犬娘とオオカミ少年   作:酢酸の大群

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二度目の訪問

 いつの間に眠ってしまったのだろうか。

 

 気怠げに顔を持ち上げ、辺りを見回す。既に朝陽が部屋を照らしており、灯の点いていない部屋は薄暗く、不気味な程の静寂が支配していた。時計を見ると、短針が八の字を差している。どうやら、半日以上も眠ってしまっていたらしい。眠い目も擦れずに、大きな欠伸を漏らす。しかし、八時ということはもう彼女たちは登校済みか。見れば、クッションやティッシュ箱、座布団の位置が、昨日とは微妙に違う。無事に帰ってきて、ここで過ごしてから学校に向かった証拠だろう。見れば、俺の朝食がケージの片隅に置かれている。隣に置かれたミルクに舌を浸けると、その寒冷とした感触が小さな体に浸透した。どうやら、本当に今さっき部屋を出たばかりの様だ。今日の朝食はささみが入った雑炊か。まぁ、不味いなんてことはないだろう。熱すぎない其れを頬張ると、瞬時に旨味が口の中で渦を巻く。蔓延すると言うよりは、舌をピンポイントに抑えてくる味。ちづ姉は将来的に良いお嫁さんになること間違いなしだろう。というか、是非とも俺のお嫁さんに欲しい。

「…………」

 閑話休題といこう。

 今日の予定は特に無い。少し魔法というものに興味が出たと言っても、ネギ少年やタカミチ、学園長に教わりに行く訳にもいかないだろう。だが、いつかは教わりたいな……。

 さて、私情を挟むのはここまでだ。

 魔法について知りたいとか、教えて貰いたいとか、そういうのに関係なく、今日は学園長の所に行かなくてはいけない。貰い物を破損させてしまったことの経緯と、その謝罪。まさか(こわ)してしまったことを黙っておくなんて卑劣な真似は、してはいけない。そんな強迫観念にも似たナニカが、俺の心を支配しているようだった。……なんだろう。体が小さくなったせいだろうか。些細な罪悪感が、重くこの体に伸し掛かるのだ。難儀な体だ、全く以て。前世なら、実に狡猾で卑怯な遣り口をあれやこれやと考えていたに違いない。もしかすると、これは傍観者気取り(オーディエンス)が与えてくれやがった奇跡(チャンス)なのかもしれない。有難迷惑にも程が有る。こんな、良心を強制化させるような真似、幾ら何でも趣味が悪すぎる。まぁ、これもまたただの考え過ぎなのだが。

 それにしても、八時か。流石に早すぎるかもしれない。だが、俺の方向音痴を考えると、到着するには時間が掛かるし……。むしろ、学校側と連絡が取れれば良いのだが、携帯なんか持っていないし、あちらの連絡先も分からない。いや、待て。もしかすると、学校の連絡網くらいあるんじゃないか。もしもの為の学校への連絡先くらい、何かのプリントに書かれているのではないか? 思い立ったが吉日。ケージに足を掛けて、器用に脱出を図る。俺は裸族じゃないし、裸で部屋を徘徊する趣味は持っていない。ケージを越えようとして、腹を抉った。いや、それは言い過ぎか。足を滑らせて、柵の頂点部分が腹に食い込んだのだ。存外な痛みに苦悶し、変な悲鳴が喉を裂いた。じたばたとすると、ケージごと、前のめりに倒れていく。眼前に迫るフローリングを忌々しげに睨んでから、強く眼を閉じた。

 

 下顎を強打。腹部の鈍痛。

 二つの犠牲は永続的に俺の体を蝕む。顔を振って気持ちを切り替える。垂れた耳がパタパタと揺れるのを鬱陶しげに感じながら、その四本の短足で立ち上がる。学校のプリントが置かれている棚は、確か北側の……。そうだ、プリントは棚の上に積み重ねられているのだった。は流石に手も顔も届かない。というか、電話にも届かない。そもそも、電話出来たとして、俺はどう要件を伝えるつもりだったのか。“わんっわんっ”か? 暇人の悪戯じゃねえんだぞ。

 しかし、どうするか。元から無いに等しいプライドを削りながらも裸族同然に過ごすか、先延ばしにするか。別に裸族を馬鹿にするわけでもないが、服を着る文化を生きてきた俺には、少々難しい注文なのだ。いや、今更か。もうどうにでもなれ、と。そんな思いをキーワードに込めて、俺は呟くのだった。

 

 

 ***

 

 

 学校の担任の携帯電話番号が書かれたプリントを発見。その名前は、どちらも見覚えのあるものだった。上にあるプリント――つまり、比較的新しいプリント――には、ネギ・スプリングフィールドの電話番号。携帯は持っていないらしく、家の電話番号だったが。しかし、まさかあの少年に電話するわけにもいかない。少年に電話するくらいなら、知らない人に電話したほうが幾らかマシだ。藁にも縋る思いで、前担任の電話番号を探す。結果的に言おう。在った。プリントの束の最奥に、連絡網が在った。そこに書かれた携帯電話番号。その電話番号の上に記された名前に、俺は溜息を吐きたくなった。タカミチ・T・高畑。あの野郎か。あの煙草の白スーツ野郎か。その次に子供が担任とか、悲惨だな、おい。魔法使いが担任したクラスは一般人には任せられませんってか。だからって子供にやらせるか、普通。いや、まぁそこら辺は学園側に何か事情があるのだろう。私情ばかりしか持ち得ない俺がとやかく言う事ではない。しかしこれは好都合だ。俺の事を知っている人間であれば、事情も分かってくれるはず。今は仕事中だろうか……。いや、きっと寝ているだろう。そう、これは目覚まし代わりの電話だ。ほら、なんかあるだろう。そういうの。なんて言うの? ラブコール? いや違うな。

「――もしもし?」

 四つのコールを置いてから、彼は電話を取った。

「もしもし。えっと、タカミチ?」

「……君は、どうしてまた――いや、なんで僕の電話番号を?」

「連絡網のプリント」

「ああ……、成程ね」

 得心いったと様子で、彼は言った。煙草を吸っているのか、一泊置いてから、彼は切り出した。

「どうかしたのかい。電話を寄越すということは、それなりの危機が迫っていると見ても良いのかな」

 もしそうなら、彼はどう動くのか。何となく、興味があった。嘘を吐いてみようかとも思う。もし、今、部屋の中に盗人がいて、人間になっていた俺が捕まったと言ったら、彼はどう反応するのだろう、と。だが、それでは電話をした意味がなくなる。それに、恐らく彼は正義感が強い。自分の手の届く範囲の全てを護ろうとする。俺の近くにも、そんな奴がいた。大人の癖して子供っぽい、唯一心を開くことの出来た大人だった。――ああ、そうだ。だからだ。あの人と同じ雰囲気を感じ取ったから、あの時、俺は落ち着けたんだ。

「――いえ、俺からすると危機ですが、あなた方にとっては途轍もない程に果てしなくどうでもいいことです」

「…………取り敢えず、君のいる場所に行くよ。確か、夏美君の部屋だったね?」

「はい」

「じゃあ、そんなに時間掛からないと思うから、少し待っていてくれ」

「あ――待って」

「ん、どうかしたのかい?」

 危うく、言えずに通話を終えるところだった。ある意味では、これが一番大事な事なのだ。俺の手元にある服はワンピース一枚。それも、今や左胸部丸出しの、全裸よりも恥ずかしい感じになってしまった。あれを着て外出する勇気なんて、生憎と持ち合わせていないのだ。

「出来れば、俺のサイズに合う服を、一着だけでいいので、持ってきてもらえませんか?」

「……ジャージ?」

 それは勘弁願いたい。

「取り敢えず、何か持っていけば良いんだね? ……明日菜君の昔の服なら…………」

 今度こそ、電話は切れた。

 独り言なのか、最後だけは酷く小さな声だった。明日菜君……。明日菜。恐らく、女性の名前。そして、木乃香の親友の、アスナ。同一人物だろうか。いや、疑問にすらならない。何故なら彼は前担任なのだから。夏美のクラスメンバーは、全員把握しているだろう。しかし、“昔の服なら”ねぇ……。なんでそんなものを持っているんだろう。まぁいいか。深追いも詮索も、するだけ無意味なのだから。

 後は彼を待つだけなのだが……。暇だな。

 …………取り敢えず、お手洗いを済ませよう。犬用のお手洗いスペースを使う気にはなれない。どんな羞恥プレイだよ、と。それから、入浴だな。初日こそ体が汚れていたから風呂に入れて貰えたが……。兎に角、入りたい。風呂に入りたい。確かに生前は三日に一度しか入らなかったけれど……。入浴出来ていただけ、まだ俺達は裕福だったのかもしれない。まぁ、なんだ。ちゃっちゃと済ませよう。バスタオルとかは……まぁ、適当なタオルを使わせてもらおう。収納スペースは把握している。浴室に続く階段が、存在する。踊り場から続くのがリビング、その上に行くと寝室。下に降りれば、先述通り浴室に続いている。寝室へと続いている階段が、引き出しになっており、浴室に続く階段からその引き出しを開ける事が出来るようになっている。画期的だ。桃色がかったタオルを手に取り、浴室に足を運ぶ。服を脱ごうとして、自分が裸だったことに気が付く。人間の頃に染み付いた癖は、切っても切れない縁なのかもしれない。

 バスタオルはあれど、体を洗う為のタオルはない。手で洗う他にないだろう。まぁ、贅沢は言うものではない。兎に角、まずは頭だ。耳という異物が存在する以上、ぞんざいに扱う事はできない。懇切丁寧に、割れ物を扱うが如く、優しい手つきで洗う。少々難しい注文だが、なに、伊達に妹の世話をしてきた訳じゃあない。髪の毛の洗い方、拭き方、乾かし方、其れ等は全て心得ているつもりだ。さて、と。さっさと始めてしまおう。こうしている間にも、タカミチは此方に向かってきているのだから。

 

 

 ***

 

 

 呼び鈴が鳴った。入浴は短めに済ませ、お手洗いも長引くこともなく終えた。日頃の食生活の御陰なのかもしれない。というか、この身体の体調を崩すのは、なんだか心苦しい。ついでに言うと、女の子は排便も排尿もしないと思っていた俺にとっては衝撃的だった。……馬鹿馬鹿しい。

 バスタオルを体に巻きつけてから、間違っても床に落ちることがないようにと右手の指先で胸元を抑える。

「……タカミチだ。いるのなら返事をしてくれ」

 その声を聴いてから、俺はドアノブを捻った。彼の顔にはまず驚愕が伺えた。どうやら俺がこのような格好をしているとは想定していなかったらしい。小学生のヌードで表情を崩すとは、まだまだひよっこよなぁ……。なんて、妙な優越感を得た事は内緒にしておこう。

「ワンピースはどうしたんだい?」

「…………着れる状態にあるなら、とっくの昔に着てるよ」

「それもそうか……。ああ、服だけど、これ。小等部の制服」

 そう言って、紙袋を手渡してくれる。親切丁寧に其れを受け取ると、俺はドアを思いっ切り閉めた。当然、締め出されるタカミチ。刹那の沈黙の後、ライターの蓋を開ける軽快な音が鳴った。どうやら、俺の行動の意味を悟ったらしい。流石、伊達に白スーツを着ている訳では無さそうだ。

 紙袋を手にリビングに戻り、念には念をとカーテンを閉める。一気に暗くなった部屋で、俺はバスタオルを離す。一瞬だけ空気を孕んだバスタオルが、ふわりと床に落ちる。この光景に妙な快感を覚えるのは俺だけだろうか。まぁいい。紙袋の中を見ると、薄い紺色の其れを手に取り、着用を始める。どうやらこれもワンピースの様なものらしく、――というかワンピースだった。

「…………」

 俺はワンピースと深い深い御縁があるらしい。

 慣れた手つきで其れを着てから、俺は紙袋の中を見た。順番を間違えたが、下着を履かなくてはならない。今までは仕方がないと妥協していたが、今日はその必要もない。嬉々として小躍りする俺の心を、俺は“まぁまぁ落ち着け”と宥める。紙袋の中に、その細い腕を突っ込んだ。あれ、おかしいな。なにもないぞ。

「…………」

 やはり白スーツは伊達なのか。変な所で気の回らない男である。別に、いいんだけどさ。ノーパンも慣れたもんだよ、チクショウ。

 溜息は虚しく床に落ち、綺麗なフローリングを曇らせるばかり。溜息なんて、あまりにも無意義だ。そんなことは理解しているのに、出てしまう。溜息をすると幸が薄れる、なんて迷信を信じる訳ではないけれど、決していい気分になれる訳でもないので、ある意味ではその迷信も馬鹿にはできないのではないかと思う。

 歪なワンピースを四苦八苦しながら折り畳み、紙袋の中に入れる。謝罪のついでに何かお菓子でも買おうかと思ったが、なにせ無職ニートの現在である。お金という神秘の錬金術を、俺は持ち得ていなかった。まさかこの部屋にあるお菓子類を勝手に持ち出す訳にもいくまい。またの機会に埋め合わせをするという事にでもしようか。犬を雇ってくれる仕事なんかないだろうし……。強盗、却下。

「ごめん、待たせた」

 ドアを開けてから、壁に寄りかかるタカミチに言う。すると、僅かに口角を上げ、彼は気にするなと短く答えた。身を翻し、彼は歩き出す。

 紙袋を、下腹部に重ねた両手で持つと、紙袋の底が廊下を滑空した。擦れなければ良いだろうと楽観的に見てから、俺は顔を上げる。皺も見当たらない白スーツが、壁の様に屹立する。今になって見れば、かなりの高身長。顔も濃く、間違えても日本人だとは思わないだろう。ハーフか、日本語をペラペラ話す外国人がいいところ。まぁ、日本語を話せない外国人ならまだしも、日本語を話せる外国人が煙たがれるなんてこともないのだろう。日本人の外国に対する憧憬の念は、ある意味異常だ。

「それで、君に迫っている危機とはなんなんだい」

 唐突に、彼は切り出した。

 改めて訊かれると、少し答えづらい。服を破ってしまったから謝罪に行きます、というどうでもいい用事で彼を駆り出させたのだから。一体どんな顔が返ってくることやら。

「……迫っていた危機って言ったほうがいいかもしれないね、厳密には。その名残を、学園長に伝えたくて」

「ふぅ、ん?」

 なんだか得心いかない様子で、彼は相槌を打った。後ろからなのでよく分からないが、斜め上方を見やっている模様。

「じゃあ、向かう先は学園長室でいいのかい?」

「まぁ、そうだね。彼の居場所が俺の目的地だから」

 そう言うと、彼は振り向いた。訝しげに寄せられた眉間の皺は、一見して怒っているようにも見える。僅かな不安を募らせながら、俺は首を傾げた。

「その一人称は、なんとかするべきじゃないかと、僕は思うんだけど?」

 何か、俺の発言に対する苦言を呈されるものだと思っていた。いや、確かにこれも苦言ではあるが、俺の想像していたものとは全く違う。なんか、こう、“曖昧な回答だな”とか、そういうのを――言い方はおかしいが――期待していたのだけれど。

「まさか、男の俺に“私”と名乗れと?」

「“私”じゃなくても、他に何かあるだろう?」

「…………ボクチン?」

「それはなにか違うと思う」

 だが、其れ以外に一人称らしい一人称は思い当たらない。

「まぁ、善処するよ」

「是非ともそうしてくれ。……そう言えば、君は靴とか貰ってないのかい?」

「誰のものでもない靴なんかが部屋に置いてあったら、不審に思われて捨てられるだろう?」

 流石に、“この犬にプレゼント”と言って靴を贈呈するわけにもいかないだろうし。買っても捨てられてしまうのだから、買う必要もない。

「それもそうか……」

「それよりも」と、俺は嫌味ったらしい笑みを浮かべながら言った。「服があるということは、十歳の子供が履ける下着くらいはありそうなものだけれどね。無いのかい?」

「…………」

 血の気が引いた。いや、それでは正しくない。しかし、確かにその顔からは血の気が消え失せていた。まるで、二十六点のテストが親に見つかった子供のような顔だった。

「入ってなかった、かい?」

 俺は頷いた。

「……我慢してくれ」

 ……俺は頷いた。

 

 

 ***

 

 

 どれだけ歩いただろうか。女子中等部校舎に入った俺に待ち受けていたのは、多くの目線だった。其れ等がチクチクと体に刺さる。誰にも見られないルートを懇願したいところだが、生憎と此処は公共施設であり、そんなルートは決して多くない。と言うか、皆無に等しいだろう。生徒の親族が見学に来た、とでも思ってくれれば良いが……。

 人気が少なくなってきた頃、俺達の前には見覚えのある扉が屹立していた。相変わらず、ロダンの地獄の門を彷彿とさせる其れは、しかし地獄の門と言うにはあまりにも安寧な空間の入り口だ。少なくとも、俺にとっては安寧だと思う。学園長を訪れる生徒なんて、極僅かに限られるものだ。つまり、俺に対する疑念の目線が、零になるということだ。これ程素晴らしい場所なんて、そうそう無いだろう。

「失礼します、学園長」

 中から嗄れた返事が聞こえてから、タカミチは扉を押し開けた。目線で入れと催促され、少し腰が引けながらも、部屋の中に入る。書類に向かう彼は、俺を視界に入れると、途端にその重そうな腰を持ち上げた。

「珍しいお客さんじゃな。タカミチ君、お茶を入れてくれるかの?」

「ええ、少しお待ちください」

 カウチソファに腰掛けた彼は、一言、“座りなさい”と言った。抗う事無く、革張りのソファに腰を落ち着ける。紙袋を膝の上に置き、話を切り出す。

「今日は、謝罪とこれまでの生活に関する報告をしようと思ったのですが……。迷惑ではなかったでしょうか?」

「ああ、気にすることはない。仕事よりも、学園の者を優先するのは、長として当然の事じゃ」

 それは、サボりの理由として俺をダシに……いや、止めておこう。実際、用があるのは俺の方なのだ。彼なりの気遣いとでも解釈しておくことにしよう。お茶を入れ終えたタカミチが、俺と学園長の前に紅茶を置く。自分の物は用意しないのかと疑問に思ったが、俺があれこれ言うことでもないだろうと、出掛かった言葉を飲み込んだ。

「それで、謝罪というのは?」

 紅茶を一口啜りながら、言う。タカミチは学園長の背後に、まるで護衛するかのように立っている。

「これです」

 紙袋から、例のワンピースを取り出す。広げて見せると、学園長の片眉が僅かに跳ねた。

「む……。どうした、寝惚けて噛み千切ってしまったのか?」

「そんな理由だったら、まぁ良かったのかもしれませんね」

 と言うか、噛み千切れる程、俺の顎の力は強くないと思うが。いやでも、仮にも犬なんだし、イヌということは狼なんだし……。

「桜通の吸血鬼とかいうのに興味を持った結果ですよ」

「…………エヴァか」

 またその名前。そう言えば、ネギ少年も“エヴァンジェリンさん”と呼んでいたな。成程、本名はエヴァンジェリンか。新世紀じゃないのか……。

 どこかがっかりしてる自分を一蹴しながら、俺は頷いた。

「ネギ少年に助けて貰いましたけどね。しかし、驚きましたよ。小学生でしょう、彼。あんな子供が、教師だなんてね」

「魔法使いの世界に、年齢は関係ないのじゃよ。下手な同情や庇護欲は、子供たちの意欲を無下にしてしまう。それに、彼は目標がある。一歩でも多く歩みたいという彼を足止めしては、逆効果じゃろうて。それにほら、良く言うじゃろ。可愛い子には旅をさせろとな」

「違うよ。可愛い子は崖の下に落としてその後に尖ったものでグリグリするんだよ」

 漫画の知識。漫画好きが近くにいるだけで、少なからずそういう影響は出るものだ。

「……えげつないな」

 タカミチが苦笑しているが、気にしない。躊躇うこと無く紅茶を喉に通し、表情を帰ること無く、俺は言った。

「で、その魔法使いの世界に巻き込まれているクラスの生徒達は、どうなんですか」

 確か、夏美達もネギ少年の生徒だったはず。飼い主の心配くらいするのが当たり前だ。特にあやか。三人の会話を盗み聞きしていると分かってくるが、彼女は俗に言うショタコンだ。小学生の男の子が教師とあっては授業にも身が入らないだろう――って、違う。そっちの心配じゃない。彼という少年がちゃんとした授業をしているか否かの問題だ。

「それなら問題はない。彼はあれでも、並の大学を卒業出来るだけの知識も学力も持っておる。勉学については、問題ない」

 勉学については、ね。俺があれこれ言うのも変な話だし、深追いは止そう。それに、俺に直接何かしらの害が及ぶという訳でもないのだから。そう、これはクラスと学校の問題。俺の問題じゃあない。他人事と言ってしまえば其れまでなのだ。そして他人である俺は口出しできない、と。

「まぁいいんだけどね。実質的に言えば、彼には助けられたのだから……」

 敬うことはないが、蔑むこともない。つまり、俺は今までどおり、ほんの少しの興味を抱いていれば其れでいい。この際その興味も投げ飛ばしてしまうべきなのかもしれないが、助けてもらっておいて少しの関心もないというのは、流石に人間としてどうかと思う。湯気が立つ紅茶を、更に一口、啜る。確か、エスプレッソは時間を掛けずにさっさと飲んでしまうのが一般的だと聴いたが、紅茶はどうなのだろう。そも、茶に詳しくない俺が抱くべき疑問ではないのだが。とは言え、詳しくないからこそ抱く疑問でもあるのは間違いない。

「それで、此れをこんな形で破ってしまったことの謝罪。それから、その吸血鬼に関する報告を――と思っていたけれど、どうやら吸血鬼については報告するまでもないようですね」

 俺よりも彼等のほうが状況を把握できているはずだし、無駄な報告は混乱を呼ぶ。今は下手に手を出さない方が状況の安定には丁度いいのだ。

「エヴァはネギ君の生徒じゃ。それに、力も封印されておる。何かイレギュラーでも起きん限りは安全じゃろう。生徒への対策は、まだ為されておらぬが…………。もしエヴァがこのまま吸血行動を続けるのであれば、釘を差さねばならなくなる。それは今日かもしれぬし、一週間後かもしれぬが、何れにせよ、早急な対応を期待してくれて構わぬよ」

 そんな期待を期待されても、困るだけなのだが。しかし、今思えば俺は吸血鬼に喧嘩を売った事になるのか。剣呑剣呑。あまりにも安寧じゃない。むしろ調和の崩壊が予測できるのだが。まぁ、今更な話、彼女に会わなければいいだけの話だ。俺の活動時間は夏美たちが返ってくるまでの、たった数時間。そのエヴァンジェリンという少女がネギ少年の生徒だと言うことは、夏美たちと同じクラスということだ。当然、あの寮で寝泊まりしているに違いない。帰ってくる時間も、差異はあれど夏美たちと同じはず。それこそ、部活動の終了時間に左右されるだけだ。会うことはまず無いと考えて差し支えないだろう。あの出会いだって、俺の興味が呼んだ当然だったのだから。

「ところで、魔法は見れたかの?」

 唐突に、そんな質問が繰り出された。あのイリュージョンにも似た氷と風の一瞬の肉薄。忘れるわけがない。瞼に焼き付いた其れは、目を閉じる度に思い出す。

「目の前で見ましたよ。恐ろしいですよ、恐怖感を薄れさせる程の、非現実的な戦闘なんて。まるで人間の頭上を的に見立てた流鏑馬を見ている気分でした」

 軽く肩を竦めながら言うと、彼は小さく首を傾げた。老人のそんな仕草可愛くねえよと突っ込むべきかと迷ったが、俺の妙な例えに困惑しているのだと気付き、言葉を飲み込んだ。

「まぁ、簡単に言えば驚いたというのが正直なところです」

「そうじゃろうな。魔法なんて名ばかりじゃ。兵器と呼ぶのが正しいのじゃろう。そこで、どうじゃ、魔法を教わってみてくはないかの?」

 一瞬だけ、思考が停止した。

「魔法を、教わる?」

 反芻するように呟いた俺の言葉に、彼は頷いてみせた。

「ああ。何も、選ばれた者だけが使える力、という訳でもなし、理論の勉強と実戦の訓練さえすれば、誰しもが魔法を使える。むしろ、魔法を使えない者こそが、選ばれし者なのかもしれぬ。力の開拓や、究極への追求にも繋がるしの」

 一概には言えないと言うことか。一瞬だけ学園長の隠れた眼が見えた気がしたが――まぁ、気のせいだろう。しかしなるほど、魔法か。俺でも使える可能性があるのか。そんなことなら早めに言えば良かった。

 いや、認めよう。子供らしくはしゃぐことの羞恥心を気取られたくなかったという心境は、確かに在ったのだ。だから今迄、“魔法というのは俺でも使えるのか”とか、“あんなドンパチを繰り広げてみたい”なんて言えなかった。だが、向こうからその話が振られた。これは、またとないチャンスではないのか? 第二の人生に、ほんの少しのスパイスを加える機会ではないのか?

 此れを逃す手はない。

「もしそれが嘘でないのなら、是非とも」

 それは、ある種の意思表示だったが、彼が気付くかどうかは別問題だ。

「ふぉふぉっ。素直じゃないの。ネギ君に話を通しておこう」

「……ん?」俺は首を傾げる。「あなたが教えてくれる訳ではないんですか?」

「儂は魔法よりも呪術の方が得意なんじゃよ。なに、心配は要らん。ネギ君は教える事に関しては上手じゃぞ?」

 そういう問題でもないのだが。しかし、やはり俺に強く言う権利は無いのだ。従うしかない。彼を通して俺の正体が夏美達にバレさえしなければ良いのだが。まぁ、彼もそこら辺は弁えてくれる筈。何にせよ、最終的には魔法よりも今の生活を優先すべきかもしれないな。魅力的な話の裏には棘がある。

「――いや、もう少し考えさせてくれ」

 それが、俺が導き出した答えだった。結局、俺はヘタレなのだ。危険の付き纏う一歩は避けて通る。こうしてまたくだらない人生を歩むことになるのか。浮かれていた気持ちが、途端に沈んだ。少しだけ微温くなった紅茶に口をつけ、喉に通す。美味しい。だが、何処か物足りない。何も満たされない。成程、心境の変化とは、こんなトコロにまで影響するものなのか。世の中で最も恐ろしいものは、何よりも自分の心なのかもしれない。絶対権利というか、なんというか。

「ふむ……、そうか。まぁ、焦ることはない。――そうじゃな。まずは見学から始めてみてはどうじゃ?」

「見学?」

 見学と言えば、小学生の頃に行く修学旅行や社会科見学のようなことを言っているのだろうか。体験入学や、社内見学でも良いだろう。何を見学するのかと言えば、魔法の見学だろう。

「エヴァが起こす行動は、大方予測できている。其れをネギ君の修行に利用させてもらおうと、儂は考えておるんじゃ」

「…………」

「そう怖い顔をするでない。危険な綱渡りであることに変わりはないが、――なに、ネギ君は少々過保護に育てられてきたからの。その矯正みたいなものじゃ。命に危険があると判断したら、タカミチ君を場に送る手筈になっておる」

 後ろで、タカミチが頷く。だが、俺が言いたいのはそういうことではない。何故そこまでして、俺に魔法を会得させたいのか、ということだ。妙に食い下がる彼等に、俺は懸念を抱かざるにはいられなかった。

「ネギ君の成長にも繋がるじゃろ。――どうした。まだ何か不安か?」

 俺は首を横に振った。諦観というものは必要だ。そう、諦めも重要な選択の内の一つ。何事も、引き際を見極めなければならない。諦観する方向がまるで逆なのは、まぁ、どうでもいいと割り切ることにしよう。

「それと、服についてじゃが……。タカミチ君、お願いできるかの?」

「え、僕が……? 構いませんけど……」

「金は儂が持とう。君は、この後の予定は?」

 この後の予定と言えば、部屋にある漫画を読み耽るとか、お昼寝をするとか、そんな予定とも言えないスケジュールを想定していた。まぁつまりは、予定なんてない。

 俺は首を横に振った。

「ここは学園都市――麻帆良学園じゃ。学生の必要な服、生活用品、なんでも揃っておる。好きなものを買うと良い。タカミチ君はその付き添いじゃ」

 何故か妙に機嫌の良い学園長は、カウチソファから立ち上がる。どうやら話はここまで、ということらしい。仕方なく、俺も席を立つ。タカミチを見ると、苦笑を返された。俺は相も変わらない、表情筋の死滅した顔のまま、溜息を吐く。

「――そう言えば、名前がないのも面倒じゃな。タカミチ君、ニックネームでもいいから、何か付けておいてあげなさい」

「いや、俺にはココアって名前が……」

「それは犬の時の名前じゃろ?」

 正論です。

 というか、その名前をこの体で名乗りたくない。

「取り敢えず、君は先に外に出ていなさい。タカミチ君、少しだけ話があっての……」

 なんだか、子供扱いだな。確かに高校生なんてガキに違いないし、この体なんか小学生だ。どちらにせよガキということか。なんだか微妙な心境。不快な思いをぶら下げながら、俺は学園長室の扉を開けた。

 

「――侵入……。――さいから、  夫 ――が」

「了――。気 付 ま――」

 耳をパタパタと動かしながら、その話を盗み聞きしたつもりだったが――案外、役に立たない耳だ。断片的にしか聞こえなかった。まぁ、気にすることはないだろう。雰囲気からして俺には関係ないことだろうし、何よりも重要なことでも無さそうだ。

 しかし、買い物か。この体になってから買い物をすることになるとは思わなかったが、まぁ、気分転換にもなるだろう。取り敢えず、耳を隠せる物が必要だな――。

 




 順調に文章力が落ちてきている。冒頭に比べて会話の機会が増えてきたからでしょうか。会話の合間合間に入れるべき表情や言動、風景などの描写が、どうも苦手です。次回、あの原作キャラがちょろっと出てきます。
 それから、委員長が魔改造した寮の部屋ですが、なんか階段みたいなのありましたよね? あの内装がよく分からないので、俺が勝手に想像して書いてます。と言うか、見た限りでは、部屋の入口にいきなり階段が在るような感じみたいなんですよね。ちづ姉が小太郎をからかうシーンで、夏美が階段の所で隠れてましたから。でも、ーうん。取り敢えず、階段が二つ在る設定にでもしてしまおうか。

 というか、改めて見たら俺の認識していた部屋と原作の部屋が全く違ってた。八巻を見ると、ね。
 まず、洋風のテーブルと椅子が置かれているものかと思っていたけど、なんかどこかの料亭にありそうな構造に足の短いテーブル、其処に座布団が置かれている形なんですね。

 八巻では、階段の下から「アラ、この尻尾の飾り、直接くっつけてるのねー。ホラ、夏美も見て」「わぁーっ! 下は脱がさんでー!」というやり取りが聴こえているようなのですが、三十七巻ではその階段の所に夏美が隠れてるんですよ。一体どういう構造なのでしょうか。ちなみに、階段に備え付けられたタンスやら棚は勝手にくっつけました。原作にはそんな描写は欠片たりとも存在しません。階段に備え付けられたタンスということで、あまり大きな収納スペースは確保できないんですよね。なので、綺麗に丸めたバスタオルが横に敷き詰められてる感じですかね? いえ、俺も良く理解していないんですが。

 結構、そういうどうでもいいところにオリジナルな設定があったりします。因みに、「自己解釈タグ」をつけようかと迷っていたり。やっぱり、付けたほうがいいんですかねぇ……。



 「タカミチ」の一発変換が「鷹通」な今日此の頃、早く小太郎を登場させたいです。十話が過ぎても小太郎出てこなさそう。吸血鬼編は、次々回には終わらせようと思っています。別に主人公が戦闘するわけでもないし、あの戦い自体、戦闘というよりはターンゲーなので、細かい描写をしようにもできないんですよね。凄い軽薄な中身になりそうだ。ただでさえ文章力の低下で中身が薄いのに。
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