが、今度はこれにブラウンシュバイク公は気付いた。
正確にはリッテンハイム侯爵家から知らされた。
ブラウンシュヴァイク公が要塞指揮所に自ら赴き、命令を実施しなかった部下にブラスターを突きつけようとしたときであった。
リッテンハイム侯爵家の家臣たちが動いた。
手筈通りだった。少なくともリッテンハイム侯にとっては。
家臣たちはブラウンシュヴァイク公を取り押さえた。
そして同時にリッテンハイム侯もまた捕縛された。
* *
盟主、副盟主。
両者とも「体調を崩され、静養中」ーーレンテンベルグ要塞内部には、その公式見解が流された。
要塞内の貴族社会は、たちまち政治闘争の場と化した。
盟主代理を誰が務めるのか。副盟主代理を誰が務めるのか。
すなわち、いずれ来る「エルウィン・ヨーゼフ陛下をお救いする」という大手柄を、誰が独占するのか。
その争いだけが、静かに、しかし確実に燃え上がっていった。
ファーレンハイトも、ラインハルトも、まだ手を下していない。
レンテンベルグ要塞の貴族軍は、その手を煩わせることなく、内側から無力化されつつあった。
こんな展開を、どちらも予想していなかった。
より正確にはどちらも一度は予想したのだ。
この「賊軍または貴族軍の政治的な主力」は実際には動けないことを。それは的中した。
しかしその内部対立と行動不能状態への移行がこのような形で現実化することは、誰にとっても予想外であった。
* *
帝都オーディン、宰相府。
帝国政府として、ヴェスターラントを巡る初の公式発表がなされた。
「賊軍は内部分裂し、自陣営の惑星ヴェスターラントへの核攻撃を図った」
「これはヴェスターラントのシャイド男爵家私兵により阻止された」
発表は、それだけだった。
帝国宰相リヒテンラーデ公爵の名で、簡潔な声明として発せられた。
反乱の発生には、一言も触れなかった。
シャイド男爵の死にも、一言も触れなかった。
阻止したのが今やシャイド男爵家の兵ではなく、反乱の過程で離反したものたちーーシャイド男爵家の家臣さえ含むーーいわば「元私兵」であったことにも、一言も触れなかった。
嘘は、一つもなかった。
宰相リヒテンラーデ公爵、財務尚書兼副宰相ゲルラッハの認識が示されていた。すなわち事実の取捨選択だけで、望む印象は作れる。
賊軍が自ら墓穴を掘り、賊軍自身の統治対象たる領民が、その暴挙を止めた--そういう物語が、帝国全土に流された。
この帝国宰相府公式声明と共に、ローエングラム元帥府からは秘書官からの報告が遠くローエングラム侯ラインハルト元帥向けに発せられた。
要旨:帝国宰相本人および宰相府は未だ同盟の平和攻勢の苛烈さを理解するに至っていない。
もはや従来の方法による情報統制が不可能になったことに気付いているように見えない。進言すべきか否か。
平和攻勢への対抗策すなわち善政は立案検討中。近く送付する。
また元帥府内部にて帝国宰相の推薦で元帥府秘書官となった人物が療養中のロイエンタール提督に接近を図りつつある。
その動機が宰相指示か、個人的打算か、他のなにかであるかは全く不明。
平和攻勢の苛烈さをいくらか描いてみました。
これはまだ、攻勢を受けている側が気づけるだけマシな部類です。
ここで。
ブラウンシュバイク公のファン、リッテンハイム侯のファン、そして帝国宰相リヒテンラーデ公と財務尚書兼副宰相ゲルラッハのファンにもお詫びします。
悪いのは本作の作者です。