私は幼馴染みの進藤ヒカルに告白することを決意する。
「――卒業証書授与」
まだ少し肌寒い三月のある日、葉瀬中学校では卒業式が行われ、滞りなく終了した。
私はすれ違う同級生のみんなに挨拶をしつつ、囲碁部の面々とともに歩く。
校門付近は卒業生やその親、一部の在校生などの姿で溢れ返っていた。
「あ、金子さん!」
「どうしたの、藤崎さん」
「囲碁部のみんなでも写真を撮ろうと思って」
面倒見の良い彼女は多くの人に慕われている。
元々、囲碁部ではなくバレーボール部であったので、その後輩たちと写真を一緒に取っていたようだ。
「――あれ、三谷帰ってなかったの? あんたならさっさと帰りそうなのに」
「うっせーな。俺だってそのつもりだったが、藤崎に捕まって帰れなかったんだよ」
金子さんと三谷君はこうやってよく口喧嘩をする。
でもそれはお互いを嫌っているのではなく、むしろその逆。仲が良いからこそそんな軽口を叩けているのだと私は思う。
それにこの一年、受験生だというのにあまり勉強にやる気を出さない三谷君を、金子さんが何度も面倒を見てあげていた。
不仲であるはずがない。
「そう言えば進藤もいないわね」
「そうだよ、あかり。いいの?」
私の気持ちを知っている金子さんと久美子の二人が、暗にヒカルも誘えと言ってくる。
「でも、ヒカルは一年生でやめちゃったし……良いのかな?」
「そんなこと、この馬鹿も夏目君も気にしないわよ」
金子さんの言葉に夏目君が頷き、三谷君は何か言おうと口を開きかけて――金子さんに頭をはたかれた。
「ほら、早く呼んできなさい。この馬鹿は私が逃げないように見張っておくから」
「あ、ありがとう!」
私は小走りでヒカルを探すために人混みに飛び込む。
すると、私のお母さんとヒカルのお母さんが端で話し込んでいる姿を見つける。近くを見渡していると、暇そうに荷物持ちをしているヒカルの姿もあった。
「ヒカル!」
「あかりか。俺、早く帰って飯食べたいのにさぁ……全然話終わんねーの」
「し、仕方ないよ。私たちが幼稚園からの付き合いだもん。それより、囲碁部のみんなで写真を撮るから、ヒカルもその、一緒に撮ろうよ」
プロ棋士として忙しい日々を送っているヒカル。
囲碁の道を歩み始めてからは学校も休みがちになったので、会話をする機会が減っていた。
一緒にいる時間を増やすために、背中を追いかけて私も囲碁の道を歩み始めたが、それも囲碁部まで。
高校生になっても囲碁は続けるし、囲碁部がなければ作る――そのつもりだけど、院生やプロになって追いかけることは不可能だと分かっていた。
私が志望校に合格するために受験勉強をしている間、ヒカルはプロ棋士として囲碁の勉強をしていた。
幼い頃はずっと同じ道を歩むものだとばかり思っていたのに、気付いたら別の道を歩んでいて、いつの間にか遠くの存在に。
囲碁の勉強は受験勉強と違って終わりが見えない。どんな気持ちなのだろう。
私は知りたい――理解したい、その気持ちを。ヒカルのことを。
「俺、一年でやめたけどいいのか?」
「みんな気にしてないって!」
「……そっか。じゃあ行こうぜ、あかり」
「う、うん」
胸に秘めている気持ちのこともあり、少し緊張していた。
私もヒカルも、三谷君も金子さんも、久美子も夏目君も――囲碁部のみんなが中学を卒業して、四月からは各々の道を歩むことになる。
ヒカル以外は同じ高校生とは言え、学校が違うので会話をする機会は減るだろう。
棋士のヒカルとは……きっと、もっと減る。
だから私は勇気を振り絞ることにした。今日、この後で、ヒカルに思いを伝えると。
今日が最後のチャンスということではない。これからも会う機会はあるはずだ。
でも今この時に伝えられなければ、一生伝えられないと思ったのだ。
「――ヒカル」
その名前を呼ぶ。
声が震えている気がした。
「なんだ?」
「みんなで写真を撮った後、話があるから部室に――理科室に、一緒に来てほしいの」
私と、ヒカルと、囲碁の三つが交わった思い出の場所に。
◇◆◇
「ヒカル、私ね……高校に行っても囲碁を続ける。強くはないけど、好きだから」
夕日が差し込む葉瀬中囲碁部の部室。
そこに、写真を撮り終えて囲碁部のみんなと別れた私とヒカルはいた。
「あぁ、頑張れよ」
「…………」
「どうした?」
黙り込んでしまった私をヒカルが怪訝そうに見ている。
緊張で声が出てこないのだ。
告白しようと思ってここにきたのに。囲碁だけでなく、あなたも好きだと伝えるために。
だけど、自分の思いが報わなかった場合のことを考えて決心が揺らいでしまった。恐怖してしまったのだ。
もしそうなったら、これからどんな顔をして会えば良いのか分からない。今まで通りに接することは難しいだろう。
「わた、し……その」
言葉が続かない。
緊張と恐怖、そして告白への気恥ずかしさがヒカルの顔を直視どころか、向き合うことも出来なくさせる。
あと少しだけ、勇気を振り絞ってその言葉を口にするだけなのだ。
それなのに頭の中に、このまま何も言わずに走り去ってしまうか、という考えが浮かんでしまう。
「あかり」
その時、まるで抱きしめるかのような温かく優しい声が、私の名前を呼んだ。
いや、実際に後ろから抱きしめられていた。
「えっ? ヒカル、あの……っ」
先ほどとは違う意味で緊張してしまい身体がびくりと硬直する。
完全に予想外のことで思考が追い付かない。今の状況は何なのか、まさか――。
「――俺はあかりが好きだ。付き合ってほしい」
ヒカルに告白されてしまった。
さっきまでそんな素振り、全く見せていなかったのに。どうして、いつから、という疑問を抱く。
だけど言葉の意味を理解した途端、嬉しさで胸がいっぱいになって涙が溢れてきた。
そして、留めていた思いも溢れてくる。
「私もヒカルが好き! このまま離ればなれなんかになりたくない!」
ヒカルの方を向いて、顔を真っすぐに見つめた。
ゆっくりと私も抱きしめ返す。
「ヒカル……」
「俺もこのまま対局で忙しくなって、あかりと疎遠になってしまうなんて嫌だった」
「……私たち、同じこと考えていたんだね」
「ああ、そうだな」
少し前まで報われなかった場合を想像して恐怖していたというのが噓のよう。
今はとても幸せな気持ちだった。
「――そうだ、ヒカル。私がもし、高校で囲碁部を作ったら教えに来てくれる? あ、プロってお金払わないとダメだったりするのかな?」
「金なんかいいよ。暇な時ならいつでも行ってやるさ、あかりのために」
「ホント? ……ありがとう、ヒカル」
しばらく、私とヒカルは抱き合った状態で語り合った。
そして夕日が沈み始めた頃、私たちは手を繋いで学校を後にした。
あかりを救済してあげたかった、ただそれだけで書きました
最初はあかりからの告白を想定して書いていたのですが(個人的なイメージとして、ヒカルは恋愛に無頓着そうなので女性側から動かないとダメな気がしていた)
告白のシーンまで来た時に、このままあかりに全てやらせるのは可哀想だと思い、ヒカルが男を見せるということで告白させました